遥煌燦歌 / Aphelion of Planeptune 作:宇宮 祐樹
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▼ _ 遥煌燦歌 / Aphelion of Planeptune
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はじめに感じたのは、全身を襲う強烈な浮遊感であった。
「……はい?」
見開いた瞳に広がる逆さまの世界に、思わず少女が言葉を漏らす。しかしながらその呟きは、頬を叩きつけるような強風によって、どこかへと流されてしまう。足に力は入らず、それどころか足場すらも存在せず、見上げた先ではだんだんと地面が迫っている。そうして数秒が経ってからようやく、彼女は自身が自由落下を続けていることを理解した。
「どういうことだよ……?」
理解を得た瞬間、彼女が感じたのは焦りではなく疑問であった。というのも、彼女はこうして落下をする直前のことが、何一つ記憶になかったのだ。どうにかして頭の中を探ろうとするが、それは内臓が浮かび上がるような感覚と、耳を塞ぐ風切り音によって阻まれる。やがて彼女は思考を諦め、とりあえず安全に着地する方法を模索し始めた。
直上――あるいは真下に広がっているのは、広大な森林であった。ともすれば、何とかして枝で衝撃を和らげるのが最善であろう。そうと決まれば話は早かった。水の中をもがくようにして軌道を修正し、無理やり姿勢を立て直して木の上へと狙いを定める。ここまで来て死ぬ心配をしないのは、かえって諦めがついていたからなのかもしれない。できれば一瞬で意識を持っていってほしいところだけど、と考えるうちに、視界が木の葉で埋め尽くされた。
「うわ」
予想に反して、衝撃はかなり軽いものであった。間の抜けた声が口から洩れると同時に、全身に枝が衝突し、ばきばきと音を鳴らして落ちていく。思ったよりも自分が丈夫なのか、あるいは枝が予想以上に衝撃を吸収してくれているのかは分からないが、とにかくこれなら何とか無事に着地はできそうである。
そうして枝を抜けたその先、彼女が地面に降り立とうとしたところで――
「え?」
「……え?」
彼女が出会ったのは、一人の少女であった。
全身を黒い服装で包んだ、十代の後半、あるいは二十に届きそうなほどの少女。髪は長く、座っているその体制では地面に毛先が届いている。丸く大きな瞳は手元にある手帳ではなく、落ちてきた彼女の方へと向けられており、そして何よりも特徴的だったのが、頭に付けた二つの十字を模したアクセサリーであった。
一瞬、困惑によって時が止まる。どうしてこんな森に人がいるのか、彼女はいったい誰であるのか、そして、よりにもよってなぜこの樹の下で座っているのか。疑問は絶えないが、しかしこの先に待っている結果は、ただ一つ。
「……おわあああぁぁああ!? どいたどいたどいたあああぁぁあああああ!」
「ちょっ、まっ、ねぷううぅぅぅう!?」
ごちん、と何とも痛々しい音が、森の中に鳴り響く。
そうして二人が起き上がったのは、鳥の囀りが鳴り始めたときだった。
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「死ぬかと思ったよ……」
「悪い悪い」
額に傷薬と包帯を巻かれながら、少女がばつの悪そうな答えを返す。ちっとも謝罪の意が感じられないその返事にため息を吐く彼女の額にも、同じように白いガーゼが当てられていた。
「それで、どうしたのさ。いきなり落ちてくるなんて。何かあったの?」
「……さあな。気づいたら、あそこにいたんだ」
「あそこ」
少女が指で真上を示すと、彼女も同じ方向を見上げる。しかしながら、そこに広がっているのは枝と葉によって覆われた天井であり、その隙間に見える青空からは木漏れ日の光が降り注いでいた。
しばらく真上を見上げていた彼女は、やがて少女の方へと視線を戻すと、
「どういうこと?」
「だから、気づいたら空にいて、真っ逆さまに落ちてたんだよ」
頭の傷口を指しながら、少女は呆れたように答えた。
「そうなる前のことは、何も思い出せないの?」
