【本編完結】灼眼のシャナ異伝~逆襲~   作:白井茶虎

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 おまけみたいな。二話構成。


最新話
(その後) 再出発 ~池家にて~


 

 不思議な声を聞いた。

 その声は男の物か女の物か、歳経た声か子供の声か、本当に鼓膜を震わせていたのか、幻聴なのか。誰一人確かなことは憶えていないが、『同じものを』『皆で聞いた』印象は思い出せる――どころか、脳内に直接刻まれたかのように、事実として残っていた。

 そんな人類をまたいだ“神秘体験”を境に、不思議な現象が多々発生し対処に追われ、手を付ける優先純度はこれで正しいのか誰一人確信を持てないまま、世界は再び回り始めた。

 

 

 日本の首都圏に近いとある街、御崎市は、ややこしいものの行政や暮らしの混乱が()()()少なかった。その特別性に目を向けるのは研究者や政治家などの“偉い人”の仕事で、普通の一般人は、混じる異物を見て見ぬふりをする『今までの惰性たる日常』とも『未知への緩やかな対応』とも言える暮らしに、スムーズに移行した。

 その御崎市に一軒家を構える池家は、一人の母親が二人の息子を養っている、少々金銭管理が厳しいだけの平凡な一般家庭だ。

 しかし、後に『転換の日(ドゥームズデイ)』と名付けられるその日――状況も将来も何もかもがひっくり返り、変化が強いられることとなった。

 

 その日の、真夜中の二時過ぎ。

 

(下がうるさいな……)

 

 池家の次男・速人は、胸がざわつくような、充足感で満たされたような不思議な感覚に起こされた。『世界が滅ぶ』とか『新しい神が誕生する』とか、どこの聖書かはたまたライトノベルかと自身にツッコんだ夢(何故かはっきり覚えている)を頭の片隅に押し込みつつ、電気が点いて明るい居間へと下りた。

 

「何だよ兄さん。足音二階にまで響いてたぞ」

 

「――速人?」

 

 顔面真っ青でうろうろしているのは、池家の『元』不良債権、長男の雅人だ。

 

「いい大人なくせして、怖い夢でも見たのか?」

 

 変な夢に思考を引っ張られて、速人はそんな質問をする。

 

「あ……夢? 全部? えとえと、けど、ええ……どっから――!?」

 

 軽い問いかけでは、焼け石に水のようだ。雅人はますます混乱を深めている。

 物音を聞きつけ下りてきた母と共に、食卓に座らせ熱いココアを前に置いてやった。訳の分からないことの聞き役は母に丸投げし、速人は外の空気を吸いたくなって庭へと回った。

 家から漏れる朧げな光だけでなく、ほぼ天頂から傾いた位置で輝く満月が、街灯よりもはっきりと庭に影を落としている。ほぼ手入れはしていないが、余計な物も無い、特徴という特徴が削ぎ落された、我が家の庭。その庭に。

 

(……?)

 

 穴が空いている。

 こんなもの、寝る前までは無かった。こんなもの、見逃す大きさではない。

 危険信号が打ち鳴らされるも、兄は頼りにならず母はフォローに残っている。しっかりすべきは自分だと覚悟を決め、お守り代わりにいつでもブザーを鳴らせるようスマホの画面を切り替えて、恐る恐る穴へと近づいた。

 

(誰かがいるとか、じゃ、なさそう……?)

