Lostbelt No.EX-異聞統合封土ガイア-地に落ちた林檎 作:飴玉鉛
「セイ、バー……?」
呆然と。馬上に居る自身を見上げる衛宮士郎の声に。
横顔を見せ、微かに微笑んだ少女は、以前のマスターを確かに覚えていた。
振り抜いた聖槍を引き、高潔な王の貌に立ち返った少女が名乗る。
「星の喚び声、縁の鼓動に応え参上しました。我が愛馬が雷雲を越える様に、我が槍はあらゆる障害を打ち砕く。最果ての槍の輝きを以て、あなた方の未来を照らしましょう。その証左を示すためにも……まずはマスター、指示を。開戦の号砲は貴方が鳴らすべきです」
クラスはライダー、真名をアルトリア・ペンドラゴン。
その姿は紛れもなく、第五次聖杯戦争にてセイバーのサーヴァントだったものだ。当時のマスターは衛宮士郎、紆余曲折を経て遠坂凛と再契約している。
今の彼女は聖剣ではなく聖槍を有していた。彼女はまだ死んでいない、故に正確には英霊ではない。アルトリアは未だにカムランの丘に縫い止められたままである。生きている人間である以上、彼女はセイバーとしてしか喚び出されないはずだったのだが――しかし、カムランの丘で叛逆の騎士にトドメを刺したのは聖槍である。故にサブウェポンとして聖槍も手元にあった。
星の意思による召喚であれば、彼女はセイバーの他にランサー、ライダーとしても現界が叶うのである。後者二つのクラスであるなら、聖槍を携えたサーヴァントとして。
死んでいない故に霊体化はできない。死んでいない故に、第四次と第五次の聖杯戦争についての記憶も連続している。そして死んでいない故に――彼女の意識は未だに戦時下だった。意識の切り替えが迅速なのも当然である。何より世界を守る為の戦いであるなら迷いもない。
卓越した戦場指揮官でもある常勝の王は、自身の召喚主と、縁、そしてこの場に居合わせた面々を見て状況を完全に把握していた。であるからこそ、彼女は現在の召喚主に令呪を促す。彼の力量では全力を出せない。そればかりか槍の一振りだけで相当大きな負担になっていた。急場を凌ぐためにも令呪の使用は欠かせないだろう。
「れ、令呪で、命じる……! ソイツを蹴散らせ――!」
慎二はその意図を汲んだ訳ではないが、自身の状態と状況は理解している。
指示は的確だった。令呪を使った途端、限界を迎えて失神してしまったが、構わない。アルトリアは――ライダーは決して負けないのだから。
「了解しました。――モルガン、覚悟を。貴女はここで斃れなさい」
そうしてライダーは対峙する。自身の因縁の相手、宿敵、怨敵とも言える腹違いの姉と。
油断も慢心もない、モルガンは自身にとって最大最悪の敵だ。余計な策を練られ、実行される前に倒してしまいたい。もし逃がしたら面倒な事になると、長年辛酸を嘗めさせられてきた彼女は直感している。――対し、騎兵を見た魔女は能面のような無表情になっていた。
――ランサーの座は埋まっている。であれば、目の前の小娘はライダーだろう。
そうした判断とは別に、荒れ狂う激情がモルガンの貌に感情の出力をさせなかった。
単純に表情が出ない。怒りも、妬みも、憎しみも極まっている。例えアルトリア当人に罪はなくとも、自分が得られなかった玉座に座った者なのだ。違う世界の妹? 憎むにしても相手が違う? そんな正論で止まるような女なら、モルガンは魔女になど堕ちていない。
「……そう、ですか。よりにもよって……お前が。
よりにもよって、この
この私の前に立ちはだかるのですね……」
かたかたと、魔槍が震える。
持ち主の感情の一端を示すように。
手が震え、肩が戦慄き、影の落ちた貌の下――唇が不気味な弧を描いた。
「――いいでしょう。世界を救う前に、我が積年の怨念を整理する。アルトリア、我が王冠を掠め取った愚者の
俯けていた貌を上げた魔女は、凄惨な表情と化していた。混沌とした激情を表すものとして、これ以外は相応しくないという心が選択させた貌だ。壮絶な憤怒が魔槍に魔力を漲らせる。
