ダーナの目の前には椅子に縛られ、項垂れている黒魔術のおじさんがいた。部屋は人が十人入るのも窮屈になるだろうと思えるほどに小さな拷問部屋だった。ここはデミマーレ魔導国以前から存在する魔術学院の地下牢施設である。勿論ここを知る者は一部の上級魔術師のみ。
四百年後には改築が施され、比較的小綺麗で過ごしやすい物になっていたが、ここは400年前の改築前なので相当古い施設だ。
その中にダーナと私、おじさんの三人で極秘に尋問を行なっていた。ダーナに問いかけられたおじさんの様子はどこか意識が朦朧としている様で、口からは涎が水滴の様に滴り落ちていた。
「さぁ、これで貴方は私の言葉に嘘はつけない。正直におっしゃってください、貴方が小さな村や町に災いを振りまいている元凶ですか?」
「ち…がう」
おじさんは先程まで黙秘を貫いていた状態から一転、ダーナの言葉に素直に応え始めた。嘘を吐けない洗脳魔法という、尋問する為だけに存在する非常に非人道的な魔法の一つである。この魔法をかけられれば最後、魔法を解除されようが頭の中は元の状態ではなくなる。
ダーナが生まれたリルバーン公爵家は隠密に特化した固有魔法を持っている。その隠密活動の中には尋問を行うことも必ずあると言える。勿論ダーナは決して嬉々としてやっているわけではない。今回の出来事で何が重要か判断した末の洗脳尋問であった。
「では黒魔法をどこで習いましたか?」
「あ…あのお方…あのお方が叡智を授けてくださった」
「あの方とはどなたですか」
「…人ではない、悪魔族…の男」
「!?」
ふとダーナが私と目を合わせる。予想外の答えにほんわずかに焦った様子だった。無理もない。悪魔、伝承でしか登場しない。大陸の南に存在するという魔族。確かに黒壁が立ちはだかる前のこの時代ならあり得る話かもしれない。
動揺を抑えたダーナが再び問いかける。
「…その悪魔の名前を言いなさい」
「な、名前は___ガふ_」
「「!?」」
名前を言おうとした瞬間、おじさんの体の穴という穴から血が吹き出した。口からはバケツを溢したかの様な量が地面にバシャバシャと撒き散らされ、耳や鼻、目といった所からも血が流れていた。
「……やられましたわね」
黒魔術の一つ、呪術である。ある条件で発動する呪いを付与した黒魔素を対象に潜伏させる魔術だ。おじさんは既に死に絶えている。この魔術が発動した事も術者には伝わっているだろう。
しかし、名前は突き止められなかったが、悪魔族である事が分かっただけでも大収穫と言える。まさかこの時代の災いの黒幕が悪魔だったなんて、四百年後の学者達は空想論として誰一人として予想していなかったのだから。
暗く、ジメジメとした地下通路をダーナと2人で歩いていく。灯りは等間隔に蝋燭が光っており、隣のダーナの表情を確認する事が出来る程度の明るさだった。
歩く私たちは、さっきから一言も話していない。先程黒魔術のおじさんの尋問が終わったところで、今は帰ってる最中である。ふとダーナを見ると、難しい顔で熟考している様だった。無理もない。ただの魔術師だった人間を一発のみとは言え、上級黒魔法を放てる程に強化させるなど、並大抵の事ではない。
私達が過ごしていた四百年後にもおじさんレベルの黒魔術師は大勢いたし、何度も戦ってきた。しかし今は四百年前の世界だ。いくら文化や魔術学が発展していないと言っても、その時間はあまりに大きすぎる。
いまの初代賢者クレイさんと私達では大人と子供ぐらいの魔術格差がある程だ。その時代に一度に数百人の命を奪える黒魔法を放てる存在など、異端に他ならない。
そこまで考えを巡らせていると、目の前を歩いていたダーナが止まり、ふとこちらに振り向いた。
「私達がこの悪魔を退くことが出来れば…」
その表情はとても難しそうで、迷っている様だった。ダーナの言葉にはいと答えて次を待つ。しばらく目を閉じて考えていたダーナが再び前を向いた。
「……いえ、何でもありません。先を急ぎましょう」
「…はい」
わかりやすいダーナを見ながら再び歩き始める。きっとダーナはある可能性を口に出そうとした。しかしそれを実現させることは不可能だと、彼女は理解している。私には分かるのだ。時空間魔術を開発した時にこの問題について、これからの未来でも決して解決されない大きな問題が。
彼女が何を言おうとしたのか。その可能性は限りなく高いということも、そしてその可能性を実現させた時____
____私達は元の世界に帰ることができないと言う事も。
◆◆◆
薄暗く、何かが腐った異臭が充満する狭い路地裏を、男は歩いていた。辺りからは部外者の侵入に警戒心を露わにしている住人達からの視線が体中に纏わり付いている。
きっとこの場で倒れることがあれば我が身につけた衣服や装飾品、挙げ句の果てには内蔵からこの体まで跡形もなく消し去られることになるだろう。
ここはデミマーレ魔導国の北街道の外れから更に奥。スラム街の中でも非常に危険な一角である。 ただの一般人が立ち入れば帰ることができないとされる街の中を進み、地下へと続く小さな階段を下っていく。そこには重い鉄製の扉があった。取手の所には非常に丈夫な錠が取り付けられており、例えそこらの魔法が使える一般人がどれだけ魔法を放とうが壊れることはないだろうと思える程だ。
しかし男は右手の指先が黒くなったと同時に、そのを真っ二つに切断する。地面へドスッと音を立てて落ちた錠を見る事もなく、その扉を押す。
「…ふん」
音を立てて開いたそこには更に奥深くへと続く階段が続いていた。その先は漆黒の暗闇となっている。その階段の先を見つめながら、男はまだ黒魔素が残っている右手で首をガリっと掻いた。
「災いは、これからですよ」
そう呟く男は無理矢理に作ったような笑みを浮かべて、その階段をゆっくりと下っていった。