今回の話は前話よりもわかりにくい……かもです。
Ⅰ
……凄まじいな。
一塁ファールゾーヘンと転がった打球を見送り、ゆっくりとバットをいつものトップエンドの位置へと持っていく。グリップを強く握ることで手の平に残る僅かな痺れを誤魔化しながら、結城哲也は素直にマウンドに立つルーキーを賞賛した。
先程の三球目。
狙いを真っ直ぐ一本に絞り、ボールの伸びに負けぬようかなりコンパクトなスイングでボールを上から叩きに行ったつもりだったがそれでも尚振り遅れた。
普段の練習ではマシンの投げる150キロをフルスイングで軽々と捉える結城を持ってしても捉えきれぬボールの伸び。
僅かでも隙、油断があれば打てる球ではない。
結城は小さく息を吐き、試合さながらに集中力を高め己の世界に埋没していく。
四球目。
それまでと何ら変わらぬ豪快なフォームからボールが放たれた。
……ストレート!
球速は先の三球とほとんど変わらぬ140キロ前半から中盤なれど、そのコースは甘い。
これまでの丁寧にコーナーを突いていたのとは異なる、少しインコース気味ながらもほぼど真ん中。
ぎらりと、哲の目が鋭く光った。
今度こそ伸びる球に振り遅れまいと、力強く振り下ろされるバット。
タイミング、軌道共に完璧。
捉えたと思った瞬間、結城は目を見開いた。
……ボールが…こない。
これまでの三球と同じフォーム、同じスピードで投げられたボール。
だというのに、どういうわけかこれまでの三球よりもボールが最後に“伸びて”こない!
いや、それどころかホームベースの手前で鋭く落ちていくではないか!!
ここに来てタイミング、軌道共に完璧であったはずのスイングは最悪のそれへと変貌する。しかし一度振るわれたバットは最早止めることが出来ない。
「っつ!」
考えての行動ではなかった。
これまで積み重ねてきた試合での経験が、毎日の素振りが、四番としてのプライドが、天性の勘が結城の体を動かした。
軸足に残っていた体重を踏み出した左足へと集め、前のめりになりがらバットを握る右手を離し強引にその軌道を捻じ曲げる。
片手一本。
左手のみで振るわれたバットの先をボールが霞め、キャッチャーの右側を転々と転がって行った。
――――ファールボール!
球審となった監督の言葉が静まり返ったグラウンドに響いた。
そしてそれを合図にするかのように、それまで息を呑んでこの対決を見守っていたギャラリーがにわかにざわめく。
――――すげぇ。あの哲さんを翻弄してやがる!!
――――いや、バットに当てた哲さんも凄いだろ! あんな崩された体勢から片手一本でカットしたぜ!?
――――今の球、亮介さんの時も確か一球投げてたよな? 落ち方は縦のスライダーやフォークに近いけど、変化球の割には伸びてたし速度もあったよな?
――――中学NO1投手と称された新入生と、名門青道の四番の対決……面白い、これは面白い! 新たなる波と三年生の意地のぶつかり合い! 次の特集はこれで決まりだな!!
――――片岡監督は一体どんな気持ちでこの対決を見ているんだろうな……
グラウンドの中、外構わず飛び交うざわめきと興奮。
無数のシャッター音とフラッシュの光がたき付ける中、結城はそれらを意に介すことなく後ろの人物へと疑問を投げかけた。
「スライダー……いや、今のは……」
「はい。二シームです」
二シーム。別名ムービングファーストボール。訳すと動く速球。
ストレートの一種で、空気抵抗の関係から直線の四シームよりも若干打者の手元で小さく沈むような軌道を取る。メジャーで良く使われているストレートであり、打者の手元で変化するという性質からバットの芯を外すことを目的として使われるが、それはあくまでも通常のバックスピンストレートの場合。
ジャイロ回転をかけた場合、その軌道はいささか異なるものとなる。
……ジャイロボールはボールの握り方で大きく球種が変わると聞く。
結城は昔、とある野球雑誌に載っていた記事を思い出した。
ジャイロボールの特徴の一つとして縫い目の位置によって空気抵抗が大きく変わるというものがあり、大別すると二つに分類されるという。
一つが、対称ジャイロと呼ばれる四シームジャイロ(以後4SG)。通常の四シームと同じ握りから投げられるこのボールはあらゆる球種の中で理論上最も空気抵抗が少なく(バックスピンストレートの半分以下!)、最も伸びる球とされる。
一般的にジャイロボールと言えばこちらを指すことが多く(先述のジャイロボールの説明も4SGに基づいている)、空が結城に対して投じた最初の三球も分類としてはこの4SGになる。
そして4SGに対するのが、非対称ジャイロと呼ばれる二シームジャイロ(以後2SG)である。4SGがジャイロボールの“伸びる”側面をクローズアップしたボールだとすれば、この2SGはジャイロボールの“落ちる”側面をクローズアップしたボールだということができる。2SGは縫い目位置の関係から4SGよりも空気抵抗が大きく(それでも四シームストレートより小さい)、4SGと同じ速度で投げても打者の手元でブレーキがかかり4SGよりも大きく沈む軌道を取る(回転軸の向きが同じ場合)。
……恐らく山城は2SGにトップスピンの成分を加えることでその落ち幅をより大きなものにし、伸び上るように見える4SGとの差を大きなものとしている。
“伸び上がる”4SGと、“伸びずに落ちる”2SG。
フォームは変わらず、球速(ここでは初速を指す)もほとんど変わらない。
ただ握り方を少し変えただけの同じジャイロボール。
にもかかわらず、その球種は全くと言っていいほど別物。
「……なるほど。これは思った以上に攻略が難しいな」
「いや、俺としては初対決で二シームに反応できた哲さんにびっくりなんですけど……」
呆れたと言わんばかりの御幸の声を黙殺し、結城はマウンドへと視線を向けた。
バットに当てられるとは予想外だったのか。
そこには驚いた顔でボールの転がった先を追う山城空の姿があった。
結城はすっと気を引き締め直し、バットを構える。
……次は打つ!
