ジャイロボールに夢見て   作:神田瑞樹

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23話

         Ⅰ

 明川との試合を制してベスト8を決めた青道だが、のんびりと勝利の余韻に浸る暇は彼らにはなかった。あくまでも青道の目標は優勝ただ一つであり今日の勝利とて通過点に過ぎない。選手達は勝利の喜びを味わう間もなくベンチを後にすると、準決勝でぶつかる最有力候補である市大三高の三回戦を観る為にスタンドへとその場所を移していた。

 もう間もなく始まるであろう試合にチームメイトが熱い視線を注ぐ中、どういうわけか山城空だけは心ここに非ずと言わんばかりにぼんやりと電光掲示板を眺めていた。

 

「どうした山城? もうすぐ試合が始まるぞ?」

 

 隣に座る後輩の異変にいち早く気が付いたクリスが声をかけると空は緩慢な動きで首を動かした。

 

「あっ。クリス先輩」

「いつになく気の抜けた顔をしているが何か気になることでもあるのか?」

「いや、気になることっていうか……その、クリス先輩」

「なんだ?」

「俺達って勝ったんですよね?」

 

 空の口から出たのは余りにも間抜けな質問だった。

 いつも冷静沈着なクリスもさすがに虚を突かれたのか目を瞬かせた。

 

「今さら何を言っている? 試合が終わる時お前もグラウンドにいただろう」

「それはそうなんすけど……なんてゆーか実感が湧かなくて」

 

 頭の中では勝ったことを理解しているのになぜかその勝利を実感できない。

 これまでにない変な感覚に戸惑う空にクリスはふむと目を細めた。

 

「ちなみに山城。実感が湧かないと言うが他に何か思ったことはあるか?」

「他にですか?」

「あぁそうだ。些細なことで構わないから言ってみろ」

「えっと。こんなこと言うのもあれなんですけど、正直素直に勝利を喜べなかったです。あと自分がレフトにいるのに違和感を感じてたっていうか、何で試合が終わった時にマウンドにいるのが自分じゃないんだろうって思いました」

 

 言葉にしてみると空は自分がおかしくなっていることをハッキリと認識できた。

 試合終了時にマウンドにいなかったことなどシニア時代には何度もあった。

 それこそ登板しないままチームが勝利したこともある。

 けれどそのいずれもチームが勝てば素直に喜ぶことが出来たし、不満に思うことなど一度としてなかった。一年前とはまるで異なる己の変化にただただ困惑するしかない空。

 そんな思い悩む少年の耳に飛び込んできたのは柔らかな微笑だった。

 

「ふっ」

「って! 笑う事ないじゃないっすか!」

 

 抗議の声をあげると、クリスは笑いながら謝罪した。

 

「すまんな。だがお前も段々と自覚が出てきたようだなと思ってな」

「自覚ですか?」

 

 なんのことかわからず首を傾ける空。

 クリスは優しく微笑むと後輩の頭にその大きな右手を置いた。

 

「自分がチームを勝利に導かなければ気が済まない、誰にもマウンドを譲りたくない。自分勝手と言ってしまえばそれまで。チームスポーツにとっては本来マイナスとなるプライド」

「うっ」

「だがエースに必要なのもまたそのプライドだ。また一歩エースとしての道を進んだな山城」

 

 語りかけるその言葉は後輩の成長を喜ぶ気持ちに溢れていて。

 どこととなくむず痒く縮こまる空にクリスはまた笑った。

 そんな青春ドラマもかくやという展開がスタンドの片隅で繰り広げられている間にもグラウンドでは遂に試合が始まろうとしていた。

 西東京予選3回戦 市大三高‐薬師高校

 誰もが市大三高で決まりだった試合はこの後波乱を迎えることとなる。

 轟雷市、この男のバットによって。

 

            ◇

 

 それはまるでミサイルだった。発射台であるそのスイングは気を抜けば見失ってしまうほどに速く鋭く、轟音と共にボールを大空へと射出した。

 打ち出されたミサイルは一般的なホームランの軌道である緩やかなアーチを描くことなく、どこまでも真っ直ぐな軌道で外野スタンドの外にある雑木林の中へと突き刺さる。

 一瞬の静寂の後、音を取り戻した球場はざわめき立った。

 

―――うぉおおお!? また打ちやがったぞあの四番!?

―――これで今日何打点目だあいつ!?

―――ランナーも帰って一点差! まじでこれは市大も危ないぞっ!?

―――あれで一年とか反則すぎるだろっ!

