【完結】黄昏教室の最終制服機兵《カタストロフィ》 作:ジェネリック参勤交代
『勝敗は既に決している』。
その言葉の意味は、すぐに分かった。
何故なら戦闘態勢に移行した『月の王』の身体に、無数の『上位個体』が映ったからだ。
『私のことを、月の王と言ったな。さすがは
カルキノス。
ラセルタ。
ファフロッキーズ。
ワーウルフ。
そして、掃討戦に現れた無数の『上位個体』達。
とにかく様々な『上位個体』の影達が、ガラス細工のように滑らかに透き通った『月の王』の身体を彩るように滲み出る。
その事象の意味することは、すぐに分かった。
「
即ち──他の『クレーター』の特殊能力の自由使用。
『貴様は、痛感していたはずだ。我々の在り方を』
月の王は、まるで家臣を侍らせるように数多の『上位個体』を身体の表面に滲ませながら、言う。
『観測者の認識によっていかようにも形を変える。特殊能力すらも、その副産物でしかない。……その在り方をとことんまで突き詰めれば、どんな終端に辿り着くかくらい、想定できていたのではないか? ────欧州実測』
主に欧州にて観測された月の模様…………『
酸素操作による攻撃が来ると判断し、月の王の死角に隠れようと足に力を蓄えた瞬間──俺の首筋に嫌な感覚が走り出す。
……
それは根本的に筋が通らない。何故ならヤツの弱点は周辺に酸素が存在しなくなることであり、この月面は言わずと知れた真空状態。テラフォーミングも済まされていない、
血中の微量な酸素を操作することによる酸欠錯覚にしても、タネが割れている以上
つまり──この場において、
即ち、此処から導き出される答えは一つ。
…………ブラフか!!
考えてみれば当たり前の話。
敵が過去の上位個体の能力を運用する能力を持っていたところで、その能力を使用する前に内容を仄めかさないといけないルールなんて存在しない。
逆に、違う能力の使用を仄めかせば、手を誤った対応はさらに状況を悪化させることだってできる。ブラフだということが分かっても、最初に宣言すればどうしてもその影響を受けて思考の幅は狭められる。つまり、二重三重にこちらの思考を苦しめる為の一手というわけだ。
だが。
「それさえ分かってりゃあ、こっちの対応策だって簡単に導き出せんだよ!!!!」
言いながら、おれは無数にトランプカードを取り出して空間全体に色付けするようにバラ撒いた。
防御不能な酸素操作能力をわざわざ仄めかした理由はなんだ?
答えは簡単。
なら、大仰なブラフを使って視線を切ってまでやりたかったことはなんだ?
答えは簡単。
ならばこちらも、透明になろうが関係なくなるくらいに空間全域を埋めるような攻撃を仕掛けて、敵の透明能力を牽制しつつダメージを与えるのが上策!!
『…………っ!?!?』
相手の方も、開幕からブラフを読まれることは想定していなかったらしい。
予想外の展開に驚き、全身に鋭利なトランプカードが幾つも突き刺さっていく。一応、これでも
『笑えてくるな、その性能……!』
「過去の『クレーター』の能力無制限使用とかやっておきながらよく言うぜ」
言いながら、俺は月の王がさりげなく半身を身体の陰に隠したのを見て取った。
……しまった。肉体の一部とはいえ視線を切ってしまった。これは身体の陰で
……
過去の『クレーター』の能力を運用する能力。
その条件として、『一度に一つの能力しか使えない』なんてことはないだろう。むしろ、王と言うからには同時に複数の能力を使えると考えるのが当然。
おそらく開幕で一番インパクトの強い
たとえば…………最近戦った杵持つ兎の『クレーター』、『クニークルス』の粘着質化能力とかな!!
「だが
──
注文の品を的確・精密に運搬する技能。
即ち、本質は精密動作の圧倒的強化。普段おれはこれをカードの照準精度向上に使っているが……この状況なら、こういう技にも使える。
「そいつの能力は、粘着質化によってくっつく対象まで調節できるわけじゃない。対象の取り扱いを間違えれば…………おまえ自身にも牙を剥きかねないってことをな!!」
投擲するのは、一枚のカード。
しかしそれは今までの攻撃とは全く異なる質の一撃だ。狙う先は月の王本人ではなく……その前に大量にバラ撒いた、無数のカード達!!