「残念ながら、そうみたいだな」
『お前、また面倒なのと絡んでんのか?』
「うぉ」
突如として聞こえてきた誰かの声に、思わず彼女が声を上げる。そうして次に彼女の前に現れたのは、一匹の蝶のような光であった。それは一度、彼女の眼前まで近づいたかと思うと、すぐに少女の方へと近づいて、再び話を始めた。
『コイツ、ぐちゃぐちゃだぜ』
「ぐちゃぐちゃ?」
『ああ。俺みてーな方法じゃなくて、もっと無理やりで、あてずっぽうな方法だよ』
「クロちゃんは自分のこと言えないんじゃないの?」
『バカ言え、俺のはこんなにメチャクチャじゃねーよ』
光と会話を交わす少女を、彼女はきょとんとした瞳で眺めていた。話は断片的には耳に入ってきたが、それは一つも理解できないものであるため、耳を傾けることはしないでおいた。そうやってしばらく、二人(?)が会話しているのを見ていると、ようやく少女の方が彼女に気づいたらしく、申し訳なさそうな笑みを浮かべながら、言った。
「そっか、自己紹介がまだだったね。私は、ネプテューヌ。次元を旅してるんだ」
『俺はクロワール。コイツに付き合わされてる』
「君の名前は?」
彼女――ネプテューヌの言葉に、少女は上の空のままで口を開いて、
「俺は、うずめ……天王星、うずめだ」
ただ、そう答えるだけであった。
「……名前は思い出せるんだ?」
「みたい、だな。でも、空から降ってくる前の記憶が、どこにもない」
『ま、こんなに縛られてるんだ。思い出せるのも名前ぐらいだろ』
「クロっちは、何か分かるのか?」
『分かるけど教えたくねー……っておい、なんだよクロっちって』
「いいじゃんか、呼びやすくて」
にかり、と白い歯を見せる彼女に、クロワールが呆れたような息を吐く。そんな二人のやり取りを見ていたネプテューヌは、小さく笑いながらうずめへと問いかけた。
「うずめは、これからどうするつもりなの?」
「さあな。何をしていいのかも分かんねーからな……」
「じゃあさ、私と一緒に来ない?」
その言葉に初めに反応したのは、クロワールだった。
『ちょっと待て、俺は嫌だぞ! 絶対に面倒なことになるって!』
「でも、放っておけないよ。少なくとも、記憶が戻るまでは一緒にいてあげないと」
『だからそれが……ああ、もう! 勝手にしやがれ! 俺は知らねーからな!』
ひとしきり声を荒げると、クロワールはまるで崩れ落ちるようにその場から姿を消した。残った光の残滓を見つめるネプテューヌは、どこか申し訳なさそうな笑みを浮かべたまま、うずめの方へともう一度向き直る。
「どうする?」
「……いいのか?」
「さっきも言ったけど、私は君をここに置いていけるほど残酷じゃないからさ」
「なんだそりゃ」
奇妙な言い回しにうずめが首を傾げるが、ネプテューヌはただ曖昧な笑みを浮かべるだけであった。
やがて、静かに差し出された彼女の右手を、うずめは強く握り返す。
「決まりだね」
「ああ。これからよろしくな、ねぷっち」
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それはうずめと旅路を共にしてからしばらく、とある次元を訪れた時のことであった。
寂れた裏路地を歩いている二人の前に、一人の少女が現れた。年は十にも満たないようで、痩せこけた手足とぼろぼろの服装から見るに、おそらく物乞いなのだろう。そうやって検討をつけたネプテューヌは、ポケットに手を入れたまま、無言でその少女の隣を通り過ぎた。しきりに聞こえる少女の声は、意図的に耳に入れないようにした。
ああいうのは構うだけ無駄である。ネプテューヌは自分が楽観的であることは自覚していたが、しかし旅人としての心構えが無いわけではなかった。はじめは思うところがあったが、その感情は旅を続けているうちに錆びついて消えていった。そうして裏路地を抜けようとしたとき、ふとネプテューヌは、自分の隣から聞こえる足音が聞こえないことに気が付いた。
恐る恐る、あるいは呆れを含んだ表情で、ネプテューヌが背後へと振り返る。
そこには少女と目線を合わせながら、言葉を交わすうずめの姿があった。
「妹がいるのか?」
「うん」
「そっか、そりゃ大変だよなあ……」
