異伝版[ゾートロープ]と思っていただければ(SII収録の、シャナがゾフィーに色々教えてもらうあれ)。
(1) ミコト、故郷に帰ろうとして漂流する 1
「ゆけ。何時フレイムヘイズがやってくるとも知れん」
母親のように慕う『討ち手』を喪い、父親のように慕う“王”と決別した、『
アシズの気配が去るのを背中越しに見送り、周辺から“紅世”の気配が失せたと確認し、歩みを緩める。
惰性でしばらく進み、かたつむりが競えるほどの速度まで落として、結局止まった。
「……」
どこへ行こうか。
行く宛は無い。
「……」
これまではフレイムヘイズとしての使命を遂行するため、歪みや気配という道しるべを進んでいた。自分ではなく、『棺の織手』ティスが。
独りになって、生き方を見失い。単純に、途方に暮れた。
(
これが誓い。為すには、まず何をするべきか。
(余りにも弱く)
そして。
(危険だ)
二度、“紅世の徒”に力を与えるだけの『食料』へと身を落とした。存在構成の消滅と再生を延々と往復する中では、意識を保つのもままならない。自力での脱出は困難を極める。そんな己を二度、救ってくれたのはティスとアシズだった。
彼女も彼も、もういない。
(繰り返してはならない)
自分だけで生きていかねばならないのだから。原因を突き止め、対策を講じる必要がある。
原因は、自分という存在が“喰っても戻る永久機関”と認識されたこと。これが、全力で隠し通すべき秘密だ。
秘密を保つには、秘密を暴かれる行為を阻止せねばならない。この場合は、偶然でもなんでも“徒”に己を捕食させないのが大前提となる。
(人間を全力で演じる)
人間に混じり、“紅世”を避け、彼らの目から隠れ続ける。本来はそうするために、隠蔽や離脱、偽装の『自在法』を重点的に学んできた。そうするのが妥当だ。
しかし。
(……)
憧れ、この道に独りで立たせたのは、フレイムヘイズとしてのティスだ。
彼女なら、この世の戦いを安全な場所から見守る傍観者となることを許し認め、なんなら後押しするだろう。それは分かっているが。
(フレイムヘイズを演じ切る。その手があった)
安全で妥当な道を進み続けるのを、選択肢から自然と外した。
フレイムヘイズは喰われない。契約すれば、存在の分解が不可能となるからだ。異能を振るっても、むしろそうしない方がおかしいと捉えられる。
(約束した)
この世、“紅世”。力の由来は問わず、死という絶対の法則を覆さねばならないのだ。人間として人間の世界に混じるなら、その目的の枷となるだろう。
(協力者が必要だ)
自分が『通常の』フレイムヘイズになれるかなれないなら、否だろう。契約を可能にするだけの『心的激情』が乏しいのもあるが、近付いた者を捕食する
ならば、フレイムヘイズを演じよう。皆、意外とあやふやな感覚で種の違いを判別しているため、誤魔化すことは可能なはず。
『表向きに』異能を振るう者たちは、皆異世界の関係者だ。フレイムヘイズを偽装するには、この世と異世界が混じる気配と有り得なさを示す色、この二つを備えるのが絶対条件だ。
心当たりがひとつ、あった。
“紅世”真正の神が一柱、“覚の嘯吟”シャヘル。“紅世”にこの世の存在、『狭間渡り』の手段、フレイムヘイズ――様々な『新しき灯火』を広め伝えた、この世を戦場に変えた
ミコトは彼女に、その事実認識以上の感情は抱いていない。全も同じく、目に付いた異世界の存在は平等に喰らうのみで、特別恨んではいない。全は近付いてきた彼女を完全に滅せず、持て余していた。特別な位置に置いた理由は、ただそれだけ。
勾玉の宝具を作ってからうっすら感じ取っていた『全との繋がり』を繰る。数日かけて自らを流れに乗せる術を覚え、“こちら側”に唯一存在する“紅世”の気配に近付いた。
彼女は孤立していた故に、取り出すのは簡単だった。誰からの、どういう反発も無かったため、躊躇いなく『己の協力者』にするため引っ張り込んだ。
“神器”はもちろん、自身の『存在的な』制御機構たる勾玉。翡翠製の勾玉は彼女を迎え入れた瞬間、全てを掻き消す忘我の色、純白へと色を変えた。
「……」
「……」
反応が無い。
自身については“紅世”の存在の組み込みも成功し、気配は『本物』と区別がつかなくなっている。
「……」
「……」
もう一度つつくが、表出しているはずの意識には揺らぎすら生まれない。
