P.S 感想での指摘を受けて気付きましたが、原作ではクリスと財前ってシニア時代違うチームだったんですね。知りませんでした。ただこの作品ではストーリーの都合上、財前とクリスを同じ丸亀シニアに所属していたとして扱うのでよろしくお願いします。
Ⅰ
キィーンと、グランドに響きわたる一つの大きな金属音。
ボールが上っていくのに合わせて、グラウンド中の視線もまた上へと向いた。
高々と上空に舞い上がった白球は綺麗な放物線を描きながらレフトの頭上を越え、その奥のレフトフェンス上空を通過する。
まさにホームランのお手本のような打球に、打ったクリスは高々と右手を上げた。
――――うぉおお! 行ったー!
――――文句なしのホームラン! これで一点差!
――――クリスの一発でようやく青道に点が入った!
――――すげぇ! 今の、来る球を完璧に読んでいたぜっ!
黒士舘高校対青道高校の練習試合。
3‐0と黒士舘高校のリードで迎えた試合は6回の裏、4番滝川・クリス・優の二ランホームランで一点差へと追い上げた。
ホームランは野球の花という言葉を表すかのように、今日の試合一番の歓声があちこちから飛んだ。未だホームランの興奮冷めやらぬ中、ライト側の土手で試合を観戦していた藤原貴子もまた感嘆の声を漏らした。
「さすがはクリス君ね。配球を読んだ完璧なバッティングだったわ」
「決め球のスローカーブを狙い打ちか……あれされるとピッチャーとして嫌なんだよな~」
全身をコートで覆い隠しマスクとサングラスで顔を隠した不審者―――もとい、山城空もまたクリスのバッティングに脱帽せざるを得なかった。
「これで3対2……」
「まぁ今の一発で簡単に崩れるような人でもないし、勝負はここからじゃないですか?」
「そうね。正直言って、沢村君から後の投手陣は余り安定しているとは言えないし気を抜けばまた突き放されるわね」
3対2と追い上げたものの、今日の財前のデキと青道の投手力を思えば喜んでばかりもいられない。むしろここからが本番だと、二人が共に見解を同じくした時だった。
――――見つ~け~た~ぞ!!
背後から聞こえて来る、おどろおどろしい声。
思わず空と貴子が顔を見合わせて振り向くとそこにいたのは、
「お、太田先生!?」
青道高校社会科教師にして野球部部長、太田一義であった。
何でこんな場所にと貴子が疑問を口にする前に、頬を紅潮させた太田は恰幅の良い体を揺らして大股で緩やかな勾配を下ってきた。
「練習場から消えたと御幸から聞いて探してみれば、こんな所にいたのか山城ぉ!!」
「うげっ。バレてる」
「あのぉ。太田先生、何で山城君がここにいるってわかったんです?」
怪しさ満点の変装とは言え、今の空の姿を見て山城空だとわかる人間はほとんどいない。
貴子とて、中に着ているアンダーシャツが見えるまで空だとは気付かなかったぐらいだ。
そんな疑問に太田はふんと鼻を鳴らした。
「山城が消えたという事実と、うちのマネージャーが顔を隠した不審者と仲よさげに一緒にいるという噂を聞けば何となく想像はつく。しっかりした分別を持つ藤原が、本当に不審者と一緒にいるわけがないからな!」
「しっかりしただなんて……そんな……」
「いや、照れる前に自分のせいで俺の正体がばれたことを気にしましょうよ」
空が突っ込みを入れている間にも、太田は二人のすぐ近くまで迫っていた。
「や~ま~し~ろ~。先週に引き続いてこれで三度目との脱走とは……試合で指揮を執っておられる片岡監督に代わり、私が説教してやる!」
「いや、それはまじで勘弁してください! つーか、せめて言い訳を……」
「問答無用! そこになおれ~!!」
「あぁ、もう!」
空は身に付けていた変装グッズを全部外して貴子へと押し付けた。
「すいません貴子先輩! それ、後で取りに行くんでそのまま持っといて下さい」
「はぁ。仕方ないわね……」
「や~ま~し~ろ~」
「やばっ!」
ついには走り出した太田に、空もまた逃走を図るためにスタートを切った。
そうしてトムとジェリーならぬ、空と太田の追いかけっこが始まった。
遠ざかっていく二人の後ろ姿に、空から預かった変装道具を抱えた貴子はくすりと笑った。
Ⅱ
黒士舘高校対青道高校(二軍)の試合が4‐2と黒士舘高校の勝利に終わったその日の夜。一先ず怒涛の練習試合祭りが終わりを告げた青道高校野球部メンバー達は休む間もなく、室内練習場へと集まっていた。
「これまでの練習試合、皆ご苦労だったな。今より、一軍昇格メンバーを発表する」
片岡の言葉に空気が一気に張り詰める。
二軍―――特に後のない三年生達は「ごくりと緊張した面持ちで続きを待った。
「知っての通り、現在の一軍は全部で16名。これから発表する4名を含む20名は青道の代表としての責任を自覚し、選ばれなかった者は夏までの間一軍メンバーをサポートしてほしい」
