里見さんちの日常   作:レオナルド・荼毘

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2031年6月2日 午前6時30分

「──、──さん──お兄さん」

 

 心地よい声が聞こえて、微睡みから覚めていく。

 温かい何かが腹を揺さぶる感触を頼りに、少年は意識を夢から現実へと引っ張り上げる。

 少年がゆっくりと目を開けると、視界に入ったのは一人の少女だった。

 

「おはようございます。お兄さん」

「……ああ、おはよう。ティナ」

 

 ティナと呼ばれた少女は、にこりと笑って腹に置いた手をよける。

 ふわりとやわらかな微笑を浮かべて、とろりとした目を眠たそうに擦った。

 その口から可愛らしいあくびが漏れて、少年──蓮太郎は苦笑する。

 

「無理して早起きしなくてもいいんだぞ? まだ眠いだろ」

「お兄さんが料理するの、見てたいんです」

「そっか。じゃあティナが二度寝する前に、早く支度しないとな」

「はい。私も寝ないよう、がんばりますね」

 

 雑談しながら蓮太郎が起き上がり、そのまま階段を下りていく。

 この家での生活が始まってからというもの、制服が汚れるのを嫌って、着替えは全ての支度の後でする習慣がついていた。

 軽く顔を洗ってキッチンに立つと、この家のもう一人の住人が顔を出す。

 

「……おはよう里見くん。ご飯は?」

「これから作んよ。とりあえず顔洗ってこいよ木更さん」

「…………うん」

 

 彼女は天童木更。里見家のもう一人の住人だ。

 両親が海外で仕事をすることになったものの、日本に残りたいとわがままを言った蓮太郎が預けられたのが、母方の実家である天童家。その末の娘こそが木更である。

 

 そんな木更が何故里見家に同居しているかというと、祖父である天童菊之丞が原因である。

 『天童たるもの、市政の生活も理解せねばならない』という方針から、実子である親世代は高校入学と同時に一人暮らしをさせられていた。

 しかし年頃の少女である木更を一人暮らしさせるのはさしもの菊之丞でも心配だったようで、ならばと蓮太郎の実家を使って同居させたのが始まりなのだ。

 

 蓮太郎は『いくら従兄妹とはいえ、年頃の男女が二人暮らしというのは如何なものか』と抗議したのだが、菊之丞は取り付く島もなく。

 高校入学から一年と数ヵ月。今もなお木更は里見家に住んでおり、それどころか()()()()()()()()()()ティナも里見家の住人に加わっていた。

 

「今日のごはんは何ですか、お兄さん」

「昨日の味噌汁と米。あとは……影胤(かげたね)さんに貰ったソーセージまだあったっけ」

「ごめん里見くん。昨日食べきっちゃった」

「じゃあベーコンエッグにすんぜ。二人ともいいよな?」

「ええ、大丈夫よ」

「楽しみです」

 

 ティナが天童家の養子になったのは、それこそ偶然が重なった結果だ。

 以前聖天子──国家の象徴として敬愛される少女で、菊之丞の伝手で知り合った──が公務で孤児院に訪問した際、菊之丞の勧めで蓮太郎と木更も同行したのがきっかけだった。

 木更が子供たちと遊んでいると、一人だけ遠くで本を読んでいる子供を見つけた。

 あまりに寂しそうな姿を見て、木更がどうしても引き取りたがったのだ。

 その少女こそがティナであり、今は木更の妹──ではなく、菊之丞の娘という扱いである。

 つまりティナは木更の叔母にあたるのだが、木更はティナのことを実の妹のように扱っていた。

 曰く木更は末っ子だったため、自分より年下の女の子がいることが嬉しいのだとか。

 

「っと、もう出来たか。二人とも、運ぶの手伝ってくれよ」

「はい、お兄さん」

「はーい」

 

 思考に埋没した意識を引っ張り出し、三人分の食事を盛り付ける。

 盛り付けられた料理をティナと木更が運び出し、食卓には全員分の食事が並んだ。

 全員が定位置に座ったことを確認して、蓮太郎は手を合わせる。

 それを見た二人も手を合わせ、息を合わせて唱和した。

 

「「「いただきます」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「忘れ物ねえか? ハンカチ持ったか? 給食袋は?」

「全部昨日のうちに揃えました。お兄さんこそ、ネクタイをお忘れではないですか?」

「やべっ、どこ置いたかな……」

「里見くーん、私のリボン知らない?」

 

 バタバタというほどではないものの、朝はやはり忙しいもので。

 蓮太郎とティナは互いに忘れ物を確認し合い、木更は家の中を小走りしながら制服のリボンを探している。

 三人暮らしをしていくうち、いつしか日常になった光景だ。

 

「リボンなら、テーブルの上でそれっぽいの見かけたぞ」

「あ、あった! ありがとう里見くん! あとこれ里見くんのネクタイじゃない?」

「マジで? サンキュ、木更さん」

「いいのよ。ホラ行くわよ」

 

 ティナは小学校へ、蓮太郎と木更は高校へ通っている。全員で一緒に家を出るのも、元はと言えばティナと打ち解けるために始めたことだった。

 木更とティナに少し遅れて蓮太郎が玄関を出ると、隣の家の玄関から快活そうな少女が飛び出してきた。

 ティナと少女、そして蓮太郎の視線が交錯し、元気のいい挨拶が響く。

 

「ティナ! 蓮太郎! おはようなのだ!」

「おはようございます。延珠さん」

「おう。おはよう延珠」

 

 少女の名前は藍原延珠(あいはらえんじゅ)

 勾田小学校の四年生で、ティナが初めて家に連れてきた友達だ。

 ちょっと()()()なところはあるが、誰とでもすぐに打ち解けるような明るい性格をしている。

 ただし、そんな延珠にも例外というものは存在するようで。

 

「おはよう、延珠ちゃん。今日もいい天気ね」

「……ふんっ! 行くぞティナ!」

「は、はい。行ってきます。お二人とも」

「おう。車には気をつけろよ」

「行ってらっしゃい、ティナちゃん」

 