『……、無為な一手を使ってそちらに意識を逸らそうというミスディレクションか? 関係ない。貴様の策ごと圧倒的武力で押し流してやればいいだけのこと……! 北米実測、』
「
『っ!!!!』
真空空間だというのに、月の王が息を呑む音が聞こえた気がした。
ファフロッキーズの本領は、自身の透明化じゃねえ。
それももちろん脅威だが、真の効果は他者の透明化による策の不可視化。それと最も食い合わせが良いのは敵の拘束にも使える
それが、
光線を透明にしておいたなら、それが着弾して生まれた狼型
俺の策の結実を示すように──放ったトランプが、月面に突き刺さった無数のトランプたちの上を
『…………は?』
「おいおい、何呆けてるんだ? 鉱物を切断できるような特別製のトランプだぞ。まず
もちろん、言うほど簡単なことじゃないのは分かっている。
なにせ、ばら撒かれたトランプを放った段階ではこの策は思いついていなかったのだ。つまり、適当に突き刺さったトランプの中から敵への攻撃に使えるトランプの向きから軌道を算出してそこへ目掛けて精確な入射角度でトランプを投擲する必要がある。
途轍もない精密さが要求される攻撃には間違いない。
だが、精密ささえあれば問題は何もない。
トランプの一投で
『…………がァァあああああああああああッ!?!?』
直後、ボトリという音と共に月の王の絶叫が月面に響き渡った。
『…………馬鹿な…………』
呟き。
見ると、残った片腕で片口あたりを抑えながら、蹲った月の王はおれの方を茫然と眺めていた。
『我の「同化月光」の溜めに気付いたのはトランプの乱投の後のはず! にもかかわらず、どうしてこうも想定していなかった策を綺麗に流用できる!? その場しのぎの継ぎ接ぎのはずなのに、どうしてそんな行き当たりばったりにこの我が……月の王が片膝を突く事態に陥る!?』
月の王は、信じられないものでも見ているかのような言いっぷりだった。
実際、本人からすりゃあ信じがたいことなのかもな。まぁ、おれからの答えもたった一つなのだが。
「決まってんだろ」
おれの身体が、誰に作られたと思ってんだ。
この星を黄昏に染め、掛け値なしに世界人類を救った、今も救い続けている……一人の女の子だぞ。
おれは、その女の子の幸せのためなら、誰だって敵に回してやる。
それがたとえ、月の王であったとしても!
「それが愛の力だよ、バーカ!!」
──戦闘の終結まで、開始から五分とかからなかっただろう。
過去の『クレーター』の能力の運用。
つまるところ、複数の能力を持つ『クレーター』。
確かにそれは、通常の
ただ、こと
複数の
『勝敗は既に決している』。
なるほど、確かに勝敗は既に決していた。
『クレーター』の進化の極致が複数能力の獲得だというのなら、おれという存在が盤上に出てきた時点で『クレーター』と人類の勝敗はとっくに決していたのかもしれない。
『…………どうした、トドメは刺さなくていいのか』
倒れた月の王は、余裕もなくなっているのか、随分と砕けた口調に変わっていた。
その姿は、もはや崩壊寸前と表現してもよかっただろう。
両腕は切断され、左足も消し炭。残った右足も罅割れて自重を支えることすら不可能な状態である。
そんな状態でも死んでいないのは、流石侵略生物『クレーター』と言ったところか……。
「ま、
『……復讐、というわけか』
「なんだよ。しんみり受け入れられたらリアクションに困るだろ」
『
…………、
いやに穏やかに断言されて、おれは思わず目を見張った。
言葉のインパクトに、ではなく。
実際に、おれの心の裡で静かに生まれていた疑念の波について、言い当てられたような気がしたからだ。
『
「………………!!!!」
言われて、おれの精神には大砲でもぶちこまれたような衝撃が走った。
この状況で、月の王が盤上における
ただの駒を、超重要な存在に見せかける戦略が意味することとは。
「テメー…………まさか」
ボロボロと。
古い建物の建材が剥がれるみたいに、月の王のガラスめいた体表が崩れていく。
そしてその中から出てきたのは…………一人の女だった。
年のころは、メイドさんと同じくらいか。
妙齢と、そう表現してもよさそうな年代だった。……いや、正体が人間とかそんな話じゃない。これは、
『気付いたか? そうだよ、私が
「……テメェまさか……さっきの能力も……!?」
『そう。誤認は特殊能力にも及ぶ。即ち、私は「敵が月の王に相応しいと考える能力」を扱うことができる。……王ならば家臣の能力を自在に扱える、というのは結局のところ、貴様自身の発想だよ』
そうか……!