(フレイムヘイズは、元人間たる契約者が行動の主導権を握る)
偽装の絶対条件なら得られた。“王”が
「……」
反応無き同行者との無言の旅は、数十歩で止まった。
今度は。
(死にはしないが、死にに行くのは違う)
ティスを殺す原因を作った
フレイムヘイズは全員、“紅世の王”と契約している。つまり、能力は“紅世の王”と遜色ない。その戦いに、いくら誤魔化しても『人間である』自分が割り込む隙は、あるのだろうか。
(……。これから戦闘方法を模索し、強くなるしかない。それまではなるべく、戦いも目立つ真似も控えよう)
ふと、思い立つ。
失敗や不都合は、今のところ全て『蘇り』が起因している。これをどうにかせねば、どれだけフレイムヘイズに似せてもどこかで綻びが出る。
次の課題は『死の偽装』だ。
(フレイムヘイズの死に様……)
一度だけ、見たことがある。死体も何も残らず、全てが消滅していた。これが一般的な『死』なのだろうか。たった一つの例で判断するのは、よくないことだ。
とりあえず、適当に炎を散らしつつ死体と痕跡を消せば、それらしく見えるかもしれない。となると、『死』と『蘇り』の間に『消滅』を挟むのはどうだろうか。
(『死』を発動条件とし、転移する)
炎を散らすのはさておき、転移はかなり良い案に感じる。この身体さえその場から逃げられれば、『視肉』化も防げる。
転移先は、なるべく遠い安全地帯がいい。単純に距離を稼ぐには多くの“存在の力”が必要となり、戦闘を前提とするなら発動させるだけの力を残せるか怪しい。
(あそこがいい。そうしよう)
手に握る勾玉の感触から連想した『絶対安全区域』、“覚の嘯吟”隔離空間。そこは内からも外からも『あらゆる情報』が遮断される。一度、肉体ごとそちらへ行って、戻る実験をしてみた。他者はともかく、ミコトの出入りは自由らしい。
意気揚々と、勾玉と己に条件転移機能を足した。
また、歩き出す。
「……。“覚の嘯吟”」
「……」
呼んでみたが、変わらず反応は無い。
歩みを止めず、ただ前に進む。
大目標は『死者蘇生』、小目標は『鍛錬』。偽装や死んだ場合の保険も整えた。後は、修行あるのみ。
この足はどこへ向かっているか。ミコトは分かっておらず、意識もしていない。当分“紅世”の存在との接触は避けたい、とは思っている。“徒”もフレイムヘイズも、歩けば当たるほど多くは無い。修行するための該当地域は、多過ぎる。
(……)
立ち止まり、登りかけの太陽の方向を確かめる。
(東は、そちら)
どこへ行きたいか。自然と『故郷』が浮かんだ。
(大陸の東端から、海を渡れば)
それくらいの知識はある。東へと進路を変え、歩み始めた。
―*―*―*―
海を見つつ、渡れない日々が過ぎた。
人間としての限界は、ミコトを故郷から遠ざけた。
饕餮は強大な力のまま、単純な浮遊の自在法を使って移動した。自在法の行使自体は問題無いが、道中では一度も“徒”を討伐していないため、自在法の動力源を持っていない。
人里も、意図して避けてきた。何を知ってどう悟ろうと、
人間に対してどう接すればいいか、分からない。そもそもティスが存命の頃も、他者との接触は彼女に委ねていた。
何度か人里に近付きはしたが、寄らずに通り過ぎた。自分たちを化け物と呼んだあの目と、もう助からないというのに執拗に突き立てられた刃の痛み。恨めず、しかし受け入れも出来ない。会って関わり合いになれば、また同じ目に遭うかもしれない。
単純に、人間が恐くなったのだ。“紅世の徒”は敵として割り切って抗い戦えるのだから、まだましだ。弱い種ではあるが、人間の『熱』は“化け物”を殺す力を秘めている。それがどうしようもなく、恐い。
(……)
人間ではなく、“紅世”の存在でもない、独りぼっち。どうしようもない『事実』を抱えた身体を、ただただ東へ運んだ。
海に辿り着いて、久しい。故郷は『東の果ての島』なのだから、なるべく東端を目指さねばならない。大陸の東の果てならもしかすると、人間の身体でも泳いで渡れるかもしれない。
海岸線をひたすら北東に進む。東の果てに来たと思っても、北では大地が続いていた。東の果てに来たと思っても、海を越える手段が無い。自棄になって、東か北を進んだ。
そのまま、数年後の冬。
「!」
「……道」
数か月に一度の頻度で声を出すようになったシャヘル。彼女の言う通り、海に道が出来ていた。