 そのうちの一人は──木更だ。

 延珠は木更に対して決して懐かないし、木更から話しかけられるとものすごく不機嫌になってしまう。木更はめげずに話しかけるのだが、そのたびにますます機嫌が悪くなるのがいたたまれない。

 現に木更に挨拶された延珠は途端に機嫌が悪くなり、ティナの腕を掴んでずんずんと進んでいく。

 ティナは引きずられて困り顔をしながらも、律儀に挨拶をしてから去っていった。

 

「延珠ちゃん、私のこと嫌いみたいよね……理由とかわかる?」

「さあな。本人に聞けばいいんじゃないか?」

「聞いても物凄い顔していなくなるんだもん。里見くんは延珠ちゃんに好かれてるみたいだし、理由もわかるかなって」

「あー……、とりあえず、俺たちも行こうぜ」

 

 以前ティナから聞いたところによれば、「木更はおっぱい星人で、近寄ると成長する分のおっぱいを吸い取られるのだ」などと言っていたらしい。

 まさか胸が理由で嫌われているとは言えず、蓮太郎は話を濁しつつ車庫から自転車を取り出し、荷台を軽く叩いた。

 その仕草から二人乗りを促しているのを理解して、木更は小さく苦笑する。

 

「道路交通法違反よ、里見くん」

「バレなきゃいいんだよ。乗らねえなら一人で行くぞ」

「乗らないとは言ってないじゃない。お馬鹿」

 

 まんざらでもなさそうに言って、木更は荷台に腰を下ろす。

 よく見れば荷台には厚手のタオルのようなものが巻かれている。蓮太郎がやりそうなことだと小さく笑って、木更は蓮太郎の腰に手を回した。

 

「行くわよ里見くん! 出発!」

「おう!」

 

 蓮太郎が勢いよくペダルを漕ぎ出すと、推進力を得たタイヤが力強く回る。

 本来想定されていない荷重に耐えながら、自転車は地面を噛むように進んでいく。

 やがて自転車は私有地から公道へ。門塀を抜けると、そこからはしばらく下り坂だ。

 

「風が気持ちいいわね里見くん! ひゃっほーーーーう!」

「あんまはしゃぐなよ。結構神経使うんだから」

 

 ブレーキに甘く指をかけつつ、爽快な向かい風を受けながら進んでいく。

 朝の涼しい風が体を撫でるように吹き抜け、なんとなく心まで晴れやかになってくる。

 はしゃぐ木更の気持ちもわかろうというものだ。学校など気怠いだけのものだと思っていたが、そんな気持ちすら和らいでいくような感覚があった。

 

「あっ里見くん、コンビニ寄りましょコンビニ」

「いいぜ。どこがいい?」

「どこでもいいわ。里見くんに任せる」

 

 やはりウキウキしている木更の提案にノータイムで応じて、近場のコンビニに向けて進路を変更する。

 何でもないような日の、何でもない出来事。

 それこそ週刊誌のラブコメでも描かれないようなベタな日常だというのに、蓮太郎の心は晴れやかな気分に包まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「里見くん。お昼、ご一緒しませんか?」

「いいぜ巳継(みつぎ)。そこ座れよ」

 

 昼。

 蓮太郎に声をかけて正面の席に陣取った少年は、蓮太郎とは対照的な存在だった。

 色素の薄い髪に、優しげな顔立ち。その人好きのするであろう笑顔は、蓮太郎がよく浮かべる仏頂面とは正反対の気を帯びて輝いている。

 悠河──巳継悠河(みつぎゆうが)は、蓮太郎にとって希少な友人の一人だ。

 

「そういや水原(すいばら)来てねえよな。また()()か?」

「ええ、いつものアレです。まったく、彼のシスコンはいつ治るんでしょうね」

「アレはもはや一生モノだろ……」

 

 直前まで笑顔を浮かべていたというのに、悠河は水原──水原鬼八(すいばらきはち)──の話題を出した途端に表情を崩す。本気で呆れたような顔だ。

 鬼八はとにかくシスコンで、実妹にも、最近引き取った義理の妹にも、等しく愛情を注いでいる。

 その溺愛っぷりは校内でも有名で、携帯の待ち受けには妹と義妹、そして自分が写ったスリーショット。妹の頼みとあらば自分の用事はどんなものであっても全てキャンセルし、どれだけ無茶な頼みであっても答えてしまう。まさに筋金入りだ。

 今日はたしか、鬼八の妹たちが通う小学校で運動会があるハズだ。ならば鬼八は十中八九その運動会を見に行っているのだろう。蓮太郎はそう確信した。

 

「ところで里見くん。今日は天童さんと二人乗りで登校してましたね」

「バッ、み、見てたのかよ!?」

「窓から見えましたよ。校門の近くの曲がり角で降りて何食わぬ顔で登校してるのも」

「人のプライベートを暴くんじゃねえ!」

「隠したいなら、今度からはもう少し工夫した方がいいですよ」

 

 ひとしきり蓮太郎をからかって、悠河は再び菓子パンを齧る。

 そのしてやったりと言わんばかりの表情に、からかわれた事への憤りがふつふつと湧き上がる。

 蓮太郎は負けず嫌いな性分である。故に、言われっぱなしでは終わらない。

 

「……未織(みおり)に和モノのエロゲ買ってたのバラすぞ」

 

 ぼそり、と。

 独り言のように、それでいて悠河には聞こえるように呟く。

 

「なッ!? そ、それは反則でしょう里見くん!」

 

 そう。悠河は重度のエロゲオタクなのだ。

 アルバイトで稼いだ給料の大半を新作エロゲに費やし、関連グッズが出れば片っ端から買い漁り、眠るときは女の子のイラストが描かれた抱き枕──本人曰く、嫁──と添い寝する。そして部屋の中は、壁や天井の隅々まですべてがグッズで埋め尽くされている。

 控えめに言って気持ち悪いタイプのオタクなのだが、本人曰く『叔母よりはマシ』なのだという。色々な意味で信じたくはないが。

 そんなエロゲオタクの悠河が唯一惚れた現実の女こそ、未織こと司馬未織(しばみおり)。この勾田高校の生徒会長にして、蓮太郎にとって希少な異性の友人だ。

 

