【完結】黄昏教室の最終制服機兵《カタストロフィ》 作:ジェネリック参勤交代
既に、日付は変わっている。
現在午前零時半。あと十五時間後。本日の日本時間、十五時二十一分――おれたちがいる東京は、月から落ちる闇に沈む。
永遠にも続く数分間――なんて言いはしたが、惑星のスケールで見た場合、日食現象自体は日の出から日没までの半日間続く。
そもそも、日食とは「地球に落ちた月の影」だ。
月の影が落ちたエリアでは日食が起こり、影が西から東へ通り過ぎるまでの数分間、日食が続く。
今回の皆既日食で言えば、まず現地時間で午前六時前のインド西部に、半径二五〇キロメートルほどの月の影が落ちる。
月の影はそのままインドの東、ネパールを経て、ミャンマーをかすめながら中国へと移動。朝鮮半島を横切って日本海を経た後、石川県から日本に上陸する。
そのまま、影は富山、
その後は太平洋を横断し、日が沈む海原の真ん中で、月の影は先輩が放つ黄昏の光へと消えていくのだ。
それまでの間、おれたち
だが、幸運なのは守る対象があくまで
皆既日食はおおよそ数分程度の時間で終わる。
これほどの短時間では、
月の影の移動に合わせて高速で移動できる『クレーター』がいればその限りではないが、影が移動する速度はおおよそ秒速一キロ――時速三六〇〇キロだ。音速の三倍近い。それほどの速度で長時間移動できる『クレーター』はほとんどいない。
つまり、日食帯全域をカバーする必要は無い。人々を防衛拠点に避難誘導し、そこに戦力を集中すれば、少なくとも人的被害だけは最小限に抑えることが出来るだろうという算用なわけだ。
それでも、どれだけ人々とその営みを守りきれるかどうかは……まだ、誰にもわからないが。
『本日はついに皆既日食です――』
『完全に太陽が隠れる中心食帯および、日中の光度が黄昏を下回ってしまう食分〇・八九以上の部分食が起こる日食帯では、既に避難が――』
『また天候によっては、それら以外で光度が黄昏を下回る地域も――』
『現地の避難所には大勢の人々が集まって――』
『避難所には専用のシェルターが設けられていますが、不安は大きく――』
少し耳をすませば、そこら中からそんなニュースと、それに関する話し声、噂話が聞こえてくる。
おれは今、自分が担当する避難所――日本国内のあらゆる地下道、地下施設、地下開発拠点を中継・統括する、地下五千メートルを直下に貫く世界最大の地底管理HUB『天之逆鉾』の上層を利用して急遽作られた、超大型シェルターに訪れていた。
シェルターの中は異様なほど明るい。当然、暗闇の中から現れる『クレーター』対策なわけだが、それが分かっていても逆に不気味なぐらいシェルターの中は明るい。避難者たちの表情がこれほど明るくてもなお暗いものだから、ことさらにそう思う。
シェルターの照明自体は『クレーター』を出現させないために必要十分な程度なのだが、避難者が不安感から持ち込んだ多数のライトやランプ、それらが爛々と輝き、病的なほど暗がりを消しているのだ。
照らし出された彼らの不安、焦燥。
雰囲気にあてられつつもどうにか振り払って、防衛担当
中には、地毛を金髪に染めた学生服の男に、セーラー服の小柄な黒髪少女。
その他、何度かお世話になったことのある数人の係員や、整備士さんたちが待機している。
控室の中は機械工場と手術室が合体したような
学生服の男と、黒髪少女については初対面だったが、しかしデータ上では知っていた。ランクはともかく、年齢的には上の相手。それに、前回の『カルキノス』相手の戦闘でも裏で援護……どころか、別の『上位個体』、それも
「
「おう、よろし……って、いや俺は八栗じゃなくて樋野――」
「えっ、でも
「いやそうです俺が
やたらテンパった返事におれは「はあ」と曖昧な声を返す。どうにもテンションの高い人だった。
これで、おれの
「あ、樋野さんもどうぞよろしくッス。相方の八栗さん、なんか緊張してるみたいで大変ッスね」
「だろう? 彼は昔っからどうにも落ち着きがなくってね。もう少しボクのように冷静な振る舞いというのを覚えて欲しいものだよ全く」
「おいコラ」
仲良さげな様子でじゃれ合う二人。その身近な距離感は、慕う相手が上空一〇万メートルにいる身としては何とも羨ましい限りだ。
「それで、キミは何の
「あー、いや、それなんスけど……」
「そういやその
「あー……」
……言い出しづらい。
以前にも言った通り、おれが
しかし、これから始まる皆既日食に際し、
観念して口を開こうとしたその時だった。
『
部屋の片隅に置かれたモニター画面に、一人の女性の姿が半透明に輝いて表示されていた。思わず控室の全員がピタリと静止する。
おれたちの様子に、メイド服なんてまるで似合わない、というか雑用なんて生まれてから一度もしたこともなさそうな豪華絢爛銀髪美女が、はて、と小首を傾げる。
『あら、どうされました? もっと盛り上がってくださって結構ですわよ、何せこのわたくしが直々に連絡を入れているのですから――と言っても、
平然とした顔で告げる絢爛メイド。
「……相変わらずとんでもないッスね、メイドさん」
『あら稲葉くん。いえいえ大したことではございませんわ。メイドたるもの、家事は並列に効率よくこなして当然です。『アマテラス』様には及びませんが、マルチタスクならお任せあれ、ですわ!』
おれの言葉に、モニターに映ったメイドさんが屈託のない顔で笑う。
彼女もまた『ランカー』。それも、まだ
その名も、
現在の太陽系に唯一存在する小国規模の
『通常の『クレーター』相手では難しいですが、
「いえ、助かりました。了解ッス」
実際、おれの
そんな風にメイドさんと話すおれに対し、金髪学生と黒髪女子がぱちくりと目を瞬かせているのに気がついた。