「だからおねーさん、たべものくれる?」
「おう、いいぜ! つっても、俺もあんまり持っては……」
「うずめ」
呼びかけると彼女は、いつものようにネプテューヌの方へと振り返る。
「行くよ」
「ああ、ちょっと待ってくれ。この子にちょっと食べ物を」
「そういうの、やめた方がいいよ」
ぴたり、とうずめの動きが止まる。
「……どうしてだ?」
「そんなことをしても、うずめは何者にもなれないから」
「何だよ、その言い方」
振り返ったその先では、ネプテューヌが冷たい視線をこちらへ向けていた。
「これからずっと、うずめはそうやって誰かを助けるつもり?」
「助けを求めてるなら、できる限り答えたいだろ」
「……破滅するよ」
「かも、しれないな。けどよ、自分に嘘は吐きたくねえんだ」
「嘘?」
「助けたいって気持ちに嘘を吐き続けてたら、それこそ破滅するんじゃないのか?」
会話は一度、そこで途切れる。おろおろと二人へ交互に視線を向ける少女の頭を、うずめがくしゃりと撫でた。やがてネプテューヌは深く息を吐くと、ポケットから手を出して、三つ指を立てた。
「三日後。また、私はここに来るよ。その時、うずめがここにいなかったら、置いていくから」
「……賭けるつもりか? 上等だぜ」
頬を吊り上げるうずめに、ネプテューヌは最後まで冷たい視線を送ったまま。やがて愛想を尽かせたように振り返ると、そのまま先へと歩き出す。そこに足音が続くことは、なかった。
ついこの間までそうであったにも関わらず、一人で歩くのが久しく思えた。俯いたままのネプテューヌは、誰にも聞こえない大きさで、静かに言葉を漏らす。
「私だって、嘘は吐きたくないよ」
ポケットに入れた拳を、硬く握り締めた。
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「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「……まあ、俺がボロボロなのは分かるんだよ。この子を助けるために色々頑張ってたら、悪いヤツがどんどん出てくるし、最終的にそいつらを操ってたラスボスみたいなのまで出てきたし。そいつらをまとめて相手してたら、俺みたいになるわけだ」
「………………」
「でもよ、なんでねぷっちまで、俺みたいにボロボロなんだ?」
「うずめには関係ないよ」
「んなワケあるか!」
叫んだうずめがネプテューヌの両頬を引き延ばす。それに対抗するように、ネプテューヌもうずめの髪を乱暴に掴んで、ぐしゃぐしゃに乱し始めた。
「おかしいとは思ったんだよ! 明らかに俺が戦ってないヤツのこと言われたし! そのせいでいらないケンカまで売られるし! しまいにはあのラスボス、『紫髪の小娘の仲間か』とか言ってたからな! 絶対ねぷっちのことだろ!」
「だーかーらー、知らないって! 私のそっくりさんじゃないの!?」
「じゃあねぷっち、なんで俺と同じくらいケガしてんだよ!」
「ファッションだよ! この次元の流行なの!」
「前衛的すぎるわ! ウソ吐くのヘタクソだな、ねぷっち!」
そんな騒がしい言い合いは、しかし長くは続かなかった。しばらくすると二人はその場へ崩れ落ちるように座り込み、ぜえはあと肩で息を整えていた。うずめは関節が軋み始めていたし、ネプテューヌは塞いでいた傷口が開き始めていた。つまるところ、互いに暴れる体力すらも残っていなかった。
やがて二人のことを眺めていた少女が、恐る恐る口を開く。
「ありがとう、ふたりとも」
「おうよ! これからも、妹と仲良くな!」
「私は、お礼を言われる筋合いは……」
「まーだそんなこと言ってんのかよねぷっち! あのな、感謝はちゃんと受けとくべきだぜ!」
「わ、分かったから……あんまり背中叩かないで……」
『……漫才するのもいいけどよ。そろそろ時間じゃねーのか』
耐えかねたようなクロワールの声に、そういえば、とうずめが立ち上がる。そうしてネプテューヌの方へ振り向いたときには既に、彼女の背後に次元へと繋がる穴が開かれていた。
「次はどこ行くんだ、クロっち」
『さーな。適当なところ』
「できれば少し、ゆっくりできるところがいいかな……」
「だな」