ゴゴゴとでも効果音が付きそうなほどの威圧感。
三年間毎日の様にバットを振り続け、キャプテンとして、そして4番としてチームを引っ張り続けた男、結城哲也。
そのただならぬオーラと迫力に、それまでざわついていた観客達が一斉に口をつぐんだ。
まるで伸ばし切った糸の様に極限まで張りつめられたグラウンドの空気。
誰もが自然と緊張で顔を強張らす中で、ゆっくりと空がホームへと顔を向けた。
……笑っている?
すぐにグローブで口元を覆ったものの、結城にははっきりと見えた。
山城空は確かに笑った。
この状況、この場面で!
何かが違う。
これまでの山城空とは決定的に何かが異なっていると、結城の勘が警報を鳴らす。
結城はバットを短く握り直し、グリップを一つ余らせた。
どこかで驚きの声が上がったが、最早結城の耳には届かなかった。
五球目。
マウンドの空が投球フォームへと入る。
これまでと同じ足の上げ方、同じテイクバック、同じ腕の振り。
だというのに、その同じ投球フォームから投げられたボールはそれまでの四球と全てが違った。
“ゴウッ”
そんな唸りが結城の耳に届いた。
強烈な何かがホームベースの上を駆け上がっていったと思った瞬間、乾いた音が右耳から聞こえた。
それだけ。
わかったのはそれだけで、できたことは何一つない。
山城空VS結城哲也。
勝負の最後の一球は、非常に呆気なく終わった。
Ⅱ
――――ストライクっ! バッターアウト!!
審判のコールにマウンドの空がボールを投げた右腕を上空へと突き上げた。
その瞬間、グラウンドが爆発した。
――――おおっ!? 三振!! 三者連続三振!
――――最後の球一体何キロ出てたんだよ! コースはそんなに厳しくなかったのにあの哲が手も足も出なかったぞ!?
――――スピードガンだと……151キロ!?
――――最後の最後でこれまでより7キロ近く速い球とか、まじで化け物かよ……
――――つーか、スピードガンの表示よりずっと速く見えたぞ!
――――あぁ。正直、160キロって言われても何ら違和感ない球だったぜありゃあ……
興奮収まりやまぬグラウンド。
ざわざわと未だ高まる熱気の中、結城は構えていたバットを静かに下ろした。
「どうでした、哲さん?」
マスクを外して立ち上がった御幸に、青道最強のバッターは悔しさを滲ませながらもどこか満ち足りたような表情で笑った。
「完敗……だな。正直手も足も出なかった」
「中学最強は伊達じゃないってことですか」
「あぁ。特に最後のボール……あれは予め配球として決まっていたのか?」
「いえ。四シームのサインは出しましたが、もう少し高めで一球外すつもりでした。正直言って、山城のギアにもう一つ上があるとは俺も知りませんでした」
「そうか……」
普段は八割の力で投げ、勝負所ではギアを一つ上げて相手を捻じ伏せる。
先発投手としての基本だが、その基本を出来るピッチャーが一体どれほどいるか。
プロですら難しいそれをたかだか一年のルーキーがやってのける。
「クリスが入れ込む理由がわかるな……」
「そうっすね」
御幸と結城の目には、一塁ベンチ前で談笑を交わすクリスと空の姿があった。
身振り手振りを添えて興奮気味に話す空に、クリスは苦笑しながらもしっかりと頷いている。いいコンビなのは一目瞭然だった。
「……ご苦労だったな、結城」
「監督……」
目を細める二人の下に、プロテクターを全て外した片岡鉄心が歩いてくる。
片岡が二言目を告げるよりも早く、結城は頭を深々と下げた。
「一年相手にふがいない姿を見せてしまい申し訳ありませんでした」
「……他に何か言うことは?」
「ありません。山城がどれだけ良いピッチャーであろうと、打てなかったのは自分の実力不足です。しばらくグラウンドを走ってきます」
「……小湊、伊佐敷もお前と同じことを言ってきた。今日は三人で日が暮れるまで走っていろ」
「はい!!」
返事と共に結城は走り出した。
その後ろ姿を見送り、片岡は一塁ベンチ方向へと体を向けた。
「山城空!」
片岡の声に、空はクリスとの談笑を止め返事と共に体の向きを入れ替えた。
主軸のレギュラー三人との対決だったにもかかわらず、疲れの色一つ見えないその顔に片岡はふっと笑みを見せると、試験の結果を伝えた。
「合格だ。明日から一軍の練習に入れ」
こうして、空の一軍昇格をかけたテストは終わった。
ざわめきを残し、見た者の胸に様々な感情を刻みながら。
入部からわずか二週間。
歴代最速記録を大幅に更新し、
―――山城空。一軍昇格
あまりメジャーの吾郎とは被らせないつもりだったのに、気が付けばこうなってました。(まぁ、ジャイロボールの特徴を考えれば当然なんですが)
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