ジャイロボールに夢見て   作:神田瑞樹

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21話

              Ⅰ 

 全国高校野球西東京大会4回戦、私立青道高校と私立明川学園の対決。

 青道が圧倒的優位との下馬評で始まったこの試合は非常にテンポよく進み、開始から僅か一時間足らずにして既に後半戦へと入っていた。

 6回の表、明川学園の攻撃。

 7番という下位打線から始まるその攻撃は、先頭バッターの空振り三振という最早見慣れた光景を持ってスタート。僅か3球でスコアボードに灯った赤いランプに、吉川春乃は黄色い声を上げた。

 

「うわぁ。すごい! また三振ですよ、貴子先輩!」

「えぇ、そうね」

 

 試合に出れない野球部員達が応援のために陣取るスタンドの最前列。

 これまで頑張ってくれたマネージャーのためにと用意されたその一角で、青道の試合用ユニフォームに身を包んだ藤原貴子はマウンドに君臨する青道の若きエースに感嘆の声を漏らした。

 

「ここまで山城君は打者16人に対して四球0、被安打0、三振13……正に文句のつけようがない完璧なピッチングだわ」

「確か一人もランナー出さなかったら完全試合……でしたっけ? もしかしたらそれが出来るんじゃ……」

「そうね。明川の打線も全く山城君にタイミングが合ってないし、出来なくはないでしょうね。ただ」

「ただ?」

「この試合ではあまり達成してほしくはないわね」

 

 えっと、春乃は驚きの声を上げた。

 

「なんでですか? 完全試合って確かすごい名誉なことなんですよね?」

「えぇ。プロでは勿論、高校野球でも完全試合を達成した投手は球史に名前を残すぐらい凄いことよ」

「だったら」

「でも、完全試合を達成するには試合の最後まで投げ切る必要があるの」

 

 ノーヒットノーランであろうと完全試合であろうと、偉大な記録を為すには試合が成立する―――つまりは決着がつくまで投げ切らなければならない。

 野球の知識に疎い春乃でもそれぐらいは知っていた。

 ごくごく当たり前のことを言われ、きょとんと目を丸くした後輩に貴子は苦笑を浮かべざるをえなかった。

 

「簡単に言えば球数がどうしても増えるのよ」

「それのいったい何が問題なんです?」

「つまりね」

「つまり、藤原さんは山城君の球数が増えて次の試合に影響しないかを心配しているのよ」「高島先生……」

「そうよね? 藤原さん」

 

 貴子の言葉を引き継いだのは、マネージャー達と同じ場所で試合の展開を見守っていた副部長の高島礼だった。

 くすりと大人の綺麗な笑みを見せた礼に、貴子は「はい」と小さく頷く。

 春乃は突然の年長者の乱入にいささか緊張しつつ、疑問を口にした。

 

「次の試合に影響ですか?」

「えぇ。もしもこれが決勝だったなら、球数なんて気にせず最後まで投げ切って貰うのが一番いいわ。何て言ったって、ウチの投手陣で今一番力があるのが山城君だから。でも、今日の試合はまだ4回戦。甲子園に行くには今日の試合を除いてまだ3つも試合が残っているの」

 

 戦力が充実し安定した先発ローテンションが組まれるプロ野球に比べ、負けの許されない高校野球はどうしても優れた能力を持つ投手―――エースにかかる負担というのが大きくなりがちなもの。

 毎試合の様に登板する関係から中三日~四日、下手をすれば連投などという極めて短い期間で次のマウンドに登らなければならず、疲労は蓄積する一方。

 それまで好投を続けていた投手が、決勝では別人の様に打ち込まれるというのは決して珍しいことではない。

 だからこそ各チームにとってはエースに休養を与えることが出来る展開作りと、二番手、三番手と言った控え投手の存在が重要となってくるのである。

 

「この先のことを考えれば仮にこの試合で完全試合を達成したとしても、結果として次の試合に疲労が残るようなら意味はないの」

「な、なるほど。だから貴子先輩はこの試合は完全試合を達成しない方がって……」

「えぇ。特に次の準々決勝で当たる可能性が高いのはあの市大三高。出来る限り力は温存しておいた方がいいわ」

「だったらこの試合も、これまでの2試合みたいに継投で……」

「本来ならそれが理想ね」

 

 でもと、礼は鋭い眼差しをセンター後方にあるスコアボードへと向ける。

 そこに示されているのは戦前には誰も予想していなかった展開。

 無数に並べられた0の行進。

 青道高校×明川高校。6回表の時点で、未だ動かぬ0‐0という最少スコア。

 

「そのためにはまず点を取らないといけないわ」

 

                 ◇

 

 振ったバットが空を切る。

 リリース後、ストライクど真ん中と判断したそのボール。

 舐めるなと始動を早めバットを出したものの、勢いよく伸び上ったボールはバットに掠ることもなく中腰となったキャッチャーのミットに飛び込んだ。

 

―――ストライクッ! バッターアウト!