ふらふらと立ち上がるネプテューヌを支えながら、うずめが答える。
そうして歩き出した二人の脚を止めたのは、少女の声だった。
「あ、あの!」
「おう、どうした? まだ何か困ってるのか?」
「……いっちゃうの?」
「ああ。俺たちは旅人だからな」
うずめの答えに、しかし彼女の表情はどこか沈んだままだった。
「ずっと、いてくれるとおもってた。また、たすけてくれるんだって」
「それは……」
「もう、わたしたちのことは、たすけてくれないの?」
「……残念だけど、私たちは神様でもなんでもない。ただの、旅人なんだよ」
言葉を返したのは、うずめでもクロワールでもなく、ネプテューヌであった。
「やっぱりそうだ。うずめ、君は何者にもなれない。旅人ってね、そういうものなんだ。どれだけ助けても、どれだけ救っても、結局はそこを去らなきゃいけない。何も残らないんだよ。私たちにも、この次元にも」
自らの行動が愚かであることは、痛いほど理解した。おそらく今なら、あの時のネプテューヌの言葉にも理解を示せるだろう。だが、その在り方をうずめが望むかといえば、それは否であった。うまく言葉に表すことはできないが、それはうずめの在り方の根本を否定しているような、そんな気がした。
「……それは、助けない理由にはならないだろ」
渦巻く思考の中で、ぽつりとうずめがそんな言葉を漏らす。
「そうだね。うずめなら、そう答えると思ったよ」
果たして、ネプテューヌが返した言葉は、うずめにっとっては予想外のものであった。
困惑する彼女の腕から離れ、ネプテューヌが少女の方へと歩み寄る。そうして、ポケットから取り出したのは、手のひらに収まるほどの小さな結晶であった。淡い紫の光を携えるその結晶を、少女へと握らせる。首を傾げながらこちらを見上げる少女の頭を、ネプテューヌはくしゃりと撫でた。
「もう、私たちは君を助けない。私たちが君を助けたのは、うずめのただの気まぐれだから」
「……うん」
「でもね、もしも君がうずめの気まぐれを継いでくれるのなら……彼女の意志を、繋いでくれるのなら。これを使って。そうすれば君は、君みたいに助けを求めている人たちを、救うことができる」
「これは?」
「人々の願い結晶化したもの。私の故郷では、女神メモリーって呼ばれてた」
今一度、少女の頭をぽんぽんと叩くと、ネプテューヌは少女の傍から離れていった。
「そろそろ、さよならだよ」
「ああ」
頷くと、うずめは最後に少女の方へと振り返って、
「じゃあな、プルルート。元気でいてくれよ」
はじめて名前を呼ばれたことに気づいたとき、既に彼女はいなくなっていて。
少女の見上げる路地裏の閉ざされた空には、燦々と輝く太陽が顔を覗かせていた。
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立ち並ぶ高層ビルを、茜色の夕陽が照らす。
訪れたのは、とても静かな次元であった。人々の喧噪はおろか、鳥の囀りや風の音といった環境音も全て消えている。しかしどうしてだろうか、海が近くにあるわけでもないのに、潮騒の音だけは二人の耳に届いていた。
見えない波の音を聞きながら、うずめが手すりへと体を預ける。この国の中で一番高い建物の展望だった。眼下に広がる街並みを、彼女は静かに眺めている。それはただ景色に感嘆しているだけではなく、何か思い詰めるような、ここではないどこかを見つめているようにネプテューヌには感じられた。
やがてしばらくの時が経ち、うずめがぽつりと言葉を漏らす。
「懐かしいな、この景色」
その呟きに、ネプテューヌはゆっくりと振り返った。
「何か、思い出したの?」
「いや? でも、どうだろうな。この景色は懐かしい、って思えるぜ」
「ふーん」
その瞳には未だ、茜色の街並みが映っている。潮騒の音の合間に、彼女の息遣いが聞こえていた。
太陽の位置が変わらないと気づいたのは、それからしばらくの時が経ってからだった。夕陽が沈むことはなく、黄昏の刻はいつまでも続く。おそらくここは、そういう次元なのだろう。未来も過去も存在せず、ただこの景色だけが保存されている。それがこの世界の辿った末路なのか、あるいは誰かの意志なのか、旅人であるネプテューヌには分かるはずもなかったが、この景色の美しさは確かに感じられた。
