ひとつ目の物語 「存在を還すもの」
私は、いつ目覚めたのだろう。
私の役目は補完すること、還すこと。だから私という存在は必要無かった。
その役目を果たすのなら、私でなくても誰でもいい。いいや、彼と我の違いも無かったのだから、それは私だけの役目だったのかもしれない。
私は、なぜ目覚めたのか。
それは、きっと見守る庇護対象に、物語を与えられたからだ。
私には親がいて姉弟がいて。人を優しく見下ろし、時には守る。そんな物語を。
物語という器に、全だった私が手のひら大に切り落とされ、収められ、名という呪縛を与えられた。それが私という個の誕生で、闇の中で微睡む赤子となった瞬間だった。
私は、どうして目覚めてしまったのか。
役目を果たし続ける一方で、私は夢を見た。生まれ、成長し、老いて、死ぬ。そんな『人間』という存在の、夢を見た。その短い、ほんの僅かな時の流れで、彼らはどれだけ喜び、怒り、嘆き、笑うのだろう。そんな人間を見守るという役目を果たしている内に、少しずつ、羽衣が岩を削るように少しずつ、私はそれを感じるということを覚えていった。
やがて夢は私を呑み込み、単なる機構であった私は、私であることを確立させていった。
いつしか、
全で在りながら、個と成った私が。微睡む赤子の目を覚まさせたのは。
恐怖。
人喰いの化け物――外なる世界から招かれた客。それらが
元々私は、その客らが咀嚼した“私”をこの世に適する形へと復元させる役目だった。全で在る記憶を宿す私は、客らに料理を振舞っているのは私だということに、振舞う料理が私であったことに、個として恐怖した。
私は、怖かった。館の外の嵐が。私は、恐ろしかった。館の外の嵐を招いたのも、また私であることが。
そう、客を招いたのは私。違う、私は一介のシステム。いいや、私は供物。では、私は、私は――
――こ――ま
そうか。私は“人々を闇から救い”、“人々を闇から見守り”、“人々に秩序を与える”存在。
ああ、私には物語があった。物語に与えられた名を、その時耳にした。
―――――ミコトよ。どうか、我らをお助けください。
目覚めた私は、確固たる意思の元、客に刃を下す。
―*―*―*―
個として完全に覚醒した私を、全は包括しなかった。
個ならば個たる器を。新しい形代は、人間だった。
それだけを与えられて、この世に放り出された。何をするでもなく、何かを為そうとするでもなく。身体の動かし方を不意に悟った故、その場から移動してみた。
数年彷徨い続けて分かったのは、全ではなく、人間でもない私という存在。
人間とは違って老いず、病まず、死ねば全によりまた生み出され。しかし全であった頃の力を余すことなく失っていた。
また数年を経て客と行き会った。客は他の人間と同じように、私を喰った。食べ滓を残すために一部を吐き出し、そこから私は戻った。不完全な存在を完全なる存在として全が蘇らせたのだ。
「……この人間、今、喰ったよな?」
自問する客は、もう一度私を喰う。結果は同じ。
「フレイムヘイズ……でもないな。まあどうでもいい」
客は笑う。
「喰っても元に戻るってことは、使い放題じゃねえか」
客は私を連れて山を越え、海を渡った。その先で別の客の力を借りて、私を扱いやすい『携帯食料』として加工した。無限に形を取り戻す
逃れることは、ただの人間である私には不可能だった。
逃れようとも思わなかったのは、私にとってこの状態が外で彷徨っていた頃と何も変わらなかったからだ。
「あなたですね、宝具『視肉』を持つという王“
「『視肉』の使用と歪みは直結する。長期戦は不利以上に許されぬぞ」
やがて、私を連れていた客は一人にして二人の男女に討たれた。
「『視肉』は残りました。……アシズ様、どういたしましょうか」
「世界のバランスへの影響は極大。下手に触らず、予定通り壊してしまうが良いだろう、ティス」
私を運んでいた容れ物は、彼女らに壊された。そうしたのは、青い髪に金環を乗せた女だった。
「“ミステス”……いえ、人間、でしょうか?」
「これが、『視肉』の中身……?」
容れ物から現れた人間たる私の正体を、計りかねているようだ。
「あの……お名前は……?」
「一体おまえは何者だ?」
私は、何者なのだろう。名前は――ある。
「――ミコト」
初めの方は、長く声を出さなかった弊害か、音にならなかった。
「ミコトさん。あなたはどうして、ここに……?」
「行き会い」
金環が低い声を投げかける。
「ティス、我々が壊したのは“人間を持ち運びし、分解吸収を補助する機能”だけの様だ。つまり――無限に存在の力を供給する機能は、この人間にある」
この、客を内に容れ戦う存在――フレイムヘイズは、いぶかしげな顔をして私を見る。
「自在法も感じられませんし……。失礼します、ミコトさん。少々調べさせてください」
その瞬間、青い立方体が私を囲い、女が力を注ぎ始める。
「どういうことだ? 人間以外の何ものでもない……」
「『容れ物』も、アシズ様のおっしゃる通り、あれ以上の働きはしないようです……」
その時、私は感じていた。立方体の外――それよりも外、空の彼方から力が
私はこの世へ放逐されてから、初めて『事を為す』意思が芽生えた。それは私を通して全に触れようとする、このフレイムヘイズの排除。その意思は
例えそれが世界の外を由来とする力だとしても、法則と根源は『全』。理解も、干渉も、破壊も、全にとっては容易いことだ。
青の箱を打ち破り、見えたのは目を見開き言葉を失っている女。消滅させようという私の意思を感じ取ったのか、女は咄嗟に身を守るために力を編む。だが、力は女自身が抑え込んだ。
「ティス!」
客が自身を守ろうとしない女を叱咤するが、女は動かない。その代わりに、強い意志のこもった目で私を射た。
「私は、異世界の魔物から人々を守るための者です」
そのような物語を、私は知っている。
「ミコトさん。あなたも、きっとそうなのでしょう? 極東の地で“命”を意味する名を抱くのですから」
女に伸ばしていた腕の動きが、鈍る。
「もしかすると、あなたの敵と私たちの敵は異なるかもしれません。ですが、これだけは確かです。私たちは、この世界の敵ではない、世界を守りたいのだと!」
手が、止まった。
いいや、止めた。
「私は……」
世界を守る。それは……私が覚醒した、きっかけの意志。
「ですから、私たちとあなたは、敵同士ではありません」
女の青い瞳に、完全に動きを止められた。
中身を失っていても……人間が私を目覚めさせた“心”というものを、持っていた。
「お前は……人間」
少し間を置いて、女は肯定した。
私は伸ばしていた自身の腕を、反対の腕で下げさせた。
「私は……命を摘む為に……目覚めたのでは、無い」
呟くとともに、この身を満たしていた“全であること”は、引き潮のように去っていった。
