ジャイロボールに夢見て   作:神田瑞樹

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18話

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 ついに開幕を迎えた、第89回全国高校野球選手権西東京大会。

 たった一つの甲子園への切符をかけた118の高校による熾烈なデスマッチ。

 今年もまた数多の想いが交差する熱きトーナメントにおいて、六年ぶりの甲子園を目指す青道高校の初戦の相手は一回戦を勝ち上がってきた都立米門西高校。

 とり立てて特筆することのない、ごくごく普通の公立校でありその選手達もいたって平凡。一回戦を勝ち抜いてきた勢いこそあるものの、ベスト4常連である青道との戦力差は比べられようもない。

 普通に闘えば青道の勝ちは小揺るぎもしないというのは、誰もが納得する所。

 そんな半ば出来レースとして府中市民球場で始まった、西東京大会二回戦 青道高校対米門西高校による試合。

 全国レベルの打線を有する青道が先攻なだけに、観客席にいる誰もが初回から試合が動くことを信じて疑わなかったのだが――――

 

 

          Ⅰ       

 ざわざわと、まだテレビ中継もない二回戦にしては空白の少ないスタンドから多かれ少なかれ戸惑いの声がグラウンドへと零れ落ちていく。 

 彼らの視線が向かう先は、たった今0が刻まれたばかりのスコアボード。

 誰もが予想していなかった展開。

 青道、まさかの三者凡退による初回無得点。

 試合は始まったばかりとはいえ、余りにもあっさりと終わってしまった青道の攻撃にぽつりと、誰かが呟いた。

『大丈夫かよ』、と。

 その一言を皮切りに、スタンドから不安の声が漏れ始める。

 

――――おいおい。まさか三者凡退かよ。

――――初回だからって緊張してるのか? 

――――山城のためにもここは先制点が欲しい場面だったよな。

――――あんな淡白な攻撃で大丈夫か? 今年の青道は?

――――大阪桐生との練習試合も2試合とも負けていたし、やっぱり調整ができていないんじゃあないか?

 

 これまでの歴史を紐解けば、優勝候補と目されながらも実力を発揮できずに散っていった高校はいくつもある。またつい昨日には、全国でも有数と謳われた重量打線を抱える成孔学園がまさかの1回戦で姿を消した。

 高校野球では何が起きるかわからない。

 観ている者はそれを知っているからこそ、波紋は波紋を呼ぶ。

 そしてそんな頭上から漏れてくる不安の声に、米門西高校野球部監督、千葉順一はしてやったりと満足げに自慢の髭を撫でた。

 

……フフフ。さわいどる、さわいどる。

 

 この試合、千葉が先発としてマウンドに上げたのは一回戦に先発させたエースサウスポー菊永ではなく、背番号10の南平守。

 プロでもなかなかお目にかかることのない、アンダースローの投手である。

 

……今回も菊永で来ると思ったろ? フフフ、当てが外れたな。

 

 青道が米門西の初戦にビデオを回していたのは千葉も知っていた。

 エースである菊永は客観的に見て決して優れた能力を持つ投手ではない。

 球速は130に満たず、変化球のキレもない。

 コントロールも悪いことからビデオを見た青道は思ったことだろう、攻略は簡単だと。

……だがその油断がウチの付け入る隙よ!

 アンダースローに転向した一年の秋以降、南平はこれまで一度として公式大会に登板したことがないため当然青道にはデータがない。

 つまり青道にとってみれば、攻略やすしと油断していた所に未知の投手が出てきたということになる。

 

 “千葉流勝負の鉄則 その1 どういう形であれまずは先手をとる”

 

 初戦で多少なりとも硬くなっている青道に動揺が生まれればしめたもの。

 そして千葉の狙い通り、青道の自慢の打線はデータにないアンダースロー特有の浮き上がる軌道に戸惑い、いい当たりこそあったものの結果として三者凡退の無得点。

 自身の策が的中し、名門校をやり込めるのは控えめに言っても非常に気分がよかった。

 

