今日は雨。どこか気分が沈みがちになる様な、そんな日の夕方の話だ。提督は艦娘寮、高雄型の部屋の扉をノックし、中に足を踏み入れる。中央のちゃぶ台に、高雄と愛宕の2人が鎮座していた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『____とも、今日はありがとう。』
『私と高雄で良ければ、いつだって力になって上げるわ♪』
『相談事があるとの事でしたが……何かあったのですか?』
『今度の進水日にさ、金剛に………プロポーズしようと思ってるんだ。皆にはナイショにしておいて欲しいんだが____』
提督は、自分の意思をおずおずと打ち明けた。姉妹は互いに顔を見合わせ、何かヒソヒソと話をしていた。内容は聞き取れなかったが、愛宕の声色は明るかった。
『……もっと驚いてくれると思ってたんだけどな。』
『いつかはこうなると思ってたからね〜。』
『えっ』
『まさか提督……あれでバレてないと思ってたんですか!?』
『うっそ、だろ………ああああ〜ッ!!』
頭の中で記憶と羞恥がごちゃ混ぜになって湧き上がって、全て忘れてしまいたくなる程に炸裂する。これほど恥ずかしい思いをしたのは、彼にとって初めてだった。
『くっ…話を戻そう。今日2人に聞こうと思ったのは、その……2人は俺がここに来る前からいて、つまり、潤さんと志鳳さんの事をよく知ってるだろ?』
『確かに、私たち高雄型は鎮守府の中でも古参の部類に入りますね。』
『プロポーズは潤さんの方からと聞いた。だから参考までに、あの人がどんな風に告白したのか知りたいんだ。』
『生憎、私たちも知らないんです。すみません……』
『そうか…ならアドバイスでも良い、頼む!』
『うーん……私だったら、やっぱりロマンチックな言葉に音楽、お姫様みたいな気分になれるシチュに憧れるわ〜♡』
『ロマンチック…お姫様…』
『色恋には疎いですが…好意を伝えるのなら、言葉を濁さずハッキリと言った方が伝わりやすいと思います。』
『ハッキリと…成程、参考にさせてもらう。』
提督は義手の軋む音と共に立ち上がり、2人を一瞥すると、どこか照れ臭そうに口を開く。
『2人のおかげで勇気が湧いてきた。俺、頑張るよ…』
『提督、頑張ってね〜♪』
『この高雄も、陰ながら応援していま_______
カチッ
「以上が、一昨日あった会話の一部始終です。」
ボイスレコーダーを囲んでいた艦娘達が、一斉にざわつき出した。
突如降って来た色恋に騒いだり、「やっとか」と言いたげな顔で頷いたり、ショックを受けていたりと、その反応は実に様々な物だ。
「それにしても、あの提督がねぇ……」
「告白したのが10年前だったっけ?」
「10年!?あんにゃろ…そんなに金剛さん待たせてたのかよ……」
「…頭の何処かでは分かってたけれど、やっぱり……あの人は金剛さんの事が……」
談話室の空気が盛り上がる中、ある艦娘が、至極当然の疑問をぶつけた。
「ねぇ高雄さん、どうしてナイショにしておいてって言われたのに私たちにバラしたのか、教えてくれないかしら?」
高雄の顔が曇った。その横では、愛宕がなんとも言えない、といった複雑そうな顔をしていた。
「実は…今日みんなに集まってもらったのはね、ソレが理由なの。」
すると愛宕は懐から、某ディスカウントショップのビニール袋を取り出した。ガサゴソと取り出されたその中身は、真っ赤な布地に、安っぽいもこもこがついたマントだった。これがクリスマス会のコスプレか何かだったら良かったのだが、時期は5月の始め。……嫌な予感しかしない。
「____もし、このまま提督がプロポーズしたら、どうなると思う?」
「駄目ね」
「これは……」
「いけませんわ」
「無理だろ」
無数のため息と、否定的な声が次々に挙がった。
「確かに『お姫様っぽく』とは言ってたけどさぁ!そういう意味じゃないんだってば……」
「ま、まあ2人のことだから…成功"は"するんでしょうけど。」
プロポーズの行く末を案ずる中、その流れをぶち壊すべく、声を上げた者が2人。
「これは…鈴谷たちの助けが、」
「必要そうですわね!」
人混みを割って現れたのは鈴谷と熊野。彼女らは淡路島鎮守府のファッションリーダーであり、特にメイクと服選びに関しては、右に出る者のいないコンビだ。