 

 何一つ気配が無い。落とし穴のように真下に掘られているのではなく、下り階段が続いているようだ。闇の深い階段の先に、ゆっくりと、ライトを向けた。

 

(……)

 

 速人は、頷いた。

 

「警察って夜中も駆けつけてくれたっけ」

 

 穴に誰かが潜んでいる訳では無かった。

 穴の先には、アンティークな雰囲気の扉が一つ。

 分かったのは、差し迫った身の危険は無さそうだということ。そして、自分の常識では理解し難い何かが起きているということ。目の前の現象を『分からない』というカテゴリーへ置くことで、速人は冷静さを取り戻した。

 居間へと戻ると。

 

「あ……速人。――んと、なんて言えばいいか……」

 

「よっぽど変な夢だったみたいだな」

 

「うん……たぶん、夢……」

 

 ひとまずは落ち着いた雅人が、頭を抱えながらココアをすすっていた。

 

「雅人、自分が消えちゃう夢を見たらしくて……」

 

「それでみんな起こして騒ぎ出したのか。――ったく」

 

 兄がココアを飲み干し深い息を吐き終わったのを見てから、速人は平静に切り出した。

 

「ここからは現実世界の話。庭に変な地下通路が出来た」

 

「?」

 

「え、どういうこと?」

 

「言葉の通り。一応写真撮ったけど、見た方が早いんじゃないかな」

 

 誰もいなさそうだし、一晩で住人に気付かれずあんなものを作れるのは現実的におかしいから、泥棒の仕業とは決めつけられない――と言いつつ先導する。

 

「こんな感じ。僕もこの場所から近付いてないから、あの扉の向こうに何があるかとかは不明。正体とか、誰が作ったかとかも、同じ。とりあえず警察呼ぶ? うちの敷地だから、少なくとも不法侵入で被害届くらいは出せる――って、兄貴!?」

 

 ライトの点いた速人のスマホをひったくり、雅人が地下への階段を駆け下りる。扉を開けようと手を伸ばしたのを、寸でのところで止めた。

 

「扉の先に強盗団でもいればどうするんだ!?」

 

「全部、全部――! 夢じゃなかったッ!」

 

「落ち着けよ! 心当たりあるのか!?」

 

「宝部屋――ミコトの酒蔵だ、これ!」

 

「とにかく落ち着けッ!」

 

 速人は優等生だ。学校の成績は、体育も含め全科目上の上を叩き出している。六年間ひきこもりっぱなしの兄を力づくで押さえつけるなど、造作もない。

 

「心当たり、あるんだな?」

 

 静かに、ゆっくりと、言い含めるように。

 眼鏡の奥の理知的な視線に、雅人は次第に切迫感を鎮められていく。

 息と思考が徐々に落ち着いてきて、数分後、頷いた。拘束が解かれる。

 

「大丈夫? どうする? ……やっぱり、警察?」

 

 心配そうに覗き込む母には。

 

「心当たりありそうだから、こっちで事情聴取しておこう。ほら、戻るぞ」

 

 扉をちらちら振り返る兄を急かし、居間に戻った。二月の屋外は、寒い。

 

「んで。一から説明できればそれでよし。無理なら、一旦放置するか誰かに相談するか、避難するか――それを判断できるくらいは、話してほしい」

 

 食卓で向かい合う。

 しばらくして、母が熱いお茶をそれぞれの前に置いた頃、雅人はゆっくりと口を開いた。

 

「正直、オレも……どこからが夢で、妄想で、現実で、起こったことか……全く分かってないから……」

 

 我を失うほどの混乱からは逃れられたが、整理はまだまだ不可能らしい。

 

「ちょっとでも『今現実で起こってること』確かめたいし、……その、あの扉の先。見たい、ん、だけど……」

 

 速人は頭を回転させる。

 確かに、速人たちははっきり言って情報不足だ。何か知っているらしい雅人の方は、逆に情報に振り回され混乱に陥っている。現実世界に落ちている確かな手掛かりを探り掴むのは、方針として正しい。

 

「それは全部の当てが外れてからの、最終手段に取っといた方がいい。少なくとも、夜明けまではそうしたい」

 

 速人が考える最も現実的な推測は、強盗団か何かが一晩でアジトでも作った、というもの。それが絶対に無いと言い切れないなら、“雅人も含む”家族の安全のために支持できない――速人は丁寧に説明した。

 食い下がられるかと思ったが、雅人は大人しく引き下がった。

 

「確かに。……危ないのは、何も強盗団だけじゃない、もんな……」

 