「稲葉? 第三世代?」
「キミが先輩お気に入りの
「……ッス。正直、不本意ではあるんスけど、『クレーター』に殺されかけた時に止むを得ず」
言って、おれは
そこにはもう、身長一九〇を超える巨躯などどこにもない。
今までの大男の胸ほどまでしかない小柄な少女。白い肌は黒のバニースーツと網タイツ、それからぴょこんと跳ねた真っ白いウサミミでのみ覆われ、金色の長髪が室内空調の風に軽く揺れる。
未だに慣れない身体の感覚。わずかに表情をしかめつつ、高くなった声で二人に言った。
「でも、これがなければ死んでたんで、先輩には感謝してるッスよ。あの人はおれの命の恩人ッス」
ほほー、と興味深げにしげしげとこちらを覗き込む黒髪女子と、「……大変だったな……」と強く強く同情した顔の金髪学生。……なんだろう、やたら共感されている気がするのは気のせいだろうか。
『さてさて、連絡事項の残りを言ってよろしいかしら? もっとも、わたくしが少々作業が面倒になって半ば息抜きに通信しているだけなので、聞き流していただいてもよろしくはあるのですけどね? ……ですけどね?』
「聞くッスよ。まだ時間もあるんで」
『では慎んで。まずは先程言った通り、
指を一本立てた半透明のメイドさんは、続けてもう一本の指を立てる。
『次に、今回のナビについて。今回、『アマテラス』様は地球の裏側です。当然ながらガイドは受けられません。ある程度はわたくしが代行いたしますが、黄昏の全域を探知出来るあの方と違い、わたくしが視れるのは監視カメラやセンサー等の「機械の眼」がある範囲に限ります。当然ながら分析・解析も期待なさらず。まあそちらについては
そして最後に、と言いながら、メイドさんが三本目の指を立てる。
『そちらの避難所ですが……雰囲気についてはどういった具合でしょう?』
「……正直、良くないッスね。どこもかしこも不安か焦りかって感じで」
『やはり。では提案を一つ』
そう言って、一度握った手から伸ばした人差し指を軽く振り、メイドさんはウィンクを決めて告げた。
『避難者の皆様を安心させるためにも、その姿で顔を出して上げなさいな、稲葉くん☆
避難者の不安はもうほとんど払拭できた。
ただし、全く慣れない『愛らしい笑顔』なんてものを振りまいたおれの人間性はもうボロボロだった。
「いやいや流石は先輩謹製の
「テメェもう黙っとけ」
「んむぐ」
金髪学生が黒髪女子の口を塞ぐ。正直ありがたかった。
「あー、ちょっと休憩するか、稲葉? まだ休める程度の時間は全然あるぞ」
「いえ、いいッス……。もう日食自体は始まるところだし、いつ非常事態が起きてもおかしくないんで」
「まぁ、それもそうだが。確か、インドの西の方から始まってるんだよな?」
「ラジャスタン州だね。昔は採掘業が盛んだったそうだよ。今では鉱石なんてとっくに彫り尽くされて、火星や小惑星から採るようになったけど、ジュエリー細工についてはまだかなりのシェアを誇ってるね。ま、火星や小惑星の鉱石もいい加減底が見え始めてはいるのだけど。人類の大量消費も極まれりだ」
さらりと黒髪女子が博識ぶりを披露する。流石に第三世代の開発者、相方の方も知識量は十分であるらしい。
「もうじき現地の情報も届いてくる頃と思うが、日食の到達までに送られてきた情報を分析して対処のノウハウをまとめなきゃならないわけだろ? かなり忙しくなるぜ。日本は最後だから他の国に比べればまだ余裕はあるが、それでも逐次更新されていく対処法の有効性を検証するのは現地の人間だ。たった数分、検証しながら対処するほどの余裕があるとも思えねえ。何の進捗もない状態で皆既日食を迎えることになってもおかしくねえぞ」
「ま、そこは
「ッスね。任せました、八栗さん」
「ん、お、おお。そうだな、八栗サンに任せとけ」
金髪学生が曖昧な表情で頷く。
「じゃ、そろそろ俺達も
「えっ、なんでッスか?」
有無を言わさぬ金髪学生に押され、一旦席を外す。
戻ってくると、そこには消防服姿になった黒髪女子と、研究者姿になった金髪青年の姿があった。
「似合ってるッスね、八栗さん」
「ふふ、だろう? 存分に褒めてくれたまえ」
「なんかキャラ変わりました?」
消防女子が金髪研究者の頭をベシィとはたくのを横目に見ながら、ラジャスタンから送られてくる情報を待つ。
数人の係員とともに、八栗が情報機器の前に立った。
ざぁ、と、情報処理系の
日食開始から数分経過――専門機器を使った情報転送から少し遅れて、映像でも現地の状況が送られてくる。
ラジャスタンにはまだ黄昏の赤い光が残っていた。
『クレーター』はほとんど現れることなく、さらに数分経過――カメラが切り替わる。もはや黄昏の光は地球の陰に隠れて彼方だ。ポツポツと通常の『クレーター』や
映像の先では、インドの『ランカー』、
「……少なく、ないッスか?」
「……少ねーな。いつもの『クレーター』の感じからしたら、もっとこう、バーッと出るもんだと思ってたんだが……あくまで俺らからしたらそう思うだけで、実際は真っ暗闇でもこんなもんなのか?」
カメラが切り替わる。影は東へ。
ダイヤモンドリングの日が昇った朝の中、暗闇の中で『クレーター』が湧き出す。
先程よりは多い。いや、徐々に増えている。
しかしその大半がオタマジャクシに似た
平時なら間違いなく脅威的な量であるものの、万全に体制を整えた各国の防備を貫くことが出来ていない――
「……ッ!」
――ぞくり、と。
何か、背筋に悪寒が走る。
確証など何も無い。だがおれは
「……上ッス」
「何?」
「そうだ、地上を映していても意味がない……ああ、クソ、だけど分かったところでどうする……!?」
「八栗!」
「今やってる! クッソ、またステルスしてやがった! 舐めやがって、ヤツら――
カメラが切り替わる。