「木更さんのネタでからかうなら、本気でやるぞ」

「くっ……。誠に遺憾ですが、この件でのイジリはやめておきましょう……ッ」

 

 未織を話題に出すと、悠河はあっという間に引き下がった。

 如何にエロゲオタクといえど、惚れた女にエロゲの趣味を暴露されたくはないらしい。

 

「お二人さん、ちょっとええかな?」

 

 振り向くと、そこにいたのは気後れするほどの美人顔。

 噂をすればというやつで、女子制服に身を包み、上品な微笑みを浮かべるこの女子の正体は。

 

「しッ、司馬(しば)さん!? どうかしましたかッ!?」

「ややわあ巳継ちゃん。そんなかしこまらんでも、もっと気安くしてくれてええんよ?」

 

 まさしく、司馬未織(しばみおり)その人だった。

 突然想い人に声をかけられたからか、悠河の声は上ずっている。

 気持ちはわからないでもない。木更や聖天子という天上人レベルの美少女と交流のある蓮太郎ですら、初めて未織に声をかけられたときは柄にもなく緊張したものだ。

 交流を深めるうちに慣れてはきたものの、今でもたまにドキリとさせられることがある。

 

「未織じゃねえか。どうしたんだよ」

「放課後、ちょーっと生徒会の仕事手伝ってもらえんかな? 力仕事なんやけど、人手が足りなくて」

「司馬さんのお願いなら喜んでお受けします!」

「ありがとうな巳継ちゃん。で、里見ちゃんはどないする?」

 

 ノータイムで承諾の返事をする悠河に、蓮太郎は苦笑した。

 惚れた女に一直線。それ自体は悪いことではないのだが、仮に結婚詐欺師あたりに惚れたらどうなることかと悠河の身を案じてしまう。

 まあ、未織に惚れている限りはそういうこともないだろうが。

 

(わり)いけど俺はパスだ」

「えーっ!こないな美少女からのお願いを断るなんて、里見ちゃんのいけずぅ」

「これから天童で会食があんだよ。だから今日は無理だ」

 

 本当は特に用事もないのだが、蓮太郎は適当な嘘で手伝いを断る。

 半分は悠河の恋を応援してやろうという気まぐれ。もう半分は後始末が面倒だからという理由がほとんどを占めている。

 未織を一緒にいると木更は物凄く拗ねる。仮にそうなれば、孫バカである菊之丞に死ぬほどボコられるのは想像に難くない。

 

「天童で? ああ、そういえば里見くん、天童育ちでしたっけ」

「今でも天童の預かりみたいなもんだ。里見家(ウチ)の持ち家に住んでるだけで、生活費とかは大体天童に頼り切ってっかんな」

 

 木更を里見家に預けるにあたって、菊之丞はいくつかの条件を提示してきた。

 そのうちの一つが生活費の援助。家賃、水道代、光熱費等の公共料金や食費など、生活費の類は全て天童家が肩代わりするというものだ。

 更にちょっとしたアルバイト代と同じだけの小遣いまで出してくれるというのだから、まさに至れり尽くせり。いくら男子とはいえ、高校生の蓮太郎には抗えるわけもなかった。

 そのあたりの事情は悠河も水原も、そして未織も知っている。前者二人は里見家に遊びに来たことがあり、未織は実家が天童と繋がりのある大企業だ。そもそも、蓮太郎と未織が知り合ったのもその縁である。

 

「つまり、里見くんは天童さんのヒモということかな」

「そういうことやね」

「しまいにゃ殴るぞお前らッ!」

「やん、里見ちゃんが怒ったー!」

 

 にやりと笑った悠河が納得したように言うと、それに同調して未織が笑う。

 蓮太郎が怒ったように声を荒げると、未織が茶化すような台詞を吐いた。

 当人たちはあくまでも本気ではない。蓮太郎は口より先に手が出るタイプで、本当に怒っているのであればそもそも何か言われる前に殴られている。それがわかっているから、未織も悠河もこうして茶化せるのだ。

 とはいえ、当人同士でなければわからない距離感でもあるわけで。

 

「その辺にしておけ里見。二人も、里見弄りは程々にな」

「ケッ」「はい」「はーい」

 

 通りすがった教師に止められるのは、ある意味必然のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕方。

 学校も終わり、各々が思い思いのことをする時間。

 木更は洗濯物を干し終えてティータイムを楽しんでおり、ティナは録画した深夜アニメを見ながら目を輝かせている。蓮太郎はといえば、木更のティータイムにつき合いつつ、夕食の献立を考えていた。

 ちょうど献立が決まったとき、玄関のチャイムが鳴り響く。

 蓮太郎が玄関を開けると、そこには透き通るような美少女が立っていた。

 少女が顔を上げると、短く切りそろえられた銀髪がふわりとなびく。蓮太郎を見上げるアイスブルーの瞳は、吸い込まれるような雰囲気を感じさせる。その顔立ちにミスマッチな黒いセーラー服は、名門たる私立美和女学院のもの。

 蓮太郎にほんの少しだけ罪悪感の混じったような笑顔を向け、少女は口を開いた。

 

「また、遊びに来てしまいました。里見さん」

「……とりあえず入れよ。あんま人に見られんのもマズいだろ」

「そうですね。では、お言葉に甘えさせていただきます」

 

 ふわり、と。まるで雪のようにやわらかな笑顔を浮かべて、少女──聖天子は里見家の玄関をくぐる。

 丁寧にしゃがんで自らの靴を揃え、もののついでとばかりに全員の靴をぴたりと揃える。とはいえ、靴を雑に散らかすのは蓮太郎しかいないのだが。

 毎度のことながら妙に恥ずかしい気持ちになって、蓮太郎は後頭部を掻く。その仕草を見て、聖天子は再び笑顔を向けた。

 

「気を抜くことくらい、誰にでもありますよ」

「っせーよ」

 

 聖天子がそんなことを言えば、蓮太郎は逃げるように無言で歩き出す。

 図星を突かれた。それが余計に恥ずかしさを増大させて、まるで秘め事を暴かれたような気分になる。

 くすくすと笑う聖天子が後に続き、リビングでくつろぐ二人に声をかけた。

 

