リビングの隣室へ通された瀬良は、案内通り奥側のソファーへ座り、向かい合わせにマサキも腰掛ける。
瀬良はどう切り出そうか悩んでいた。あのまま話しが出来れば突っ込んで行ったが、部屋を変えて一度勢いが途切れてしまったため、そのまま喋っていいものか。
「さっきの様子じゃ、よっぽどやろ」
仕切り直したマサキに対し、瀬良は覚悟を決める。
「さっきチャンピオンではないと言いましたが、あれは言葉通りです」
「なんでや。レッドはワタルを倒してチャンピオンになったやないか。降りたけど」
「レッドじゃないんです」
「はあ?」
一体何を言ってるんだと、瀬良はマサキがそう言いたいのはよく分かった。でも、ここまではこう言うしかない。
「レッドじゃないんですよ。外見はレッドだけど、中身はレッドじゃないんです。別の世界からやって来たんです」
「もうちょっと詳しく話してくれや」
ここで突き放さないマサキが、瀬良には頼もしく見える。きちんと話を聞いてくれる事に、心底感謝した。
「詳しいことは俺にもさっぱり分かりませんので、状況だけ説明します。俺がいたところにも、隣の部屋にあるものとよく似たマシンがありました。興味本位でその中に入ったら、急に扉が締まって、気づいたらここ、カントー地方にいました」
端的に説明したつもりだったが、端から見ればどうにかなってしまったんじゃないかと思われるだろう。それくらい荒唐無稽な話をしている。瀬良にもその自覚はある。だが、これが事実で、これしか説明出来ない。
マサキは話を聞いて考え込んだ。真剣な表情に、瀬良は呼吸もそこそこに黙る。
「からかってる訳じゃないんやな?」
「からかってません」
「今のあんたの話だと、レッドは今レッドではなく、別の人間、つまりあんたが入ってしまった訳やな」
「何か、そういう技術に心当たりはありませんか?」
「あるに決まっとる。さっき隣でやっていたのが、その実験や」
「それって、マサキさんがニドリーノになっていたあれ、ですよね?」
「そうや」
マサキは、失敗だったと言ってレッドに分離プログラムを作動させた。同じ失敗を繰り返すなんて、エンジニアとして失格だと、そう言っていたはずだ。
「ということは、もしかして」
「実験は、成功しとる。あの時からな。失敗だと咄嗟に言ったのは、口外されたくなかったからや」
レッドが初めてここを訪れた時も、喋るニドリーノを見たはずだった。マサキの口ぶりからだと、ニドリーノと合体してしまった、という言い方だったはずだが、内実そうではなかったという訳だ。
預かりシステム、転送システムを作り上げた天才は、それだけに留まらずにどんどん凡人の理解が及ばぬ世界へと突き進んでいた。
レッドと同じ、突き抜けた人間の一人だ。
「それなら!」
前のめりな瀬良に対して、マサキは「あかん」と一言、楔を打ち込む。瀬良はその次を言えなくなった。目を閉じて考え込んだマサキの、次の言葉を待つしかない。
「どうやって向こうにいるレッドとここを繋ぐんや? 別世界へ繋ぐネットワークなんて構築しとらんし、ありえへん。レッド、やっぱりわいをからかってるやろ」
マサキは突然、瀬良を突き放した。頼りにしていた天才にそう言われたら、もう何を頼れば良いのか分からなくなってしまう。
「そ、そんな」
「人格交換の技術は分かる。ポケモンの性質と技を応用したものや。やけど、カントー地方中に張り巡らせたネットワークが、別世界と繋がっとるなんて、そんな話信じられへん。メンテナンスもしとるけど、そんな不具合はない」
「で、でも実際俺がここに!」
「だから、あんたはレッドや。チャンピオンを降りてから、本当におかしくなったんちゃうか?」
崖っぷちも良いとこ、どうすれば取り合ってもらえるか。いくら考えても瀬良には良い案が思いつかない。
「一体どうしたんや。何があった。多少ネジは飛んでても、そんな世迷言を言うような奴やないやろ」
「俺は本当に、本当のことを言っているだけで……」
「ちょっと頭を冷やすんやな。冷たいもんでも持って来たる。ちょっと待っとき」
マサキは立ち上がって部屋を出て行った。天才エンジニアのくせしてありえないの一点張りだなんて、なんて奴。絶望しつつも、マサキに対する怒りが沸いて来た瀬良は、座っていられず立ち上がって部屋をうろつき始めた。