 雅人は小さく縮こまって、ぶつぶつ取り留めのないことをつぶやきだした。

 

(……たぶん、『あれ』関連、なんだろうな)

 

 速人の介入が拒絶された何か。拒まれて、切り離されて。……それをはっきり、問い詰める段階まで、来たのだろうか。

 

(それも、最後の手段に温存しておこう。――『あれ』関連だとするなら)

 

 どうにもこうにも頭がまとまらないままらしい雅人に、助け舟を出した。

 

「相談できる人、いないのか? ――ほら、マージョリーさんとか。飲み友達なんだろ?」

 

 ばっ、と雅人は顔を上げる。

 

「マージョリー、さん?」

 

 呆けた顔で、名前を返した。

 

「夢のひと、じゃ、ない……?」

 

 ぼんやりだが、少しだけ、掴めてきた。

 

「うん。『今僕は確実に覚醒して、現実世界で兄貴と話してる』。この僕は、マージョリーさんって人と会ったことあるし、『現実世界で生きてる人だって、知っている』。今佐藤んちにはいないはずだけど、電話して頼ってみるのもひとつの手じゃないか?」

 

 兄は、夢と現実がごちゃごちゃに混ざり合っている状態にあるらしい。そして、夢の世界に兄を引きずっているのは、速人を拒んだ『あれ』。雅人の脳内にある『あれ』の情報がどこからどこまでが本当かなど、速人には判断の付けようも無い。しかし、自分が知る事実の断片を提示すれば、判断の取っ掛かりになるはずだ。

 雅人は自分のスマホを引っ張り出し、画面を凝視している。

 

「……マージョリーさんの連絡先、分からない」

 

「うーん。なら、佐藤は? 仕事に着いてってるらしいから、たぶん一緒じゃないかな」

 

 速人も、アドレス帳を呼び出す。彼の連絡先を表示して、雅人が見えるように置いた。

 雅人は数分考えこんで。

 

「佐藤君も、マージョリーさんも、駄目だ」

 

 速人が雅人の顔を見ると、表情は変わっていた。

 混乱に惑い揺れていた顔から、決意を固めた顔へ。

 

「悠二だ。悠二の今の連絡先、出してくれ」

 

 無言で数秒操作し、彼の名前が表示された画面を出す。速人のスマホを手に取り、雅人は立ち上がった。

 

「ちょっと相談してくる。……ごめんだけど、待ってて――寝ててもいい。可能性があるだけで、強盗とか、変なヤツとかはいないと思う。……んあ、勝手に開けないし行かない。考えがまとまったら報告する」

 

 そう残して、自室へと戻っていった。速人はしばし母と目配せし。

 

「目が冴えたし、眠れそうも無いし。待っとくよ」

 

「……速人、たくましくなって……」

 

「まあ、苦労のたまもの、かな」

 

 速人と母親は、暇潰しにと点けたテレビを通し、世界中で混乱が始まったことを知った。

 

 

     ―*―*―*―

 

 

 草木も眠る丑三つ時だというのに、番組が繋がれば臨時ニュースばかり。数局はシステムエラーか何かで、繋がりもしない。

 突然夜とか冬になったとか、変な植物が生えまくっているとか。そういえば、速人も“夜になったから就寝した”覚えは無かった。ただし季節の移ろいを感じつつ冬を迎えたし、政府からも厳重注意が出たというネットワークやパソコン、スマホの時間のずれも起きていなさそうだ。

 とにかく世界中大混乱らしい。警察は“うちの庭に出現した謎の地下室”に対応してくれる余裕が無さそうで、下手すれば出歩く方が危険なため避難も易々と選べない。

 

「あの……なんか、大変なことに……?」

 

 おずおずとした口調と恐る恐るとした歩調で、雅人が帰って来た。

 

「ええ……。やっぱりうちのあれと、何か関係あるのかしら……」

 

「ええと……とりあえず、訳分からないで、いいから……」

 