「お邪魔します。木更さん。ティナさん」

「せ、聖天子様ッ!? 来るなら来ると連絡してください!」

「申し訳ありません。迂闊に電話すると菊之丞さんに感づかれてしまうので」

「そもそも脱走せずに堂々と言えばいいでしょう……とりあえず里見くん。お爺様に連絡して」

「へいへい。ちょっと席外すぜ」

 

 突然の来訪に驚いた木更がお小言を言い、聖天子はさらりと受け流すような態度を取る。

 理屈っぽい子供とそれを叱る母親のような構図だが、それを言うと木更に切り刻まれかねないので心の中に留め置いた。

 指示を受けた蓮太郎が踵を返すと、録画を止めたティナが立ち上がって聖天子の正面に立つ。

 

「聖天子様、こんにちは」

「ティナさん、こんにちは。何を見てたんですか?」

「録画した深夜アニメを見てました。今期アニメの第一話なんですけど、意外と面白そうで続きが楽しみです」

「良いですね。よろしければ、一緒に見ても──」

 

 ティナが聖天子に挨拶を返すと、聖天子は目線を揃えるようにしゃがんで、ティナと雑談を始める。

 そんな光景を横目で見ながら、蓮太郎はリビングを後にして電話を掛けた。

 宛先は菊之丞。3コールの呼出音の後に電話が繋がり、すかさず蓮太郎が話し始める。

 

「よう爺ちゃん。生きてっか?」

『お前に心配されるほど柔ではない。お前こそ息災か、蓮太郎』

「まあな。聖天子様、またウチに来たぜ」

『あいわかった。後ほどお迎えに行こう。お食事はいつも通り頼む』

 

 蓮太郎は敬語など使わず軽口を叩き、菊之丞もまたそれに応じる。

 これが蓮太郎と菊之丞なりのコミュニケーション。天童家の当主である菊之丞に対してこんな態度を取れるのは、菊之丞の盟友である里見貴春(たかはる)と、その息子にあたる蓮太郎しかいない。

 元々は貴春が菊之丞に取っていた態度を真似たのが始まりで、水原の影響でどんどん口が悪くなった結果がこれだ。初めて聖天子と会った時、天地がひっくり返るほど驚かれたのを覚えている。

 

「それは良いけどよ、こんな頻繁に抜け出されてて大丈夫なのか?」

『大丈夫ではない。全く、どこの誰がこんなことを教えたのだったか』

「さあな。行先が決まってるだけマシだろ」

 

 聖天子が護衛を撒いて里見家に来るのは、これが初めてではない。

 最低でもひと月に一度、多い時には週に一度のペースで遊びに来る。大抵事前連絡はなしで、着の身着のままで来るわけだ。

 何故わざわざ護衛を撒くのかを聞いてみたところによれば、「たまには一切のしがらみから解放されて、普通の少女として外を歩きたいときもある」ということらしい。

 

 ちなみに菊之丞が言う「どこの誰が」とは、蓮太郎と木更のことだ。

 幼少期の二人は菊之丞について聖居──聖天子の家──によく遊びに行っていた。その時たまたま近くでやっていた夏祭りに、聖天子を無理やり連れだしたことがある。

 結果的に何もなかったからよかったものの、一歩間違えれば大惨事を引き起こしかねないようなことだ。今思えば無鉄砲だったものだと蓮太郎は回想する。

 

『……そういえば、木更とは上手くやれているか?』

「またそれかよ。屋敷にいた頃と大して変わんねえって」

 

 蓮太郎が面倒そうに言うと、菊之丞は露骨に溜息を吐く。

 

『……朴念仁が。そんなことでは木更も聖天子様も報われんわ』

「なんで二人の名前が出てくんだよッ! ったく、もう切るぞ」

『ああ。また後でな』

 

 歳が歳だからか、菊之丞は事あるごとに蓮太郎と木更──最近は聖天子もだが──をくっつけたがる悪癖がある。

 『自分が生きている間に孫を見たい』くらいの考えなのだろうが、蓮太郎も木更も、そして聖天子もまだ成人すらしていないのだ。もう少し落ち着いてほしいところなのだが。

 嘆息してリビングに戻ると、聖天子とティナが並んでアニメを見ているのが視界に入る。

 ちょうど戦闘シーンだったようで、ティナは微動だにせず映像を眺めているが、聖天子は発砲音や血が飛び散る演出のたびに身体を跳ねさせている。時折小さな悲鳴すら上げていた。

 そんな光景を見ていると、木更に声を掛けられる。

 

「お爺様はなんて?」

「後で迎えに行くからウチでメシ作れってさ」

「わかったわ里見くん。そうだ、せっかくだしたまには私が──」

「俺が作んよ! だから木更さんは座っててくれ。な?」

「そう? なら任せるけど……」

 

 歯切れの悪そうな顔をしながら、木更は再びティータイムに戻る。

 一方の蓮太郎はといえば、安堵の溜息を吐いていた。

 何を隠そう、木更はド級の料理下手。木更にゾッコンな蓮太郎ですらも「気が触れたみたいな美味さ」「耳をちぎり取った芸術家が作った飯」と評価するほどの腕前なのだ。

 そんなものを食わせてしまえば、生まれてこの方マズい料理を食べたことのないであろう聖天子は死んでしまうであろう。蓮太郎はそう確信していた。

 冷蔵庫の中身を確認する。一人前増えてしまったが、献立の変更はしなくて良さそうだ。

 ワイシャツの腕を捲り、エプロンを着けて台所に立つと。

 

「あの、里見さん」

 

 アニメを見ていたはずの聖天子から声を掛けられた。

 

「どうしたんだよ聖天子様。なんかあったか?」

「私にも、お手伝いをさせてください」

「──はあ?」

 

 あまりにも意外な申し出に振り返ると、聖天子と目が合う。

 まるで全てを見透かしているような、アイスブルーの視線が蓮太郎を射抜く。その瞳の奥からは、どこか不安げな様子が見て取れた。

 そんな顔をされては、とても断れはしない。

 