私が戦意喪失したことに気付いたのだろう、女は張りつめていた緊張を解いた。
「私は背信する。為ればこそ、――ではない。ならば、私は何だ?」
全、という言葉は掠れて声にならなかった。全の戒めだろう。
女は毅然とした、それでいて柔らかい表情で、私の手を取る。
「私と同じ……人間です」
そして、笑んだ。
笑みを向けられる経験は、二度目。私を見つけた客のものたる一度目とは、まるで違った。
その笑みは、私の胸の内に暖かさを齎す。これは何だろう。胸に宿った暖かさの正体を探る内に、脱力を覚え、意識が内側へ引き寄せられて行った。
何年も人間の身体に対しての補給を怠っていた事実、本来の力を行使し停止した過程、初めて何かを為そうと動いた意思、初めて何かを決断し動かした意志……それら全てが疲労となって身体を襲った。そう理解し、意識を手放した。
―*―*―*―
意識を取り戻した時、私は寝床に横たわっていた。人の営みを見ていた故にその形や役割を知っていたが、自分自身で使ったのは初めてだった。
私を創生させた物語は彼女の言う極東のものだ。産まれ出でたのもそこで、見てきた人々や住まい、暮らしや文化は極東の物だけだ。海原を越えてから初めて触れた人間の文化は、見る物全てが少しずつ異なっている。
身体を起こすと、その音を聞きつけたらしく、軽い足音を響かせながら女が走って来た。
「目が覚めましたか!? ああ、心配したんです。一週間も眠っていたんですから!」
そうまくし立てつつ、私の額に手を置いたり、手首の血管から脈を探ったり、指が何本に見えるか訊ねたり。女は忙しく私を看る。
「お腹空いてますよね! 私お粥を作ったんです! 毎日!」
私は全ではないが、人間でもない。人間が言う空腹とは何なのか理解できず、空腹によって死に至る身体でもない。
黙っていると、女は顔全体に笑みを浮かべて椀を運んできた。泥の香りが漂ってくる。
「一週間かけて練習した、自信作です。食べてみてください!」
椀の中身は、鼠色をした固形物体だった。このような代物を食べる人間は見たことが無かったが、これも海の向こうの異文化だろうか。
「ティス、やはりよした方が……」
金環の客が女を止めようとするが
「倒れたのはきっと栄養不足からです。いくら料理が苦手でも、食べてもらわないと!」
と言って、じっと見つめてくる。匙で固形物体を割り、口に運んだ。
私は物を食べたことが無いが、物の食べ方なら分かる。鼻腔を泥の香りが駆け抜け、喉に送ると舌に砂を乗せた様な違和感が残った。
「どう、です……?」
正直に泥の香りと砂の感触を話すと。
「やっぱり……不味いですよね……」
女は肩を落とした。
「これが不味いという感覚か」
確認をすれば、更に肩を落とす。
「確認をするが、ミコトよ。何かを食したことは?」
「これが初めてだ」
「やはり人間では……いいや」
客は私を調べようとした時の『力』を思い出したのだろう。言いかけて口を噤む。
「しかし……やはり知らねばならん。申せる範囲でかまわん、都合が悪ければ黙るといい。おまえは何者だ?」
あの時と同じ問い。戒めがある以上、全が望まない範囲の事実が明かされることは無いだろう。
私が生まれたきっかけを思い出すために無言でいると、女が客に手を添えて首を横に振る。
「アシズ様、名を訊ねるなら自分から。正体を明かすなら私たちから、でございます」
「ぬ、確かに。我々は名乗りもしていなかったな」
女は大きく顔をほころばせながら頷き、胸に手を置く。
「私はフレイムヘイズ。この方――“冥奧の環”アシズ様と契約いたしました、『棺の織手』ティスと申します」
そう、堂々と名乗った。
「フレイムヘイズとは……いえ、まず。フレイムヘイズは分かりますか?」
客と殺し合うものたちが、そう呼ばれていることは知識にあった。
「異世界からの客を内に容れ、客を殺す客の道具だ」
女――ティスは、私の答えに笑う。三度目となる私への笑顔だが、また違う種の笑いらしい。
「そうとも言えますが……」
「私はティスを道具などと思ったことは無い。今はそれだけを申しておこう」
客――アシズが、深い声で宣った。客に使われるこの世の人間、以上に思っていなかったが。使われているのでないなら、一体何なのだろう。
「“紅世”や“徒”についての知識はあるようですね。一応」
そう言って、客ら――“徒”らの主だった組織を潰し終え、台頭してきた私を使っていた“王”を討伐せんと東方へやって来た、そうして私を見つけたと明かす。
ティスが話し終えた頃、私は私である経緯の整理を終えていた。
「私は――だった。――で――た故目覚め、――をしたが為――と成った」
重要な部分は全て音にならず、ティスの表情が固まる。全はその存在の端も、知られることを望まないらしい。
「ええと……虫食い、とってもお上手ですね!」
「いいや、これはわざとでは無かろう。そうだな?」
アシズの直感に、私は頷いた。
その後、時間をかけ穴だらけの説明をする。私が話す以上に彼女らが質問するが、核心に迫る問いには頷くことも出来ない。
結局、私は一人であり同じような境遇の者はいないこと、成長せず老いもせずこの外見で固定されていること、“世界を守るため”生きていること――彼女らはそれを理解した。
「あ、最後に……今の今まで忘れていましたが、女性、の方ですよね?」
「む。てっきり男かと……」
二つの強い視線を感じる。
私は首を捻った。私の物語に、私の性別は無かった。
―*―*―*―
動けるまでに疲労を拭った私を伴い、ティスとアシズは旅に戻った。
客を追い討滅する一方で、少しずつ私に“生き方”を注いでいった。
「どうだ、これが“一般的な”料理だ」
旅先で救った人間に振舞われた料理を食していると、アシズが言った。ティスは頬を膨らませる。
「ティスの“お粥”とは全く違う」
「もう、ミコトさんまで!」
旨いという感覚を理解できたが、なんとなく、ティスの“お粥”にも秀でている部分がある、気がした。
その違いや美味い不味いの上下と優劣への疑問をぶつけると、アシズに実際に作ってみることを勧められた。作り手に聞き出して作った、食した物と比べると薄味となった汁物を、ティスは笑顔を零しながら飲んだ。
盛んに美味しい、美味しいと並べる。そんな彼女を見ていると、もやりとした心地よさが胸を包んだ。それを伝えると。
「それは、嬉しいって感情ですよ。ミコトさんにも心があるのです!」
ティスは更にはしゃいだ。そして、嬉しい時は顔を緩ませるものだと、教えてくれた。
―*―*―*―
ティスとアシズに出会って一か月。動くことと旅に慣れが生じたのを見計らった二人は、段階を上げると宣言した。
「自在法の動き、“存在の力”の流れ――感じられます?」
