季節は秋。太陽が天高く昇る昼下がり。里見蓮太郎はすこぶる機嫌が悪かった。
「……暑すぎる」
まだ朽ちる気のない夏という季節が差し掛かりの秋に残留し続け、眩い日差しが蓮太郎を照りつけていた。通気性の悪い服を身に纏っていた彼は大粒の汗を拭いながら、鬱々とした表情を浮かべて歩いていた。
そんな時だった。
幅広の歩道橋からギターを奏でる音と、少女特有の歌声が耳に入ったのは。
蓮太郎立ち止まり、その声のする方まで歩を進める。すると、中央部に人だかりが出来ており、声はそこから聞こえていたことがわかった。
どうやら何者かが路上ライブを行っているらしい。
いくら幅広とはいえ、たくさん集まれば邪魔になるというものだ。行く人々が視線をその視線の先にいるであろう少女を向けていた。
「───」
異様なほど静かな静寂。十数人を超える観客がいて、誰一人として声をあげないのは傍から見れば異様な光景と言えただろう。誰も歌を邪魔できない。歌声に酔いしれている。
「……“レナ"」
観客の中の誰かが、声にならない声で呟いた。
レナ。それが大勢の人間を虜にする歌声の主の名前だった。およそ人間業のそれとは思えない光景に、蓮太郎は眉間に皺を寄せた。
「……まるで綺麗な花に群がる蟲じゃねえか」
もっとも、自分もその一人であるわけだが。自嘲気味に笑う。
大きなホールでやったとしても、誰もが声もなく押し黙り、思わず聞き惚れてしまうであろう天性の歌声に歌唱力。そんな人間がいることに驚きを隠せずにいた。
「───ご清聴、ありがとうございました」
ギターを奏でる音が止まり、感謝の言葉を口にするレナ。
ここだけ時間が止まってしまったのではないかと錯覚してしまうほど、この歩道橋という小さな会場に静寂が訪れた。やがて、観衆は歌が終わったということを受け入れ───数秒後、拍手大喝采が巻き起こった。
あるものは興奮に声を上げ、あるものは観劇のあまり涙を流し、あるものは呆然としてる。差異はあれど、すべてがレナという少女に向けた称賛だった。
十数分が経過した。蓮太郎は未だ姿の見えないレナがいるファンミーティングの場を遠目に眺めながら、そう言えば、
血と怨嗟で塗れた自分とは掛け離れた世界だ。こういう光景を見ていると、自分とは色々な意味で彼女は掛け離れている。
「……」
そしてようやく人だかりがなくなり、レナの姿を見ることが出来た。
しなやかで華奢な体躯。身長はそれほど高くない。青いメッシュの入ったプラチナブロンドの長い髪に整ってはいるが、まだ幼さの遺る顔立ち。
レナの姿を見た蓮太郎は堪らず息を呑んだ。
「……呪われた、子供ッ───!」
蓮太郎はまだ余韻が抜けきっていない一人の男の肩を掴んで、訊ねた。
「なあ、あんた。聞きたいことがあるんだが───」
一瞬訝しげな目で睨まれるも、レナの方に視線を向けていたことに気づいたのか、男は表情を変えた。
「レナのことか?」
「あ、ああ……」
「数週間前、突如ここで路上ライブを始めた謎の少女だよ」
「……通りで知らないわけだ」
この道は長らく使用していなかったので、そういう人間がいるのもおかしくはないだろう。
「おい兄ちゃん、なんか聞きたいことあるなら本人から聞いた方がいいぜ?」
「お、おい……」
背中を叩かれ、件のレナの元まで押し出されてしまう。
数十センチ先のところまで近づいてしまい、レナは一瞬驚いたように目を丸めていたが、直ぐに微笑を浮かべた。
「どうかなさいましたか?」
「この兄ちゃん、レナちゃんの歌に惚れちまったみたいでなぁ」
「お、おい。俺はそんな事一言も───」
言い終わる前に、レナは口を開いた。
「そう言っていただいて嬉しいです。ありがとうございます」
「……」
まさか聞けるわけがなかった。言ってしまえばこの場が壊れてしまうだろうから。拍手喝采が罵詈雑言に変わるのは一瞬だろう。
喉まで出かかった言葉を飲み干してから、小さく唸り、蓮太郎はレナに訊ねた。
「……なんで、この場で歌っていたんだ?」
「そんなの決まってますよ。歌で、みんなを幸せにしたいからです」
そう言ってレナは小さく笑った。
気づけば時間があれば毎日のように蓮太郎はレナの路上ライブにやってきていた。
容姿や歌声は記憶の中にあるそれとは違う。煤けていない顔、洗濯をしっかりしているのであろう綺麗な服。以前、同じ場所で歌を歌っていた少女とは何もかもが違う。
生きていくために歌うしかない少女と、歌で人を幸せにしたい少女。しかし、人を思いやる気持ちは両者も変わらないだろう。産まれた境遇さえちがければ、彼女だってこうやって───。
「蓮太郎さん、なにかリクエストはありますか?」
思考の海に耽っていた蓮太郎は突然レナにそう訊ねられ、吃った。
最近の曲に疎いためどう答えていいか分からなかった。
しかし、脳裏にこびりついた彼女の歌声と笑顔がどうしても剥がれず───無意識に口走っていた。
「もう会えない人に向けて歌う曲ってのは……あるのか?」
自分でも何を言っているか分からない。慌てて訂正に入ろうとするも、レナは小さく笑いながら言った。
「ありますよ。折角ですし、歌いましょうか?」
「あ、ああ……よろしく」
レナはわかりました、と小さく笑うとギターを軽く奏でた。
「それでは聞いてください。記憶の君へ」
ゆっくりとギターを奏で、レナは歌い始めた。
その瞬間、出会いと別れを繰り返した蓮太郎の過去が鮮明に蘇った。直後、溢れそうになった涙を押さえながら、レナの歌声を耳に焼きつける。
儚いながらも、優しい歌声。
自分が許されたとは思っていない。一生背負っていく罪だ。
だけど今この瞬間だけは───後悔を忘れて、涙を流していた。
「……ご清聴、ありがとうございました」
歌が終わった頃には、蓮太郎はもう泣き止んでいた。
やるべきことを新たに見つけた。ならば、自分はそのために尽力をつくすだけだ。
「……レナ」
「はい、なんでしょうか」
「ありがとう」
突然の感謝の言葉にレナは初めて会った時のように目を丸くしたが、すぐに微笑を浮かべ、
「こちらこそ、ありがとうございました。蓮太郎さん」
感謝の言葉を口にした。
実際にある曲。しかし、カラオケにはない。