タケシのところへ行くしかないのだが、その日瀬良はどうしても足を運ぶ気にはなれなかった。
自分が傷つけてしまったポケモン達や、ショックを与えてしまったであろうトレーナー達が気になった。強大な力に溺れ、それを雑に振るってしまったこと自体は反省しなければならない。”レッド”としてこの世界に飛ばされて半ば迷惑であることとは関係ない。
袋叩きにされるのを覚悟でポケモンセンターに足を運んだ瀬良は、先ほど一番最初にバトルをした、人集めを任せた少年を見つけた。一言謝ろうと近寄ると、少年は周りをチラと見渡し、瀬良をポケモンセンターの外へ連れ出した。皆瀬良の方をチラチラとは見るものの、誰も近寄っては来ない。あのバトルを見せられた後では、それもそうかと瀬良は苦笑した。
ポケモンセンター前の広場だと目立つからだろう。少し外れて、木立の影で目立たないベンチに少年は腰掛ける。
「どうぞ」
無表情の少年の隣に座った瀬良は、立ったまま開口一番謝罪を口にする。
「すいませんでした。あんな、一方的に」
「ポケモンバトルでポケモンに怪我をさせてしまえば、それはトレーナーの責任です。あなたが謝ることじゃない。僕なんてまだまだですけど、トレーナーの端くれです。手加減しなくてごめんなさいなんて言われたって、嬉しくありません」
けど、と少年は続ける。
「レッドさん相手にそれを口にする程、僕も思い上がってはいません。胸を借りるつもりで、あなたの好意を期待した僕が悪いんです。コラッタも無事でしたので、もう、忘れて下さい」
少年は小さくはにかんだ。気を遣ってもらっているのがよく分かる。
「でも、そういう訳には」
「いいんです。あなたにも何か事情があるのは分かります。あまりにも、僕が見たチャンピオンを倒した時と違いますから」
やはり見れば分かるものなのだと、瀬良はドキりと心臓が強く打つのを感じた。何が違うのか、それは単純な経験と実力の差から来るものなのだが、それを説明するのは至難だ。
何か話題を変えなくてはいけない。
「あ、あの、聞かないんですか?」
「何をですか?」
「どうして、バトルを望んだのかです」
「ジムリーダーのような洗練されたトレーナーとは違う、草の根で力をつけているトレーナーを相手にしたいって言ってませんでした?」
「いや、はい、そうなんですが」
咄嗟に話題を変えたものの、こちらはこちらで説明出来ない。泥沼だなと、瀬良は半ば諦めた。
うーん、と空を見上げて少し考えてから、少年は答える。
「まあ、それだけじゃないんでしょうね。僕の方が年上とはいえ、そう変わらないあなたが立っている場所は、あまりにも雲の上なんです。予想出来るような範疇にはありません。それに、答えられるんですか?」
返す言葉もなかった。瀬良は押し黙る。
「すいません。いいんですよ、答えなくて。あなた程の人になれば、色々あるんでしょう。僕より年下で、その地位にいる方の悩みなんて、想像もつかない」
「そんな、地位なんて」
それは瀬良の言葉だった。本当は、真実を誰かに聞いてもらいたくて仕方がない。
「謙遜するには余りに違い過ぎますよ。あなたについてはある事ない事あちこちに書かれていますし、色んな情報が飛び交っていますが、四天王とチャンピオンワタルを破ったのは事実なんです。僕達は皆その姿に痺れた。大声で騒いで、興奮しましたよ。永久に変わらないんじゃないかと思える時代が、変わったんですから」
「でも、それを望まない人もいた」
いいえ、と少年は首を横に振る。
「変わらない時代なんて、ありません。それを明確に伝えてくれたのは、あなたです。タケシさんもよく言ってました。強くあり続けることは出来ても、勝ち続けることは出来ないって。結果としてあそこまで勝ち続けていただけで、四天王やチャンピオンもただの努力を重ねるトレーナーだったって話です。神でもなんでもなかったんです」
四天王とチャンピオンが、あまりの強さと人気故、神格化されているという話は瀬良も知っていた。
