放課後のトレーニングに明け暮れていた佐藤と田中は、見知らぬ客を迎えた。
「……どちらさんで?」
「マージョリーに酒持ってきた。つまみもくれてやる」
時代にそぐわぬ着流しを見て、“あっち関係”の人物だと、佐藤と田中は頷き合った。
「えーと、一応名前……名前? 称号とか? ――を」
「姐さんに伝えてきますんで」
マージョリーにとって招かれざる客なら、勝手に上げる訳にはいかない。
「よくできた子分だな。俺はミコト。身分証代わりにこれ持ってけ」
と、渡されたのは、小さなインクをつけなくていいタイプの判子。フレイムヘイズにも判子の文化があるのだろうか、と首をかしげながら、マージョリーがだらけているバーに持って行った。
「マージョリーさんにお客さんです」
「あ~ん? おっぱらいなさ~い」
相も変わらず二日酔いの、しまらない姿だ。
「ヒッヒヒ、誰かは知らんが気の毒に。我が床に落ちた
一応伝えることは伝えるために、交互に口を開いた。
「ミコトって人です」
「和服着た、たぶんフレイムヘイズの」
うだうだ転がっていたマージョリーの表情が変わり、ケタケタ笑っていたマルコシアスの声が止んだ。
「マルコシアス」
「へいよ――っとな!」
マージョリーを群青色の炎が一瞬包み込み、彼女から発せられる酒のにおいが消えた。
「この前買ったスーツ出して」
「ほほいっと」
同じフレイムヘイズであり古い知己であるヴィルヘルミナが訪ねてきた時も、ここまですることはなかった。
「なめられたくないだけよ」
そう言いつつ、“グリモア”を放り投げて手で追い払った。
「さあ出て行ったでて行った! 美女の着替えは高いぜぇ!」
それを聞いて、慌てて回れ右してバーの扉を閉めた。
玄関へ向かう廊下で、マルコシアスに問い詰める。
「あ、あの……なんか物凄くかっこいい人だったけど……」
「ま、まさか……姐さん、の……!?」
その先は、彼女に憧れを抱く少年が言うにはハードルが高すぎた。
「その通りだぜ。ヒヒヒッ」
雷が落ちたような衝撃に襲われた二人。足を止めてしまったのを見かねて、フォローするマルコシアス。
「元、だがな」
それでも衝撃から立ち直れない二人を、何度か促して玄関まで進ませた。
「よう、ミコト! 相も変わらず暗躍か!?」
「おーマルコシアス。いいねぐらと子分見つけたようで。お邪魔します、と」
強張る“子分”二名を横目に、さっさとバーへと行ってしまった。
取り残された三人。佐藤も田中も、何から聞けばいいか、何なら聞いてもよいか、さっぱりわからずフリーズしている。
「……元、だよな」
「……にしては、気安い……?」
「でーぇじょうぶだご両人! あのお二人はきっぱり別れたし、もう“その対象”には見れねえって」
そこまで言われたからには、フリーズ中の子分はなんとか息絶え絶えに蘇るしかなかった。
「そういえば、これ渡すように言われたんだけど」
「ハンコ? なんかの宝具か?」
と、ミコトの判子をマルコシアスの前に出した。
一瞬だけ大人しくなった。そして――
「ギャーハハハハハッ!!! こりゃ傑作だヒャハハハハハ!!!」
「ど、どうしたんだ!?」
「ジョークアイテム!?」
笑い転げるマルコシアスを床に下ろし、息が整うまでおろおろしながら待つ。
たっぷり数分床をバッタバッタと飛び跳ね、やっと落ち着いた。
「まったまた貧相な姿になっちまったなぁ“覚の嘯吟”よぉ!」
「……望んだ訳じゃない」
遠くから霞かかった、儚い女声が判子から発せられた。
「と、言うことは」
「このハンコがフレイムヘイズの神器?」
「その通りよ!」
『眇理の還手』の神器の名は、“
マルコシアスはいわゆる『百円均一』の店で、同じものが大量に並んでいるところを見て知っていた。
「……今回の宿は日本の一般家庭だから」
「“紅世”の神一柱が、こんなちっぽけな筒に押し込められるとはな。ご苦労なこった」
「……宅配受け取りに使われるの」
「世を騒がせる“覚の嘯吟”がこの有様なら、胸がすく奴はがっぽがっぽだろう」
佐藤がよくよく見てみると、『池』と一文字。
「あの……『池』って、まさか……」
「……あなたたちのクラスメイト、池速人の兄」
「平井ちゃんみたいに……?」
遠いが存在を聞いたばかりの人物が、フレイムヘイズ。なり替わっているということは、“徒”に喰われてしまったということだ。
反応に困っている二人に、マルコシアスが明るい声をかける。
