【完結】黄昏教室の最終制服機兵《カタストロフィ》 作:ジェネリック参勤交代
そもそもの話。
上空一〇万メートルを音速越えの速度で飛び回る第二の太陽をどのようにして確保するのか、だ。
直接捕まえに行く? 否だ。
壁でも作ってぶつけて減速させる? 否だ。
直接的に確保する手段はいずれも不可能だ。通常の
なら、同規格である
可能である。
ではどうするか。実に簡単なことだ。
わざわざこっちから向かっていく必要はない。
男の目の前で、
海流渦巻く大海原の下から現れたのは、5つの建築物。
地球全体を覆う無限の都市圏、その一つ。海底都市に偽装されたオブジェクトが、その全貌を露わにする。
台形の土台に五つの柱。出来損ないの剣山のようなそれが質量保存の法則を無視したような風に変形していく。
組み替えられ、重なり合い、構築され、一つの形を作り上げる。
それは巨大な腕だった。世界で最も大きな山脈ですらその前では霞んで見えるほどの巨大な腕。それが、天に登る太陽すら掴まんと聳え立つ。
岩のようにみえるそれは、すべてが演算装置の塊だ。1㎝四方だけで並のスパコンを軽く凌駕する性能を持つ。
これこそが
高天原高校、その屋上。眼前に広がる異様な景色に対し、
りんごが木から落ちるように、1+1が2のように、あるべきものがあるべき姿になったというだけの感情だけを込めて。
「舞台は整えた。テメェはテメェの課題をやりやがれ『アマテラス』。提出期限はとっくの昔に過ぎてるだろうが」
「夕日ってさ、なんで赤いと思う?」
暁を背に立ち、影に覆われた先輩の表情はほんの少しも窺えない。
手を後ろに組んで、どころか平坦に呟かれた言葉に違和感を感じながらも、それをおくびにも出さない声色をイメージして返す。
「光の屈折ッスよ。太陽が沈むとき、光は地表近くを通っておれ達の目に届く。すると不純物が多いから、赤い波長の光しかおれ達の目には届かないんス」
「そうじゃなくてね」
頭の中で、なにかが鎌首を擡げる。
ずきり、と。
こめかみが僅かに痛む。
「観念の話さ。なぜ私たちは、夕日を『赤』と感じるのか」
「…………」
「青でも、緑でもよかったじゃないか。なのになぜ、炎のような、血のような、怒りのような赤色だったんだろうね」
違和感? 既視感?
言葉にすらならない『何かがおかしい』という感覚が頭の中でとぐろを巻く。
思考が空回りする。
まとめようとした考えが、意識した瞬間に霧散する。
「夕日はね、映しているんだよ。あの日の赤を」
窓枠が作り出す格子のような影の中、先輩は感情の色が感じられない平坦な声で続ける。
「ねぇ、稲羽クン───」
空の
太陽の最後の光、その一滴がビルの谷間に飲まれ、地平線の彼方へと消えていく。
「デート、しよっか」
「アハハハ! ねぇ、次はどれに乗る? そうだ、あのコーヒーカップとかどう? 『最新鋭の技術を応用し反重力装置による三次元的な回転でお客様を未知なる旅へお届けします』……だって! なんかおもしろそうじゃない?」
「ちょ、せんぱ、先輩! す、少し休憩させてくださいッス!」
そう。おれたちは遊園地に居た。
夜のとばりが落ち、街灯とイルミネーションに照らされる人類の遊びのためだけに作られた観光施設を、先輩に手を引かれる形で人混みの中を歩いていた。
「えぇー! まだちょっとだけ絶叫マシーンに乗っただけじゃん、もっと気合い入れなさいよオトコノコ」
「10回連続も同じジェットコースターに乗るのを
ぐわんぐわんと揺さぶられた三半規管、きらきらと笑う先輩の顔がぐるぐると視界を回る。
えげつないスピードで急加速、急減速を繰り返すコースターで小一時間断続的に揺られ続け、隣の先輩と叫び声を上げた結果、口の中はこれ以上ないってくらい乾いてしまっていた。
地面を踏む感覚がおぼつかない。
