ジャイロボールに夢見て   作:神田瑞樹

26 / 38
25話

        Ⅰ

 薬師と青道、共に強力打線を有する両校。しかし大方の予想を裏切り中盤にさしかかってもそのスコアに未だ動きはなかった。4回の表開始時で0‐0というスコアレス。バッターボックスにはこの回の先頭打者である薬師のクリーンナップの一翼、三番三島が入っていた。薬師ベンチから飛ぶ応援なのか野次なのかわからない声を耳に入れながら空は指先で遊ばしていたロージンバックをマウンドへと落とした。

 

……随分と怖い顔してるな。

 

 普段よりも対峙する打者の細かな部分が良く見えた。表情筋は強張り、速球に対応するためなのかその左足は絶え間なくステップを踏んでバットは小刻みに揺れている。明らかに変化球を捨てた、四シームのみに的を絞った構え。

 カウントが0‐2と圧倒的に投手有利なことを考えればここは二シームかチャンジアップで打者のタイミングを外すのがセオリー。

 出されたサインに頷き、空は両腕を振りかぶる。

 

「ふっ!」

 

 投じたのは伸び上るような“四シーム”ジャイロ。相手の待ちを知りつつもあえて狙い球を放るという強気な配球はともすれば己惚れにも思える。けれど140キロ後半にもなるその己惚れは振るわれた銀色のバットの遥か上を通過し、インハイに構えられたミットへと飛び込んだ。

 

―――ットライク! バッターアウト!

 

 まだ試合の中盤に差し掛かったばかりだというのに本日8度目となる三振コール。

 初回の乱調は何だったのかといわんばかりの圧倒的なピッチングにスタンドは歓声の海に沈んだ。

 

―――うぉおおお!! 三振、また三振っ!

―――10個のアウトの内8個が三振とかヤバすぎだろっ!? 相手はあの市大を打ち崩した打線だぞっ!?

―――な、なんかよくわかんないけどとりあえず凄いっ!

―――次のバッターはまたあの轟だっ!

―――今度はどんな配球になるんだろうな? さすがにもうさっきみたいな配球はないだろうけど。

―――あぁ。轟も二打席目だしな、あいつならもう山城の真っ直ぐに対応できるようになっててもおかしくないぞっ!

 

 ざわざわとまるで地鳴りのような音を上げてその時を待つスタンド。

 そしてネクストサークルから轟雷市が本日二度目となるバッターボックスに入ると歓声とシャッターの音が一段と大きくなった。

 

「打つっ! ゼッタイ!」

 

 気合と共に轟がバットを立てる。その構えは一打席目の時と比べてややトップが下がり、右足の位置は少し投手寄りへと変わっていた。三島ほど露骨ではないが間違いなく四シームの伸びと速度に対応するための工夫。

 きっといつもならば一筋縄ではいかないと気を引き締めてコーナーを突いたに違いない。

 けれど今は―――

 

「……悪いな轟」

 

 マウンドで小さく呟いて投球動作へと入る。クリスからのサインはない。

 自分の内心を当たり前の様に察してくれた先輩に尊敬と感謝の念を改めて抱きながら空は右腕を振り下ろした。指先から生み出されたのは山城空の代名詞、四シームジャイロ。

 漫画なら“ゴウッ”という擬音でも付きそうな豪速球は出されたバットに掠ることなくミットの構えられていたストライクゾーンど真ん中へと突き刺さった。

 

「ストライクッ!」

「っつ!」

 

 叫ぶ余裕もないのか、それともそれだけ集中しているのか。轟は野性味溢れた三白眼を大きく見開くとすぐにバットを構え直す。パッと見では先と何ら変わらないフォーム。

 けれどその中に隠された些細な変化を見つけ、空は僅かに口元を弛めた。

 

……また少しトップが下がったな?

 

 注視していなければ見落としてしまうほどの極々小さな変化。きっと轟自身も気付いてはいない、四シームに対応するために身体が勝手にとった無意識での行動。

 しかしそんな小さな修正では最早意味はなかった。

 

……軽い。

 

 身体が軽い。無理に力を入れなくても縫い目が指にかかりボールが走る。

 スピードガンなどなくとも自己ベストの152キロを更新していると確信できるほどに四シームジャイロがよく走った。今ならかのボンズさえも抑えることが出来るという愚かな錯覚さえ抱いてしまうほどの全能感が空の全身を包み込んでいた。

 カウント0‐1となった二球目。

 初球と同じ、ノーサインからのど真ん中四シームに再びバットが空を切る。

 明らかに振り遅れたスイング、強張る表情。

 それは見ている者に今の両者の立場をわからせるには十分だった。

 

―――おい誰だよ? もうさっきみたいな配球はないって言ったのは。変化球どころか全部ど真ん中への真っ直ぐじゃねェか!