ステルスを看破する特殊カメラ。それが、地上ではなく、ダイヤモンドリングを纏った太陽に向けられる。そこで――
|
| 画:丸焼きどらごんさん(@maruyakidragon) |
――『上位個体』の群れが、黒い陽の下を飛んでいた。
兎、蟹、トカゲ、ワニ。数十メートル近いとりどりの『上位個体』が征く様は、まるで極彩色の雲霞だった。既に数十を超える数の『上位個体』が、戦闘機並の速度で悠々とダイヤモンドリングの内側を翔んでいる。
百鬼夜行の先頭を、ムササビに似たシルエットで飛行するアレは、ヒキガエルだろうか。
恐らくは月の影が移動する速度と同じ、時速三六〇〇キロ。それが、日食の闇の中に現れた『クレーター』を次々と謎の引力で空に引き上げ回収・牽引し、ひたすらに勢力を拡大しながら東へと飛翔していく。
「おかしいと思った……! 上位個体もいないのに、あれだけ
『上位個体』の群れがポトポトと鳥の糞のように無数の
情報機器の前に経っていた研究者姿の八栗が、やや引きつった笑みを浮かべて言う。
「いやいや参ったにゃあ、これは……。ただ数分耐えれば良い、なんて甘い話があるはずもないとは思ってたけど、とんでもない。これじゃ日本に到達する頃には、
控室内に戦慄が走る。おれもまた、
「……あんな、運搬――牽引? 能力に特化した『クレーター』なんて今まで見たことないッスけど……変種、ってことでいいんスかね」
「うん――仮に、
モニターにヒキガエルの『上位個体』のデータが表示される。
まだほとんどが詳細不明だが、上位個体にふさわしい
『
ヒキガエルのシルエットの横から、ひょいと半透明の絢爛メイドが顔を出す。
『今、非常時に日食帯外で控えていた世界中の『ランカー』が急いで超音速航空機に乗り込んでいます。あなた達もご準備を』
「……来ると思うッスか」
『間違いなく』
確信に満ちた断言だった。
『何せ、この地こそはアレらの怨敵。夜を照らす『アマテラス』様の出づる、世界で最も
今度こそ。
本当の意味で、無限にも感じるだろう数分間がやってくる。
無論、狙いが日本であるという予想が外れ、『ファフロッキーズ』が中国や朝鮮半島に『上位個体』の群れを投下してくる可能性もある。
そのため、日食対処の終わった『ランカー』や、各地の防備をギリギリまで削って捻り出した予備要員の
が、標的は以前として勢力を拡大したまま、ついに日本海上空へと躍り出てきていた。
日本到来前に戦力を削ぐことや敵陣を分断しての各個撃破等も提案されたが、相手は狡猾にして進化する『クレーター』。下手にちょっかいをかければそれこそ対処不可能になる。
加えて、今の時代、アレだけの群れ相手との大規模戦闘が行えるエリアなど、陸地にはない。いくら避難誘導を行っているとはいえ、人類史上初の『上位個体』の〝群れ〟を相手にした戦闘だ。どれだけ戦いの余波が肥大化するか予測がつかない。都市圏に『上位個体』を落とすわけには行かない以上、決戦地が日本海になるのは半ば必然だった。
何せ、ヒマラヤ山脈の頂上付近まで開発が進んでいるような昨今だ。二、三世紀前ならタクラマカン砂漠あたりで『ランカー』勢が待ち構える態勢をとっていたのかもしれないが、今はもう砂漠の緑地化も完了し、到底戦場にはできないような大都市が出来上がってしまっている。
ともあれ、あと十分余り。月の影は日本海から石川県へと上陸する。
それまでに、あの群れを日が差すまでの数分間抑え込む。あるいは、数千の群れの中をかいくぐって、『上位個体』を牽引する『ファフロッキーズ』を撃破する。これを遂行しなくてはならない。
当然、後者の方が容易ではあるだろうが、『上位個体』の群れを放置すれば数分で日本全土に匹敵する面積の環境が塗り替えられる。ある程度の抑え込みは必須だ。
石川県白山市松任海浜公園の遥か沖合いでは、集合した『ランカー』達の防衛拠点となる
「建材追加入りまーす。よいしょー」
オーバーオールにジーンズ、麦わら帽子を身につけた
植えた苗木は恐るべき速度で大きくなり、即座に五十メートル近い大樹へと生長。少女は手に持った巨大な斧を小枝のように振るい、木を伐り倒してそのままスパスパと木材に成形していく。ここまで十秒足らず。
「建材運搬入りまーす。よいしょー」
白を基調とするセーラー襟のついた水兵服を纏った
「建材建築入りまーす。よいしょー」
ツナギの作業服にタオルハチマキ、耳に短い鉛筆をかけた
その他にも様々な職種の
ふと、空を見上げる。飛んでいたのは、月の影を先回りするべく極超音速で浮島へとやってきた航空機。そこから、何人もの
これらはほとんどが『ランカー』――単騎で『上位個体』を撃退しうる戦闘力の持ち主だ。
おれもそれなりに『クレーター』と戦ってきたが、これほどの数の『ランカー』が揃った光景は今まで見たことがない。そしてそれはそのまま今回のミッションの難易度および危険度を表している。
『稲葉くん、樋野くん、八栗さんの三人には、最重要目標である『ファフロッキーズ』の相手を担当していただきますわ』
メイドさんから通信が入る。彼女の方も今回の対処にあたり相当なマルチタスクを熟しているはずなのだが、その負担を感じさせない涼やかな声だ。
「おれたちじゃ空中戦は分が悪いと思うんスけど」
『逆ですわ。空中戦に持ち込まれた時点で任務失敗です。イカサマを見抜く
「いえ、わかりました。そこまで期待されて、応えないようじゃ男じゃねえッスから」
そう言って通信を切る直前、メイドさんから少し微笑んだ気配を感じた。
空を見上げる。太陽は既に半分以上が欠けて、周囲の光量が徐々に徐々に下がっていく。
陽の内側へと
徐々に、徐々に。
食分〇・五。食分〇・六。食分〇・七。食分〇・八。食分〇・九。
そして、ついに――世界が黄昏より暗くなる。