リビングの隣室は、応接も出来る書庫としても扱われていた。壁一面に本が並んでいる。分厚い本がずらりと並んだその光景は壮観だが、これだけの書物は瀬良の要望に何一つ応えてくれない。ふざけやがって、と悪態をつく瀬良は、怒りつつもこのままではどうしようもないのを理解していた。ニドリーノとなって喋ることが出来るあの技術は、正しく瀬良が今陥っている状況を作り出したものときっと同じだ。彼に協力を仰ぐ他ない。
マサキが協力的になるには、どうしたら良いのか。
怒りつつも不安で、焦り始めていた瀬良は部屋をうろつきながら本棚に並ぶ書物を眺める。
彼が言っていた、カントーに張り巡らせたネットワークが瀬良のいた世界と繋がっているなんて、確かに夢物語のような気はする。それでも、ポケットモンスターなんていうびっくり生物がいるこの世界ならそんなこともあるのではないか。そういう期待をしてしまうのは無理もないのではないか。時間や空間を司るポケモンがいるくらいなのだから、ありえなくはないのではないか。
では何故、マサキは”ありえへん”の一点張りなのか。彼が何をもって無理だと言っているのか聞かなければならない。
そうやって一つ一つ前進しなければ、到底元の世界には帰れそうにない。無理してでも前向きであろうとする瀬良に、先程のマサキの”ありえへん”が、ボディーブローのように効いてくる。もしかしたら帰れる、というところから一気に谷底へ転がり落ちたかのように絶望的だ。
良い考えなんて浮かぶはずもなく、瀬良はただ部屋をうろつくしかなかった。
「もう、帰らなくても良いかな」
面倒臭い、といってしまえばそれまでだった。
瀬良自身、特段帰らなければいけない理由などない。特にやりたいこともなければ、家族に対する想いも薄い。
家庭を顧みないでやりたい放題やっていた父は嫌いだったし、そんな父をただ許す母にもやりきれない想いがあった。手を上げられても、どんな理不尽にも黙って許す母が理解出来なかった。
瀬良はそれなりに裕福な家庭に育ち、何不自由ない生活を過ごしていたものの、思い出すのは父に対する嫌悪感ばかり。
父に反抗するように家を飛び出し、都会で学生生活を送っていたものの、それも空しいだけだった。母に心配をかけるばかりで、父は相も変わらず何も変わらなかった。
母には悪いがもういっそ全ての縁を切って一人で暮らした方が楽なのではないか。そう思って最後に実家へ帰ったのが、あの研究所に忍び込んだ時だった。
だから、別に帰らなくても良い。これで本当に縁が切れるのならば、それはそれで良いのではないか。
それで困るのは一体誰か。
「……レッドだろうなあ」
結局そこに行きついてしまう。
「ここに、帰って来たいだろうしな」
と独り言を呟いた時点で瀬良は気づいた。何故今までこのことに思い当たらなかったのか。よく考えなくても当たり前の話だった。
瀬良がここにいるということは、レッドも瀬良の元の身体の中にいるかもしれない。だとすれば、彼は彼で今向こうの世界で困っているだろう。あの研究所で目を覚ましたのだとして、無事だろうか。瀬良の両親しか頼るところはないかもしれないが、そもそも誰が瀬良の両親なのかも分からないだろう。幸い免許証はあるので身分は証明出来るが、難儀するはず。なにより、チャンピオンとはいえレッドはまだ子ども。あちらで困った事態になっているのは、目に見えて思い浮かんだ。
「面倒臭がってこっちにずっといる訳にもいかない、か」
そもそも何故レッドは飛ばされる羽目になったのか。それを知るためには、やはりレッドの足跡と彼の目的、その周りの事情を探るしかない。どうせすぐには戻れなさそうなのだから、少しでも彼に協力してやったって良いだろう。瀬良は同じ身体を共有した身として、レッドを弟のように感じている。他人事ではなかった。
そうと決まれば、やはりマサキを崩すのが最優先。本棚を何気なく眺めながら、瀬良は戻って来るのを待った。
「ほら、これでも飲んで一回落ち着き」
グラスを二つ持って戻って来たマサキは、それを机に置いてソファに腰掛けた。瀬良もまたソファに座り直して、話しの続きをするつもりだったが、そうは出来なかった。
ぼんやりと眺めていた本棚にあった一冊の本に、見覚えのある名前を見つけてしまった。
