P.S けっこう急いで書いたんで、もしかしたら文章や内容がおかしなところがあるかもです。もしもあったら報告お願いします。
Ⅰ
日に日に増えていく雨の日の数が梅雨の訪れを感じさせる六月の初旬。
ここ最近続いていた不安定な天気と肌に纏わりつくような蒸し暑さから打って変わって、新しい月に入ってから初めての週末を迎えた東京には眩いばかりの日差しが燦々と照りつけていた。もしかしたら昨日作ったテルテル坊主が効いたのかななどと頭の隅で考えながら、少女はその大きな瞳に映る光景に声を漏らした。
「ほわぁ。二軍の試合なのに本当にたくさんの人ですね」
すごいですと感嘆の声を上げたのは吉川春乃。
くりりとした大きな瞳と愛嬌のある顔立ちが特徴的な高校一年生の少女だった。
念願かなって今年の春先から青道高校野球部のマネージャーを務めることになった彼女は、未だ慣れない大勢の観客に圧倒されていた。
まるでお上りさんの様な春乃の反応に、藤原貴子は小さく笑みを零した。
「二軍とは言え今日の試合の結果で大会のメンバーが決まるわけだからね。一軍の試合もないし、このぐらいの人は集まるわよ」
艶やかなストレートの黒髪に少し切れ長の瞳。
可愛らしいと言うよりは美人という言葉が似合う少女、藤原貴子は同じマネージャーを務める先輩として後輩に「早く慣れておかないと大変よ」とアドバイスを送る。
先輩からの忠告に春乃は元気よく頷いた。
「はい! 頑張ります!」
「その元気が変な方向に向かなきゃいいんだけど……でも確かに、今年はいつもよりちょっと人の数が多いかも知れないわね」
「それってもしかして、前に先輩達が話していた山城君効果ってやつですか?」
「多分ね」
山城空が入部したことで例年よりも青道高校野球部を見に訪れる人の数が増えたことを、マネージャーの間では山城効果と呼んでいた。
青道高校に興味を持ってくれた人数が増えたことはマネージャーとして単純に喜ばしいものだったが、同時にそれは弊害ももたらしていた。
「そう言えば今日も他の学校の女の子に聞かれましたよ。山城君は出るのかって。出ませんって言ったら、せめてこれだけでもってプレゼントを私に押し付けて帰っちゃいましたけど……」
「ほとんどスター扱いね。ファンの子達を整理するこっちの身にもなってほしいものだわ」
アンニュイ気に、貴子はため息をついた。
あまりに過激ならば教師が出張るとは言え、基本的に行き過ぎたファンの暴走を止めるのはマネージャーの領分。
最上級生に位置する貴子はその責任感の強さと相まって自然と山城のファン達と向き合う機会が多く、4人いるマネージャーの中で最も山城効果の被害を受けていると言えた。
どことなく哀愁すら漂ってきそうな先輩の姿に、春乃は慌てて両手を振った。
「だ、大丈夫ですよ貴子先輩! 今日は確か一軍のメンバーは室内練習場に籠って練習ですし。前みたいなことにはならないですよ!」
「だといいんだけどね……」
「なにか不安なことでもあるんですか?」
「いえ、少しね」
どことなく含みのある言葉に春乃はきょとんとするが、何でもないわよと苦笑を浮かべ貴子は両手を合わせた。
「さぁ。そろそろ戻りましょう」
「あっ。それなら大丈夫ですよ、貴子先輩」
「えっ?」
後輩からの思わぬ提案に驚く貴子に、春乃は笑みを見せた。
「貴子先輩、最近山城君のファンの子達の相手とかで働きづめじゃないですか。だからせめて今日ぐらいは休んでもらおうって、唯先輩と幸子先輩が」
「そう。二人ともここにいないと思ったら……」
「はい! 唯先輩はドリンク作り、幸子先輩は備品の確認をしています!」
マネージャーの仕事が残っている中、わざわざ春乃がここまで貴子を連れ出したのも貴子に仕事をさせないためだった。
せっかくの後輩達の思いやりを無下にするのも忍びないと、貴子は柔らかく微笑んだ。
「そう。なら今日は任せようかしら」
「はい! 任せてください!」
「……あなたが一番心配なのだけどね」
「ひどいですよ~」
「冗談よ。じゃあありがたく休ませてもらうわね」
悪戯っぽく笑って、グラウンドに背を向ける貴子にあれと春乃は首を傾げた。
「貴子先輩、試合を見ていかないんですか?」
「見るわよ。でもこれだけ人が多いと、ここからじゃあちゃんと試合が見れないでしょ? スコアボードすら見えないし、別の場所で観戦することにするわ」