「あー、わかったよ。とりあえず俺が指示したことだけやってくれ」

「ありがとうございます。勿論、不用意なことはいたしません」

 

 蓮太郎がそう言うと、聖天子は若干ホッとしたような微笑を浮かべていた。

 刃物やガス周りに近づかせなければ問題はないだろうと、元々ティナに手伝ってもらう予定だった作業を代わってもらうことに決める。

 ()()なら子供でも出来るほど簡単で、しかも安全だ。きっと聖天子にも満足してもらえるだろう。

 手際よく作業を進めていき、聖天子に担当してもらう作業の準備が完了する。

 

「よし。これからアンタには、ハンバーグの形を整えてもらう」

「形を、ですね。手順はどのようにするのでしょうか」

「そんなに難しいことじゃねえよ。これを、こうして──」

 

 蓮太郎が実際にハンバーグのタネを使って説明すると、聖天子は真剣な顔で手元を見つめる。

 視線がキラキラしているように感じるのは、初めての体験だからなのだろう。初めてティナにやらせたときもこんな顔をしていたはずだ。

 

「ええと、これを、こうして──こうですか?」

「そうそう。初めてにしちゃ上手いぜ、アンタ」

 

 聖天子がハンバーグを成型している姿を横目に、蓮太郎は別のおかずを準備する。一品はティナのリクエストで購入したポテトサラダを四人で分け、レタスとトマトを添えてサラダを。もう一品は中途半端に余っていた大根で味噌汁を作る。

 聖天子が全てのタネを成型し終えると、いよいよハンバーグを焼く工程に入る。聖天子には一歩離れたところで見てもらうことにして、蓮太郎はフライパンにハンバーグを投入した。

 ハンバーグの半面が焼けるのを待つ間、若干ながら手持ち無沙汰な時間が生じる。

 なんとなく味噌汁を味見してみると、聖天子が興味津々といった様子でこちらを見ていた。

 

「もしかして、アンタも味見したいのか?」

「その、よろしいのですか?」

「味見にいいも悪いもねえだろ。ホラ」

 

 味噌汁を入れた小皿を押し付けると、聖天子は一瞬迷うような様子を見せてから口をつける。

 一度口をつけてしまえば、あとは飲み干すだけ。何かを決心したように小皿を傾け、聖天子は味噌汁を飲み干した。

 少し間を置いて、蓮太郎が尋ねる。

 

「少し濃かったか?」

「……いいえ。すごく美味しいですよ」

 

 不意に聖天子の顔を見ると、頬がわずかに赤く染まっていた。

 少し離れていたとはいえ、火を扱っているから暑かったのだろうか。エアコンの効いているリビングに戻ってもらった方がいいかもしれない。

 

「そっか。じゃあ後はこっちでやるから、木更さんと一緒にテーブル片付けててくれ。終わったらそのまま座ってていいぜ」

「承知しました。何かあれば呼んでください」

 

 蓮太郎が気を利かせて言うと、聖天子は粛々とキッチンを後にする。

 リビングに戻った聖天子は、木更と一緒にティーセットを片付け始めた。

 ひっくり返したハンバーグが焼けるのを待ちながら、蓮太郎はぼんやりとそれを眺める。

 

「このコースターはどちらに置けば──」

「それなら、テーブルの端にスタンドが──」

 

 不意に、わけもなく悲しい気分になった。

 木更がいて、ティナがいて、そして時々聖天子がやってくる。蓮太郎にとっては、もはや当たり前になりつつある日常だった。

 

 しかし。

 

 こんなにも満たされているというのに。こんなにも幸せだというのに。

 ()()()()()()()と、そう感じていた。

 

 足りないものを考えて、思い浮かぶのは──延珠の顔。

 

「なあティナ」

「はい。どうかしましたか?」

「せっかくだし、延珠も誘わないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「────あなたのハートに天誅天誅♪」」

 

 夕食を終えて、ティナは延珠と『天誅ガールズごっこ』なる遊びをしている。

 急遽誘われた延珠だったが、曰く「蓮太郎の誘いならいつでも大歓迎だぞ!」とのことで。家が隣同士ということもあり、遅い時間の招待にもあっさりと応じてくれた。

 お泊りの許可までもらってきたのは、少々予想外ではあったが。

 

「ずいぶん物騒なフレーズですね」

「最近流行ってるらしいぜ。俺はあんま詳しくねえけど」

 

 どうやら聖天子は『天誅ガールズ』を知らないらしい。

 以前聞いた話によれば、そもそもあまりテレビを見る習慣がないとのことだ。情報収集は新聞とインターネット、そして菊之丞に頼っているという。

 食卓でテレビが点いているというのも珍しがっていた。一般家庭ならよくあることなのだが、聖天子ほど偉くなると逆にそういうこともなくなるのか。

 ちなみに、今は食後のティータイム。木更が風呂に入っているため、テーブルを囲むのは聖天子と蓮太郎の二人だけだ。

 

「魔法少女のアニメなんだとよ。赤穂浪士がモチーフだってティナに聞いた」

「魔法少女……赤穂浪士……まったく想像がつきません」

「だな。ティナがハマってしばらく経つけど、俺もよくわかんねえよ」

 

 そんなことを言うと、蓮太郎たちは二人そろってクスリと笑った。

 その光景を目ざとく見つけて、延珠はビシリと蓮太郎に指を突き付ける。

 

「蓮太郎、浮気は駄目だぞ」

「お前とは結婚どころかつき合ってもねえよ」

 

 国家の象徴たる聖天子がいるというのに、延珠はいつも通りにふるまっていた。

 蓮太郎と異性が話をしていると、時折延珠が割り込んでくることがある。今回はどうやら聖天子と話していることにヤキモチを妬いたらしく、若干むくれていた。

 聖天子はそのあたりも察しているらしく、延珠を安心させるように声をかける。

 

「大丈夫ですよ延珠さん。里見さんとはただのお友達ですから」

「妾知ってるぞ! 浮気相手は大体そういうこと言うのだ!」

「そんな知識どこで得たんだよ……」

「こないだ悠河が教えてくれた」

「アイツ、次会ったらただじゃおかねえ!」

 