セラ・ヒサシ
父の名前だった。同姓同名なんてよくある話だが、気になってしまったら手を伸ばさずにはいられない。グラスを置いてソファに座るマサキを無視して、瀬良は本棚に入るその本を手に取った。
表紙を捲り、最初の方のページを捲る。中身は、ポケモンのデータ化に関するものだった。マサキが興味を持つのもよく分かる。
数ページ目を通しただけでも、瀬良には理解の及ばない内容だというのが感じ取れた。
「その本がどうしたんや」
マサキが声を聞いても、それに反応せず瀬良はページを捲り続ける。本の内容は分からなくても、その文章に見覚えがある気がしていた。それに、詳細は分からなくても何を書こうとしているのか、その概要はタイトルと小見出しから読める。
「そういえば……」
研究者である瀬良の父が著した本の中に、人格の入れ替え、人間の転送に関する本や論文があったのを思い出した。トンデモ本として、エセ学者の汚名を着せられた父は、とんでもないバッシングを浴びせられていた。それまでまともな学者としてある程度の知名度を得ていたところに、そのトンデモ本だったものだから、その影響は大きかった。
「一体どうしたんや。本当になんかおかしいんやないか?」
「マサキさん」
まだ確証ではない。けれども、一つの仮説に瀬良の手は震える。
「この、セラ・ヒサシという人、今何やってるか分かりますか?」
「セラさん? うーん、セラさんかあ」
「何かまずいことでも?」
「ちょっと病気してな、精神的なものや。今はもう、引退して養生しとる。天才的な発想を持った頭の回転の速い人やったんやけど」
「会えますか?」
「セラさんと? まあ、どこにおるか調べられなくはないと思うけど」
「では、お願い出来ませんか?」
「なんでや。なんで瀬良さんと会いたいんや」
瀬良はマサキが急に真面目な表情に変わったのを見て、本を戻して向かいへ腰掛ける。
「さっき俺が話した件と関わりがあるんです」
「レッドが、レッドじゃないという話か?」
「はい。彼もまた、俺と同じ状況なんじゃないかと」
そこまで聞いて、マサキは首を横に振る。
「あかん。セラさんとは会わせられん」
「どうして!」
ここは譲れなかった。どうしても確かめたい思いが大きすぎる。
「あかんもんはあかん。セラさんのことは忘れろ。訳の分からんこと言っとらんで、ちゃんとせえちゃんと」
マサキこそ、言っていることがめちゃくちゃだ。彼自身、それは分かっているだろう。彼程の者が、論理めちゃくちゃに人を突き放そうとしている。その固い意思を貫く術は、瀬良にはない。
「レッドはレッドや。他の誰でもない。当たり前やろ? あんたという人間を判断するのはあんたやない。あんた以外や。分かるか?」
「ええ。よく、分かりますよ」
「だったらええ。それだけ分かっとったらええんや。それ以外はいらん。ええな」
それ以上の問いかけは許さない。話しをすることさえ許さない。そう言っている。それでも瀬良は、頷く訳にはいかなかった。この仮説が本当なら、色々なことが変わってくる。この世界にいる意味が、変わってくる。
真っすぐに瀬良を見つめるマサキの視線を真っ向から受け止め、首は決して縦には振らなかった。
二人は黙り、視線だけを交え続ける。どちらも譲る気がないこの状況、この沈黙を打ち破ったのは、無機質な携帯電話の機械音だった。
マサキはポケットからそれを取り出し、耳に当てる。どうあっても譲れないこの状況を、電話如きで流されてはたまらない。なんとしても、瀬良が知りたいことが聞けるまでここを離れる訳にはいかない。
「はい、はい、わかりました。実は、今丁度。はい、はい」
挨拶もそこそこに電話を切り、ポケットにしまう事なくそのままマサキは視線をレッドに戻した。
「レッド」
「はい」
一体何事か。厄介事に巻き込まれている場合ではない。瀬良は身構えながらも、何を言われても聞きたいことが聞けるまで動かないと決心する。
「狂暴なポケモン達が四番道路で暴れとる。ハナダではありえんポケモン達や。奴等は強いポケモンに共鳴する。どういうことか分かるな? あんた、覚えあるんちゃうか? 怪我人も出てる。はよ行き」
そんな決心はすぐに崩れ去った。
覚えがない訳ではない自分の行動を考えると、行かない訳には、いかなかった。