【完結】黄昏教室の最終制服機兵《カタストロフィ》 作:ジェネリック参勤交代
三枚のトランプをまとめて前方に投げ放つ。カードの進路には『クレーター』としてはだいぶ小柄な、六〇センチほどの沢蟹めいた怪物の姿。
小手調べの一投だ。雑魚相手なら仕留められる程度の威力はあるが、そうでなければあっさり避けるなり弾くなりで対処されるだろう。
『ギ──!?』
しかし、そんな攻撃に眼前の『クレーター』は
今回の敵は群体。たまたま近くにいた個体どうしが共闘しているのではなく、最初から群れることを前提とした集団だ。
「一体ずつじゃ時間がかかりすぎるな」
おおまかな耐久力は知れた。この程度なら丁寧に各個撃破する必要もない。
隙を窺っていた一体を振り返りざまに蹴り上げて吹き飛ばし、その後ろにずらりと並んでいた『クレーター』どもをまとめて薙ぎ倒す。そうしてひっくり返った連中の甲羅の隙間に、片っ端からトランプを滑らせて両断していく。
その間ににじり寄ってきていた一団の先頭を同じように蹴り返す。焼き直しとばかりにトランプ片手に突撃しようとして、異変に気づいた。
ぶくぶくぶく、と。
おれが今まさに突っ込もうとしていた辺りの沢蟹どもが、一斉に泡を吹き始めたのだ。
恐らくは能力発動の兆候。そう考え、警戒して足を止めた直後。
ほんの僅かにだが、脳天を揺さぶられるような鈍痛があった。
(っ……この、症状は)
心当たりが一つ。
この考えが正しいなら、突撃を躊躇ったのはむしろ悪手だったか。多少拙速でも、こいつらは可能な限り手早く仕留めなければならない。
その予想を裏づけるように、聞き慣れた先輩の声が耳に届く。
『解析完了。手短に能力だけ言うよ、「酸素の抽出及び封入」だ』
つまり、これは酸欠の症状。
元は宇宙開発のために造られた、呼吸も食事も基本的に必要としない
「了解。……仕方ねえ、速攻だ」
おれの動きが止まったのを見て、チャンスとばかりに『クレーター』どもが一斉に酸素の泡を放つ。畳みかけるように、別方向からも鋏を振りかざして飛びかかってくる一団の姿がある。
その泡が弾けるよりも、鋏が振り下ろされるよりも早く、おれは準備を終えていた。
迎撃の、じゃない。
「
言うと同時、おれの手には新たな武装が握られていた。
それは喜劇でシルクハットの紳士が振り回しているような、飾り気のない漆黒のステッキだった。
「さあさご覧あれ。
ステッキを軽く一振りし、コツリと石突で地面を叩いた直後。
ボグアッ‼︎ と。
突如、コンクリートの地面を突き破って何本もの蔓が勢いよく飛び出した。
『ギギ──ギャ──!?』
『クレーター』どもはまともに反応もできずに、一体残らず絡め取られて宙吊りにされている。……中にはそのまま絞め潰されたり、そもそも蔓自体に身体を貫かれたりした個体もいるようだが。
再びステッキを一振り。その軌跡をなぞるように、石突から奔った高圧水流が残りの敵を両断した。
「ひとまず一掃した、か……」
宵闇の中には、もう動いている『クレーター』の姿はない。
だが臨戦態勢は解かず、いつでも攻撃を叩き込めるように全方位に気を配る。
単純に残党を警戒しているのもあるが、それ以上に。こういう組織的な団体行動というのは、
『お疲れ、今はもう大丈夫だ。撤収準備に入って構わないよ』
「……了解。BG-0178、作戦終了ッス」
先輩のその言葉を聞いて、おれはようやく警戒を緩めた。
『さて、さっき省いた情報を改めて伝えておくよ。大方予想はついているだろうけど、答え合わせといこう』
宵闇が晴れ、世界が再び黄昏に包まれる。
いつものように、報酬の受け取りまではこの場で待機。待ち時間の雑談はここ最近ではお決まりの恒例行事だが、今回は真面目な話し合いになりそうだ。
「
『ああ。それも、これまでに未確認の指揮系統だ』
「ってことは、
一般に、