「どなたか、提督と金剛さんの身長と、スリーサイズをご存知の方はいらっしゃりませんか?」
「……金剛お姉様の事なら、この比叡におまかせ下さい!」
飛び出してきた比叡が、懐から手帳を取り出し、ペラペラとページを捲り始めた。
年季の入ったその表紙には、「金剛お姉様型録」と細く綺麗な字で書かれており、彼女の姉に対する尊敬と愛情が感じられた。
「あっ、ここです!」
「ありがとうございます。なになに……」
熊野は金剛の機密情報を自身のメモ帳に書き殴った。その時から彼女は脳内で、以前プライベートで訪れたレンタルドレス屋の記憶を基に、彼女にピッタリなドレスの選定を始めていた。
「提督は……本人にそれとなく聞けばいっか。それじゃ、鈴谷たちは早速出かけてくるね〜。____えっと、熊野…?」
「ストレートなら黒……いや黄色も合いますわね…」
「もう…服の事になるとすぐ周りが見えなくなるんだから!ほら熊野、行くよ!」
「ちょっと鈴谷!袖を引っ張らないで…っ!自分で歩けますから手を……鈴谷っ!」
騒がしい2人は、そのまま嵐のように去って行ってしまった。それを皮切りに、他の艦娘も徐々に集まりから離れて行ってしまい、残った十数名の艦娘は、プロポーズを完璧なものにすべく、消灯時間になるまで談義を続けるのだった。
運命の日まで、あと少し。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
20XX年 5月18日 6:30_
「…朝か。」
大きなあくびをこぼしながら、提督は覚醒した。瞼から滲み出た涙を指で拭うと、窓から外を眺める。今日の天気は文句なしの快晴だ。
ベッド脇に置いてある義手から充電器を取り外し、左腕の肘先に嵌め込むと、接続部のツマミを回して感度を調整した。パジャマを脱ぎ、クローゼットから取り出した軍服を着て、執務室への扉を開いた。
「Good Morning!テートクゥー!」
「おはよう金……ごぉっ!?」
中に入った途端、金剛が弾丸のように抱きついてきた。その勢いのまま提督を押し倒すと、胸に顔を埋めて満足げに言った。
「えへへ……朝からテートクを独り占めデース!」
「ハッピーバースデイ、金剛。」
優しく頭を撫でながら、提督も小さく呟いた。
「ねぇ、今日は俺が朝飯を作ろうと思うんだけど、どうかな?」
「No problem。じゃあ、ワタシはとびっきりの紅茶を淹れるネー。」
ラジカセの再生ボタンを押し、聴き慣れた曲をかけ、台所に立つ。
2人の鼻歌によるデュエットをBGMに、ホットケーキミックスの袋を開けると、ボウルに中身を全て入れ、牛乳を加えてかき混ぜた。
十分に混ざったら、弱火で温めておいたフライパンにソレを流し入れる。生地の表面にポツポツと穴が出来る頃になると、横からゴキゲンな香りが漂ってきた。この香りは……確かダージリン…いやアールグレイだったか?
ともかく、同じようにパンケーキを何枚か焼き上げた提督は、戸棚から大きな皿を1枚取り出してパンケーキをのせ、生クリームをその上に塗り広げては再びパンケーキを重ね、塗っては重ねを繰り返した。倒れないようにピックを刺して、スプーンと蜂蜜を使って「
「おまたせ。」
運ばれてきたパンケーキタワーを見た途端、金剛の目がキラキラと輝いたのが分かった。どうやら気に入ってもらえたらしい。
「Wow!これは小粋なsurpriseってヤツデース!」
「そっちの紅茶もいい香りだ。さあ、早く食べよう」
応接机の上にパンケーキタワー、2本のフォークとナイフが置かれた。その横には花の香りを漂わせた、2つのティーカップ。隣り合った2人の男女は、声を合わせてこう言った。
「「いただきます。」」
フォークで抑えて、食べやすい大きさにカット。それを口に運ぶと、ほんのりとした甘みとふわふわの食感がマッチしていて、我ながら良い出来だ。と感心する出来栄えだった。
「…テートク」
「ん?」
金剛を見ると、彼女はただ小さな口を空けて何かを待っている。付き合いの長い提督は、その意図を瞬時に理解した。
「…仕方ないなぁ。はい、あーん」
「あーんっ♡」
はむっ
「Yum!美味ひいデース!」
「ふぅ……気に入ってもらえて何よりだ。チョコソースも用意してるから、お好みで足してみてくれ。」