恐る恐る、道に踏み入る。少しだけ足が沈むも、体重を支えられる
「この
「……」
シャヘルの意思が勾玉に宿っていると判明してからは、こまめに方針を伝えるようにしている。――いつか、ティスとアシズのように、自然と会話できる日が来るかもしれない。
今は目の前の氷の道に集中する。南からは海が迫っており、やはり東進と北上はひと揃えらしい。時間をかけては、気温の上昇で氷が溶ける。暦からして……二か月後には、春が来る。
「急ぐ」
「……」
速足で白い道を何日か進んだ。氷の下を調査したところ、自分は間違いなく海上にいた。
速足で白い道を進むこと、数か月。暖かくなるにつれて南から海が迫る速度が増してきた。北東に向けて駆けだすと、氷が割れて海に落ちてしまった。
しばらくは泳げたが。
「……。死による緊急避難機能は、問題無く作動する様だ」
「……」
フレイムヘイズ偽装後、初めての死因は、溺死だった。
意識は『隔離空間』に移動し、健康な肉体も戻っている。この世への復帰も、滞りない。
しかし、出た先は海中。数分後。
「……。“徒”との戦闘外で、復帰の問題点の洗い出しが出来て、好都合とも言える」
「……」
何度かの試行錯誤で、復帰地点の制御の感覚を掴んだ。時間を遅らせること、ある程度離れることが可能らしい。
ただ進み、何度も『死んで』、死さえ距離を稼ぐ手段に使って、数か月。
氷の質が変わった。暦上の季節は秋、この地は雪と氷で閉ざされている。
そう、地上だ。自死を前提に氷雪を溶かしたところ、下に地面があったのだ。
「着いた……」
「……もう死なないで欲しい……」
海を東に渡って、辿り着いた地面。満足感のまま、雪に身体を預けた。
このままでは一時間もしない内に凍死だが、どうせトーチだ。存在的死がその内やって来る。死んでもいいから、今は休みたい。
意識が遠のき、そのまま手放して眠った。
―*―*―*―
人間として復活し、氷雪の中を進む。
「……」
大地に辿り着いてからも、何度か凍死を経た。時が進むごとに、寒さは有り得ないほどの厳しさで牙を剥いてきた。
見たことの無い、空を舞う天蓋を仰ぎ、とうとう恐れを口に出してしまった。
「……ここは、本当に故郷なのだろうか」
「……」
あの揺らぐ光の天蓋は、なんなのだろう。“紅世の徒”の炎と似ているが、気配はせず距離も遠い。この世の何らかの現象、かもしれない。
息を凍らせながら、無気力に身を投げる。雪が身体をやわらかく受け止めるが、同時に死が迫り来る。
故郷にさえ辿り着けば。ただその一心で、死を繰り返しつつ海を横断した。待っていたのは故郷なのかさえ怪しい――いいや、故郷は真冬でもこれほど寒くなかったため、違うのだろう。しかしここまでの労苦が、ミコトに現実逃避をさせていた――異国感と寒さ。
凍り付いた身体と心。アシズとの誓いを頭に浮かべ奮い立たせてきたが、限界に近い。フレイムヘイズとして“紅世の徒”と戦うどころか、人との会話も体験しない内に、一人挫けかけていた。
「この世は、厳しい……」
「……」
終わりの見えない死を繰り返すうちに、シャヘルの反応も無くなってしまった。気配はあるが。
意識が薄れかけたところで、変化を拾う。これは、人間の気配。
人間は真っ直ぐ近付いている。誰かの進路上で倒れたのは偶然だろう。幸運なのか、新たな不幸の先触れか。
何かをしようとは思えない。何かをする体力も失っている。
人間は進路を変えなかった。だから、ミコトを発見して傍らまで寄り、生死確認をした。その時薄目を開いたので、生きていると判断された。
―*―*―*―
意識を取り戻して、何かが見えた。『隔離空間』ではないので、あれから命を繋いだらしい。
何年振りかの暖かさを感じる。近くで火が焚かれているのだろう、薪が燃えて落ちる心地よい音がする。
「――――」
「――――」
人の声、知らない言語。そういえば、『達意の言』を組み込むのを忘れていた。腹の上に勾玉が置かれており、それを手に取り存在構成をいじった。
腕を動かしたところを見られ、声をかけられる。
「おや、起きたか」
「本当に“生き返る”とは」
完全なる肉体的な死は経ていないはず。仮死状態からの帰還を言っているのだろう。
そばにいるのは、二人の男。一人は頭巾で顔が隠れている壮年の男、もう一人は筋骨たくましい若者だった。
もぞもぞと起き上がり、周りを見る。