「別の場所ですか? それって……」
「ふふ。内緒よ」
同性でも見惚れてしまいそうなほど綺麗な笑みを見せて、貴子は歩き出した。
Ⅱ
青道高校は市街地から少し離れた、東京にしては珍しい閑静な住宅街の中にある。
野球部のAグラウンドの外野に張られた巨大なネットを超えると芝生の張られた小さな土手が広がり、その奥にはまだ真新しい洋風の家が広がっている。
春乃と別れた後、学校指定のジャージ姿のままで土手を訪れた貴子は、踏み締める懐かしい芝の感触に目を細めた。
……ここに来るのも久しぶりね。
昔から貴子はこの土手から試合を見るのが好きだった。
小さい頃、父親に連れられて試合を見に来てからというもの貴子は青道高校のファンとして週末になってはこの芝に腰を下ろし、陽が暮れるまで野球部の練習や試合を観戦し続けた。実際に貴子自身が青道高校に入学し、マネージャーとして野球部に直接関わるようになってからは芝に腰を下ろす機会も極端に減ったが、それでも思い出の場所であることに変わりはない。
……さてどこに座ろうかしら。
バックネット裏や内野のネット裏ほどではないが、この外野席にも多くの観客達が詰めかけ腰を下ろして目の前の試合を観戦している。
どこかいい場所はないかと貴子が周りを見渡すと、とある一か所だけぽかりと場所が空いていることにきがついた。イヤ、より正確に言うならばとある人物を中心にした5メートルほどの円の中に無人の空間が出来上がっていた。
……なにあれ?
円の中心にいるのは、端的に言って不審者。
徐々に夏を迎えようとしているというのに分厚いコートで身を包み、口元を大きなマスク、目元をサングラスで覆い隠している。
いまどき漫画でも見ない典型的な怪しい人物だった。
ひとまず監督の片岡に報告しようと思い立った貴子だが、コートの胸元からチラリと見えた紺色のアンダーシャツに思いとどまる。
そして体格や未だ幼い顔の輪郭を踏まえた上で情報を整理すると、一人の人物像が浮かび上がり深々と息を吐いた。
……まったく、こんなところで何やっているのかしら。
最早何のためらいもなく、貴子はその不審人物の元へと歩いていく。
周りの人たちが遠巻きに注目しているのがわかってもう一つため息をつきたくなるのを我慢し、貴子は不審者の隣へと腰を下ろした。
「こんなところで何をしているのかしら?」
周りに聞こえないよう小声で話しかけると、不審者は初めて隣に誰かが座ったことに気付いたようでびくりとその身体を震わせた。ぐるりと怪しさ満点の顔を左に向け、声の主を確認するとあからさまに安堵の息を零した。
「なんだ貴子先輩か……」
「なんだとは失礼ね、なんだとは」
貴子が目尻を釣り上げると、すみませんと小さく笑って不審者―――もとい山城空はサングラスをずらして目元を露にした。
茶目っ気を含んだ黒い瞳に毒気を抜かれ、貴子は小さな肩を落とした。
「また練習を抜け出してクリス君の試合の観戦? 先週も同じことをして監督に怒られてなかったかしら?」
「いや、そうなんすけど……やっぱり気になるじゃないですか?」
「あなたのクリス君好きも筋金入りね……それで、その恰好は何?」
「なにって、変装ですよ。ほら、先週練習着で観戦してたら人に囲まれるわ騒ぎを聞きつけた監督に怒られるわで大変だったじゃないですか。けどこの格好なら俺だってバレないでしょ?」
「そうね。山城君とはわからないわね」
ただ余りにも怪しすぎて警察に通報されるかもしれないけどと、貴子は心の中で呟いた。
まさに完璧の変装と自分の今の格好に何の疑いも抱いていない後輩に、貴子は一抹の不安を覚えずにはいられなかった。
……今度クリス君に相談してみようかしら。
本気でそんなことを貴子が思っていると、「そういえば」と空がマスク越しに遅ればせながら疑問の声を上げた。
「なんで貴子先輩がこんなとこにいるんすか? もしかしてサボリ……」
「お生憎様。出来のいい後輩たちに休むよう言われたから、どうせならここで試合を見ようと思っただけよ」
「なーんだ」
あからさまに声のトーンを一つ下げた空に、残念だったわねと貴子は余裕の表情。
つまらげに空が顔をグラウンドへと向けるのを同じくして、貴子もまた眼下に広がる試合へと意識を向けた。
