ジャイロボールに夢見て   作:神田瑞樹

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24話

 

              Ⅰ

 大観衆の見守る中始まった青道‐薬師による準々決勝。

 その初回、薬師高校から始まったその攻撃は見守る誰もがいささか予想外の展開となっていた。スタンドのあちこちからざわめきが漏れる中、マウンドに上がる青道の若きエース山城空はプレートを外して肺に溜まった空気を吐き出す。

 左を向けばランナー、後ろを向いてもランナー。

 1回の表、一アウトランナー1、2塁。

 それが今青道の置かれている状況だった。

 そう。つまるところ初回から空はいきなりピンチを迎えていた。

 この準々決勝まで一人のランナーも許していなかった怪物の突然の豹変にスタンドからは困惑の声と野次が飛んだ。

 

―――おいおいおい。大丈夫かよ。

―――いきなり先頭バッターを歩かしたと思ったら続く二番も四球。三番は何とか三振に仕留めたけど……

―――どうもコントロールが定まってないみたいだな。さっきから肩を回してるぞ。

―――次のバッターはあの轟だし、こりゃひょっとしてひょっとするか?

―――こらぁ山城ー! これまでの制球力はどうしたぁ!?

―――せっかく見てきてやったんだから舐めた投球してんじゃねぇぞぉ!?

 

 随分と好き勝手なこと言ってるなと空は半ば他人事のように思った。

 今大会初めて迎えたピンチだというのにその顔には焦りの色はなく、ともすれば冷めていると思われかねないほどにその所作は落ちついていた。

 ロージンのついた右手をグッと握りしめる。

 

……この感覚にもだいぶ慣れてきた。

 

 最初は鋭すぎて戸惑った指先の感覚も昨夜の投げ込みの成果なのか、完全とは言えないまでもイメージと実際の感覚のズレが小さくなってきた。実戦とブルペンの差から先頭二人を歩かすことにはなったが、これからはもう少しボールをコントロールできるという自信はある。

 けれど。

 

……イマイチしっくりと来ないんだよな~。

 

 歯車が噛みあわないとでも言えばいいのだろうか。勝ちたいという気持ちも絶対に抑えたいという気持ちも確かにある。

 あるのだが、いざこうして実際の試合のマウンドに立ってみるとどうもそういった気持ちと身体が結びつかない。その妙なズレが空に違和感を与えていた。

 

……まっ。ここでウダウダ気にしていても仕方ないか。

 

 何せ次のバッターは大本命。

 その大本命が遂に左バッターボックスへと入った。

 

「カハハハ」

 

 笑い声と共に薬師の四番轟が構えへと入る。特段特徴があるフォームではない。

 やや右肩を内へと引いたスタンダードなフォーム。

 けれどその小柄な体から放たれる威圧感は決して並ではなかった。

 

……へぇ。

 

 実際に対峙してわかるこの迫力、この圧力。シニア時代何人もの天才と呼ばれるバッターを相手にした空だが、対峙しただけでそのスケールの大きさを感じとれた打者は片手の指にも満たなかった。

 つまり轟雷市はそれほどの打者ということ。

 

……初球はインハイへ外す四シームジャイロ。

 

 出されたサインに素直に頷く。

 視線でランナーに牽制を入れてから空は左足を踏み出した

 

―――ボール。

 

 多少クリスが構えていた位置から外れたもののほぼ要求通りのボールがミットを鳴らす。

 纏まってきたコントロールに手応えを感じる空が打者の反応を伺うと、

 

「うぉおおおおお! ボールがギュ~~ンって、グ~~ンって上がってきたっ!? スゲェ、スゲェぞ!」

 

 やかましく叫び声を上げて身体を震わす轟に空は自身のチームメイトの姿を重ねた。

 なんていうかそっくりだった。擬音だらけなところとか、無意味に叫ぶあたりとかが特に。あぁきっと馬鹿なんだろうな~と察しつつ、今のボールに全く反応を示さなかったことに考えを巡らした。

 

……初見であのボールに反応しないってことはちゃんと見えてるってことか。

 

 並のバッターなら初めてジャイロの伸びるボールをインハイに見ればまず仰け反る。

 ある程度実力を持ったバッターならば例えボールでも思わずバットが出る。そのどちらもないということはしっかりと球の軌道が見えているということに他ならない。

 

……二球目はアウトロー。

 

 球種は同じ四シーム。

 恐らくはどこに意識を置いているのかを探るための調査。

 空としてもそれに異論はなくセットポジションから右腕を振り下ろした。

 指先から離れた百四十キロを優に超える白球はホームへと直進し、金色の一閃によって弾き返された。

 