 

 今日の試合で幾度となく告げられた三振のコールと、それを掻き消すかのような歓声。

 投げる方は勿論だが、よくあんな漫画みたいなボールを簡単に捕っているなと、同じ捕手としての実力差を痛感しつつ明川学園の正捕手、関口は己のベンチへと戻った。

 

「すまん。瞬臣、また三振しちまった」

「かまわない。いや、むしろそれでいいくらいだ」

 

 ここまで力投を続ける相棒に女房役として応えることが出来ず謝るも、当の本人は想定内だと言わんばかりの涼しい顔。

 それはそれで悔しいものの、この憎々しいばかりの冷静さが関口には酷く頼もしかった。

 バットとヘルメットを置き、瞬臣の隣にどっかりと腰を下ろす。

 

「でもいいのかよ? もう六回だってのに、まだ一人もランナーが出てないんだぜ?」

「問題ない。昨日言っただろ? あの投手から点を取ろうとは最初から考えていないと」

 

 そう、それが昨夜に楊瞬臣が出した結論だった。

 一年生ながらも、青道の山城空は間違いなく全国でも指折りの好投手。

 そんな怪物クラスの投げるボールを、お世辞にも強力とは言えない明川の打線が攻略するなどほぼ不可能。

 連打は愚か、たった一本のヒットを打てるかさえ怪しいもの。

 だからこそ瞬臣は発想を変えることにした。

 どうせまともに打てないなら、無理に対策をしても意味はない。

 ゆえに瞬臣はあえて誰もが必須と考える、山城空の攻略を最初から捨てた。

 そう。全ては、

 

「勝負は後半―――あの投手がマウンドを降りてからが本当の勝負だ」

「それは聞いたけどよ……点差があるならともかく、こんな接戦で本当にエースを代えるのか?」

「代える、いや代えざるをえない。確かにあの投手の能力は高いが、まだ一年だ。身体が出来上がっていない以上、次の試合のことを考えれば必ずどこかでベンチへと下げる必要がある」

 

 スポーツに力を入れていない明川とは違い、青道は全国出場の義務を課せられた名門校。

 一戦一戦に全力を注ぎつつも、必ず次の試合を見据えた采配をしてくると楊は確信していた。そしてそのためにも、

 

「今は三振してもいいからストライクゾーンに来たら全力でバットを振る。ただそれだけでいい」

「あの投手がマウンドを降りた後に備えて……か」

「あぁ。中途半端なスイングを繰り返して、いざ投手が変わった時にバットが振れないようでは困るからな。今の内に名門相手でも臆せず全力でスイングが出来るよう体に染みつけておく」

「なるほど……けどよ、本当にこのままでいいのか?」

「ん?」

「いやさ。あの一年の攻略を最初から捨てるっていうお前の作戦はわかるよ。正直、あの化け物からまともに打てる気がしないし。でも山城がマウンドを降りてからが勝負って言うなら、もっとこうやれることがあるんじゃないのか?」

 

 例えば耐久作戦、例えば揺さぶり。

 球数を投げさせれば投げさせるほど必然的に降板が早まるのだから、例え打てずともやれることは幾らでもある。

 

「青道がどれくらいの球数を限度と考えているのかはわからないけど、やっぱりただスイングするだけじゃなくて何か早めに降ろす工夫をした方が……」

「必要ない」

「でも、このままじゃそれこそ9回まで……」

「あぁ。むしろ、そこまで粘ってくれるなら好都合だ」

 

 えっと関口は驚きの声を漏らす。

 口を半開きにした相方を視界の端に捉えつつ、楊は青道のブルペンへと目を向けた。

 

「お前も知っていると思うが、青道には春までエースを務めていた3年の投手がいない。選手登録こそしているが、今日の試合でもベンチには入っていないままだ」

「あっ、あぁ。何でも大会前に怪我したって噂で聞いたけど……」

「現在の青道の控え投手は二人。二年のサイドスローと、一年のサウスポーだ。登板が少ないためにはっきりとは言えないが、映像を見た限りどちらも手も足も出ないようなボールを投げるわけじゃない。そしてこの二人がマウンドに上がるのが遅ければ遅いほど、俺達は有利になる」

