延珠の爪先が柔らかな脇腹にモロにぶっ刺さったことで、蓮太郎の睡眠は中断された。このところ蓮太郎は運が悪い。少女はもともと不幸そうな顔をしているとよく言われたが、自分自身をそれほど不幸だとは思っていない。しかし、昨日からの出来事は紛れもない不幸ばかりである。
「でも、木更さんの手は暖かかったな」
蓮太郎は木更が自身を全く意識していないと思っているが、少なからず木更は蓮太郎を意識していたりする。そんなことはつゆ知らず蓮太郎は木更の手の平の感触を思い出し、頬を緩める。早朝のオンボロアパートで不幸面の少女はニヤついていた。
「れんたろー、寒い」
「うぁっ」
寝ぼけた延珠が蓮太郎に抱き着き、そのまま布団の中に蓮太郎を引きずりこんだ。単なる偶然に過ぎないだろうが、蓮太郎は少し罪悪感を覚えた。
呪われた子供として、迫害された延珠にとって世界は狭い。その狭い世界の中で蓮太郎は大きな割合を占めているのだろう。二人はそのまま眠りに就いた。
「うわぁぁッ!? ゆめか……」
ガストレアに押し倒され、脳髄を啜られる場面で蓮太郎は覚醒した。この悪夢を見たのは間違いなく腹の上に乗っている延珠のせいだろう。
延珠を押しのけて、蓮太郎はのろのろと活動を開始する。女の子になってから、朝の低血圧に拍車がかかっている。
「朝ごはん。それに、弁当は。買えばいいか。いや、金が無いから作るか。はあ。眠い」
思考は安定しないが、料理には手足が慣れており不具合はない。そのうちに、延珠が起きてくるだろう。
「里見くん。私は待ったわ」
「まだ30分前だぞ。木更さん幾ら何でも早くないか?」
「私の学費が掛かっているのよ! 昨日は勢いで言ったけれど、よく考えたらとんでもないことしてるわよね。私たち!?」
「木更さん、落ち着いて」
2桁万円が吹き飛んだ木更は冷静とは程遠かった。これで目的のガストレアが見つからなければ、単なる浪費である。ヘリコプター好きの延珠に遊覧飛行をプレゼントしたと考えるには、料金が高すぎる。
「これは、CV-22! オスプレイって呼ばれる奴じゃな! 一時期、風評被害で有名になった機体じゃ。軍用機として運用されているはずなのに、どうして妾たちがこれに!?」
「ガンナー付きだってよ。目的のガストレアを撃ち落とすために、このユージーン&クルップス社からのレンタルだそうだ」
「で、誰がこの機関銃を撃つんじゃ?」
「俺だよ」
「ダメな予想が付く」
「辛辣すぎる……延珠、俺だってやれば出来るんだよ!」
果たして目的のガストレアは発見された。白い凧のような奇妙な物体は、そこまで大きくはない。発見できたのは木更と延珠の運の良さの賜物だろう。
「蓮太郎! この! 下手くそ!」
「うるせぇ!」
蓮太郎は、12.7mmをバラ撒く木偶の坊になっていた。射撃精度をこの少女に求めるのには、酷すぎたようだ。
「俺はマシンガナーじゃないんだ! 当たらないんだよ!」
「私の学費! 学費!」
「あぁぁぁ!!!」
蓮太郎は撃ち続けたが、虚しく薬莢が散らばるだけだ。
「無能くんは下がってて」
「えっ? 酷くない?」
「天童流、一ノ太刀、蓮華散華ッ!」
木更が身を乗り出し、刀を振るう。常識的に考えて無意味な行為だが、免許皆伝者は格が違った。木更の斬撃は伸びていき、ガストレアを引き裂いた。
「えっ?」
「木更凄いのじゃ!」
「ま、待って。天童流ってビーム出んの? 俺、知らなかったんだけど。飛ぶ斬撃出せんの? えっ?」
「無能くんは、戦闘術しかマスターしてないじゃない。拳で敵を爆砕したり、刀からビームを出すのは天童流じゃ常識なのよ!!」
蓮太郎は天童流の真実に唖然とした。そんなオセアニアじゃ常識みたいに言われても。オーウェル的な気分になりながら、蓮太郎はガストレアから例のアタッシュケースを回収した。