「なっ!?」

 

 驚愕の声はバットの金属音に掻き消される。レフトへと空が身体を翻すと打球は既にサードの頭を超えていた。角度のついたライナーが勢いそのままにグングンと飛翔距離を伸ばし、あわやレフトスタンドという直前でポールの左を通過した。

 

―――ファールボール

 

 溜息と安堵の両方がスタンドから零れ落ちる。

 空は半ば呆然という顔でホームへと振り返った。

 決して悪いボールではなかった。多少内に入りこそしたがそれでも外角の低目という長打が出にくい筈のボールを轟は流しただけであそこまで持っていった。

 

……ホームランにならなかったのは単なる偶然。

 

 結果だけで言えばストライクカウントが一つ増えて投手は楽になり打者は苦しくなった。

 しかしこと内容という観点で見るならば真逆。少なくとも先の一球に限って言えば間違いなく轟雷市は山城空を上回っていた。

 

……完璧に負けたって思ったのはいつ以来だ?

 

 高校に上がってからは記憶にない。多分、最後に思ったのは一年前。

 シニア時代、全中優勝後に行った一打席勝負。

 チームメイトが見つめる中行った親友との勝負の結果は―――

 

……ホームランだった。

 

 空の中で、歯車が噛み合う音がした。

 

 

          Ⅱ

 先頭二人を歩かせるという最悪の立ち上がりを迎えた空だが、実際にボールを受けるクリスは外野ほど大きな心配はしていなかった。

 球自体には力がありコントロールも球数を放る毎に良くなってきている。

 空本人が冷静だということと、ここで下手にマウンドに向かえば相手に付け入る隙を与えかねないという判断からあえてクリスは沈黙を保っていた。

 

……とは言えさすがにここは一言かけるか。

 

 四番の轟がレフトへと放った大ファール。外の難しい球をやや振り遅れつつも真芯で捉えたそのミート技術はクリスをしても驚異の一言でさすがに打たれた空にも動揺の色が見られた。ここで対処を間違えれば真中の二の舞になりかねないという判断からクリスが立ち上がろうとした、その時だった。

 

 ぞくりと、背筋に悪寒が走ったのは。

 

「っつ!?」

 

 気が付けば立ち上がるために伸ばそうとした両膝は中途半端に曲げられたまま固まっていた。まるで金縛りにあったかのように体が動かなかった。

 唯一まともに動く目だけを動かしてクリスはマウンドを見た。

 

……山城?

 

 主審から新しいボールを受け取ってマウンドをならす空の顔にはさっきまでの動揺は微塵も感じられなかった。いつも通りの表情と声で守備に声をかけランナーを牽制する。

 一見すれば単に落ち着きを取り戻しただけとも思える姿。

 

……違う。

 

 けれどクリスにはわかった。誰よりも近くで山城空を見つめてきた滝川・クリス・優だからこそ気付いた。これまでと何かが違うと。

 今目の前ではとんでもないことが起きているのだと直感していた。

 

「君、どうかしたのかね?」

「いえ、何でもありません」

 

 変な姿勢で硬直したクリスを不審に思った主審の言葉で金縛りは解けた。

 マウンドを気にしつつも上げかけた腰を下ろし配球を考える。

 

……さっきの打球。ある程度外にも意識は置いていたようだが外一本で待っていたにしては僅かにスイングが外を通っていた。恐らくはコースを絞っているのではなくストライクゾーン全体に均等に意識を置いている。

 

 カウントが若い内はコースを絞って狙い撃つというバッティングの基本とは真逆だが裏を返せばそれだけ自分のミート力に自信があるということ。

 

……ここは一球打ち気を逸らしておくべきか。

 

 落ちるツーシームジャイロか抜いたチャンジアップか。

 どちらにせよタイミングの合っていた四シームを続ける選択は有り得ないと結論付けた時、マウンドで静かにサインを待っている筈の空が動いた。右手で肩や帽子のツバを触り最後は拳を胸元へ。いつものルーティーンとは明らかに異なるその行動の意味は、

 

……投手用のサイン。

 

 どうしても投げたい球種がある時や、万一の時にと半ば保険として決めた投手からのシグナル。シニア時代から一度として使用したことのなかったそれを使って空が要求したのは。

 

……四シームだと?