「どうしてだ? 普通、早めに上がってくれた方がボールに慣れることができる分いいんじゃ……」

「普通ならな。ここで問題になってくるのは、控えの二人は今大会でまだ一度も接戦で投げていないということだ」

「あっ!」

「ただでさえ緊張する公式戦のマウンド。それも一つの失点が命取りとなる場面だ。回を重ねれば重ねるほど、終盤になればなるほど投手に圧し掛かるプレッシャーは大きく、重いものとなる。それまで大差のついた場面でしか投げてこなかった控えの投手がいきなりそんなマウンドに上がれば、平常心を保つことは難しい」

 

 ただでさえリリーフピッチャーは感情のコントロールが難しいと言われているのだ。

 経験豊富な三年生投手ならば自分を律する術ぐらい知っているかもしれないが、青道の控え投手はまだまだ若い。

 いつも通り投げろと言う方が酷というもの。

 

「俺達がつくのはそこだ。そしてだからこそ」

「先制点はやれない」

「そうだ。先に点を与えてしまえば、相手にかかるプレッシャーは小さくなる」

 

 現在の均衡状態こそがまさに楊の思い描いていた理想。

 もとより9回で勝とうなどとは思っていない。

 10回だろうと15回だろうと、勝負が決するその時まで楊は一人で投げ続ける気であった。

 野球というのは点を与えなければ決して負けないのだから。

 

……ここまではほとんど期待通りに来ている。

 

 守る選手達にとってもプレッシャーがかかるだろうに、試合の終盤に差し掛かった今でも明川の選手達は集中を切らしていない。

 多少のエラーやミスはあるが、間違いなく最高のパフォーマンスをみな披露している。

 だからこそ怖いのは、

 

……何かの切欠でこの糸が切れること。

 

 一度集中の糸を切らしてしまえば、そこから立ち直るのは非常に難しい。

 計算が効かぬ不確定要素。

 それが現れないことを楊は祈るしかなかった。

 

 

          Ⅱ

 6回の裏、青道高校の攻撃はクリーンアップからの好打順。

 既に三巡目ということもあり、スタンドからは何とか点数をとの声が次第に大きくなる。

 そんな期待を背負って打席に立った先頭バッターの伊佐敷だったが、追い込まれた後に外角のスライダーを引っ掛けあっけなく一アウト。

 球場中が溜息で包まれる中、それを払拭するかのように四番結城哲也がインコースの厳しい球に上手くバットを合わせた。

 打球に然程力はなかったものの飛んだコースが良かった。

 ボールはサードの頭を超え、レフトライン際にぽとりと落ちる。

 そしてその処理にレフトがもたつく間に結城は二塁を陥れ、ツーベース。

 一アウトランナー二塁と一打勝ち越しの場面。

 この試合何度目になるかわからないチャンスに観客席が盛り上がりを見せる中、打席に入ったのはこれまで全くいい所のない五番の増子透だった。

 

―――打てよ増子~!

―――そろそろ青道の力を見せてくれ~!!

―――増子先輩~、お願いします!

―――行け増子! やってやれ!

 

 応援を受け、「うがっ」と気合の叫びと共にバッターボックスに入る増子。

 対する明川のエース、楊瞬臣はふぅと一つ大きな息と共に握っていたロージンをマウンドに落とした。

 一度ランナーへと視線を送った後、セットポジションから投じられたその初球。

 ボール気味のアウトローへのストレートに増子はバットを振るった。

 鈍い金属音が響きわたり、打球はライトへと飛翔する。

 

―――あぁ。ライトフライ。

―――でも深いぞ、これなら……

 

 オーバーフェンスとまではいかなかったが、それでも芯を外したにもかかわらずボールを外野まで運ぶ腕力は流石というべきか。

 ライト白鳥の肩がそこまで強くないということもあり、結城は捕球と同時にセカンドベースを蹴った。見事タッチアップは成功し、これで二アウトランナー三塁。

 そして打席に立つは今大会青道で最も勝負強いバッター。

 六番、滝川・クリス・優。

 

―――いけクリス!

―――お前の広角打法を見せてやれっ!

―――クリス先輩、一本お願いします!

 

 ここまで点が入らず、フラストレーションを貯め続けてきた青道ファンにとっては否が応でも期待のかかる場面。

 にわかにボルテージを上げる青道側の応援スタンドだったが、その張り上げていた期待の声はすぐにざわめきへと変わることとなる。

 クリスが打席に立った直後、キャッチャーが腰を上げたことで。

 

―――おいおいおい。またクリスを敬遠かよ!?