 雅人はすっかり落ち着いたようで、不安な表情の母を宥めている。

 礼を言われつつスマホを返却され、皆で食卓を囲んで会議が再開された。

 

「んとな……。何が起きてるかは、その、『謎』だ。けど、悠二通して……マージョリーさんと連絡ついて、そういう『謎』を対処してくれる……うんと、組織? そういうのと連携取れるようになったから……」

 

 “こういう”事態が専門なのか、はたまた予測していたのか――冷静に動ける組織は残っており、頼るルートも構築できたと。どこまで『謎』を把握しているのかは、速人にとっては()()どうでもいい。

 

「今その組織も大忙しだから、なるべくうちを優先してくれるけど今すぐは動けないってさ。明日の午前中に一人、来てくれるって」

 

「その組織から?」

 

「えっとな、直接は違うけど、大本は一緒だけど……ああとにかく、その人が来てくれたら解決する!」

 

 言い切るが、速人と母の不安は払拭されていない。

 

「……。オレの知り合い。その、ネットで知り合って……凄くキレイで優しい、じゃなくて、何でも知ってて頼りになる人」

 

「ネット? マージョリーさん関係なら、不自然じゃないか」

 

「ひきこもりのネットコミュニティ? こんなに頼りになるなんて、思わなかったわ」

 

「ひきこもりは卒業だよ!」

 

 むきになって机を叩いた。

 

「その人が言うには、確定で危険ってのは無いらしい。けど、今が今だから、明日その人が確かめるまでは近付かない方がいいだって。だから……今夜は、放置。寝よ寝よ、解散!」

 

 母を立たせて速人の背中を叩く雅人。

 明日来訪するというその人を語る表情で。

 

(あ、惚れてるな)

 

 速人は敏感に察した。

 

 

     ―*―*―*―

 

 

 

 翌朝訪れたのは、白く長い髪が神秘的な、細身で長身の女性だった。

 

「おはよう……私はシャヘル、という者……あなたたちのことも、この家の事情も、雅人から聞いてる……」

 

 霧の彼方から発せられたような、ぼそぼそぼんやりとした声だった。

 

「は、はい。どうぞ、お茶を用意してます……」

 

 母は仕事が休みだ。市外の混乱の煽りを受ける業種で、通達があるまで自宅待機を言い渡されている。

 

「お構いなく……」

 

 彼女は荷物も道具も何も持たない手ぶらだ。スリッパを履いて、ゆっくりとした足取りで居間に入った。

 

「この家の庭に出現した地下室が心当たりの物なら……危険が起きる確率は、授業中に突然テロリストが入って来るのと、同じくらい……」

 

 外見に反して俗な例えだな――速人は少々驚きつつ理解出来たと返す。

 

「要するに、その地下室自体は危険じゃなくて、外部要因で何か起きる可能性はある、ということですね」

 

「そう」

 

 熱い茶をひと啜りして立ち上がり、踵を返した。

 

「本当に『それ』か確かめてくる……。見たら戻るから、五分、待ってて……」

 

 ついて行こうとした雅人は手で制され、しょんぼりとした様子で自分の椅子に座った。

 彼女の背中を見送り、足音が聞こえなくなるまで遠ざかるなり、母は身を乗り出した。

 

「綺麗な人ね……芽はありそうなの?」

 

「は!? おふくろ何言ってんの!?」

 

「ばればれ。好きなんだろ?」

 

 母の先制攻撃に、いつかの恨みと速人も追撃する。

 

「そんなんじゃっ! え、でも確かに、えとえと、嫌いじゃないし、好きだし、ええ!? うん、チャンスは無い……いや、もういいのか!?」

 

 昨夜とは質の違う混乱に、母は穏やかに、速人はいじわるに微笑んだ。

 

「関係もシャヘルさんの気持ちも全く知らないから、今は中立ね」

 

「同じく。失恋だって成長に繋がるんだから、せいぜい悔いなく動くんだな」

 

 二人は高みの見物を決め込んだ。

 雅人がぐだぐだ言い訳を並べている間に、“突然降って湧いた長男の想い人”が帰って来た。

 