そうして朝食を楽しんでいると、不意に執務室の扉がノックされた。まだ始業時間には早かったが、軽く身だしなみをチェックして扉を開けると、鈴谷と熊野が立っていた。
「提督おっはよー!」
「ごきげんよう。」
「おはよう…で、こんな朝から何の用だ」
「鈴谷達にちょこ〜っとだけ付き合ってくれない?大丈夫、すぐ終わるから…ね?」
「……分かった。金剛、すぐ戻る。」
「オーケイ!」
かくして1人きりになった金剛は、まず紅茶を一口飲んだ。爽やかさの中に混じる渋みは、パンケーキの甘さと絶妙にマッチしていて、とても美味であった。だが彼女の予想に反して、提督は5分、10分と経っても戻って来ない。
「紅茶……冷めちゃいマスヨ…」
徒らに暇を持て余していると、壁越しに話し声が聞こえてきた。提督の私室からだ。金剛はコッソリと、壁に耳を傾ける。
「___督、早く脱いで____」
「両方ハメて__ら___ますわ_________大きい____」
絶句せずにはいられなかった。断片から察するに、どうやら提督は鈴谷達と事・に及んでいるらしい。それが嫌な訳では無い。あの人と身体を重ねる悦びはよく知っているから。
それどころか、以前私は、他の艦娘との交わりを推奨もした。しかし今は、自分との時間を蔑ろにされたように思えて。とても哀しくなってしまったのだ。
月明かりの下で、一緒に踊りましょう。命ある限り、愛してるって伝え続けるわ。空気の読めないラジカセが、故郷の言葉で虚しく歌っていた。
少し歩こう。あの人との、思い出の場所へと。
〜〜〜〜十数分前〜〜〜〜
「____という訳ですの。」
「高雄め。秘密にしとけって言ったのに……」
「まあまあ。鈴谷達がこうしてプロポーズ手伝ってあげるから、結果オーライっしょ?この衣装だって、鈴谷達が苦労して見つけたんだからさ。」
「道理で……唐突に身長やら体重やらを聞いてくるなんて、まあ妙だとは思ってたが……」
「さ、とっとと試着を済ませて、金剛さんの所へ戻って差し上げて下さい。」
「はいはい。」
2人はハンガーから件の衣装を外すと、少し強引に提督に着せ始めた。
「ほら提督、早く脱いで!」
「急かすな。子供じゃあるまいし」
「次はこの手袋です。両方の手にはめて貰います。このジャケットは…少し肩幅が大きいですわね。調節しておいて差し上げます」
「手袋はなぁ……義手が動かしづらくなるから苦手なんだが。本当に必要なのか?」
「必要です。だって、オシャレに妥協はございませんもの。」
「そういうモン…なのか……?」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
その事実に気づいたのは、不思議がった提督が大淀に質問したことがきっかけだった。
「居ない!?どういう事だ!」
執務室の入り口で提督が叫ぶ。その顔には、明らかな焦りが見て取れた。状況を悟ったのか、側にいる大淀がハッキリとした声で言う。
「申し訳ありません…今朝私が報告書の提出に来た時には、もう……」
「…連絡は、つかないのか」
「はい。先程から何度か掛けているのですが…」
「なんてこった……今すぐ探さないと」
「提督、探しに行って下さい。今日の執務は私が引き受けます。」
「だが___」
「今日は、お二人にとって大切な日となる、と伺っております。ここでお仕事をとる事は、この大淀が許しません。」
「……わかった。ありがとう、ありがとう………ッ!」
涙を堪えながら、がむしゃらに走り出す。だが行き先は自ずと決まっていた。昔よく2人で語り合った、灯台が見える展望台。彼女はきっとそこに居る。俺が彼女なら、そうするだろうから。
大きな入道雲が空を覆っていた。地平線に白い絵の具を一撫でしたような、私の心情とは真逆の青空が広がっていた。
木の柵から身を乗り出して、眼下に広がる海を見下ろした。商船と、点のように小さな艦娘と、鎮守府が見えた。
(そういえば、ここへ来るのは久しぶりデース……)
提督と出会って間もない頃の記憶が、ふと私の脳裏によぎる。まだ小さかった提督は、事あるごとにここへ来ては泣いていたものだ。それを連れ戻すのは、いつも私の役目で……
