ジャイロボールに夢見て   作:神田瑞樹

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11話

           Ⅰ

 私立青道高等学校。

 かつて幾度となく甲子園に出場しその名を全国に知らしめてきた野球の名門校。

 ここ最近は甲子園を逃しているとは言え、それでも紛れもない西東京3強の一角。

 今年こそは甲子園へという期待から毎年週末ともなれば多くのOBや記者達が選手を一目見ようとグラウンドに詰めかけるのだが、今日ばかりはその規模がいささか異なった。

 見渡す限りの人、人、人。

 5月に入って3度目となる日曜日のこの日。

 青道高校Aグラウンドの周囲は今年最大の人の波によって埋め尽くされていた。

 下はまだ父親の肩に乗せられた小さな子供から上は杖を突いた老人まで。

 単なる練習試合だというのに老若男女を問わず集まった彼らのお目当ては、マウンドで投げているたった一人の投手。

 中学から高い実績を残し、入学後瞬く間に一軍へと駆け上がったルーキー。

 かの松坂大輔や江川卓、桑田真澄といったかつての甲子園のスター選手達にも匹敵しかねないとさえ一部の記者達から噂される、怪物の卵。

 そんな今話題のスーパールーキーは噂に恥じないだけの投球をこれでもかとばかりに見せつけていた。

 

―――ットライク! バッターアウト! チェンジ!

 

 今日何度目になるかわからない審判のコールにギャラリーから大きな歓声と拍手が沸き起こる。ギャラリーの声に応える様に山城空は軽く帽子の唾を掴むと、マウンドを降りて守備陣と一緒にベンチへと戻っていく。

 無数のシャッター音とフラッシュの嵐を通り抜けてベンチに腰を下ろした空がふぅとタオルで汗をぬぐった時、空の目の前にスポーツ飲料の入ったペットボトルが差し出された。

 

「ほらよ」

「あっ。どうも」

 

 短い礼の言葉を述べて空がペットボトルを受け取ると、プロテクターを外した御幸は空の隣に腰を下ろした。

 

「球の走りは悪くねぇな。ボールが外野に飛んでこねぇって純さんが叫んでたぞ」

「そうっすか……」

「次の回からあっちも3巡目。流石に何か対策を練ってくるだろうが、特に配球を変えるつもりはねぇ。このまま力で押していくから、とりあえず甘くならない様にだけ気を付けろ」

「はい」

 

 打ち合わせというよりも簡単な確認を終え、空はペットボトルに口をつけた。

 渇いた口内に広がるスポーツ飲料独特の甘い味を味わいながら、ちらりと空は視線を一塁側のネットへと向けた。ベンチに戻ってくる度、どことなく落ち着かない後輩の様子に御幸は苦笑せざるを得なかった。

 

「そんなに二軍の試合が――――クリス先輩の試合が気になるか?」

「そりゃまぁ……」

 

 Aグラウンドで青道の一軍と帝東の試合が行われている同時刻、Bグラウンドでもまた青道の二軍対狛代高校の試合が行われていた。注目度はAグラウンドのそれと比べるまでもないが、空にとってはある意味自分の試合よりも大事な試合でもあった。

 

「まっ。確かに今日の試合の出来次第で夏に出れるかが大きく変わるからな。いくらあの人でも久々の試合で結果を残せるか何てわからねぇし、お前の気持ちもわからなくはねぇよ」

 

 けどなと、御幸は語気を強めた。

 

「今は試合中だ。クリス先輩のことは試合が終わってから考えろ」

「……うっす」

「安心しろ。お前に心配されるほどクリス先輩は軟じゃねぇよ」

 

 何せ俺が憧れている人だからなと、ニヒルに御幸は笑った。

 

 

 

          Ⅱ

 Aグラウンドで青道の一軍と帝東の試合が行われている同時刻、ここBグラウンドでもまた青道の二軍と狛代高校による練習試合が行われていた。

 もっとも、例え同じ練習試合であってもその注目度は天と地ほどもの差があったが。

 Aグラウンドが数えきれないほど数多の観客に囲まれ無数のフラッシュと歓声の中で試合が行われているのに対し、Bグラウンドの試合を観戦しているのは二十人にも満たない。

 観客の数が全てでないとは言え、やはりどうしても寂しいという印象は拭えない。

 試合のレベルもAグラウンドに比べれば見劣りするが、だからこそ個人の放つ輝きが一段と強く見えもするのもまた事実だった。

 5回裏、狛代高校の攻撃。

 1アウトランナー一塁でバッターは下位打線の8番。

 カウントは2―1とバッター有利。

 マウンドの沢村栄純は一つ息を吐き、セットポジションから右足をホームベース方向へと踏み出した。

 

――――ランナー走った!