ややグロッキーな状態になってしまったが、そんなおれの姿さえ面白いとでも言うように、先輩は変わらず太陽のように眩しい笑みを浮かべて手を引っ張っていく。
ふと、おれの体を引っ張る力が消える。
思わず先輩を見る。
心の底から楽しそうなその笑顔。それに、少しずつ観覧車の影が掛かっていく。
つきん、とこめかみが痛む。
「───、さぁ、時間は有限だよ、休んでる暇があったらもっともっともーっといっぱい乗ろう! 君が望むなら別のアトラクションでもさ!」
「わかりました! わかったんでひとまずジェットコースターだけは勘弁してくださいっス!」
そこからまた時間が過ぎて。おれたちは観覧車の中にいた。
ごうんごうんと、巨大なものが回転する音が演出され、不定期に席が揺れる。
先輩に加え身長一九〇を超えるおれを納めても少し広く感じるほどの大きさのゴンドラの中、向かい合うようにして二人で座る。
「
下方に消えた遊園地。その光が途切れ、宇宙の闇に満たされた広大な黒の中に散りばめられたような星。闇の中にぽっかりと空いた穴のように宙へ浮かぶ月。
見慣れたような、あるいは久しぶりに見たような感覚。
ずきん、とこめかみが痛む。
「こういう時はなんて言うんだったっけか……そう、稲羽クン。『月が綺麗だね』」
「っ!?」
「アハハ! 冗談だよ、冗談。そんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしないでくれ。……冗談さ」
「……別に、そういうわけじゃないっスよ」
こちらを見ていたずらっぽく笑う先輩と見つめあう。
その表情に、さっと影が差した。
「……実のところ、だ。これは正直に言ってくれていいんだが……今日はどうだったかい? 迷惑、だったりしなかったかい?」
「そっすね。まぁさすがにジェットコースター地獄の20連は堪えたっすけど」
「うっ」
「でも楽しかったっスよ。先輩との時間は」
「! ……そ、そうか。私も……楽しかったよ」
星明かりに照らされた先輩の頬が、恥ずかし気に染まり、ふいっと視線がそっぽを向く。
それに釣られて思わずこちらの顔に熱が集まるのがわかった。なんだか恥ずかしいことを口走ってしまったような気がする。
普段は一方的にこちらを揶揄ってくる先輩だが、こういった反応を見るのは珍しい。新鮮な先輩の反応につい目を向けてしまう。
居心地の良い沈黙があった。
ごうんごうんと、揺れる観覧車。それが頂上に近づき、その中は宵闇に染まり、星と月のわずかな光だけが窓から差し込む。
緩やかに流れる時間。これほどまでに平和な時間が久しぶりに感じた。
「こんな───、」
先輩が少し言いよどみながら、ぽつりと呟く。
「こんな時間が、永遠に続けばいいのにね」
そうっすね、と。息を飲み込むように答える。
僅かに、先輩が身じろぎをする。
こめかみが痛む。
『こんな時間が永遠に続けばいいのに』。
先輩が呟いた言葉は、まぎれもなく、おれの本心でもあった。
朝起きて、学校に行って、授業を受けて、先輩と会って、過ごして、そして一日が終わる。
たまにこうやって出かけたり、遊びに行くのだっていいだろう。
特筆すべき大きな出来事なんかない。だけどそれでいて平和で満たされた時間。
「でも、ダメっスよ───」
そう、ダメなのだ。このままでは。
抗いがたい日常への欲求。それに従ってたほうが、これからの未来楽だっていうのはわかっている。
でも、ダメなのだ。
「
ビシリ、と。先輩が固まる。
まるで親と約束したことを破ってしまい、それを自覚した子供のような表情。
同時に、こめかみを一直線に針のような痛みが貫き、風景が一新される。
観覧車は崩壊し、遊園地はノイズで塗りつぶされ、夜空は黄昏へ、月は消える。
後に残ったのは、不自然に黄昏へ染まった空に、モノクロの教室。