ならば何が厄介なのかというと、
ヤツらには必ず司令塔がいる。『上位個体』と呼ばれる、並の『クレーター』とは一線を画した強大な怪物が。
『今のところ、近辺に「上位個体」の反応はない。既に捜索は始めているけど……それにしても、
「まあ、伊達に経験積んでないッスから。前哨戦で
適当に返しながら、
職種の中には、それ一つで複数の職種の役割を包括しているものも存在する。
例えばおれの
「まあ、その辺については仕方ないッスね。必要経費だったんで。それならそれで、どうにか上手いことやりますよ」
仮にも『ランカー』、このくらいで万策尽きるほどヤワじゃない。
先輩もそれを分かっているから、そこの心配を口にすることはない。
『キミも知っての通り、
「了解ッス。いつでも出られるように、こっちの準備は済ませとくんで」
『ああ、頼んだよ。その間に、私は私の役割を全うするとしよう』
そう言うと、話もそこそこに先輩の姿が掻き消えた。
『上位個体』の居場所を割り出すために、『アマテラス』の職能でスキャンをかけにいったのだ。本来なら光学ヴィジョンの方に力を割いている暇などないのだろう。
……それでもおれと話す時間をしっかり取っている辺り、嬉しいやら仕事に集中してほしいやらで微妙な気持ちだが。
「さて……おれも、やることをやらないとな」
報酬の受け取りが済んだら、まずは
相手は『上位個体』。決戦の下準備は、しすぎるということはない。
ここで一旦、根本的な二つの疑問の話をしよう。
すなわち、
そして、
この二つについてだ。
一つ目の疑問について考えるには、まず先輩の職能のことを理解しておく必要がある。
そう、宵闇を黄昏に染める力だ。
それは決して、演出でもなければ偶然でもない。
もっと単純に、そこまでしかできなかった。無二の天才たる先輩の力を以てして、そこがギリギリの妥協点だったのだ。
大前提として。『アマテラス』の職能──『第二の太陽』が生み出す光量は、本物の太陽のそれには遠く及ばない。
一〇万メートルの上空から先輩がその身を振り絞って放つ光よりも、一億四九六〇万キロメートルの彼方から無造作に差す光の方が遥かに強い。
それは何も不思議なことではない。むしろたった一人の人間が、恒星と真っ向から比較できる領域にいることをこそ異常と呼ぶべきだ。
しかも、先輩は単に上空で輝いていれば良いという訳じゃない。
『第二の太陽』をただ衛星軌道に乗せるだけでは、常に地球の『夜側』に陣取ることはできない。それを実現するには、
莫大な光量と、緻密な位置制御。それらを両立させなければ、太陽の代役は果たせない。
どちらかが少しでも狂えば、そこに死角が生まれる。そして地球のどこかがひとたび宵闇に染まったなら、『クレーター』はそこに根づいた環境全てを瞬く間に滅ぼすだろう。
それらの問題に限りある光量で対処するために、先輩が採った策こそが『黄昏』だ。
おれと話すときに作り出している光学ヴィジョンもこの
先輩はこの『八咫鏡』を使って、『
『夜側』で最も光の供給が多いのは、『第二の太陽』の直下にあたる深夜帯だ。反面、日没直後や夜明け直前といった境界帯には、どちらの太陽からも十分な量の光が届かない。
そこで、深夜帯の過剰分を『八咫鏡』で境界帯へと送るのだが……ここでもう一工程。
波長の短い光は散乱しやすく、近場にしか届かない。だから境界帯へと送り出す前に、可視光ギリギリの範囲まで波長を引き伸ばしている。
すなわち、赤。
『夜側』全域に効率よく光を届け、均等に照らそうとした結果、まるで夕暮れのように夜空は赤く染め上げられた。
これが、一つ目の疑問に関する真相だ。
二つ目の疑問については──きっと、すぐに答えがわかるだろう。
ピシリ、と。
庇護の象徴たる黄昏が。
決壊した闇から零れ出るように覗いたのは、巨大な鋏。
