君がこっちに手を伸ばしたんだよ。 作:大日陰山
"それ"が起こり始めたのは、カリンがMINA学を完全に去ったあの日から。
何の気の迷いか、"最後の思い出作り"みたいな感じで、私と梨寿とカリンで運動能力を競って──そこでもう、お別れをした。
その日からだ。
妙に、意識が空く、というか。
言うつもりの無かった事を言ってしまっている、とか。
知るはずのない事を知っている、とか。
そんなの、疾っくの疾うに気付いていた。私の中に、何か、別の人格のような。
別の自分、みたいなものが生まれているな、ってことくらいは。
でも放置していた。だってそんなの、トクベツに間違いないから。
でも。
でも。
──"亜美、アンタさ。自分自身と向き合えてる? 自分が何が得意なのか、わかってる? イチバンになれない、ニバンにもサンバンにもなれないもの、は……得意なもの、じゃないよ。勿論ヨンバンにもなれないものも得意なものじゃない"
──"だからー、全否定じゃないんだって。ねぇ、この世の物事全部見た? 全部試した? やってないこと何にもない? そこまでやったら、行動力って才能があったって言えるよ。"微妙に出来ること"を得意な事だと思い込むのはそろそろやめなよ。"誰かに褒められた事"を自分にある唯一だって考えるのやめなよ。ちょっとくらい、周りを見なよ、亜美"
あの時の会話は実は夢だったって発覚したわけだけど、そうだという事は、これは、これら忠言は、私が私に言っている事。ホントは分かってた事を突きつけられただけ。ホントは知ってた事を見せつけられただけ。
ちょっとくらい、周りを見なよ、亜美。
「……そうやって、乗っ取ろうとしてるんだ?」
「……」
その日は雨だった。
雨だったのに何故か私はカリンの家にいて。
ニヤついた笑みを持つ彼女と、対面している。
すぐにわかった。これも夢だ、って。
「ね。わたしが卒業するときにさ、アミちゃん……聞いてくれたよね。わたしが今、誰なのか、って。だから返しに来たよ。君、今誰? 水鳥亜美ちゃん? それともセチアちゃん?」
今の、私は。
ГГГ
大きく溜息を吐きながら起床する。
最近こういう自問自答系の夢が多い。それで、決まって知り合いの誰かが私に言葉を突きつけてくる。
もうわかっている。
私は多分、本当に疲れている。沙月さんの慧眼は大当たりだ。配信活動に――あるいは、トクベツに憧れ続ける事に、疲れている。
見つからないから、じゃないのだ。
嫉妬する事がそもそも疲れる事だから、でもないのだ。
ailaさんに、貴女のトクベツは嫉妬心だって言われた。
だから、そうなのだろう。
VTuber水鳥亜美のトクベツは、嫉妬心なんだ。周囲に憧れ続ける事で、欲しいと思う事で、それを目指し、それを吸収し、それを学習し──どんどん肥大化していく、心の隙間。
それは紛う方なきトクベツ。誰から見ても、私から見ても、トクベツな才能。ズルイから。欲しいから。そうやって成長して行く彼女を、けれど私は静かな目で見ていた。
ああ、そうだ。
私は、玉川ななはもう、VTuber水鳥亜美を抱える事に疲れてしまっている。
「……ああこれ、アミちゃんに言ってないから、か。……もっと直接的に言えっての」
これもまた、いつかカリンに言われた言葉だ。
自分を仲間外れにする癖。アミに言っていないというのなら、誰に言っているのか、なんて。
わかり切った事。
私はずっと、ずーっと。
玉川ななを仲間外れにして、物事を考えていた。
初めにトクベツを欲したのは玉川ななだったけど、セチアに、あるいは水鳥亜美になった時点でそれは手に入っていて。ただ、玉川ななはそのスタートラインを欲し続けたけれど、水鳥亜美はもっともっと凄いトクベツを欲しがった。
私から生まれた水鳥亜美は、私よりも先を見ていたし、私よりも先を欲したのだ。
「……辞めるのは、アリ、かな」
声に出して、言葉にして、口に紡いで。
言う。
そもそもがマンネリ化してきていた配信活動だ。もう、辞めてしまうのは手だろう。
そうすればこんなに悩まないし、何よりこの別人格とも言えるダレカを消してしまえる。
消してしまえば、普通に戻るのだろうけど。
その方が疲れないんじゃないかな、って。
どうせリスナーはもう、ちやほやしてくれないし。その環境を作ったのは私だから、別に文句があるわけじゃないんだけどね。
