「もう、やめましょうよ」
帽子の青年がバトル場へ入ってきた。後ろには、昨日ニビジムで会ったタイチを連れている。ポニーテールの女性とのバトルが終わり、次のバトルが始まろうかというところだったが、おかまいなしだ。観客の子ども達が「やべ!」と声を上げながら散り散りに去っていく。
「なんですか? あなたは」
「スクールの教師です。レッドさん、何故あなたがこんなことを?」
「何でって、バトルをしているだけですが」
「あなたが倒したポケモン達が大怪我を負ってるんですよ。名前のある人が、こんな自由に野良バトルをやり放題やられたら困るんですって。それくらい分かるでしょう?」
「大怪我? そんな大怪我なんですか?」
「そうですよ。だから直ちにバトルはやめて下さい。お願いします」
ポケモンセンターは、何でもかんでもすぐにポケモンを回復する施設ではなかったのか。
現実はそうではなく、それはゲームの知識であって、いくら回復力の高いポケモンであっても、大きいダメージから回復するまでには時間がかかるということなのだろう。
スクール教師の斜め後ろに位置するタイチが、瀬良を恐ろしいものを見る様な目で見ていた。
レッドに憧れていた、キラキラとした視線はもうない。今はもう、レッドの皮を被った瀬良を見つめている。そしてその視線は、力に溺れた瀬良を現実に引き戻すのに十分な力を発揮した。
リザードンをモンスターボールの中へ戻し、対戦相手に頭を下げる。突然のバトル終了にがやがやと野次を飛ばす観客もいたが、「すいません。今日はもうここで終わりです!」という”レッド”の声を聞いてしまっては、誰も野次を重ねることは出来なかった。
改めて、瀬良はスクール教師と向き合う。厳しく、非難の籠った視線が向け続けられていた。
「ご迷惑をおかけしました。ちなみに、どうしてタイチ君が後ろに?」
「うちのスクールの生徒です。彼が知らせてくれたんですよ」
瀬良がタイチに視線を向けると、彼はそれを受け止めずに逸らした。彼からの憧れは完全になくなっただろう。
「この町を出る前に、ニビジムに寄っていただけませんか? タケシさんがあなたに話があるみたいです」
「分かりました」
バトル終了と分かるや否や、残った観客達は散り散りに去って行く。バトル場には、あっという間にほとんどの人間がいなくなる。皆”レッド”の力を見に来たのであって、瀬良の雑なバトルを見に来た訳ではない。人がいなくなって来ると、瀬良は如実にそれを理解させられた。
「それでは」
と、スクールの教師とタイチもバトル場を去って行く。また、朝と同じようにバトル場に残された瀬良は、呆然としていた。
力を思うままに振るって、一体何をやっていたんだ。そう思えるだけ頭は冷えた。”レッド”としてこの世界でやっていくと決めたはずだった。彼が何を思い、何を目的として行動しているのか知りたかった。それだけ彼の偉業に敬意を払っているつもりだった。
しかしそれもどこまでが自分の本心なのか、瀬良には最早自分が分からない。混乱していた。ピカチュウの攻撃で相手が沈む。騒ぐ観客が静まり、唖然として瀬良に視線が集まる。そんな圧倒的な力に、溺れてしまった。
どうしてそれがいけないんだ、と思いながらバトルをしていた。楽しくさせろ、気持ちよくなるように振舞って何が悪い。それは瀬良としての正直な気持ちだった。
「わかんなくなってきたな」
改めて痛感したのは、レッドとして生きていくためには、様々なものを求められるということ。バトルの強さ一つとっても、ただ強いだけではもう通用しない領域に入っている。
どう強く、トレーナーとしてどういうバトルを見せるのか。一般トレーナー達にとってどういう存在であるのか。
レッドはトレーナーとしての生き様を求められているのだ。この歳で、なんという理不尽。なんという不合理。子どもにそんなものを求めて良い育ち方をする訳がない。奔放に出来ず、様々なしがらみに絡めとられたまま成長する方が、よっぽど悪影響だと瀬良は思う。
そんなおかしい状況がまかり通っている程にチャンピオンという地位がこの地方の人間達にとって大きな価値を持つ、というのは客観的事実。四天王とチャンピオンが築き上げて来たものは大きい。伝統というには短い期間だが、与えた影響は計り知れない。
ただやはり、皆が求めたチャンピオンというあり方に、レッドは応えようとしなかった。チャンピオンをすぐに降りたことからも明らかだ。
レッドがチャンピオンを降りた一つの理由として、強い奴らと自由に戦いたかったから、という予想を瀬良は立てていた。チャンピオンの地位にいては、自由には動けまい。好き勝手にバトルをするのも許されず、ストレスの溜まる生活を送ることになるに決まっている。
だが、今この場で経験したのはチャンピオンを降りたからと行って自由にやりたい放題など出来ないということだ。怪我をさせてしまったのは瀬良の力不足だが、元だとしてもチャンピオン”レッド”という名前がある以上はわきまえろ、という話だった。
チャンピオンを降りた意味がまるでない。
チャンピオンを降りたら自由になれると思っていたであろうレッドにとって見れば、なんたる不幸。沼に足を突っ込んだ感覚だろう。
現時点で瀬良は、レッドをただのバトルの強い子どもだと考えている。しかし世界は、年端もいかない少年にあまりにも背負わせすぎていた。だとしたらやはり、面倒くさそうなチャンピオンを降りたくなっても仕方がない。だって、子どもなのだから。
ワタルの強さは目指す対象となれど、チャンピオンという地位は不自由さの塊だ。
けれどもそこで一つ引っかかる。瀬良がトキワで見た新聞にも雑誌にも書籍にも、レッドの素行の悪さはあまり書かれていない。特にチャンピオンになった後の動きはあまり知られておらず、いたって大人しくしていた様だ。自由にやりたい放題バトルをしたいのならば、もっと書かれていいはずだ。それこそ今日の瀬良のように、最近のレッドの動向が分かっても良いはずだった。
「……考えてみれば、不自然か」
結局調べるしかない。
旅を重ねて、レッドをやっていくしかない。
当たり前だが瀬良はレッドではなくて、いや、レッドなのだがレッドではないという中途半端な状況に、瀬良は苦痛を感じ始めていた。何でそんなことをしなくちゃいけないんだと思ったら、もうその気持ちを消せない。こんな状態でこの先やっていけるのか。
元に戻るには、”レッド”として生きていくことが何よりの助けになる。それも理解している。だが、それ自体を突き詰めるためには、どれだけ辛い想いを重ねなければいけないのか。
偉業を成し遂げた元チャンピオン”レッド”を守ることは、カントーの短い伝統を守ることに繋がる。レッドは何も気にしていないとしても、彼の偉業はカントー地方の四天王、チャンピオンが刻んだ歴史から連続したものであるのは間違いない。
そんなもの、理解は出来ても気持ちが追いつかない。せっかくこんな楽しそうな世界に来たのだから、自由にやらせろ。
それが許されないなどと、それこそなんたる理不尽かと瀬良は思う。
どう考えても、今すぐに答えが出る話ではない。レッドをやめて瀬良になっても、瀬良をやめてレッドになっても、辛い道のりしか待っていない気がしていた。
どうすれば良いのかいくら悩んでも、瀬良が行く場所は決まっている。ニビで頼れる場所など、一つだけだった。
「タケシさんのところ、行くかあ」