モンスターボールに入れられたポケモン達が暴れに暴れ、ジュラルミンケースに振り回されるかもしれない。びくびくしながら瀬良はケースを運んでいたが、その実随分と大人しいものだった。
モンスターボールの優秀さは凄いものだなと瀬良は改めて感心する。
ハナダの洞窟の化物がいくら狂暴で強いのだとしても、四天王やジムリーダーを総動員して捕まえにかかれば、やってやれないこともないのではないか。それをしないということは、そこまでやっても失敗するリスクを孕んでいるからに違いない。
百パーセント近くの成功率が見込めないと協会はゴーを出さないはず。逆に言えば、現状そこまで危険な場所なのだ。
カスミの言う通り明確な解決方法が現状なく、微妙なバランスを保ってだましだましやるしかない、というのが現在地。
瀬良はどうしても、ゲームのことを考えてしまう。プレイした者が最後に辿り着く場所、ハナダの洞窟へ向かうのは、その奥の怪物を捕まえるためだ。それも、レッド一人で。
もし今、瀬良がこういう状況になっていないのだとしたら、彼は突っ込んで行ったのかもしれない。この世界でもレッドはおそらくシルフカンパニーに単身突っ込んでいる。そのネジの飛び具合だとしたら、ハナダの洞窟に単身突っ込むこともありえるのではないか。
その危うさを考えれば、瀬良は今自分がこの世界にいるうちに、早く問題を解決して欲しかった。
「ここ、だよな」
五番道路に随分と広い庭を持った家が一件だけある。誰が見ても分かる、サナエの自宅だった。敷地を覆った柵の中では、ポケモン達が中で自由きままに動いている。脱走したら大事だが、敷地をぐるぐると周回するフーディンが複数体ふわふわ浮かんでいた。脱走しようというポケモンを止める役割を担っているのだろうと、すぐに見て取れる。
空は橙に染まり、ぼうっと日が落ちるのを眺めていれば夜の帳は下りていく。長い一日もあと一息。早めに受け渡しを行わなければと、広い敷地の入口、オシャレな両開きの門の前まで瀬良は辿り着く。急いでいたのもあってすぐに門へ手をかけたところで、テレポートを使ったフーディンがふっと門の向こう側へ現れた。
初めて見たテレポートに半ば感動しつつも、フーディンの仏頂面に押され、手に持ったジュラルミンケースを上げて見せた。
「えっと、言葉って、通じるのかな。五番道路で騒ぎを起こしていたポケモンの件で伺ったんですが」
名を名乗れ、と頭の中に直接聞こえる声に瀬良は飛び上がる。テレパシーという奴か、と理解は示すものの、体が驚いていた。
「これは慣れないと気持ち悪いものですね。失礼しました、レッドです。先程バトルをしたので、多分お分かりだと思います」
承ったとばかりに一つ頷いて、フーディンはまた姿を消す。少し待っていれば良いのだろうか。手持無沙汰な時間を少々過ごしつつ辺りを見回していると、また突然フーディンは現れる。
どうぞ、と再び頭の中に直接声を掛けられたかと思えば、ロックが外れる音と共に両開きの門が開く。
こんな大きな敷地が必要だなんて、育て屋というのは金がかかりそうな商売だなと、つまらない感想を抱きつつ、瀬良はその敷地内へ足を踏み入れた。
「先に受け取ろうか」
懐かしい雰囲気のする部屋だった。祖父母の家と言えば、一般的にはこんなイメージだろう、というサナエの自宅へ迎え入れられた瀬良は、ジュラルミンケースを渡して、リビング中央に置いてある炬燵へいつの間にか座っていた。
気づけば茶が目の前に置かれ、戻って来たサナエが目の前に座っている。
「よく来たねえ。まさか、こんな形で来るとは思わなかったけれど」
「すいません、ご迷惑をお掛けして」
「迷惑なんか掛かってないよ、仕事だからね。それに、あんたはお月見山でポケモンとバトルをしただけ。そうだろう?」
「まあ、そうなんですけど」
にこりと笑ってサナエは机の上にあった蜜柑を剥き始める。
「あんな騒ぎになるとは思わなかったとは言え、それを想像出来なかった俺も悪いんです」
「真面目だねえ。あんたまだ子どもなんだから、もっと奔放でいなきゃ」
全てを包み込むように、サナエは優しく瀬良を肯定してくれる。
「あんたに背負わせすぎなんだよ、皆」
「チャンピオン、というのは、それだけ重いものなんでしょう?」
はっ、とサナエは笑って、蜜柑を一房口の中へ放る。
「重いの軽いのって、他人から言われるそんな言葉になんの意味があるんだい? その言葉に意味を持たせられるのは、歴代のチャンピオンだけさ。最近だと特に、ワタルちゃんと、レッド君、それとグリーン君だね」
「ワタルさんと、グリーンと、俺ですか」
「そうだよ。チャンピオンなんて、なってみないと分からないのに」
「でも、チャンピオンがカントーに与える影響は大きいですし、だからこそ、その一挙手一投足が見られる訳で」
「その影響力は誰が作ったものだよって話さ」