手すりにもたれ掛かるうずめの隣に並び、ネプテューヌが口を開く。
「私の故郷も、こんなところだったよ」
「そうなのか?」
「うん。だからね、私もこの景色を見て、懐かしいって感じてる」
「……って、ことは」
「もしかすると、私とうずめの故郷は、とっても良く似たところなのかもしれないね」
そうやってネプテューヌが告げた直後、ひとひらの光が二人の前に現れる。
『そろそろ時間だぞ』
「あ、結構早かったね。一日くらいは過ごせるかと思ったけど」
『崩壊まであと三分だ。後ろ見てみろ』
「後ろ?」
言われるがまま、振り返ったうずめの視線の先では。
めくれ上がった大地が津波のようになって、世界を飲み込もうとしていた。
「うわっ、何だよあれ!? どうなってんだ!?」
『驚いてるヒマがあったらさっさと逃げるぞ、ほら』
「ちょっ、おい待てよ! なあって!」
叫び声をあげながら、うずめが虚空に開いた黒い穴へと転がり込む。そうして潜り抜けた先に広がっていたのは、地平線まで続く草原であった。ひとまず安全な場所に着いたうずめがほっと胸を撫で下ろすと、恐る恐るといった様子で後ろを振り向いた。黒い穴の向こうでは、崩壊を続けるプラネテューヌの街並みが広がっていた。
やがて大地の波はうずめ達の立っていた建物をも飲み込み、逆さまになったビル群が氷柱のようになって、地面へと降り注ぐ。瓦礫と泥の雨。その向こうでは、未だに黄昏の光が茜色の色彩を放っていた。
やがて、テレビの電源が落ちるかのように、穴の向こうに広がる景色がぷつりと切れる。
「あ、終わった」
ネプテューヌが呟いたのと、うずめがその場に崩れ落ちるのは、同時だった。
「……もう、戻れないのか?」
「うん。一度崩壊したら、そこには何も残らないんだよ」
淡々と語るネプテューヌに、うずめが息を呑んだ。
「もしかして、ねぷっちの故郷は……」
「さあ? とっくの昔に崩壊してるかもしれないし、まだ存在してるかもしれない」
「……戻れないのかもしれないってことか?」
「それ以前に、戻るつもりもないよ」
つまらなさそうに答えた彼女が、うずめの隣へ腰を下ろす。
「旅人でいる方が、私には合ってるんだ」
「……旅人は何にもなれない、って前に言ってたけど、それでもか?」
「うん。気づいたんだ、私。何かになる必要なんて、ないんだって」
「ってことは、何かになろうとしたことがある、ってことか?」
「…………」
沈黙。背中から吹き抜ける風がネプテューヌの髪をたなびかせて、その顔を隠した。
やがて風が止むと、彼女はどこか懐かしむような表情になってから、口を開く。
「みんなを、守りたかったの」
「……何から?」
「全てから。病気に怪我、戦争や災厄……平和を脅かすものの、全て」
それが愚かな願いであることは、うずめにすらも理解できた。それと同時に、彼女がそんな願いを抱いていたことに、驚きを感じて言葉を失っていた。口を閉ざしたままのうずめが何を考えているのか、彼女も察していたのだろう、ネプテューヌは自嘲ともとれる笑みを口元に浮かべながら、続けた。
「でも、やっぱり無理だった。私の両手は、そんなに大きくなかったんだ。私は、ヒーローでも主人公でもない。ただの人間なの。だから誰かを守ろうとしたら、別の誰かが私の手のひらから零れ落ちていく。それに気づいたとき、私は……逃げることしか、できなかった。目の前の出来事から、目を背け続けることしかできなかったんだ」
「……もう、いい。悪かったよ」
「きっと私は、そのために旅を続けてるんだろうね」
手のひらへ視線を落とすネプテューヌの目には、底の知れない虚ろが見えた。
「本当はね、うずめ。君が羨ましかったんだ」
「……俺が? 羨ましいって、どういう?」
「きっと言っても分からないよ。だからこそ、うずめはうずめでいられるんだから」
向けられた瞳には憧れのような色と、その中で仄かに浮かぶ、諦めの色がある。
それ以上の言葉を、ネプテューヌが続けることはなかった。
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