勾田公立大学附属病院、その廊下を一人の制服姿の少女が無遠慮に歩いていた。少女と言っても彼女が着ているのは、ブレザーにスラックスと本来の女子制服のスカートではない。少女は額に皺を寄せながら行く手を眺めていた。
「会いたくないな。あのクソ医者め」
少し癖のあるショートカットにどこか諦めたような瞳。顔立ちは整っている近寄りがたい雰囲気がある美少女だ。ハスキーボイスの呟きには罵倒でさえも色気がある。
室戸菫。里見蓮太郎を男の子から女の子にした本人がこの下の研究室にいるのだ。蓮太郎は菫を恩人だと思うと同時に憎き仇だとも思っている。彼女は複雑な感情を菫に持っていたりする。
「せんせー?」
「あれ、せんせーどこ?」
物が散乱しホルマリンをはじめとする薬品の匂いが漂う研究室内は薄暗い。蓮太郎はきょろきょろと首を振り菫を探す。
「ここだ」
「せんせ、ひぎゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
蓮太郎が振り返るとそこには死体のように青い顔をした人影があった。というか死体だった。突然の暴挙に少女は悲鳴をあげたのだ。死体の後ろからひょっこり姿を現した菫は蓮太郎の反応を見てにやける。
「ははは、相変わらずこういう怪奇モノには弱いようだな。そんなんで民警をやっていけてるのかい?」
蓮太郎がさりげなく、自分の股間を触っているのを菫は見逃さなかった。
「うん? 蓮太郎くん、いや蓮太郎ちゃんひょっとしてチビっちゃったのかい?」
「…………うるさい」
少女の下着が無事だったかは神のみぞ知ることであり、菫は深くそれを追求しなかった。
「君の下着がどうなったかは別に本題じゃないんだ。先程君が倒したガストレアについてだったな。酷い倒し方だね。その脚を使えばもっと綺麗に倒せてだろうに……蓮太郎ちゃんには何かポリシーがあるんだろうけど、私が知ったことじゃない。もっと私に配慮しようとは思わなかったのかな?」
「先生みたいなネクロフィリアへの配慮が必要だとは思わなかったよ。愚かな俺には先生のヒントが必要なんだから教えてくれないか」
菫は呆れていると露骨に表情に出しながら蓮太郎を眺めた。
「な、なんだよ?」
「木更との同性婚、いや戸籍上は男か。でもまあ思考はもう女の子だろう。身体の性別に引っ張られて性的志向も変わったんだ。君は女の子だな。ということで木更との関係はどうなっているんだい?」
蓮太郎は露骨に狼狽えた。しかし狼狽を必死に隠そうと表情が二転三転する。
「随分と分かりやすいじゃないか。もう押し倒してしまえばいいじゃないか」
「先生、木更は天童式抜刀術の免許皆伝なんだよ。天童式戦闘術初段の俺じゃぶっ飛ばされる。それに、木更だって男だった時はまだしも女の俺をそういう風には見てないだろ」
「ふ~ん。いやいや。しかし君がそう思うならそういうことにしておこう」
菫の意味深長な発言に蓮太郎は思考を乱される。
「さて、本題に戻ろう。ま、簡単なことだ。蓮太郎ちゃんは動物に詳しいだろう。ガストレアウイルスに罹った個体は生物の可能性を引き出される。その可能性については君も良く知っているんじゃないか?」
「そうか。擬態とか隠密が得意な個体の可能性か。蜘蛛の生態に関して調べてみるよ」
「ふむ。頑張りたまえ」
「ああ」
蓮太郎はボロアパートに帰宅する。狭いながらも愛しい我が家とまではいかないが、延珠のいるアパートは蓮太郎にとって居心地の良い場所だったりする。
「むっ、帰ったか蓮太郎」
「ああ。ただいま延珠」
延珠はシャワーを浴びながら蓮太郎の帰宅を確認する。
「蓮太郎は入らないのか? お湯が冷めないから節約できるかもしれんぞ」
「ああ。じゃあ。入ろうかな。研究室の匂いが付いてるし……」
制服を脱ぎ、ハンガーにかける。シャツの臭いを嗅ぎ、洗うかどうか一瞬逡巡する。しかし死体を間近に寄せられたことから洗うという結論を出す。それからスラックスを洗うかどうか迷う。あの事件で下着は犠牲になったがスラックスは無事なはずだったからだ。