「それで。今試合はどうなっているのかしら?」
「1‐0で3回の裏。ウチの攻撃っす」
「1‐0? 沢村君が打たれたの?」
意外な展開に貴子は驚いたような声を上げた。
本日青道の二軍と対戦している国士舘高校と言えば、10年ほど前までは東東京においてベスト4の常連だったが近年はかつての勢いはなく古豪と言った所が精々。
二軍とは言え、ここまでの練習試合で好投を続けてきた沢村が先制点を取られたことも驚きならば、小湊春市やクリスといった一軍候補のメンバーが多数打線にいながら未だ得点を奪えていないこともまた驚きだった。
「みんな調子が悪いのかしら?」
「調子はそんなに悪くないと思いますよ。ここから見ててもちゃんとバットを振れてますし。ただ……」
すっと空は目を細めた。
「それ以上にあっちの投手がいいだけです」
「投手が?」
貴子は目を凝らしてマウンドにいる選手を見た。
遠く離れた外野席からでもはっきりとわかる、帽子から零れ落ちるド派手な金髪。
見覚えのないそのシルエットに貴子は首を捻った。
「一年生……ではないわよね? 体格もいいし。でも、去年の練習試合であんな金髪の投手が国士舘にいたかしら?」
「クリス先輩と同じで最近怪我から復帰したみたいですよ? ったく、ブランク明けだってのに相変わらずボールは速いし、スイングは鋭いし……ほんと変わってない」
「あら? 知り合い?」
「前、俺やクリス先輩と同じチームにいた人っすよ」
「山城君とクリス君と同じチーム? ということは……」
「財前直行。俺と同じ丸亀シニアにいた人で……かつてクリス先輩とバッテリーを組んでいた人です」
右手で頬杖をつき、むっつりとした顔で空はそう言った。
Ⅲ
大きな弧を描いて、ゆったりとしたスローカーブがホームベースへと向かう。
ストレートに的を絞っていたバッターはタイミングが合わず、力の抜けたスイングで何とかバットにボールを当てようとするもそれは叶わなかった。
バットの下をくぐったボールがキャッチャーミットへと収まり、審判は腕を上げた。
――――ストライクっ! バッターアウッ! チェンジっ!
三者連続となる三振ショーに観客席が大いに盛り上がる中、まんまと投手の術中にはまった前園は「くそっ」と胸中に溜まる感情を吐き出した。
ハイタッチを交わしながら意気揚々とベンチへと引き上げていく国士舘ナイン。
青道のベンチ前でグローブを嵌めたまま「ぬぬぬ」と唸りを上げる栄純の頭を、クリスはミットで軽くはたいた。
「気負うなよ、沢村」
「クリス先輩……」
「お前に与えられたノルマは次の4回まで。点は取られたが内容自体は決して悪くない、気を抜かずに最後まで投げ切れ」
「うっす!」
気合一つ、栄純はマウンドへと飛び出していった。
まだまだ元気が有り余っている後輩に半ば呆れながら、クリスはベンチへと引き上げる金髪の投手に目をやった。
……財前。
口元に小さな弧を浮かべ、クリスもまた自分の戦場へと向かった。
◇
「うぉおおおおお!」
咆哮を上げ、栄純は左腕を振り下ろした。
スピードこそないものの力の籠ったボールがストライクゾーンに向かい、打者のバットを振らせた。鈍い金属音の後、引っ掛けたボールがセカンドへと転がる。
セカンドの守備に就いていた小湊春市は楽々そのボールを裁き、また一つアウトカウントが灯る。4回の表、国士舘高校の攻撃。
この回二番から始まった好打順も、青道の先発沢村栄純の前に凡退を喫しあっという間に2アウト。暗い顔で一塁からベンチへと戻る三番バッターに、ネクストサークルで出番を待っていた国士舘の4番―――財前直行は明るく声を上げた。
「まったく、情けねぇなお前ら!」
「財前……」
「やっぱこのチームは俺が甲子園に連れて行くしかねぇな!」
大股でバッターボックスへと向かう財前に、栄純は顔を強張らせた。
クリスもまた、マスクの下で「来たか」と呟く。
――――来たぞ!
――――あぁ。初回にタイムリーを打ったバッターだ!
――――後数センチでホームランのフェンス直撃スリーベース! 国士舘の中でもこいつだけは別格だ!!
――――財前で金髪……思い出したっ! 財前ってどっかで聞いた名字だと思ったら、確か二年ぐらい前に東東京でちょっと噂になったやつじゃねぇか!
