「え?」
瀬良は思わず困惑を言葉に漏らした。
随分過激な物言いだ。
明らかに表情を変え、喋り方まで変えたマチスの一言で場が一変する。目が本気だった。大の大人にこれほど敵意を向けられたことなどそう多くない。
この旅でも経験したし、元の世界でも瀬良の経験上ない訳ではなかったが、何度経験しても慣れるものではない。この場では、マチスが強者で瀬良は弱者。地の利を取られ、旗色は悪い。しかし、瀬良の腰にはモンスターボールが六つ。
競技としてのバトルではない。戦闘において本気の軍人相手に、素人の瀬良とレッドのポケモン達だけでどこまで通用するか。
「突然ですね、また」
「という割には、随分落ち着いていますね」
動揺を悟られまいと、瀬良は必死だった。
「ええ、まあ。訳の分からない事態には大分慣れて来ているので」
「流石、その若さでチャンピオンワタルを破っただけのことはある」
ニヤりと笑ったマチスの真意をつかむのは難しい。元チャンピオンという強者とやりあえる喜びからか。小僧っ子がちびりそうなのに、必死で平静を保っている様子がおかしいのか。
「どうして拘束されるのか、キッド、君が一番分かっているのでは?」
マチスもまた知っている。協会側の人間なのだから当然だろう。マサキと話した内容まで伝わっているのか、その辺は瀬良も気になるところだった。
「むしろ、こちらから聞きたいですね。マチスさんは、一体何をご存じなのですか?」
質問を質問で返す。
あまりマナーが良いとは言えないものの、あまりに主導権を握られているこの状況を、瀬良は少しでもひっくり返したい。
「質問をしているのはこちらです。あなたは、何故そこに座らされて、私に問い詰められているのですか?」
「……分かりません」
「あなた自身のことだ。あなたが分からないはずはない。よもや、心当たりすらないとは言わないですよね?」
主導権を取り返すのは難しそうだった。それどころか、ここに座らされた時点でマチスは勝ちを確信している様子だ。何を根拠に確信しているのか分からない現状では、状況はかなり厳しい。
「俺が、ロケット団との関わりを持っているのではないかという疑いがかかっているから、ですよね?」
「そうですね。それで?」
一歩一歩詰められている感覚。どうしようもなく、抵抗など出来ない。いつも危険に敏感な、ボールの中のポケモン達は大人しい。そもそもポケモン達の力を頼りたくとも、今はただ質問しているだけのマチス相手に暴力で訴えかけたら、それこそお縄だろう。
「疑いのきっかけは、ロケット団残党、それも上位クラスの団員がいる会合に、俺がいたから。奴等を潰す側だったはずの俺が何故、その残党と一緒に会合の場にいるのか。それは関わりを持っているからではないのか。カントーでまた、何かしでかそうとしているのではないか。そう、思われているということですよね?」
「随分他人行儀ですね。まあいいでしょう。それでは、本当のところを伺いましょうか」
これだ。こうなると困る。瀬良は本当に何も知らない。記憶にございません、と言う他ない。タケシやカスミの時とは訳が違うこの状況で、それが通用するのか。マチスのこの様子だと、拷問とまではいかなくとも何かされかねない。
そうなれば瀬良としても、ポケモンを出さない訳にはいかない。
「お答え出来ません、というより、俺には会合に参加した記憶がありません」
「言い逃れが出来る状況ですかね?」
「なんとでもおっしゃって下さい。ただ、なんと言われても何もお答え出来ないんです。会合のことなんて何も知りません」
「そうですか。では、少し質問を変えましょう。あなたは、チャンピオンを降りた後何をやっていたんですか?」
そんなこと、瀬良の方が知りたいくらいだ。レッドの動向を追いかけている身としては、チャンピオンを降りた後のレッドの動向は一番気になる。彼の目的が自由にバトルをすること以外にあるならば、その辺の行動が分かれば話が前に進む。
「知りません。むしろ教えて下さい」
「不思議なことを言いますね」
「分からないんですよ。チャンピオンを降りた後から、何も分からないんです」
「記憶喪失だとでも?」
タケシに話したことは、協会側には伝わっていないらしい。
「そうなのかもしれません。だから、もう一度カントーを回っている訳でしてね」
「なるほど、それは話として分かりやすい」
本当に何も知らない人間の言葉は、やはり通じるのかもしれない。瀬良の様子が明らかにおかしく、本当に何も知らないのだと思い始めているかもしれない。瀬良は根拠のない希望を持ち始める。