 

 それもコースはど真ん中という暴挙。一体何を考えているんだと思わず口から零れそうになる言葉を何とか呑み込む。真剣だった。空の瞳はこの上なく真剣にクリスに訴えかけていた。

 

―――真正面から勝負がしたい、と。

 

 空からサインを出すことも初めてならば、試合中にそのような我が儘を言うこともまた初めて。明らかに空の中で何かが変わっていた。

 その変化が好ましいものかどうかはさて置き、今は大事な試合中。投手が暴走気味ならばそれを抑えるのが女房役である捕手の役目である以上、クリスは出されたサインに対して首を横に振らなければならない。

 ならないのだが、

 

……俺もまだまだ甘いな。

 

 このピンチの場面で投手の我が儘を咎める所か逆に喜ばしく思ってしまうなどチームの大黒柱である捕手としては失格もいいところ。これは確実に後で監督から怒られるなと苦笑を浮かべつつクリスもまたサインを出す。

 全力で来いと言うサインを。

 出されたサインにマウンドの空は一瞬目を大きく見開くとすぐに真剣な表情で頷き、軸足となる右足をプレートにかけた。そして左足を“後方”へと引いたかと思えばその両腕を大きく“振りかぶった”。

 

―――はぁ!?

―――まじかよっ!

―――ランナーがいる場面でワインドアップ!?

―――ランナー走れっ! 

 

 青道、薬師、観客といった立場の違いなど関係なく球場にいる誰もが驚愕を隠せなかった。ランナーとして出ていた薬師の選手はまさかの事態に一瞬呆気にとられたものの、ベンチからの声を受けて二人ともスタート。しかしそんなのは関係ないとばかりに空は腕を振り下ろした。指先から放たれたボールがホームに向かって直進する。

 その進むコースは内でも外でも高目でも低目でもない、正真正銘のど真ん中。アウトローのボールをスタンド近くまで運ばれたことを考えればとんでもない暴挙、愚策。けれどそのボールはこれまで投げたどんなボールよりもノビて、そして速かった。

 風切り音を上げるバットの上をすり抜け白球がミットを揺らす。

 

―――ットライクー!

 

 審判がコールする頃にはランナーは次の塁へと進んでいた。

 一アウトランナー2、3塁。一打で二人帰ってくるというストライク一つを取るためにしては余りにも大きすぎた犠牲。だがそんなものは関係ないとばかりにバッテリーは同じボールを繰り返す。

 四球目。ワインドアップから投げられたボールはやはりど真ん中への四シーム、ボールはホームベース上でバットに当たると三塁側ファールグラウンドへと大きく切れていった。

 続く五球目、六球目、七球目も全て同じボール、全て同じど真ん中への四シーム。

 五球目は三塁側ベンチへ飛び込むライナー、六球目は当たり損ねの観客席に飛び込むファールフライ、七球目は三塁ファールグラウンドへと転がる緩いゴロ。

 三つのファールが続きカウントは依然1‐2から動かなかった。

 

―――おいおい真っ直ぐ一本かよ。

―――落とせば簡単に三振を取れるんじゃねぇのか?

―――コースもど真ん中ばっかとか。なに考えてるんだあのバッテリー!?

 

 ど真ん中真っ直ぐへの一本勝負というバッテリーの暴挙に青道のスタンド席からは不満の声が漏れる。けれどそんな声は一球また一球とボールが投げられる度に、球数を経るごとに轟のバットが少しずつ差し込まれその顔に焦りの色が強くなっていく度に小さなものへとなっていく。

 

―――な、なぁ? 段々と轟が差し込まれてきてねェか?

―――あっ、あぁ……それに見間違いじゃなきゃ一球毎に段々とボールが速くなっているような……

―――よくわかんねぇけどこれって凄いんじゃないのか?

―――だよな!? それにこうっ、なんか観てて気持ち良いし!

―――こうなったら三振取るまでいっちまえぇ!!

 

 スタンドでは不思議な高揚感が生まれつつあった。

 とある数人の胸から生まれたその高ぶりは次々と周囲へと伝染していき、十球目を数える時にはスタンドのほぼ全域を覆い尽くさんとしていた。

 

『さ~んしん! さ~んしん!』

 

 始まる三振コール。グラウンドにいる選手達でさえも少し顔を顰めてしまいそうになるほどの大合唱が球場中に響き渡る中で遂にその時は来た。

 十一球目、やはりど真ん中への四シームに轟のバットが空を切った。ボールがミットに収まった直後、球審が右手を上げる。けれど告げられるべきコールは歓声によって呑み込まれた。

 

―――うぉおおお! 三振っ!

―――マジかよっ!? ほんとにど真ん中真っ直ぐで三振取っちまいやがった!?

―――すげぇ! すげぇよ!

―――お、おれ鳥肌が止まらねぇよ!

―――やましろく~ん!!