サナエの言っていることは分かったが、レッドも、ワタルも、グリーンも、皆そう簡単に割り切れる話ではないのだろうと瀬良は思う。
割り切れないからこそ、皆悩んで色々やっている。
けれども、年長者としてのサナエの意見は、瀬良にとってはとても心を軽くするものだった。
「ありがとうございます。本当に本心からそう言ってくださっているのは、よく分かります」
「人は一人じゃ影響力を行使出来ないんだよ。よく覚えときなさい」
「……はい」
育て屋稼業が長く、あれだけバトルの強いサナエだからこそ。説得力ある言葉は、反論を許さない。
瀬良はなんとなく、サナエが蜜柑を一個食べ終えるまで次の言葉を待った。
「……あの、昼間のバトルなんですけど」
「バトル?」
「わざと負けていただいたんですよね? 皆の前で、恥をかかせないように」
「ああ、別に、そうじゃないよ」
「え、そうなんですか?」
「確かに、あのまま全力でやれば勝てたかもしれない。その可能性はあったろう。でも、私達は勝ちとか負けとかいうものを競いに、あそこへ行った訳じゃない」
「どういうことですか?」
「あの子の身体の調子を見るために、バトルをしただけだという事だよ」
あの子、というのはライチュウのことだろう。最近まで病気していたのかもしれない。だとすると、もう全快している。
「だったら、すこぶる良い調子がみたいですね、あのライチュウは」
「そうだねえ。もう良い頃合いさ」
「頃合い、と言いますと?」
「あの子は、ハナダ北西の山から下りて来たポケモンなのさ」
フシギバナとのバトルを瀬良は思い返す。納得の強さだった。
「え、あのライチュウも、ですか?」
「あんたもよく知っている通り、あそこは強いポケモンがうようよしている。元々そういうポケモンが育ちやすい非常に特殊な生態系を築いている場所なんだけど、ここ最近はどうもおかしくてね。輪をかけて、異様に強くなりすぎているポケモン達がいるのさ。まるで、何かに引っ張り上げられるようにね」
それはハナダの洞窟奥に眠る、あの怪物に起因しているはずだ。カスミも似たようなことを言っていた。あの怪物が住み着いてから、ポケモンが強く、狂暴になったと。
「あのライチュウは、山でいじめられていて命からがら逃げて来た子でね。協会の人間に回収されて、うちに連れて来られたのさ」
「あの強さで、ですか」
「いんや、元々はあんなに強くなかったよ。そりゃ、その辺の野生のポケモンとは比較にはならないけど」
「なるほど、山で暮らしていけるように、サナエさんが鍛えていたんですか」
「まあ、簡単に言えばそういうことだけど、要するに、震える程何かを恐れていたから、その恐怖を乗り越える手助けをしたということさ。身体と心の調子を、ここで整えながらね」
「それで、そのチェックが今日だったと」
「そう。ライチュウの調子を見るには、最適な相手だったよあんたは。あの子にとってはバトルの勝敗なんてどうでも良いの。生き残るための力以上のものは必要ない。勝ったとか負けたとか、そんなものは人間が決めるもの。あの子らには、関係のない話さ」
野生で生きていく上で、必要以上の力はいらない。人間は考えすぎているだけさ、と語るサナエの言葉は、チャンピオンに重きを置きすぎている今のカントーへの皮肉のように瀬良には聞こえた。
「バトルに勝つことだけを考えてどうしたいのさ。強さっていうのは、何かの過程で身についていくものだよ」
競技としてのバトルの否定、のように瀬良には思えた。なるほど確かに、こういう意見があってもおかしくない。元々は野生で暮らすポケモン達を、バトルの場に引っ張り上げて戦わせているのだ。”バトル”に勝つことだけ考えていたら、サナエのように考える人間がいても不思議ではない。
「チャンピオンって、サナエさんにとってはどういう存在ですか?」
「その年のリーグチャンピオンだろう? それ以上でも、それ以下でもないよ。強いトレーナーなんだね、っていうくらいさ。そのチャンピオンがその後何をするのか、何をしたいのか。私はそっちにしか興味ないね」
「サナエさんみたいな人が、もう少し増えると良いんですが」
「こんな強気なばあさんがいっぱいいたんじゃ、若い奴等が大変だ」
かかか、と笑って、茶を一すすり。喋っているととてもしっかりした人だけれども、所作一つ一つは老人のそれだった。バトルの時見せた様子が嘘のように。
「それよりレッド君。あんた、ポケモンとうまくいってないのかい?」
「やっぱり、分かりますか」
「それくらい分からなきゃ廃業だよ。私には、あんたの方がポケモン達と距離を置いているように見えるよ」
どう伝えれば良いものか、これまた難しい話だった。タケシ、マサキ、カスミと、それぞれ色々な伝え方をしたが、どれが最適解だったかなんて分からない。今回はポケモンの育成専門、スペシャリストが相手だ。限定的な言い方をすれば、それに沿って答えてくれるかもしれない。
「あの、変な話をしますけど、良いですか?」
「もちろん」