言われなければ、いや、言われても気づけないほど精密に作られ、それでいて無機質な電子世界。
自分の姿もいつの間にかバニーガールの姿へと変わっていた。
世界規模の3Dマップ。先輩はこれを使って黄昏下のおれたちを支援してくれていたのだろう。
「……いつから気づいてたの?」
バツが悪そうにつぶやく先輩。その表情は背後から差し込む夕焼けの逆光に溶け込んで窺えない。
「最初っからっス。教室に居たときには、もう」
「……はぁ、さすがは
そして黙り込む。窓から差し込む黄昏が無機質に教室を照らす。
「なんでこんなことを?」
「
アハハ、と。
先輩は乾いたように笑う。
「ただ……あの景色を映していれば、キミはずっとここに居てくれるんじゃないかって、そう思った」
どこか夢現のように茫洋と呟く先輩の感情が、掠れる。
輝く恒星のようだった先輩が、今では荒野に一本だけぽつんと立った古木のように感じられる。
「現実のおれはどうなってるんです?」
「眠っているよ。ダメージを受けたキミの本体は今一時的な休止状態に入っている。だから、こうしてここに意識だけを連れてきた」
逆光の中、先輩の鋭い双眸がおれを射抜く。
「ねぇ、稲羽クン。ずっとここに居よう。ここに居ればもう、戦って傷つくことはない。肉体を『天之逆鉾』に収容してしまえば、あとは他の制服機兵たちが守ってくれるだろう。私が墜とされることなら心配しなくてもいい。この電子世界はアマテラスの職能で作り出しているとはいえ、その本体データは『天之逆鉾』に設置された大規模サーバーにある。私が墜とされようと問題なく稼働し続ける。それに月から離れてしまえさえすれば『クレーター』はやってこない、安全になるんだ。そしたら、私がキミを迎えにいこう。だから……」
「───だから、お願いだ。ここに居てくれ」
……確かに、先輩の言う通りだ。
現実の肉体だけ樋野さんや八栗さんに回収してもらって、先輩とここに居ればひとまず安心なんだろう。
あとは気に食わないが、
『夜明け』が、訪れる。
少しだけ逡巡し、先輩を正面から見据える。
「
「……」
「先輩。外では樋野さんや八栗さん、みんなが戦ってます。おれだけ逃げるなんてことはできないッス。それに、『先生』と呼ばれていたあの男。アイツの言葉通りの計画が発動しちまえば、確かに太陽系外に逃げられる。でもその代わりに、『ランカー』たちが総力を決して防衛し切れる日本列島以外の人類が滅ぶってことになる。それだけは、なんとか阻止しないといけないんスよ」
おれの言葉を聞いて先輩が目を閉じる。
空気が、ささくれ立つ。
「……なにもキミがやる必要はない。他の人に任せて、自分は安全なところで待ってればいい。キミにはその選択肢がある。それでも、どうしてもいくのかい?」
「どうしても、っス」
「そう。なら……───」
先輩が目を開く。その目の中で、様々な感情が泡のように浮かび弾け、そして一つの強靭な意思に染まった。
これまでの陽だまりのような雰囲気とは打って変わり、刃を思わせる冷たい表情で、先輩は告げた。
「力ずくでも、ここに閉じ込める」
瞬間、体が灼熱の極光に焼き尽くされた。
「がっ、あ───!?」
兎型の『クレーター』。『カルキノス』。皆既日食防衛戦。
それぞれの時に感じた危機、それらすべてをひっくるめても足元にさえ及ばないほどの濃密な『死』の感触が、全身を覆いつくした。
リノリウムの床に崩れ落ちた衝撃を認識してようやく、自分がまだ生きているのだという実感が湧いてきた。
しかし、その安堵もすぐに吹き飛ばされる。
「あ、ぶぁ!? おぐっ、ばっ、げァァああああああああ!?」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!?