「奴さんが気になるご両人に朗報だ」
「何?」
「ん?」
「ミコトは女だ」
別の意味でフリーズを起こした二人に、盛大に笑い転げるマルコシアス。儚いため息は、爆笑声にかき消され誰にも届かなかった。
―*―*―*―
ミコトが頃合いを見計らってバーの扉をくぐると、マージョリーは細く長い脚を組んで背を向けていた。
「いい酒、持ってきたんでしょうね」
「色々あるが今日は『御倉』だ」
『御倉』とは、御崎市で古くから伝わる清酒だ。
「それなら飲み飽きたわ」
もちろん佐藤家には常に切らされないように足される酒の一種だ。
「俺は満足に飲めてねぇんだ。つき合え」
“親”と同居中でな、と言いつつ袂から瓶を取り出す。空のグラスが置かれたマージョリーの隣の席に座った。
「その物好きは変わってないようね。めんどくさい」
「“仮宿”で手に入る知識は金で手に入らねぇんだ」
ミコトは一つの街に長く滞在する傾向にあった。マージョリーたちが時おり行き会うと、“仮宿”と称しいつもトーチの存在に割り込んでいた。
「特に心の若さとか、な」
「はいはい」
使命と生が一体化した最古のフレイムヘイズとの酒盛りほどつまらないものはない。
続けてミコトは一つの食品用容器をカウンターに出す。中身は魚の佃煮のようだ。マージョリーは瓶の口をねじ切りつつ、二人のグラスに酒を注ぎ入れた。
「相も変らぬお前さんとの再会を祝して」
「相も変らぬあんたとの再会を祝して」
カチン、とグラスの底をぶつけ合い、飲む。
「で、いつからコソコソやってたの」
「3月。お前さんの方はなかなか災難な始まりだったな」
ふん、とマージョリーは不快に鼻を鳴らす。若いフレイムヘイズを相手に暴走をしたあの一件も見られていた、ということだ。
「あんたこそどーせろくでもない始まりだったんでしょ。“狩人”に勝てもしないのに挑んで、あっさり返り討ちに遭ったとか」
「ま、そーだな」
ふぅ、とミコトは息を吐く。ゆっくりとグラスを傾け、けだるげな表情で口に含む。
「珍しいな。お前さんがここまで長逗留するのは」
「まーね。夢見させた分はつき合うだけよ」
自らが巻き込んだ二人の少年。“銀”を追う旅に戻らないのは、彼らのためだった。
「随分気に入ったようだな」
「……そうね」
マージョリーは、誤魔化さなかった。肯定し、目を伏せる。
「久しぶりだわ。あんな純粋な目を向けられたのは。壊したいものじゃなくて、守りたいって思えたものは」
「ふぅん」
目は決して合わせず、振り向かず。二人はただ隣同士に座って酒を傾ける。
「いいことだぜ。人であることの残り滓を守るのは」
飲み切って空になったグラスに酒を足す。自分の杯にだけ、話し相手の杯には注がず。
「いくらお前さんとは言え、たった一体の“小物”を追いかけてたって聞いて、潮時かと思ったが。大丈夫そうだな」
『戦闘狂』と呼ばれるフレイムヘイズ『弔詞の詠み手』だが、常に理性と復讐を見失わなかった。一度取り逃がした獲物を延々と追い続ける“効率の悪いこと”など、復讐を第一に考えていた彼女ならしなかった。
マージョリーは片肘をつきながら、口を湿らせる。
「確かにね。何も出来ないまま終わるんじゃないかって考えがよく出るようになったわ。最近は特に」
感情の起伏が大きくなっていた。怒りの後の脱力感から立ち上がることが、ほんの僅かずつ億劫になってきていた。
「よかったな。楽しそうだ、今は」
「で、あんたは?」
マージョリーは足を組み直す。その隣で、ミコトはグラスを軽く回す。
「楽しんでるよ」
「へえ、何に?」
しばらく透明な酒の香りを嗜み、やがて口に含んで喉に下す。
「少年の成長を、かな」
「相っ変わらずジジイなのかそーじゃないのか、ビミョーね」
「別にいーじゃねーか、歳なんか取らねーんだから」
二人は視線を合わせず、酒を傾け続ける。
―*―*―*―
翌朝。
「あーんあたまがかきまわされるーかねがぐるぐるぐるぐるきもちわるーい」
「マージョリーさんどんだけ飲んだんですか!」
「あいつのせーよぶっとばしてやんだからーあーもーどんどん酒が降ってくるー」
「姐さん! ミコトさんなら昨日の夜に帰りましたよ!」
バーには普段の三倍ほどの酒瓶が散乱していた。
―*―*―*―
池速人の朝は早い。それは勤勉で自分への甘えを許さない性格によるものだけでない。父が不在で、母は働き詰めという環境下では、朝の身支度を自分でこなさねばならないからだ。