 

 同時、一塁から声が飛ぶ。

 沢村がモーションに入ったと同時に切ったランナーのスタートは、およそ完璧に近かった。本来ならばこうなった段階でバッテリーの負けは半ば決まっている。

 けれどその敗北を、ホームから放たれた一筋の矢が覆す。

 本塁から投じられた剛速球がセカンドベース前に置かれたグローブを揺らし、それに遅れて滑り込んできたランナーの右足がそのボールの入ったグローブへと触れる。

 ランナーが目を見開くと同時に審判が右手を上げた。

 

――――アウトっ!!

 

 本日三度目となるその光景に、少ないながらも歓声が飛んだ。

 

―――うぉぉお! また刺したぞあのキャッチャー!

―――これで三個目! 狛代って確か機動力が売りのチームだろ!?

―――御幸以外にも青道にあんなキャッチャーがいたのか!?

―――つーか、何であれで二軍なんだよ! どう見ても一軍クラスだろ!

 

 まばらにざわつく場外と気持ちを同じくして、狛代のベンチもまた唖然とした表情でホームへと視線を注いでいた。視線を注がれた当の本人は特に大きな反応を見せることもなく、指を立てた右手を大きく掲げた。

 

「2アウト!」

 

 キャッチャー―――滝川・クリス・優の力の籠った声に守備陣もまた「2アウト」と繰り返し、内野をまわったボールが投手である沢村の元へと戻る。

 ボールを受け取った栄純はよっしゃあと声を荒げた。

 

「これで2アウト! つーか、クリス先輩まじですごくないっすか!? 単に口うるさい先輩じゃなかったんすね!?」

「……いいから早く投げろ沢村」

「おらぁ沢村! 先輩に向かってその口のきき方はなんじゃ!」

「ちょっと良いピッチングしてるからってあんまり調子にのるなよ!」

「栄純君、山城君に聞かれたら怒られるよ」

 

 一部本当に味方なのかと思うような野次を受けながら、栄純は投球動作へと入る。

 ランナーがいなくなったことで大きく振り上げられた両腕に、高く上げられた右足。

 右足が前方に大きく踏み出されてから遅れて左腕が振り下ろされ、120キロ前半から中盤のまっすぐがホームへと向かう。

 一年の春先にサウスポーで120中盤が出れば上等の部類ではあるが、140キロを超えるマシンのボールを打ち込むことを常とする現代高校野球から見れば打ち頃のボールもいいところ。

 だというのに、

 

――――あぁ、またひっかけた。

――――これで何人目だ?

――――何であのボールが打てないんだよ。ほとんど真中へのまっすぐじゃねぇか。

 

 バットの芯を外したボールがショートへと転がる。

 緩く転がったボールをショートが難なくさばいて3アウトチェンジ。

 スコアボードにまた新たな0が一つ刻まれた。

 

――――これで5回が終わって2対0で青道がリードか。何か意外な展開になったな。

――――あぁ。正直青道の先発が一年って聞いた時はもっと荒れた展開になると思ってたんだが。

――――まさかの無失点だもんな。

――――狛代も決して弱いチームじゃないんだがなぜかあの投手を捉えられてないよな。

――――あの一年ピッチャー、名前なんて言ったっけ? 

――――さわむら……そう! 沢村栄純!

 

 全くのノーマークだった一年投手の思いもよらぬ活躍に、観客席と狛代ベンチがにわかに騒がしくなる。そしてそれは青道ベンチもまた同じこと。

 叫びながらベンチへと戻ってきた栄純に二軍の先輩達はうるせぇと声を荒げつつも、そのピッチングに関してだけは認めざるを得なかった。

 一軍の試合で指揮を務める片岡鉄心の代わりにベンチに入った高島礼もまた、栄純の好投にすっと目を細めた

……まさかこんなに早く結果を出すなんてね。

 

 もとより栄純に才能があることは知っていた。

 だからこそ礼自身が遠方まで足を運びこの青道へと招いたのだから。

 けれど、こんなにも早く目に見えた結果を出すとは予想していなかったのもまた事実。

 礼は手元のスコアブックに目を落とした。

 

……5回が終わって被安打2、四球2の失点0。

 

 毎回の様に内野の頭を超えるポテンヒットやファワボールなどでランナーこそ出すものの、キャッチャーと厚い守備陣の助けを受けて未だ失点はなし。

 小気味いいテンポを重視したピッチングは対峙する打者に考える暇を与えず、それが青道の攻撃のリズムにもつながっている。

 