―――初回も敬遠で、四回は明らかに勝負を避けたフォアボール……いや、確かにこれまでのクリスの成績を考えれば当然なんだろうが。

―――でも結城にもそんな攻め方だろ? なんかこう……納得いかないよな。

―――勝負しろよっ! 明川!

 

 スタンドで不満の声が飛び交う一方で、この試合三度目となる四球を告げられたクリスは無言のまま一塁ベースへと歩いていく。

 二アウト、ランナー一、三塁。

 水は刺されたが未だ青道のチャンスであることに変わりはない。

 長打が出れば一気に二点入る可能性もあるこの局面、青道は七番白洲をそのまま打席へと送り出した。

 

             ◇

 

……嫌な流れだな。

 

 試合が行われているダイヤモンドから少し離れた一塁側ブルペン。

 控え投手が肩を温めるその場所で、捕手用のプロテクターに身を包んだ御幸一也は険しい顔で現在青道が置かれている状況をそう評した。

 

……まさか楊の攻略にウチがこうまで手こずるなんてな。

 

 スコアボードに並ぶ0の列。

 これまでの二試合と同じ様にはいかないだろうとある程度予想はしていたが、それでもこの6回まで一点も取れないなど想定の範囲外。

 

……ランナーが出ないわけじゃない。

 

 長打こそ少ないがヒット、またはエラーによってほぼ毎回の様にランナーは出る。

 アウトカウントは増えるものの塁だって進むし、四回には一アウト満塁という絶好のチャンスだってあった。

 だが、

 

……あと一本、点をとるための決定打が出ない。

 

 相撲で例えるなら土俵際ギリギリで堪えられていると言った所だろうか。

 もう一押しすれば勝てるのに、それが出来ないでいる。

 そしてそんな状態がずるずると続き、気が付けば試合も後半。

 決定打不足の原因は、はっきりしていた。

 

……まさか哲さんとクリス先輩との勝負を最初から捨ててくるなんて。

 

 御幸は思い切った明川の作戦に驚きを隠せなかった。

 強力打線が売りの青道ではあるが、当然のことながらその中にも得点源となるキーマンは存在する。一人は、言わずとも知れた不動の四番結城哲也。

 そしてもう一人が復帰した天才、滝川・クリス・優。

 上位打線が作ったチャンスは結城が、クリーンアップが作ったチャンスはクリスが返す。

 このダブルチャンス打線とも名づけるべき打順で、青道はこれまでの二試合で圧倒的な打点を稼ぎ勝利を成し遂げてきた。しかし裏を返せば、それはこの二人に仕事をさせなければ青道の得点力を大幅に削ぐことが出来るということ。

 それを明川は―――いや、楊瞬臣は証明した。

 

……一人でもランナーがいる場合、二人には問答無用で敬遠。ランナーがいない場合でも、最初から四球を前提に置いたコーナー攻め。

 

 先程は外野の守備の乱れによって結城にツーベースを打たれはしたが、当たり自体はシングルヒット。もともとクリスと結城を塁に出すのは覚悟の上なのだろう。

 残りの打者7人でどう3つのアウトカウントを稼ぐか、それのみに焦点を絞って対策を考えてきている。

 

……一歩間違えれば即大量失点につながる危険な賭け。けど明川がウチを無失点で抑えるなら確かにこの方法しかない。

 

 余計な四球を出さないのは勿論、狙った所に打たすことができる精密なコントロールがあって初めて可能となる作戦ではあるが、その分ハマった時の効果は絶大。

 特に今日の楊は何があったのか知らないが、前の試合の時よりもボールにキレがありコントロールも一段とよくなっている。

 いかに強力な青道打線とは言え、今日の楊からクリスと結城を抜きに点数を取るのは中々に骨が折れる作業だった。

 

……ここまで山城の球数は70球。

 

 明川の打線が強くない分、ペースを意識した投球をしていても簡単に三振が取れている。

 このままのペースで行けば9回まで投げ切ることはできるだろうし、もしかしたら延長戦でも十分投げられるかもしれない。

 けれど、それでは意味がないのだ。

 

……次にあたるのは恐らくあの市大三高。ここで山城に疲れを残すわけにはいかねぇ。

 