しかし、現在は。
「速人おはよー」
「……おはよう」
今日の朝食はご飯味噌汁魚と野菜の小鉢。机に出されたばかりのようで、湯気を揺蕩わせている。
池家最大の負債、兄の雅人が手料理を振舞いだして、数か月。どうせ三日坊主で終わると思いきやそれが当然になって、日常へと昇華してしまった。
“彼の”弟として、不分明なもやもやが晴れないが、食べ物に罪はない。
「いただきます」
「ほいよー」
今日も旨い。今日は早朝出勤なようで、キッチンの外は既に静まり返っている。雅人が自分の朝食を運び、隣の席で食べ始める。
魚の骨を取りながら、速人は平静な口調で問いかける。
「昨日はあれから何してたんだ?」
公園で悠二と合流し別れて、雅人が帰ったのは日を跨ぐ直前。
「母さんを心配させるな」
「わりーわりー」
ようやっと“再生が始まった家”では、雅人の一挙手一投足が心配の種となっている。
「悠二とは、まーな。気まずいから挨拶程度で別れた」
悠二が最後に会った時期の雅人を思い出す。“更生”をあんなに喜んでいた悠二が、実際に会って何かを思い出して、気まずい空気が流れるのも仕方がない――速人はそう思った。
「じゃあ帰りが遅くなった理由は?」
雅人
「飲み友達と飲んでた」
「へー、兄さんなんかに飲み友達が」
「ネットでな」
「次はアル中になるなよ」
「あいつと違って酒量は弁えてる」
「二十歳なりたてのくせに偉そうにするな」
「十六歳に説教されたかねー」
いつの間にか、溝や亀裂が消えていた。心配を孕んだ憎まれ口、それを脱力した返事が包み込んでいる。
姿を見るだけで室内の温度が下がり、黒い感情を抱いたあの頃には、想像も出来なかったやり取り。
母と違って手放しに喜べないのは、弟という微妙な立場故か。
「速人」
「なに」
「お前さん、一美のこと好きか?」
「!? ――ゲホッゲホッ!!」
突然過ぎる図星に、味噌汁を喉にひっかけてしまった。
「で、一美は悠二に恋してる」
数分せき込んで、全く
「……なんで」
兄の口調、そして自分の反応から、もう誤魔化すのは不可能だと冷静な部分が悟った。
「お前さんが恋してんのは前から薄々。昨日一美との関係聞かれて確信。一美が弁当作る相手の苗字なら前に聞いた」
昨日、確かに訊ねた。悠二が会いたがっていることを伝えるついでに、吉田に何かおかしなことを吹き込んでいないか、
(裏目に出たのか……兄さんのくせに)
やはり、恋とは御しにくい。
「……変な真似はするなよ」
「はいはーい」
釘を刺すが、糠に刺した感覚だ。
口を拭って食器を片付け、この場から一刻も早くと“逃げ出す”。その背中に。
「悩みはおにーちゃんに言うんだぞー」
容赦ない追い討ち。
「変な真似するなって!」
朝から頭痛の種が増えた――そう頭を抱える、池速人だった。
―*―*―*―
朝の鍛錬を終えてシャナが入浴している間。時おり悠二は彼女から“彼”を託される。
「今朝の鍛錬は酷い物だった。坂井悠二」
「……ごめん」
シャナの育ての親の一人、アラストール。鍛錬の視察もとい悠二の監視に来ている、もう一人の育ての親ヴィルヘルミナは、下で母千草と話している。
この不定期にやって来る時間は、いくら経験しても慣れることはない。彼のとっつきにくさ、厳格さ、なによりも気まずさが、悠二に正座という体勢をとらせる。
「上手く集中できなかったのは分かってる。明日……じゃなくて今日の夜には、しゃんとするよ」
「……」
上の空を振り払い真剣に取り組もうとしているのは、感じて取れた。シャナのしごきの(適度なる)苛烈さにめげず、しかし払拭には至らず、ただ体を動かすだけでは埒が明かないと判断し、切り上げた。
その原因に、アラストールも、シャナも、薄々勘付いている。ヴィルヘルミナも悠二の無様な姿を、叱責する以上のことはしなかった。シャナがコキュートスを渡したのも、彼女なりの気遣いなのは痛いほど分かった。
「坂井悠二よ。不調の原因が分からぬほど愚かでは無いだろう」
「アラストール、そりゃ……」
「ならば逃げるな。行動に移せ」
「……」
そう。何が引き金となったか、そんなことは分かり切っている。それを胸の内に抱え悶々とするくらいなら、どれだけ無様でも吐き出して整理するべきだ。
アラストールは、悩んでいるなら相談に乗る、と申し出てくれているのだ。シャナのこと以外になら、世話好きな人格者となってくれる。