怪我はない。ましてや傷なんてどこにもない。それなのにも関わらず、光を浴びた場所にじくじくとした強烈な刺激が駆け巡る。
まるで全身の皮を剥かれ、その傷に塩を刷り込み太陽の日差しを浴びながら潮風に吹かれるかのような痛みに、許容範囲を超えた思考が爆発する。
「安心してよ。ただの電気信号をキミに送ってるだけさ。なんの後遺症も残らない」
カツカツと、足音を立てて。のたうち回るおれに向かって先輩が歩みを進める。
その姿が、変わっていく。
濃紺のセーラー服は純白の千早へ。スカートは朱色に染められた緋袴へ。
背後には紙垂を取り付けられ、太くねじれた注連縄が宙で円を描く。
傍に浮かんだ8つの円鏡が、太陽の輝きを放つ。
底冷えするかのような神威が、物理的な圧さえ伴っているかのようにおれに突き刺さる。
今まで安穏と降り注いでいた黄昏のすべてが、
「だから、キミが諦めるまで続けるよ」
「っ!」
浮かんだ円鏡。それから容赦なく光が放たれ───誰もいない空間をレーザーが射抜く。
ここは電脳空間。アマテラスの職能で作られた仮想世界。
故に、そもそも職能や
イカサマを見抜くバニーガールの職能が問題なく作動し電子の海から真実をつるし上げる。
拷問光線───
それによって身体に穴が空いたり四肢がもげたりなどといった物理的な損傷は起こらない。それはいい。好都合だ。しかしそんな好条件さえ霞んで見えるほどヤバいのがあの『痛み』だ。
神経を直接刺激されているかのようなあの激痛。いや、電気信号とは先輩の談だ。まさに神経を直接刺激していると言っても過言ではない。
体の一部を犠牲にして防御なんてことはできない。手だろうが頭だろうが、あのレーザーは容赦なくおれを蹂躙し動きを止めやがる。足を止めたら終わりだ。
体感的に止まった時間の中、必死に頭を回す。
(まずはどうにかしてあのレーザーを止める。
先輩を説得するにも、まずは攻撃を止めねばならない。
幸いなことに先輩はまだこちらに気づいていない。まだ向こうを見ている。
このまま不意打ちを仕掛ければ、八咫鏡の一つか二つくらいは封じれるはずだ。数さえ減らせればこちらにも光明が差す。説得するチャンスが生まれる。
(
胸元からトランプを取り出し、照準補正を与える。
無防備な先輩の背後から八咫鏡に狙いをつけ、投げ放ち、
「───あ、ぐ」
再び、『痛み』そのものの概念を具現化したかのような無形の狂撃が焼かれた手首を中心に全身へ駆け回る。
先輩が僅かに振り返り、冷たい視線が動きの止まったおれを捉える。
「
悠然とこちらをみたまま、
読まれている。
作戦。思考。一挙一動。すべて先輩の手のひらの上だ。
その頭脳だけで新種の『クレーター』相手でさえ完璧に能力、弱点を見抜き、尚且つ世界中の
「さぁ次はなにを使う? 『
わざとらしく先輩がおれの手札を声にだして読み上げる。傷口に塩を塗り込むように。主導権は自分にあると主張するように。
「
八咫鏡。子機であるその8つがギラリと光の刃を覗かせる。
床に落ちた焦げたトランプが、デジタルの文字に還っていく。
黄昏の教室の中で。超越者が告げる。
「だから稲羽クン。君だって、この私にその痛みを与えられるんだ。そのトランプで私をちょいと傷つけてやれば───それまでさ。だから繰り返そう。遠慮はいらない、すべて使え。キミが外へ、自らを傷つけに行きたいというのなら全身全霊で私を打倒してみせろ。それらをすべて叩き伏せて私はキミをここに繋ぎ止めよう」
「……おれだって、好き好んで傷つけられに行ってるわけじゃないっスよ。このまま先輩が墜とされて黄昏が終われば大勢の人が死ぬ。おれはそれを止めたい。それだけっス。それとも先輩は大勢の人を見捨てろとでも言うつもりなんスか」
「
先輩の言葉と共に、おれの手札が無力化されていく。ひとつひとつ、丁寧に。見せつけるように。
『
『