ライダーは訝しげに眉をひそめる。流石に違う歴史の者である。厳密に言えば自身の知る魔女とは別人だが、限りなくその性質が一致した者なのだろう。――だというのに、モルガンの姿はライダーの知るものと比較して、決して無視できない差異があった。
汎人類史やライダーの世界で、モルガンは
であるのに、このモルガンは
単にこのモルガンは、魔術のみでは円卓に抗し得ないと判断し、自衛の力を高めるため自らの腕も磨いたに相違ない。一廉の練達と言ってもいいほどに、魔槍を構える姿が堂に入っている。
どれだけ淫蕩で、残忍で、嫉妬に狂おうとも、モルガンの本質は忍耐強い鋼鉄の女だ。必要と判断したのなら努力は惜しむまい。だからこそライダーの一撃を、モルガンは弾けた。もしライダーの知るモルガンであったら、出会い頭で一撃を浴びせられていただろう。
……意外な強敵である。所詮はキャスターと侮れば負けるのは自分だ。
ライダーは愛馬のドゥン・スタリオンから下馬し自らの足で地面に立った。ライダーとして現界してはいるが、宝具としての力はドゥン・スタリオンにはない。ライダーの宝具は最果ての槍だ。
それはライダーがまだ生きている存在だからこそのバグである。騎兵としても現界できるが、セイバーとランサーの座が既に埋まっている故の措置に過ぎず、ライダーが生者であるのに愛馬が死者である差異が食い違って、騎兵としての宝具であるドゥン・スタリオンは封印された状態になっていた。アルトリアが死んで英霊になっていたら宝具として真名解放が可能になるだろう。
今のライダーには最果ての槍しか武装がない。愛馬は自分に付属した装備の一つという括りだ。封印状態であるためか、意思持たぬ傀儡となっている。
「忌まわしい赤竜の落胤、傲慢なるウーサーの最高傑作、“コーンウォールの猪”よ! 豚のような悲鳴を上げ、その死に様でこの私を悦ばせなさい!」
「望むところだ。だが、屠られるのは貴様だと知れ!」
怨念に塗れた怒号を上げ、十字架型の魔槍を掲げた魔女へと聖槍の騎士王が突貫する。
愛馬を下がらせたのは小回りが利かないからだ。庇護すべきマスターがいる手前、隙を見せたら
故にドゥン・スタリオンには気絶したマスターの襟首を咥えさせ、その背中に放らせている。モルガンの攻撃に晒されないように、狙われたら逃げ回るように指示していた。
「通すものですか!」
「いいや、押し通るッ!」
突撃し、懐に入ろうとするライダーに対し、モルガンは飛び退いて後退している。どれほど怒り狂おうとも魔女は冷徹な判断力を損なわない、可能なら殺してしまうが、なんの下準備もなければ不利なのは自分だと弁えていた。最初から即席の魔術で最高の対魔力を誇る騎士王を害せるとは思っておらず、また白兵戦で討ち取れる相手でもない。あくまで近接では相手に分がある。
敗北は許される。敗走など幾らでもしよう。しかし死だけは許されない。故にモルガンの最優先目標は撤退だ。勝つか負けるか、一か八かの勝負に訴えていい道理などないのだから。
逆にライダーは今こそが千載一遇の好機だと悟っていた。今のモルガンには自身を討ち取る算段はない、即ち魔女は逃げの一手を打つしかないのである。討てる時に討つ、特に宿敵モルガンだけは。
――だがここで両者は意外な念に駆られた。
モルガンは後退しながら魔槍を、エクスカリバーに似た魔剣の形状へ変形させた。そうして魔剣を振り、得意の転移魔術で以て
これに面食らった。防御力に重きを置いたライダーの甲冑を、一撃で粉砕したその威力。何より斬撃を転移させるという出鱈目な攻撃。魔槍を有していた事から悟ってはいたが、こうまで戦法が違うというのは想定外だった。モルガンもまた驚愕する、アーサー王と直接交戦した事はないとはいえ、自身の戦術は交戦した円卓の騎士から聞いているはず。なのに今の一撃が通った。
ということは――
(――マズい、モルガンが気づいた!)
