朝、俺は俺の愛バを起こしに行く。最近増えた日課だった。そして、今日で終わる。
「起きてくれ、タキオン。君の計画に従う時間だぞ」
「そうかい、教えてくれてありがとう。……できればなにも知らせずにそのまま起き抜けに死んでいたかったが……まあ彼らの理屈は私たちにはわかるはずもないな。楽に死ねるなどと思ったのは間違いか」
「仕方ないさ。俺たちはやりすぎた。気付くべきだったんだろう……そこでも俺たちはバカだったね」
「まぁ私の成果は残るんだろう? ここ桐生院家の一子相伝の理論……因子継承の一部として」
「そうだよ……俺はそれこそが悔しくてならないけどね」
いつのまにやら誰の手によってか用意されていた朝食を食べながら思い起こす。
タキオンはURAファイナルズをその研究理論から導きだした強い脚をもって走り抜け、超光速のプリンセスの名を世間的に広く得た。
その後、己の研究からえた肉体改造を己に施すプランAの成功から彼女は新たなる己の後継者を育て上げるプランBの実行に移ることを決意。
ウマソウルの研究によって獲得した、因子という概念をもってウマ娘に己の経験を継承する方法を実行しようとして……
『ごめんなさい……こうするしか、なかったんです。こうなるなんて、知らなくって……』
泣き顔が妙に記憶に残っている。桐生院葵。桐生院家の令嬢たる彼女は、桐生院家の優位性の根源たる一子相伝理論とタキオンのプランBに酷似していることに気付いた。
彼女は父にそれを知らせ、桐生院の父は彼らを確保した。己の優位性を揺らがしかねない敵を、捕えたのだ。
優位性に胡座を掻いていたい彼らたちは2人を危険視していた。別荘に幽閉された彼らは、桐生院家の当主たる男から死を予告されたのだ。
「しかし、危険視されているからといって……殺されるとまで行くとはね」
「予告してから殺される分、まだマシだろ? 最期のタイミングは遅らせることはできないが……早めることはできる」
「その通りだね……さ、私の因子を絞り出されるのも癪だ。生きているウマでなくては因子は満足に取り出せないことは私自身研究でよく理解しているとも。従って今ここで処分しなくてはならない……共に逝ってくれるんだったね? トレーナーくん」
「あぁ、逝こうか。薬は間に合ったんだろう?」
「当然だよ……私はアグネスタキオンだ」
その言葉と同時、彼女はコトリと薬を取り出した。僅かな洗剤などから毒性の高い物質だけを取り出し続ける作業……本人曰く、気の遠くなる作業らしかった。
「せーので飲んで、それきりだ。いいね?」
「あぁ。……タキオンの研究に付き合えて嬉しかったぞ。次があったなら……こうはなりたくないな」
「……泣いてしまうよ、全く。じゃあね、モルモット君」
二つの倒れる音が響く。そして、それきりだった。
はずだった。
白い、白い天井だ。私は……生きている? 軽く身体を動かそうとして頭が横を向く。
「アグネスタキオンさん……! ドクター! タキオンさんが息を吹き返しましたよ!」
「なんだって!?」
バタバタと飛び込んでくる医者。男だった。医者は、懇懇と今までにあったことを語ってくれた。
桐生院家は、彼らの処刑の実行を内部からリークされ、以前からシンボリとメジロにマークされていたのもあり壊滅したことを。
リークした人物の正体は不明ながら、女性とウマ娘、それぞれひとりずつが行方不明になったことからそれらがリーク者であろうことを。
彼らの場所を桐生院家の者から聞いたシンボリルドルフとメジロの令嬢たちが向かったところ、折り重なる2人を発見したことを。
……トレーナーは、毒によって即死しており、己はウマ娘にしかない免疫により死を猶予されているうちにメジロシンボリ両家の医師の手により死を免れたということを。
「ぁ……あ……おい、待て……つまり……わたしだけが……私だけが生き残った……? 嘘だろう……? なぁ! 冗談だろ!? そういってくれ! 彼に……トレーナーくんになにを言えば私は……は、はは……くはっ……あはははは!!」
脚が折れかけていると知ったときも、確定していた死があったときも折れなかった心。それがついに、折れた音が聞こえた。
「私は……ワタシは……わたしは……うぁぁぁぁぁぁぁぁあ!?」
慟哭するアグネスタキオン。そっとしてやろう、あとはお嬢様やシンボリの令嬢様方にお任せする……そう呟いて医師は立ちあがる。
彼女は自殺未遂と自傷行為を繰り返し、慟哭し続けた。その度、メジロ家の令嬢や学園の時から彼女を目にかけていたシンボリルドルフらがそれを慰め止めることとなる。
結局のところ、アグネスタキオンはトレーナーの死を乗り越えられなかった。それでも、彼女は壊れた心のまま走ることにした。とある男を己と共に死ぬと決意させるほどに人を妄執の彼方に追いやった己の走りを残すことを決めた。
彼女がシンボリルドルフに4バ身をつけたレースのインタビューの最後に放った一言が彼女の今の走る理由を端的にまとめあげている。
「トレーナー君……君の目をいつまでも私に留まらせてみせる」
アグネスタキオンは、ドリームリーグの出場と同時に勝負服を男物のロングコートに変更している。明らかにサイズが合っていない、大きな黒のロングコート。袖から手の出ないほどのそれを着た彼女を止められるウマはいなかったという。