……そしてその沢村君のポテンシャルを引き出しているのは間違いなくキャッチャー。

 

 幾らポテンシャルがあろうとも、それを発揮できなければ意味はない。

 それが伸び伸びと力を発揮できているのはキャッチャーのリードがあってこそ。

 

……さすがはクリス君ね。一年ぶりの試合だというのにほとんどブランクを感じさせないわ。

 

 礼は感嘆の息を漏らさずにはいられなかった。

 クリスの凄さ。それはミットを構えるコース一つとっても感じることが出来る。

 通常キャッチャーというのは打たれたくないという習性から比較的コーナーに構えがちだが、まだまだ発展途上で細かなコントロールがあるわけじゃない沢村に対して四隅のボールを要求したところで投げ切れるはずもない。

 むしろコントロールを意識するあまりに腕が振りきれず、持ち味であるムービングが失われる可能性すらある。だからこそ、あえてクリスはきわどいコースには構えずテンポを重視させることで相手打線に淡白なバッティングをさせている。

 

……沢村君の球質と今の段階を完璧に把握したうえでのリードに動くボールを難なく捕球するキャッチング技術、そして先程見せた強肩。

 

 打撃面では三打数一安打と、守備面に比べればまだまだ本調子ではないようだがそれでもしっかりと結果を残している。

 

……まだ一試合―――それも途中までとは言え素晴らしい活躍。

 

 練習試合で結果を残しつつある小湊春市も含め、ここに来て一軍への昇格争いに滝川・クリス・優と沢村栄純の二人の名が新たに加わった。

 より熾烈になるであろうチーム内での競争に礼は人知れずそっと笑みを浮かべた。

 

 

 

            Ⅲ

「―――これが、ここまでの練習試合の結果と各選手の成績です」

 

 そう言って、礼は片岡と太田に資料を渡した。

 A4用紙10枚程からなる紙束を受け取った太田はそこに記載された詳細な記録に驚きの声を漏らしつつじっくりと目を通し、片岡は無言のまま紙をめくっていった。

 毎週のように組まれていた練習試合もその殆どを消化し、2軍のそれ一試合のみを残すこととなった6月の初旬。空に黒いカーテンがまかれた頃、今日も今日とて首脳陣三人は監督室に集まっていた。

 

「御覧のように、今日の試合で一軍は予定通り全7試合を消化。レギュラーメンバーは勿論、控えメンバーもここまで良い活躍を見せています」

「みな順調なようですね、監督!」

「あぁ」

「野手に関してはやはり結城君が飛び抜けた数字を出していますが、他にも増子君や坂井君もいい成績を残しています。門田君のバッティングが不調なことを考えれば、一度レフトを入れ替えるのもいいかもしれません」

「あぁ。合宿終わりの練習試合では一度坂井をスタメンで試すつもりだ」

 

 その後もいくつか一軍の野手陣に関する報告がなされるが、さほど重要な事柄はなくすんなりと終わる。もとより青道の野手陣は全国の強豪チームのレギュラーとも引けを取らない粒揃い。

 監督である片岡も含めた首脳陣の三人ともさほど大きな心配はしていなかった。

 問題なのはと、太田は手元の資料を一枚捲った。

 

「う~む。やはりデータを見ても山城が頭一つ飛び抜けていますな」

「ここまでの3試合を投げて3勝無敗。24イニングで被安打は5、奪三振40の失点は僅か2。関東大会での成績も含めれば、通算防御率は0.78。対戦校が全て全国クラスという訳ではありませんでしたが、それでもこの成績は素晴らしいものかと」

「丹波や川上も決して悪くはないんですがなぁ……」

 

 悪くないどころか、丹波に関して言えばここまで入部以来最も安定した成績を残している。防御率も3試合に登板し2点台前半と上々で、例年ならば間違いなくエース番号を与えられる程の活躍。しかし、山城の活躍の前にはどうしても掠れてしまう。

 うーんと唸る太田を尻目に、高島はくいと眼鏡を上げた。

 

「私はやはり山城君にエース番号を与えるのが良いと思っています」

「えっ!? いくら成績を残しているとは言え、まだ一年生の山城にエースの座を与えるのは幾らなんでも荷が重いんじゃ……それにそれではこれまで頑張ってきた三年生達の気持ちが……」

「チームのことを考えれば、最も良い投手にエースナンバーを与えるのは当然かと。ウチが実力主義であることは部員の誰もが理解している筈です」

「たっ、確かにその通りだが……片岡監督はどうお考えですか? やはりエースの座は山城にと?」

 