こうして感傷に浸っていると、聞き慣れた革靴の足音が近づいて来た。どうやら、今回連れ戻されるのは私の方らしい。
「…金剛!?金剛!早まるなーッ!!!」
何か思い違いをしているのか、弾丸のような勢いで金剛の元に詰め寄った提督は、身を乗り出していた金剛の腕をひっ掴み、彼女を強引に抱き寄せた。相変わらずの甘い香りが、提督の鼻腔を不意に刺激する。
「嫌な思いをさせたのなら謝るから。俺を置いて行かないでくれ、頼む……」
悲痛な叫びを漏らした提督を金剛はそっと抱き返し、子守唄を歌うような、穏やかな声で言った。
「そんな事は絶対にしまセン。それに、ワタシが皆より先に行っちゃったら、誰がテートクの面倒を見るんデスカ」
「ああ。ああ、そうだった、な……っ!」
その何気ない言葉は、得体の知れない不安に潰されかかっていた提督を何よりも安堵させた。そして提督は、金剛の胸に顔を埋めたまま泣き崩れてしまった。彼にとって親しい人を失くすのは、何よりも恐ろしい事だったからだ。
こうして己の弱さを曝け出す事は、軍人としては失格なのだろう。だがそんな男を、金剛は敢えて声を掛けずに、優しく頭を撫でた。いつも自分がそうされているように。
涙の雨が止んだ頃、改めて提督は金剛がここまで来た訳を問うた。身に覚えが無く、どうすれば良いのかわからない事も正直に白状した。そして、朝自分が呼ばれた時に何をしていたのかを、真意を隠しつつ伝えた。
「そうだったんデスね…sorry,早とちり……してまシタ。ワタシはてっきり、テートクが…その……鈴谷達と、エッチな事を____」
金剛は恥ずかしそうにそう言うと、海の方へそっぽを向いてしまった。その仕草は提督を安心させ、同時に笑いを誘ったのだった。
「そうか…くっ、アッハッハッハッ!そうかエッチな事か!金剛も俺に負けないくらい助平だなぁ?」
「…ワタシ、本気で落ち込んでたのにィー!バカ!バカ!バカァーっ!」
「ハッハッハッ……ちょ、痛い、痛いぞ金…痛でででで!!」
金剛は頬を真っ赤に膨らませ、おねだりをする駄々っ子のように、提督の胸をドンドンと叩く。その勢いは次第に強くなって行った。
「ごめん、俺が悪かった!だからちょっ……止めてくれって!何でもするから!」
喜怒哀楽がぐちゃぐちゃに混ざり合ったこの状況を終わらせたい一心で、提督は訴える。すると願いが通じたのか、金剛は叩く事を止め、再度提督に抱きついて来た。しかし腕が動かせなくなる程力が強かったので、提督はそのまま投げ飛ばされるか、或いは1、2本の骨折を覚悟したが____
「今日はワタシが満足するまで、ずっと一緒に居てくだサイ。破ったら…許さないんだからネ。」
そう鈴の音の声で告げると、彼女は提督の背中へと回り込み、
「……おんぶ。」
と一言。提督は頷いてしゃがみ込み、彼女を背中に乗せた。両足をしっかりと抱え込み、両腕を自身の肩に据えさせて固定すると、ゆっくりと立ち上がって歩き出す。
展望台を出て下り坂になると、重力に従ってシルクの様な金剛の肌…直接的な言い方をすると、彼女の豊満な胸が背中にのしかかった。首筋をくすぐる生糸の髪の感触も相まって、身体から力が抜けそうになる。
「……さっきは、悪かった。」
罪悪感からか、あるいは後悔からか。独り言のように謝辞を漏らして、提督は足早に鎮守府へと戻るのだった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
執務室の中に入ると、大淀が1人書類作業をせっせとこなしてくれていた。提督の姿を一瞥するとメガネをくいとかけ直し、律儀に礼をした。提督も金剛を背負ったまま、軽く頭を下げる事でそれに応えた。
「おかえりなさい、提督。」
「ただいま。何かあったか?」
「特筆すべき事はありません。哨戒任務中の第三・第四艦隊からも『異常無し』と。」
朝座っていたソファに金剛を降ろし、執務机に向かおうとした所、制服の袖を引っ張られて止められてしまった。
「…半分くれ。」
そこそこの量がある書類を受け取ると、自身の太ももを枕に金剛を横たえさせ、領収証やら外出届やらで占められた紙束に目を通してはハンコを押す。今日は比較的楽な方で、それを繰り返すだけの他愛の無いものだった。
昼食は珍しく、カップ麺で摂る事にした。
