ジャイロボールに夢見て   作:神田瑞樹

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32話

           Ⅰ

 八回の裏、一アウトランナー一塁。この状況で打席に入るのは稲実一の巧打者、白河勝之。前打席でヒットを打たれているだけに決して侮れる打者ではなかったが、単純に打者だけに全神経を注げばいいというわけにもいかなかった。

 

……厄介なランナーを出しちまったな。

 

 一塁で大きなリードをとるカルロスに空は顔を顰めた。アウトランプが一つ灯っているとはいえ終盤になっての同点のランナー、それも全国でも有数の俊足のランナーだ。流石に今度ばかりはスタートを切ってくれと安易に思うわけにはいかない。すっとプレートから足を引きファーストへとボールを投げるそぶりを見せると、カルロスはすぐさま一塁へと戻った。そして再び空がセットに入ると、また大きくリードをとる。

 

……ここは走ってくるよな。

 

 カルロスはこれまでのランナーとは違い、クリス相手でも盗塁を決められるだけの足がある。1アウト一塁と二塁とでは得点の期待度にかなりの開きがある以上、一点を追いかけるこの展開で稲実ベンチがカルロスにグリーンシグナル(盗塁自由)を出さないはずがなかった。

 

……確かデータによれば初球からガンガン走ってたはず。

 

 特に終盤になればなるほど初球に走る割合は高くなっている。恐らくは打者の邪魔をしないための配慮なのだろうが、余程自分の足に自信がなければできない芸当だ。そしてカルロスは今大会一度として盗塁を失敗していない。

 

……無理にクイックを早くしようとすればボールに力が無くなる。

 

 だからこそ牽制を繰り返し少しでもスタートを遅らせようとしているのだが、どうも手応えは薄かった。空の牽制は決して悪くない。クイックの遅さをカバーするためにシニアの頃から磨きをかけていただけあって、一年にしてはかなり上手い方に入る。しかしその程度ではスペシャリストの妨げにはならないらしかった。

 

……けどだからってみすみす走らせるわけにはいかねぇ。

 

 セットポジションの態勢でいつもよりやや長めにボールを持ってからホームに向かって足を踏み出す。これで一球様子を見てくれれば儲けもの、そう考えて行った小細工は結局意味をなすことはなかった。

 

―――スチール!

 

 ファーストの叫びが耳へと届く。これでも来たかと、半ば祈るようにして空は腕を振った。ゾーンから外れたアウトハイの真っ直ぐを白河が見送ったことで、勝負は一旦投手と打者から離れランナーと捕手の一騎打ち。

 そして本塁を守護するクリスの動きはほぼほぼ完璧だった。

 捕球から送球までの一連の動作には一切の無駄がなく、セカンドへの送球も糸を引くような剛速球がセカンドベース手前と言う最高の場所にコントロールされていた。およそこれ以上ないというぐらい理想的な流れ。しかしそんな完璧をもってしてもカルロスの神足を阻むことはできなかった。

 

「っつ!」

 

 カバーに入った倉持がタッチをアピールするも塁審の手は平行に開いた。一アウト一塁は二塁へと状況を変え、ボールカウントが一つ増える。気にするなという内野陣からの励ましの声に表面上は応えつつも、空の内心は決して穏やかではいられなかった。

 

……これで一打同点。

 

 カルロスの足ならば長打は愚か、シングルヒットでもホームに変えられる可能性が十分にあった。ここまで来て同点など冗談ではない。空は得点圏へと進んだ忌々しいランナーを睨み、ホームへと顔を戻す。打席ではかつての先輩が短く持ったバットを構えてその時を待っていた。

 

……前の打席は外の四シームにバットを合わせられてライト前。

 

 セカンドとライトの丁度中間に落ちた不運なポテンヒットだったが、この場面でそれは許されない。いやそれどころか前に飛ばされることすら危険だと空は考えていた。

 

……ゴロなら捕球ミスに送球ミス、フライなら目測を誤る可能性がある。

 

 勿論後ろを守るチームメイトの守備力を思えばその危険性が薄いことは承知していたが、それでも決して0ではない。野球はいったい何が起きるかわからないのだから例えコンマ1%でも失点の危険があるのなら任せるわけにはいかないと、空は重くなった体に無理やり火を入れギアを上げる。

 

……三振ならエラーの心配はない。

 

 何せボールを受けるのは空が最も信頼する先輩。万一にも後ろに逸らすことはありえないという信頼を胸に抱いて右腕を振るう。コースは甘々、されど一段階迫力を増した速球に白河のバットは空を切った。

 

―――ットライク!

