ジャイロボールに夢見て   作:神田瑞樹

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29話

            Ⅰ

 7月31日。7月最後となるその日、東京は熱く燃えていた。

 もちろん物理的にではなく、あくまでも比喩として。今年一番とされる暑さが都内全域を包み込みオフィス街のサラリーマン達が額から汗を流す中、神宮球場は平日にもかかわらず数多の観客によって埋め尽くされていた。 

 内野席はもちろん数年ぶりに解放された外野席もその9割方が埋まり、今か今かとその時を待っていた。カメラマン席にはずらりと巨大な望遠レンズが並び、バックネット裏にはスピードガンとスコアブックを持ったどこぞのスカウト達が鋭い視線をグラウンドへと注ぐ。いくら西東京の代表を決める一戦とはいえ、地方予選としては破格といえる注目度の高さがその試合の重要性を嫌というほどに物語っていた。

 

西東京大会決勝戦

 先攻 青道高校

一番 6倉持

二番 4小湊

三番 8伊佐敷

四番 3結城

五番 5増子

六番 2滝川

七番 7門田

八番 9白洲

九番 1山城

 

後攻 稲城実業高校

一番 8カルロス

二番 6白河

三番 5吉沢

四番 2原田

五番 3山岡

六番 4平井

七番 7梵

八番 9富士川

九番 1成宮

 

 少しでも東京の高校野球に触れたことのあるファンならば聞きなれた名門同士のぶつかり合い。ある意味見慣れてしまった強豪同士のぶつかり合いにもかかわらず、この決勝が例年以上に注目を集めたのは二人のエースの存在がある。

 片や稲城のエースにして昨年の甲子園を沸かせた高校球界NO1左腕、成宮鳴。片やシニア時代より怪物と呼ばれ1年生ながらに青道のエースの座を勝ち取ったジャイロボーラー、山城空。共に今大会未だ無失点という絶対的エースの投手戦に期待する人間は多く、決勝の組み合わせが決まってからというものテレビやネットではどっちが上かという議論がなされるようになったが、結局明確な答えは出なかった。

 そしてその答えがもう間もなく出ようとしている。

 観客席のボルテージは最高潮。

内野席では両校の応援団が早くも熱い応援合戦を繰り広げ、外野席では横断幕が掲げられる。そして13時ちょうど、遂に西東京の王者を決める戦いが始まった。

 

 

 決勝は青道が先攻、稲実は後攻に決まった。

 一回の表、まだ誰も足を踏み入れていないマウンドの上では稲実のエースである成宮が投球練習を終えて静かに息を吐いていた。ポンポンと左手でロージンを弄び、そのまま地面へと落とす。

 

……ようやくだ。

 

 成宮はチラリと視線を青道のベンチへと向ける。そこには忘れたくても忘れられない、かつて年下ながらに己を負かした投手がいた。

 

……ようやく、あの時の借りを返せる。

 

 ずっと引っかかっていた。シニアの最後の大会で山城の投げ負けたことが。

 高校に上がり甲子園に出場した後も、喉に刺さった魚の小骨のように常にあの試合のことが心のどこかで引っかかっていた。

 

……雅さんは落ち着けって言ってたけど。

 

 全く心配症もいいところだ。自分はいたって冷静なのにと成宮は哂う。

 開会式で久方ぶりに山城と会ったとき、成宮は言った。

『全力で叩き潰す』と。

 それは決して嘘ではなかった。この試合のために成宮は準々決勝、そして準決勝の投球回数と球数を減らし調整を続けてきた。もっと投げたいと思う投手としての本能を押し殺して万全な状態で試合に臨み、打順を下げることで投球だけに集中できるようにした。

 そう、全てはこの試合に勝つために。

青道のリードオフマンである倉持が左打席へと入った。本来両打ちにもかかわらずわざわざ左投手に不利とされる左打席に立つ理由はいくつか考えられたが、成宮は考えられたそれらの案をすべて放棄した。それは考えるのは基本的に女房役である原田の役目ということもあったが、何より、

 

……どんな考えがあるのか知らないけどさ。

 

 物事はいたって単純だ。

 作戦も策もすべて、捻りつぶせばいい。

それを可能とするだけの実力が成宮にはある。いつものように成宮が振りかぶると倉持がバットを横にする。初球からセーフティーの構えだが成宮は慌てずそのまま左腕を振り切った。力の籠ったボールに倉持はバットを引いたが、白球はインコースに構えられた原田のミットを鳴らした。