『
「───言ってくれ、稲羽クン。『ここに居る』と。その一言だけでいい。そしたら全部私が終わらせるから。すべてが終わった後に君を迎えに来るから」
言葉とは裏腹に先輩は変わらず磨き抜かれた鏡のように冷たい表情で。
でもおれは、その表情になんだか今にも泣き出しそうな子供のような色を見たような気がして。
……あぁ、そういうことだったのか。
すとん、と。心の中で燻っていた何かが収まった。
ずっと考えていた。なんで先輩がこんなことをしたのか。
激痛に身を焼かれながら。手首を消し飛ばされるような衝撃に歯を食いしばりながら。今まで頼ってきた手札が為すすべもなく破壊されていくのを見ながら。
ようやく、その理由がわかった。
だからおれは、
「
それだけ言って、先輩に向かって跳ぶ。
それを見た先輩の目が僅かに細められる。
ジャッッッ!!! と。8つの鏡からあの恐ろしい光が放たれた。
神経という神経をずたずたに切り裂くような暴力性を秘めた極光。文字通り光の速さのものを見てから避けるなんて芸当はおれにはできない。避けようとすることさえできない。
それが眼前まで迫る。
おれは為すすべもなく、その光に───
レーザーは体をほんの少しだけ逸れ、黄昏の教室に消えていく。
「!?」
先輩の表情が驚愕に染まる。
その動揺を覆い隠すように再び光線が放たれる。
先ほどのようにおれだけを狙ったものではなく、前方全て焼き払うように極太のレーザーが拡散する。
避ける隙間などない。今度こそ確実に命中する。
呆けたように目を見開く先輩に笑いかける。
「
そう。先輩はその類まれな頭脳でおれの一挙一動にいたるまですべて読んでいる。事実だ。だからこそおれは苦戦を強いられ、物理的に再現された
「だからこそっスよ。完璧におれが取るであろう最適解を先輩が読んでるからこそ、これができた。おれにとっても賭けでしたっスけどね」
どんな攻撃であろうと、放つのが人である以上必ずどこかに穴がある。
先輩はそれをも先回りし想定し、その穴を埋めるようなある種神がかった対応能力を持っている。
例えば、放たれた光線を僅かに体勢を傾けて回避することが最適解ならば。
先輩はそれを読んで、潰すように攻撃を行うだろう。回避先に予め八咫鏡の光線を放ったり、軌道修正を行うことで。
だが、それさえも想定して行動をずらせたら?
最適解をつぶすように放たれる先輩の攻撃。しかし、そこでおれが最適解を選ばなければそれはただの攻撃になる。穴ができる。
先輩に、近づくことができる。
8つの鏡から放たれた地獄はちょうどおれの輪郭を撫でるように後方へ消える。
八咫鏡。射程無制限。光速。まともに相手をしようとすれば一瞬でやられるような格上。範囲も軌道修正も思いのまま。しかし、それでも弱点はある。
すなわち、間を置かない連続照射はできないということだ。
どうしても光を集めるために0.1秒ほどのタイムラグがある。
それさえあれば、十分だ。
床を踏み抜き弾丸のような速度で先輩へと肉薄する。
「……稲羽クン。君は本当に───、」
消え入りそうな声で先輩が呟いた直後。
視界が真っ白に染まる。
「なっ」
「っ、……
ようするにただのやせ我慢だ。ここが電子の空間で、尚且つ物理的なダメージはないが故にできた芸当。
ただそれも一回きりの切り札にすぎない。それでもあの光線は強すぎる。もう一度食らってしまえば、自己暗示を大きく超えた感覚がおれを蹂躙し動きを縛り付けるだろう。
あと、三歩。
だからこそ。これは避けられない。
教室の壁。床。天井。
なにかを思う間もない。
幾千を超える破滅のレーザーが、おれをハチの巣にした。
バラバラと。ほとんどが灰になり形を失ったトランプが、手から零れ落ちる。
「……なんで」
震えた先輩の声が、鼓膜を揺らす。
「なんで、避けないの。稲羽クン」