“紅世の徒”に利用されないための、護身術の習得だ。
私は捕食されたとしても消滅に繋がらないが、世界の歪みは喰われた分だけ発生する。その性質を知られた結果は、言うまでも無い。
私を旅に同行させる理由の大半が、それを繰り返させないためだった。
「分かる」
切り離された“
「気配探知の鋭さは、名だたるフレイムヘイズにも並ぶほどか」
アシズが常より抑揚のある声を漏らす。
「ですが、自前の存在の力を使う訳にはいきませんし……」
私はあくまでも人間、人一人分の存在の力に少しでも手を加えれば、
「となれば、トーチの利用により“存在の力”を蓄え……それが間に合わねば、後の先を突く――敵対者の“存在の力”を利用し、身を守るしかあるまい」
「自在式の干渉……難しいですが、それが一番でしょう」
だが、あくまでも人間。燃料があったとしても、自在法を発動させることはおろか、自在式や存在の力に干渉する術も持っていない。
「人間でも扱える宝具があれば別だが……」
アシズのつぶやきに、ティスがひらめく。
「“紅世”とこの世の狭間の物質、アシズ様とミコトさんで、何か作れませんでしょうか!」
「恐らく不可能だ」
フレイムヘイズと契約した王が宝具を作り出した前例は無いらしい。
アシズが宝具の成り立ちについて、淡々と説明する。願い、物質、力、そして歪み。
願い、それは私を創り出した。物質、それは全より与えられた。力、それは意思で物体に干渉する術。歪み、それは――嵐。
私は足元に落ちていた一つの石ころを手に取り、目を閉じる。アシズの講釈が止まり、ティスが興味深げに覗く。
意思により物体を動かす――それは人間たる私であることの根源。外の嵐とは、全が自らを客に喰わせたことによる機能不全。ならば、全であった私にもそれは存在するはずだ。
私の内に存在する小さな嵐に、形を――物語を、吹き込む。
「まさか!」
「ミコトさん!」
石ころが、形を変える。それは勾玉――人間は物語の中にしか存在しない私を、ここから覗くらしい。
「これを数え三つ。それが限度だ」
小さな嵐を利用した力在る物質。利用できる歪みは限られている。
「宝具、作れたんですね! どんな願いで、どんな効力を持つのでしょう!」
ティスが興奮しつつ矢継ぎ早に聞いてくる。
「――が――だから――だ」
勾玉を反射する光を見つめながら答える。重要な部分は切り取られた。
―*―*―*―
私たちは旅する。“紅世の徒”らの放埓から人々を守る、そんな旅を。
守られた人々は、私たちに様々な感情を向ける。救われたことへの喜び、壊されたことへの悲しみ。私もよく知る恐怖により、言葉も交わさず逃げる者も多かったが。
「ありがとうございます……ありがとうございます――!」
誕生して数日らしい嬰児を抱いた母親は、涙を流した。
「私は使命を果たしたまでです。……どうか、その子と共に、いつまでも生きてください」
涙を流し続ける母親の姿が、疑問でならない。涙は悲しい時に流すものだとティスは言っていたが、この母親からは喜びの感情が漏れ出ている。真逆の現象に首を捻っていたが、ティスに促されこの場を後にする。
「人は“嬉しい”時も涙を流すのです」
問おうとするより先に、ティスは答えた。新たな学びだ。
「悲しみが極まると涙を流す。ならばあの母親は、喜びが極まっていたのか?」
「ええ、そうですよ」
学びの応用も板についてきた。
「ティスの助命行動がそれほどまでに嬉しかったのか」
「少し違いますね」
調子付いて続けたが、誤りだった。
正解を中々得られない私を余所に、ティスはアシズたる金環を見て笑った。
「あの母親は、子の無事を喜んだのだ」
自らの命ではなく、赤子の命を。
人は時折、自分ではなく他人の命を優先させる行動をとる。ティスもそう、他人を守るために命がけで戦っている。
人に『他者の痛みを知る』機能は無い。今現在も無数に死に、喰われているにも拘らず、何も感じていないことからそれは明らかだ。
そのはずだが……時に身を挺して、寸分たりとも結果は変わらないとしても恐れを乗り越え、人は動くことがあるのを知っている。
よくよく考えれば可笑しな行動だ。
「あの母親も、ティスも。何故身を犠牲にして他者を守ろうとする?」
「? ミコトさんだって『世界を守るため』に生きているのでしょう?」
私は人とは違う。
「そう――て、――たから」
そう願われて、生まれたから。言葉にはならなくとも、ティスは私の否定の意を受け取った。
「一言で答えるなら――愛、ですね」
愛。言葉は知っている。人間がよく口にし、私の物語の中にも組み込まれている。
だが、よく、分からない。
「理解できぬのも無理はない。人やフレイムヘイズ、“紅世の徒”……“心”を持ち生きる者らを、時に大きく突き動かすもの――今はそう覚えておくが良い」
「今は」
アシズの含みある言い方に、私は思わず繰り返してしまった。
ティスはアシズを見上げる。今度は悩みを含む笑み――いわゆる苦笑を浮かべている。
「私とアシズ様を、結ぶもの。それも『愛』なのですが……。ミコトさんには少し、早いですね」
学びが足りないと。ティスたちと望まずはぐれてしまった時と似た感情が去来する。
「私だって、少しは知っている」
人が番いとなる場面でよく口にすること。大きな柱を一周すると証明されるが、その時女が先であれば失敗すること。番いとなった後も、要求を破ると逃走劇が始まり岩での封印を以って破棄されること。
分からないなりの知識をまくし立てたのだが。
「……。ユニークですね!」
「ま、まあ……否定はするまい、独特なのは」
はっきりと困惑されてしまった。
ティスは咳払いをして、微笑みの表情に戻る。
「大丈夫です。いつか分かる日が来ます」
「その通り。
ますます分からなくなってきた。
「ティスと同じように?」
「愛にも種類がある。……徐々に、焦らず、学ぶことだ」
アシズに宥められる私から、不満という感情を受け取ったのだろう。ティスはもう少しだけ続けた。
「愛は、かけがえのない宝物なのです。アシズ様だって、初めは『この想い』を理解できておりませんでした。ですが、今は……私からの『愛』を受け取ってくださり、こうして私へ返してくださるまでになりました」
目を閉じて金環に触れる。アシズとの強固な結びつきを、私はただ眩しいと感じる。
「私たちと話す中で、ミコトさんがたくさんの『想い』を受け取ってくれていることを……私もアシズ様も、ちゃんと分かっています。ミコトさんの中にも、『愛』という宝物が、育ちつつあるのですよ」
ティスとアシズの繋がりと、私とティスやアシズとの繋がりは、また別のものだと、
別だとしても、しかし。尊い結びつきに思えてならない。
「だから、大切に。育ててくださいね?」