 ストライク1。続く二球目、中から外へと逃げていくスライダーを倉持は捉えきれずファールボール。これで0‐2と早くも追い込んだ。セオリーならばここで一球打者の出方を見るために外に外すのだが、成宮と原田のバッテリーはあえてそれを選択しなかった。

 三球勝負。初球よりもやや内側の伸びのあるストレートに倉持のバットは虚しく空を切り、ミットだけが音を上げる。

 先頭バッターを空振りの三振、それも三球三振。これから先の展開を予期させるかのようなド派手な開幕の狼煙にスタンドは俄かに活気づく。無数の歓声を浴びながら成宮はチームメイトに声をかけ、最後に青道ベンチに座るライバルを見た。

 

「どっちが本当のエースなのかを教えてやるよ」

 

          ◇

 

 一回の表、青道の初回の攻撃は三者凡退に終わった。先頭打者である倉持が三振に倒れた後、続く小湊と伊佐敷も丁寧にコーナーを突いた成宮の速球を捉えきれず凡退。比較的に立ち上がりを苦手とする成宮の不安要素を一蹴する完璧な立ち上がり。

 そして一回の裏、今度は青道のエースである山城空が成宮に代わってマウンドに立っていた。先ほどの成宮の好投は当然、空も目にしている。

 

……やっぱ手ごわいな。

 

 シニアで投げあった時よりも一回りも二回りも凄みを増した投球。さすがは全国でも有数の好投手だけあって、これまで青道が対戦してきたどんな投手よりも格上。

 おいそれと点数を奪えるような相手ではないのは明白だった。

 

……流石に全国への道は厳しい。でも。

 

 小さく空は息を吐き出す。どれだけ厳しい相手でもここを勝たなければ全国には―――甲子園には行けない。後一つ。後一つ勝てば甲子園。

 

……長かった。

 

 1年前にクリスと交わした約束。それを果たす時が来たのだ。

 クリスから出されたサインに頷き、空はゆっくりと振りかぶる。高校野球ファンには最早お馴染みとなった全身をフルに使ったダイナミックなフォーム。

 全身の力を指先に乗せ、空は右腕を振った。

 およそ150キロにもなろうかという剛速球。一般的なストレートとは回転も軌道も異なった現代の魔球、4シームジャイロが唸りをあげてホームへと突き進む。

 バッターが身動き一つ取れずそれを見送ると、主審が小さく手を挙げた。

 

―――ストライクッ!

 

 成宮に負けず劣らずの大歓声が球場に吹き荒れる。クリスからボールを受け取った空は、少し乱れた帽子の位置を戻しながら心の中で決意する。

 

……俺がこのチームを、クリス先輩を甲子園に連れて行く!

 

 ギラリと空の瞳に炎が揺らめいた。

 

 

           Ⅱ

 青道と稲実による決勝は大方の予想通り、イヤそれ以上の投手戦となった。

 初回、稲実の成宮が伸びのあるストレートと切れのいい変化球のコンビネーションで青道打線を簡単に三者凡退で切ってとれば、青道の山城は稲実の一番~三番までを現代の魔球と噂される四シームジャイロでねじ伏せ三者連続の三振を奪う。正に完璧といえる立ち上がりを見せた両者はその後も観客をくぎ付けにする快投を行い、三回終了時までに出したランナーは両校合わせて二回の表にヒットを放った青道のクリスただ一人。

 グラウンドを取り巻く歓声とは対照的にどこまでも静かな序盤の3回までであったが、このまま最後まで行くとは球場にいる誰一人として思っていなかった。

 4回の裏、2巡目となる稲実の攻撃はトップバッターであるカルロスから。一打席目とは異なり右バッターボックスの後方に立ち、グリップを限界ギリギリまで余らせるその構えに空は少しだけ眉を顰めて投球モーションへと入る。

 振り下ろした右腕から投じたのはインハイへの四シームジャイロ。

 まだまだ絶好調の力ある白球が振るわれたバットをすり抜けてミットへと収まり、一ストライク。続く二球目、今度はアウトローに投じたボールがやや高めに浮く。カルロスが振り遅れつつもバットを出すと、打球は一塁側ファールグラウンドへと飛んでいった。

 

……ここもしっかり振りぬいてきたな。

 