その声は知らない街に一人取り残された迷子の子供のように頼りなくて。
「キミなら避けれたはずだ。いいや、それだけじゃない。私の思考を読んだ時点で、キミは既に勝っていたはずなんだ。あの時、キミは私に攻撃できたはずだ。それなのに───、」
だからおれは、ここで折れるわけにはいかないのだ。
肩を震わせる先輩に一歩、近づく。
「先輩。ほんとのこと、言ってください」
ずっと先輩は誤魔化し続けていたのだ。自分自身にさえ。
「『何人犠牲になろうが知ったことか』。嘘です。先輩がそんな考えなら、そもそも最初から『アマテラス』なんてやってないはずっス」
さらに一歩。
「『力ずくでもここに閉じ込める』。嘘です。本当にそう思ってるなら、わざわざおれにヒントになるようなことは言わないっス」
先輩が本気でおれをここに閉じ込めようと思っているのなら、そもそもそういった反撃の手段はすべて取り上げてしまえばよかったのだ。
なにせここはアマテラスが作り上げた電脳世界。この世界の理を握るのは先輩だ。そういうことだってできたはずなのだ。
そして先ほどのデート。イルミネーション。夜空。月。現実との矛盾。
まるでこの夢に浸っていて欲しいとも、気づいてほしいとも受け取れるような風景。
「先輩は───、」
「ずっと、
つっ、と。それを聞いた先輩の顔が、針を刺されたかのように歪む。
「……あぁ。そうだよ。その通りだよ」
「もう……嫌なんだ。キミが傷つく姿を見るのは。私のせいで
「あれは、先輩のせいじゃ───、」
「いいや私のせいだ。私が、
でもね、と。先輩は俯きながら答える。
「アマテラスの力は強大だ。職能を使えば、一〇万キロメートルの距離だって関係ない。キミとだって、黄昏の間であればいつだって会える。でも、それで本当に私たちは会っていると言えるのかな」
ぽつぽつと。今まで堰き止めていたものが、静かに分水嶺を超える。
「君と出会って。君と過ごす日常は夢のようだったんだ。全て公式通りに進む私の人生の中で、君はたった一つの変数だったんだよ。……空を見上げれば、星が見える。地球から見たら隣同士に見える星だってある。でも、その二つの星にある実際の距離は、いったいどれくらいかなんて考えたことがあるかい?」
そう呟いて、先輩は枯れ木のように笑った。
そこに、もはや太陽はなかった。人類を救う救世主なんていなかった。
黄昏のベールを取り払われ、『アマテラス』という枠が外された先にいたのは、ただ一人。寂しがり屋の女の子が一人泣きじゃくっていただけだった。
ようやく気付けたんだ。先輩だって、普通の女の子なんだって。
たった数ヶ月と思うかもしれない。
それでも高度一〇万メートルの孤独の世界で、人はどれだけ耐えられるのだろうか。
孤独に苛まれて、自責の念に駆られて、矛盾した思いに囚われて。
天才で、心配性で、一人の後輩に見栄を張りたいだけの一人の少女。
ようやく気付けた。だから言わねばならない。
崩れ落ちた先輩の手を取る。
「好きです、先輩。ずっと前から」
先輩の息が、止まる。
弾かれるようにおれに向けられた瞳が、大きく見開かれる。
「『クレーター』が来たのも、おれが一度死んだのも。先輩一人のせいなんかじゃあ、絶対にないっス。このおれが証明します。
それに、と付け加える。
「『バニーガール』になったおかげで、樋野さん、八栗さん。みんなに出会えた。先輩が
呆けたようにぱちくりと瞬きをした先輩の手を取って立ち上がる。
「だから言ってください、先輩。その一言だけでいい。それだけでおれはなんだって踏み越えて、飛び越えてみせるっス」
「……フフフ、キミも言うようになったね。でも……本当にいいのかい?」
「男に二言はないっスよ。なんなら、景気づけに1曲踊ったり? 今のおれはバニーガール、神楽でもポールダンスでも、なんでもござれっス」
先輩は少しだけはにかんだように相好を崩して。目尻に涙を浮かべて言った。
