Ⅰ
8月某日。東京ドーム。
連日最高気温を更新し続けるその日、ドームには数多くの観客が詰めかけていた。
夏休みの間東京ドームでは数多くのアイドルやアーティストによるライブが行われるが、彼らの目的は別にあった。
目的はグラウンドで行われる野球の試合。
元より東京ドームはとあるプロ球団のホーム球場であり、プロの試合を見ようと連日多くの人がドームへと足を運ぶ。
しかしこの日、彼らが見に来たのはプロの試合ではなかった。
アマチュア―――それもまだ高校生にすら満たない少年達の試合。
第7回全日本中学公式野球選手権大会決勝戦。
それがその試合の名だった。
数多の予選を勝ち抜いてきた二つのシニアチームによる、中学最強を決める闘い。
勿論、いくら中学生で最高の試合であろうとも中学生は中学生。
完成された才能同士がぶつかり合うプロの試合に比べれば、児戯にも劣る。
しかし完成されていないからこそ、その身に秘めた原石の姿がはっきりと見えもする。
この先の磨き方次第でいかようにも変化する、荒削りの原石たち。
そんな数多の原石の中において、一際大きな輝きを放つ選手が“二人”いた。
Ⅱ
『……誰がこのような展開を予想したでしょうか』
ごく一部の限られた人間しか入ることのできない、グラウンドを一望できる実況用の放送室。関係者の証である腕章をスーツにまき着けた男性は、半ば呆然としながらもアナウンサーとしての職務を果たすために必死に言葉を紡いでいた。
『東京都丸亀シニア対なんば南海パークスシニアによる全日本中学硬式野球選手権決勝。くしくもチームを支える絶対的エースと4番を有する両チームの戦い。誰もが接戦を予想していました』
そこで言葉を区切ると、アナウンサーは手元のモニターへと目を落とす。
そこに映っているのは、この試合の立役者の一人。
丁寧に整備されたマウンドの上に佇む少年は、初回となんら変わらぬ表情でキャッチャーのサインを待っていた。
『6対0……南海パークス打線は結局7回2アウトまでこの山城君を捉えることは出来ず、逆に守ってはエース鶏塚君が丸亀シニア打線に捕まるという予想外の展開になりました』
そういっている間にサインの交換が終わったのか、山城と呼ばれた少年が大きく腕を振りかぶる。独特かつ豪快なフォームから放たれたボールは打ち返さんと振り下ろされたバットの上を通過し、キャッチャーミットへと収まった。
一拍の静寂。
そしてマウンドにいる少年が大きく腕を突き上げると同時、歓喜の声が爆発した。
『試合終了!! 6対0!! 第7回全日本中学公式野球選手権大会優勝チームは、東京都丸亀シニアに決まりました!』
モニターには明暗がくっきりと分かれた両チームの姿が映っていた。
片や歓喜の声をあげながら勝利の余韻を噛みしめ、片や目元を伏せながら静かに涙をこぼす。勝負である以上そこには勝者と敗者が生まれる。
中立な立場であるアナウンサーとしては片方のチームに感情移入してはいけないのだが、それでも手も足も出ずに敗れ去った少年達の胸の内を思うと心が痛んだ。
しかしそんな内心の気持ちをおくびにも出さず、アナウンサーはこれまで一緒に試合を観戦してきた解説へと話を振った。
『解説の氷野さん。この結果は氷野さんとしてもいささか予想外ではありませんでしたか?』
『そうですね~。学生野球、それも中学野球は何が起きるかわからないとは言え、ここまで点差がつくとは正直思っていませんでしたね』
『やはりそうですか。今回点差がついた要因を上げるとしたらどこになるでしょうか?』
『それはもう、4番とエースでしょう』
そういって、解説者席に座る背広の男性は持っていたペンをくるりと回し手元のスコアブックをコンコンと叩いた。
『南海の鶏塚君と浅田君も素晴らしい将来性のある選手ではありましたが、丸亀の怪物二人にはどうしても一歩及びませんでしたね』
『丸亀シニアのエース山城君はこの試合7回無失点で被安打2、四死球0、三振14。4番に座る広橋君は3打数3安打、HR2本で打点は4、四死球2つという素晴らしい成績でしたからね』
『これでまだ中学生なんですから。いやはや恐ろしい限りです』
『山城君と広橋君は共に三年生。来年どの高校に進学するかに注目が集まっています
が……』
『二人ともどの高校に行っても即戦力間違いないでしょう。来年からの活躍に期待ですね』
『はい。ではそろそろこの辺りで失礼します』
Ⅲ
例年以上に暑かった猛暑の夏が終わりを迎え、ツクツクボーシの声さえも聞こえなくなった頃。時折吹き抜ける冷たい風が秋の訪れを強く感じさせ、少しばかり気が早い紅葉達が薄らとその葉を紅く染め上げていた。
西の彼方に沈みつつある陽の光を浴びながら、紅葉で囲まれた並木道を二人の少年が歩いていた。同じ黒い学生服に、同じロゴの入ったエナメルカバン。
それらは二人が同じ立場にあることを示していたが、その着こなし方は対照的だった。