「金剛、お昼だからちょっと離してくれないか」
「…約束」
「なら立って、一緒に行こう。」
キッチンスペースの隅に置かれた棚から、豚骨と塩のラーメンをそれぞれ取り出して湯を注ぎ、セロテープで蓋を固定した。紅茶を淹れるために準備していた物を利用した形だ。
気を利かせてくれたのか、大淀は席を外していた。書類を机の隅に追いやって、朝と同じようにソファに座ると、ちょうど3分が経っていた。
「「いただきます。」」
つるつると麺を啜りながら、提督は金剛に話しかける。彼が今夜のプロポーズを成功させるには、金剛との和解が不可欠だ。
「なぁ…金剛」
____彼女は何も答えてくれない。提督は一旦手を止め、俯きがちに言った。
「こういう時、なんで言えば良いのか分からないけど……俺に、チャンスをくれないか。やっぱり俺、お前が悲しそうにしてるのは耐えられない。だから、その、分かるだろ…?」
半ば言い訳のような懺悔の言葉。だが提督がどうにか絞り出したソレは、確かに金剛の心に届いたのだった。
「テートクは…嫌じゃないデスか?」
____何がだ。そう言おうとしたが、口がうまく動かせなかった。情けない顔を見られたくなくて、視線を下に落とす。シワの付いたスカートと制服が、やけに鮮明に映った。
「こんな事されて、ワタシの事が嫌いになったデショ?勝手に勘違いして、勝手に拗ねて。それにテートクの邪魔まで……」
「____そんな訳ない。」
その言葉は金剛の話に割り込むように、反射的に発せられた。ここで自分の気持ちを伝えないと、彼女が遠くへ行ってしまうような気がしたから。金剛の手に義手ではない方の手を重ね、彼女の目を___垂れた前髪に隠れていたが___はっきりと見つめて、言った。
「嫌いになる訳なんて無いじゃないか、金剛。お前は俺にとって……何よりも大切な人なんだから。」
それは曇天に差し込んだ陽光の如く。思ってもみなかった言葉に、金剛は動揺を隠せなかった。彼の手を握り返し、今にも溢れ出しそうな涙の代わりに、自身の気持ちを言葉にして伝えた。
「そんなの……ワタシだって同じデース…テートクのことが…スキ、だカラ……」
金剛は無性に恥ずかしくなって、そこから黙り込んでしまった。今2人の間で聞こえているのは、忙しなく鼓動する心臓の音だけ。
「………っ」
気づけば身体が動いていた。金剛の髪を義手で払い除けると、少ししょっぱくなった唇を重ね合わせた。
「___テートク。」
「金剛…」
「「ごめんなさい。」」
その言葉が重なった時、止まった時計が動いたかのような、2人はそんな感覚に陥る。
____ああ、嫌われなくてよかった。 提督は心の底から安堵した。
____大切だって、言ってくれた。 金剛はそれがとても嬉しかった。
「……まずは食べよう。麺が伸びる」
金剛はコクリ、と頷き箸を手に取った。提督もそれに続き、ゆったりとした速度で食事を再開する。メニューとしては少し物足りないが、彼女の笑顔の前では些細な事だ。
やがて完食すると、おもむろに金剛が肩にもたれかかって来た。正面から見れば「人」の字に見える格好で、彼女は提督の顔を見上げた。
「テートク、仲直りの印に……お昼寝、しまセンカ?」
「今日中に終わらせなくちゃいけないヤツがあるから、それをやったらで良いか?」
金剛がコクリと頷く。提督は彼女が寝てしまう前に肩を軽く叩き、頭上から耳打ちした。
「今日は一緒に寝よう……夕飯を済ませたら、執務室に来てくれないか?まだ誕生日をちゃんと祝えてないし、プレゼントも渡せていないからな。」
「I got it.じゃあ早く終わらせて下サーイ。でも、あまりワタシを待たせたら、許さないんだからネ。」
「……仰せのままに。」
その言葉を最後に金剛は瞳を閉じた。提督はポケットから携帯を取り出し、鈴谷に通話アプリで連絡を入れる。数分後、返信の内容を確認すると、黙々と作業進めるのだった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
21:31_
この日の鎮守府は不気味なほど静かだった。いつもと何かが違う。違和感を感じながら、金剛は1人執務室へと歩いていた。
廊下に出ると、帽子を目深に被った提督が、ソワソワとしながら腕時計と正面の壁を交互に見つめていた。金剛が一言声をかけると、彼はピクリと跳ねた後こちらへ振り返り、咳払いをして言った。