 そんなやり取りをしていると、リビングの扉が開く。

 振り返ると、ちょうど木更が風呂から出てきたところだった。

 

「お風呂空いたわよー」

「延珠さん、一緒に入りましょう」

「うむ! 二人でお風呂だな!」

 

 子供らしくテンション高めで風呂に向かう二人と入れ違いに、木更がリビングに入ってくる。

 一度キッチンを経由して着席すると、右手に持っていた二つのアイスを差し出した。

 

「はい二人とも。食べるでしょ?」

「サンキュ。バニラ貰っていいか?」

「では私はチョコレート味を。ありがとうございます、木更さん」

「別にいいわよ。ついでだもの」

 

 木更からアイスを受け取って、三人同時に頬張る。

 すると瞬く間に口内に冷たさが広がり、同時に心地いい甘みが脳を癒していく。

 舌の上でゆっくりと溶けていくソレを飲み込むと、咽頭から食道へ、果ては胃に至るまで冷気が拡散。その味をもう一度味わいたくて、思わず二口目を口に運んでしまう。

 ふと、蓮太郎は視線を上げて周りを見渡した。

 正面では木更が頬に手を当てて幸せ一杯と言わんばかりの笑顔を浮かべており、右隣を見れば聖天子が目を輝かせながら黙々とアイスを食べている。こちらも幸せそうな表情だ。

 

 不意に、聖天子と目が合う。

 不思議そうな表情で蓮太郎を見て、一言。

 

「もしよろしければ、一口ずつ交換しませんか?」

「いいぜ。じゃあ──」

「では、失礼します。あーん」

 

 一瞬、空気が凍る。

 蓮太郎は不自然な表情で硬直し、木更はものすごいスピードで振り向いて、その姿勢のまま固まっている。聖天子だけが小首をかしげて、少しだけ蓮太郎に顔を寄せた。

 

「里見さん、もう少し口を開けていただけませんか?」

 

 抗えず口を開けると、口内にスプーンを差し込まれる。

 条件反射的にスプーンを舐めると、乗せられていたチョコレートアイスの冷たさが口内に広がっていくが、味は驚くほど何も感じない。それほど動揺しているのかと自問する。

 その問いに答えることもせず、こういうとき悠河なら狂喜乱舞するのだろうなとどこか他人事のように考えていた。

 

「美味しいですか?」

「あ、ああ……」

 

 蓮太郎の口内からスプーンを抜き取り、聖天子が話しかけてくる。

 半ばトランス状態に陥った思考回路では気の利いた返答などできない。うめき声のような玉虫色の返事をするので精一杯だった。

 

「それはよかったです。では次は、里見さんが食べさせてください」

「……おう」

 

 手に持ったバニラアイスにスプーンを差し込むと、聖天子が控えめに口を開けた。餌を待つ雛鳥のようなその仕草が、どこか艶めかしいと感じてしまうのは心が汚れているからなのか。

 スプーンを握る手が汗ばんでいる。

 アイスを食べさせ合うという行動そのものが背徳的に思えて、緊張が加速する。

 落ち着け里見蓮太郎。ただアイスを食べさせるだけだ。ティナにも、延珠にも、風邪を拗らせた木更にだってしたことはあるだろう。この程度、何ということはないハズだ。

 

「い、いくぞ」

「いつでもどうぞ、里見さん」

「……あ、あーん」

 

 震える手を聖天子の口へ近づけていく。

 スプーンが柔らかい唇に触れると、聖天子は顔をわずかに上に傾けて顎を大きく開けた。食べさせやすいよう気を使ってくれたのだろう。

 気を取り直してスプーンの先端を聖天子の口内に優しく挿入すると、聖天子が唇を閉じる。それを合図にスプーンをゆっくりと引いてやると、わずかな抵抗の後にスプーンが抜けた。

 

「あー、美味かったか?」

「ええ。とても」

 

 そう答える間にも、聖天子は幸せそうに口をもごもごと動かしていた。

 アイスブルーの瞳は限りなく細められ、口元はいつもよりも深く口角が上がっている。時折笑い声のようなものも漏れていて、一目見てわかるほどに上機嫌だ。

 何がそんなに嬉しいのかはよくわからないが、幸せそうにしているのだからいいだろう。改めて自分のアイスを食べようとスプーンを差し込むと、ものすごい形相をした木更に睨まれていることに気づいた。

 

「……里見くん」

「な、なんだよ木更さん」

 

 ムスッとした表情のまま声をかけられ、動揺からか喉がつっかえた。

 

「私にもそのアイスを食べさせなさい」

「そんなことかよ。ホラ」

 

 手に持ったバニラアイスを差し出すと木更はさらに不機嫌になり、じぃぃぃぃぃっと蓮太郎を睨んでくる。どうやら何か選択を間違えたらしい。

 皆目見当がつかず頭を掻くと、木更は溜息を吐きながら告げる。

 

「あのね里見くん。私は、君に、食べさせてほしいの」

「……おいおい、冗談だろ木更さん」

「私が冗談を言っているように見える?」

 

 よく見ると、木更の顔はまるでリンゴのように真っ赤になっていた。

 よほど勇気が要ったのだろう。真っ赤な顔で拗ねたようにこちらを見る木更はとても可愛らしくて、改めて木更が美少女であるという事実を意識させられる。

 木更に──意識している異性にここまで言わせてしまった以上、断るという選択肢はとうに存在しない。

 

「──わかった。わかったから口開けろよ」

「最初からそうすればいいのよ、お馬鹿」

 

 木更が口を開けると、蓮太郎は手に持ったスプーンを口内に差し込む。

 半ばやけくそで行われたソレには、雰囲気もへったくれもない。しかし、その距離感にこそ木更と蓮太郎の親密さが現れているような気がした。

 木更の口内からスプーンを引き抜き、ふうっと息を吐く。やけくそであろうとしっかり緊張していたようで、息を吐くと同時に肩から力が抜けていった。

 

「ありがとう里見くん。美味しかったわ」

「そりゃ何よりだ。もういいか?」

「ええ。もう十分よ」

 