「……ここは」
こんな文化、知らない。故郷ではない場所に着いてしまったと、ミコトはとうとう諦めた。
「『南西の川辺の村』だよ。――少し話したいから、外してくれないか?」
「分かりました。それでは」
若者が離れて行った。大きな住居の一画らしく、ぽつぽつと男が集まり談笑している。
「さて――。占いにて結果は出たが、あなたの主張を聞こう。何故、この地に来た?」
事情なら山ほどあるが、骨格に人間相手に隠さねばならない情報は無かった。
「……。故郷に帰るため海を渡ったら、着いてしまった」
静かな沈んだ声で答えた。男は納得したように頷いた。
「道理で。月の
「……」
当たっている気がする。人間の占いは侮れない、とミコトは戦慄した。
頷くと、男は穏やかに笑った。
「北方では『月がヒトや動物を支配する』と信じられている。――北の村ビトに拾われていたなら、重き歓待と期待を受けていたはず。そうでない『南西の川辺の村』に拾われた今は、幸運か不運か。どう判断する?」
「……」
男は、神かヒトか、どちらの扱いを受けたいかを訊ねているらしい。ミコトがなりたいのは、ヒトだ。
「幸運」
男は再び、微笑んだ。
「ならば、選んでもらおう。ヒトを迎えるなら、男には男の、女には女の歓迎がある。『どちらでもない』は許されない」
「……」
性別を訊かれているらしい。体を探り、『どちらでもない』と分かったのだろう。
ミコトは思い出す。
(――「ミコトさんは、“どっちか”聞かれたら、必ず『男』と答えてください」――)
『どちらでもない』と知ったティスは、その衝撃を乗り越えた後で、どちらでも構わないと宣ったミコトに言い含めた。理由を訊ねると。
(――「『女』の一人旅は、それはもう、本当に、極めて危険なんです。私にはアシズ様がいらっしゃいますし、大抵の困難を乗り越える物理的精神的な力もあるので大丈夫ですが……」――)
どう危険なのかは、結局教えてもらえなかった。まだ知らない以上、女を選ぶ理由は無く、むしろ害がありそうだ。
「男」
そう答えると、男は笑みを絶やさず小さく頷いた。
「これより、冬はますます深まる。この村では丁度、散った村ビトらが集まる儀礼期が始まる。厳冬を越えられぬヒトとしてのあなたに、短くとも儀礼期間の滞在を勧めるが」
どこへ行くにしろ、寒さの先には出口の見えない死が待つのみ。参っていたのも確かで、あたたかい住居に身を置けるなら、人間の中に混じってみようと思えた。
「しばらく滞在したい」
「相分かった」
男は大きく頷いた。
「月の雛よ。あなたを客人として歓迎する。ヒトへの歓待法だが、村の皆には丁重に接するように伝えよう」
笑んで、立ち上がった。
人間を信じすぎることの危険は深く刻まれているが、人間を避けてはまともに生き抜けないとも思い知った。極端な結論は、楽ではあるが通しにくい。この世の厳しさにまた気付き、暖を求め膝に乗っていた毛皮で身を包んだ。
―*―*―*―
ミコトを占った男は、自分は『南西の川辺の村』の
アガシコックは、ミコトを『霊ではあるがヒトの姿を取る、異国から来た修行者』と紹介し、恐れも敬いもしなくていいが大事にするようにと村人らに言い含めた。
「儀礼期はこなすべき
「分かった」
いきなり初見の文化と人々の中に投げ込まれ仕事させられるより、とてもいい。快諾する。
「儀礼期が終われば、村ビトらはまた方々へ散り、時を生きるための狩りへと出る。そうなれば雪原も落ち着き、旅立てるだろう」
「……」
冬の雪原を宛ても無く進むのは愚、これは分かっている。
しかし、冬が明けても『宛て』など出来ない。どの方向へどれくらい進めば故郷に辿り着けるのか――ミコトはすっかり、迷子になってしまっていた。
「旅立ちに憂いが?」
「……。実は」
帰り方が分からない、と伝えると。
「――ふむ」
しばし目を伏せ、やがてゆっくりと口を開いた。
「太陽神が来られたなら、なんとか出来ないか話をしてみよう」
「太陽神?」
問い返すミコトに、アガシコックは平静に当然のように『神』の存在を教えた。
「太陽神キニチアハウ。数年か長くて十年ほどの期間を空け、近隣村と合同で行う『使者祭』に来てくださるのだ。前回来られたのが五年前だから、幸運に恵まれれば今年の『使者祭』で会えるやも」
神は実在し、数年単位で祭りに来て、話も出来るのだと。
(他にもいるのか?)
