ポケモンタワー最上階への一般人の通行は、禁止されていた。
階段の前に立てられた「進入禁止」看板を無視して、瀬良はフジ老人がいるであろう最上階を目指す。辿り着けば、そこは一本道。両側には墓標が並んでおり、前情報通り奥には祭壇が置いてある。見通しが良いフロアの奥には、人が立っているのが見えた。
一人だ。
近づけば近づく程、違和感は増していく。フジ老人だとすれば、瀬良が思っているよりも背丈がある。祭壇近くまで寄れば、その違和感は一気に膨れ上がった。
「俺を呼んだのは、あなたですか?」
後ろ姿ではそれが誰なのか分からない。しばらくの間無言のまま時が過ぎ、やがてゆっくりと振り向いたその顔を見て、瀬良は驚いた。
「フジさん、ですよね?」
ポケモンハウスにも飾ってあった、子ども達と撮った写真に映っていた顔がそこにある。温和そうな表情そのまま、今瀬良の前に立っている。
「お一人、ですか?」
老人は喋らない。静かに微笑むのみ。ロケット団に誘拐されたとはとても思えない穏やかさ。
「どうして何も喋っていただけないのですか?」
「何を聞きたい?」
しゃがれた声は、レッドの質問には答えない。
「何をと言われても、では、ロケット団は一体どこにいるのですか?」
「ここにおる」
「ここ?」
今いるのは瀬良と、フジ老人の二人。手紙を寄越したロケット団と思しき人物は、見当たらない。
「あの、先程から何をおっしゃっているのか、よく分からないのですが」
「レッド、君は何も分からない。分からないことが多すぎて困っている。そうだな?」
「え、ええ」
「フジは、誘拐などされていない」
「何を言って」
「わしはフジではない」
そう言って、目の前に立つフジらしき老人は自分の頬をひっつかむ。何をするかと思えば、そのままフジの顔は剥がれて行く。
知らない中年おやじの顔がそこに現れ、フジの顔は床に捨てられる。ぎょっとした瀬良は、その突然現れた中年男の顔を見つつ、数歩後ろに後ずさった。
「よお、びっくりしたか? 直接会うのは初めまして、だな」
咳払いを一つしてから、声が変わった。灰色のポロシャツにカーキ色のパンツ姿がよく似合う、老人の顔が今までは目の前にあった。だが、今はひげ面の中年男が目の前にいる。
「あ、やべ、頭も取らねえとな」
そう言って中年男は、カツラを頭からはずす。瀬良もようやく、理解した。露わになった紫髪を見て、ピンと来た。瀬良は、この男を知っている。
「ラムダ」
「へえ、俺のこと知ってんだ」
全てを脱ぎ捨てたロケット団幹部のラムダは、不思議そうに顎を撫でつつ首を傾げた。
「そんなことはどうでも良い。お前、フジさんをどこへやった」
「だから、あのじいさんは誘拐されてねえって」
「じゃあ、どこにいるんだ」
「ポケモンハウスにいるさ。眠らせて、倉庫に放り込んであるよ」
瀬良は、ラムダから視線をはずさないままポケギアを操作する。ルミコの連絡先を聞いておいてよかった。番号を呼び出し、瀬良は緊張の面持ちでコール音を聞く。
「手なんかださねえから、ゆっくり電話しろって」
コールが重なっても、ルミコは電話に出ない。さっきまで一緒にいた上に、フジ老人の無事を祈って待っている彼女が、電話に出ないとは思えない。
留守電に切り替わったところで、瀬良はポケギアを切った。
「ルミコさんにも、手を出したのか」
「そうやってすぐ疑うなって。あの嬢ちゃんも同じだ」
瀬良はポケモンハウスから一直線にここへ来た。とは言っても、あまり急いで目立ちすぎるのもよくないと思ったのと、急がなくてもレッドを待っている以上、辿り着くまでは手を出さないだろうと思っていた。時間にして三十分程。その間に、ルミコやフジを眠らせ倉庫に放り、変装し、再びポケモンタワー最上階まで上ってレッドを待つ。
そんなことが可能なのだろうか。
「不思議そうな顔してんな? よく考えてみろ。答えは一つだ」
時間的に余裕はない。物理的には難しい。この男がわざわざ変装技術を瀬良に見せつけて来たことを考え、総合する。
「分かったか?」
「あの時、俺を呼んだルミコさんは」
「部下の変装だよ」
ニヤァ、とラムダは笑った。
「何故、そんなことを。あんたにとって、その変装技術は最大の武器であるはずだ。わざわざその技術と顔まで明かして俺を呼んで、何の意味がある」
「お前にこの情報を明かすことで、俺にデメリットがないからだ」
今瀬良には協会からの監視がついているはずだ。一見このフロアには他に誰もいないが、もしこれを見ていればロケット団の貴重な情報が伝わるはず。
「協会の奴等もここには来ないぞ。ポケモンタワーにいるロケット団員が最上階への道を封鎖している」
「またポケモンタワーを占拠か」
「まさか。こんな墓地を占拠しても何の意味もねえよ。俺はただ、お前とサシで話がしたかっただけだ」
「一体何の話を」