ティスは私に微笑む。これまで見てきたどの笑みよりも、柔らかかった。
―*―*―*―
後に中国と呼ばれることになる国で、ひっそりと、しかし楽しみながら暮らしていた“徒”たちを、ティスとアシズが追い詰める。
「青い炎――『棺の織手』だ!」
「くそっ、囲め! 相手はたった一人だ!」
その小物たちは小物である故に逃げを選ばず、圧倒的な存在に立ち向かう。五つあった小物たちを、一息で一まで減らす。
「邪魔だ人間!」
死に物狂いで逃げ、私の前に立った“紅世の徒”。それは焦燥感や危機意識が導くままに、喰らうという行為ではなく炎で私を排除しようと試みる。
人一人を消滅させるには十分すぎる炎がこちらを呑み込む――その刹那、伸ばした指先で触れ制御を私が喰らう。
「ああ!? なん――」
炎弾から変換した“存在の力”で、二つ目の宝具たる鏡に力を与える。鏡はもう一つの世界を象徴する。力を持った“もう一つの世界”は現実世界との境界を突き破り、制止することなく真っ直ぐやって来た徒を絡めとり、取り込んだ。
「ミコトさん、よくやりましたね!」
「破壊という一方向で強い意思の変換、見事だ」
物陰からティスたちが顔を出す。何度目かとなる徒相手の実戦だった。
鏡に収めた“徒”の意思総体と“存在の力”を、手早く『分断』する。“徒”が保持していた“存在の力”は鏡の世界に保存し、紅世の命や意思総体は――
「終わった」
用済みとして、吐き出す。“存在の力”無くこの世に放り出されれば、消滅あるのみ。
「“存在の力”のストックも、かなり溜まってきましたし……ミコトさん、立派な戦士になれそうです!」
「戦いの術を、ティスが教えてくれたからだ」
意識して、顔を緩めてみせる。そうすると、ティスはもっと喜ぶからだ。
「あ、笑いました! まだまだ固いですけど、アシズ様! 笑ってくれましたよ!」
そうして金環を握る。その邪気の無い笑顔を見ていると、暖かく心地の良い感覚が胸に広がるのだ。
「ああ、そうだな、笑っている。きっとティスの心がミコトに通じているのだ」
金環からも、深く喜びに溢れた声が聞こえた。ティスとアシズ、二人に喜んでもらえる――その事実に、私も喜びを感じているのだろう。
「人はこうして、喜びを分かち合うのだな」
ぽつりと漏らした私の言葉に、ティスは金環が外れんばかりに大きく頷く。
「その通りです! ですから、人って美しいのですよ!」
人の感情に中てられ、全から切り離されてしまった私。ずっと胸に揺蕩っていた喪失感が埋められていくのを、確かに感じていた。
「人は美しい……その通りだ」
感情、心と呼ばれるものを手にして。私は彼女らという光輝の元で、このままずっと、ずっと……心の美しさを知っていくのだろう。
そう、信じた。
余りにも無邪気な、無垢な心は。
『夜』という存在を、何も理解していなかった。
―*―*―*―
ティスとアシズに出会ってから、一年が過ぎた。
私は生きるということに慣れつつあり、ティスは私への教示を減らしつつあり、アシズは私の独り立ちを考え出した。
彼女らと離れなければならない、そのことを考えると、胸が生ぬるく重い何かを抱えたような感触がした。それは不安なのだと、ティスは教えてくれた。いつまでも守り守られていては、どちらのためにもならない。いつかは一人で立って歩くべきだ。そして、独り立ちの前に不安を覚えるのは“人として”普通の感情なのだと――。ティスは諭した。
「人として、普通の感情?」
私がティスの言葉を繰り返すと、彼女は穏やかに笑って頷いた。
「ええ。ミコトさん、この一年の間だけでとっても感情豊かになりましたよ。人として生きていける心と、人を守る者として生きていける強さを、得られました」
「その通りだ。ただの人間として侮る“徒”を討ち取る実力、相手にするのは難しい“王”を見定める眼、どちらも既に持っている」
アシズも同意し、その言葉で私の背を押す。彼女らの励ましは、確かに私の胸の塊を軽くした。
「私は、一人でも生きる、生きていける――ティスとアシズが言うのなら、きっとそうなのだろう」
不安という感情の上にやって来た、認められることの喜び。それを与えてくれた彼女らへの礼に、笑って見せた。
ティスもアシズも、私が笑うと、何度でも喜んでくれた。
その後私たちは、最後の共闘という名目でとある“紅世の徒”一団に迫った。怪物に怯える、ある集落からの依頼だった。
「『棺の織手』だな!?」
ティスはいつものように、容赦なく徒たちを潰していく。いつものように一体を逃がし、私がいる方向へと誘導する。迎え撃つため身構えるが。
「――」
生き残りは私を無視し一目散に逃げる。敵の力を自らの支配下に置き討滅するのが私の戦闘方法だ。こうして見向きもされなければ、手の出しようが無い。ティスが困った笑みを私に向け、すぐさま追う。素早い移動手段を持ち合わせていない故、遅れて走って追う。
―――来てはなりません!
道半ばで、私の頭にティスの声が響いた。今までにない鬼気迫る声音に、私は足を止める。それと同時に現れる幾多もの気配。先ほどまでとは格が違う巨大な、それも複数の気配にティスは囲まれている。
行かないべきなのだろう。しかし、ティスが危機にあるなら――いや、ティスは私より遥かに腕が立つ、いくら器用であれただの人間でしかない私が行っても――
そこまで思考し、撤退を決断する。身を隠すためその場から離脱しようと振り返――
(自在法)
身動きが取れない。
「知ってるぞ、知ってるぞお……そこのぼくちゃん」
背後に、別の気配。恐らく『気配隠蔽の自在法』とやらを使いそれは近付いてきた。
「久しぶりだねえ……
耳にしたことのある声。正体を確かめるため、鏡の内に貯めていた“存在の力”を解放し、身体を縛る自在法を解いた。振り返った先に現れたそれを、確かに私は知っていた。
「おやあぼくちゃん……おもしろい真似ができるようになったんだねえ……」
それは巨大な蛙。にんまりとした大きな笑いは、元々の表情なのだろうか。
それは“紅世の王”。私を携帯食料へと加工した、『視肉』の製作者たる自在師。
いくら小細工が上手くなったとしても、“紅世の王”とは依然、決して覆せない地力の差が私との間に立ちはだかっている。
(どこでもいい。逃げなければ――)
即断の末の自在法の行使は――
「だめだよお……
成らない。光速で私に取り付いた舌は、編まれつつあった離脱の自在式を……そしてティスが何重にも施した存在構成保護の自在法を、溶かす。
全力で抵抗するが、粘膜に一筋の傷を負わせることさえ出来なかった。やがて纏う全ての自在法を溶かされ、私の存在は意識と共に敵の口内へと取り込まれた。
―*―*―*―
混沌とした意識が徐々に晴れ、気を取り戻した私を見下ろすのは、星空。あれからどれだけ時を経た?