「池……はーくんは、本当に尊敬できるやつなんだ」
その呼び方は、中学に進級して気恥ずかしさからやめた。
「まさにいが引きこもってから、――ああ、本当は病気で御崎市にいなかったんじゃなくて、家から出られなかったんだ――お父さんが出て行って、だからお母さんが働かなきゃいけなくなった。うちの母さんが援助を申し出たけど、まさにいがかなり荒れてたらしくて、母さんも僕も家に近づけさせなくなった」
あの千草も、ただ手を引いた。距離が近すぎた故に、手を伸ばせなくなったのだ。
「はーくんってなんでも出来るやつだろ? なのになんで僕と同じ公立の進学校でもない学校に通ってるか。それってさ、お母さんを楽させるためなんだ。僕も直接は聞いたこと無いけど」
実のところ、高校への進学もかなり揉めていた。今すぐ働きに出たいと主張する速人と、大学まで行って可能性を生かしてほしい母親(と、彼の成績を見てきた教師)。
こんな時だけ干渉してくるなよ、と愚痴をこぼしていた速人に、悠二が同じ高校へ通うことを誘った。御崎高校なら、家から通えて学費も高くない。その気になればアルバイトも出来るだろう、と。
(そういえば……)
アルバイト、探しもしてなかったな、と気づく。さすがに塾や予備校へ行っている訳ではないが、難しそうな参考書を常に持ち歩いているのは知っている。実用書ではなく、大学入試への準備に使うような。
(その頃にはもう、入れ替わってて……それで、あいつに余裕が出来たのか)
親友に可能性を捨てさせなかったからといって、複雑な感情が無くなる訳ではないが……。
「あいつが前向きに歩き出したのは、本当のまさにいが立ち直ってくれたから……そう信じたかったんだ。その機会が失われたのは、……うん、ミコトさんのせいじゃない」
他でもない、根源は“狩人”の野望のせいだ。その仇は、シャナとアラストール、彼女らと共に取った。
「あの人はまさにいじゃない。誰よりも僕が、それを自覚しなきゃいけなかったんだ」
ふぅ、と息を吐く。胸の重りは、確かに軽くなった。
「ありがとう、アラストール」
思っていたことを吐き出す機会を促してくれた彼に、礼を言う。アラストールは気配だけで受け取った。
「坂井悠二よ」
その代わりに、呼び止める。
「我は……彼の神も契約者も、計りきれん。しかし、彼奴の“真実の一端”ならば、見たことがある」
次いで、悠二は聞き役となる。
「時に敗北は、勝利よりもその者の内側を引きずり出す。『最弱のフレイムヘイズ』として多くの敗北を経験したであろう彼奴にとっても、忘れられぬだろう敗北の直後に、行き会ったことがある」
すれ違いがきっかけで彼女らしくない戦いの末負けた、四月の彼女の涙。
自らの弱さを死へ突き落されそうになりながら悔いた、七月の自分の涙。
どちらの涙も、鮮やかに蘇る。
「その時の彼奴は――己だけでは何一つ動かせなかった結果を。己の無力さが引き起こした過去を。嘆き、悔い、何より怒った。その矛先は、“フレイムヘイズらしからぬことに”外ではなく内へ向かっていた」
フレイムヘイズは、力に溢れた存在。強烈な感情を外へと放出させ、世界を、次元を超えて共振させた結果生まれる、強き意志の戦士たち。
ミコトに力が無いのは、本当なのだろう。だからこそ、他者に向けられるはずの矛が自らを貫いた。
「しかし、結果と過去から来る自責は、彼奴を殺さなかった。結果と過去を糧に、未来を作る一助を担った」
その姿は。
「使命、復讐、それらではない何か。どれに動かされているのか見当もつかん。しかし我は、彼奴に『フレイムヘイズ』を見た」
アラストールにとっての『フレイムヘイズ』とは、何だろう。
その一つの答えがシャナなのは、言うまでもない。だが、シャナではないマージョリーやヴィルヘルミナ、カムシン。彼女らや彼も『フレイムヘイズ』であることを、認めている。
「分かった、アラストール」
「うむ。そろそろシャナが帰ってくる頃合いだ。我らも行くぞ」
「ちょ、ちょっと待って……」
「何だ」
膝をがくがくさせている悠二。
「あ、足が、痺れた……」
「無様な」
これだからこの少年は……。アラストールは吐いて捨てた。
初日だけは二回投稿。
シャチハタに収められた『導きの神』サマです。諸事情あって神意召還時と口調が違います。
マージョリー元カレ事件についての詳細は、執筆中。