片や学生服の第一ボタンまできっちりと閉めて服装に一片の乱れもないのに対し、片や胸元までボタンを開け学ランの裾からは白いカッターがはみ出している。
堅物とぐうたら。
学校ではそのように称される二人の性格を服装が如実に表していた。
そしてそんな堅物男、広橋大地は隣を歩くぐうたらへと声をかけた。
「それで。やはり青道に行くのか?」
疑問形でありながらも、そこには半ば確信染みたものが含まれていた。
聞かれた方もそれがわかったのだろう。
あぁと小さく頷いた。
「クリス先輩と約束したからな。それだけで理由としては十分だろ?」
そういって、山城空はパンと胸元で右拳を左手へと打ちつけた。
その乾いた音はピッチャーが投げたボールがミットに収まる時の音にも似ていて。
やれやれと、大地は首を横に振った。
「お前のクリス先輩好きは筋金入りだな。しかし本当にいいのか? お前が高校に上がれば先輩は三年。一緒にプレイできるのは長くても半年。いや、そもそもプレイできるかどうかさえ。なんせ先輩は……」
「わかってる」
大地の言葉を遮ると、空はアスファルトに転がる小石を蹴っ飛ばした。
「クリス先輩の肩は全治十か月の重傷。完治するのは早くても来年の四月。それまでは試合どころか、本格的な練習さえできない」
「―――そうだ。高校スポーツにおいて一年近い長期の離脱は事実上の戦力外通知を表す。体が動きを忘れ、試合勘はじわじわと鈍っていく。自分を置いて周囲が成長していくことに焦りは募り、段々と復帰への情熱を失っていく。そしてそれらを乗り越えてようやく怪我が治っても元の動きを取り戻すまでに更に長い時間がかかる。それくらい成長期における長期の怪我というのは致命的なハンデだ」
「……」
「仮に予定通り完治したとしても、その時にはすでに夏予選前。いくらクリス先輩と言えど、そんな時期からブランクを取り戻すなど至難。もしかしたら公式試合は愚か、練習試合でさえボールを受けてもらえずに終わるかもしれない」
それでも行くのか。
言葉にこそしなかったものの、眼鏡の奥に秘めた鋭い瞳が雄弁に語っていた。
随分と辛い言葉だが、それが親友なりの気遣いだということを空は知っていた。
だからこそ、どこまでも不器用なチームの主砲に苦笑するしかない。
「行くさ。例え試合で受けてもらえなくても、それこそ練習で受けてもらえなくも俺はクリス先輩のいる青道高校に行く」
「……そうか」
「そんな心配すんなよ。普通なら難しくても、あのクリス先輩だぜ? きっと当たり前の顔して怪我治してレギュラーを勝ち取るに決まってる」
「別に心配などしていないが……まぁ、確かに先輩のことを俺がとやかく言っても仕方ないか」
大地が静かに息を吐くと、空はにやりと笑い相方の肩に腕をかけた。
「そうそう。お前はいつも深く考えすぎなんだよ」
「お前は脳天気すぎるがな」
ため息と笑い声。
いつもと変わらぬ光景を演じると、空はそれでと問いかけた。
「ウチの4番さんは結局どの高校に行くんだ? お前もそこら中から推薦きてるんだろ? 何だったら俺と一緒に青道に行かねぇか? そしたらまた俺とお前、クリス先輩の三人で全国目指せる」
「いや、俺は南苫小牧に行く」
「南苫小牧? そりゃまた遠い所に」
南苫小牧高校と言えば、南北海道の雄にして甲子園常連の強豪校。
昨年夏の甲子園ベスト4、今年の春の選抜準優勝という輝かしい成績を残している。
「夏前から猛烈なスカウトを受けていてな。この前見に行ってみたが、設備も整っていたし強豪だけあって練習もしっかりしていた。あそこなら入ってすぐにでも頂点を目指せる」
「まぁ、あのチームにお前のバットが加われば鬼に金棒だわな」
「それにどうやらあっちで逸材を見つけたらしくてな。もしそいつも入って来るなら面白いことになる」
いつになく、その声には力が籠っていた。
恐らく大地には既に全国を制覇するための明確なビジョンが見えているのだろう。
へ~と空は面白そうに笑う。
「じゃあ、これから俺達は敵同士ってことか」
「そういうことだな。これで脳天気なお前の相手をせずに済むのかと思うと、幾分か気が楽になる」
「三年間一緒にやってきたチームメイトに向かってすげぇ言い草」
「事実を述べたまでだ。お前のせいで俺がいったい何度監督や教師に怒られたと思っている」
じろりと鋭い眼光で睨まれると、空としてははははと笑うしかない。
そんな最後までお気楽なチームメイトの姿に、だがと大地は言葉をつづけた。
「お前がいたからこそこの三年間退屈することなく野球を続けられ、全国を制することができた。それもまた事実だ。感謝している」
「大地……」
「次会う時は甲子園だ。その時は容赦はしない」
「あぁ! 俺も打たせる気はねぇ」
互いに顔を見合わせ、ふっと笑みを浮かべる。
そしてどちらともなく拳を突き合わせた。
――――甲子園で
一つの約束を胸に抱いて。