「……予想通りのものだった」

 

 そんなシャヘルの無表情は、何故か涙をこらえている風に見えた。

 

「地下室自体は無害、侵入者もいない……。だけど、防犯に気を張る必要があるわ。今すぐ、鍵を取り付けるべき……」

 

「鍵?」

 

「なるべくしっかりしたもの……今、費用は出せないけど、いずれ返すから……一番いいものを買ってきて、施錠してほしい……」

 

 財布を覗いて、母が立ち上がる。

 

「ホームセンター行ってくるわね。速人、しっかりお話聞いててちょうだい」

 

「了解」

 

 自転車の鍵を掴んで、走り去った。

 

「真っ先にすべきなのが防犯なら、扉の向こうにあるものって、かなりの資産価値があるんですか?」

 

「ええ……」

 

 自分の物と思い込んで金に目が眩んでいる訳では無いが、速人が確認する。

 

「ある……料理とお酒に狂ったコレクターの……酒蔵……」

 

 ぼそりと言って。

 

「最高品質のお酒が……数え切れないくらい、眠ってるわ……。九割くらいが、時代の流れに消えていった……幻の品……。残りが、換金可能な最高級品……のはず」

 

 冷静さを保とうと努めていたが、唖然とした。

 

「……。九割が、換金出来ないくらい貴重なお酒……ということですか?」

 

 シャヘルはこくりと頷いた。

 

「……特別な保存方法で、質を保ってたけど……もう、それは不可能になった……。腐る前に、処置すべき」

 

 速人はメモ用紙に要点をまとめつつ、続きを促した。

 

「現在の日本の法律的には……埋蔵金を掘り当てた扱いに、なるのかしら……?」

 

「うんと……庭で遺跡を掘り当てた場合、どうするべきかってことになりそうですね」

 

 スマホ検索で、その辺りの法律を確認する。

 

「土地の所有者でも、掘り当てた財宝の所有権は発見者に自動で移らないそうです。遺跡とか文化財の場合、都道府県の所有となるらしいですね」

 

 日本の歴史文化保護のための法律だ。どう見ても日本産でない酒蔵のための法律ではなさそうだが。

 

「……。気を抜けば、持っていかれるわ。お酒や事情に理解のある人が、管理してほしい……。外界宿(アウトロー)から信用できる法律家……紹介してもらう……」

 

 雅人がスマホを出し、『訳の分からないこと』に対処する組織(外界宿(アウトロー)というらしい)へ電話を鳴らす。シャヘルがぼそぼそと話し、何度か頷いて、数分後通話を切って机に置いた。

 

「あの酒蔵を動かせない以上……あなたたちの安全を考えて、引っ越してもらうのが妥当……」

 

「それは、そうですけど……」

 

 この家に愛着が無い訳ではない。が、文化遺産級の管理必須の財産を敷地内に抱えるなど、一般家庭でしかない池家の手に余る。

 

「国に買われるか、外界宿(アウトロー)の手に渡るか……変なことにならなければ、この家に酒蔵の価値の分だけ、お金が入るようにさせる……。好きな場所に、思う通りの家を建てるのを……お勧めするわ……」

 

「あの、ちょっとすみません」

 

 おずおずと雅人が割り込む。

 

「オレらが勝手に売る話してて、いいんすか……? あの酒蔵、ぶっちゃけミコトさんの形見――いや、すみません……」

 

()()()、品質が落ちない内に、価値を味わえる誰かに引き取ってもらうのを……望むわ」

 

 後生大事に抱えて腐らせるのが、彼にとっての最悪だ――シャヘルはそう断言した。

 

「雅人たち池家が換金するのも、許すし望むはず……。あの量を身内で楽しんで飲み切れるとかじゃない限り……売却の準備をして欲しい……」

 

 酒蔵の本来の持ち主が話に出て、二人の顔が曇った。速人もおおよそ理解した。

 