 

 球場中の視線を一身に浴びながら打った選手は一塁へと走り出した。

 ダイヤモンドを回るのは市大のものではない、ストライプのユニフォーム。

 未だ幼さを残す少年が野性味溢れた笑い声を上げてホームを踏んだ時、スコアボードが動いた。

 市大三高10‐薬師高校9

 戦前は誰も予想していなかったまさかの接戦、それも乱打戦。

 スタンドの端で観戦していていた青道の選手達もまた驚きを隠せず、それぞれの形で己の心情を吐露する。クリスは険しい顔でグラウンドから視線を切ると膝元のスコアブックへと視線を落とした。

 

「これで三打数三安打五打点二HR。真中のスライダーを完璧に捉えたことといい、とても一年とは思えないな」

 

 市大の真中と言えば甲子園でもその名を轟かせた西東京でも五本の指に入る名投手。

 特にそのウィニングショットであるスライダーは曲がり幅が大きい上に手元で鋭く変化するため初見で攻略するのは極めて難しい。

 けれど薬師の四番―――それも一年の轟雷市は初対戦でいとも簡単にそのスライダーをライトスタンドへと叩き込み、真中の心をへし折った。

 

……驚愕するべきはやはりあのスイングスピード。限界までボールを引きつけても間に合うあのスイングがあるからこそどんな変化にも対応できている。

 

 今はまだ点数上市大がリードしているが勢いは確実に薬師に傾きつつある。

 大番狂わせがあった場合の状況を想定しつつクリスは青道のエースへと顔を向けた。

 

「どう思う?」

「そうっすね……」

 

 クリスと同じく厳しい目でグラウンドを見下ろしていた空は固まった身体をほぐすために肩を回す。うーんと大きく体を伸ばすと関節が鳴った。

 

「実際に対戦してないんでハッキリとはわからないですけど……多分、あれ相当なバッターですよ。スケールのでかさなら哲さん以上かも」

「轟の名前をシニアで聞いたことは?」

「ないです。三番と五番に入ってる秋葉と三島は確かシニアで対戦したことありましたけど、轟雷市なんて珍しい名前は一度も」

「高校に上がって急激に伸びたのか、それとも中学ではチームに入っていなかったのか……いずれにせよデータが少ないというのは不気味だな」

 

 一発勝負の恐ろしさとでも言うのだろうか。

 高校野球では極稀にこういう怪物が突然現れることがある。

 しかしだからと言って黙ってやられるわけにはいかない。

 

「抑えるぞ」

 

 その一言に全てが集約されていた。

 できるか、ではない。抑えなければ青道に次はないのだから。

 確固たる決意を固めた敬愛する先輩に空は明るく笑いかけた。

 

「大丈夫ですよクリス先輩」

 

 笑いながらもその瞳には熱が。

 隠し切れない炎が宿っていた。

 

「俺はあいつよりも凄いバッターを知ってますから」

 

 

           Ⅱ

 大番狂わせはなった。

 打球を受けた市大のエース真中の途中退場などのアクシデントはあったものの、結局乱打戦を制したのは薬師高校だった。春の選抜ベスト八が三回戦で姿を消したというニュースは世間を賑わせ、新聞のスポーツ欄でも写真付きで大きく報じられた。一躍台風の目として注目を集めた薬師はその後の四回戦でも圧倒的な打力で都立千草を捻じ伏せ準々決勝進出を決めた。

 これによって7月27日の準々決勝は青道‐薬師という大会が始まる前は誰も予想していなかった組み合わせとなったわけだが、予想していた相手と違うからと言って浮つくような選手は青道にはいなかった。

 もしも順番が違えばグラウンドで涙を流していたのは自分達かもしれない。

 そんな想いが選手達にバットを振らせ、足を動かした。

 準々決勝の前日。翌日の試合に備えて全体練習が早めに切り上がった後、空とクリスのバッテリーは日課となる投球練習を今日も今日とて室内練習場で行っていた。

 丁寧に整備されたマウンドの上で振りかぶると空は勢いよく左足を踏み込み、勢いそのままに右腕を振り下ろした。

 

「っち」

 

 リリースの瞬間、舌を打つ音が零れる。

 苦い顔で見送られたボールは生き物の如く唸りを上げてクリスのミットを鳴らした。 

 

「やはりまだ浮いているな」

 

 マスクを外したクリスの言に空は頷いた。

 何度となく右手を握っては開く空にクリスは眉を寄せた。

 

「まだ違和感があるようだな」

「はい」

 