「あなたのおかしな行動の原因が、記憶喪失であるなら確かに説明がつく。けれどね、バトルについてはおかしいんですよ」
マチスの言わんとすることが瀬良には分かった。訓練を欠かさない、研鑽を続ける男にはそれが一番、目につくのだろう。
「いくら記憶喪失だろうと、バトルの感覚っていうものは忘れないんですよ」
「何故そんなこと分かるんですか?」
「ミーの昔の同僚が、戦場での傷で記憶喪失になったことがありましてね、色々忘れているんですが、身体で覚えたバトルについては忘れていなかったんですよ」
そんなのケースバイケースだろう、と瀬良は思ったが、マチスの体験はそれを許さない。身についたバトルまで忘れ去るのはおかしい。やはり何か隠しているのではないか。そう決めてかかっている。
とはいえ何も言えない。情報なんて瀬良が欲しいくらいだ。これ以上言えることはない。
「この点については逆に聞かせて下さい。先程、クチバジムでのバトルを見ていて、あなたは俺が演じていると思いましたか? あれが、そういうバトルに見えましたか?」
相対する元軍人は、初めて言葉につまる。表情を固めて、瀬良をじっと見つめた。きっとマチスはバトルについて深い知見を持っている。競技バトルとしてだけではなく戦闘という意味において、ポケモンと一緒に戦う意味を知る人間にとってみれば、一目瞭然なのではないかと瀬良は語った。
「何が言いたいのですか?」
「あなたなら分かるでしょう。記憶喪失についておかしいと思う点を突いて来る時に、あのバトルを挙げるのはおかしい。あれが演技ではなく、本当だというのをよく分かっているのではないですか? 俺が何らかの害をもたらそうとしているという先入観を、持ち過ぎではないですか?」
「その通りです」
マチスは動じなかった。
「ミーは今、キッドがカントーに害をなす存在であるという仮定の元動いています。あなたがボロ出したり、何かを喋ればそれで良い。私の詰め方は、関係ないんですよ」
堂々とそれを瀬良に言う。自信が伺えた。マチスとしては、上の意向をそのまま汲んでいるのだ。上官が部下に命令した。だから従った。そこに不純物はないとすれば、マチスをひっくり返すのは無理だ。
「お手上げですね。完全に決めてかかられてしまうと、どうしようもありません」
「分かってもらえたなら結構です。それで、チャンピオンを降りた後、一体何をやっていたんですか? 今、何をしようとしているのですか?」
問は繰り返されてしまう。これでは埒が明かない。
「何度聞かれても答えられるのは一つだけです。分かりません。憶えてません。何も、知りません」
「そうですか」
マチスはゆっくりと立ち上がって、テーブルの横に立つ。
「このまま同じことを繰り返しても時間の無駄ですからね。少し手荒になりますが、よろしいですね?」
ポキリと指を鳴らすマチス。分かりやすく、喋るまで殴りますという合図に瀬良は聞こえた。簡単に足が着くやり方をとっても、まったく問題にならない自信があるのか。
職権乱用が過ぎる。それではただの犯罪ではないのか。協会が許可すればなんでもありか。随分腐った組織だ。今、まさに瀬良はその組織に捕まっている。この場をなんとか切り抜けなければならない。レッドの身体をボロボロにする訳にもいかないし、実際今殴られて痛いのは瀬良だ。それはどうにか避けたい。
「素直にボコボコにされる訳にもいかないですからね」
足で椅子を蹴とばし、瀬良も立ち上がる。やるしかない。ここはやれるだけやるしかない。腰のホルダーにあるボールを手に取って構える。マチスはそれでも腕を組んでじっと見据えているだけ。
「随分余裕をかましてくれますね。仮にも元チャンピオンですよ?」
「分かってますが、ここでその肩書はなんの意味も持ちません」
競技バトルの中のチャンピオンでしかない。マチスはレッドという少年を舐めている。これをチャンスと思うしかない。瀬良は思い切ってその場でボールの開閉スイッチを押し、ボールを放ろうとした。しかし、あまりの手ごたえのなさに瀬良はボールを放れず、そのまま落とした。
「どうしました? 拾って良いですよ」
慌てて拾って、今度はボールを見て開閉スイッチを押す。カチカチカチカチ、と空虚な音だけが響く。
ボールは小さいまま。手のひら大にならない。瀬良は焦った。マチスが何故余裕を持っているか分かって来た。そうなると、瀬良には手がなくなる。単純な殴り合いでは、どうやったって勝ち目はない。
「ワカッテもらえたかナ?」
おどけた様子のマチスが、ニヤりと笑った。