(――アルトリアめ。
不可抗力とはいえ知られてはいけない相手に背景を知られる一手。
モルガンは嗤い、ライダーは魔女の性質を知る故に即座に愛馬に指示する。
「潰れなさい!」
「跳べ、ドゥン・スタリオン!」
更に下がりながら魔剣を振るい、転移させた斬撃が狙ったのは間桐慎二である。しかし騎士王の愛馬は主人の命令を忠実に守り、モルガンの転移斬撃を跳躍して躱す。一撃を貰いたたらを踏んでいたライダーは足元で魔力を噴射し、無理な体勢のままモルガンに迫った。
「モルガンッ!」
「ッ、なんて不細工な!」
魔力に物を言わせた膂力で薙ぎ払われる聖槍。敵マスターを追撃したら自分が穿たれると判断したモルガンは、魔剣を魔槍へ変形させて振り回し、遠心力を乗せ逆袈裟に振り上げる。
激突する魔槍と聖槍。吹き乱れる衝撃の余波で遠坂邸の庭に設置されていた結界が砕け散る。無理矢理接近してきたライダーに悪態を吐きつつ、モルガンは自身のアドバンテージを理解してこの窮地を脱する策を練り始めた。力任せでありながら、的確にモルガンの魔槍を弾き、反撃としてモルガンの隙を叩くライダーもまた意を決する。
(――モルガンは逃げる気だ。その為に確実に魔術を使う! その隙を――)
(――この
遮二無二に後退しながら、突撃し続けるライダーの聖槍を幾度も弾く。その技倆にはライダーも舌を巻いた。円卓の騎士の内、ベティヴィエールやケイでは返り討ちになるだろう。
よくぞここまで練り上げたものだ。流石は母は違えど血を分けた我が姉。素直に敬意を懐く、不倶戴天とはいえライダーにモルガンへの憎しみはない。しかし――致命的にモルガンとライダーには格差があった。踏んだ場数も、鍛錬に費やした時間も、近接戦闘での勝負勘や才能、性能が違い過ぎる。ライダーの一撃を弾く度にモルガンは苦悶していたのである。
「なんて、馬鹿力……っ! 猪だと予言されるだけの事はある……!」
「負け惜しみをッ! ならば
「くぅぅぅ……っ!」
魔槍を振るう魔女の手が痺れる。馬力が違うのだ。このまま打ち合えば握力を無くし、得物を取り落としてしまうだろう。そうなれば待っているのは死である。
モルガンは腹を決めた。次だ、次の間で退く。タイミングは――
――この時、モルガンは一瞬、目の前に集中した。
――この時、ライダー・アルトリアは感じた。
故に魔女は見落とした。故に騎士王は気づいた。
此処にはアインツベルンの城で赤い弓兵と戦い、その技の一端を得て。後に英雄王と交戦して開花した勝負強さ。どれほど弱ろうと気力の萎えない、狂人に等しい精神力を具えた少年がいた。
彼はライダーを援護する。的確に、正確に、最適の戦術行動を取ったのだ。
衛宮士郎が弓を投影し、番えるはただの矢。しかし強化された矢は防御の薄い魔女の肉を裂くには充分なものである。それを――例えサーヴァント同士の戦闘中であろうと、
「――そこだ!」
「っ……!?」
「――隙を見せたな、妖姫!」
果たして士郎の矢はモルガンの肩に
意識の外からの痛みに体勢を崩し、こうなることを予期していたライダーが踏み込む。
聖槍を一部解放して、穂先から極光を放ちながら振り下ろす。本当は刺突を放ちたいところだったが体勢を整える間が惜しかった。故に、その一撃はモルガンを袈裟に切り裂く結果となる。
「ぁ、ぐっ……!」
重く、鋭い魔力撃。聖槍によるそれは、モルガンに重傷を負わせた。無論、ここで詰めを誤るライダーではない。今のはあくまでも布石、次に繋げる為の前戯だ。振り下ろした聖槍を魔力放出を以てしてカチ上げ、モルガンの脇腹を強打すると空中に打ち上げた。
肋の砕ける感触――殺られる――
――だが、モルガンはサーヴァントだった。
「カタフラクティ、展開。聖槍――抜錨!