「俺、ポケモンとの距離感が、分からないんです。どうやってバトルをすれば良いのかも、忘れてしまいました。ポケモン達は強く逞しく何も変わらないのに、俺だけが変わってしまった。奴等についていくだけで今は必死で、手探りで、でも結果は求められる。チャンピオンとしての、振舞いを求められる。その辺で苦しくなっていて、今の状況があります」
ふうむ、とわずかばかり虚空を眺めたサナエは、も一つ茶をすすり、ことりと湯のみをテーブルに置く。
「あんたが今どんな状況で、何に巻き込まれているのかは知らん。ただ、何もかも分からなくなったなら、何もかもポケモンに頼りなさい。あんたはポケモンと今まで一緒にやってきたんだ。そういう時こそ、そういう時だからこそポケモン達を頼らないでどうする。あんたがおかしいのはポケモン達だって理解してるよ。それでもポケモン達がうろたえずいつも通り振舞っていられるのは、それだけあんたと過ごした時間が素晴らしいものだったということさ。等価交換の出来ないものを共有出来ているんだから、それを頼るのが一番だね」
一番ない選択肢だと思っていた。
レッドのポケモン達は、レッドだからこそついてくるポケモン達。瀬良だと分かればどうなるか。だが、レッドがレッドではない程度で揺らぐものではないのだとしたら、一番頼りになる存在であるのは間違いない。
「……そうですね。最初に頼るべき相手を間違えたのかもしれません。一緒に過ごして来たのは、彼等なんですもんね」
「そうだよ。ポケモン達はあんたのことを随分好いておる。その歳でそれだけの関係性が築けるなんて大したもんだよ」
マサキに突き放され、警察にはこっぴどく怒られ、そこそこに落ち込んでいたところだった。ここへ来て良かった、と素直に瀬良は思う。
それに、頭では考えていても、どこか不明瞭だった道しるべが一つ明確になった気がしている。
元チャンピオンレッドの名前は、ポケモン達に任せ、瀬良は少しずつそれについて行けば良い。焦ってもどうせうまくはならない。
今後は、レッドがどういう軌跡を辿って今の状況に陥ったか、それを調べていく必要があるだろう。その先に、瀬良が元の世界へ戻れる方法が見つかるかもしれない。きっとどこかで、瀬良久の名前にもぶつかることになるだろう。
レッドの足跡を追えば、父と同じ名前の男に繋がり、それが元の世界へ戻ることにも繋がる。瀬良の頭では一本の線になりそうな気がしていた。
「聞きたいんですけど、サナエさんこそ、どうしてライチュウとあそこまで上手にバトルが出来る程、良い関係性を作れているんですか?」
瀬良の言葉に、今日一番の大笑いを見せたサナエは、最後までゆのみの茶を飲み干した。
「私はプロだよ。舐めちゃいけないね。あんたはうまくポケモンを育てちゃいるが、世の中上には上がいるんだ」
「し、失礼しました」
まともに受け取った瀬良を見て、サナエは一つ溜息をつく。
「冗談の通じない子だねえ。嘘だよ。あんたは私より強い。まず間違いなく、今カントーでトップクラスのトレーナーだ。でも、ポケモンバトルで無敗を貫き通すなんて、ありえないんだよ。どんなに強いトレーナーとポケモンでも、同じようなレベルでやっていたら負けることもある。戦術も、日々進化している訳だからね。ワタルちゃんは出来すぎ。あんたが現れて、奴にとっては幸運だったと思っているくらいさ」
それはともかく、とサナエは続ける。
「私があの子と仲良く出来るのは、私がこの土地の人間だからだよ。ハナダ北西の山や洞窟に規制がかかるずっとずっと前から、あんたが生まれるより前から、私はあの山を走り回ってるんだ。その土地の匂いが付くというか、あの子達とは昔馴染みなんだよ。親子で知り合いのポケモンがどれだけいるか。孫までいたか……いや、もっとかも。ここでポケモンを受け入れているのも、そういう事情があるんだよ。だから、私以上に適した人間はいないのさ」
「なるほど、納得です」
ポケモン達と過ごした時間が、あのバトルを可能にしている。だとすると、レッドとレッドのポケモン達の関係性を信じるのもありだと思えた。
「今日預けたポケモン達も、サナエさんならちゃんと元の場所へ帰せますか?」
「当り前さ。誰だと思ってるんだい」
サナエの自信たっぷりな表情が、瀬良には羨ましかった。今は、どうやったって自信なんかには程遠い。
「それを聞けて、安心しました」
「あんたは今、自分のことだけを考えた方が良いよ」
「はい」
「まあ、今日のところは一先ず、ここで晩飯を食べて寝ると良い」
悪いですよ、とは瀬良は言わなかった。年長者の心遣いをそのまま受け取り、甘えることにした。
「ありがとうございます。ご相伴にあずかります」
「そうだよ、素直が一番さ」
にこりと微笑むと、サナエは立ち上がって台所へ向かって行った。
とてつもない安心感を与えてくれる育て屋は、なるほど確かに、ポケモン達が安らげそうな場所だなと、瀬良は思った。