黒い陽の中。
西の空から、堂々と。
月の軍勢が、ダイヤモンドリングの内を飛んでいる――
『■■■■■■───』
相手はカモフラージュを解いていた。
「もうどうでも出来ぬだろう」と、人類をあざ笑うかのように。
だが――
「えー、今回の
『ランカー』達を移送してきた極超音速航空機。そこに、スーツ姿の男が一人残っていた。
「他の『クレーター』が『ファフロッキーズ』に飛行を依存している以上、『ファフロッキーズ』さえ落とせば他の『クレーター』も一緒に落ちていくわけですが、これがまー難しいんですね。なんせ周りにめちゃくちゃ護衛いますし」
くたびれた日本人の男だった。
「億が一、護衛達のディフェンスをすり抜けられたとしても、当の『ファフロッキーズ』自体が攻撃の軌道歪曲を持ってるんで
誰に言うでもなく、淡々とした口調で男は語る。
「いや、隠密性に特化した
男の雰囲気が変わる。
ガシャコン! と暴力的な作動音が響いた。
男の身につけていた黒のネクタイが変形する。拡大し伸長しながら彼の頭部を蛇のようにグルグルと覆う。首まで覆ったネクタイがさらに伸び上がり、マフラーのように、風に流れる!
変化はそれに留まらない! 黒のスーツさえ既に元の形ではない――服の内部に空気を送り込んだかのように、ぶわりと膨れ上がって変形! 手、足、首元! それまで見えていた肌の一切覆い尽くさんと、黒い布が纏わりつく!
没個性的なスーツ姿の男など、既に残っていない!
そこに居るのは、古式ゆかしい和風戦闘装束を纏った一人の影法師!
懸命なる読者の皆々様ならとうにお分かりのことだろう! これこそ! まさしく! 世界に誇る日本の三大文化、その一角――!
「
ぐっ、と、日食に溶け込むような影色の人型が、正眼の構えを取った。
「――これより我が身は
ガッッシャキィィイイイン!! と、凄まじい作動音。
忍者が、さらなる変形を遂げる。
変形は一瞬。
もはや人型さえ残らない。
つや消しの黒で出来た金属製の星。
そう、それは手裏剣。
ここまで来れば説明不要。
手裏剣に変形した忍者が、超音速航空機から射出された。
速い。それは音速の何十倍であっただろうか。分からない。何せ、
完全なる無音、無影。
手裏剣に変形しながらも
目標である『ファフロッキーズ』、およびその周囲の『クレーター』に一切悟られぬまま。
光学迷彩、電磁遮断、空力制御、音響制御、熱測欺瞞。ありとあらゆる擬態機能を用いて、手裏剣は空を飛んでいく。
果たして軌道歪曲能力は働いていたのだろうか。
働いていたとして、彼を捕捉出来たのだろうか。
どちらであろうとも構わない。捕捉出来たところで、意思ある手裏剣は軌道を修正して目標を確実絶対に追尾する。
「――
『────。■、Co?』
『ファフロッキーズ』は、攻撃を受けてなお三秒間、その事実に気づけなかった。
ムササビのようなシルエットを構成する、飛膜のついた前足。
それが完全に切断されていた。
『GE■ooooォォオオオ――――!?!?!?』
墜ちていくヒキガエル。
「周囲の『クレーター』を牽引する謎の力学的作用とは違い、貴様の飛行能力についてはあくまで空力によるものであると調べはついている。すぐに再生なり何なりするのだろうが、少なくとも地上まではこのまま真っ逆さまだろう。我が任務、これにて完遂である」
ガシャン、と変形音を立てて忍者は再度人型に戻る。
もはや周囲の『クレーター』を浮遊させる要因は無い。
『ファフロッキーズ』に続くように、他の『クレーター』も次々と海面に落ちていく。
この空域に残る物は何も無い。
だが。
「…………」
忍者は無言でクナイを構えた。
『
響いた。声が。何も無い虚空から。
「……何者だ、貴様」
『だーからやめとけって。仮想上級職だかなんだか知らねーが、俺とオマエじゃ規格からして既に違ェ。見なかったことにしろよ忍者、それがお互いに取って最善ってやつだ』
「――――」
ガシャコン! と音を立てて忍者が再度手裏剣に変形する。
『あーあーあーマジかよクソが。そりゃ見つかった俺にも責任の一端はあるけどよぉ、先生が見逃してやるっつってんのになんで素直に応じてくれねえかなぁ、これじゃテストにならねぇだろうが』
「ぬかせ。憶測だが、あの『牽引』も貴様の仕業なのだろうが。何せ――『ファフロッキーズ』の能力は自分と同種だ。対象範囲の違いはあるようだがな」
手裏剣がギュルギュルと回転し、加速し、無音になり、無影となる。
『――ヘェ。大したもんだあの一瞬でそこまで見抜いたか。だがな』
もはや誰にも忍者の姿は探知出来ない。音速の壁を静寂のままぶち破り、見えない相手に向かって金属製の星が放たれる――
『力量差が見抜けてない時点で赤点だ。――
だが――
「なのに、反応が途絶したってどういうことッスか?! 一体、空で何が……!」
『調べています! 今はこちらに任せて、あなた達は警戒を! 来ますわよ!』
メイドさんからの通信音声を遮るように、轟! と大量の『クレーター』達の風切り音が上空から響く。
『■■――、■■■■!!!』
連中の初手は、豪雨のような
通常の『クレーター』に比べれば矮小・小型とはいえ、五〇センチは下らない質量弾の礫。
しかし、それに対し悠々と、一人の男が浮島の中心に立つ。
これぞスーパーマンと言った面立ちの、筋骨隆々のアメリカ人だった。
彼が手に持つは金属バット。まるでバッターボックスに立つかのように、ゆらりとバッティングの構えを取る。
「
そして、彼の身体が野球選手のユニフォームに包まれた。
迫りくる
カキィィィイイイイイン!! と甲高い音を立てて、
『■■――――!!』
バットに打たれた
当然、ただのホームランではない。打ち返された
