9 標
季節は真冬、一月。北半球の多くの空を雪雲が覆っているが、移動要塞『星黎殿』は常と変わらず満天の星空を頭上に映している。
常と違うのは、架空の空の下に集う“紅世の徒”の数。この要塞を繰る組織[
盟主が盟主たると盟主自身が証明し、式典前には無かった新たな、真なる盟主を頂く喜びに、要塞にひしめく徒たちは浸っていた。
客室の一つで肩身の狭い生活を送っていたミコト。
「外装もだが、改造しまくってるからなぁこれ」
「『星黎殿』修復能力も……抑えられてるみたい……」
ガヴィダには料理の腕を気に入られ、ミコトも人間と語らう彼の姿勢を気に入った。昔は『天道宮』にも『星黎殿』にも頻繁に出入りしたため、歩けばまあ分かるだろうと楽観していたが、目論見は大いに外れてしまった。
だから、また迷子になった。
「この武器庫は……ええと」
「一昨日と同じ場所……三回目……」
念のため構成員たちの目を掻い潜りつつ
例の武器庫と四度目の邂逅を果たしたころ。
「君は……こんなところで、何を」
「! リャナンシー!」
姿と声は枯れた老紳士。だが微かに感じる気配は、懐かしい“友”の物だった。
「久しぶりー。すっかり更生したなぁ、ついでに枯れちゃってるしー」
「君たちとの再会がまさか、こんな物となるとは考えもしなかった。“覚の嘯吟”シャヘル、『眇理の還手』ミコト」
呆れ果てている彼
十六世紀の『大戦』にお互い巻き込まれ、顔を合わせることなく離れ離れとなった。実に五百年ぶりとなる感動の再会だが、彼女は呆れ果ててこめかみを抑えている。
「お前さんは……この[
「聞いたわ……今はドナートの『絵』を再生させるために……トーチを摘んでるって……」
旧友に語り掛けるシャヘルの声は、ぼんやりしつつも柔らかい。ミコトが手のひらに乗せた純白の勾玉を見て、リャナンシーも微かに笑む。
「君らは定期的に世を騒がせているようだな。私にはとても考えられない生き方だ」
「お前さんみたいな趣味人と違って、たまーには仕事せにゃならんのさ」
「迷惑なんて……かけるつもりはない……」
シャヘルは俗に知られている行いからすれば、世界から石を投げられそうなことを言った。何度か『神託』を聞いたリャナンシーは、直後に起こる大騒ぎと世界中に広がる波紋を思い出して呆れる。
「今だって呼ばれもしないのに正面から入り込んで、その癖にこっそり抜け出しているんだろう」
「……せーかい」
五百年経とうと変わらない一人にして二人に、リャナンシーは喜びよりも切なさを感じた。
破天荒に、思いつくがままに、自由に生きていた昔から、変わってしまった自分を。そして、いなくなってしまった人たちを想って。
変わってしまったから、問わねばならなかった。自分の全ての時と命を費やさねばならない、存在理由とも言える目的を見出したために。
「そして……君らは何をしている?」
[
「今の計画を
「君は、計画の全てを知っているのか?」
ミコトは首を横に振る。
「知ってるのは、“祭礼の蛇”が“祭基礼創”を狙ってること。その中核で『零時迷子』が
「……恐らく、私たちは知っている……」
分かっているのだろう。『午前零時』に“この世の歪みに対する回復力”にアクセスするという、リャナンシーが知る『零時迷子』の真の力を。
「俺が問題にしてるのは、その『零時迷子』の使い道一点。長期的に見りゃ“祭礼の蛇”に協力したっていい。お前さんとも争うつもりは無い」
「……」
きっと自由の身ではないだろう彼らを、構成員に通報するかをリャナンシーは考える。
考えた末……。
「どこへ行きたい。私が案内したことは秘密だぞ」
他の王やフレイムヘイズと比べて消極的だが、『眇理の還手』は世界のバランスを守るという使命を捨てていない。友誼から知ったそれを、信じることにした。
「ダンタリオンのところへ」
―*―*―*―
ガッチャンガッチャンと響く耳障りな駆動音、ピューと漏れる蒸気音、ピコピコと駆け回るコンピューター音。あらゆる機械音が雑多となりごった煮となっている空間は、馬鹿のように白けた緑色に染まっている。
「んっふっふーん、『暴君Ⅰ』の最終無敵超絶合体はわぁーれ我の想定通り不可無く忌憚無く邪魔者無くッ! 容れ物の意思総体も傷も曇りも破損も無くッ! 彼方からの発信を受信し問題なぁーくッ! 全ては手の平の上から零れず猪突猛進暴走特急で進んでいまぁーすねドォーーーミノォーーーーっ!!!」
「はいでございますです教授! ですが実験は想定外のことがいつ起きるか分かりませんし、それこそが面白い