 

 たった一つの三振を奪っただけだというのにスタンドは半ばお祭り騒ぎ。

 観客達が余韻に浸っている間にも次の五番秋葉はあっさりと三振を喫し薬師の初回無得点が決まった。無数のフラッシュとシャッターの嵐を浴びてマウンドを降りる空だがその顔に笑顔はなかった。子供が母親の大事な皿を割ってしまったかのような、どことなく気まずげな顔でクリスの下へと歩み寄っていく。

 

「クリス先輩。その、俺……」

「試合が終わったら二人で反省会だな」

 

 優しく後輩の頭に手を置いて微笑むとクリスは顔を上げた。青道のダッグアウト最前列ではチームのトップが腕組みをしながら難しい顔でバッテリーを待っていた。

 

「山城、クリス……」

「わかっています」

 

 サングラス越しでもわかる鋭い視線を注がれるもクリスはたじろかなかった。何か言いたげな空を右手で制し、どこまでもまっすぐに片岡と見つめ合った。

 張りつめた沈黙が続いて数秒。

 ふんと片岡は鼻を鳴らした。

 

「試合を私物化した責任はとってもらう。試合が“終わった後”にな。だからこの試合はお前達で勝負を付けろ」

「はい」

 

 

         Ⅲ

 五番の秋葉が三振に喫して三つ目のアウトカウントランプが赤く灯ると、ネクストサークルに控えていた真田は下ろしていた腰を上げた。薬師高校二年、六番にしてエース真田俊平。彼は絶好のチャンスに尽く凡退したクリーンナップに悪態一つ漏らすことなくベンチに戻るとバットを置き、自分のグローブに手を伸ばした。

 

……初回にウチが点取れなかったのって多分初めてだよな?

 

 爆弾トリオをクローンナップに据えた今のオーダーになってから初回に点数が取れなかったことが初ならば六番の自分まで打席が回ってこなかったのもまた初めて。

 今までの相手とは違うことを痛烈に感じつつマウンドへ向かおうと身体を反転させた時、真田は未だバットを握ったままマウンドを見つめる雷市の姿に気が付いた。

 

……ったく。

 

 高校野球の交代時間は限られている以上あまりモタモタはしてられない。仕方ないとばかりに肩を竦めると真田はベンチに置いてあった内野手用のグローブを手に取り後輩の胸元へと押し付けた。

 

「ほら行くぞ雷市」

「サ、サナダ先輩」

「今日はこの前みたいにポカすんなよ?」

「うっ、ウッス!」

 

 慌ててベンチを飛び出していく背番号二〇。いつも通りの全力疾走で守備位置へと向かうものの、その後ろ姿にはどことなく覇気がない。

 

……やっぱ気にしてんのか?

 

 さっきの打席の三振を。マウンドに上がった真田は土をスパイクでならしながらチラリとその目を青道のベンチへと向ける。

 

……まさか雷市を真っ向勝負で抑えられるヤツがいるなんてな。

 

 青道のエースがすごいのは知っていたが雷市ならばきっと何とかしてくれると思っていた。けれど実際はど真ん中の真っ直ぐ勝負という誰が見ても明らかな形で雷市は捻じ伏せられた。後輩の凄さを良く知るだけにそれを圧倒した山城の実力がよくわかる。

 

……あれでまだ一年とかヤバすぎだろ。けど。

 

 規定球の投球練習を終えるとバッターボックスに青道の一番倉持が左打席に入る。

 ふぅ吐息を吐き出し真田はプレートに右足をかけた。真田俊平は楊のような精密なコントロールを持っているわけでも、空のような強力なストレートを持っているわけでも、真中の様な決め球となる変化球を持っているわけでもない。

 ムービングを主体にした好投手ではあるがそれだけであったなら全国でも上位に入る青道打線と戦うことは出来なかったに違いない。

 本来の実力差を埋めているもの。

 それは―――

 

―――負けねぇよ一年にはっ!

 

 投手としての心の強さに他ならない! 

 右腕が振り下ろされる度に本人の内面を表しているかのような荒々しいボールが指先を離れホームベースへと突き進んでいく。

 シュート、カットボール、そしてストレート。

 決して完璧にコントロールされたボールではなかった。けれど効果的に内角を使った投球が青道上位打線のバットを尽く詰まらせた。三つのアウトカウントを取るために費やした球数は十球。十球目のシュートで三番伊佐敷をショートゴロに仕留めるとスコアボードに0が刻まれた。

 青道と薬師の試合は初回共に無得点からのスタートとなった。

 




お気に入り2000突破ありがとうございます。今後もまったりじっくり頑張っていきたいと思います。
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