 

 今日の試合でいったい何度耳にしたかわからないストライクのコール。この終盤になっても未だ自分の全力が捉えられていないという事実は疲労した空の精神を幾分か慰めたが、だからと言って実際に体力が回復するわけではない。肩で息をすることを隠せなくなるまでにギアを上げての全力投球は着実に空の残り少ない体力ゲージを蝕んでいた。

 それを察してだろう、1‐1と並行カウントになってクリスが出したサインはチェンジアップ。一球緩い球を挟むことで打者を惑わせ、全力投球でなくとも三振を奪うための布石にする。自分を思い遣ってくれた先輩のサインに空はすぐさま頷き、モーションへと入った。コースはボールになってもいいから出来るだけ低く。それこそ半ば叩きつけるイメージで投じた変化球はおよそ空の理想通りの軌道を描き、真ん中やや低めからボールゾーンへと落ちていく。緩急、コース共に完璧。

 練習でも滅多に見られない最高のボールに白河の上半身は前のめりになり、つられて出したバットがふらふらと宙を泳ぐ。打者としてはおよそ死に体。

 空振りをとった、そう空が確信した瞬間だった。

 コツンと、小さな音がしたのは。

 

「んなっ!?」

 

 それはボールがバットに当たる音だった。そう、白河は完全な死に体になりながらも左手一本でチェンジアップにバットを合わせてみせたのだ。空の目が驚愕に見開く中、打球は三塁側にコロコロと転がっていく。本当にあてただけ、それこそバントにも近い死んだ緩いゴロにマウンドから降りた空は素早くグラブを伸ばした。ちらりと三遊間に視線を飛ばせばランナーのカルロスは既にハーフウェーを超えて三塁に向かって走っている。

 

「山城! ファースト!」

 

 サードに送球すれば微妙なタイミングであったが、ホームから出された指示は無理をするなというもの。既に一アウトを取っている以上、下手にギャンブルをかけるよりは確実に一つアウトを取って次の打者と勝負すべきという判断だった。いつもなら迷うことなくクリスの指示に従っていただろう。けれど一点を守り抜くことに囚われ過ぎた心が正常な判断を狂わせた。

 

……サードにはいかせねぇ!

 

 あろうことかクリスからの指示を無視し、空は体を反転させてサードへとボールを送球。凄まじい速球が三塁へと向かうが、疲れのせいか送球はランナーとは逆の方向に逸れていた。時間にすれば二、三秒のロス。そしてその数秒が成否を分けた。

 

―――セーフ!

 

 サードの増子がタッチするよりも早く、カルロスのスライディングが三塁を陥れる。増子はすぐさまファーストを見たが、その時にはもう白河は一塁ベースを駆け抜けていた。

 スコアボードにFc1、投手のフィルダースチョイスが表示される。

 二アウト三塁の筈が一アウト一、三塁。

 自分のミスがピンチを大きくしたことを認識した瞬間、ガクリと、空は身体が一気に重くなるのを自覚した。

 

             ◇

……ついに来たな。

 

 青道のミスによって訪れた大チャンスに俄かに湧き立つ稲実ベンチの一角、ここまでずっと最前列で試合の行方を見守っていた歴戦の名将は機が熟したことを察する。乾いた目線の先にはマウンドに集まる青道の内野陣の姿があったが、タイムを取った所でこの流れが変わることはないと国広は確信していた。

 

……八回の表に青道は待望の一点を取った、しかしその一点が逆に山城を縛り付けた。

 

 絶対にこの一点を守らなければならない、そんな強迫観念があのような単純なミスを招いた。そしてそのたった一度のミスがチームを窮地へと追い込むのだ。

 

……どれだけシニアで経験を積もうと所詮は一年。

 

 本当の意味で一プレイの怖さをまだ知らない。

 甲子園のかかる決勝の重み、プレッシャーを深い所で理解していない。

 