推定全長、およそ一五メートル。『クレーター』としては中の上程度の大きさだが、配下どもの二五倍と考えると大したものだ。
それに何より。
目の前のこいつは、存在の密度が違う。
「出てきやがったな──『上位個体』」
二つ目の疑問。
宵闇を払ったことで非活性化に成功している地上の『クレーター』を、どうして躍起になって狩る必要があるのかという話。
その答えがこれだ。
『クレーター』は明るい場所では非活性化するが、同時にその存在が希薄になってこちらからも干渉できなくなる。そして連中は非活性化中も完全に動作を停止する訳ではないため、放置しておけばじわじわと態勢を整えられてしまう。
そして。
『
「起動。
広がる罅割れを先んじてくり抜くように、先輩が辺り一帯を宵闇に引き戻す。
中に残されたのは変形を終えた
「目標を確認。BG-0178、作戦行動に入るッス」
『了解。こちらも支援の準備はできているよ』
向こうから仕掛けてこられることを知っている以上、当然対策だって立ててある。
昨日の戦闘終了からほんの四時間後、夜明け前には既に『上位個体』の座標割り出しは済んでいたし、日が落ちてからはいつ出てきても良いように万全の態勢で待ち構えていた。
本命の戦いに邪魔が入らないように、残りの
後は、おれがこいつを叩くだけ。
そういう状況を作り出してなお、苦戦は免れない敵だ。
『Kriiii……』
暴力的な威圧感に、思わず表情が強張る。
その脅威のほどを正しく理解しているからこそ、生態系において自分が圧倒的に下位だという事実に足が竦みそうになる。
「……いいや、お前らはただの異物だ。いつまでも我が物顔でこの星にのさばってんじゃねえよ」
おれが絞り出した宣戦布告に、応じるかのようにして。
『Kriii──iiiiaaaaaaaaaa‼︎』
『上位個体』、
神話の巨蟹さえ想起させる怪物が、とうとうその全貌を露にした。
直後。
「か、ひゅ……っ!?」
激しい頭痛と耳鳴りに襲われ、一瞬で視界がぼやけていく。
昨日の戦いでも感じた酸欠の症状、しかしその進行速度が桁違いだ。まだ泡を吹く動作すら確認していないのに、全身が倦怠感に包まれている。
思考が乱れ、平衡感覚が失われ、堪えきれずによろめいてその場に膝をつく。
(対等に構えることすら許さない、とでも言うつもりかよ……!)
ぎちぎちと鳴る音は、威嚇か嘲笑か。
待ち構えていた側だったはずのおれをあっさりと無力化した『カルキノス』は、片方だけで三メートルはあろうかという巨大な鋏を悠然と振りかぶり──何の捻りもなく、そのままおれへと叩きつけた。
ガカァッ‼︎ と。
隕石でも落ちたのかと錯覚するほどの衝撃。轟音とともに地面がめくれ上がり、奇しくも本来の意味での『クレーター』のような模様を形作った。
「……やっぱりな」
「
やがて巻き上がった粉塵が晴れ、『カルキノス』も状況を把握したのだろう。おれの方へと向き直り、ぎちぎちと不快げな音を洩らした。
だが遅い。ここまでの待ち時間で、既に仕込みは終わっている。
「
場面に応じて最適なシチュエーションを整える
ヤツの馬鹿でかい甲羅のほんの一部を、一筋の光が照らした。
この程度で『クレーター』が非活性化することはない。これはあくまでスポットライト、ただの目印だ。
そして先程の爆風で巻き上げられたのは、コンクリート片や砂埃だけではない。それに乗じておれが放り投げたトランプもまた、大量に宙を舞っていたのだ。
それらが一斉に、注目を集めた一点めがけて殺到する。
「目覚まし代わりにごちそうしてやる」
『Krrri………………‼︎』
油断、増長、動揺。それらは知性ある者に特有の隙だ。
なまじ『クレーター』の中でも飛び抜けて優秀だからこそ、こいつには駆け引きが通用する。
「先制点だ。まずは一撃、残さず食らっていけよ」
先程の意趣返しと言わんばかりに。
怪物の背に、上から奔流が叩きつけられた。