まるで部員一人ひとりの息遣いが聞こえてきそうなほどに、室内練習場は静まり返っていた。誰かがごくりと喉を鳴らす。
そして遂に一軍昇格メンバーが発表される。
「一軍昇格メンバーは――――
遠藤直樹
小湊春市
沢村栄純
滝川・クリス・優
――――――以上だ」
誰も何も言葉を発さなかった。
選ばれた者が歓喜の声を上げることもなければ、最後の夏まで大会に出られなかった者が悔しさのあまり嗚咽を漏らすこともない。
ただただ静寂。
静寂のみが室内を包んでいた。
「この4人を加えた1軍20名で夏を闘っていく。選ばれなかった三年だけここに残り、後は明日の練習に備えて解散だ」
片岡の言葉を受け、ぞろぞろと選手達が練習場を後にする。
その大きな流れの最後尾でクリスの後ろについていた空はチラリと振り返った。
最後の夏を選手として迎えれなかった三年生達。
俯きはすれど、誰も悔しさに身を震わせてはいない。
練習場を後にする最後の一人として重い鉄のドアを後ろ手でガラガラと閉め、空は自分の体重を冷たい扉に預けた。
扉越しに聞こえて来る悲痛な叫びと涙に濡れた声。
後輩たちの前では決して見せることのなかった先輩達の本当の気持ちに、空は瞼を閉じた。
「ふぅ」
「どうした?」
「いや、何か変な感じだなって」
試合に出れる選手がいれば、当然出れない選手もまた存在する。
当たり前のことだと頭ではわかっているのに、なぜか空には不思議に思えた。
自分の気持ちを持てあます空に、クリスは柔らかい笑みを見せた。
「シニアでは出来る限りベンチ入りできるようにチームの人数をある程度絞っていたからな。サブチームもあったし、レギュラーになれなくともベンチに入れないということはまずなかった」
「そうなんですよね……」
「選ばれなかった三年を見て何を思った?」
「何をっていうか……本当にこれで終わりなんだなって」
そう。今室内練習場に残っている三年生の夏はついさっき終わりを告げたのだ。
シニアの時のように何らかの形で試合に出れたのとは違う。
本当に彼らの高校最後の夏は始まる前にして終わったのだ。
別に選ばれなかった先輩の中に特別仲が良い人がいたわけじゃない。
会えば挨拶を交わし、時折話をする。
空にしてみればその程度の関係性だ。
選ばれなかったことを残念にこそ思っても、それ以上特別な感情を抱くほど深い間柄ではない。だというのに。
……なんだろう。この言葉にできない妙な気持は。
心の奥底に溜まった感情を空は上手く言葉にできなかった。
そんな後輩の肩にクリスは手を置いた。
「今抱えている気持ちがいずれお前をエースにする。だから忘れるな」
コクリと、空は深々と頷いた。
それでいいとクリスは手を下ろした。
「大会まで後1か月。俺達に立ち止まっている時間はない。選ばれなかったやつのためにもな」
「はい!」
空の胸に宿るこの形容できない思い。
その正体がわからなくとも、今はただ突き進むしかないのだ。
いつかわかることを信じて。
夏大会本戦まで、後一か月。
Ⅲ
青道高校野球部では、夏の大会に出れる一軍メンバー二〇人が決まった翌日から大会が終わるまでの間練習風景がガラリと変化する。
それまで一軍と二軍で分けて使用していたA、B二つのグラウンドは両面とも一軍専用となり、二軍以下選ばれなかった者達はみな一軍のサポートへと回る。
密度の濃い練習に一軍メンバーが汗を流す中、鋭い打球が右中間を襲った。
――――おぉ!
――――良い打球飛ばすな~。あいつ本当に一年かよ。
――――試合でも結構打ってたし、これはマウンドに上がらなくても使えるんじゃないのか?
部員達からあがる驚きと感嘆の声。
打った当人は「少し詰まったかな」などとグリップを握り直し、マシンの投げたボールに向かってバットを一閃。
ドライブ回転のかかった鋭い打球がほとんどライナーの軌道で、レフトフェンスを襲った。一年ながらに怪物っぷりを遺憾なく発揮する空の姿を遠目で見ながら、御幸とクリスという二人のキャッチャーは練習の汗を拭った。
「試合でも結構打ってましたけど、山城のやつやっぱ良い打球飛ばしますね」
「投手というのは基本的に野球センスに長けたやつが多いからな。シニアでも高い打率を残していたし、もう少し慣れれば実戦でも十分に通用するだろう」
「投げない時でもあの打力をベンチで眠らせておくのは正直もったいないですね……守備も無難にこなしていましたし、これはマジで外野での起用もあるんじゃないですか?」
「たとえそうであっても、あいつなら難なくこなせるだろう」
「それに引き替え……」
ちらりと、御幸は空の隣のブースで打撃練習を行う栄純へと目をやった。
――――くそっ! 紙一重か!