……先手は取った。次は……

 

 攻守の入れ替わったマウンドでは青道の一年生エース、山城空が投球練習を行っている。

 そしてそれを待っていたかのように、あちらこちらから聞こえて来るシャッター音と炊かれるフラッシュ。

 南平の時とは余りにも違いすぎる扱いに、今に見ておけと千葉は鼻息を荒げた。

 パンと手を叩き、マウンドに熱い視線を注ぐ選手達の注目を集める。

 

「いいか! 世間でちっとばかり持て囃されているようだが、しょせん相手は一年だ! お前達のスイングで、あの小僧自慢のジャイロボールとやらを思いっきり引っ張ってやれ!」

『はいっ!』

 

 青道を0に抑えた自信からか、一年には負けたくないという思いからか、はたまたこれまで140キロ近いマシンのボールを練習で打ち込んできた自信からか。

 いつになく気合の入った返事に千葉は手応えを感じていた。

……天才だか何だか知らんが、所詮は高校に入ったばかりの一年坊主。付け入る隙は必ずある。

 どれほど才能があるのか知らないが、一年にエースナンバーを背負わせたことを後悔させてやる――――そう、思っていた。

 山城空の投球を実際に見るまでは。

 

         ◇

 

 唸りを上げた豪速球が打者の胸元を通り抜けていく。

 最早バットを振ることさえ忘れた打者がゆっくりと振り向けば、そこにはコース一杯、インハイギリギリで静止するミットがあった。

 あっ、今ボールが通ったんだ―――打者がそうぼんやりと思うと同時、球審が手を挙げた。

 

「ットライク! バッターアウトっ!!」

 

 球審のコールを聞くが早いか観客席から歓声が飛び、無数のフラッシュがたかれる。

  

―――うぉおおお!! これで8者連続三振! すげぇ、全く相手になってねぇ!!

―――150近い伸びのある球をあれだけコーナーに散らされたら普通は打てねぇよ!

―――っていうか、本当にあれで一年か!? どう見ても超高校級じゃねェかよ!?

―――山城空、噂に違わないってことか……

―――9者連続狙っちまえ!

 

 スタンドの盛り上がりとは対照的に、あえなく8つ目の三振を献上した米門西の八番は次の打者にアドバイスすることも忘れ、生気の抜けた顔でフラフラと自身のベンチへと戻っていった。

 3回裏、2アウトランナーなし。

 スコアは15対0と青道の圧倒的リード。

 ここまで米門西高校が山城空から積み上げてきたヒットは0、四球も0、ランナーも0、三振が8つ。つまるところ、米門西はランナーを出すどころか誰一人としてボールを前に飛ばすことすら出来ないまま打者一巡を迎えようとしているのである。

 スタンドは圧巻の三振ショーに大いに盛り上がり、9者連続を求めて三振コールの合唱が始まる。

 米門西校のベンチからでも聞こえて来る三振コールに、千葉は苛立ちを隠せず唸り声を上げ拳を固く握りしめた。

 

……まさかここまで実力が違うとは……

 

 先手を取り、優位に立ったはずだった。

 だがそんな優位は、たった一人の一年生投手―――山城空によって蹴散らされた。

 

……思えばあれが全ての原因。あの投球で選手達の心が折れてしまった……!!

 

 1回の裏、米門西の攻撃。

 初回を無失点に抑え勢いに乗る筈だった米門西の打線は、マシンでも経験したことのない150近い活きた球の前に完全に沈黙。

 僅か9球にして、3つの三振を献上しただけであった。

 余りにも違いすぎる実力差。

 それを目の当たりにし、米門西校ナインの中にあった糸が切れてしまった。

 2回の表、青道の攻撃の場面。

 初回は丁寧にボールを低めに集めていた南平はまるで別人の様にボールが高めに浮き、あっさりと青道の打線に捕まって2回途中7失点で無念の降板。

 そして投手が変わった後も青道打線の勢いを止めることも、山城空の蹂躙を止めることが出来ず気が付けばこの有様。

 

「……どうやって打つんだよ、あの化け物」

 

 それはついつい漏れてしまった言葉だろう。

 誰もが思っていながらもここまで言わなかったことを、菊永が独り言のように呟いた。

 それは決して大きな声ではなかったけれど、お通夜の様に静まり返った米門西のベンチにいた全員に届いた。

 何を弱気になっているか―――千葉は怒鳴り声を上げようとして、

 

『ストライクッ! バッターアウト、チェンジ!!』

 

―――うぉおおお、9者連続三振!!