……山城の体力はもう限界に近い。

 

 しかしそれでもここまで耐えてこられたのは精神の力に他ならない。張りつめていた緊張の糸がマリオネットのように体を動かし、疲労を押しとどめてきた。けれど一つでもミスを犯してその糸が解れてしまえばたちまち隠れていたモノが顔を出す。

 一遇千載の好機、逃す気はさらさらなかった。

 

 

           Ⅱ

1アウト、ランナー1.3塁。一打同点、いやあるは逆転さえあり得る青道にとっての大ピンチ。タイムを取ったマウンドには外野陣を除いた6名の選手が集まっていた。

 

「山城」

「すんません、やらかしました」

 

 内野陣を代表してクリスが何か言うよりも早く、集まったチームメイトに対して空は小さく頭を下げた。ペコリと帽子を取っての謝罪する顔にはどことなく焦りのようなものが見え隠れしていたが、クリスがあえてそれを指摘することはなかった。いや、というよりは指摘できなかったという方が正しいだろう。何せ今はピンチの真っ最中、ここで変に焦りを自覚させれば一気に投球が壊れかねない。最低限には落ち着いていることもあり、クリスは「わかっているならいい」と短く息を吐き出してチームメイトの顔を見渡した。

 

「動きは全員頭に入っているな? ディレイドは無視してスクイズ警戒。一点もやれない場面だがサードランナーは足の速いカルロスだ。ホームに変えられてもまだ逆転されるわけじゃない、間に合わないと感じたら一塁に転送して確実に一つアウトを取るぞ」

 

 クリスの言葉に内野陣が頷く。青道の内野は全国でも一級品。事細かに説明しなくとも皆やるべきことはそれぞれ理解していた。2、3の簡単な確認ごとを終えてから内野陣は各々のポジションへと散らばっていき、クリスもまた自分の領域へと戻りマスクを被った。

 

……ここにきて山城が判断ミス。

 

 普段なら決してしない初歩的なミスを犯したという事実が、いかに空が感じている重圧、そして疲労が大きいかということを教えてくれる。己のポジションに腰を下ろし、クリスはマスクの中からここまで奮闘を続ける自分達のエースを見た。

額から絶え間なく零れ落ちる汗に落ち着かない呼吸。限界が近いのはもう明らかだったが、幸いにもまだ瞳の奥の炎は消えていない。

 

……このピンチさえ凌げれば。

 

 一点リードしたまま青道の攻撃に繋げることができる。そうすれば多少なりとも体力の回復、あるいは沢村と川上に心の準備をさせることもできる。そのためにもあと二つ、何としてでもアウトを取らなければいけない。

 パンとミットを叩き、クリスは打席に入った稲実の三番吉沢の仕草を念入りに観察した。

 

……相変わらず短く持ったバットに打席後方でのスタンス。

 

今日三度の対戦ではヒットこそ打たれていないものの厳しいストライクゾーンをうまく使われ二つの四球を与えている。少々際どいコースぐらいでは中々バットを出してくれないだけに、かなり制球がアバウトになってきている今の空ではコース勝負などまず不可能。となれば自ずと真ん中付近での力勝負になるわけだが、

 

……吉沢は明らかな真っ直ぐ待ち。素直に行くのは少々危険か。

 

 まだ捉えられていないギアを上げた四シームならば大丈夫かもしれないが、空の残り体力を考えればそう連投できるものではない。ゆえに真っ直ぐの軌道から落ちていく二シームジャイロでカウントを稼ぎ、追い込んだ所を渾身の四シームで空振りの三振に切って取るのが理想。とはいえ、いつもいつも理想通りに行くのならキャッチャーがリードで頭を悩ませるはずもなく。限られた時間で様々なパターンを検討したクリスだったが、結局初球に出したサインは第一案の二シームジャイロ。

 振ってくれれば儲けもの、例え振らなくとも打ち気を逸らすことは出来るという判断だった。低く低くとジェスチャーを交えてからミットを構える。サインに頷いた空がセットポジションから腕を振り、

 

―――サインとは全く違う抜けたボールがど真ん中へと投じられた

 