――――何が紙一重だ! バットとボールの間が三〇㎝以上あったぞ!
――――おらっ、沢村! 一体何球空振りすれば気が済むんじゃ!!
――――さっきからボールが前に飛んでねぇぞ!
「……当たれば飛びそうなスイングはしてるんすけどね」
「当たればな」
外野を守ればトンネル、バックホームでボールを投げれば途中でぐにゃりと曲がる。
そしてマシンが投げる130キロ半ばのストレートさえ殆どバットに当たらない。
はぁと捕手の二人は顔を見合わせてため息をついた。
「……あそこまで投手以外の適性がない奴も珍しいな」
「まぁ、沢村らしいっちゃあ沢村らしいっすけどね。そういやクリス先輩、礼ちゃんから聞きました?」
「あぁ。入れ替えの件か……」
「はい」
高校に入って日が浅い一年生投手に経験を積ませるために組まれた、栄純とクリス、空と御幸という二つのバッテリー。所属する軍の違いと直面する試合の関係からこの組み合わせになったが、クリスと栄純が一軍に昇格したことで本日このバッテリーを入れ替える運びとなった。
「ちょっと聞いときたいんですけど沢村の奴は今どうなっています? 最近あいつのピッチングを直で見てないんで、イマイチ状態が掴めてないんですけど」
「そうだな。セットプレーやカバーリングなど投手として足りない部分をあげていけばきりがない……が、純粋なピッチングだけで見ればある程度計算できるレベルには達している」
「へぇ。あの沢村が……」
「もともと素材としては一級品だからな。軸が安定し、フォームが固まってきたことで未熟ながらも内外の投げ分けができるようになってきている。まだまだ逆球も多いが、覚えた四シームもある。キャッチャーが上手くリードしてやれば早々打ち込まれることはない筈だ」
それは裏を返せば、栄純がそのポテンシャルを発揮できるかどうかはキャッチャーにかかっているということ。できるな?という無言の問いかけに、にやりと御幸は笑った。
「えぇ。俺があいつの力を100%引き出して見せますよ」
「ふっ。まぁ、その点についてはあまり心配していない。ただ投球面に時間を多く裂いた分だけ、言ったように他の部分が全くと言っていいほどなっていない」
「じゃあ合宿中はとことん守備練っすね」
「あぁ。ここのところ少しオーバーワーク気味な部分もあったからな。肩を休めるのもかねて、しばらくはブルペンで投げさせずミッチリと守備を体に叩き込んでやってくれ」
「わかりました」
栄純の状態を一番よく把握していであろうクリスの言葉に、御幸は特に何か尋ねることもなく素直に了解した。 そして今度は「山城はどうだった?」というクリスからの問いかけに、御幸はこの一か月を振り返った。
「そうですね……毎晩ボールを受けているクリス先輩ならわかっていると思いますけどボールの質については特に何も言うことはないです。四シームジャイロも二シームジャイロも実戦で十分通用しましたし、六回ぐらいまではコントロールも纏まっていました。まぁクイックとか細かな課題も見つかりましたけど、それより問題なのは……」
「試合の後半―――それも七回を超えてからの投球か」
「はい。どうも七回で試合が終わるシニアの頃のペース配分が身体に染みついているみたいで、八回になると疲れからボールが甘く入って来ることも多いです。実際、これまで取られた得点のほとんどは終盤にとられたものでした」
「意識しろとは言っているんだが、やはりそう簡単にはいかないか」
「まぁ一年って考えたら正直十分すぎるんすけどね……時々一年とは思えないほど生意気だけど」
ぼそりと付け足された言葉に思わずクリスは苦笑い。
「ペース配分については実際に九回まで投げて、徐々に身体で覚えさせていくしかないな。とりあえず本番ギリギリまで走り込みと投げ込みの割合を増やし、少しでもスタミナを付けさせるつもりだ」
「……夏までに間に合いますか?」
「正直厳しいだろう。だが終盤での失点は致命傷になりかねない以上、このまま放っておくわけにもいかない」
「出来ることはやっておくってわけですか」
「後悔だけはしたくないからな」
クリスは三年生。
つまりはこの夏がクリスにとって高校最後の夏であり、また同時に高校で山城と一緒にプレイが出来る最初で最後の夏でもある。
そしてそんな最後の夏に、かつて憧れた先輩と念願の正捕手争いが出来るのがこの上なく嬉しくて御幸は顔を綻ばせた。
「やっぱクリス先輩が戻ってきてよかったです」
「煽てたところで、正捕手の座は貰っていくぞ?」
「はは。望むところです」
二人の天才捕手は互いに視線を交わし、どちらともなく練習へと戻っていく。
合宿を前にして正捕手争いもまた加熱の一途を辿ろうとしていた。
次辺りに、一度クリスと空の過去話を挟みたいと思っています。まだプロットが全然できてないので投稿がいつになるかはわかりませんが、まぁ気長にお待ちください(もともとこの作品は気まぐれ更新ですし)。
感想・評価待ってます。