最果てより光を放て、其は空を裂き、地を繋ぐ、嵐の錨!」
ライダーが宝具を展開する。
真上に向けた宝具解放、真名を最初から知られている相手だ、出し惜しみなどあるはずもなく。ましてや相手はモルガン、例え他陣営に真名を知られる危険を犯そうとも確実に消滅させるつもりだ。
その間際、激痛と失意、怨敵への憤怒で意識を白熱させていたモルガンは確かに聞いた。
(――モルガン、どこにいるんだ? なんだか嫌に令呪が痛むぞ……)
それはモルガンの魔術で眠らされていた彼女のマスター、静希草十郎からの念話だ。
令呪にはマスター、そしてサーヴァント、双方の危機を伝える機能がある。令呪が発する痛みで魔術が解け、草十郎は目を覚ましたのである。
異聞聖杯により基本的な知識を得ている故に、サーヴァントとマスター間のパスを通じての念話ぐらいはできる。故に痛みの原因がわからない草十郎は、姿の見えないモルガンに理由を訊ねた。
それがモルガンを救った。モルガンは目を見開き、必死に請う。
(ソージューロー……! 令呪を! 令呪で私に帰ってきてって――)
帰る。……どこへ? 束の間、モルガンは忘我した。
帰ってきてと……そう願ってくれた人なんて、今までどこにもいなかった。
どこに居ても、どこに行っても疎まれた。
誰も彼もが居なくなれ、死んでしまえと呪って。
嫌われて、死ね、死ね、死ねって……。
(? 分かった。モルガン、帰ってきてくれ)
「……ぁ、」
瞬間、令呪の強制力が働くのを知覚した。
それがどうしてか、とても強い安堵をモルガンに与える。
「
今こそ放たんとした真名を中断した。ライダーは魔女の姿が忽然と消えるのを見たのだ。
魔術を使う隙など与えなかった。であれば今のは……マスターの令呪しか考えられない。
「クッ……」
逃がした。千載一遇の好機を無にしてしまった。
ライダーは歯噛みする。ここでモルガンを倒せなかった事は後々に響いてくるだろう。
この先モルガンは直接対決をしてこない。その機会があるとしたら、それはモルガン側が勝算を立てた時だけだろう。そうなればライダーは苦境に立たされる事になる。経験上、絶体絶命の危機になるのは想像に難くなかった。危機を避けるにはこちら側から仕掛け、有無を言わさず倒すしかないが……そう甘い相手だったら、騎士王はブリテンであんなに苦悩させられる事もなかった。
「セイバー!」
「よくやってくれたわ、助かったわよセイバー」
駆け寄ってくる士郎と凛に振り返り、ライダーは苦笑する。
過ぎたことは仕方ない。今は彼らの状況を聞き、どのような戦略を取るのか話し合おう。
だがその前に――
「シロウ、リン。私はセイバーではありません。此度はライダーとして現界しました」
彼らからの呼び名を訂正する。
ライダーは後の不安に悩むことなく、今の足場の確かさに思いを馳せる。
嫌な予感はするのに、不思議と緊張していなかった。
† † † † † † † †
「ソージューロー……」
令呪によって草十郎のいるホテルの一室に転移してきた魔女は、見るも無慙な有様だった。
左肩に矢傷があり、袈裟に切り裂かれ、血塗れだ。右脇腹は陥没している。右半身の肋骨は全損し、人間だったらショック死してしまっていただろう。
余りの惨状に草十郎が驚くのに、魔女は構わず抱擁した。
「も、モルガン……?」
「……ありがとうございます。助かりました。貴方が居てくれて、ほんとうによかった……」
「……危ないところだったんだな。俺が寝てる内に無茶をしたんだろう」
「はい……」
絶世の美女からの抱擁とはいえ、血の臭いが酷いと流石に心配な気持ちの方が勝る。
草十郎はモルガンを引き剥がして、その両肩に――傷を避けて――手を置き目を合わせた。
「余り心配させないでくれ。俺は嫌だぞ。俺が知らない所で、勝手にモルガンが死ぬのは」
「……はい。すみませんでした」
――モルガンがサーヴァントだから。草十郎がマスターだから。この戦いが重大なものだから。
だから、こんなにも優しい言葉を掛けてくれている。そんなことは分かっている。
だが、それでも、嬉しい言葉だった。
だって……草十郎の言葉は、心の声と重なっている。嘘が、ない。
心地よかった。たまらなく、うれしかった。
しおらしいモルガンに、草十郎は気が抜けたらしい。短く嘆息して手を離した草十郎は、なんともいたたまれない気持ちになって頬を掻く。
(ソージューロー。こんな私を助けてくれて、ありがとう……例えサーヴァントとマスターという関係がそうさせたに過ぎないのだとしても、この事は決して忘れません。……本当に、なぜでしょうね。私は今とても……とても嬉しいと思っています……)
帰ってこいと言ってもらえた。
当たり前の判断だったのに、なんでこんなに嬉しいのか。
……分かっていた。本当は理由なんて分かっているのだ。
駒しか自分の近くにはなく、それ以外は全て敵だった。だというのに、こんな所で、無条件に自分の味方になってくれる存在と出会えた。それが嬉しくて堪らないのだろう。
繰り返すが、あくまでモルガンと草十郎はサーヴァントとマスターでしかない。だがその関係が、途方もなく得難い宝物である気がしてくる。
所在なさげに視線を彷徨わせるマスターに、サーヴァントは微笑んだ。そして、
(――アルトリア。次は、ありません。私のマスターに……もう二度と、こんな醜態を晒す事は有り得ないのですから)
魔女は、改めて誓った。宿敵との戦いに、必ず勝つ事を。
(――アレがライダーなら、誘うまでもない。向こうから勝手にやってくる。傷は表面だけ癒やしておきましょう。それで充分です)
策は成る。絶対に成就させる。この異聞聖杯戦争を征するのは、自分達だ。