 太田と礼の視線が片岡へと集まる。

 それまで紙面に顔を落として二人の議論を聞いていた片岡監督が、顔を上げた。

 

「……ウチは実力主義。一年であろうとエースに相応しいのであればエースナンバーを渡す。そのことは今の三年とてわかっていることだ」

「では、やはり山城に……」

「確かに純粋な実力だけで見れば山城は俺が求めるエース像に最も近い……が、あいつにはエースとして足りないものがあるのもまた事実」

「足りないもの……ですか? それは一体……」

「―――エースの座への執着心ですね」

 

 疑問符を浮かべた太田に礼が答えを提示した。

 片岡は深々と頷き、資料を置いてタバコに火をつけた。

 

「山城は実力面でいえば間違いなくウチの投手の中でもトップ。だがあいつには、何が何でもエースになろうという気持ちがない。あいつのモチベーションは良くも悪くもクリスだ。例え背番号が何番だろうと大して構いはしないだろう」

「た、確かに……」

 

 山城がクリスのために数多の誘いを蹴ってまで青道に来たというのは有名な話。

 クリスを慕って高校を選んだだけああって、実際に入学してからも山城はクリスにべったり。所属する軍が違うために練習中常に一緒ということはないが、それでも練習後毎日のように室内練習場や寮の裏の空き地で一緒に自主練習している二人の姿を部員達は幾度となく目撃している。

 

「実力はあっても、エースとしてチームを背負う自覚がないならばエースの座は与えられん。その点でいえば、これまでエース番号を背負っていただけあって丹波にはその自覚がある」

「では、丹波君に……」

「だが、山城がエースに相応しい実力と成績を示しているのもまた確か。川上も含め誰にエースナンバーを渡すかは合宿の結果を含めて俺が決める。それでいいな?」

「はい。問題ありません」

「わ、私も監督が決めることならば異存はありません」

 

 よしと片岡が頷き、一軍の話はそこで終了。

 続いて残る一軍昇格枠4つを巡って熾烈な競争を繰り広げている二軍へと話題は切り変わる。

 

「今の所、二軍の選手で目に見える活躍を納めているのは六名です。上級生を抑え二軍で最も高い打率を残している小湊君、安定した守備力で外野を支える山崎君、パンチ力のある打撃を見せる遠藤君、率こそ低いですが長打力がある前園君」

 

 そしてと、礼は少しだけ口元に笑みを浮かべた。

 

「二軍の投手の中で最も防御率が良く、負け星がない沢村君。抜群の守備力と二軍で最も高い得点圏打率を残しているクリス君、以上六名になります」

 

「沢村とクリスですか? いや、クリスはまだわかりますがあの沢村が……」

「そう言えば太田部長は沢村君の試合をご覧になったことはなかったんでしたね。捕手であるクリス君の力が大きい部分はありますが、沢村君はこれまで殆どまともなヒットを打たれていません。出所の見えないムービングボールは夏の大会でも大きな武器になるかと」

「ほぉ」

「またブランク明けのクリス君も非常にいい成績を残しています。守備は勿論のことバッティングも試合を重ねる毎に成績が良くなってきていますし、試合勘が完全に戻ればまた昨年までの様に一軍でもクリーンナップを任せられると思います」

 

 なるほどと感心しながら、太田は紙面に目を落としクリスと沢村の成績に目を通していく。一軍への昇格枠は残り四つ。

 つまり、先に礼が挙げた六人の内最低でも二人は落とされるという計算。

 また礼が触れなかった二軍メンバーの中にも優れた選手はたくさんいる。

 一体誰を一軍に上げて、誰を落とすのか。

 片岡はふぅと口内に溜まった灰色の煙を吐き出し、少し短くなった煙草を灰皿に置いた。

 

「明後日の国士舘戦。今あげた六名は全員スタメンで出場させる」

「ぜ、全員ですか?」

「……絞り込みですね」

「あぁ。最近の国士舘は随分と調子を上げていると聞いている、試合での活躍を見て誰を一軍に上げきるかを決める」

 

 最後の練習試合まで後二日。

 誰が上がり、誰が落ちるのか。

 夏が始まるのか、終わるのか。

 二日後、全てが決定する。

 

 




次でようやく国士舘戦……大会まで長いです。あと、もしかしたら次の話でちょっとだけマネージャー(誰とは言わない)が出るかもです。

感想・評価待ってます。

P.S ダイヤのエースの二次小説が少なすぎて泣いている今日この頃です。誰か書いてくれないかな~(チラッ

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