――――あぁ。一年生ながらエースで四番の……でも去年の夏に怪我したって聞いてたけど、もう治ったんだな。
ざわつく外野の声を浴びながら右バッターボックスに入った財前はゆっくりとバットを振った。
「よう。クリス、二回目だな」
「財前……」
「俺を抑える算段はついたかよ」
にやりと笑う財前にさぁなとクリスは嘯く。
プレイのコールがかかると、財前は軽口を辞め鋭い眼差しでピッチャーである栄純をにらんだ。決して大振りをしないよう意識したコンパクトな構え。
やはり沢村の球質に気付いているなと、クリスは脳内でシュミレーションを開始する。
……前打席。インコースに来たボールを限界まで引きつけてレフトフェンスまで持っていかれた。
フォームの出鱈目さと球持ちの良さから捉えづらいとはいえ、元々栄純のボールは決して重いわけではない。ミートポイントの広い金属バットならば、例え芯を外れても内野の頭を超えることも多い。
これまでの練習試合で闘った相手は例えコースが甘くても、動く球に対応しきれず凡打の山を積み重ねていたが今対峙しているバッターには通用しない。
少しでもコースが甘くなれば、今度こそ打球はフェンスを越えるだろう。
ならばどうするか。フォワボールで逃げる言う算段は鼻からクリスの頭にない。
公式戦ならともかく、これは練習試合。
この局面で逃げるような投手を監督が公式戦で使う訳がないのだから。
……そろそろ沢村も次の段階に進む頃か。
バッテリーを組んだ当初、投球における軸の安定を重視したためにクリスは栄純に対して制球には余り注文を出さず、試合でもコースには殆ど構えなかった。
……だが毎日の走り込みとシャドーである程度軸を安定させ、試合で自信を深めた今なら。
クリスはここに来て初めて、ミットをアウトロー一杯へと構えた。
……ボールになってもいい。絶対に甘くなるなよ。
初めて構えた厳しいコースに栄純は驚いた表情を見せるも、すぐにコクリと頷いた。
柔らかな関節によって初めて可能となる出鱈目なフォームからボールが投げられる。
投げられたボールの軌道は要求したコースよりも高く、ストライクゾーンからも僅かに外に外れている。
……このまま捕ればボールだな。
ストライクゾーンから外れていることから、財前はバットを振る様子はない。
クリスは僅かに左肘を開け、ボールが通るであろう軌道よりもよりアウトコース側からインコース側へとミットを滑らせた。
乾いた音が鳴った時、ボールを握るミットの位置はストライクゾーン一杯にあった。
それを見たアンパイアは右手を挙げた。
――――ットライク!!
「んなっ!?」
「なにかね?」
「……別に」
不満たらたらな顔で財前は審判から視線を切ると、バットを構え直しつつ背後のクリスをじろりと睨んだ。
「ちっ。相変わらず忌々しい捕り方しやがって。テメェは古田かよ」
「上手いもんだろ?」
「笑えねぇんだよ」
通常キャッチャーというのはストライクゾーンぎりぎりのボールを捕球する場合、少しでもストライクに見せるために捕球後ミットを僅かに動かすもの。
けれどクリスは捕球後ではなく、ミットを動かしながら捕球することで(さらに言うならば体の軸もミットと合わせて動かすことで)審判にあたかもストライクゾーンで捕球したかのように見せた。決して目立たないがボールをストライクに見せる捕球技術。
かつてクリスが関東NO1キャッチャーと称された所以の一つでもあった。
続く二球目。
再びアウトローに構えられたミットに向かって栄純の投げたボールが突き進む。
一球目とは違いやや低く、内側へと入ったボールを財前のバットが捉えた。
キィィン
甲高い金属音に一歩遅れて、ライト側のファールネットにボールが当たる。
―――ファールボール
バットを振りぬいた財前が不満げに舌を鳴らすとは対照的に、クリスは内心で胸を撫で下ろした。
……危なかった。多少甘くなったとはいえアウトコースの動く球をあそこまで持っていくか。
流石はかつて天才と呼ばれた選手。
ブランク明けでもそのバッティング技術は些かも錆びついてはいなかった。
3球目、それまでの二球よりも外側に外したボールは当然の如く見逃され、これでカウントは1‐2。
……勝負はここだな。
クリスの出したサインに、マウンドの栄純は目を見開いた。
何かあるのがバレバレなほど、じっとサインを凝視する新米ピッチャーに苦笑しながらもクリスは大きく頷いた。
……さぁ。お前の大好きな真っ向勝負だ。
構えるのはど真ん中。というより、今から要求するボールはまだまだ練習途中でコースの投げ分けが出来ないというのが正直なところだった。
変にコースを意識して腕の振りが弱ればこの球に意味はない。
だからこそクリスが構えるのは栄純が最も得意とし、気合の入るど真ん中。
……この時のために練習してきた球だ。全力で腕を振りきって、ボールの勢いでバットを振らせろ!