そこから先はビリヤードだった。衝突は次から次へと連鎖し、
「
『■■■■――――』
続く通常の『クレーター』達は、浮島を避けた。
まずは海面へ。馬鹿正直に
だが。
「『クレーター』さん達が渦潮入りまーす。よいしょー」
『■■■■■■■■――――――!?!?!?』
白を基調とするセーラー襟のついた水兵服を纏った
現在の火星には二つの人工海洋が存在する。
これらの海では地球から持ち込まれた様々な水生生物が育成されているが、地球と全く環境の違う火星では、すぐに海流が偏り、生物の棲めない濁った水域が生まれてしまう。
そのようになった水域をかき混ぜ、水を濁らせないような新たな海流を作成する。このために作られたのが、海洋撹拌・海流作成目的
『グ、■オォオオオオオ!!!』
「わぁ」
とはいえ、大人しく渦潮に飲まれるばかりの『クレーター』ではない。
「所詮は数分、出し惜しみは無しだ。
ガキィン! と、ワニ型『クレーター』を巻き込んで、水面が凍る。
そのまま、身動きの取れなくなったワニを、
「たすかりましたー」
「気にすんな坊主」
「おーい今の九割私の手柄じゃないかなー?」
「黙れメガネ。それに、こっからは他人を気遣う余裕もなくなるぞ!」
空を見上げる。ヒキガエルの『ファフロッキーズ』を守るように先んじて
『wereeeeee……WooooooLLLLLLL!!!!』
巨大狼の口元に集まったのは、まるで月光のような青白い光。
「ビームッス、回避! 受けたら即死!」
「マジかよ……っとぉ!」
月光のビームが海面に着弾する。
着弾箇所から湧き出したのは、無数のオオカミ型
「オオカミ型『上位個体』、
『了解いたしましたわ、っと……! おや、もしかしてこれって思ったより遥かに重労働なのではありませんこと?』
先輩のサポートの有り難さと、それが無い現状の厳しさを実感する。『アマテラス』の強みは、探知・解析・ナビゲート以外にも、
「右だ、稲葉!」
「っ――」
勘を頼りに後方へ飛び退る。
おれの鼻先を何か緑色の物が高速で掠めていった。
「竹、だと!?」
ギャリギャリギャリギャリ!! と植物とは思えない音を立てて、緑色の竹型『クレーター』が伸長する。無数に枝分かれし、先端を尖らせ、手当たり次第に襲いかかり、幾人もの
「こんにちはパンダです」
そしてその竹にパンダの着ぐるみを着た女性が齧りつき、圧し折った。
今の時代、宇宙ステーション内で飼育される動植物も珍しくない。
しかし、宇宙という特殊な環境下で生育される彼らは、様々な要因でストレスを貯めてしまう。
それを解決するのが、動植物の診断・解析および限定的な意思疎通を行える
「しかし相手はどうぶつしょくぶつ。時にはこちらも獣とならねば真のフレンズになれぬ日もある。
次々と竹を圧し折っていくパンダウーマン。
しかし、竹はまるでダメージを受けた様子もなく爆発的な伸長を続けている。
「パンダさん! 竹を攻撃してもダメージは無い! 本体は竹の中に入った小さな『上位個体』で、内部を高速移動してるッス! わずかに光ってるんで、探知系の
「なんと。感謝するぜバニーちゃん」
竹型の『上位個体』、
「ジャスト! ちょうどここが墜落予想地点だ! 軌道歪曲が機能しているだろうが、落下中ならワンチャンあるかもしれない!」
「了解ッ!
消防女子が大口径の銃にも見える散水ノズルを、落ちてくる『ファフロッキーズ』へと向ける。
「間違っても弾き飛ばすな、これ以上アレの落下時間が伸びれば前足が再生、その後飛行で逃げられる!」
「わぁってる、っつの!」
ノズルの手元のダイヤルが捻られる。
ドゥッッッ!! と。
『――――』
そして、ヒキガエルはろくな抵抗も出来ぬまま、その身体を撃ち抜かれた。
「軌道歪曲が機能してない! やったか!?」
「やってねえッス! ほら!」
おれたちが見上げる中、『ファフロッキーズ』――が囮として作った、
「っ、なら、どこに――」
「迷彩能力だ! アイツ、カエルというよりはカメレオンに近い!」
金髪研究者が叫ぶ。
唐突に大きな水飛沫が上がった。まるで、見えない巨大な何かが水面に落下したように。
「『
水飛沫が凍りつく。だが遅い。『ファフロッキーズ』はカエルめいた跳躍力で大きく跳び上がり、再度飛行の態勢に入っている。姿は見えないが、おれは
「逃がすかよ」
理解していたから、
取り出したるは紳士が持つような一本のステッキ。それを、わずかに姿を現した、おれの下にいるヒキガエルへと突きつける。
「
『■E■o――』
ステッキから飛び出した無数の蔦が、カエルの身体に絡みつく。
「せぇ――――のぉッ!」
続いて噴き出す高圧水流。おれはそれを、ステッキを振り回すためのスラスターとして利用した。
蔦が絡んだままのステッキを、水流噴射の反動を利用して一回転。海面へ、再度『ファフロッキーズ』を投げ飛ばす。
『■■■Cooo――』
投げ飛ばされた『ファフロッキーズ』は、追撃を受ける前に再度カモフラージュを発動した。カエルの姿が薄れていく。
また透明化される前に、おれはステッキを照準する。
機関砲に匹敵する威力を保ちつつ、立射で撃てるほどに反動を軽減させたとっておきの隠し弾――最高火力たる対物ライフル。
「あいにく短期決戦だ。ろくな演出も無くて悪いが、これにて閉幕だ、お客様!」
蔦が命中した以上、軌道歪曲が機能していない可能性は高い。加えて、
一切の容赦なく、引き金を引いた。
『――Ge■o』
「なッ」
ぞぱんっっ!! と。
何かにぶつかるような音がして、隠し弾が弾かれた。
「クソ、やっぱり軌道歪曲が機能して――、いや、違う」
今のは確実に、見えない何かに弾丸が弾かれていた。
おそらくはカモフラージュ能力によって迷彩化した〝何か〟による防御。
「かかり過ぎるな稲葉!