 目を見開くクリスの眼前で吉沢のバットが煌めいた。極めてシャープなダウンスイングが白球を捉え、鋭いライナーがピッチャーに向かって飛んでいく。間違いなくヒット性の打球。ただそれは余りも正面過ぎた。まるでお手本のようなピッチャー返しは稲実にとっては不運にも、逆に青道にとっては幸運にも反射的に伸ばした空のグローブの中に飛び込んだ。

 

「ファースト!」

 

クリスが指示を出すが、無理な体制で捕球した空はすぐには送球に移れない。よろけた姿勢を立て直している間にランナーはそれぞれ帰塁したためダブルプレーは不成立。

 

―――あぁ~あ

 

両校の応援席から漏れるため息の雨。とはいえ、結果だけ見れば青道がランナーを進めることなくアウトカウントを一つ増やしたといえる。2アウトランナー1、3塁。

これで十分青道には無失点で切り抜ける芽が出てきたというのに、クリスの表情はどこまでも堅かった。大きく眉を顰め、マウンドで入念にロージンを手に塗す空を睨む。

 

……遂にボールが抜けるようになってきたか。

 

 不味い傾向だと思う。これまでギリギリの瀬戸際で留まっていたというに、ここに来て遂に踏みとどまれなくなってきている。抜けたジャイロボールなど少々速いだけの棒玉。

そして次の打者は、そんな甘い球を決して逃しはしないだろう。

 

……稲実の4番、原田雅功。

 

三塁応援席から鳴り響く『アフリカン・シンフォニー』。力強い楽曲に乗って稲実の大黒柱がゆっくりと右打席に入る。

クリスは脳裏に浮かぶ嫌な予感を拭うことができないでいた。

 

 

           Ⅲ

クリスの嫌な予感とは対照的に、エースと4番の対決は終始エースの優勢で進んでいた。恐らくは根本的に合わないのだろう。過去三打席を振り返っても原田は空のピッチングに翻弄され2つの三振に一つの内野フライ。この打席でも瞬く間に追い込まれるなど、独特なジャイロの軌道にうまく対処できないでいた。

 

……あと一球。

 

1‐2と追い込んだ瞬間、空は己の中にほっとした安堵の気持ちが生まれるのを確かに感じた。投手有利のカウントになったからと言って気を抜くなど三流もいい所の行いだと重々承知していたが、それでも逸る気持ちを抑えきれなかった。

 

……色々あったけど。

 

 形式的に1塁と三塁に視線を送りはするが最早ランナーのことなどどうでもよかった。何せ勝負はこの一球で蹴りがつく。崩れ落ちそうになる体に鞭を打ってギアを上げ、投球モーションに入る。

 

「これでっ!」

 

 終わりだとただただ真ん中目がけて全力で右腕を振る。投じたのは絶対的な自信を持ったウィニングショット。疲労が蓄積しても尚一度としてバットに掠りすらさせていない渾身の四シームがストライクゾーンに確かに入ったのを感じて空は自分の勝利を確信した。

 これで終わりだと、失点せずにベンチへ帰れると。

 そう、体から力が抜けた瞬間だった。

 ボールが視界から消えたのは。

 

「えっ?」

 

 純粋に疑問の声が空の口から洩れた。

どうしてボールが消えたのか。どうしてボールはクリスのミットの中にないのか。どうして聞こえるはずのない金属音が聞こえたのか。どうして原田はバットを振りぬいているのか。心の中でいくつも積みあがる疑問、疑念。

 その答えは審判からもたらされた。

 

―――ファールボール

 

 あり得ぬ宣言に空は耳を疑った。けれど一塁側ファールゾーンに転がる硬球の意味を理解して、愕然とした。

 

……あて…られた?