疑問と不安と少しの期待を秘め、曖昧に頷いた。
「かの方は、自らを降ろす
雪原の向こうには、雪の積もらない暖かい地域が広がっているらしい。故郷はそこにあるのだろうか。
「厳しくはあるが、自らで自らを守り皆と暮らしを支え生きる者には、慈悲を与えて下さる。異国のあなたも、ここでの生活を真っ当に送れば、きっとよくして下さろう」
人は非力を、他者と力を合わせることで補う。共同生活を支え、最低迷惑をかけなければ、いいことがある――という意味だろう。
「分かった。仕事を覚え、手助けできればそうしよう。――何をすればいい?」
意気込んで訊ねたミコトにアガシコックは静かな笑みを向け、まずはと占いに使う消耗品の補充のため、貯蔵庫へとお使いに行かせた。
―*―*―*―
そうして、数か月。
「川魚と野イチゴ、贈答用は全部積めたぞ」
「北の村の『小さなアザラシのひげ』ちゃん、元気にしてるかな?」
「今年の狩猟成果は豊かだ、いい顔が出来る」
『南西の川辺の村』は、夏に獲った収穫品を贈り合う『使者祭』へと赴くため、全員で出かける準備をしていた。複数の村が一挙に集まるこの『使者祭』で、それぞれの村が食べ物や素材を交換し合うらしい。皆が集合する村は年ごとの交代制で、今年の主催村は『東の湿原の村』だそうだ。
「雛! 仮面は揃ってる!?」
「全て納めた。欠けていない」
この村で、ミコトはいつしか『雛』と呼ばれるようになった。客人で無知ではあるが、どのような雑事にも勤勉に取り組む様子から、受け入れられ馴染むまでそう時間はかからなかった。
「皆、余り大事にしてはいけないからね。雛が『月の
「わかってるー」
「全然ユアな雰囲気、無いもんな。もし本当にこの村に住むようになったら、『仮面作りの雛』とでも呼ぼうか」
「太陽神と会って現状打破が難しいと言われたなら、定住を考える」
アガシコック付きの雑用係として生活を始めたミコトは、儀式に使う仮面の作製に才を見出された。物覚えがいいのか、元来手先が器用だったのか、少し教えられて並の作業を身に着けた。筋があると見込まれ腰を据えて学ばされたが、『とても良い』仮面が仕上がるようになったらしい(良し悪しはアガシコックの感覚なので、ミコトには理解できない)。
「さあ。旅程は二日と半分、『東の湿原の村』まで気を抜かず、雪を渡っていこう」
雪上の進み方や道具の使い方を学びつつ、誰かの身命にかかわるようなトラブルは無いまま、『東の湿原の村』に到着した。
こんなに賑やかな場に身を置くことも、こんなに大勢の人間と過ごすことも、今まで一度も無かった。去年の『使者祭』からあった珍しい出来事を語り合ったり、仕留めたヘラジカの大きさで張り合ったり、皆各々でとても楽しそうだった。
他の村同士で、些細なことから喧嘩、争いへと発展した時には。
「……何をやっているんだ?」
「誇りと立場を懸けた、
超自然的な戦闘が勃発し、それを審判する『南西の村』の
無論、自在法などなど“ミコトに分かる超常現象”は何一つ確認できなかった。この戦いでは『西の村』が『中央の村』を下したらしいが、何が優勢に働き勝敗を分けたのか、さっぱり分からない。
「アガシコックの重要な役割の一つだよ。これで負ければ村ビトらの信頼が失われ、役目を降ろされることも暫しある」
「はあ」
意地とプライドを懸けた重大な決戦だったそうだ。彼らには、もしかするとミコトには見えず感じられない『何か』が見えているのかもしれない。そうでなく、
「世界は不思議で溢れている……」
「我々も、きっとあなたも、世界の一部でしかないのだから。他の声に耳を傾け他に言葉で語りかけ、自らは自らの役割と生を全うするべきなのだよ」
独りきりでは決して生きていけないのだから、謙虚になれ、と。
彼の視点や見えているものは全く分からないが、彼が言いたいことは分かった。
―*―*―*―
知らぬ文化と人々の祭りのただ中に紛れ込み、数日。
最も遠い地から訪れた村の贈答品交換が終わり、帰るという話が出てきたころ。
(……“紅世”の気配)
大きな気配が真っ直ぐ、高速で近付いてくる。
雪嵐の灰白に染まる空が、切り裂かれるようにはっきりとした
「おお……太陽神様が……」
誰かがそう呟いたのを端に、全員が最大の礼や祈りを示す姿勢を作る。
ミコトも、アガシコックに促され彼と同じ姿勢を取る。
(神。この地を拠点とする、フレイムヘイズだったか)