 となれば当然どこかで継投に入らないといけないのだが、難しいのはそのタイミング。

 このような膠着した試合ではリリーフに上がった投手に多大なプレッシャーがかかる。

 特に山城の完璧な投球の後では、そのかかるプレッシャーも一押しだろう。

 

……監督も難しいとこだよな。

 

 こんな場面でマウンドに上がる投手に求められるのは実力よりも気持ち。

 御幸はすぐ隣で宮内にボールを投げ込む青道の実質二番手投手、川上憲史へと目を向けた。回を増すごとに小動物を連想させるその優しい顔は強張っていき、腕の振りも徐々に甘くなってきている。緊張でガチガチなのは誰が見てもはっきりとしていた。

 

……もともとノリはプレッシャーに強い方じゃねぇからな。

 

 こんな状態ではマウンドに上がったところで、実力の半分も発揮できはしまい。

 川上は特別球が速いわけでも、オンリーワンのボールを持っているわけでもない。

 腕を思いっきり振ることでもたらされるサイドスロー特有のボールの軌道と、低目のコントロールで勝負するコントロール型の総合タイプ。

 それが持ち味を失えば、あっというまに打ち込まれるのは目に見えていた。

 そして交代直後に一明川から一本出れば、流れはすぐさま明川へと行ってしまう。 

 こういう時に適しているのはと、御幸は“そいつ”へと視線を戻した。

 

「わっははっは! 肩が軽い軽い! 今日も調子がいいな~!!」

 

 どんよりとした、青道にとってこの上なく流れの悪い試合展開だというのに流れ? 何それと言わんばかりに肩を回すのは一年生サウスポー、沢村栄純。

 

「ほらほら御幸先輩! 早く構えてくださいよっ!」

「……ここまで来るともう才能だな」

「ん? 何か言ったっすか?」

「何でもねぇよ!」

 

 言葉と共にボールを投げ返す。

 栄純はうきうきとした顔でボールを受け取ると、待ちきれないとばかりに振りかぶった。

 

「っし!」

 

 球の出所が全くと言っていいほど見えない変則フォームから投じられるのは130キロに満たないストレート。けれどその所謂“遅い球”こそが栄純の武器だった。

 ホームベース手前で微妙に変化したボールが御幸のミットへと飛び込んでいく。

 自身のミットから鳴り響く乾いた音と手に残る感触に、御幸は小さく笑みを零した。

 

……やっぱり今日の沢村の調子はわるくねぇ。

 

 いや、悪くないどころか良いとさえいってもいいほど。

 ある程度コースにボールが散り、球にも勢いがある。

 これに四シームと覚えたあの球が加われば、投球の幅は格段に広くなる。

 

……これなら。

 

 胸中に一抹の確信を抱いた御幸の耳に、ベンチから己の名を呼ぶ声が届いた。

被っていたマスクを上げてベンチを振り返れば、そこにはブルペンを見つめる片岡の姿が。

 

……この場面で呼び出し?

 

 ありえるのは次の8番坂井の代打か、もしくは―――。

 とにもかくにも、無視するわけにはいかない。

 すぐにでも次の球を投げたそうにしている栄純の相手を宮内へと任せ、御幸はベンチへと走った。

 

             

         Ⅲ

「監督」

「来たか……」

 

 一塁側、青道ベンチの最前列。

 サングラス越しにグラウンドへと注いでいた片岡は、ブルペンから走ってきた御幸へと顔を向けた。

 青道を率いる監督としてやはりこの試合の展開には思う所があるのだろう。

 元より厳しいその表情は更に一段と厳しく。

 固く胸元で組まれた両腕が片顔の内心を忠実に表していた。

 

「御幸。今の状況がどういうものかわかっているな?」

「はい」

「なら相手の狙いも理解しているな?」

「山城の攻略を諦めての延長狙い……ですね?」

 

 こくりと、片岡は頷いた。

 明川は山城の攻略を諦めている。

 それは明川の打者9人が簡単に9つのアウトを献上した一巡目である程度予想が付き、特に策もなくそのまま変わらずフルスイングで打ちに来た2巡目で確信へと変わった。

 明川は回を重ねれば山城がどこかで必ず交代すると読み、それまで打つ気はないのだと。

 守備の時に見せた結城やクリスとの勝負を避けるという極めてリスキーな作戦も、全ては試合を膠着状態に持ち込ませ山城の後に出てくる投手にプレッシャーを与えるため。

 

「今チームの流れは停滞している。このままずるずると行けば延長までもつれ込むかもしれん、相手の思惑通りにな」

 

 勿論それは片岡の望むところではない。

 