「っ、了解ッス……!」
そうだ。視野を狭くしていては見抜ける策も見抜けない。
より広く――大局的に盤面を把握する。これまでの違和感を元に、戦略を構築する。先輩が作った
「行くぜ、カエル野郎――ッ!」
消防女子がヒキガエルへと躍りかかる。
『GeC■G■CoGe■oG■CoGeC■Ge■o』
振りかざされた消防斧に対して『ファフロッキーズ』が応じるは、カエルの舌だった。
まるで触手のように伸びるピンク色の一撃。消防斧はその切れ味をぶにょんと殺され、舌にあえなく弾かれる。
「っと――! ふざけんなよ、俺の触手プレイとか誰得だっての! 舌なんて所詮は一本だ、いくらでも躱しようが――」
「あっ、クソ、しまった! 樋野さん、そいつ
「は? っひ、んにゃぁああああ――っ!?!?」
何か、粘性の液体に塗れるような音をさせながら、消防女子が見えない触手に吊り上げられた。
「八栗さん!」
「このままながめているのもいいか」
「八栗さんッ!!」
「冗談だよ。五秒前に『迷彩』の解析完了。既に対処した」
金髪研究者が軽く海面を足で叩く。
それと同時に、いつの間にか水面下に散布されていたのだろう極彩色の液体が、波となってヒキガエルを飲み込んだ。
液体には粘性を中和する効果もあったのだろう。消防女子が舌から解放され、水面にぼちゃんと落ちる。
同時に、液体に塗れたカエルが、その全身を顕にしていた。
「……なるほど、まるでタコだ。一本は先の対物ライフルで吹き飛んでいるが、それ含めて八本も舌がある。完全に異形だな」
左右それぞれの前足と後足の間に皮膜をつけた、ムササビのようなシルエット。そして、ベロベロと不気味に伸びる八本の舌。もう、これをヒキガエルと呼ぶのは地上のあらゆるヒキガエルに失礼だった。
「……というか、こいつ本当に『牽引』や『軌道歪曲』なんて持ってるんスかね。明らかに『迷彩』に特化している上に、『高速飛行』『特殊器官』。いくら『上位個体』とはいえ、一個体がこれほどの能力を持つのは無理があるッスよ」
「はぁ、はぁッ……! わ、わからねーが、あるならもっと使ってくるはずってのは、同意、だ……!」
息を切らしながら消防女子が水面に顔を出す。流石に本体性能の高い第二世代、さほどのダメージは受けていない。
「おれも樋野さんに同意ッス。……となると、少し作戦を変える必要があるか。八栗さん、何か相手の身体に貼り付けるような
「ただの強力接着剤ならすぐにでも。
「オーケー。賭けに出るには十分なカードッス」
この先の
「さて、この薬液もそう長く保ちそうに無いな。次が来るぞ――」
「なら安心してください」
『Ge■o』
「――次で決めるッス」
とっさに二人の手を引いて空中に跳び上がった。
そのまま胸元から取り出したトランプを投げて、水面下から忍び寄っていたオタマジャクシ型
そして、それはミスディレクション。ヤツは自分の
「樋野さん、スラスター!」
ドウッッッ!! と、散水ノズルから拡散して噴き出す水が、反作用となっておれたち三人をジェット噴射させる。突貫する先は当然、逃げ出そうとする『ファフロッキーズ』。
腕を思いっきり引っ張られた金髪研究者が、慌てたように叫んだ。
「ちょ、これ、手握ったままで行くのかい!?」
「まだ相手の奥の手が残ってるんスよ! おれが読んだヤツの本命は、
おれの言葉を聞いたヒキガエルが慌てたように加速するが、もはや遅い。
「
場面に応じて最適なシチュエーションを整える
既に相手の透明化は完遂しているが、透明な〝何か〟をスポットライトの光が照らしている。
「八栗さん! ――を、――で、――!」
「それは――、ええい、どうとでもなれッ!」
アンダースローで軽く投じられた、薬液の中に金属のリングを浮かばせる八つのフラスコ。
それが、おれの照らしたスポットライトの光に向かって勢いよく殺到する。
ヒキガエルが舌でフラスコを叩き落とそうにも、ヤツの舌は現在七本。八つのフラスコを撃ち落とすには一手足らない。
最後の八本目が飛んでいく。
このまま的中すれば、アレは――
『――G■Co』
――直前、薬液そのものが透明化された。
フラスコの砕ける音が聞こえる。
確かに、薬液はヒキガエルの身体に的中しただろう。だが、いくら相手を彩る薬液が入っていたとしても、薬液そのものが透明になってしまってはどうしようもない。
『■■■■cococoo!!』
「ぐぁっ!?」「がっ……!」「くぅっ……!?」
あざ笑うような『ファフロッキーズ』の声。
追撃とばかりに不可視の舌が俺たちを打ち据え、手を離させる。同時に、先程言った言葉通り、おれたちの方も透明化させられ、ろくな連携もできなくなった。
手元を見ても、自分の手すら見えないという凄まじい違和感。平衡感覚さえ、あやふやになりそうだ。
もはや自分たちの姿も、相手の姿も何も見えない。
不可視になった『ファフロッキーズ』はそのまま音速の三倍まで加速し、東の空へと飛び去っていった。
「いや速い速い! このカエル速すぎる! 何、生身での――生身じゃねえけど、マッハ三ってこんな世界なの!?