 通常当てることも難しい剛速球や変化球と対峙した場合、大抵の打者はまずバットに当てることに必死になりスイングを崩しがちなもの。そうなると抜けたボールでもミスショットが多くなり投手が優位な状態で試合を進められるのだが、今のようにバットを短く持った状態でしっかりとコンパクトにスイングされるとそういうわけにもいかない。

 昨日片岡が言っていたしっかりとボールを見定めてバットを振りぬき自分のスイングをする。当たり前といえば当たり前のことだが、その当たり前の事をただでさえ能力の高い選手全員が徹底できるからこその強豪。さすがは去年の優勝校と内心で呟き、空は初球よりもやや高めのインハイに釣り球の四シームジャイロを投じた。

 これまで何人もの打者を三振に仕留めてきたボールにカルロスはバットを出しかけたものの、ギリギリの所でスイングを止めたことで審判の手は上がらなかった。

 四球目、今度はそれまでの四シームジャイロから一転してど真ん中に縦へと落ちる二シームジャイロ。先の三球とはタイミングも軌道も違うボールにカルロスは態勢を崩したが、それでも不格好ながらに何とかバットの先端に当ててカットすることで三振を免れた。

 

……少しボールが高かったか。

 

 長くボールを見れる打席の後方に立っていたことも急な変化に反応できた要因の一つだろうが、何よりもバットが届いてしまう位置に空がボールを投げてしまったことが空振りを奪えなかった最大の原因だった。後ボール一個、いや半個も低めに決まっていたなら今頃はバックボードに赤いランプが灯っていたに違いない。

 

……でもこれで下準備はできた。

 

 一度目に焼き付いた変化球の残像はすぐに頭から離れるものではない。クリスのサインに従って空が投じたのは真ん中高めへの四シーム。目付が多少なりとも低めにあったのだろう、カルロスは慌ててバットを出したが今度は逃げきれなかった。

 乾いた音がグラウンドに響き、主審から本日早くも七個目となる三振のコールが告げられる。青道の応援席から湧き上がる大歓声。先頭バッターをきっちり抑えたことに空は少しだけ安堵の息を漏らしたが、すぐにその緩んだ表情は引き締められた。

 凡退したカルロスに続いて右打席に入るのは稲実の二番、白河勝之。

 かつての空の先輩はカルロスと同じように打席の後方に立ってバットを短く握ると、怜悧な目で空を睨む。

 

……白河先輩か。

 

 シニア時代はその高い守備力とオールマイティーなバッティングに幾度となく助けられたものだが、こうして敵対すると面倒くさいことこの上ない。

 内心で苦い顔をしながら空は腕を振り上げ、マウンドを蹴った。 

余力を残した八割程度の投球ながらも勢いのあるボールがコーナーを突く。インロー、アウトロー、そしてインハイ。ここも真っすぐのみで早々に追い込んだ空だが、そこから先が問題だった。四球目、五球目と散らした四シームジャイロに反応されてファールボール。六球目の二シームジャイロを見逃されたことでカウントは並行にまで戻った。

 

……一打席目もそうだったけど相変わらず嫌なバッティングをするな、ホント。

 

 白河は空のスピードボールをホームランに持っていくだけのパワーはない。けれどその分、優れた選球眼と高いミート力を持っている。

 

……打たれるとは思わないけど、流石にこれ以上粘られるのは面倒だな。

 

 まだ四回。これから先のことを思えば球数は極力節約したいところ。一瞬空の脳裏に打たせて捕るピッチングが浮かんだが、すぐにそれは消えた。変に打たせに行くとどうしてもエラーだったり、不運なとこに打球が落ちたりでランナーを出してしまう危険性がある。

 今日のような一点を争う試合展開においてわざわざ自分からリスクを負う必要などない。

 ゆえに七球目。この試合初めて空は全力でボールを投げた。

 細かなコントロールの利かない150キロオーバーの剛速球。真ん中よりもややインコース寄りの高めのボールに白河は反応できなかった。クリスのミットの音に空は三振を確信し、

 

――――ボール

 

「なっ!?」

 

 主審のコールに空は目を見開いた。驚いたのはクリスも同じだったようでミットを静止したまま背後を振り返ったが、当然判定は覆らない。

 3‐2のフルカウント。空は内に溜まった苛立ちを抑えるようにマウンドの土を蹴った。

 

……さっきはストライクって言ってたじゃねぇか。

 