 そう言うと、木更は見るからにご満悦な様子で自分のアイスを食べ始めた。

 どうやら本当に『あーん』をさせたかっただけのようで、すっかり満足しているらしい。もし木更に犬の尻尾があれば、それはもうブンブンと千切れるほどに振っているだろう。

 蓮太郎が自分のアイスを食べ始めた頃、聖天子が口を開く。

 

「……その、ひとつ質問なのですが」

 

 話し始めた聖天子に、蓮太郎と木更が目を向ける。

 

「お二人は、お付き合いをしているのですか?」

「「はあッ!?」」

 

 聖天子の疑問を異口同音に否定する。

 たしかに一緒にいる時間は家族同然に長い。蓮太郎は十年ほど前から天童家に預けられていたし、今でも木更が里見家に居候する形で同居している。

 学科が違うとはいえ二人とも勾田高校に通っているし、登下校も基本一緒。これだけ要素が揃っている以上恋人どころか若年夫婦に勘違いされてもおかしくはないが、実際のところはそんな色気のある関係ではない。

 

「い、いいいいや違いますよ聖天子様そもそも私と里見くんは従兄妹で」

「従兄妹であっても結婚は可能ですし、そもそも恋愛に血縁は関係ないのでは?」

「そういうことじゃなくて!」

 

 木更がものすごくテンパっている様子を見て、逆に落ち着きを取り戻す。

 ホラー映画なんかでよく「自分以上にビビッている人を見ると落ち着く」という現象があるが、感覚としてはそれに近い。友人連中で集まってホラー映画鑑賞会をやった際、鬼八の義妹こと火垂ちゃんが死ぬほどビビッていたのを見たときもそうだった。

 そう。里見蓮太郎と天童木更の関係を言い表すならば、それは──

 

「別にそういう関係じゃねえよ」

 

 ──()()()()()()()

 

「ただ仲のいい従兄妹ってとこだ。十年も一緒に暮らしてんだし、当然だろ」

 

 きっと、これ以上に適切な表現は存在しないだろう。

 木更はきっと、蓮太郎に恋愛感情など向けていない。一方的に蓮太郎だけがそういう目で木更を見ているのだ。

 少なくとも家族としては仲のいい部類に入るだろうし、憎からず想ってくれているのも感じている。

 ただ、その想いが恋心ではないというだけで。

 

「────そう、ですか」

 

 長い間を置いて、聖天子が微かな声で呟く。

 

「不躾なことを聞きました。お二人とも、申し訳ありません」

「気にすんなよ。学校でもよく聞かれっからな」

「まさか聖天子様にまで聞かれるとは思いませんでしたけどね」

 

 聖天子はおそらく、今の会話だけで蓮太郎の気持ちを察したのだろう。

 木更は気づいていないようだが、他ならぬ蓮太郎にはそれが理解できた。

 なぜ気づかれたのだと論ずることに意味はない。聖天子はあの歳で国家の象徴となった女傑であり、歴代『聖天子』の中でも屈指の傑物だ。

 里見蓮太郎は()政治家候補生である。故に、政治で培われた聖天子の眼力には勝てない。

 蓮太郎にそっと顔を寄せて、聖天子は小声でささやく。

 

「貴方の想いが届くといいですね、里見さん」

 

 蓮太郎と目が合うと、聖天子はクスリと笑って顔を離した。

 ──本当に、聖天子には勝てる気がしない。

 

「……私をのけ者にして内緒話?」

 

 木更はなにやらむくれている。

 自分が蚊帳の外だったのが気に障ったのだろうが、こればかりは容赦してほしい。

 「何でもない」と適当に誤魔化すと、木更は拗ねたようにそっぽを向く。こういう面倒くさいところも魅力的に映るのだから、恋というものは恐ろしい。

 そんな木更の姿を眺めていると、テーブルに置いた携帯が鳴る。

 菊之丞からの連絡だ。内容はただ一言『到着した』とだけ書かれている。

 

「爺ちゃん、着いたってよ」

 

 そう声をかけると、既に荷物をまとめていた聖天子が立ち上がる。

 

「では外に出ましょう。あまり菊之丞さんを待たせるのもよくありませんし」

「脱走するのはよくてお爺様を待たせるのは駄目なのね……」

 

 呆れ顔で木更が続き、蓮太郎も面倒そうに立ち上がる。

 するとリビングの扉が開き、パジャマに着替えた延珠たちが姿を現した。

 

「出かけるのか蓮太郎」

「爺ちゃんが家の前に来てるから、ちょっと挨拶にな。お前らも来るか?」

「妾も行くぞ蓮太郎! これがご挨拶というやつだな!」

 

 どこかズレた言い回しだが、いちいち気にしていてはキリがないのでスルーする。

 こんな言葉、いったいどこで覚えてくるのやら。

 

「私も、久しぶりにお義父様とお話したいです」

「決まりだな。じゃあ行くか」

 

 連れ立って玄関を出ると、まず目に入ったのは白い高級車だった。

 門塀の前に横付けされたそれは、街灯に照らされてパールホワイトの輝きを放っている。公用車ではなく、菊之丞の私物──国産の最新モデルだ。

 そしてその傍には、いつものように菊之丞が控えている。

 菊之丞は聖天子の正面に立ち、胸に手を当てて頭を下げた。

 

「お迎えに上がりました、聖天子様」

「ありがとうございます菊之丞さん。いつもすみません」

「お礼も謝罪も不要です。あなた様のささやかな望みを叶えるのも、この老骨の仕事にございますれば」

 

 もはや見慣れた光景だった。

 天童にいた頃はよく聖居に連れていかれたし、その頃から仕事中の菊之丞を目にする機会はあった。

 ティナも聖天子が来るたびに見ているので、もう慣れた様子だ。

 

「蓮太郎蓮太郎! あのヒゲの爺さんが蓮太郎のお爺ちゃんなのか?」

「ああ。あと、ティナの養父だ」

「蓮太郎もこんな風になるのか? 早く見たいから今すぐ玉手箱を開けるのだ!」

「アホ」

 