「───助けて、稲羽クン」
「わかったっス、先輩」
誓うように。一度だけ強く先輩の手を握る。
「必ず迎えにいきます。あと少しだけ、待っててくださいっス」
視界がノイズに塗れていく。
そろそろ、こちらの時間切れということなのだろう。先輩がおれを電脳世界に引き留める理由がなくなったことで、本体が意識を取り戻そうとしているらしい。
黄昏の教室の中で、再会の約束を交わす。
「いってきます、先輩」
「いってらっしゃい、稲羽クン」
「───ゴボモガッ!? ゲブ、ごほっ、ごほっ───」
「お? やっとお目覚めかよ稲羽。ぶっ壊れてなくて何よりだぜ、ほんと」
のどに詰まった海水を砂浜に吐き出すと、樋野さんの声が頭上から聞こえてくる。
電脳世界では感じなかった感触に、現実に戻ってきたんだという実感を感じながら体を起こす。
周りを見渡すと、ここはどこかの離島かなにかのようだった。
「さて、稲羽クンが目覚めたということで、まずは現状確認といこうか。……ま、ひどいもんだねお互い。よく生き残れたよ」
濡れた白衣を肌に貼り付けた八栗さんがおれたちを見て顔を歪める。
全員が大なり小なり部位を失っているとなれば、そんな表情も無理はない。
軽傷の八栗さん。左腕の根元だけ残してその先を喪失。
次におれ。右足の膝から下が捥げてる。
一番傷が深いのが樋野さんだ。ツクヨミの攻撃の瞬間、おれたち二人を庇ったせいで両腕を喪失、背中の
「次に
日本海に散らばった『クレーター』に関して。これらは『ランカー』達によって全て対処済みとのことだ。いずれも問題ない」
あのような状況から奇跡とも言える被害の少なさ。だというのに、八栗さんの表情は優れない。
「正直なところ、ダメージに関しては問題ない。
すいっと八栗さんが人差し指で海の向こうを指し示す。
「オイオイ───、」
樋野さんが言葉を失った。
無理もない。
「…………全てを終わらせる研究所、
黄昏の中で、独り言のようにポツリと呟く。
数十キロメートルも離れたこの場所からでさえ巨大と感じる建築物。太陽すらその手中に収めてしまいそうなその威容はまさに天之岩戸の名にふさわしい。
「それだけじゃない。先ほどあのメイドさんから通信が入った。
「さて、これらを踏まえてこれからの行動を決める必要がある」
「あらかじめ言っておくと───、ボクは先生の計画は止めない。これだけは伝えておこう」
「……んだよ八栗。いつものお前らしくねぇ、もしかしてビビってんのか?」
「違う。もっと言えば、
「先生の計画通り、『アマテラス』が墜ち黄昏が終われば大勢死ぬだろう。わかってる。でも、逆に言えば、日本列島の『天之逆鉾』に収容できる限界───全世界の人口一割。それ以外を見捨てれば、ほぼ確実に人類史は存続できるんだ。……先生の計画を阻止し、今まで通り、終わりのない『クレーター』との生存競争に資源を費やす混沌の道か。あるいは先生の計画に乗じて、大を見捨て小を取り、確実に人類の夜明けが訪れる道を選ぶか。我々はどちらか一つを選ばなきゃならないんだよ。……ボクは、後者を選ぶ。胸糞悪いのは百も承知だけどね」
「……やっぱりお前らしくねぇよクソメガネ。こんな簡単にあきらめるなんてよ……。まだ何か隠してるんだろ、いつもみたいに。とっておきの策ってやつを! あのいけ好かない『先生』ってやつを一泡吹かせるような秘策が! あるんじゃねぇのかよ!?」
「っ……」
樋野さんの必死な問いかけに、八栗さんは俯き唇をかみしめる。
それが答えだった。
ここが限界だ。
『アマテラス』が堕ちることによって起こる『クレーター』の大量殺戮を止めようにも、どう考えても手が足りない。
かと言って計画阻止のために
おれたちは、このままあの男が敷いたレールに従って動くしかない。
……先輩にあの空間に連れていかれるまでは。