『誤認』そのものが能力だから、
『おかしいと思わなかったのか? 強大な信号? これまで貴様ら人類と散々頭脳戦を繰り広げてきた我々が、なぜそんな分かりやすい信号を作戦に組み込んで利用しない? あまつさえ、
「……、」
『結果を見ろ。この大敗戦を! こんな分かりやすい人類の圧勝に、本当に何の裏もないとでも思っていたのか!?』
だが、だとするなら……。
『本物の「月の王」がどこにいるか気になるか?』
月の王は、いや、そう擬態していた
『ところで』
そこで、女の横顔に優しい色が滲み出る。
まるで、遠くに残してきた我が子のことを語るかのように。
『貴様は、気付かなかったのか? 最初の敵クニークルスからカルキノス、ラセルタ、ファフロッキーズ、ワーウルフまで使っておいて、「やつ」の能力はついぞ使わなかったことに』
「…………なんだと?」
『おいおい。まさか私が忘れただけとでも? 生憎、そんなかわいらしい取りこぼしはない。高速移動なんて、そんな便利な能力を使わない手はないからな。……まさか偽の王が、王自身の能力を使えるわけがあるまい。私は家臣であって、僭称者ではないのだから』
…………。
…………! 思い出した……! あの『先生』が引き起こした抜き打ちテストにおいて現れた、大量の『上位個体』達。その中の大半を
確かに、違和感はあったんだ。
杵を持つ兎。大きな鋏を持つ蟹。トカゲ、カエル、狼……。それらは全て、『月面の模様』を模した形態だった。おそらく、『月の怪物』という人類の意識が反映されたモノだったはずだ。
その中にあって……たった一つだけ、その
竹の『クレーター』。
個体識別、『カグヤヒメ』。
月の
アレがあのラインナップの中にあったのは、間違いなくおかしな事態だったんだ!!
『我々がただあの男に利用されるだけだと思ったか? 我々の方もあの男のことを利用していた可能性について考えなかったか? ……
つまり。
真の『月の王』──カグヤヒメは、この場にはいない。
地球、月、あらゆる戦力を月面に集中させるこの掃討戦そのものが『クレーター』の最大の策で……。
策を見抜くおれの職能を『王を誤認する能力』によって無力化したうえで、月の王本人によって地球へ直接侵攻するのが。
『これが、我々の策だ。どうだ人間、思い知ったか。
「………………、ああ、そうだな。お前の言うとおりだよ」
完全なる、策略の差。
それを以て、おれは素直に認めるしかなかった。
「
──職能ではなく、純粋な自然の黄昏に染まる景色の中で。
一人の男が、少女と対峙していた。
「…………ったく。さんざん人の知恵を吸い取った挙句、この事態は一体どういうことだよオイ」
漆黒すら呑み込むような暗闇のダークスーツ。
金色に染め上げられた髪は、不思議と粗暴さを感じさせない。
まるで月の浮かぶ夜のような印象の男は、しかしそんな印象を塗り潰すような苛立った口調でぼやく。
対する少女は、幼かった。
精々年のころは一〇歳くらいだろうか。煌びやかな十二単を着るというよりは、その中に埋もれているような、そんな微笑ましい印象を他者に与える子供だった。
「
「わ……分かってたの?」
少女は。
渾身の策によって人類を欺き、地球へと降り立った月の王は、まるでそうは見えないほどに小さく、震えていた。
「わたし達の……ヴァルゴの策を」
「ああ? ……あー、あのクソガキがぶっ倒した擬態の
男は、あっさりと答える。
戦闘は、ある次元を越えるといかに敵の策略を読むかの勝負になる。
能力の出力など究極的には関係ない。事前に敵の持つ手札をどれだけ正確に、先の先まで見通せるか。そしてより遠くまで正確に読み切っていた方が勝つ。
つまり、
稲羽は──
「…………勝ったつもりなんだ」
「おお。まぁな。
瞬間。
男の周辺の空間が音もなく歪む。
引力・斥力を歪める職能が、世界全体を歪めて目の前の敵へ牙を剥く大顎へと作り変えられていた。
神の力を扱う男は言う。