「……待ってたよ。さあ、こっちへ」
手招きに応じて、提督が開けた執務室の扉に入る。だが、金剛を出迎えたのはクラッカーでも豪華な料理でも無く、突如視界を覆い尽くした鉢巻き状の布だった。続いて両側から伸びた2対の腕が、彼女の両腕を拘束する。
「お姉様、ごめんなさい!」
「すぐ終わりますから、少しじっとしていて下さい……!」
扉の死角から飛び出してきた、榛名と霧島がそう叫んだ。だが隠れていたのは2人だけでは無い。金剛は正面から近づいてくる2つの足音を聞き逃さなかった。その主は…ニヤついた表情の鈴谷と熊野だった。その手に握られているのは、2人が数日かけて選定した、純白のマーメイドドレス。
「ニシシ……金剛さん、ちょ〜っと失礼するよ〜」
「Wait!Wait!Wait!一体何する気デース!?テートクッ!Help me!」
(……許せ、金剛)
一方提督はというと、彼は自身の私室にいた。隣の部屋から聞こえてくる叫び声は無視し、クローゼットから今朝渡された服を両手に持って広げてみる。ネイビーブルーのスラックスと、胸部に金色の刺繍が施された、同じ色の燕尾服。
よく見つけた物だと感心すると共に、自身のセンスに失望した。
「物は相談………か」
独り言を漏らすと、意を決してズボンを履き替え、半袖のワイシャツの上から、薄手のジャケットに袖を通してホワイトタイを付ける。個人的には黒の方が好みだが、熊野曰く「邪道」らしいので、ここは素直に従っておく。
「比叡」
「はーい。」
着替えが終わると、外で待機していた比叡を呼んだ。無遠慮に入室して来た彼女に、今夜は髪型を整えてもらう手筈となっている。
「_______司令。」
提督を鏡台の前に座らせ、その頭にグリースを塗り広げながら、比叡は口を開く。
「お姉様は、絶対に幸せにして下さいね」
「…まだ成功すると決まった訳じゃない。」
「絶対に成功します。私が何年、お2人の暮らしを見守って来たと思ってるんですか」
やや説教めいた口調で、ハッキリと。普段の明るい雰囲気が鳴りを潜めているのは、それだけ姉の幸せを願っているからだろう。
「知ってますか?お姉様って、私たちに司令の話をする時、とっても楽しそうにするんですよ?」
「…そうか」
「もう!司令はもっと自信をもって下さい!ほら、まずはその凝り固まった顔を解して……じゃないと、この手で無理矢理司令の顔を弄っちゃいますよ!ほ〜ら……」
そう言いながらベタベタになった手を近づけて来るので、少し滅入ってしまう。
「分かった分かった!何とかするからとっとと済ませてくれ!」
……とは言ったものの、比叡が髪をオールバックに整えてくれるまで、結局提督の表情筋は固まったままだった。
「さ、司令!お姉様もそろそろ終わる筈なので、外に出ましょう」
「ああ。____そうだ、比叡。これを先に持っていってくれないか」
提督はベッドの上に置いていた白い箱を比叡に持たせ、姉が来る前にと急がせた。静かに走り去った彼女を見送ると両手に手袋をはめ、胸に手を当てて一呼吸。大丈夫、俺ならやれる。そう自分に言い聞かせて扉を開けた。
「テー…トク……?」
聞き慣れた声の方へ振り向くと、普段とかけ離れた姿に……美しさに圧倒された。もし髪型が変わっていれば、それが金剛だと気付くのに時間を要していただろう。今の彼には、もうそれしか見えていない。
「金っ、剛。つ、つ…」
緊張しているせいで、喉が上手く動かない。
「テートクがescortしてくれるデース?」
ヒールの足音を立てながら近付いた金剛が、宙ぶらりんの右手をギュッと握った。チークで朱色に彩られた頬が目に入って、息を呑む。
「…ついて、来て」
やっとの事で、その一言を伝えた。提督は金剛を連れ、すっかり静かになった廊下を歩き出した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
すっかり静かになった港の船着場へやって来た2人を待っていたのは、一艘の
提督は一足先に乗船し、そこから手を差し伸べて金剛を向かい側の椅子へと導いた。
「痛くない?」
「
「よし。じゃあ行くぞ」