ただ、やっぱり。
求められたものを、あるいは求められそうなものを目指して作り上げた"水鳥亜美"が、私にとってストレスとなるのなら──辞めてしまった方が良い。
配信休止、じゃ、ダメだ。
多分それは意味がない。水鳥亜美を――殺せない。
思い切って辞めてしまわなければ。
またズルズルと続けてしまうのだろう。またヘンにトクベツに憧れたまま、同じことを繰り返すのだろう。
だから、辞めてしまうのが──終わってしまうのが。
私にとって、最善と。
「……ん、通知?」
決めたから、第一に誰に連絡すべきかな、と考えていた所、LONEに通知があった。
表示名は──砂川さん。私達の身体のモデリングやモーションキャプチャーに関する技術を一手に担う、割合天才寄りの人。ただしビジネスオタク。
なんだろう、と思って。
LONEを開いて──ぞっとした。
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知らない。
私の知らない会話が、私の知らない高度な話が行われている。
ちょっと間の空く事があった。ちょっと白けている程度だと思った。
言うつもりの無かった事を言ってしまった程度の、するつもりの無かった事をしてしまう程度の乖離だと思っていた。
違う。
──"そうやって、乗っ取ろうとしてるんだ?"
突然、怖くなった。
怖い。これは早い所辞めないと。
でも、こんな企画を立てて置いて、辞める、なんて。
言えるの?
砂川さん含むクリエイター陣のみんなはもう動いてくれちゃっている。
じゃあ、このイベントが終わった後に辞める?
辞める準備、それだけはしておかないと。そうだ。迷惑をかけるのはダメだ。だって一応、ログを見る限り、だけど、自分から切り出した事だから。
これで「自分じゃない自分が」とか言いだしたら……病院行き、だろうなぁ。別にそれでもいいけど、ああ、うん、でも、それは欲していた方のトクベツじゃない。
「……そうだ、カリン」
アイツ、自己催眠に近いやり方で別人格を作っていたはず。
何か解決方法を知っているかもしれない。
通話、通話。
通話をする。
ГГГ
──"ガチャ"
「別に受話器じゃないからそういう音ならないと思うけど」
──"開口一番随分だねぇアミちゃん。この名前呼ばれたくなかったら自己紹介しようぜ"
……サイコメトラーめ。
対面してなくても見抜いてくるのか。
「玉川なな、って言います。中学三年生です」
──"へっへっへ、中学生の個人情報ゲットー!"
「ふざけてないで。結構切羽詰まってる」
──"ふむそうだね。では私の事はカレーの妖精さんと呼びなさい"
「名乗れよアホ」
──"雁ヶ峰杏。社会人二年生。23歳でぇーす"
「かりがみね? どういう字?」
──"自分でシラベロ"
それはまぁ、そう。
……約、二年半か。知り合ってからだと三年になるけれど。
初めて本名を聞いた。
ちぇ。トクベツっぽい苗字してるじゃん。五文字の苗字はトクベツっぽいって心さんも言ってたし。
──"で、だ。ななちゃん。実はわたし、君に出会った当初からアブネーナーって思ってたよ。どんだけ自分のこと嫌いなんだろ、って。どんだけ別の自分になりたいんだろ、って"
「……私、知らない内に私でも知らない知識で砂川さんと会話してたみたいで、今死ぬほど心臓バクバクしてる」
──"そりゃ怖い。でもわかるなー。ほら、そっちの二周年イベントの時、わたしHIBANaだったでしょ? その時さ、わたしの心情もHIBANaだったんだよね。繰る言葉も、想う憧憬も、全部HIBANa。ほとんど完全に塗りつぶされてた。言うつもりのない事も結構言ったしねー。社長対談の時とかもだけど"
「それ、どうやって杏……さん、に戻ったの?」
──"今更さん付けとかいいよ。杏で。もしくは杏お姉さんで"
「ちゃんと殴りたくなるから杏って呼ぶけど」
──"うい。で、わたしはちゃんとキーを作ってる"
「キー?」
──"批判を見る事。批判コメントを見る事。自分に向かう批判を見る事"
「あー」
そういえばコイツ、そんなんだった。
……そんなん、か。
「それ、どうやってるの?」
──"どうやって、って……難しい事聞くね、ななちゃん。簡単に言えば、わたしは批判を見るの好きだからさ。それ見て、愛おしくなって、自分が自分だって気付く感じ?"