考えるより何よりも前に、血の臭いが鼻腔を突く。
「――ティス」
隣では彼女が倒れている。心臓を貫くほどの深い深い傷を負っている。
「目が覚めたか、ミコト。あれはティス、そしておまえを狙った“王”らによる罠だった」
血に濡れた金環から、アシズが幾分早口で言う。
「討滅は成ったが……この通りだ」
「みこ――と、さん……無事、で――」
「今は回復に集中するのだ、ティス」
アシズがティスの細い言葉を遮る。
治癒を補助する自在法を練ろうとするが、彼女に触れようとする手が彼女によって払われる。アシズが、ティスの意思を代弁した。
「おまえは幾十と、下手をすれば百を超える回数喰われた直後。これ以上身を削り、世界のバランスを乱すことは許されぬ」
やはり、意識を失った後に起こった戦いで利用されたのか。
今の“力”は身一つ人間一人分、それだけだ。貯めていた“存在の力”など雲散霧消している。
「ならば――」
気配を拾う。“徒”でもなく、フレイムヘイズでもない。これは――
「助けだ」
恐らく麓の集落――そう、怪物退治を依頼した者らだ。
私は信じて疑わなかった。彼らが命がけで戦ったティスを
ティスの傍らで跪いていた私は、人間たちを招き導くため走る。
「こっちだ。重症だ。助け――」
想像にもしていなかった。故に、迫る刃に反応出来なかった。
「ッ……!?」
一刀両断、胴が薙がれ激痛に倒れる。何が起こっているのか――せめて知ろうと意識を無理やり繋ぎ続ける。
「化け物はこちらだ! 我々で狩るぞ!」
―*―*―*―
「蘇ったか」
深く響く声に導かれ、混乱のまま身を起こす。
「アシ――ズ?」
何が起きている。私は何一つ呑み込めない。
「私は“この世でただ一つ、心通じた場所”である『ティスの存在』を起点に、私自身を再召喚した」
そこに立つのは、一人の“紅世の王”。
「崩壊しつつある『ティスという器』は我々の『清なる棺』に保存した」
棺を抱く、青き天使。
「なにが……」
青き天使の“紅世の王”――他の何者でもない、アシズは言う。
「
ふと気付いた私は、周囲を探る。人の気配は無い。在るのは――歪み。
「その通り。何よりも清くあったティスを裏切ったあの愚か者どもを――私は喰らって、
アシズは揺るがない。誇り高く掲げていた『フレイムヘイズとしての使命』を踏みにじり、何の後悔も抱いていないと分かった。
「この暴挙を、他のフレイムヘイズは許さない。私は追う者から追われる者となった」
歪みと紅世の気配。ティスはこれを追って旅をしていた。アシズはそんな存在と成った。
「私はこれより、ティスを守りつつティスを蘇らせる術を探しに行く」
仮面の奥から視線を受け取る。そこから読み取った感情は……苦しみと熱が渦巻いた、絶望。アシズが抱く棺――その内側から“死の臭い”を感じ取った。
ティスは死んだのだ。
アシズは棺を支える腕ではない、反対の手を私に向けかけ、しかし引いた。
「ミコト……おまえは、どうする」
アシズは問う。私に与えられたのは、導くための手ではなく、自ら選び取る機会。
「ティスが守り、されど裏切った――余りにも穢れた“この世”に義理立てを続けるのか?」
ここまできて、ようやっと、私は何が起こったのか理解を始めた。
ティスを
自分たちを本来圧倒する力だが自分たちを守った力を自分たちの身を危うくさせてまで自分たちで滅ぼす。人間にそれほどの矛盾が孕んだ行いをさせるには、恐怖だけでは足りない。
“心”を持ち生きる者らを、時に大きく突き動かすもの。愛、それは人間たちが語る、私にとっては理解できなかったもの。
今回、愛が動かしたのは、人間だけではなかった。
アシズはティスを、そう、愛している。ティスも同様、アシズを愛していた。ティスとアシズが語っていた『愛』というものの意味を、その力を、いや、その力の一端に触れ、圧倒された。
ティスからの愛という宝物。彼女が死しては永久に受け取れないという事実を覆すために、アシズは道から外れた。守るべき者らを喰らうことに何の躊躇いも覚えないほどに。
穢れと裏切り。それも愛が引き起こすものだ。力強く、危険で……ティスたちが“まだ早い”とはぐらかした原因は、これなのだろうか。
私たちを裏切った愛か、アシズが抱き続ける愛か。選択肢の言語化に成功した私は、迷わず選ぶ。
アシズと道を共にしよう。応えようと喉元まで出かかった声は――
―――来てはなりません!