 

 轟の時のように決して完璧に捉えられたわけじゃない。明らかに振り遅れた、それこそ何とかバットにあてたというだけの打球だった。本来であれば多少眉を顰めこそすれ、驚くようなことじゃない。だがこれまでギリギリの所で何とか繋ぎとめていた空にとって、絶対的な自信を持っていた生命線をカットされたという事実はこの上なく重かった。

 

……偶然だ。

 

 きっとたまたまバットに当たってしまっただけだと心の中で呟く。それは気持ちを切り替えたというよりは半ば現実逃避にも近かった。クリスがサインを出すよりも早く、空は投手用のサインを使って再度同じ球を要求する。

 

……もう一球続ければ今度こそ空振りをとれる。

 

 否、奪わなければならない。

 球速が落ち、コントロールも乱れてきた現状。他の球ではもう空振りを取ることは難しい。その上体力と引き換えに唯一空振りを奪える決め球さえ失ってしまえば、

 

……もうマウンドにはいられない。

 

 ギュッとグローブの中のボールを握る。この試合、空は自分がスタンドプレイに走っていることを自覚していた。チームの和を乱してでも勝つために全力を注いできた。

 きっと監督もチームメイトもいい気はしてないだろう。だがそれでも未だ空がマウンドに立っていられるのは、圧倒的な力で稲実打線を抑え込んできたからに他ならない。

 そしてそれができなくなってしまえば、最早自分に居場所はない。

 

「っつ」

 

 まるで焦るようにセットポジションに入り全身の力を振り絞る。また一つ身体から力が失われていくのを感じながら、空は今度こそと右腕を振り切った。

 さっきと同じ全力を込めての真っ直ぐ。

 決して本調子でないとはいえ、目の前の打者から空振りを奪うには十分すぎるボールの筈だった。けれど今回もミットがその音を鳴らすことはなかった。

 

―――ファールボール

 

 鈍い金属音、転がる打球。

 繰り返される光景。

 なんでだと、最早実際に言葉を吐き捨てて空は強く奥歯を噛み締めた。

 

……なんで空振りがとれない? なんであてられる? 

 

 わけがわからなかった。これが広橋大地なら、轟雷一なら理解できる。だが今空が対峙しているのは天武の才を持つあの2人ではない。過去三打席の内容を加味してもバットに当てられるはずがないのだ。

 空は苛立った視線を打者へと向けた。あと一歩の所で踏みとどまる原田の顔はこの上なく澄んでいた。追い込まれているのに一切焦りの色はなく、ただただ来たボールを打つことだけに集中し、鋭く研ぎ澄まされていた。

 

……これが四番ってことかよ。

 

 かつてクリスは言った。四番に求められるのは打率やHR数といった表面上の数字だけではないと。ここ一番、勝敗を分かつ大事な場面での集中力が必要なのだと。そしてそれは四番という重圧を背負い続けることで磨かれていくものなのだと。 

背筋に冷たいものが走る。単純な力量差を超えた重圧を空は感じた。

 けれど、

 

「負けてたまるか」

 

 一方的にクリスへサインを出して、空はプレートを蹴った。三度投じるのは全身をフルに使っての渾身の真っ直ぐ。左足を大きく踏み出して下半身の力を上半身へ、そして指先へと集める。そして勢いそのままに右腕を振り降ろす一瞬、空は身体からすぅっと力が抜けるのを感じた。

 

「あっ」

 

 自分でも驚くほど間の抜けた声と共に投げたのは、自分でも驚くほどに気の抜けたボールだった。球威もなければノビもない、ただ少し速いだけの棒玉。およそ打撃投手としてなら完璧な一球が振り下ろされる銀色のバットに向かって吸い込まれていく。

 

キィィィィン

 

 心地いい快音を響かせた打球が空の頭上目がけて飛んでいく。

 反射的に伸ばしたグローブ。

今度は、届かなかった。

 

――――うぉおおおおお!!

 

そこから先の光景を空はよく覚えていなかった。気が付けば打球はセンターフェンスにぶつかっていて、ゆっくりとサードランナーのカルロスがホームに還ってくる。これで同点。打ったと同時にスタートを切っていたファーストランナーの白河もいつの間にか三塁を回っていて、ボールが戻ってくるよりも早く本塁へと滑り込んできた。

これで逆転。

 逆転。

 そう、逆転のタイムリー二ベース。

 耳をつんざく歓声の中、スコアボードの数字が書き換えられる。0の代わりに刻まれた2という数字を、空は虚ろな目で眺めていた。

 8回の裏、青道1‐2稲実。

 稲実高校、逆転。

 




スタミナ不足はそう簡単には克服できないよって話。

あっ、9月中に完結は多分無理です。すいません。

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