これまでよりも更に大きく、栄純が振りかぶる。
「うぉおおおお」
雄叫びと共に勢い良く左腕から投げられたたボールはクリスの要求通りほぼど真ん中。
その一見すれば甘すぎるボールに財前もまた吠えた。
「舐めんなよコゾォ!」
鋭く振られた銀色のバット。
けれどそれがボールを捉えることはなかった。
それまで投げた三球と大してスピードは変わらないというのに、どういうわけか最後に打者の手元で伸びたボールが迎え撃つバットの上を通過した。
――――ットライク! バッターアウト、チェンジ!!
『おぉおお』
「よっしゃあ!!」
どよめきが沸き起こると同時、栄純もまたガッツポーズと共に勝利の咆哮を上げた。
その一方で、空振りの三振を喫した財前は未だバッターボックスの中で自分の振るったバットを見つめていた。
「……今の球、ストレートか?」
「あぁ。何の変哲もない四シームだ」
「ちっ。あの程度のボールに俺が空振りするとはな」
チェンジのため、ばたばたとベンチにいた国士舘の選手とグラウンドにいた青道の選手が入れ替わる。交代が完了するまでの僅かな時間の中で、ヘルメットを外した財前は天を仰いだ。
「……シニアにいた時はまさかこんな練習試合―――それも二軍との試合でお前と初対決とは思ってなかったんだがな」
「あぁ。俺もだ」
様々な想いの詰まった財前の心からの声に、クリスもまた頷いた。
シニア時代、バッテリーを組み丸亀シニアの黄金期の基礎を作り上げた滝川・クリス・優と財前直行。東東京と西東京、別の地区の高校に進学した二人が交わした甲子園で闘おうという約束。けれどそれは未だ叶っていない。
「ったく、ほんとダセェよな。あんな約束しといて、まさか二人とも怪我して甲子園どころか去年まともに試合すら出てないなんてな」
「そうだな……だが、今俺達はこうして試合に出られている」
「ハッ! ブランクを取り戻すのはしんでぇし、他の奴らはヘボばかりでやってられねぇけどな」
口では悪態をつきながらも、財前の表情は明るい。
バッターボックスからの離れ際、クリスとすれ違い様に財前は短く言葉を残した。
「……二軍でおわんじゃねぇぞクリス。あのクソガキはプロの誘い蹴ってまでテメェを甲子園に連れて行くために青道に入ったんだろ? なら今度はテメェがあのガキをしっかりリードしてやれ」
「……あぁ、そのつもりだ」
「へっ」
まるで二人の今の立場を表すかのように、財前とクリスはそれぞれ別々のベンチへと戻っていった。
◇ちょっとした裏情報
・今回の話で空が中学卒業時にプロからの指名があったとありますが、当然上位指名ではなく将来性を見込んだ下位指名です(それも1球団のみ)。
・財前との対決でクリスが見せたボールをストライクに見せるキャッチングは、元ヤクルトの古田敦也選手のキャッチングを参考に書いています。文章で分かり辛い方は、一度古田選手の現役時代の動画を見られるといいかもしれません。
・藤原貴子さんの性格や口調が原作を読んでいてもいまいちピンとこなかったので(というか出番が少なすぎて……)、何か容姿がどことなく似ている『マリア様がみてる』の小笠原祥子様を自分なりにアレンジした性格と口調にしてみました。祥子様ファンの方、ごめんなさい。
ちなみになぜ我らが空君が貴子さんを名前で呼ぶほどに親しげかというと、空がファンに囲まれた時に何度となく貴子さんが空を助けたことで二人の間に交流が生まれたからです(これが今回の話の冒頭における、春乃の「最近山城君のファンの子達の相手とかで働きづめじゃないですか」に繋がります)。
ちなみに、二人の間には恋愛フラグは建っていないので(精々が仲のいい先輩と後輩)、ここから恋愛関係へと発展させるには色々とイベントをこなす必要があります。正直それはそれで書いてみても面白そうなんですが、本編が進みそうにないんでまた暇な時にでも書くことにします(必ず書くとは言っていない)。
感想、評価待っています。