「了解です。法律的なことは、来てくれる専門家に任せていいんですね? 僕たち家族は何をしたらいいですか?」

 

「お金……どれくらい欲しいか、ざっと見積もっておいた方がいい……。酒蔵の価値全額分は……きっと、多過ぎて碌なことにならない……」

 

 宝くじで不幸になる人の噂なら、速人の知識にあった。身の丈に合わない欲は、人を破滅させる。

 

「引っ越し先の目星をつけておくのと……酒蔵の整理。私がやらなきゃいけないから……。それのついでで、飲んでみたいお酒……数本、引き抜くといいわ……」

 

 自分たちのやるべきことが、自分たちのやれる範囲で収まり、速人は安堵のため息を吐いた。

 質問を探している内に母が帰って来て、施錠ついでに『酒蔵』とやらの中を拝むことになった。

 

「どんだけ広いんっすか……」

 

「私もちゃんとは……知らない……」

 

 懐中電灯を手にした探検が始まる。熟成エリアと保管エリアに分かれており、保管エリアの“今後一方的に不味くなっていくだけ”という酒の量を見て、勝手な売却を躊躇っていた池家は即断した。

 シャヘルは一本を手に取り、ラベルを凝視する。

 

「お酒の情報……入手方法、熟成期間、外での保管方法、腐敗の目安……全部、記録してある……」

 

「さすがっすね……」

 

 雅人もラベルを読もうとしたが、叶わなかった。文字はアルファベットだが、恐らく英語ではない。

 

「これだけあるなら確かに、数本減ろうがそう関係無さそうね……。私は辛口の白ワインとか、味見してみたいわ。それと速人の成人祝いに開ける用も、キープしとかなきゃ」

 

「あー、うん。四年保管できるやつだね。――シャヘルさん、そういうの分かりますか?」

 

「完璧には把握できないけど……大雑把な知識は、ある……」

 

 シャヘルの先導の下、二人は奥へと消えていった。

 残された雅人は、数か月前の記憶を頼りに、それを探す。

 

(確か、入り口から近めの……棚と棚の間……)

 

 丁寧にしらみつぶしに照らして行き――数分後、見つけた。

 

(ミコトの作業部屋……)

 

 何があって世界がどうなったか、最低限だが昨夜の内に、悠二やシャヘルから聞いた。一度は九割九分九厘壊れた世界を修復するために、彼は消えたらしい。一応戻れれば顔を出すとか口にしたらしいが、シャヘルによると“諦めた方がいい”だそうだ。

 そんな彼の、いわば私室。シャヘルがせねばならない整理とは、恐らくここを示しているのだろう。

 ゆっくりと、扉の取っ手に手を掛ける。冷たい感触のそれを、軽く動かした。

 

(……入れそうだ)

 

 扉は動き、突っかかりも無い。――そもそもが宝具『真経津鏡』内の厳重保護された異空間だ。ミコト自身とシャヘル、彼らに許可された場合のみの宿主くらいしか入れないのだから、施錠する必要も無かったのだ。

 雅人は部屋の中を見ず、そのまま閉めた。

 

(整理。手伝えるなら、そうしたいな)

 

 部外者が立ち入っていいか決めるのは、彼と数千年共に旅したシャヘルだ。それまではまだ、踏み入らないでおこう――雅人は入り口まで戻った。

 

 

     ―*―*―*―

 

 

 方針決定がひと段落して、池家の三人とシャヘルは温かい茶と菓子を囲んでいた。

 

「シャヘルさんはこれからどんな感じっすか? やっぱり外界宿(アウトロー)に帰るんっすか?」

 

 無表情で緑茶を啜るシャヘルは、気怠そうに答える。

 

「やることは……増やそうと思えば、いくらでも増える……でも、面倒……」

 

 シャヘルこそが世界の変質を主導した張本人だと、外界宿(アウトロー)に所属する元フレイムヘイズだけでなく人間の職員も、皆承知している。はっきり言って、居心地が悪かった。

 