それはこんな少年にも浸透している。彼らの時代がいかに長く、そして強烈な印象を与え続けていたかがよく分かる。
「俺、分からないんです」
口走ってしまった後に、瀬良はハっとした。一体何を言おうとしているのか。全てを話す訳にはいかないのに。
「何がですか?」
「いや……なんでもありません」
不思議そうな顔を浮かべながらも、何も問わず、とにかく口の重い瀬良に気を遣ってくれる少年には、感謝するしかない。
「ちなみに、俺がチャンピオンを降りたことについて、どう思っていますか?」
「外から見ていたら、あ、そうなんだ、って思う程度ですよ。どうせ挑戦なんか出来ないですし、そこにレッドさんがいようといまいとあんまり関係ありません。それに、ワタルさんより強いレッドさんがいなくなれば、挑戦する側にとっては良いことなんじゃないですか? よく、分かりませんが」
チャンピオンという権威を失墜させた、というのがレッドアンチのよくある批判のようだったが、町のトレーナーにはどうでも良い事なのかもしれない。
「ただですねえ、とにかくレッドさんについて語ろうとするとうるさい大人っているんですよね。凄いんだから凄いで良いと僕は思うんですけどね。難しいこと考える人も多いみたいで」
「うるさい大人、ですか」
「そうですね。あ、でも、タケシさんは違いますよ。あの人は、レッドさんなりの理由があるんだと、あなたをずっと庇っていました」
昨日の好意的な様子から、それは分かっていた。その点、ニビは居心地の良い町になりそうだったのに、余計なことをしたもんだと瀬良は反省する。
チャンピオンワタルがこの地方の顔だとするなら、ニビにとっての顔であるジムリーダータケシはどんな男なのか。瀬良は唐突に気になって、少年に投げかけてみることにした。
「タケシさんはこの町のジムリーダーを続けていますが、彼はどういう存在ですか?」
少年の顔が明るくなる。タケシのことを語るのは、嬉しいのだと分かる。
「今なら分かるんですけど、一番近くで僕らを見ていてくれる強者、ですかね」
「強者ですか」
「はい。四天王やチャンピオンって、地方を代表とする遠い存在じゃないですか。彼らも凄いんですが、僕らは彼らに教えを乞うことも、意見を言ってもらうことも叶わない。神だなんだと騒いだところで、僕らにとっては究極的にはあまり関係ないんです。でも、タケシさんは違う。僕らを近くで見てくれる、この町一番のトレーナーです。講座を開いたり、バトルを見せてくれたり、トレーナーとしての気構えやあり方を説いてくれる。スクールで教わるのとはまた違う、厳しい現実的なもの含めて、僕らに与えてくれるんです。目を向けなきゃいけなかったのはタケシさんなんですよね。改めてそれに気づきました」
タケシという存在がニビにとってどういう存在か、瀬良にもなんとなくだが分かった気がした。レッドより年上の少年が、これだけこんこんと語る様子に瀬良は素直に胸を打たれた。
「あ、すいません。回答になってないですかね」
「いや、とてもよく分かりました。良いトレーナーの一つの形を聞けた気がします」
チャンピオンである、ということは全てのトレーナーの上に君臨することとイコールではない。
ある意味ではそうかもしれないが、タケシのありかたもまた、上に立つ人間のあり方であるのは間違いない。
地元に密着し、ニビを愛するジムリーダー。
一言で言えば、タケシはそんなトレーナーなのだろう。
「そうですか。それなら、良かったです」
先程、あれだけ強い敵意を持った目で瀬良を睨みつけた少年が、目の前で表情を柔らかくしている。その事実に、瀬良は救われた気がした。
「では、僕はもう行きますから」
少年は去っていく。名前すら聞きそびれてしまった事に瀬良は後悔した。彼には、随分と世話になってしまった。
トレーナーとして、彼の方がずっと先輩だった。
瀬良は彼の言葉をずっと覚えていたいと、その背中が見えなくなるまで、見つめ続けた。