「ふぅ……」
第一ラウンド、初撃はこちらが先制した。
しかし当然、こんなもので片がつくほど『上位個体』は生易しい相手ではない。
残ったのは僅かな擦り傷。それが今の攻防で得た全成果だ。
だが、傷がつけられるのなら問題ない。
無敵でさえないのなら、取れる手はいくらでもあるのだから。
「とりあえず、賭けには勝ったみたいだな。ここを外してたらけっこうまずかったが」
懸念事項が一つ解消して、おれは小さく息を吐いた。
『上位個体』が配下の
だから、対策も基本的には配下へのものを流用できるのだが……問題は、そもそもこいつの能力にはまともな対策が存在しないという点にある。
必要な元素を
そのレベルでの干渉が可能なら、酸素ボンベなんて持ち込んだところで意味はない。完全に酸素不要の生命体になるくらいでなければ、対策としての効果は見込めない。
その本質は思考誘導、言うなれば一種の精神操作だ。ならば、それを自分に対して使用すれば──強力な
「例えば……
もちろん、ただの人間相手ならこんな手法が成立するはずがない。何をどう暗示をかけようと、低酸素症で肉体がやられておしまいだ。
だが、その肉体をほぼ全て機械へと置き換えているならば。
血液の価値をただの
博打ではあったが、どうにか押し通した。
『Krrriiiia──‼︎』
「さあ……来いよ『クレーター』。もう十分目は覚めただろうが」
そして。
巨蟹が、再び動き出す。
忘れてはいけないのは、こちらはまだ戦闘の土俵に上がっただけだということ。初見殺しによる開幕ゲームオーバーを回避したからといって、ボスが健在であることに変わりはない。
第二ラウンド。
仕切り直しの一手として、『カルキノス』が選んだ行動は──
『Koooo……』
ギュォォォッッ‼︎ と。
辺り一帯の酸素を、手当たり次第にかき集めて凝縮することだった。
おれが無効化したのは、あくまで体内への直接干渉。より正確には、干渉を受けた際に行動不能になるのを防いだだけだ。
地球上の大気の二割を占める酸素。それを自在に操る能力自体を封じた訳じゃない。
『カルキノス』の口角に、無数の白く濁った泡が浮かんでいく。一つ一つの直径が五〇センチを超えるそれらは、恐らくその全てが圧縮された酸素塊だ。
適当に撃ち出すだけでも、下手な爆弾より高い破壊力を発揮するだろうが……
「悪いが、そいつも想定済みだ」
巻き起こる突風に流されないよう踏ん張りつつ、用意しておいた手札を切る。
「
注文の品を迅速的確に運搬する
それを利用して、手元のトランプ束に照準補正を与える。無数の泡の中から最適な数十個を選別し──まとめて投げ放つ。
パパパパパパパパン! と狙い通りの位置をカードが貫いて。
直後、連鎖爆発を引き起こした周囲の泡が轟音とともに弾け飛んだ。
『Kr……krrrrrr』
半ば自爆したような形になった『カルキノス』は、今度こそ確かなダメージを受けたように見える。
この調子で畳みかけることができれば、
基本的に、『上位個体』との戦闘は詰め将棋のようになりがちだ。
一撃でも貰えば即死しかねない脅威だからこそ、事前準備でメタを張りまくって封殺するのが最善手。
ここまではそのセオリー通り、『カルキノス』の攻撃を潰しつつこちらの攻撃を通し続けてきたのだが──
違和感に気づいたのは、さらに数度の応酬を繰り返した頃。
鋏の振り下ろし、巨体による押し潰し、酸素吸引からの泡爆弾。どれも想定済みの攻撃で、確実に対処しながら反撃を加えている。
蟹のくせに正面に向けて突進してきたのには面食らったが、それも初回さえ避けてしまえば他の物理攻撃と大差ない。
『Krrr……rrr……』
満身創痍とまではいかないまでも、あちこちに傷が目立つようになってきた『カルキノス』を油断なく見据えていると。
(……? 何だ、少し肌寒い……?)