「今テメェの目に見えている策だけで全部だと思うなよ。水面下の策まで合わせて八〇〇万。月の王がどんな手を使おうが問題なく人類を過不足なく守れるだけの策を、こっちは用意してんだよ」
「…………じゃあその策、全部捨ててもらうから」
その直後だった。
音もなく、歪みが消えた。
八〇〇万もの策が──それを支える根幹となる
「…………んだと?」
「かぐや姫ってお話、知ってる? わたし、大好きなんだ。美しくて、優しくて、物悲しくて……月と地上が遠くて近いから」
警戒態勢をとる『先生』に対して、対照的に月の王は穏やかだった。
戦いに来たとは思えないほどに、その少女の一挙手一投足は見るものの庇護欲を掻き立てるかわいらしいものだった。
──かぐや姫。それを想起させる姿ということは。
「……まさか……」
「愛嬌。それが、わたしの能力」
可愛らしい子犬を見て、癒されるという気持ち。
腕の中の我が子を見て、守りたい思う気持ち。
それらは人類の心の奥底に眠る、根幹的な感情だ。
月の王は──カグヤヒメは、その感情を掻き立てる。
竹の中の高速移動は、あくまで彼女の配下である
彼女の真の能力は──
「可愛いものに、武力なんて向けられない。
──武力の強制放棄。
『先生』が、神の規格の
「…………はっ、そういうことかよ。さすがにここまでは読んでなかっただろうが……流石に符合にしちゃできすぎるぜ」
だが。
しかし。
己を守る最大の戦力が失われた直後だというのに、男はそれでも笑っていた。
黄昏の教室に一人立つ男は、絶望に逆接を意味する言葉を紡ぐための希望を少しも失ってなどいなかった。
「なあ、出藍の誉れって言葉を知っているか?」
「…………知ってるけど?」
「赤点。テメェ今知ったかぶりしたろ」
「……、……知ってるもん!! それがどうかしたの!? 話を逸らして知識マウントとってそれで勝ったつもりになってるなんて本当に愚かわね人間!!」
「あーはいはい。悔しさのあまり異形アピールすんな見苦しい。口調もぶっ壊れていやがるし」
『先生』は適当に言い、
「弟子が師より優れた才能を発揮するってことのたとえだよ。つまり俺にとっちゃ、この黄昏教室がそれにあたるってわけだ」
「……随分、生徒のことを買っているのね」
「ま、あれでも自慢の生徒なもんでな」
『先生』は黙って窓の外を見る。
その横顔は、先ほど
「まず最初に
「……、」
「
忌々しそうに、悔しそうに、『先生』は言う。
なまじ相手が絶対に友好関係になりえない存在だからこそ、『先生』はゴミ箱に紙屑を捨てるみたいに大切な感情を発露する。
「分かるか。研究者としちゃあ、連中は俺より上だってわけだ。ま、当人どもはどう思っているか知らねえがな。今の俺を形作ってる武力なんてモンは、連中の研究成果を吸い上げて『子供に負けねえでっかい大人』を演出した健気な虚勢だってわけだ。ま、テメェの能力で削げ落ちたがよ」
男は、続ける。
終わらない
「お陰で最後に残ったのは自前で用意した第一世代未満の旧型品だ。────
己の、真価の名を。
「……!? いくら旧型品でも、戦うための武装なら……! 放棄して!」
「
『先生』は、心底面倒くさそうに言う。
戦うための武装ではない。
つまり。
「コイツはな、後進育成のための
「…………!!」
「ああそうだ。俺にテメェを殺すことはできねえ。だがな、他の連中ならどうだ? クソウサギならテメェの能力の抜け穴なんざ数秒で見つけられるだろうよ。俺はそれまで、テメェを拘束しているだけでいい」
「…………っ!!」
「わざわざ地球まで足を運んでもらって悪いが、これで終わりだ、化け物。テメェはここで故郷が人類を救う燃料に化けるのを見ていてくれ」
「…………、……った…………」
ぽつり、と。
カグヤヒメは、静かに声を漏らす。
直後、『先生』は後悔した。
──それによって、
何故なら彼女は、次にこう叫んだのだから。