―――知るかよっ! つーか圧倒的すぎるだろっ!?

―――何キロ出てるんだあの球? 轟の時だけ明らかにスピードが違うぞ。

―――スピードガン持ってるやつはいないのかよ!?

―――すげぇ! 本当にすげぇよ!

 

 スタンドからは様々な声が漏れた。実力伯仲の名勝負を期待していた往年の高校野球ファンからは戸惑いの声が漏れ、メディアの報道につられる様にして球場を訪れた人間からはただただ純粋な賛辞が飛ぶ。僅か二球で追い込んだ後、クリスから投げ返されたボールを受け取った空は間を置くことなくプレートに右足をかけた。

 三球目、そのボールもやはり同じで結果もまた同様だった。ミットへと突き刺さる白球、空を切るだけに終わったバット。

 繰り返される光景の中で唯一違ったのは審判のコールだけ。

 

―――ットラク! バッターアウッ!

 

 この回二つ目となる赤いランプが掲示板に灯り、この試合九個目になるKがスコアブックへと刻まれる。打席から注がれる気の抜けた眼差しを感じながら空は帽子を目深に被り直した。

 

……悪いな轟。もうお前は敵じゃねぇ。

 

               ◇

 

 野球というスポーツにおいて一人の選手の出来が試合の勝敗を左右するという事例は実のところそれなりに存在する。平均レベルが高いプロの世界ではそう多くはないが、実力のブレ幅の大きいアマチュア―――それも学生野球では一人の飛び抜けた選手の出来がそのままチームの勝敗に繋がるということは決して珍しくはない。

 特に部員数が少なく決して一人一人の実力が高いとは言えない学校なら尚のこと。

 薬師高校の場合、いまだ一年の轟雷市こそがチームの命運を握るカギの役目を担っていた。守備の面では粗が多くこれまでに犯した失策も数知れないが、それを補って余りあるほどの打力が小柄で内気な少年をチームの顔へと押し上げた。

 どんな劣勢であっても轟にさえ回せば何とかなる、きっと打ってくれる。

 例え言葉にはせずとも共有するその想いがそれまでほとんど無名だった薬師高校をこの準々決勝まで押し上げてきた原動力。それはプラスに働く一方で、時としてマイナスにも働いてしまう諸刃の剣に他ならなかった。

 4回の表2アウト。まだ試合が劇的に動いたというわけではないのに薬師ベンチには重苦しい空気が流れていた。やばいなと、ベンチに腰かける轟雷蔵は大して暑くもないのに頬から汗を垂らした。

 

……まさか雷市がこうも相手にならねぇなんてな。

 

 ビデオを見た段階からある程度の苦戦は予想していた。山城空のことを野球エリートと皮肉りはしたが決して侮っていたわけではなく、むしろ十分すぎるほどの警戒を持って雷市に準備させたはずだった。しかし結果は二打席続いての三振。それもハッキリと実力差を見せつけられての凡退は雷市本人だけでなくベンチ全体にも影響を及ぼしていた。

 

……関東大会での試合も見たがいくら何でもここまでのピッチングはしてなかったぞ、おい。 

 

 この試合まで本当の実力を隠していたのか。だがそうだとすれば初回の乱調に説明がつかない。山城のピッチングが変わり出したのは雷市の対戦の途中、あわやホームランという大飛球の直後のこと。もしやと雷蔵は濡れた手の平を強く握りしめた。

 

……雷市のヤツがただでさえとんでもねぇ怪物を進化させちまったのか?