―――キタキタキタッ――!? 成宮に並ぶ投手がついに青道にもっ!

―――こうなりゃ行けるとこまでいっちまえ!!

―――山城く~ん!! 

 

……ど、どうすればいい……

 

 凍りついたベンチでどうすることもできず、千葉はただただ立ち尽くした。

 

 

         Ⅱ

……勝負あったな。

 

 青道のベンチでプロテクターを外したクリスは、意気消沈して守備に就く米門西校選手の顔を見てこの試合に決着がついたことを悟った。

 例えどれだけ点数差があろうとも、高校野球には真の意味でのセーフティーリードは存在しない。少しでも気を抜けば、あっという間に流れが持っていかれてしまう。

 それが高校野球。

 けれどそれは逆転する意思があればという前提でのこと。

 心が折れてしまえば、最早逆転はあり得ない。

 そしてそうなる様にリードしたのはクリス自身だった。

 もともと山城と米門西校打線との実力差は明白。

 だからこそそれがはっきりとわかる様に行った、4シームジャイロのみでの勝負。

 そうして成し遂げた九者連続三振。

 対戦した打者は理解したことだろう、格が違うと。

 

……今後のことを考えれば、試合を早めに決めてしまうに越したことはない。

 

 勝ち上がれば自ずと強敵とぶつかる以上、休める時に投手陣を休ませることもまた夏の大会では重要だった。

 それにと、クリスはスタンドにある青道の応援席から少し離れた場所に目を向ける。

 ビデオカメラとスコアブックを持って試合を観戦する制服姿の生徒達。

 

……どこの高校までかはわからないが、間違いなく偵察部隊。

 

 三回戦に当たる学校か、はたまたその次か。

 いずれにせよ、彼らに山城について多くの情報を与えるのは決して得策ではない。

 指揮を執る片岡もまた同じ気持ちだったのだろう。

 クリスが視線で促すと、片岡は言葉を発することなく頷いた。

 

「小湊(弟)」

「はっ、はい!」

「ブルペンにいる沢村と川上……それと御幸と宮内にも準備をさせておけ。4回は沢村と御幸で、5回は川上と宮内のバッテリーで行く」

「わかりました!」

「それと、お前も代打で使うからな。心構えはしておけ」

「は、はいっ!」

 

 上擦った声で返事をし、春市はブルペンへと走っていった。

 それを見送ると、片岡はベンチにいる控えメンバーへと向き直った。

 

「次の守備から大幅にメンバーを入れ替えていく。全員気持ちを切らすな」

『はいっ!』

 

 この後、青道は4回の守備からレギュラー陣とベンチメンバーを大幅に入れ替えていく。

 4回のマウンドに上がった栄純は緊張からか先頭バッターに四球を与えるものの、後続を打ち取り一回無失点。

 5回のマウンドに立った川上はお手本とばかりにストライク先行のピッチングできっちりと米門西の攻撃を三人で終わらせ、これまた一回無失点。

 入れ替わった打線もレギュラー陣に比べれば破壊力は劣るものの、それでも五回の青道の攻撃では狙い球を絞り三点を獲得。

 終わってみれば試合は22対0、五回コールドで青道の圧勝に終わった。

 順風満帆な滑り出しを切った青道高校。

 

――――甲子園出場まで、後5勝。

 




短いですが、キリがいいのでここまで。年内には何とか完結させたい所です。あと、章分けしてみました。

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