雨が降ったとか風が吹いたとか、そういう寒さではなかった。
しかも
ふと視線を向けると、『カルキノス』の脚に薄っすらと霜が降りていた。
ヤツの周りに、冷気が満ちている。だが発生源が分からない。酸素を操る能力で、こんな現象が起こせるとは思えない。
「……いや。まさか」
異物ならあった。
「まさか、あれも──!?」
『Krrriiiis』
思い至ったときには既に、莫大な冷気が周囲を席巻していた。
「……やられた。このために泡を割らせていたのか……」
時間をかけて戦場全域に薄っすらと配置した低温酸素を、大気中の水分を巻き込みながら一気に収束させる。
その結果として出来上がったのは、厚さ十センチを超える氷の牢獄だ。おれの膂力なら、割り破って脱出することは一応可能ではある。
『Krrr……rrrrrrria‼︎』
ただし。
『カルキノス』が次に繰り出す一撃には、確実に間に合わない。
「っ、が……ァァァあああああああああああ!?」
おれを閉じ込めていた氷なんてクッション代わりにもならず。
小柄な少女の身体が、カタパルトのように射出された。
「うっ!?」
さらに連鎖は続く。
吹き飛んでいく先へと高速で泡を飛ばし、爆発させて勢いを殺す。重力に引かれて落下を始めるより先に、巨大な鋏がおれの身体を捕らえた。
「ぐ、が……!」
ぎりぎりという音は、鋏本来の用途によるもの。
すなわち、獲物を締め上げ切断しようとしている音だ。
「さ、せるかァァァああああああああああ‼︎」
数メートル程度の座標移動を行える
『Knooos』
だが、相手は『上位個体』。
知性ある『クレーター』に、一度見せた手はそう易々と通用しない。
「が……あ、っ……!」
あっさりと転移位置を看破され、即座に地面へ叩き落とされる。
そのままの勢いでコンクリートに足をめり込ませ、完全に無防備となったおれ目がけて、覆い被さるように真上から全身で押し潰そうとしているようだ。
これを食らえば、流石におれは死ぬだろう。
多少の欠損なら機械的に修理できる
「……確かに、おれはまんまとお前の策に嵌っちまった」
言い訳のしようもない。
常に相手を上回っていたつもりで、策一つ見抜けていなかったのだから
「
パッ‼︎ と。
今まさに詰みの一手を打とうとしていた『クレーター』を、天からの極光が貫いた。
最初におれが使った『
何せこれは先輩からの支援。この土壇場まで伏せていた起死回生の一手、正真正銘の太陽に匹敵する一閃だ。
おれは、最初から一人で戦ってなんかいなかった。
それを理解していないうちは、ヤツの必殺は必殺たり得ない。
『Kr──、』
照射時間はほんの一秒足らず。それでも効果は覿面で、『カルキノス』は非活性化寸前まで追いやられていた。
照射が終わり宵闇が広がると、すぐにその形を取り戻していくが──他でもない先輩が作ってくれた隙を、このおれが見逃すはずがない。
「
新たに取り出したのはシルクハット。しっかりと被る通常サイズのものではなく、手のひらサイズのそれをちょこんと頭に乗せる。
ウサギの跳躍力に、鳩の飛行能力を合わせて。
足下を蹴り砕いて手早く脱出したおれは、次の一蹴りで一気に数千メートルを翔け上がった。
『
『Kr──rriiio!? Kraaaaas‼︎』
怪物が何かを喚いている。
言葉が通じなくても、そこに今までで一番の動揺が乗っていることだけは容易く察せた。
「考えてみればおかしな話だ」
遥か上空で『カルキノス』と対峙しながら、おれは小さく呟く。
「お前ら『クレーター』は、元はと言えば月の裏側からの襲撃者。
月に空気は存在しない。酸素は土や氷といった形で存在こそしているが、そもそも呼吸をしない『クレーター』には不要なものだ。
だったら、酸素を操るというこいつの能力は何だ? 一体どういう用途を想定している?
有用性がゼロということはないが、『上位個体』にまで至ったような大物が持つほどの能力とは考えにくい。
「なら、お前は──
こいつの性能は、あまりにも特化しすぎている。
ともすれば、本来の生息域である宇宙環境に不向きだとすら思えるほどに。
「ここはまだ大気圏内、それでも地上に比べれば格段に酸素が薄い。おれは大丈夫だが、お前はどうだろうな?」
『Krrrriii……!』
それは、一種の逆転現象だった。
地上に縛られていたはずの人類が
高度一七〇〇メートル。
そこが、先輩が予測したおれと『カルキノス』の優位性の境界線。
現在地点は高度三一〇〇メートル。つまり、残り一四〇〇メートルを落下する間にこいつを倒しきれなければ形勢不利に逆戻りだ。
「だが関係ない。……次の一撃で、決着をつけてやる」
元より、今ある手札の中でこいつに有効なものはほとんど使い切っている。
残る候補は一つ。おれの勝ち筋は、これに全てを賭けることしか残っていない。