太陽神は、ミコトにもよく分かる“超常的な力”を振るう者だった。
『その神』が理解可能な存在で、ミコトは安堵と落胆、どちらも覚えた。
安堵の理由は、相手がどんな立場かおおよその把握が可能なため、(自らの弱さは脇に置くとして)どう動けばいいか最低限は分かるためだ。
落胆の理由は……
(……。相手はフレイムヘイズ、“紅世の徒”でない)
今回行き会ったのは『それ』だから、弱気を奥に封じ込めた。
考えられる限り、恐らく最良の展開だ。神と崇める『太陽神』がもしも捕食者なら、世話になった者らにどれだけ止められようと怒りを買って憎まれようと、戦いに挑まねばならないのだから。
数年ごとに祭りを巡回しているのなら、復讐するべき仇を追う“追跡者”ではないのだろうか。待ち伏せという可能性も捨てられないので、情報不足の今は『ティスに引けを取らない強力なフレイムヘイズらしい』以外の判断はつけられない。
主催村のアガシコックが『神の到来を歓迎する』らしき口上を述べ、皆一斉に祈りの姿勢と言葉を告げた。言葉は無理でも姿勢だけは(少し遅れて)真似をした。
「その者は」
鋭く視線が突き刺さる。落ち着いた重い男声だ。
「異国より雪原に迷い込んだ客人です。秋の終わりに迎え、以来よく働いてくれております」
ミコトに祈りの姿勢を取らせたまま、アガシコックが発言する。
「彼は困難に見舞われている様子。儀式の後、お時間を割いてやってはいただけませんか」
金糸雀色のフレイムヘイズは、まじまじとミコトを見つめる。
(偽装は……上手く行っている、だろうか)
一人で組み立てた時は自信満々だったが、こうして実際『分かる者』と相対してみると、途端に陳腐に思えてきた。
緊張状態の沈黙は、数秒で破られる。
「よかろう」
その重い口調からは、内面を一切読み取れない。ただ、“不審者”として問答無用で攻撃はしてこないらしい、と僅かばかりだが緊張が解けた。
彼はまず、集ったアガシコックらと大きな住居に数時間籠った。出てきたところで、待っている間に用意した貢物を捧げた。最後に各村のアガシコックが丸めた皮を渡され、儀式は終わりらしい。
渡されたそれには、自在法がかかっている。探知を軸に複雑な効果を顕す――恐らく“紅世の徒”の接近時に発動する物だ。数年置きに渡されるとするなら、ミコト(というよりはシャヘル)がひっかからなかったのはフレイムヘイズと判断されたからか、古くなっていたからか。
アガシコックは受け取ったそれを、確かめも触らせもさせてくれなかった。『村人らを怪物から守る聖なる品』といったところだから、それも当然だろう。
「ゆくよ」
自在法を大切に収めた彼に連れられて、住居に入った。
その男は、太陽神をその身に宿す神官だそうだ。頑健な大男だが、受ける第一印象は奥深い神秘性という、不思議な雰囲気を醸し出している。ティスと共通する『
「――という
アガシコックの求めには、短い言葉で応諾した。彼を下がらせ、広い住居に二人……否、『四名』が残された。
「フレイムヘイズ、か?」
彼が出るなり、問われる。
「…………そうだ」
うるさい心音を気合いで抑えようとして失敗しつつ、嘘を吐く。
「称号は」
「……。まだ無い」
ティスなら『棺の織手』と称される、あれだ。どうやって決まるのだろう。
「契約した“王”は」
「“覚の嘯吟”だ」
「何?」
神官は、初めて表情を動かした。
「導きの神だと? ――炎を出せ、色は、確か……」
「……」
現在手持ちの“存在の力”は無い。無理やり出すとすれば自身の存在構成を削らねばならないが、彼の目前で“トーチ化”する勇気は無い。
「今……余裕が、無い。“存在の力”の利用が出来ないため、自在法が使えない」
「……」
目を細め考え込む神官に代わり、静かに別の声が轟く。契約する“王”たる『太陽神』だろう。
「神器は?」
「これだ」
純白の勾玉を取り出して、無言で待つ。つつこうかと指を伸ばす直前に。
「……“覚の嘯吟”シャヘル」
ぼんやりと遠い声が聞こえた。内心ほっと胸をなでおろした。
「これで炎弾を作ってみろ」
神官の指先に、金糸雀色の火の粉が灯る。手を伸ばし受け取り、少し悩み、要は色を証明できればいいと、存在構成を書き換え完全な支配下に置いた。
炎の色を実際に顕すのは初めてだったが、理論通り上手く純白が灯った。
「……」
神官は太陽神と共に、内心眉をひそめた。