「趣味悪」
──"知ってる。で、今超絶ヤバイ状態にあるななちゃんは、何が好き? ななちゃんが好きな物は何? あるいは嫌いなものでもいいよ。何か自分を、現実に引き戻すキーを用意しよう"
と、言われましても。
嫌いなもの……は、自分の本名くらいか。普通過ぎるこの名前を嫌だと思ったのが始まりだから。
──"じゃ、PCの画面に付箋で"お前の名前は玉川なな"って書いときなよ"
「嫌すぎる」
──"大事な事だよ。それじゃそろそろわたしは仕事行ってくるから"
「あ、うん」
通話が切れる。そうだ、カリンは今からもう一つの方の仕事があるんだった。
……不味い、まだ不安はぬぐえない。とりあえず言われた通り付箋に書いてみたけど、これをしたところで何が変わるというのか。
通話をかける。
──"どうしたのかしら?"
「夜分遅くもないけどごめんなさい。小雪さん、相談に乗ってください」
──"ええ、勿論良いけれど……"
頼れる人、頼れる人。
昔は一番頼れない人達の枠にいた二人を真っ先に頼るなんて、やっぱり私はどうかしてるのかもしれない。
「自分が自分じゃなくなっちゃってて、精神状態がヤバいです」
──"病院に行きなさい"
「それはそう!」
それは、そう。
いやマジでそうなの。だって自分の書いた覚えのないチャットが、会話が為されている、って。
どう考えても病院行きなんです。
「そこをなんとか」
──"良い? 私は医者ではないから詳しい事は言えないけれど、そういうのは時間が解決する、なんてことはないわ。長引けば長引く程、先送りにすれば先送りにするほど悪化していく。早く病院に行きなさい。なんなら私から沙月さんやクリエイターさん達に伝えて、強制的に休みにさせるのもアリよ"
「そんなゴムタイヤ」
──"ご無体でもないでしょう。貴女を心配してのことよ、ななさん"
「……いや、でも」
──"何をそんなに嫌がっているのかしら? もしかしてその歳で、病院嫌い、とか言うわけでもないでしょう?"
何をそんなに嫌がっているのか、って。
そりゃ。
「……何をそんなに嫌がっている、んだろう」
──"多重人格は解離性同一性障害、あるいは解離性同一症というれっきとした神経症よ。早く病院で診てもらった方がいいわ"
「あの、その」
──"……何か聞きたい事があるようだから、それくらいは聞いてあげるけれど。ちゃんと病院に行きなさい。わかったわね?"
圧が。
圧が凄い。でも言ってる事が正しすぎる。
病院……病院、かぁ。
「その……HIBANaに、ちょっと聞いて。"自分が戻るためのキーを設定しろ"って言われて」
──"へえ。たまには役に立つのね"
「それで……私、嫌いなものが自分の名前なんだけど、好きな物って何かな、って」
──"え? ……どういうこと? ななさんの好きな物が何か、って聞いているのかしら"
「うん」
──"……今切羽詰まって悩みに悩んでいる仲の良い年下の子に言うべき言葉ではない事を重々承知の上で言わせてもらうけれど……シランガナ"
「だよねー」
私が知らない事を、他人が知っているはずもなく。
小雪さんにネットミームを使わせてまでツッコまれてしまった。
──"正直な話、私、ななさんの事あんまり知らないのよね。貴女常に一歩引いているでしょう? 割合激情的になることはあるし、ヒステリックになることもあるけれど、それは相手に対してで……自分のこと、じゃ、あんまり怒らないじゃない。それでも、というのなら、私の知っているななさんの好物は"辛いもの"ね。十辛とか、正気じゃないわ"
「確かに。それがあった」
辛いもの。
それは私の好きなものだ。これならキーになり得るかもしれない。
──"それ以外は、他のメンバーにでも聞きなさい。けど、そんなのはあの特例が使ってる特例な技法である事を自覚する事。貴女はそうではないのだから、ちゃんと病院に、"
「わー、行く、行くから。……ありがとうございました、小雪さん」
──"あ、ちょっと"
通話を切る。
病院。
病院に行け。
いや、全く以てその通りなんだけど……何かが制止するのだ。
行ってはいけないと。
行ったら、消えてしまうと。
消されてしまうと。
「……もうちょっと、もうちょっとだけ……」
それが何なのかは、結局わからなかった。
ГГГ