「本当、うちのために忙しい中来てくださって……。時間が許す限り、どうぞゆっくりなさってください」

 

 小さく頷いて、まんじゅうをかじった。

 

「あの、失礼かもしれませんが。シャヘルさん自身の連絡先とか、あります? ……ずっと兄貴のスマホ使ってましたけど」

 

 速人の質問には、首を横に振った。

 

外界宿(アウトロー)でこの家を担当する人物と……取締役の部屋に直通する電話は……登録してもらってる……。私自身は、持ってない……」

 

 疑問顔の二人に、雅人が補足する。

 

「まだニュースになってないけど、植物だけじゃなくって、人間も大量に現れたんだ。シャヘルさんもその一人……じゃなくて、行政とか法律では、そうカテゴライズされる人で……」

 

 以前からの知り合いという設定が破綻しかけ、取り繕う。

 

「なんだそれ。いきなりぽっと生えてきた感じか?」

 

「なんか……とにかく『謎』だらけだけど、それでいい」

 

 世界中でとんでもない事件が大量発生しているらしい――速人はそれはそれと脇に置き、目の前の彼女について思考する。

 

「日本の身分証か、パスポートかビザか。そういうのも無い感じですか?」

 

「そうね……。私を始めとしたそういう人間は……暫定的に、外界宿(アウトロー)が世話してる……」

 

「寝泊まりする場所は、東京ですか? その外界宿(アウトロー)の施設? がある」

 

「私はそう……」

 

 ふむふむと数秒何事か考えてから、速人は落ち着いた目で軽く提案する。

 

「なら、色々落ち着くまで、うちに泊まります?」

 

「は!?」

 

 皆驚いたが、立ち上がりつつ声を荒げたのは雅人。

 

「母さん。一人分の食費と、二人分の宿泊費。貯金から出せる?」

 

「――あ、そうね。大丈夫よ。高級スイートは無理だけど、近所のビジネスホテルならなんとか。収入の宛ても出来たんだし、ここが使いどころよね」

 

 一家の大黒柱も、軽く了承する。

 

「な、何言ってんだよいい訳ないだろシャヘルさんがうちになんてっ!」

 

 顔を真っ赤に反対する雅人は捨て置き、速人は提案を重ねる。

 

「その施設で過ごす方が都合良いなら、もちろんそうしてください。けど、酒蔵関連でしばらくは御崎市に用があるんですよね。不審な身分の人間が大量に現れたならホテルも警戒してそうですし、公営も私営も交通機関は混乱してます。――シャヘルさんのお陰でうちは本当に助かったんで、便利使いしてください」

 

 理知的に売り込む速人を、雅人は睨みつける。

 

「シャヘルさんには色々あるんだよ。うちで泊まるのだけは――」

 

「兄貴が下心満載の色目使うのが問題なら、兄貴が出ればいい」

 

「ええ、ちゃんと宿泊費は渡すわ。身分証の無いシャヘルさんよりは、ホテルに泊まりやすいでしょう?」

 

 ホテル代とは、シャヘルのためでなく雅人用だった。

 畳みかけられ、言葉にならない反論を試みるが、速人はぴしゃりと封じる。

 

「兄貴がシャヘルさんが気になってるのも、それをシャヘルさん含む全員が気付いてるのも、……シャヘルさんが大切な人を失ったばかりなのも、それくらいは分かる」

 

 雅人が思う“そうしてはいけない理由”を、速人は余さず並べた。

 

「この提案はあんたのためじゃない。シャヘルさんにゆっくり休める場所を提供したいからだ。兄貴にとっては片思いの相手かもしれないけど、僕と母さんにとっては恩人でしかないんだよ。――うちが居辛いなら遠慮なく他を当たって大丈夫ですし、僕ら兄弟はホテルで寝泊まりします。凄く複雑な情勢下なので、絶対に無理強いはしません」

 

 うぐうぐと往生際悪く何か言おうとする兄に、最後通牒を突き付けた。

 