 明川戦の後からというもの空は珍しくコントロールを乱していた。

 怪我をしたわけでもフォームを崩したわけではない。

 ただどうも細かなコントロールが定まらずボールが散らばってしまう。

 

……大阪桐生との試合の後辺りから指先の感覚が鋭くなってきているとは言っていたが。

 

 この準々決勝の直前に来て更にそれが鋭くなるとはクリスも考えていなかった。

 投手の指先感覚は主観的な部分が大きい。

 プロの投手でさえ少し間隔が空けば狂ってしまうほどに繊細なものである以上、成長期にある高校生がふとした切欠で違和感を覚えても不思議ではない。特に一般の投手よりもより細かな指先感覚を必要とするジャイロボーラーならば尚のこと。

 

……だが多少の感覚の誤差ならばこれまで山城はすぐに対応してきたはず。

 

 それが三日経ってもアジャスト出来ていないということはそれだけ誤差が大きく―――山城の言葉を借りるならば感覚が鋭くなってきているということ。

 

……ボール自体は決して悪くない。いやそれどころか徐々に球威もノビも増しつつある。

 

 測ってはいないが球速もいくらか上がっているかもしれない。

 恐らくもう少し時間があれば山城も今の感覚に慣れるのだろうが生憎と試合は明日。

 

……明日までにどこまでズレを埋められるか。

 

 それが対轟―――ひいては対薬師の鍵となる。

 空もそのことを理解しているのだろう。

 エースとしての自覚が芽生え始め、轟雷市という明確な敵を見つけて闘志を燃やしていたからこそ余計に自分の状態に納得がいっていない。

 

……本当なら適当なとこで切り上げるべきだが。

 

 今の精神状態のまま試合を迎えればマイナスにしかならないのは明白。

 明日に響かない程度に好きなだけ投げさせてやるかとクリスがもう一度マスクを被ろうとした、その時だった。

 

……うん?

 

 誰かの視線を感じて入口へと振り返る。

 先程まで閉まっていたはずの扉が少しだけ空いていた。

 人一人も通れないであろう隙間から見える外の風景。

 遠目ながらも暗がりへと消えていくその背中は見覚えがあって。

 

……丹波?

 

 なぜここにという疑問は後輩の催促で掻き消された。

 

「クリス先輩。もう一球お願いします!」

「あ、あぁ」

 

 後ろ髪を引かれながらもクリスはマスクを被り直してミットを構えた。

 

「確認しながら大事に投げてこい」

「はい!」

 

            ◇

 

 空が投球練習を行っているのとほぼ同時刻。

 私立薬師高校の野球部部室では翌日の試合に向けたビデオ鑑賞が行われていた。

 薄型液晶全盛の現代では最早見慣れなくなった小型ブラウン管テレビの画面に映るのは先日の明川と青道の試合。マウンドで躍動する若き青道のエースの姿に驚きの声を上げたのは同じ薬師のエースだった。

 

「うおっ!? すげぇストレート。これで一年かよ」

 

 画面越しでもわかる圧倒的な迫力。

 こりゃ点取るの大変だわとぼやきつつも決して諦めた様子のない真田に、薬師高校野球部監督轟雷蔵は無精髭を撫でた。

 

「山城空。シニアからブイブイ言わせてたいわゆる野球エリートってやつだ」

「ブイブイって……今時そんな言葉使わないっすよ監督」

「るせっ! で、どうだ雷市。ちゃんとイメージは掴めたかよ?」

 

 ジェネレーションギャップを痛感しつつ、雷蔵は背後の我が子を振り返った。

 むしゃむしゃとバナナを口一杯に頬張りながら画面に熱い視線を注ぐのは薬師の四番にして一躍その名を知らしめた怪物轟雷市。

 小柄といっても差し支えない未だ成長途中の少年は画面の中でまた一つ山城空が三振を奪うと野性味溢れた笑いを漏らした。

 

「カハハ。こいつスゴイ……ビデオだけじゃイメージしきれない」

「ちっ。まぁさすがにジャイロボールなんてしろもんは実際に対戦してみなけりゃわかんねぇか。けどわかってんだろうな雷市? 明日の試合はいつも以上にお前が鍵になってんだからな。市大の時みたいに一本打ってエリート様のプライドを粉々にしてやれ!」

「……早く。早く青道と戦いたい。ぜったい、絶対山城ブッ飛ばす!」

「全国でも注目を集めている山城を打てば一躍お前がスターだ。そうすりゃプロのスカウトも見に来るしプロ入りの契約金だってガッポリ! 俺の借金だって返せるしお前も豚カツ喰い方って寸法よ!」