 確かにやや微妙な高さではあったが、ここまではストライクの判定を受けていた筈の場所だった。勿論審判とて人間なのだから間違うこともあるだろうが、何もこの決勝でなくていいだろうにと空は苦虫を噛みしめた。

 クリスの指示に従って一度プレートを外し、大きく深呼吸。少しの間をあけてから改めてクリスの出したサインを確認し、空は頷いた。

 

「っ!」

 

 いつも以上に腕を振るイメージで投じた一球。それはここまで平均140キロを優に超えていた一連のスピードボールに比べて随分と“遅かった”。

 特に曲がらなければ鋭い落ちもない、重力に従ってゆったりと落ちていくチェンジアップ。傍から見れば何てことのないスロ―ボールにもかかわらず、ここまで粘っていた白河のバットは空を切った。

 

――――ットライク! バッターアウトッ!

 

 打者11人に対して9個の三振。その圧倒的なピッチングに球場は大いに盛り上がったが、それに反して空の表情は随分と硬いものだった。

 額から否応なく零れ落ちる汗を袖口でぬぐい、ホームへと視線を送る。

 そこにはカルロス、白河と同じく打席の後方に立ち目一杯にバットを短く握る稲実の三番の姿。

 

……ほんと、楽させてくれないな。

 

             ◇

 

「こらこら! なに三振してんのさ!」

 

 二打席連続の三振を喫してベンチに戻った白河を待っていたのは、お冠になったエースからの叱責だった。あぁうるさいとグチグチ文句を垂れる成宮を無視し、白河はバットケースに自分のバットをしまった。

 

「まったくさぁ。俺が9番に下がっているんだから、ちゃんと上位打線でチャンスを作って点を取ってよね。無得点じゃ試合には勝てないんだし」

「……いわれなくてもわかってる。鳴は自分のピッチングに集中してればいい」

「だったら結果を見せてよね。あんまり悠長にしているようだと俺が自分の手で決めるよ?」

「……監督の指示無視して大振りしてた鳴にあのボールが捉えられるとは思えない」

「んなっ!?」

 

 白河の物言いにカチンときたのだろう。米神を引くつかせる成宮だったが、それを爆発させることはしなかった。ふんと短く鼻を鳴らし、ベンチに置いていたグローブを右手にはめる。

 

「まぁこんな序盤に試合が動くなんて俺も思ってないし。青道打線は俺が抑えるから、何とかして山城から点を取ってよね」

「わかってる」

「ん。任せたからね」

 

 アッサリとそう言って成宮は控え捕手である多田野を連れ投球練習のためにベンチを離れた。遠ざかる後姿を見送っていると、監督の国友からお呼びがかかった。聞かれたのは最後に打ち取られた決め球についてだった。

 

「白河。山城のチェンジアップはどうだ?」

「……正直、ビデオで見ていたよりも厄介です。フォームにほとんど違いがないですし、何よりあの真っすぐを見せられた後だとわかっていても体がついていきません」

 

 でも、と白河は言葉を続けた。

 

「鳴のチェンジアップほどじゃない」

「次は対応できるか?」

「バットに当てるだけなら」

「ならばいい」

 

 そう言って、国友はいつもと変わらず仏頂面をマウンドへと投げかけた。

 小高い丘の上で躍動するのは往年のライバルである青道の若きエース。中学から上がってまだ数か月足らずのルーキーの前にここまで稲実打線は完璧に抑えられていた。

 

……なるほど。確かに天才だ。

 

 こうして直に見るとよくわかる。国友は素直に山城の実力を認め、その溢れんばかりの才能を称賛した。長年監督業を務める国友をしても中々お目にかかれない逸材。

 現在高校球界ナンバーワン左腕と謳われる成宮ですら、一年のこの時期にはまだ山城ほどの完成度はなかった。

 

……とは言え、山城も完璧なわけではない。

 

 未だ一人のランナーも出していない現状に部長の村田は焦っているが、国友からすればある程度予想の範疇。このまま最後まで行くなどあり得ない。それは選手達もしっかりとわかっているようで、ここまで焦らずしっかりと己の役割を果たしている。

 

……勝負は後半。

 

 少しの綻びにつけ込めるかどうか。それがこの試合のカギになるだろうと国友は静かに瞼を閉じた。

 




だいたい後二、三話(もしくは四話)でこの作品は完結です。後少しの間、お付き合いください。

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