ボラードに括り付けた縄を解いて、地平線に向かってゆっくりと漕ぎ出す。オールが水を掻いて進む静かな音は、彼の心を落ち着かせた。
今、2人の周りには誰も居ない。精々神戸港へ向かう商船か、いつもより遠い海域を哨戒している艦娘くらいだろう。月明かりと小さな炎が照らす金剛の姿は、海が作り出す白波、あるいは淑やかに燃える蝋燭を想起させた。
陸地から大分離れた辺りで提督は手を止め、オールを船底へ仕舞うと、代わりに白い箱を、椅子の下から机の上に置いた。先程比叡に頼んでいた物だ。
「今年は…2人きりで、お前の大切な日を祝いたい。」
箱が開かれると、金剛の目の色が変わった。
「これは…」
「そう、朝のホットケーキを利用して作った。本当は一から作りたかったんだが……時間が足りなかった。勿論食べかけだった部分は除いたし、苺と桃を使って、飾り付けてみた」
細く赤いキャンドルを5本、ケーキの上に円形に配置しながら提督が言う。金剛は黙って話を聞き、申し訳なさそうに話をする提督の顔をじっと見つめていた。
「よし、出来た。」
ランタンから炎を貰い、キャンドルに火を灯した。
「恥ずかしいから、歌は無しで」
「No〜!birthdayにbirthday songは欠かせないデース!……それに、テートクの歌も聞いてみたいネー♡」
正直歌いたくは無い。が、彼は眼前に広がる笑顔の花を枯らす真似は出来なかった。
「ハァ……笑わないでくれよ。」
「Of course!」
コホンと咳をすると、夜の静寂に溶かし込むように、おずおずと歌い出した。
「ハッピーバースディ・トゥ・ユー____」
『おめでとう』と『ありがとう』。2つの言葉を彼女に捧ぐ気持ちで、心を込めて。
これといって取り立てるべき所の無い、1分にも満たない歌。しかし金剛にとっては違う。それは大切な人が自分にくれたプレゼントであり、この先一生忘れることのない思い出であった。
「さ、キャンドルを吹き消して。」
厳かに燃えていた炎が一息に吹き消された。それと同時に提督の頬に掠めていった甘い夜風は、きっと偶然に違いない。
「…何をお願いしたんだ?」
「ナイショデース。だって叶わなくなっちゃうかもしれないでショ?」
「それもそうか。」
ケーキを6等分に切り分けながら、2人は談笑する。
朝はしくじってしまったが、同じ轍は踏まない。提督はフォークでケーキを刺して、それを金剛の口元に近づけた。
「はい、あーん」
「あむっ……やっぱり美味ひいネー!」
「おい食べながら…まいいか。どれどれ……」
「次はワタシの番デース!」
金剛は提督からフォークを攫い、同じように彼の口へと運んだ。時折食べるショートケーキとはまた違う、ふっくらとした甘みとイチゴの瑞々しさが絶妙だった。
「ふぅ____食った食った」
ケーキを食べ終えた2人がテーブルを片し終えると、ボートは再び静けさに包まれた。水平線に見える100万ドルの夜景は、ハンカチで口元を拭っている金剛にこそ相応しいように思えた。
「あと2つ……プレゼントがある」
そう言って彼女に差し出されたのは、真っ赤なリボンで装飾された小箱だ。
「開けてみて。」
それを紐解き蓋を開けると、精巧に作られた薔薇の髪飾りが入っていた。彼女の髪色に近い栗色のピンが、月光を反射してキラキラと輝く。
「これをワタシに…!?」
「ああ。改めて、誕生日おめでとう。」
「〜〜〜〜〜〜ッ♡」
真珠色のスカートをバサリとはためかせてテーブルを跨ぎ、金剛は提督に抱きついた。彼の膝に尻を乗せて、間近に向かい合う格好だ。ボートが少し前のめりになり、提督の額から冷や汗が流れる。
「金剛、あまり揺らすな…ッ!」
「大丈夫ネー。海に落ちても、ワタシが助けてあげマース!」
「そういう問題じゃないっ、まだ渡したいもの、あるからっ」
ぐわんぐわんと揺れていたボートが、ここでようやく穏やかになった。
「えへへ…テートクへのLoveが溢れちゃいマシタ♡」
熱烈な抱擁を解き、金剛は恥ずかしそうに続ける。
「テートク、今日は本当にThank youネ。朝はケンカもしちゃったケド……I just keep burning LOVE!これからも、ずっと大好きデース!」
その時提督は確信した。自分がこれまで死なずに生きてきたのは、歯を食いしばって前に進んできたのは全て、