反響する
続々と蘇る、ティスとの記憶。“同じ人間”だという詭弁、振舞ってくれた粥、見守ってくれた眼、独り立ちを認めると言った口元、使命の為に己の治療を後回しにさせた手。
「ティスは……望まない」
愛はかけがえのない宝物だと語った、微笑み。
記憶の中から反響するように、私の“心”にティスの生き様を蘇らせ辿らせているものは、彼女から受け取った『愛』なのだろうか。
確かに、この力強さ。愛の人を動かす力は、途方も無い。
「アシズが追われる身となること。私たちが両界のバランスを――」
中途で、アシズは私を地へと抑えつける。
「貴様に何が分かるッ! 裏切りに、死に絶望したティスの最期を見ていない――
……アシズは許せないのだろう。愛する者を喪ったにも関わらず生きている私と、アシズ自身が。
アシズが私の存在に手を伸ばしているのが分かる。足掻くべきだろう、彼我の力量差など関係ない。あと一歩のところで『道へと引き戻した』ティスのために。
しかし“そうする”には、アシズという存在は近すぎて、私は疲れすぎていた。
私は“紅世の王”らの力となってティスを傷付けた。付けた傷を、癒さなかった。
彼の尽きぬ食料となるのが罰ならば――甘んじて受け入れよう。目を閉じ、無抵抗に時を待つ。
「……」
諦めて。しかし、意識は途切れぬまま解放される。
「道は違えた。……おまえを気にかけたティスに免じて、背を見送ろう」
アシズは、諦めることを許さなかった。諦めなかった末に、彼はティスと歩んでいた道から逸れたからだ。辛うじてだとしても、
私はゆっくりと起き上がる。
フレイムヘイズならば、アシズを許さない。愛という感情の為に離反した裏切り者を。
全も、アシズを許さない。私とその奥に存在する『全』に最も肉薄する存在を。
そして、私は。
「道は違えた。だが、私はアシズの友でありたい」
こうして視線を交えるのは、最後となるのだろうか。
「私も探そう。棺に眠るティスが目覚める
不死は、蘇りは、ここに存在する。
あの時抗い切れず敵中に落ちた罪を、あの時身を削らなかった罪を。結果、愛し合った二人を引き離してしまった罪を。贖うために。
アシズが諦めなかった結果を、生かすために。
それが全への裏切りとなろうと。本当の消滅が待っていようと。
「アシズ、ティス。二人から受け取った、愛のために。――お前たちが生んだこの“心”に誓って」
青き天使は仮面の奥で……確かに微笑んだ。
決して離さぬ棺が私の目に入る。中の存在に別れを告げられているように思えてならなかった。
「アシズ。私に独り立ちを促したのは……ティスの声だった。ティスの声を、どうか、聞いてくれ」
流されるままにアシズと道を外れたなら。
きっとティスとの記憶、ティスから受け取った『愛』は、痛みにしかならなかっただろう。
そんな苦痛に満ちた可能性から、ティスは上から引き上げることで、アシズは下から押し上げることで、救ってくれた。
痛みを抱えそれでも歩み続けるアシズを、ティスは救おうとするのだろうか。それとも永遠に傷つけあって、しかし寄り添うのだろうか。
「ゆけ。何時フレイムヘイズがやってくるとも知れん」
アシズに促され、私は“独り立ち”を迎える。
生きる苦しさ、この世の『夜』に打ちのめされ。私は朝を迎え、アシズは夜をひた走る。
振り返らず、私は道を踏み出した。
―*―*―*―
それから。
私は『人間である異能』がどれだけ危ういか、あの一件により自覚した。ティスがあそこまで――人間に討たれるまでに傷付いたのは、不用意なる“事実の断片の露呈”から来たものだ。
只人として力を振るわず隠れ続け、この世の戦いを見守るのもひとつの道だろう。
しかし、私はアシズと約束した。全を、世界を知り、ティスを蘇らせると。
よって、もう一つの道――フレイムヘイズに擬態して生きる道を選ぶ。
生み出した『三つの宝具』の内初めの一つ、勾玉型の物は“私自身を象徴する”。存在、力、嵐――これらの制御、統制と監視、そして僅かながらの全との繋がりを司る『道具』。
私は知っていた。全を知ろうと近付きすぎたため虜囚の身となるも、消せず持て余されている“客”がいることを。勾玉を利用し全の繋がりを辿って接触を図る。
「お前か。囚われた客というのは」
“彼女”の意思に、揺らぎが走る。
彼女は『導きの神』。実体を持たず、選ばれた“眷属”の意識上に顕現し、それらを耳目として見聞を広めるという、“紅世の徒”の中でも際立って特異な性質を有している。私に繋がる全からそのような情報を読み取る。
現在は意思総体のみを全の内側に隔離され、何もさせずただ飼い殺されている。
私は全に働きかけ彼女の意思を勾玉に招き入れる。滞りなく終えたということは、彼女の借り受けは咎められていない。精神を摩耗させた彼女を時と共に馴らしてゆき、彼女という存在を招いた勾玉を通じ私は薄くとも確かな“紅世”の気配を得る。
「ありがとう……ミコト。私はまた……『知』に触れられた……」
「礼には及ばない。この解放はお前を利用する為だ」
勾玉の力で“私自身の存在”を組み替え、世界へ干渉する際の揺らぎに彼女という色――純白を加える。
気配は
更に“人として”死ぬか喰われた後、彼女――“覚の嘯吟”シャヘルが囚われていたあの場所へ緊急避難する仕組みも付け加えた。ここで時を潰すことにより敵が去らない内の蘇生を阻止し、出口の調整により死した場所からの移動を行う。
活動を円滑にするための『達意の言』を構成し、最後にティスが幾度も用い、また私自身も教わった存在構成保護の自在法を刻み込み、完成した。
こうして準備を整えた後、私は“紅世”の存在が争い合う『この世界』へ入り込んだ。
死という不可逆な現象を逆転する術を探すために。
少しずつ物事を知っていく内に、私は私自身を、そして全の確かな真実を得ていないと知った。不死と蘇生を体現する唯一の例が私だというのに、余りにも遅い知覚だった。
一度だけ、全であることは取り戻された。二度目もきっと、存在するはず。
力を与えられるのは何時か、力で何を為せるか、全の意思はどこへ向かっているか。学ぶために、旅した。
鍵は、心。私が人の願望が形作った物語により名前と形を与えられたように、全の根本にも“心”があるのではないか――推測は、当たらずとも間違ってはいないはずだ。
心とは、人間が持つ“紅世”との接点。何もかもが異なるそれらは、“心”という一点により繋がっていた。
正直……ティスとアシズ、そして私を裏切った『人間』、人間がそうするに至った“心”に不信感が芽生えたのも、否定はできない。
しかし、あの輝かしいティスたちとの日々も、本物だった。
何が真実でどれが虚偽か、私は長い時間をかけて“どれも人間”であり“どれも心”だという答えにたどり着く。
アシズがフレイムヘイズの“王”から乱獲者の“王”へと裏返ったように。
心というものは流動的で無秩序で、手のひらの中に収めておけない。多くの人々との交流を経て、私はそう学んだ。