「
おれが最後の切り札として選んだ、漆黒のステッキを見て。
『Krrrios──』
それはもう知っている。
最後の最後で手を誤ったな、と。
『カルキノス』が、勝利を確信して嗤ったような気がした。
「さあさご覧あれ、
それでも関係ないとばかりに、お決まりの口上とともにステッキを振るう。
こいつの仕掛けは、急成長する植物の種と石突から飛び出す高圧水流。
蔓を絡ませて動きを封じ、高圧水流で雑魚を一掃しておいて、弾切れと見て油断した相手を本当の隠し弾で狙い撃つ。そういうコンセプトの設計らしい。
最初に飛び出したのは何本もの蔓。
遺伝子組み換えにより僅かな水と光で育つよう改造されたこいつは、上空の薄い大気の中でも何ら支障なく成長を遂げる。
満足に身動きも取れない『カルキノス』はあちこち脚を絡め取られるが、根づく大地がないため拘束力は本来より低い。力任せに引きちぎられる前に、間髪入れず次の一手を打つ。
次の一振りで、高圧水流が怪物の全身を打ち据えた。
本命にこそ劣るが、これだって分厚い鉄板くらいなら両断できる威力は備えた代物だ。
これまでに何度も攻撃を当て、傷ついている部分を集中的に穿っていく。切断にまでは至らなかったものの、あと一押しで仕留めきれるだけのダメージを蓄積させた。
そして三度目。本命の一撃、最高火力たる対物ライフル。
機関砲に匹敵する威力を保ちつつ、立射で撃てるほどに反動を軽減させたとっておきの隠し弾。
彼我の距離はせいぜい二〇メートル。目標の体長は一五メートル。外そうと思ってもなかなか外せる的じゃない。
これを放てば、それで全ての決着がつく。
そう分かっているのに、おれは未だに引き金を引けていない。
なぜならば。
ここまで碌に防御行動も取らなかった『カルキノス』が、口角に大量の泡を蓄えていたからだ。
「……なるほど。大したもんだよ、お前は」
見抜いていたのだ。既に見せた二つはあくまで前座で、その後に伏せている本当の切り札があることを。
ここまでリソースを温存していたのは、この一撃を耐えきるため。
最大の攻撃に最大の防御をぶつけるために、ヤツは致命傷未満のダメージを全て許容した。
「ああ、本当に。──だからこそ、おれの勝ちだ」
最後の一撃を、放つ。
同時、『カルキノス』が蓄えた全ての泡を一斉に起爆させ。
『カルキノス』本体に、ではない。
その脚に絡みついた、水と光で急成長する植物の蔓を掠めるようにだ。
『Krrr──iiaaaaaa!?』
ぐりん‼︎ と。
爆発的な勢いで、巨蟹の体勢がひっくり返る。
泡の防御は見当違いな方向に炸裂し、おれの放った弾丸はちょうど傷の集中していた箇所を貫くように。
そして。
それが決着だった。
「同じネタだって、演出一つで新鮮な驚きに変えてやるさ。それができなきゃ、職業になんてできねえよ」
沈黙した怪物に言い捨てて、おれはしばし自由落下に身を任せた。
今夜もまた、無事に黄昏が戻ってきた。
それは一つの脅威を乗り越えたということであり、未だ大きな脅威に晒され続けているということでもあるが……今は、この赤い空を素直に喜ぶべきだろう。
「お疲れ、よくやってくれたね。……ところどころ見過ごせない感じの無茶をしていたけれど、結果を見れば完勝だ。流石のお手並といったところかな」
「
「そう、それだ。もっと早く私の支援を入れていれば、ここまでボロボロになることもなかっただろうに」
「仕方ないッスよ。あのタイミングまでは伏せとくのがベストだったんスから」
実は最初の一射より前、具体的にはおれが氷の牢獄に閉じ込められた時点で、先輩は支援を入れようとしていたのだ。
しかし、あそこで切り札を切ってしまっては勝ち筋に繋げきれなかった。だからあのタイミングまで待ってもらっていたのだが……どうやら先輩はそれがお気に召さなかったらしい。
「とりあえず、この後はすぐに整備に向かうこと。もちろん病院にも寄って、酸欠の方の治療もしておくんだよ」
「分かりました分かりました、言われなくてもちゃんとやるッスから。おれだって不安材料を抱えたまま明日を迎えたくはないッスよ」
それは紛れもなく本心からの言葉だったが、先輩の表情はなおも晴れない。
「……稲羽クン、明日はともすれば今日以上の、本当の意味での山場なんだ。くれぐれも気をつけてくれよ」
「……分かってるッスよ。俺以外の『ランカー』も駆り出されるでしょうし、こっちはどうにかしてみせるッス」
明日の夜の話、ではない。そんなのは当然のことで、今更改まって警告するようなことじゃない。
それに、『夜側』は常に先輩が君臨している領域だ。この人がいる限り、黄昏の赤が翳ることはないだろう。
だから、山場というのは
先輩が地球の裏側にいる、ある意味で最も手薄なその時間に。
無限にも感じるだろう数分間──