 

 

          Ⅱ

……覚醒。

 

 6回の裏。ネクストサークルで片膝を立てたクリスは真田と増子の対決を目で追いつつもその思考は別のことに―――すなわち相方の空のことについて割かれていた。

 初回に二つの四球を出して以降、空のピッチングはそれこそ神懸かりと呼ぶに相応しいものだった。5回に不運なあたりの内野安打を許したことでこの試合まで続いていたノーヒット記録こそ途切れたものの、上位打線を力で捻じ伏せ下位打線を球数少なく打ち取るピッチングは正に圧巻。特に轟を相手にした時などコースはともかく、球の質自体はクリスをして唸らせるほど。

 

……この試合でついに大空に飛び立つか山城。

 

 例えば沢村に見せた比類なき強肩。

 例えば結城がバットを振ることすら叶わなかった四シーム。

 例えば関東大会で見せたルーキーらしからぬ好投。

 春先にボールを受けたクリスがそう遠くないと予期したように基礎となる下地は空が高校に上がった時点で半ば出来上がっていた。ただ肉体面が整いつつあった一方で精神がそれに追いついていなかったのだが、この数か月で状況が大きく変わった。

 

……エースとしての自覚。青道という環境が山城に投手として大事なものを与えてくれた。

 

 たった20しかない背番号を求めて行われる熾烈な競争。

 ベンチ入りを外され涙を流した先輩達。

 どれだけ実力差があろうと決してエースの座を諦めない同級生。

 不慮な事態から突然与えられたエースナンバー。

 様々な要素が絡み合い空にエースとしての自覚を芽生えさせ、精神面でも大きな成長を遂げた。そして本日、何が切欠になったのかは定かではないが轟雷市との対戦を持って山城空は遂に新たな段階へと足を踏み入れた。

 

……もしかしたら山城の指の感覚が鋭くなったのは予兆だったのかもしれないな。

 

 雛が大空を飛び立つ前にその翼を羽ばたかせるように、大輪を咲かせる前の蕾が香しい香りを漂わせるように。実際は定かではない。ただはっきりとしているのは元より少なかった山城と正面から勝負できる打者が更に減ってしまったという事実だけ。 

 試合中だというのに思わず目を細めたクリスの耳に鈍い音が届く。

 つられて意識をグラウンドへと戻せばベンチのサイン通り増子が一塁側に綺麗な送りバントを転がしていた。アウトカウントが一つ灯る代わりに一塁ベースにいた結城は二塁へと進塁。一アウト二塁という状況でクリスへと打席が回ってきた。

 ゆっくりと立ち上がりバッターボックスへと向かうクリス。それを後押しするかのように青道の応援席から管楽器にのせてヒッティングマーチのEye of the Tigerが流れ始めた。

 

……状況は六回の裏、一点差でウチがリード。

 

 四回に伊佐敷の作ったチャンスを結城がきっちりと返した先制点が今現在におけるこの試合の全得点。良く持ち堪えているなとバットを構えたクリスはマウンドで奮闘を続ける薬師のエース真田俊平に内心で賛辞を贈る。正直に言えば真田がここまで踏ん張るとは予想だにしていなかった。確かにそこそこ球速のあるムービング使い(付け加えるなら今の沢村よりも一段上のムービング使い)ということである程度の警戒はしていたが、それでも真田は楊のような正確無比なコントロールを持っているわけでも空の様な飛び抜けたストレートを持っているわけでもない。攻略とまではいかずともある程度の点数は取れると踏んでいたというのにここまで一点しか取れていないという事実。

 

……予想外だったのは気持ちの強さか。

 

 投げている球はMLBの投手を彷彿とさせるような現代的なものだが、内に秘めているのは一昔前の昭和の投手を思い起こさせる熱い炎。どこまでも強気、勝気。

 クリーンナップが捻じ伏せられようと、味方の守備が足を引っ張ろうと、四球やヒットでランナーを溜めようと関係なく打者へと向かっていくそのどこまでの前向きな姿勢はどこか沢村に近いものがあった。そしてそんな前向きな気持ちが轟を封じられた薬師というチームをギリギリの所で繋ぎ止め、青道のあと一押しを妨げていた。

 この試合三回目となるクリスと真田の対決。

 その初球に真田が投じたのはインコースへのシュート。一打席目にクリスが詰まらされたキレのいいボールがユニフォームのロゴをかすめる様にしてミットへと突き刺さる。

 

―――ボール

 

 ボールが収まったミットの位置を確認し、クリスはもう一度バットを構え直した。

 

……球のキレに変化はないな。

 

 変化球に限らず全ての球に言えることだが、球数が増えてくれば自ずとボールに与える回転は小さくなりキレは悪くなる。特にシュートとカットのような正反対のボールを投げ分けていればキレが鈍るのも速い。それがこの六回まで鈍っていないのは流石だが、その代わりに時折コントロールが甘くなることがある。

 

……もっとも。どうやらボールが甘くなる原因は球数だけじゃないみたいだが。

 