 どうやら延珠も大物気質のようで、菊之丞と聖天子のやり取りを見てもいつも通りだ。

 むしろ蓮太郎の家族であるという事実の方が上回っている様子で、謎にテンションを上げている。

 苦笑しながら頭を撫でてやると、延珠は猫口っぽく「むふん」と笑った。

 すると、反対側の手の袖がわずかに引かれた。

 

「お兄さん。私もお願いします」

 

 延珠を見て刺激されたのだろう。

 言われるままに頭を撫でてやると、ティナは幸福そうなオーラを発して頬を緩めた。

 そんなやり取りをしていると、いつの間にか菊之丞がこちらに向かってきている。どうやら木更たちとの話は終わったようで、その視線はティナに向けられていた。

 

「ティナ。息災だったか?」

「はい、お義父様。特に怪我病気はしてません」

「そうか。学校は楽しいか?」

「はい。そちらの延珠さんとお友達になれたので、毎日楽しいです」

「それは何よりだ。何かあったら言いなさい」

 

 延珠は弾かれたようにティナを見つめ、同時に振り向いたティナと笑いあう。

 その様子を見た菊之丞は、静かに目を閉じていた。たった今見た光景に感極まったようで、若干ながら口角が上がっている。

 菊之丞が右手をティナの頭に置き、軽く撫でる。

 慣れていないのか不器用な手つきだったが、籠められた感情はたしかに伝わっているはずだ。

 

「それで、君が延珠ちゃんかな」

「うむ。妾は延珠。藍原延珠だ」

「儂は天童菊之丞だ。義娘たちが世話になっている」

 

 延珠に視線を合わせるようにしゃがみ込んで、菊之丞は延珠と話していた。

 物怖じしない性格だからなのか、延珠は強面の菊之丞ともガンガン距離を詰めていく。天童家の当主たる菊之丞にも、延珠のコミュ力は通用するらしい。

 

「これからも義娘たちと仲良くしてやってくれ」

「当然だ! 妾はティナの親友で、蓮太郎のふぃあんせなのだからな!」

 

 突如、菊之丞の纏っていた雰囲気が変わる。

 まるでハトが豆鉄砲を食らったようにわずかに目を見開き、そして重々しい口調で呟いた。

 

「蓮太郎」

「……んだよ、爺ちゃん」

「いくら何でも小学生となると、儂もどう反応していいかわからん」

「真に受けてんじゃねえよッ!」

 

 真面目な顔でいつも以上にぶっ飛んだ発言をされて、思わずツッコミを入れてしまう。

 こんなボケ老人を聖天子付補佐官などという立場に据えていいのか。蓮太郎は密かに日本の終わりを予感した。

 

「冗談だ。そんな顔をするな蓮太郎」

「アンタの冗談は疲れんだよ。ホラ、とっとと帰れジジイ」

「まったく、お前には敬老の心が足らん。言われずとも帰るわ」

 

 互いに悪態を吐き合ってはいるが、その雰囲気はどこか白々しい。

 吐いている悪態そのものは本心だが、しかし真意とは異なっている。第三者にしてみれば、互いを深く理解する故に、その想いが悪態という形を成しているように感じられた。

 この場にいる全員が、それぞれの視点でそれを理解している。故に、誰も止めはしない。

 菊之丞が蓮太郎に背を向けて歩くと、入れ替わりで聖天子が声をかけてくる。

 

「今日はありがとうございました。ハンバーグ、美味しかったです」

「また休日にでも遊びに来いよ。今度簡単な料理教えてやるから」

「ふふっ、楽しみにしていますね」

 

 何やら楽しそうに笑って、聖天子は右手の小指を突き出す。

 意を組んで同じように小指を突き出すと、どちらからともなく絡め合う。所謂『指切り』の構図だ。

 

「約束ですよ、里見さん」

「おう」

 

 聖天子の雪のような笑顔を見て、蓮太郎も自然と頬が緩む。

 一瞬の後に指を離すと、聖天子は振り返って車へと歩いていく。

 控えていた菊之丞が後部座席のドアを開けると、優雅な動作で乗り込んで窓を開ける。

 車のエンジンがかかると同時、聖天子が顔をわずかに乗り出して口を開く。

 

「では、また!」

「またな、聖天子様」

 

 代表して蓮太郎が挨拶を返すと、聖天子はいつもとは違う笑顔を浮かべる。

 口を大きく開けて笑うその様子はまるで太陽のようで、どこか延珠の笑顔に近い印象を受けた。

 何やら面白おかしい表情をしている延珠を見ると、可愛らしいくしゃみが飛び出した。

 

「なんかちょっと寒いぞ蓮太郎」

「髪乾かさないで来たんだろ? とっとと髪乾かしてこい」

「そうするのだ──へぷちっ」

 

 延珠はくしゃみをしながら里見家に引っ込んでいき、ティナもそれに続く。

 玄関先に残ったのは、蓮太郎と木更だけだ。

 

「──帰らないの?」

「ちょっと夜風にあたりたい気分なんだよ」

「わかるわ。友達が帰った後って、なんだか余韻に浸りたくなるものね」

 

 木更はそう言って小さく笑う。

 頻繁に会えるとはいえ、友達と別れるのはなんとなく物悲しい気分になるものだ。

 

「聖天子様、次はいつ来るかしら」

「案外すぐ来たりしてな。今週の土日とか」

「いっそ聖居に遊びに行ってみる? 昔みたいに」

「嫌だよ。昔ならともかく、今は息が詰まって仕方ねえ」

 

 たったいま聖天子が帰ったばかりだというのに、もう次に会うときの話をしている。

 やはり聖天子は大切な友人で、長い年月を共にしてきた身内なのだ。次に会える日を楽しみにしてしまうのは仕方のないことだろう。

 不意に風が吹いて、木更の長髪をなびかせる。

 

「そろそろ戻りましょうか」

「そうだな」

 

 そう言い合って、二人並んで玄関へと向かうその途中。

 

「ねえ、里見くん」

「なんだよ」

「明日もいい一日になるといいわね」

「──そうだな」

 

 なんとなく見つめ合って、一瞬の間を空けて破顔する。

 木更の笑顔は月光を反射して、黒曜石のように玲瓏な光を放っていた。

 

 

 

 




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2021/08/22 22:52 誤字修正
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