袖口からマジックハンドのような機械を伸ばしてつねる教授こと“
彼らは『星黎殿』の中枢である地下部の奥深くの深くにて、日々天才的な手腕を(時には爆発という形で)発揮している。
今は一か月前に合一を果たした一つの“ミステス”と彼方の創造神の、
千年単位で取り組んできた『大命』がここ百年ほどで大きく軌道修正され、それでもまた数百年悠々と進めようとしたのが一年ほどに短縮された。この合一が提案されたのに至っては、三か月弱。
この即興を含む課題群を
好きなことは“前進すること”、嫌いなものは“逆理の裁者”と『鬼功の繰り手』とシイタケ。
そして。
「おーいたいたー」
「邪魔するわ……」
案内されて入って来た『眇理の還手』は。
「あーっ! 帰れ、帰れ!」
助手・ドミノにとっては
「ん――ぉ」
教授・ダンタリオンにとっては。
「や、確か二百年ぶり」
「ノオオオオオォォォォォーーーーーーーーッッッ!!!!!」
「ドォーーミノォー! 荷物をまとめぇーるのです! 超絶究極に滑るバナナの皮の研究資料は余さずぽっけにないないするのでぇーすよ!? 後これとこれとそれとあれとどれを!?」
涙を流しながらラボ内をぐるぐる駆け回り、紙の資料や奇々怪々な機械(やバナナ)を投げ散らかす教授。荷物はまとまるどころではない。
「だいじょーぶ何もしなーいこわくなーいこわくなーい」
「『眇理の還手』ぇー! そんな歯医者みたいな言葉じゃ余計怖がるだけでございますです!」
「あ! 歯医者が持つ根源的な恐怖の研究も持って行かなけぇーれば! あわわわわわわ」
「……阿鼻叫喚」
「話すだけ、ほんと何もしないって!」
ミコトが“いつもの調子”に陥る教授をなだめるも、まともな会話が可能となるまで一時間が経過した。
「それで、本当に、ほんっっっとぉーーーうにっ! わぁーれ我をデコピン一つもしないのでぇーすね!?」
「しないよ。何時会った時デコピンその他したんだ」
「これだからあなたというフレイムヘイズは! 教授は物の例えでデコピンを引用しただけで、何をされようとこ
ミコトから腰を引きつつ、かばうように前に立つドミノをつねる教授。
「こやぁーーつにわぁーたしの心理を解説してはなぁーりません! こやつのことだから今本当にデコピンしたくなってきてるはずでぇーす!」
「怖がりつつも相手の出方は窺えるようになったか。立派だぞー」
「ひぃっっっっ」
「もう……あなたは黙ってて……私が話すわ……」
「それが良いでございますですね、“覚の嘯吟”様」
いつものように一向に進まない会話を、シャヘルとドミノが代理で交わす。(ちなみにリャナンシーは、“彼らが会うととても面倒なことになる”という噂を聞いており、面倒は避ける決断をして同席していない)
「私たちは……二つの頼みごとを持ってきた……」
「教授はきっと聞きたくないでございますです」
隅でドミノに背中を撫でられつつ丸くなっている教授が、うんうんと首をぶんぶん振る。
「それは承知しているわ……でも聞いて……」
作業台に乗せられているシャヘルが、構わずぼそぼそと続ける。
「[
「何を言い出すのでございますですか!?」
ドミノが目となっている歯車が取れそうになるほどぐるぐる回し、憤慨する。
「『零時迷子』は『大命』の核! 既に組み込まれて久しく、変異も終わっているのでございますです! もうあの宝具は『零時迷子』に非ず、『暴君Ⅰ』でございますです!」
「難しいことは分かってる……あなたたちの技術でも……不可能なのかしら……?」
教授が『不可能』との文言にぴくりと反応するが、先んじてドミノが覆い被さるように答える。
「不可能でございますです!『暴君Ⅰ』を構成する自在式は完全一式改変不可能の『大命詩篇』でございますです! 破壊すら天罰神の顕現によるものでしか為せないのでございますです!」
「なるほど……『大命詩篇』とやらは、創造神の自在式か?『零時迷子』の中身を見た時いじったが、確かに手を付けられん部分があったな……」
戒禁や全体を変異させていた機能を構成した自在式は、恐ろしく緻密で複雑怪奇で、時に古いモノだった。
「けど、それならそれで逆手を取って――」
「
教授が短く、ただ一言を発した。
「改変だけなぁーらば、確かに
うつむき背中を震わせていても、その眼は真実を捉えていた。
「合一した
うるさい機械群は止まり、騒がしい教授はじっと黙っている。これまでにない静寂がラボ内を支配した。
「そっちの言い分は分かった。近い内に返事するから、考えといてくれ……」
ミコトは静寂を壊さない深く低い声で、言った。