 クリスは真田の左足に鋭い視線を送った。

 

……投球後に僅かだが左足を引きずる場面がある。これまでの試合でも全てリリーフだったことを考えれば故障持ち……いや、これまでの投球内容を考えれば完治して間もないといったところか。

 

 そんな状態にもかかわらずマウンドでは一切ナインに弱い姿を見せていない。

 本当にいい投手だとグリップを握る両手に力を込めた二球目、再びクリスの胸元に今度はストレートが飛びこんで来る。ベース盤の端を通ったボールはストライクともボールともとれる微妙なコースだったが、審判が手を上げたことでカウントは並行に。

 キャッチャーからボールを受け取るとすぐさまセットポジションから投球動作へと入った真田にタイミングを合わせながら、クリスは次に来るであろうコースを分析する。

 

……もともとこの投手にフロントドア、バックドアが出来るほどのコントロールはない。 

 

 特にコントロールがアバウトになってきている今は外を狙ったボールが真ん中に来ることも多い。だからこそ死球の危険を冒してまでインコースに厳しい球を放って印象付け、打者に踏み込ませない様な配球をしてきた。

 

……インコースだけでは勝負にならないのはさっきの打席でバッテリーも理解している筈。

 

 ならば外のボールをいったいどこで使うのか。コントロールミスで真ん中に流れてしまう可能性がある以上、追い込んだ後の決め球としては有り得ない。そして出来るなら単に真っ直ぐなストレートよりも少々甘くなっても自ずと外に逃げるボールがいい。

 つまりはバッティングカウントよりも前、インコースの軌道を印象付けた後のカウントが若い内に。

 

……外に逃げるカットボールを投げ込む!

 

 真田の右腕が振り下ろされると、クリスは小さく上げていた左足を内へと伸ばしバッターボックスの白線を踏み締めた。限界まで伸ばされた両腕、大きな弧を描いたバット。

 そのままであったなら詰まったであろう勢いある白球はホームベースの手前でその角度を変えると、まるで吸い込まれる様にバットの芯へと飛び込んだ。

 キーンと、とても綺麗な音が球場に響いた。

 高々と舞い上がった打球の行方をクリスは追わなかった。追う必要がなかった。

 行方など観なくても手の平に残った快感が結果を教えてくれていたから。

 一塁へと走り出したクリスがその右手を上げると同時、歓声が全てを飲み込んだ。

 

―――うぉおおおお! ホームラン! クリスのホームランだっ!

―――すげぇ。流したライト方向への打球なのにいったいどこまで飛んだんだっ!?

―――内に二球続けられた後に躊躇なく踏み込むとか天才だろっ!

―――すげぇ綺麗なホームランだったよな……轟の豪快なホームランとはまた違う軌道っていうか。

―――クリスせんぱ~い! 愛してま~す!

―――これで三点差! 試合が決まったか?

 

 初回の三振コールならぬクリスコールに多少照れながら、ダイヤモンドを一周する。

 そしてホームベースを踏んだクリスを真っ先に出迎えたのは次のバッターである空だった。二人は特に言葉を交わすことなく微笑むと、パチンッと互いの右手を合わせた。

 この後、青道はホームランを打たれた後も崩れなかった真田の前に更なる追加点を加えることが出来ず結局この回二点止まり。しかし今日の山城の出来を考えれば重すぎる二点だった。3‐0で終盤に入った青道は薬師に得点どころかランナーすら許すことなく8回にももう一点追加して4‐0。そして青道のリードで迎えた試合は遂に最終回を迎えた。

 




本当はこの25話で薬師戦を終える予定だったのですが、少々長くなったのでここまで。次話は薬師戦終了までと丹波さんについて少し書く予定です。


P.S. 空君が覚醒して無双していますが、何もダイジョーブ博士の手術後ほど劇的に能力が上がったわけではありません。今回の能力変化をパワプロ的に言うならば、

球速 Max152→154  ノビ4→ノビ5  

           って感じです(あくまでもネタなので本気にしないでね)。

覚醒しなくても元から最強だろって話もありますが、スポーツものを書く以上主人公の覚醒シーンってお約束じゃないですか? まぁ正直に言うと設定上のライバルである大地との対戦で覚醒させれたら一番よかったんですが、私がそこまで書く気がないので無理やりここにねじ込むという形になりました。なんで少々おかしい所もあるかもしれませんが勘弁してください。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。