渡すつもりだったがその前に
「炎弾を作れと言っただけだが」
「……苦手だ」
フレイムヘイズや“徒”の基本的な攻撃手段たる『炎弾』は、根本に“破壊の意思と激情”が必要なため、感情に乏しいミコトはとても不得手としていた。“存在の力”消費量も多いため、彼から受け取ったそれでは成功が怪しかった。
「何故、この大陸に」
「……アガシコック――『静かなる川辺の巫』が言った通り、故郷へ帰ろうとして、迷ってしまった。それだけだ」
島を目指していたが、大陸だそうだ。また、気分が落ち込んだ。
「往路を見失ったのか?」
「行きは、“紅世の徒”に運ばれてだった。浮遊の自在法で海を越えていたが……先に言った通り、私一人では使えず。海氷を渡ったところ、この雪原に行き着いた」
「……」
神官の表情は変わらない。しかし、空気がほんの少し、和らいだ。
「……それは、難儀であった」
神官は穴の空いた石製貨幣たる神器を、天に捧げるように掲げた。
「我は“紅世の王”、“
「かの神……いや、“紅世の王”と契約せしフレイムヘイズ。称号は『
ミコトは目を見開く。
「どこぞで聞き知っているか」
「……世話になったフレイムヘイズから、聞いたことがある」
おとぎ話を謳うように、かつてティスは『その戦い』を語った。人を供物としてこの世に“都合の良い遊び場”を捻じ込み支配しようとした、“紅世”の創造神。それを阻止するために集った、世界中で戦う討ち手たち。“英雄”として誉れ高かったティスと並び立ち、共に討ち手らを率い戦い生還した“もう一人”――それが『焦沙の敷き手』だ。
(ティスが死んだ今なら、間違いなく最強と呼ばれるフレイムヘイズ)
同格(例えば『震威の結い手』など)はもう少しいたそうだが、『その戦い』で二人を残して全員去ってしまったそうだ。
(『神秘的で優しい方』、と表現していたが)
……とても、怖そうな人物に、見える。
ともかく、人柄を語れるくらいには交流があったのだろう。ティスの名前を出そうとして。
(……)
舌先まで出した彼女の名を、呑んだ。
彼女は死に、生き残った
「先達が存在したか。――その者は、汝を故郷へと帰さなかったのか?」
「討ち手としての旅を邪魔したくなかった。旅と戦いの最低限の知識を教わり……死んで、別れた」
「左様か」
宙の心臓は数秒目を伏せた。
「名は。海向こうの生まれなら、禁忌ではなかろう」
「ミコト」
「故郷へ帰りたいか。――そも、追う“徒”は居るか?」
フレイムヘイズはほぼ、復讐のために旅をする。行き先を問うなら、『復讐相手』を把握すれば近道にもなる。
ミコトにとって因縁がある“紅世の徒”なら、いくらかは挙げられる。
唯一生存するのはアシズだが……仇でも、追う相手でも、ない。
「余さず討滅されている。残され、行き先を見失い……どこかへ向かうなら故郷が良いと考え、失敗した」
肩を落とす何もかもがイレギュラーな討ち手を見下ろしつつ、宙の心臓は懐から一枚の皮を取り出した。数秒指でなぞり、二人の間に置いた。
皮の表面が炭灰で黒ずんで、模様になっている。
「世界を表す地図だ」
ミコトは『故郷は島で西には広い大陸がある』くらいしか知らない。
「現在我々は、ここに在る」
右の囲い――恐らく大陸――の上部左端を指さした。
「汝の故郷、名は」
故郷の国号は……それというものを聞いたことが無い。まだ定まっていないのかもしれない。
「先達のフレイムヘイズとは、
「……」
宙の心臓は、ゆっくりと指を移動させた。左の大陸を指している。
「周は、ここ。『日の出の島』は、ここ」
「……上が北で、右が東?」
「左様」
周から故郷より、この地の方が数倍遠い。
ミコトは茫然と漏らす。
「私は何故こんな場所にいる」
まるで分からない。
「こちらが問いたい」
宙の心臓は重い静かな口調に呆れを混ぜた。
少しだけ首を振って、再び超然とした気配に戻った。
「目前の方針が帰郷として、復讐を持たぬ汝は、これよりどう生きるつもりだ?」
時による身体劣化が無くとも、フレイムヘイズの命は短い。全ての戦いを生き抜き復讐を果たしても、その先には何も無い。喪って、命を削って憎しみを解消し、憎しみさえも失って、果て無き戦いの運命に翻弄された末に、死ぬ。
『使命に生きる』と上辺だけで決心しても、そのような半端な意思は“生きる執念”にならない。生にしがみ付く強靭さが無ければ、世界中に蔓延する苛烈な戦を越え続けられない。