「よくやったわ里見くん! 里見くんは流石ね!」
さっきまで里見くんどころか、無能くん呼ばわりされていた蓮太郎は複雑な気分になった。木更は二重思考が出来る人間なのかもしれない。
「ありがとうございました!」
聖天子親衛隊を名乗るいけすかない男たちのパワハラセクハラをすり抜け、木更は報奨金を手に入れた。賭けに勝ったのだ。PMCにも報酬の一部を割く契約だったので、入る金額は少し減ったが、大金の前ではそんな事実は霞む。
「これで東京エリアの危機も救えたし、俺たちには大金が入ったし、勝ったなハハハ。風呂入ってくる」
雑用を押し付けられた蓮太郎からは、汗の臭いがしていた。風呂に入りたいという欲求は自然なものだったのだろうが、如何せん言い方が悪かった。
「里見くん、フラグって知ってる?」
「蓮太郎ぅ。最悪なフラグ立てなのじゃ」
「な、何だよ! うるさいな!」
蓮太郎は汗に塗れた身体を洗うべく、ぐちぐち言う延珠と木更を無視して風呂場に直行した。
そしてすぐに、蓮太郎のシャワーは中断されることになる。
「蓮太郎! 大変なことが起きたのだ!」
「里見くん、大変よ!」
「きゃあああぁぁぁ」
風呂場への侵入者に対して無防備だった蓮太郎はその裸体を二人に晒してしまう。まるっきり女の子な叫び声が、反響しながら安アパートに響いた。
色素の薄い桜色の蕾と、引き締まった腹筋の下の初夏の草原。延珠と木更はうっかり感想を言ってしまう。
「蓮太郎かわいいおっぱいだな」
「里見くん、アンダーの処理はもう少ししたほうが良いわ」
「うるさいっ!!」
完熟したリンゴのようになった蓮太郎は、裸のまま二人を風呂場の外に追いやった。
蓮太郎が復活するまでには、十数分の時間が必要だった。いつもの制服姿だが、ボタンをびっちり上まで閉じ、肌を隠そうとした姿で蓮太郎は二人の前に現れた。
「蓮太郎、その悪かったのだ」
「里見くん。ごめんなさい」
二人はしおらしい態度を見せる。しかし蓮太郎は油断していない。セクハラの恨みは深いのだ。
「で、風呂を覗いてまで伝えたかったことは?」
「これだ!」
延珠が勢いよく携帯の画面を示す。そこには、確かに蓮太郎がシャワー中であっても伝えなければならないと思わせるようなものがあった。
「七星の遺産が奪われた? つまり、あのアタッシュケースが奪われたってことか」
「そうよ。幸い、私たちの報奨金は没収はされないようね」
「じゃあ。良かったんじゃないか? もうこんな危険度の高い依頼に関わる必要は無いだろ?」
「それが有るのよ。東京エリア中の民警に参加命令が来ているわ。これは最早強制依頼よ」
3人の間に疑問が生じる。むざむざアタッシュケースを奪われた聖天子親衛隊の練度にもだし、アタッシュケースの中身に関してもだ。
「あのケースに何が入ってるんだ?」
「そうじゃ! 核兵器でも入っているのか?」
「延珠ちゃんの言うように、核兵器の在処が示されている可能性は有るわね。けれどあのケースはそれなりの重量と、大きさがあった。核兵器の起動装置というセンも有るわ」
「アメリカの大統領が持ってたってヤツか?」
「そうかもしれないわね」
木更の発言に延珠は目を瞬かせ、蓮太郎は渋面を浮かべた。どう考えても厄ネタだからだ。
「私、今回は参加できないから。里見くん、延珠ちゃんよろしくね」
「うむ。任された」
「えっ? 木更さん……?」
「バックアップは任せて」
蓮太郎はもちろん木更に持病があることを知っている。しかし飛ぶ斬撃でガストレアを落としていた姿からは、木更だけでもこの事態を全て収束できそうな予感がしたのだ。
蓮太郎は深呼吸をし、ゆっくりと言葉を吐いた。空元気混じりのそれに、木更と延珠が笑顔を浮かべた。