「(声でけえッス樋野さん! 気づかれるから小声で! つーか通信でやり取りしましょう、もう!)」
そしておれたちは、その『ファフロッキーズ』の身体にピッタリと張り付いてきていた。
なぜ一度は引き離されていたはずのおれたちが、ヒキガエルの身体に張り付いているのか。
その原因は、ヒキガエルの身体に貼り付いた金属のリングにあった。
今は透明化しているために見えないが、先ほど
「(
「(だよな……。いやなんで成功してんだ? 『ファフロッキーズ』が透明化した物を、『ファフロッキーズ』自身が見れないなんて保証もないわけだし)」
「(相手を透明化出来て、自分だけがそれを可視出来るなら初手でやってきてるッスよ。そうじゃない時点で『ファフロッキーズ』に透明視能力がないことはほぼ確定ッス)」
小声で喋りながら、マッハ三で飛ぶ『ファフロッキーズ』の体表を慎重によじ登る。幾度か攻撃した時の反応で分かっていたが、やはりこのヒキガエルは体表感覚に鈍い。
「(仮にそれで『
「(
「(……なんつーか、賭けは賭けなんだけど賭けにありえないほど強くなれるっつうか……いや、なるほど、だから
「(でも、俺の策のせいで二人が余計なダメージ負ったのは謝罪するッス。すいません)」
ぺこりと頭を下げる。頭部のウサミミが揺れた。
「(まぁそこは気にしてねえよ。ここまでして『ファフロッキーズ』を追跡したからには、ちゃんと狙いがあるんだろ)」
「(はい。さっきも言ったッスけど、ほぼ間違いなく『牽引』と『軌道歪曲』は『ファフロッキーズ』の能力じゃない。実際、こうして飛んでる今も、他の『クレーター』はコイツに引っ張られてねえッスし。つまり、『牽引』はヒキガエルの『迷彩』で透明化していた〝何か〟の能力によるものッス)」
そう。あくまでおれたちの最優先目標は「『上位個体』たちを牽引していた『クレーター』」だ。『ファフロッキーズ』がそうでなかった以上、コイツを倒すより先にそちらを見つけ出す必要がある。
「(きっと、『ファフロッキーズ』はそいつのところに戻っていくッス。今回初めて確認された
『
虚空から声があった。乱暴な、男の声。
「――――」
『あぁ? なんだよわざわざ〝何か〟っつってんだからただの『クレーター』じゃねえのは直感してたんじゃねえのかよ。それともまさか話しかけてくるとは思わなかったってか?』
少しずつ、見えない何者かの『迷彩』が解けていく。
黒。
黒い、男だった。光を飲み込むようなダークスーツの。
声音通りの粗暴な印象。しかし底冷えするような鋭く暗い瞳。ただの暴漢には出せないものだ。
長身だが痩躯であり、鍛えているようには見えない。が、油断が出来る要素も無い。同じ大気を吸っただけで、総身が侵されそうな近寄りがたさ。
男の透明度がゼロになる。気づけば、おれたちと『ファフロッキーズ』の透明化も、いつの間にか解かれていた。
「――誰ッスか、アンタ」
「誰、ねえ? よく漫画だの映画だので怪しい相手に誰何するシーンあるけどよぉ、怪しい相手に自己紹介されたところで信じられんのオマエ? 知りたきゃ俺じゃなくてそこの変態に解説してもらえよ」
そう言って、男は金髪研究者の方を見た。
「っ……」
「久しぶりだな八栗。つーか何だその格好。アレか? オマエは俺をツッコミキャラにしてぇのか? 殺すぞボケ。俺はテメェの異常性癖を満たすために
「……お久しぶりです、
冷や汗をかきながら、金髪研究者が声を返した。
「先、生?」
「……稲葉クンは知らなかったかな。ボクと『先輩』が所属していた、高天原高校内に存在する世界最先端の
「な――」
思わず口を開ける。
八栗さんが先輩と同級生だったというのも初耳だし驚きだが、先輩が、あの男の生徒だった? いや――いやそれ以前に、あの人に何かを教えられるような人間がいたということが信じられなかった。
そばで聞いていた消防女子が消化斧を担いで男を警戒する。
「で、そのお偉い先生がこんなところで何やってやがんだ? まるで、アンタがあの『クレーター』の群れを『牽引』していたみてーな話し口だったが」
「あぁ? 教師がやることなんて一つだろうが。
平然とした顔で男は語る。緊張を走らせるおれたちの顔を見ながら、黒い男はクツクツと笑って、眼下で戦場となっている日本海へと視線を移らせた。
「まあ、あの分ならひとまず及第点だろ。見事だぜ『ランカー』諸君、キミたちがいる限り人類もまた安泰ってな。いやぁ『カルキノス』やら『ラセルタ』やら、あの辺の特殊個体をわざわざ月の裏側から持ってきた甲斐があったもんだ! 進捗はギリギリになったが、テメェらのおかげで日食の前日中に特殊個体の対処ノウハウも確立出来たしよ!」
『カルキノス』。『ラセルタ』。先日のあの戦いさえ、この男は自分の差し金だと言うのか。
「何を……、何が目的だ、アンタ」
「目的か。目的ね。逆に聞くが、
語る男の口調には徐々に怒りが滲んでいく。
言葉を聞くだけならば『クレーター』との戦いを終わらせたいという意思であるように思える。いや、そうしたいのだろう。なのに、そこに含まれる感情が黒過ぎる。
激憤に憎悪、そして呪詛。希望や平和を望む意思がまるで感じられない。
「俺の目的は