(私が『使命に生きたい』と言っても……)
宙の心臓は、きっと認めない。彼はティスよりもアシズよりも、厳しく硬質だと感じる。思いやりと慈悲に溢れた『棺の織手』と違い、現実を容赦なく突き付けてくるだろう。
(ただの憧れで、使命は全うできない。私の憧れは、強大なフレイムヘイズを納得させる重さを、含んでいない)
ミコトにとっての生きる理由。『死なない』からこそ、生への執着から生まれる“強さ”を持てていない自覚はある。
遠くの目標として定めた『ティスの蘇生』は、アシズとの共鳴で生じたもの。アシズの理由であり、ミコトにとっての本当の理由ではない。
「……応えたい、から」
心を振り絞り、たどたどしく言葉を紡ぐ。
「私を
「憧憬ではないならば。何に応える?」
ティスの生き様を辿るため、フレイムヘイズを繕った理由は。
「彼女は言っていた。命を懸けるのではなく、命を利用してでも貫きたい意志を顕すために、戦うのだと。結局『生きる』とは、何かを為すために“命を削る”ことに他ならないのだと、私は受け取った。……私は、命を長らえさせるためだけに、生きたくはない」
生と命は深く繋がっているが、同じではない。
「私がこの世界に
そして、
「……」
宙の心臓の裁定を待つ。不思議と、否定への恐怖は無い。彼が認めないとしても、自身には証せたのだから。掲げたこの『生き方』は、ミコトにとっては間違っていない。
「……。炎すら満足に灯せぬその身で、どうやって討ち手として生きてゆく」
討ち手とは、フレイムヘイズを示す。
ミコトは勢い込んで、嬉々と答える。
「歪みに影響が出ない程度のトーチの利用、もしくは“紅世の徒”との戦闘での奪取。どちらかで得て戦う訓練を受けた。ここ数年はどちらも出来ていないため、こうなった」
「その力の規模で、真に戦えるのか」
「“徒”なら勝てた。“王”に勝つ方法や見込みは未だ持っていない」
宙の心臓は目を閉じる。それは彼が思考を巡らせる仕草だと、ぼんやり分かった。
「帰郷は急ぎか?」
「帰りたいが、危急ではない。故郷で待つ者はいない」
「ならば」
床に座る膝に手を触れ、そして立ち上がった。
「暫し、我らの行脚に同道せよ。汝はあらゆる経験が、足りな過ぎる」
その通りだとは思う。ティスとアシズから『生きる術』を教わったが、それをまともに生かせるようになるまで、どれだけの『死』が待ち受けているか。実際、ただ故郷を目指しただけなのに、見当違いの大陸に迷い込んでしまっている。
「分かった」
頷いて視線が戻るのを見届けてから、宙の心臓は住居の入り口を示した。
「別れを告げて来るが良い」
そうか、とミコトは嘆息した。宙の心臓が現状打破を約束してくれたため、『南西の川辺の村』にはもう戻れない。
ミコトが今まで経験した『別れ』とは、長くて日が昇って落ちるまでの時を共にした人間とのもの。さもなくばティスとアシズとの『あれ』で、今回とは全く別種だ。
「世話になった。……何か、返せるだろうか」
「汝とかの村の道の重なりは、刹那なれど。汝は命を拾い、かの村は異国の友を得た。それ以上は必要あるまい」
「……友」
自分には縁遠かった、他人との繋がりの名前。別れる今になって、彼らとの関係こそが『それ』だったと、気付かされた。
「礼を言ってくる。……しばらく、待っていて欲しい」
「存分に惜しめ。――元より、我らはここで日を跨ぐと定めていた」
宙の心臓との出会いも、『南西の川辺の村』の皆に拾われたのも、幸運だった。人間を恐れ憎んでいては、この幸運とは巡り会えなかった。
(物事の多面性か。ティスの言う通り、世界は難しく厳しいが、喜びも多い)
住居を出ると、心配そうな顔の『南西の川辺の村』の面々に迎えられた。神官と旅を共にする旨を伝えると、喜びと寂しさが混じった、不思議な笑顔を皆は向けた。
『大縛鎖』の戦争でカムシンを『同格』として挙げなかったのは、描写を読む限り彼は『率いられる』側だったからです(率いられる側の中でもかなり強かったと思いますが)。『震威の結い手』を挙げたのは、タケミカヅチのあだ名が『紫電の軍師』なため、『率いる側』な気配がしたからです。
ちなみに、ゾフィーは“三代目”な気がします。『大縛鎖』戦争は日本神話よりかなり古く、タケミカヅチという通称を得た『稲妻の剣士』でもゾフィーでもない『日本人フレイムヘイズ』がいたのでは、という推測。ろまん。