「他に理由があるなら、これ以上何も言わず黙って送るけど、そうじゃないんだろ? 大変な思いをしてる恩人に、下心があるってだけで手を伸ばそうともしないのは、男以前に人として最悪だと思う」

 

 雅人は完全に沈黙させられてしまった。彼にとって数時間にも思える数秒の沈黙を、シャヘルが破った。

 

「……一人で休みたいのも、そう出来る場所が無いのも、本当。……あなたたちが良いなら、少しの間だけ……頼らせてもらっても?」

 

 そして、声の音量を更に落として、言った。

 

「……四六時中口説いてくるとかじゃなかったら、気にしないわ。彼とも……別に、恋愛関係だった、訳じゃない……」

 

 彼女の声の切なさに、雅人は涙がこみ上げる前にきつく拭った。

 

「こっちからは絶対手ぇ出さないっす! だから、だから……いくらでも、好きなだけ、休んでってください!」

 

 こくりと頷いたことで、シャヘルの池家居候が決まった。

 そうと決まれば、と張り切った様子の母がシャヘルを伴い部屋の準備に行ってしまった。

 

「……兄貴、ごめん」

 

「……さすがに、恥ずかし過ぎる」

 

「バレバレだったし、緊急事態だったし、やむを得なかった。……今度、何か奢るよ」

 

「……まあ、いいよ……バレバレなんだろ……」

 

 晒し首同然の恋心に、深くため息を吐いた。

 

「なあ速人」

 

「何だ?」

 

「成長したなあ……。色恋については、完全に負けた」

 

「その他もほぼ追い越したつもりだけど……。やっぱり経験が伴うと、見えてくるものが変わるらしい」

 

 片肘を突いて、窓の外の遠くを見る。

 

「そういや、一美ちゃんは? 悠二はシャナちゃんと引っ付いたって聞いたが」

 

「言ってなかったか。クリスマスイブに玉砕」

 

 無神経な“恋愛素人”は、自分が掘った墓穴に落ちて言葉を失った。

 

「後悔はしてないし、少しずつ友達に戻ってってる。心残りがあるとすれば、今くらい色々見えてれば、悲しませるのも苦しめるのも、少なかったかなって……。けどさ、あの恋で初めて理解したものも、失恋で得たものも、凄く多い。だから、僕自身は失恋したのまで含めて全部、凄く良い体験ができたと思ってる」

 

 言葉ほど完全に割り切れてはいないが……嘘や見栄からの虚勢ではない。こういう未練や後味の悪さも、否定し拒絶するほど不快ではない、と思っている。

 

「で、兄貴は。手を出さない宣言してたけど、諦めるのか?」

 

「……保留」

 

「断片聞いた感じ、僕と吉田さんより芽が無さそうだぞ。恋愛じゃなかったって言い切ってたからこそ、深ーい関係性が透けて見えたんだけど」

 

「そうなんだよなあ……」

 

 べったりと机に突っ伏した。

 

「あの人の気持ちを無視したり土足で踏みにじるのは、恩を受けた人間として許さない。だけど、成就が絶望的な恋愛の愚痴なら、聞いてやる。……弟として」

 

 雅人は突っ伏したまま、もごもごと礼を言った。

 どさくさに紛れて告白した形になっていた。彼女は言葉を濁していたが、承諾は為されないだろうし雅人も望んでいない。

 

(そんな簡単にオレになびくなんて、()()()()ってヤツかな)

 

 この笑みは自嘲ではあるが、そこまで陰湿で暗いものではない。

 

(こういう悩みも、生きてるからこそ、なんだよな……)

 

 生を別の願いに変えて燃やし、願いは叶えられ、おこぼれでもなんでも雅人は生き返った。

 

(かっこよく死んだくせに、こんなかっこ悪いザマ晒してるけど……)

 

 格好悪くても。

 

(生きるのって、楽しいんだな)

 

 それを教えてくれた彼と彼女に、何かを返そう。――雅人は、そう決意した。

 

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