「……聞き方を変えるッス。
「『
一瞬の迷いもなく、男は言い切った。
「
男の言葉を遮って、放水砲とトランプとフラスコが飛んだ。
ゴパッッッ!! と、轟音が響く。並の
だが。
「軌道歪曲……!」
攻撃が逸れる。水の流星は曲げられ、トランプは逸らされ、フラスコはあらぬ方向へ飛んでいく。
「おいおい、講釈をせびったのはテメェらだろうが。先生の言うことが気に入らねえからって駄々こねてんじゃねえよジャリどもが」
「黙れオッサン! 最終制服機兵だか何だか知らねえが、完成させてえんなら一人でやりやがれ! 自分じゃ出来ねえからって先輩に頼ってんじゃねえよ!」
胸元からカードを大量に取り出し、男の周囲を埋め尽くすように勢いよくぶちまけた。
そして、
「頼る? 頼るか。その表現は正しくねえなウサギちゃん。これは元々アイツが始めたことだ」
男がカードの一枚に指を向けた。その軌道がわずかに逸れ、別のカードの軌道を変え、軌道を変えられたカードがまた別のカードの軌道を変え、まるで
「重力操作――いや、引力操作か。凄まじい精度だが、しかし、これは……」
金髪研究者が冷や汗を流ししつつも興味深げに呟いた。
それが聞こえているのか聞こえていないのか、黒い男は訥々と、諭すようにおれに向けて語り続ける。
「他惑星での資源採掘は資源枯渇に悩まされていた人類にとって、宇宙開発政策は大きなブレイクスルーになった。今の時代誰でも知っていることだ。だが、それは根本的な解決だったか? 宇宙時代、なんて呼ばれてからどれだけの時間が経ったと思ってる。
「何の、話だ……!」
「結論を急ぐなよ。珍しく俺が授業をしようって気分になってんだからよ」
消防女子が消化斧を持って躍りかかる。
斧の軌道も逸らされ、おれたちの足場となっている『ファフロッキーズ』の背中に深々と刃が突き刺さった。
『■eco――!!!』
「うるせえな」
「ッ!!」
男が軽く手を振り下ろす。それまで飛行していた『ファフロッキーズ』が、地表に向けて謎の力で引き寄せられていく。
高速で落下していくおれたち。
激突する前に飛び降り、樋野さんの噴水ジェットで勢いを殺して軟着陸した。
「結局、変わらねえんだよ。宇宙時代の前も後も。誰かが世界の資源を食い潰し、次の誰かが必死になって資源を掘り当てる。後のことは後の誰かがどうにかするの繰り返し。そして、現代の『後の誰か』になったのがアイツだった。いつか資源の尽きる太陽系から、どうにか資源を引っ張ってこようと名乗り出た」
男は海面に立っている。樋野さんが曲芸じみた放水で男の足元から水を噴き出させ、八栗さんがそれを凍らせるが、もはや防御もされない。男はいつの間にか俺たちの背後に回っている。
「地面を引力で掴んで加速したか! 射程距離が、長い……!」
「つーかそもそもだ。テメェら全く疑問に思わなかったのか? 地球の環境を改変させる『クレーター』がテラフォーム型、なんて呼ばれていることに」
「だから、お前はさっきから何を……!」
「おっかしぃよなぁ? なんで地球を
男がこちらに向き直る。この世界全体を示すように大仰に手を広げ、そして言った。
「
「は、あ――? 地球が改変されてるって、そんなの、どこの誰がどうやって……!」
「決まってんだろ。ウサギちゃんが先輩先輩って懐いてるアイツだよ。地球の表面を全て覆うような無限の都市圏も、
目を見開く。思わず、身体が止まった。八栗さんと樋野さんも、いつの間にか、黙って男の話を聞いていた。
「つまりは
それこそが
全ての
「――――――」
もう、言葉なんて出なかった。
「まずもって、『クレーター』の出現が最初から分かってたわけでもねえのに、都合よく人工太陽
「な、ん……」
「そして、太陽を置いていくのと同様に、月もまた地球から置いていかれる。『クレーター』共の生態がどういうもんかはまだ分かってねえ部分が多いが、まあ地球がなくなっちゃあ環境が激変するのは間違いねえよなぁ? 絶滅しても全くおかしくないほどにはよ。アレに生存本能、なんてのがあるのかはしらねえが、あるとするなら人類なんてブッ殺して地球を元に戻そうとしても何も不思議じゃねえわな?」
「…………」
機械化された心臓が、壊れたように心拍数を上げている。
聞いてはいけないことを知ったような、世界の真実を知ったような、全ての真相を知ったような、何も知らなかったことを知ったような、恐ろしさ。
「そして、太陽の代わりを用意している以上は、月の代わりだって当然用意されているわけだ」
「ッ、稲葉、八栗! すぐに伏せ――!」
「――
月の暴虐が吹き荒れた。
地球の潮汐力が操作された。高波に飲まれ、凄まじい水の衝撃に遥か彼方へと吹き飛ばされた。
地球の大気圏流が操作された。スーパーセルが日本海を覆い、M7クラスの暴風が俺たちを蹂躙した。
地球の自転が操作された。大地が衝撃に揺れる。何かが起きて、俺たちのパーツの大部分が吹っ飛んだ。
規格が、違う。
「――いずれ、
凄惨たる有様を晒す日本海で、新たな月となる黒い男が一人、立っていた。
「日和見は終わりだ、『アマテラス』。全てを終わらせる研究所・
月の影が、日本海を過ぎていく。
日食の終わりとともに、男は何処かへと消えていった。