「そう急ぐなよ。時間はあるんだ。ゆっくりやろうや」
そう言って、ラムダは祭壇の両脇に置かれた、キュウコン像の台座にもたれかかった。
「まず、質問に答えようか。俺のことをお前に教えて何のデメリットにもならないのは、お前に信用がないからだ」
「あんた等にだけは、言われたくないね」
一番言われたくない相手から言われてしまった。信用がないのは、誰のせいか。
ラムダは額を片手でパチンと叩き、仰々しいリアクションを取って、あちゃー、とこぼす。
「そりゃそうだ」
でも、と続ける。
「それは事実だ」
認めざるを得ない。
「お前は信用がない。そんなお前がロケット団の情報を語ったところで、誰が信じる? スパイでしたとでも言うつもりか?」
「そもそも俺はお前等の仲間になったつもりなんてない」
「わざわざ幹部会合にまで参加しているのにか?」
心では、そんな訳ないと思っていた。
あっさりとその事実を伝えられ、瀬良は素直にショックを受けた。あのレッドが、本当にロケット団に与しているとは。
「嘘だ」
「嘘じゃない。何を言ってるんだ。参加したのはお前自身だ」
「そんなはずはない。お前等が、レッドを迎え入れる訳がないんだ」
瀬良はもう、止まれない。
「どの目線から喋ってんだ? レッドはお前だろう」
ここで否定しないと、この後どうして良いか分からなくなる。瀬良がカントーに飛んで来た理由も、何故レッドが別世界へ飛ばされたのかも、セラ・ヒサシの件も、真っすぐ追えなくなってしまう。
「元チャンピオンレッドを引き込んでも、裏切られる可能性は大きい。そんな危ない奴を味方に引き込むなんて、ありえない」
瀬良の様子を見ていたラムダが、感心した様子で、ほー、と声を上げる。
「その様子だと、本当に入れ替わってるんだな。こりゃ不思議だ。マサキの転送システムよりよっぽどすごいじゃないか。セラ・ヒサシっていうのは天才だな本当に」
「お前、分かってるのか?」
「分かってるさ。こっちで手配したんだ」
始めから、全部仕組まれている。とてつもない数の疑問が瀬良の中から湧き出るが、何から問い詰めていけば良いのか分からない。
「お前にとっては本当、訳分からないことばかりだよなあ。俺だって、お前の中身が本当は外の世界から来てるなんて、よく分かんねえくらいだ。どうだ、そっちはどんな世界なんだ?」
「どうして、俺をこの世界に連れて来た」
「なんだよつれないな」
「いいから答えろ」
「質問したくなる気持ちは分かる。けれどな、お前じゃなきゃいけなかったなんて、己惚れるなよ。お前はどうでも良いんだ。問題はレッドだよ」
「どっちにしても質問は一緒だ。どうして入れ替えたんだ」
「落とし前だよ」
もっと奇々怪々な理由を言ってくれと、心の中で瀬良は望んでいた。
くだらない理由で巻き込まれたなどと思いたくなかった。マフィアが調子に乗った少年を相手にやることなんて、その程度に決まっているのに。
「レッドに邪魔された腹いせか」
「腹いせじゃあ恰好が悪いな。落とし前だよ落とし前。俺らの世界に割り込んで来て、派手に暴れてくれちゃってよお。のうのうとチャンピオン様だとふんぞり返るなんて、そんなの無理に決まってるだろ」
「くだらないな、本当に」
「お前にはくだらなくても、俺らには大事なんだ。面子を捨てたらこの世界やっていけないんだよ。それで、後は何が聞きたいんだ? せっかくだから、もうちょっとだけ答えてやるよ」
目の前のラムダを今にも拳で殴り飛ばしたい程、瀬良は怒りを覚えていた。元の世界でそううまくいっていなかった自分はまだ良い。この世界で父の核心に迫ることが出来る機会に巡り合えただけ嬉しい誤算だ。けれども、レッドはただ単に悪意を向けられている。
怒りに任せて突っ込んで行ったのはレッドだが、そんなものはこの仕打ちを正当化する理由にはならない。前途有望すぎる少年の未来を、心を、実績を、潰している。
だから、求めるのは元に戻せの一点のみ。
「どうやって入れ替えた?」
「それは俺にも詳しくは分からん」
「レッドとポケモン達は、お前等が捕らえたのか?」
「それも言えないな」
瀬良との入れ替わりを実現させるためには、おそらくレッドをあの機械に入れなければならない。ロケット団の指示にただ従ったとも考え辛い。マチスの時のように、ポケモンを封じ込めた上で、レッドを捕らえたに違いない。
「まあ言っても良いんだが、言わなくても、変わらないだろ。お前等は入れ替わった。それだけが大事だ」
人をおちょくることにかけては、カントーでもトップクラスの人間だろう。質問を受け付けておいて、答えないないばかりか、ニヤついている。それでも、今聞けることは全て聞いておかなければならない。
「元に戻す気はあるのか?」