―*―*―*―
ミコトが地上部へ戻り、部屋へ連行されると。
「お?」
「……」
今や“紅世の徒”最大の組織の盟主として祭り上げられている、少年が待っていた。
「
「悠二か、二か月ぶりだなー。……それと」
「その混じる気配は……“祭礼の蛇”……?」
「そうとも。“お互い”奇異な姿でこうして話すこととなるとは。しかし、おまえと
少年の声はそのままに、落ち着いた堂々たる口調が発せられる。
「……確かに。実在を怪しまれる『
ぼそぼそと感慨を無感情に零すシャヘルに、坂井悠二なのか“祭礼の蛇”なのか、どちらにせよ声の元であるミコトの懐をいぶかし気に見つめる。
ミコトは悠二の脇を通り過ぎ、部屋の奥にある机に“弥栄の璽”を置く。添えつけられた椅子に座って悠二に勧めた。しかし悠二は固い表情のまま、その場に立ち続けている。
「その通り。『導きの神』たるおまえは、如何に薄く儚かろうと
「……余計なお世話。あなたがどんな条理で坂井悠二を乗っ取ろうと、どんな道理で願いを実現させようと……私は
雲の彼方から届くようなぼんやりとした声でも、シャヘルの『言葉』には力がある。霞の一粒ほどの断片だろうと、その力を“祭礼の蛇”は知っていた。だから、今話している彼女が間違いなく“覚の嘯吟”シャヘルであると確信した。
ならば、霧を収める檻であるこのフレイムヘイズはなんだ? 坂井悠二に備わっている鋭敏な探知能力でも、おかしな点は見つけられなかった。
「で、何の用ー?」
「あんたは何を企んでるんだ」
我が家のようにくつろいでいるミコトと、固い表情で訊ねる悠二。
「御崎市を
『零時迷子』は御崎市にいた頃よりも更に防衛機構が重ねられ、悠二自身の戦闘力もあの手この手で底上げされている。
それ故か他の理由があるのか、ミコトは大きく首を横に振る。
「それは諦めた。
「させる訳ないだろう」
「だよな~」
腕を組んで大きくため息をつくミコト。悠二はため息をつきたいのはこっちだと言おうとして、“蛇”の意識の鷹揚さが映り平静を取り戻す。
「今は[仮装舞踏会《バル・マスケ》]と世界の変革を座って見届けようと居座って……それだけじゃないんだろう?」
ベルペオルから聞いたミコトの要求をそのまま口に出す。
「『大命』に『零時迷子』を使うのをやめろ、だって?」
ミコトがちらりとこちらに目を向けた。
「検討してくれるって?」
「断る」
これは“蛇”の声音だ。
「“それ”は余の参謀が不自由なる余自身を
“祭礼の蛇”のために仕組まれているが、それを遂行させるのはあくまでもベルペオルの為だった。これは
「どうなっても知らんぞ」
投げやりな忠告を、悠二は計り切れない。
「この世のバランスに影響は無い。むしろ『零時迷子』の回復力があれば、人を喰う必要が無くなる」
「……」
この沈黙は、単純に言い返せないから――そう願っていると、悠二は気づく。
少年の精神が揺れ、すぐさま“神”の自信が流れてくる。
「何か問題があるなら言えばいい。フレイムヘイズほどじゃないにしろ、この世のバランスや『大災厄』にも気をつかってる。そもそもこの“無意味なる”戦いを終わらせられる、きっと唯一の道しるべだ」
これは悠二が選んだ道。雅人にも誓った進むべき標。
「それでも邪魔するのか?」
悠二の切なる訴えに、揺れている様子はない。――が、深く何かを考えているようだ。
「悠二は……“無意味なる”戦い――徒が喰らい、フレイムヘイズが復讐に駆られ、皆が死んでいく
「そうだ」
それは願望ではなく、既に指し示した目的。
「あんたに“祭礼の蛇”以上の案があるなら、聞く。――でも、そうじゃないんだろう?」
「……そうだな」
肯定する声は、暗く重い。
「なら、邪魔をするな」
少年自身の――しかし、確かに覇気のこもった、最後通牒だった。
「……」
これ以上言葉はいらない――髪から垂れる竜尾を翻して、この部屋から出た。
―*―*―*―
―*―*―*―*―*―
―*―*―*―
気が付いた時、私はここにいた。
私は『導きの神』。導き無くば消えてしまう儚き灯を、知という最も鋭く、そして危うい力で大火へと昇華させる役割。
私は知ることが好きだ。私を忌む誰かは『知らせたがり』と私を評するけど、知らせたいのは最も悦ばしい『知る』という行為を分け与えたいから。
知るということが危うい、それは知識とはとても呼べない言葉の表面だけで知っていた。
深く考えることなど、しなくてもよかった。何故なら耳目を広げて何もかもを知り、当事者と私だけで結ばれて終わってしまう“知”を神託として下せば、私は神で在れたから。