俺も大好きだ!そう叫びたくなるのを堪え、あくまでも紳士然とした態度で、彼はそっと口を開く。
「目を、閉じて。」
金剛はさっきまでのテンションが嘘であったかのように、とても素直に従った。プレゼントはキス_______なんて事を考えているのかも知れない。だが生憎、瀬名聡一郎という男はそんなロマンチストではない。
スーツの内ポケットに入れていた手のひらサイズの、正方形の箱。義手の左手にそれを預け、血の通った右手で彼女の頬に触れた。
「小さい頃家族も、家も、この腕も失くして、俺は
………………もし嫌なら、遠慮無く断ってくれ。」
目を、開けて。
金剛を待っていたのは、光を反射して空の満月のように輝く、プラチナ製の指輪だった。それが意味するのは、常に彼女が待ち侘びていた、あの言葉。
「結婚しよう。俺と……ずっと一緒に居て欲しいんだ。」
……本当にズルい人。
「力じゃ艦娘には勝てないかも知れないが、提督として、君を一生守る」
………断るわけなんて、無い。
「約束しよう。」
………………喜んで。
「ワタシも…ワタシもテートクを守りマス。テートクとなら、どんな海も怖くないカラ。」
2人だけの世界で、2つの唇が重ねられた。時が止まったような錯覚を覚える中で、一筋の涙が零れ落ちる。
ああ、もっと早くプロポーズしておけば良かった。世界一幸せな後悔を覚えながら、提督は震える手で指輪を手に取り、金剛の左手薬指に指輪を近づけた。
「Wait.テートクは何処に指輪を付けるデース?」
「そう言えばそうだな。義手につけるとパーツに干渉するし…ネックレスにするのも、落としそうで怖いな」
「……ならRight hand!右手につけまショウ!」
言われるがまま、右手薬指にその愛の証をそっとはめた。サイズはピッタリだ。
「ちょっと変わってるけど…2人だけの印ネ。」
「そうだな。2人だけの…………」
2人だけの。その言葉を噛み締めるように、何度も反芻した。
「ありがとう。受け取ってくれて。」
「……まったく。場所もタイミングも完璧なのに、時間かかりすぎデース」
「ごめんごめん。____なぁ、もう一回キスしないか?」
無言で頷き、キスをした。やっぱりまだ足りなくて、今度は逞しい肩に手を回してキス。何度やっても満足なんて出来ない。今度は舌も絡ませた情熱的なキス。
「んっ………♡」
段々と金剛が此方にのしかかって来て、またキスをした。2人の間に桃色の炎が点き始めた。
「待て待て、それ以上はベッドの上で…な?」
名残惜しそうにまたキスをして、姿勢を元に戻した。
「____帰ろうか」
「ねぇテートク、一緒に漕いでも良いデスカ?」
「うっ、そうか…」
「迷惑なら戻りますヨ?」
「………まさか。さぁ、俺を背に座って。オールを持って…よし、行くぞ。いーち、にーい_______」
『このまま君の匂いを嗅がされたら、我慢できなくなりそう』なんて正直に言ってしまえば、きっと今夜は海の上で一晩を過ごす羽目になっていただろう。
王子様の掌にお姫様は手を重ね、声を合わせて波を掻き、家族の待つお城へと帰って行くのだった。
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部屋の扉がぎぃ、と音を立てて開く。部屋の主人である提督は、電気もつけずに、一直線にベッドへと向かう。ふかふかの布団の上に、両腕でお姫様抱っこをしていた金剛を下ろし、一息ついた。
「実はキャンドルの火を吹き消した時、『テートクがLoveを伝えてくれますように』ってお願いしたんデス。まさか本当に叶うなんて……夢みたい。」
「叶えられて何よりだ。そうだ。やっぱりスるのは明後日あたりにしないか?今日はもっと2人で飲み物を飲んだり、映画を観るのも悪くない。…だろ?」
「テートクは変な所で
「それなら俺だって負けてない。金剛の好きな所なんて、陽が登るまで語っても足りない位だ」
「テートク」
「ん?」
「…大好き。」
「……俺も、愛してる」
愛してる。ワタシの方が愛してる。俺だって。ワタシだって。
永遠に決着がつかないであろうこの論戦は、結局日付が変わるまで続くのだった。
生まれてきてくれてありがとう。
___________心の底から、愛してる。