「そこは上が判断する。島流しにした方がレッドに落とし前を付けたことになるのか、生き辛くしたカントーに戻した方が落とし前になるのか、どう判断されるかによる。何にしても、すぐには戻れないぞ。レッドを戻すとまた暴れそうで面倒なんだよ。今新しい計画のために力を蓄えてるところだから、しばらくはそのままだな」
レッド一人のためにここまでするかと、ロケット団の執拗さに辟易しそうな瀬良だったが、ラムダの言葉で一つ気づいた。
「もしかして、俺に協力を促しているのか? そのために呼んだのか?」
「そう受け取ってもらって構わない。お前が全面的に協力するなら、レッドにとって地獄のような環境を作れる。そうなれば、お前が元に戻れる可能性は高まる」
瀬良は、短い間だけでもレッドとして生きてしまった。偽物は偽物なりに、レッドを少しずつ理解し始めているつもりだった。家族やオーキド博士、その助手に、マサラの皆。ニビのタイチやハナダのトレーナー達。チクサやタケシ、カスミ、サナエに、カンナやその御付きの人達、ポケモンハウスの皆。と、関わって来た人間もそれなりにいる。もちろんマチスやヤシロなどと敵対もしてきたが、信じてくれている人も、少なからずいるのだ。
レッドの人生を壊すなんて到底出来ない。
「ありえない。それだけは、絶対に」
「そうか。それは残念」
キュウコン像の台座に寄りかかっていたラムダはその身体を起こし、「さ、そろそろかな」と呟きながら両手を組んで上に伸びをする。こんな大事な話をしている時に見せるその余裕っぷりすら、瀬良の癇に障る。今目の前にいるこの男の全てが気に食わない。
「待て。まだ質問がある」
「最後の一個な」
「会合にいたのは、本当にレッドか?」
それまでよりも口角を上げて、ラムダは笑う。
「どっちだと思う?」
ふざけた回答に、今にも殴りかかりたい気持ちを瀬良は必死に抑える。
「さっきと同じで、どっちでも良い、ということか」
「そうだ。あの会合にレッドが参加したかどうかなんてな、大した問題じゃないんだよ。よく考えろ。どうして協会はお前をあんなに祭り上げた? それは、ただのくそガキがチャンピオンになった訳じゃないと、協会の権威を維持するためだろう? 実際、協会の権威は保たれた。協会は満足した。後は、チャンピオンになったお前がおかしくなったと吹聴するだけだ。使うだけ使って、顔に泥を塗ったお前はお払い箱だ」
レッドは協会からもロケット団からも目の敵にされている。二つの組織は対極に位置するものの、レッドに関しては、意見が一致するのだ。
協会からすれば、レッドのスキャンダルなんて一番欲しい。最初にレッドを持ち上げてスーパースターに押し上げたのも、協会のため。その後はもうやめてるからどうだっていいのだ。貶めるチャンスさえ掴めればそれで良かったのだ。
チャンピオンまでのレッドは、素晴らしい人間、それ以降は、ロケット団に協力する堕ちた人間。そういう話になる。
「それが、レッドへの落とし前という訳か」
「そうだろうな。俺も協会からそうだと聞いている訳じゃないが、ことレッドについては、あいつらとは意見が一致する」
「ふざけてるよ、カントーは」
「レッドが自分で撒いた種だ。カントーで生きて行く上で、やってはいけないことをやり過ぎた」
「それがふざけてるって言うんだよ!」
せめて、今この場でラムダくらいは捕らえられるのではないか。怒りに任せて、瀬良はボールを一つ手に掴む。
「やっても良いが、お前、立場考えろよ? 俺の部下がポケモンハウスに潜んでいるのを忘れるな」
「くそだよ、お前らは」
ボールを戻して、腕を垂らす。ここで自分勝手に暴れて、ポケモンハウスの皆に迷惑を掛ける訳にはいかない。ポケモンタワーで暴れるのも、常識的に考えればご法度だろう。
「さ、話はここまでだ。情報は与えてやった。手も差し出した。後はお前次第だが、あんまり勝手出来ると思うなよ」
これ以上一秒でもこの男の前にいたくない。顔を見るだけで虫唾が走る。
瀬良は背を向け、最上階から下りようと歩き出す。
「籠りたくなる訳だ」
入れ替わるなんてことがなければ、レッドはそのままシロガネ山に籠ったのかもしれない。こんな不自由でどす黒い世界から、さっさと離れたいはずだ。他にどんな目的があったのか、それとは別の話だ。高まった厭世観から、山に逃げてもおかしくない。
だが、今レッドの中にいるのは瀬良だ。このままレッドを貶められて、黙っていなければならないのか。
協会とロケット団、それに大衆と、レッドにはあまりに敵が多い。きっと他の地方へ逃げても意味はない。同じように情報が回るだけだろう。
レッドの故郷であるこのカントーを、彼が生きていける世界にしなければならない。
父の件を明らかにすることはレッド入れ替わりの詳細にきっと関わっているし、彼のためにもなるはずだ。
彼を守るには瀬良ではあまりに役不足だが、瀬良だからこそ出来る何かが、きっとある。