「一応洗っとくか」
スラックスの替えは有ったので問題はない。
「何をぐずぐずしとるんじゃ? 湯が冷めるぞ」
「ああ。今入るから」
最近の蓮太郎は少女である延珠と一緒に風呂に入ることに躊躇が無くなってきた。これはひょっとすると俺の精神が女に近づいているのでは?蓮太郎はそんな疑問を覚える。
「うむ。蓮太郎の乳ならば妾でも勝てるな」
「やめろ。見るなって。恥ずかしいだろ」
蓮太郎は慌てて胸を隠すが、その行為が延珠の嗜虐心を煽ってしまった。延珠が蓮太郎の脇腹をフェザータッチと言っても良いような異様に熟練したくすぐりで責める。
「ちょ、くすぐったいから」
「蓮太郎の胸はかわいいではないか。隠す必要はない」
強気な延珠の言葉に蓮太郎は更に赤面してしまう。
「酷い風呂だった……」
延珠が上せるまで蓮太郎は弄られ続けた。笑顔の無かった延珠がここまで笑ってくれるようになったことを喜ぶべきだろう。しかし少し調子に乗らせすぎたのかもしれない。
これから付けようとしているスポーツブラとセットのショーツを見て、蓮太郎は複雑な気持ちになった。仮に自分が男のままだったら延珠はあんなに過激なことをしただろうか。最早自分が男だった時を想像するのは難しくなってきている。
「蓮太郎、一緒に寝るぞ」
「はいはい」
子供の高い体温を感じながら蓮太郎は眠りに就いた。
翌朝、蓮太郎は延珠の肘打ちを顔面に食らったことで目を覚ました。肘打ちで強制的に起こされたので寝起きは最悪だ。ぼさぼさの髪を整え、軽く化粧をする。化粧をしていないと木更に説教をされてしまうのだ。
「おはよう蓮太郎。早いな」
「お前の肘のせいだよ」
「それはすまなかったな」
「気にしてないからいいよ」
昨日はガストレアを駆除したので正直身体がだるかった。自転車もガストレア駆除現場近くに乗り捨ててしまっている。学校をさぼろうという考えが蓮太郎の頭に浮かんでくるのに何の不思議も無かった。
「延珠、自転車置いてきちまったから、今日は休みだ。二人でゆっくりしよう」
「むっ、ズル休みか?駄目だぞ。学校にはちゃんと行かないと駄目だ」
「俺、そんな学校好きじゃないんだよ」
「それでもだ」
「あっ、ちょっ待て延珠。どこ行くんだ?」
延珠は大家から自転車を借りてきてしまった。蓮太郎の言い訳が潰されてしまったのだ。蓮太郎は学校に行ける状態になってしまった。
「ああ。ありがとう……」
「うむ。妾に感謝するんだぞ」
もう遅刻する時間である。しかし延珠が自転車を借りてきたのだから、蓮太郎は学校に行かないわけには行かなかった。
「はぁ、行くか」
「うむ。蓮太郎はいい子だな」
延珠が蓮太郎の頭を撫でる。蓮太郎は延珠に下に見られている自覚があった。
「乗ったな?」
蓮太郎は後ろに延寿を乗せ、自転車を漕いだ。
「よし着いたぞ」
延珠を勾田公立大学付属病院で下ろす。蓮太郎は色々な事情から学校にいい思い出が無かったので、菫に延珠を預かってもらっているのだ。蓮太郎が女子グループからいじめられた時に先生が苛めの事実を無視したことが、蓮太郎の学校不信の原因だったりする。
「蓮太郎は妾の代わりに学校を頑張るんじゃぞ!」
「ああ。頑張るよ」
蓮太郎は高校では問題児よりの生徒だった。それでも民警をしているということや複雑な事情が有るので落第はしていない。それに延珠への負い目があるので蓮太郎はそれなりにテストでは努力していた。しかし、それはテストだけであり、事情を知らない他の生徒からすれば蓮太郎は謎めいた人物だった。
ガストレア襲撃の際にちんちんと両足を失う。
→菫の手術にガストレア由来の医療品が使われる。それにより細胞が復活するも女の子に。
呪われた子供たちは女の子しかいないので、ガストレア由来の医療品だと女の子になるんじゃないか説