「わたしたちだってっ!! 本当は地球に攻め入ったりなんかしたくなかったっっっ!!!!!!」
この物語は、月から侵略してきた謎の化け物の為に犠牲になった一人の少女の為に、少年が黄昏を終わらせる物語。
──誰が、そんなことを言った?
「……当たり前だろうが」
激情。
それを、目の前の女からこれでもかというほど浴びせられていた。
「今まで、どれだけの間!! 我々が貴様ら人類と近くも遠い距離で共に暮らしてきたと思っている!! 我々を我々たらしめてくれる貴様らに、どれだけの感謝を向けてきたと思っている!!」
「……っ」
それは、『傷つけられた者』の激情だ。
守るべき者を持つものの、怒りだ。
「お前達が資源不足にあえいでいるとき、我々がどれほど気を揉んでいたか。お前達が地球を捨てる決断をした時だって、我々月の民の意見は割れたよ。侵略すればいいなんて野蛮な考えが最初から多数派だったわけがないだろう!!」
「お前ら……」
「先に捨てたのはお前らだろうがっ!! 手前勝手な理由で……自分たちの欲望を守るために、私達を真っ先に切り捨てたのは、お前らの方なんじゃないのか!!」
女は、さらに言う。
「今から遡ること、八八年前のことだ。知っているか。『月夜に猛獣が出た事件』というのが、日本の片田舎で発生した」
「…………、……いや。初耳だ。そんな事件は知りもしなかった」
「だろうな。
…………。
「ヤツは友好派の急先鋒だった。だが、人間文化には疎い方でな。不用意に人里近くに化け物の姿で干渉したせいで、猛獣として『自衛』の為に殺された。当時は我々の武力もそこまで進歩はしていなかったからな……」
……つまり、『クレーター』は既に一度、人間に干渉していた。
月を捨てる決断をした人類に、攻撃以外の関わり方で留めようとしていた。だが、人類はそれに気付かなかった。あまつさえその手を振り上げられた猛獣の爪と勘違いしてしまった。
「それからだ。月の民の間で侵略論が広がっていったのは。……それでも最近までは押し留められていた。実際に行動に移せる存在がいなかったからな。だが……お前の『先輩』が全てを変えてしまった」
『クレーター』としては、譲歩に譲歩を重ねた経緯があったのだろう。それでもなお自分たちを捨てる決断をした人類に対する、反転した憎悪の感情が渦巻いていたのだろう。
……そのことが、分かる。
「なんで……なんで、お前たちは……」
……そうか。
『クレーター』っていうのは、どこまでも俺達の鑑写しなんだ。
女の激情を知って、おれ自身も自覚した。おれは……。
「なんでそんな簡単に、私達を捨てられるんだ……」
おれが、自分を殺されたのと同じように。
先輩を守るために戦うのと同じように。
こいつもまた…………誰かのために戦っていたというわけだ。
「…………エゴだよ」
目の前の女に対して、きちんと答えないことは……礼を失する行為だと思った。
だから、俺はなるべく素直に、女の言葉に答えた。
俺の中ではもう、目の前の女は『地球を侵略する憎い敵』ではなく、『別の立場に立って戦う同類』となっていた。
「お菓子の残りを気にせず食べていたい。結局、根幹はそんな子どもの願望と同じだ。楽しいものを楽しんでいるときに、残りを気にしていたら楽しさに翳りが出るだろ。便利なものだって、資源の残りなんて気にせず生きていたい。もっと便利な世の中にしていきたい。……それだけだよ」
その為には、地球は月を捨てる必要があった。
何千年何万年と、気が遠くなるほど長いほど夜に寄り添ってきた自分たちの朋友を。
「悪いが、こっちも限界なんだ。何せお前らの侵略を守るために大事な先輩が星になっててさ。しかも今度は天岩戸なんてモンに閉じ込められるかもしれないとかって話になっててさ。……全部解決する為には、こうするしかない。エゴを通すための覚悟は、してきた」
言いながら、思う。
これでいいのか、と。
その問いかけは死に至る毒だと分かっていながら、思ってしまう。
本当にこれでいいのか?