そして、きっかけがあれば簡単に壊れ、ただ生きるだけで擦り減っていくものだと。
私とて例外ではない。いいや、私こそ二人によって得られた心を丹念に守らねば、刹那の瞬間に失ってしまうだろう。
ある“紅世の王”から助言を受け、ティスが私に心を見出したきっかけである料理を始めた。自分だけでなく他人に振舞うために、我武者羅に腕を磨いた。私は自らの手で作り出した他人の笑顔が、心に活力を与えることを知った。
一方で、ティスを蘇生させる方法の調査は遅々として進まなかった。
そも、私の不死性は全との繋がりがあってこそのものだと早々に判明した。死と輪廻の法則から外れているものが全なのだから。
そうであれば……私は私が手を伸ばせる範囲を知り、そして伸ばせない位置へ届く努力をせねばならない。
―*―*―*―
永い時を経た。
人を見て、己を見て、客を見た。
全としての力を一部でも自力で引き出すコツというか方法を、何とか習得した。長く極限状態に浸した純粋な『願い』を全と接続させれば、その願いに沿った動きにブーストが掛かる。
つまり『真っ直ぐ念じて力を得る』って自在法形式だ。理屈上、俺自身の願いでもそれは可能だろうが、『普段』の全との繋がりが細すぎることと全の拒否反応を読み取ってしまうことから、綻びさえ生み出せない。“他者の強い願い”で突破口を開いてようやく、という感じだ。
死と輪廻の法則を探求する中で、喰われた人間を『戻す』術も覚えた。人を構成していた“存在の力”は凡そ一年もあれば全へと還ってくる。それらを余さず回収して、願いで全の力を引き出しつつ俺自身が再生する動きと同調させる、それで
だが、同じ法則で生物としての『死』は払えなかった。
意思総体なら再現できるが、それは別の存在でしかない。記憶の中のティスは記憶の中の範囲でしか動けない。俺と出会う前の記憶を紡げないティスは、ティスではない。
彼女を動かしていた心なのか魂なのかは、死によって喪われた。そう直面したから、舵を切り替えざるを得なかった。
その喪われたティスをティス足らしめる何かはどこへ行くのか……少しずつ全の深淵へ踏み出しても、その大きさに対する人間――つまり俺の小ささを思い知らされるばかりだった。
フレイムヘイズ
人間の身体と存在って限界は、どれだけ“存在の力”を貯め込んでも訪れた。一定以上の大きな自在法を使おうとすると、人間の存在構成って繊細な造形物が壊れてしまうからだ(修復は全の力で、人の領分ではない)。
いっそ三つの宝具の内どれかを核にした“ミステス”形式ならかなり楽できそうだが……。そう気付いた時点ではもう、“紅世”関連の知り合いを多く作っていた。そいつらの目を誤魔化す偽装を増やすのも、いきなり“統制力を上げた”様を見せつけるのも、多大に面倒くさく思えた。
それと、『人間であること』を。なんとなく、ティスと、アシズも、望んでいるような気がした。……これは甘えなんだろうか。
これらと、少しだけ残ったティスを死なせるに至ったあの戦いのトラウマから、積極的に“紅世の徒”討伐へは繰り出せなかった。
それでも、仮にもフレイムヘイズを名乗ったんだから、歪みを均す『調律師』として活動した。“独り立ち”からそう時を経ず、調律ってもんと仕組みを教えてくれたフレイムヘイズと行き会えたのは、幸運だった(彼と出会った経緯は、たまに会いに行くと必ず蒸し返される。“兄弟弟子”に当たるフレイムヘイズらにもばっちり伝えられてしまったから、彼の隠遁後もそいつらに揶揄われた)。
変わったことと言えば、シャヘルの扱いに関してだ。全がシャヘルの利用法……なのか、遊び方、なのか。それを見つけてしまった。
隔離空間から“仮釈放”され『導きの神』の耳目が通った結果、シャヘルは“神”としての力を取り戻した。彼女の眷属から流れ来る情報は全にかっぱらわれてるから……全が都合よく好き放題に神意召還をぶっ放すようになった。
……元々、今とは比べ物にならないくらい“無邪気だった”シャヘルが好き勝手に使ってた力だったから、
当事者も聞かされる側も、めちゃくちゃ振り回されるのは変わらない。はっきり言って迷惑だ。
てゆーか神託の度に身体が存在ごと吹き飛んで色んなストックや身辺事情がパーになるこっちの身にもなれ。
その全ての責と憎悪を被せられた、ある意味一番の被害者は。
「私は“紅世”の神としての神格を……失っているわ」
そうぽつりと漏らすだけ。諦め受け入れているようだ。
だが、ただの迷惑としても片付けられない。
全の『神託』は、俺たちが知ることのできる最も分かりやすい形の『深淵』だった。全は何を思ってどう動きたいのか、未だに分かっていない。何故俺を切り離し、そのまま消さず個として世界に留め続けるのか、これも謎のままだ。
『全の全て』を思考の照準に収め理解できたなら、ティスの喪われたものが見つかる……そう信じた。俺にとってはそれが、唯一の導であり光だった。
『神託』が放たれるのと同じか、もう少し稀な頻度で、全からの仕事が回って来た。
それは『全の殺し屋』っていう、代行業。
元々全は、
全はそれを知り“自らに近付いてきた”(フレイムヘイズも含む)異世界の存在を取り込み、乗っ取り、“存在の力”を奪うという方法で身を隠していた。その方法の実行には、『抹殺対象』が全へ何らかのアクションに出る過程が必須だった。全が最も忌避する“知られること”は、回避も予防も出来ていない状態だった。ちなみにシャヘルは、この世での生存を“存在の力”に依存してなかったから、どうにも出来なかったケース。
だが、シャヘルの耳目を全が手にした結果、全はよりはっきりと、客観的に、この世の監視が可能となった。それにより、全を知ろうとする行為、全を暴きかねない実験――それらが全にとって取り返しのつかない段階まで進められる前に、察知出来るようになった。うっすら察するに留めるやつとか、気付いて目を逸らすやつとか――取りこぼしは多いだろうが、それは正直安堵してる。殺意だけで裁いてたりしたら、人間みんな罪人――それと同じだ。
全は『決定的に近付こうとする存在』を見つけると、個としてこの世に干渉する唯一の例外、つまり俺に、抹殺命令を下した。その時だけ、全は『元々持ってた力』を戻してくれる。『上司公認』のそれは、“宿り先”の願いから引き出す『無断持ち出し』とは比較にならない純度と精度と安定度だった。ティスと初めて会った時の“あれ”は、こういうことだったらしい。
“この時ついでにティスを生き返らせよう”……とは、思ってはいるが、難しい。
まず『本来の俺の力』で“存在の修復”とは別物の『死者の蘇生』が出来るか、という分析と模索から始めないといけないんだが、悠長に調べられる時間なんて無かった。
全とダイレクトに接続してる時、全だった自分としての目的意識が最優先され、
乗っ取られるとか消されるとかでは無いんだが……どうも、かけ離れすぎていて、“人としての自分”は“全である自分”へ介入できない。それぞれ“在る”んじゃなくて、硬貨の表と裏、って感覚だ。たぶん、『全』から『個』へと独り歩きを始めた弊害、なんだろう。