知ることこそが生きること。私は無邪気にもそれだけを得物に“疫病神”として坐していた。
『
夢見がちな者が多い私の眷属は、この力に流され力に塗り潰される“どうしようもない”世界を嘆いていた。だから、その世界の『外』を――ただの外ではない、共鳴し得る私たちと同じ“心”を持つ者たちが住む『隣』だった――見出したのは、必然だったと思う。『歩いて行けない隣』と交信し共振した彼は、驚喜のまま私を呼び下ろし、希望をそのまま『知らしめる』力へと変えて生贄となった。
これ以上無い吉報として、私の“報せ”はこれまでに無い早さで『渦巻く伽藍』中に広まった。
ある者は共振を繰り返し、ある者は共振に没頭する者を圧し潰し、ある者は怯え硬い殻に閉じこもり、ある者はその先が
そう時を経ず、ある“王”が『歩いて行けない隣』へと渡る術を開発した。成功した“王”はそのまま『隣』へ渡ってしまったため、その動向を注視していた眷属を介して知らしめた。
終わらぬ戦いに倦み疲れた者たちは、その先に楽園があると信じて
私もその流れに混じっていた。見飽きた故郷よりも、新しい新天地へ。当たり前だ、まだ知らないことがたくさんありそうなのだから。
新天地は『物質という無駄』に溢れた世界だった。生きることに戦いは直接必要とせず、『無駄』を己に取り入れて糧とするのが新天地での流儀だった。
力が溢れそれに敷き詰められていた故郷から、力が独立する世界に移動した私たちは、ほどなく立ち枯れの危機に晒された。補う方法はただ一つ、故郷の
喰らわれた人間は、他の生きている人間から存在ごと忘れられた。そう、私たちが喰らったのは
だから、それだけで、戦わなくても良い楽園を手放す気になる同胞は、一人としていなかった。
やがて、狭間を行き来する者たちの中で、手間取ったり傷ついたり最悪消滅したりするケースが増えてきた。それを疑問に思ってそれが起きる場所――両界の狭間を調べてみると。
時化のように、或いは大嵐のように。私たちが渡り来る前には確かに無かった現象で渦巻いていた。
私が広めるまでもなくそれは伝わり、私たちは原因究明とこれが進めばどうなるかの調査に奔った。
私の眷属は、その調査の中心にあった。元来が“世界をありのままに視ること”や『探索』に秀でた者らであった上、誰よりも楽園を求めていた者たちだったから。
原因はやはり、いや当然私たちだった。放埓に必要な人喰い、歪みはそれを起因として起こることがほどなく判明した。
私たちは更に調査を進めた。歪みとは何か、歪みが極まればどうなるか、私たちが喰らう『人の存在』とは何か。
より深い、世界の在り様を知るために――
――
気が付くと、ここにいた。
そう、それは。 が だと、私が知っ 時だった。
この世の象徴である『物質』が無い。それどころか故郷で常に感じていた“力”も無い。
同胞も、人も。景色も、音も、奔流も、嵐も。無い。無い。無い。
知が、無い。
私には知が必要だ。何かを知りたい、知らなければ、知って、知らない何かを、知って、しって、シッテ……。
知さえあれば、何もいらなかった。世界がどうなろうが関係なかった。
だけど、こうなってしまった。私が世界を顧みず貪欲に知を飲み干そうとしたから?
叫ぶ喉も掻きむしる頭も無い。発狂するだけの成熟した価値観も無かった。
だから、こうして考えている。深く。深く。
知ることが出来ないから、初めて知ったことの“意味”を咀嚼してみた。
私には最早過去の記憶しか残っていない。過去に私が及ぼした影響と意味を深く咀嚼するしかなかった。
無邪気に貪欲に唯だ知識を追っていた頃に比べ、意識がはっきりして自我が育った。
だから、私は余りにも無知だと知った。
表面のみをなぞり知った気でいることの恥ずかしさを知った。
何も知らず知を伝道した気になっていた自分に悔恨した。
次は本当に知りたいと願った。
悔恨も願いも。神には必要ない意識。
耳目を切り離され、無力という泥沼に堕とされ、何も無いという地獄を知り。
私は変質した。過去を悔恨し、未来を願う唯人に。
悔恨にも飽き、願望も諦めるほどの時を過ごした。
時を知ることも出来ない。『創造神』ではないのだから、生み出そうとしても簡単に狂い、消えてしまう。
私は『導きの神』。今は導くものも導かれるものを探す耳目も無いのだから、ただの無力な漂流者。
記憶に苛まれて、無邪気な頃の自分を嘲笑い。そうして――
「お前か。囚われた客というのは」
次回から原作から変わったことの影響がもろに出始めそう?