「と、トンカツ!? 喰い放題!? う、うぉおおおおお!!」

 

 外まで響くのではないかと思うほどの大音量で叫びながら雷市は立て掛けていたマスコットバット片手に部屋を飛び出した。

 開けっ放しになった入り口から室内へと聞こえて来る叫び声と風切音。

 このまま放っておけば倒れるまでやっていそうな勢いに真田は呆れ顔だった。

 

「……明日試合ですけどほうっといていいんすか?」

「ほっとけほっとけ。ビデオでイメージできない分はバットを振って補うしかねぇんだからな。それより真田。お前わかってんだろうな?」

「何を……って聞くまでもないっすよね」

 

 困ったように頭を掻く薬師のエースに雷蔵はにやりと笑う。

 

「青道との試合の鍵が雷市であることに間違いはねェが正直いくら雷市でも山城相手に市大の時みたく大量得点を取るのはまず無理だ。つまり守りが重要になるわけだが三野じゃあ青道打線を相手するにはちと荷が重い。真田、明日の先発はお前だ」

「三野さんにはここまで随分と楽させてもらいましたからね……やりますよ」

 

 四回戦まで先発だった三年生の三野はハッキリ言って能力的に優れた投手ではなかった。

 けれど彼がいたからこそ真田は負担が少ないリリーフに専念し痛めていた太ももを完治まで持っていくことが出来た。

 先輩のお蔭で立つことが出来る明日の先発マウンド。

 

「激アツじゃないっすか」

 

 それはエースの心に火を付けるには十分すぎる着火剤だった。

 

 

         Ⅲ

 7月27日午後一二時五五分。

 まもなく始まる西東京の四強を決める準々決勝。

 その対戦は六年ぶりの甲子園出場を狙う名門青道と一躍台風の目となったダークホース薬師という奇しくも真逆のぶつかり合いとなった。

 大会が始まるまでは誰も予想していなかった異色の対戦に興味を持つ人間は多く、まだ試合前だというのに球場は溢れんばかりの観客で賑わっていた。

 

―――もうすぐだな。

―――あぁ。順当にいけば青道だろうが波乱を起こすとしたらあいつだろう。

―――薬師の轟な。前の試合見たけどすげぇ距離のHR打ってたぜ!

―――ここまでパーフェクトで来た山城相手に真中を打ち砕いた轟がどこまで食い下がれるか、今日の試合はそこが鍵になるだろうな。

―――どっちが上なんだろうな? あぁ! 早く見たいぜっ!

 

 ざわつくスタンド席。

 高校野球ファンの間で交わされる話題は主に青道のエースと薬師の四番についてだった。

 シニアから飛び抜けた成績を残し入学から僅か数ヶ月で名門青道のエースにまで上り詰めた天才山城空。一方、全くの無名ながらも市大の真中を粉砕しここまで大会随一の打撃成績を記録している薬師の怪物轟雷市。

 まだ一年ながらも共に傑出した成績を残す怪物二人の対決はメディアでも取り上げられ、この試合が注目を集める要因の一つとなっていた。

 熱気冷めやらぬ中電光掲示板に両校のスターティングメンバーが発表される。

 

先攻 薬師高校

一番 4福田

二番 9山内

三番 3三島

四番 5轟

五番 7秋葉

六番 1真田

七番 2渡辺

八番 6小林

九番 8大田

 

 

後攻 青道高校

一番 6倉持

二番 4小湊

三番 8伊佐敷

四番 3結城

五番 5増子

六番 2滝川

七番 1山城

八番 7坂井

九番 9白洲

 

 

 午後一時ちょうど。

 準々決勝が始まった。

 




23話のまとめ
1.クリス先輩マジイケメン
2.空君なでポの餌食となる
3.怖いよ丹波さん

……冗談です(でも嘘は言ってない)


あと、原作を読んだ作者が思う轟雷市のステータス(Cで甲子園出場選手レベル)

轟雷市(1年)
右投げ左打ち 三塁手 172センチ 62キロ
ミートS パワーA 走力B 肩C 守備F エラー回避E
特殊能力:アベレージヒッター、パワーヒッター、威圧感、初球○、打撃信頼感、送球2

多少水増ししてるかもしれないけど、実際こんなもんだと思う。そりゃ原作の中でチート扱いされますわ(この作品の主人公も似たようなものだというのは秘密)。


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