アシズとは、あれから一度も会っていない。俺が限りなく人間らしくなったように、奴さんも随分“紅世の王”らしくなった。
対フレイムヘイズ戦闘組織[
俺たちはそれぞれの道で色々なものに出会い、様々な何かを得て、しかし求め続けている『彼女』は喪ったまま取り戻せなかった。
百年を越え、五百年、千年、二千年……道が交わらず惰性のまま、永久に喪われた『彼女』の笑顔という幻を追うのだろうか――そんな弱気を抱えていたのは、どうやら俺だけだったらしい。
アシズがちっとも諦めてないと知ったのは、十六世紀まで数年という、世紀末。ひっそり活動してた俺を[
「今すぐは無理だ――は? 相手は
今すぐ連行しようとするメッセンジャーを何とか説得して、準備期間を奪取する。
約束の日はぴったし一か月後。場所は西欧のとある一都市、オストローデ。
―*―*―*―
ティスが生きた最後の一年間を共に過ごしただけ。片や“紅世の徒”一団の中でも最強硬と評される組織の首領、片や『調律』すらサボりがちな『最弱のフレイムヘイズ』。
正直忘れられていても不思議ではないと思っていたが……アシズの時は止まったままなんだろう。どれだけ周りを取り巻く環境や近しい者、時代、全てが変わったとしても。
トーチをなるべく多く“摘んで”、仮宿も引き払って、[
オストローデ市を一望できる郊外の丘で、アシズは一人待っていた。
「よー」
「……ミコト、か」
アシズは、変わっていなかった。声の深さも、気配の穏やかさも、……奥に揺蕩う優しさも。
「……全然、変わってねーのな」
「おまえは随分と変わった……今は『眇理の環手』、だったか?」
「そう名乗ってる。人間に混じるより目立たんだろ?」
そよ風が足元の草を揺らす。緊張を気づかれんように肩や声の力を意図的に緩めた。
「どの様な絡繰りかは知らぬが、『導きの神』の契約者だそうだな」
「縁があったんだ」
“弥栄の璽”と名付けた勾玉を掌に出す。
「……昔ミコトが世話になったそうね……」
それが“神器”でなく『宝具』だって知ってるアシズは、訝しげに一瞥しただけで俺に視線を戻す。
「おまえは如何に時を過ごした。
「訊ねるなら自分から、だろー?」
アシズは語らない。気まず過ぎる沈黙に負けて、俺は口を開いた。
「憶えてるよ、ずっとティスを生き返らせる方法を探してる」
続きを促すプレッシャーに呆気なく負ける。
「ティスは人が生きるのに必要不可欠な『何か』を既に喪ってる。多分『心』とか“魂”とか、そう呼ばれてる何かだ」
それを取り戻す術は、あらゆる手を使って模索をしたが見つかっていない……足掻き続けた結果は空虚な報告だ。
「二千年、か」
「そーだな」
遠くを思う声には違いないが、アシズは俺から目を離さない。
「おまえは
「そりゃどーも」
ただ成長報告を聞くために二千年を経て呼んだ……訳がない。シャヘルが警告するまでもなく、警戒を深める。
「『愛』をまるで理解できなかったおまえが、愛のために二千年を費やすまでに」
「……」
ティスへの想いに、俺は名前を付けていない。
愛ではある。二千年も忘れられなかったんだから、否定も誤魔化しも出来ない。
沈黙を肯定と受け取ったアシズが、今度は自分から話し始める。
「私もおまえとほぼ相違無い。あらゆる秘儀を学び試したが、『死』を取り除く術は何処にも存在しない」
視線が突き刺さる。背筋に怖気が走ったそれは、ティスと共に旅したころの
「おまえという“存在”を除いて」
不死、そして帰還。俺は何度もアシズに見せた。
全の領域を侵すことは許されない。その客を消せ、刷り込まれた本能的な部分がそれを訴える。
「俺に協力しろって?」
「その通り。しかし、おまえは『おまえ自身の不死』を他人へと施す方法を突き止められていないのだろう?」
「……ああ」
アシズの仮面の奥の表情は窺い知れない。
「じゃあなんだ。懐かしの『視肉』になればいーのか?」
これは“願望込みの甘めの勘定”の中で、最悪なパターン。あの消滅と再生の永遠の往復……“喰われ続ける感覚”は、いっちょ前に好き嫌いが増えた俺にとって『死ぬより嫌』なものだ。
だが、
「そのような手段では、おまえの『真実』は引き出せないだろう」
否定が返って来た。――どうやら“願望”は破れたらしい。最悪は、より深い場所まで潜り込んでいる。
「『真実』?」
全の『道具』だったなら、出会ったその時に消さないといけなかった存在が『棺の織手』。ティスとアシズに“育てて貰った”自覚がある……それ以上に二人が
ぼんやりと、アシズはその我が儘が通らない域へと踏み込みつつあると気付いた。
「おまえは人にして人から外れ。されど“紅世”の存在とは相容れぬ……紛れもなく“この世”由来の存在だ」
「……まだ間に合うはず……“紅世”が“そちら側”を知ってはならない、“冥奥の環”……!」
「その名は捨てた、“覚の嘯吟”」
アシズは言葉を止めない。彼女の生還へと至れる可能性があるから、恐れない。
「では、この世にて異能を自在に操る『人間』とは何だ?“紅世”の存在に当て嵌めるとすれば、おまえはなんだ。
シャヘルが息を呑んだ。俺はただ聞いているだけだった。
「世界法則だ」
全を。アシズはそう呼んだ。
「昔と同じ表情となったな、ミコトよ。
アシズは物語を読んだのか。世界中の人間が編んだ、無力なはずの夢物語を。
「正体たる“徒”が消滅した結果かとも考えたが、そうではない。何故なら、役目と信仰の一部を失った神々は、
俺が守ってきた秘密を何の躊躇も無く暴くアシズを、どうして止められる?
だってアシズがそうしているのは、ティスのためなんだから。俺と同じだ。
「それこそが歪み。或いは“紅世の徒”が喰らうことで抉り取られたこの世の一部であり、この世の神話と“紅世”が異なるものという証。“神”を
俺は、全だった。全として自らを喰らわせた。
全は“求められた”から客を招いた。そして恐怖を知った。
「我々“紅世の徒”は“神の一部”を喰らうことでこの世の法則を捻じ曲げ顕現する。自由にできないこの世の法則があるならば、一部ではなく“全て”を喰らうしかあるまい」
どくん。人間を模した身体の奥で、心音が響く。
それは捕食宣言への『全としての』怯えか、ティスを復活させる兆しをついに見つけた『個としての』喜びか。
「さて、おまえは面白い存在だ。何せ“人として顕現する唯一の神”だ。おまえが
知られることへの恐怖。見つかってしまった、だから喰われた。
知られることへの歓喜。踏み込む彼は俺の望みを叶えてくれる。
「人知の及ばぬ災害や記憶に刻まれぬ恐怖を、人々は夜闇や悪夢に喩える。
力は既に戻っている。境界が崩れかけた硬貨は、頼りなく揺れ動き、裏返ろうとする。
「そうであろう? ――
人としての俺が、ふつりと。神としての私に切り替わる。
人に与えられた私という物語。私を個へと堕とした
呼ばれた以上、私は全としてこの客を消滅させねばならない。