「───っス」
「え?」
「
あのサーバーには一般人では確認できないような機密情報が格納されてあった。一部は高度な暗号化が施されていたが、バニーガールの職能の前ではそれも無意味。だから、重要そうな情報は丸ごと引っこ抜いてきたのだ。
「一つ一つが高度な演算装置で、命令によってその性質を自在に変更する能力を兼ね備えている。それを地中から地球に散布してたのが
「お、おう……お前のその知識の出どころは気になるが今それに突っ込んでる場合じゃないんだよな。それで?」
「つまりっスよ。あのナノマシンは一定量集めてちゃんとした命令を与えれば、あらゆる機械───いや、自立稼働する
二人が息をのむ。
「あのナノマシンを確保して、先輩の代わりにアマテラスへ格納すれば。そして先輩が
「……しかし、それができるなら最初からやってるはずだろう。ナノマシンの集合体程度でアマテラスが代用できるなら、とっくの昔にあの人は降りてきてるはずじゃないかな」
「そうっスね。
「AIの作り方って知ってるっスか? 八栗さん」
「? あ、あぁ……専門外だが少しばかりの知識なら。概ね元となるプログラムに対してビックデータを学習させるのが主流だと聞いている。───いや、まさか」
「そう。おそらく、『クレーター』が襲来してきた時点では元になるデータがなかったってことなんスよ。ただでさえ先輩は
「……確かに、筋は通る。そして期間がたった今、自動操縦に移行するには十分なデータが蓄積されたと考えてもほぼ間違いない、か」
ブツブツと八栗さんが呟き、納得したように相槌を打つ。
「先生が本格的に動くまでおそらくまだ時間がある。だが限りなく長く見積もっても猶予は残り1日未満。その間にナノマシンを確保し、アマテラスの中核を切り替えることができれば───、」
「大量殺戮を阻止しつつ先輩を地上に戻すことができる」
八栗さんの表情が目に見えて明るくなる。マッドサイエンティストめいた人だと思っていたが、その分人類を思う気持ちは人一倍あるらしかった。
「あー、えっと、つまりなんとかなるかもしれねーってことか? 俺にはよくわからなかったが……何をすればいい?」
「ふむ。そうだね。『クレーター』に対抗するだけならともかくこれほどまでの大仕事をするにはちょっと今の装備じゃ不足が目立つからね……樋野、ちょっと後ろを向きたまえよ」
「お、おう?」
目を白黒させていた樋野さんをくるりと回し、後ろを向かせる八栗さん。
ひびの入った背中に手を当てると、カシャカシャと音を立てて、変形しながらその一部が開いていく。
「───時に稲羽クン。なぜボクが第三世代である
「誰が脳筋だコラ」
「さぁ……
「半分は当たりだよ。もう半分は───」
ガコン、と。八栗さんが樋野さんの背中から一つのパーツを取り外す。
「その優れた耐久を生かし、受けたダメ―ジの学習をさせることだよ」
正八面体のコア。八栗さんが取り出したのは
「これは第一世代。
「え、なにそれ知らん……怖……」
「コラ。今いいところなんだから水を差すようなこと言わないでくれよ」
「いやそれ最初に説明しろよお前!! だいたい勝手に人の身体───モガモガ!?」
「うん。つまりだ、あの規格外のツクヨミのデータがここにあるということなんだよ。いいね?」
有無を言わさぬ口調で迫る金髪科学者の姿に空恐ろしい圧を感じて思わずうなずいてしまった。
……本当に大丈夫なんだろうか?
「さて、今からこのデータを元にキミたち二人を改造させてもらうよ。先ほどの作戦を実行するのであれば、今のままでは100%敗北するからね」
樋野さんとおれ。二人の周りに半透明の工具が浮かぶ。
「───そうだね。先生に習ってこう名付けようか。
傷は修復され、機能が追加され、規格が底上げされていく。
「さぁ、始めようか。月を排し、理不尽な死を押しのけて。本当の