「この回、ウチが点数をとれなければ7回から山城をレフトへと回す」

「っつ!」

「現状でチームのムードを変えるにはそれしかない」

 

 エースをマウンドから下ろす、そのことの意味を片岡が知らない筈もない。

 特に山城はこの6回まで、監督である片岡の目から見てもほとんど満点に近い投球をしてきた。ストライク先行で球数少なく、向かってくる打者を次々と三振に仕留めていく様は一年生ながら正に青道のエースとして相応しいもの。

 だがその完璧さがチームに僅かな緩みをもたらしているのも、また事実だった。

 山城がいれば点数は取られない。

 そんな心の緩みが現在の無得点に繋がっている―――というのは言い過ぎにしても、少なからず関係性があるのは間違いなかった。

 

「山城がマウンドから降りれば否が応でもチームの空気は変わる、試合の流れもな」

 

 これまで完璧な投球を続けてきた山城がマウンドを降りれば、それまで青道が握っていた絶対的なアドバンテージ(点数を与えないという)は喪失する。

 そうなれば明川は元来の作戦通り果敢に点数を取りに来るに違いない。

 もしもそこで明川の勢いを止めることが出来なければ、試合の流れはたちまち明川へと移ってしまうだろう。

 だが逆に完全に抑え、明川の目論見を崩すことが出来れば、

 

「流れはウチに来る」

 

 明川に負けず劣らず非常にリスキーな作戦ではあるが、既に片岡は覚悟を決めていた。

 御幸は驚きこそしたが、片岡の判断に口を挟む気はなかった。

 このまま安全策を取って山城を続投させたところで、点が取れなければどこかで変えざるを得ないというのは御幸も感じていた所。監督が次の回から継投に移るならば、それに従うのが選手の役目だった。

 既にブルペンでは沢村と川上が肩を作って待機しており、両名ともすぐにでも登板できる状態にある。

 よって問題なのは、

 

「御幸。次の回、お前なら川上と沢村のどちらをマウンドに上げるべきだと考える?」

「自分なら……ですか?」

「そうだ。二人をよく知り、実際にブルペンでボールを受けていたお前の意見を聞きたい」

 

 サングラスの内に隠れた片岡の鋭い目が御幸を射抜いた。

 御幸は僅かな逡巡の後、口を開いた。

 

「自分は―――」

 

         ◇

 

 6回の裏、2アウト1、3塁と絶好のチャンスを迎えた青道であったが、結局7番の白洲がフルカウントからセンターフライに倒れたことでこの回もまた無得点に終わった。

 この試合何度目になるかわからない残塁に一塁側スタンドが深い溜息に包まれる中、守備に就くためベンチからグラウンドへと飛び出していく青道の選手を眺めていた一人の観客がそれに気付いた。

 

―――おい! 山城がレフトに向かっているぞ!?

―――なっ!? まじかよ、じゃあマウンドには誰が……

―――キャッチャーもクリスじゃねぇぞ! 

 

 これまでとは違うざわつきに包まれ始めたスタンド席。

 場内のスピーカーに電源が入ると、誰もがそのアナウンスに耳を傾けた。

 

『青道高校、選手の交代をお知らせします。キャッチャーのクリス君に代わりまして、御幸君。レフトの坂井君に代わりまして、ピッチャー沢村君。ピッチャーの山城君がレフト。 6番キャッチャー御幸君、8番ピッチャー沢村君、9番レフト山城君。以上に交代になります』

 

 アナウンス終了と共に球場に訪れた沈黙。

 一拍の空白の後、その沈黙は今日一番のどよめきへと変わった。

 

―――おいおいおい! 青道は何を考えているんだ!? ここでバッテリーを交代!?

―――クリスも山城も代える理由なんてないじゃねぇか!?

―――いくら流れが悪いからって、ここまで好投を続けてきたバッテリーを代えるか普通?

―――これで点数を取られたら監督の責任だぞっ!

―――っていうか、沢村ってあの一年のサウスポーだろ? 例え代えるにしても、何で川上じゃないんだ?

―――確か前の二試合真っ直ぐしか投げてなかったよな? 大丈夫かよ沢村で……

 

 驚愕、憤怒、呆れ、不安。

 様々な感情が入り混じった声がスタンドからグラウンドへと投げつけられる。

 球場の誰もが様々な思惑を持って見つめる中、沢村栄純がマウンドへと上がった。

 




え~。だいぶ投稿が遅れましたが21話です。今後もまったりじっくり、よろしくお願いします。

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