確かにヤツらは侵略者だ。
おれは殺されたし、先輩もいっぱい苦しんだ。世の中にはさらにシャレにならない被害だって出ている。
コイツらは自分が被害者のように語っているけど、結局侵略を決断したのはコイツらで、最終的には種族をあげて攻撃を仕掛けてきている。月の王を地球に送り込んだりなんかしているのも決定的だ。
ここでコイツを倒し、最後の沙汰を『先生』に投げたって、何の問題もない。先輩だって救われるし、万事が丸く収まることも分かっている。
むしろコイツらに半端に同情する方が、きっと問題だ。作戦だってもう最終段階に侵攻している。あとほんの数分もすれば策は成就するというのに、おれがブレたら現場は大混乱だろう。
分かっている。
分かっているんだけど……、
おれは、思ってしまった。
『此処でコイツらも丸ごと救える結末を思いつけたら、それはきっとめちゃくちゃ楽しいだろうな』──と。
「…………先生」
おれは通信機能をつけて、地上を任せた先生に声をかける。
通信をつけてすぐ、俺は仰天することになった。通信先から、先生の声ではない少女のすすり泣く声が聞こえてきたのだから。
『……チッ。最悪のタイミングだクソったれが。今一番かかってほしくねえ相手から来るとはな……』
「先生!? どういうことだよ、アンタには後詰を任せていたはずだ。何で女の子泣かしてんだ!?」
『死ぬほど人聞き悪りいこと言ってんじゃねえ死なすぞ』
早口で言って、先生はとてつもなくデカい溜め息をつく。
『クソが……。こっちの戦力の脆弱性を突かれた』
それは、明確な敗北宣言だった。
……嘘だろ!? あの先生が、こんな直球に弱音を!? どういうことだ!?
『ツクヨミは無効化された。だからサブとして
…………へ?
おれは、そこに一つの
それって、つまり。
『いいか。面倒くせえから一度しか言わねえ。よーく聞けよ。……有り体に言って、
『うわぁぁああああ、もうやだよお、助けてよお!!』
『分かったっつってんだろうが泣くな! 泣くなコラ! 殺すぞ! ……ああクソったれ!! 聞いたろクソウサギ!!
…………ははっ。
なんだこれ。あの馬鹿みたいに強かった『先生』が……こんな簡単に負けるなんて。
「…………任せろ」
静かに答えて、顔を上げたその時──おれは、信じられないものを見た。
「……おーおー、ようやくあっちを片付けて手伝ってやろうとしたら、なんだこりゃ」
そこにいたのは、
どうやら会話の一部始終は聞いていたらしいが……抱いた意見はおれとは正反対だったようだ。
「ふざけんな。作戦はもう最終段階まで進んでいる!! ここまで『そういうこと』で話を進めてきただろうが!! 人類の敵『クレーター』をぶっ潰して!! 月を資源に変えて!! 大好きな先輩を守るんだろ!!
「知らねえ」
ああ、そうだ。
おれは何も考えていない。この状況に至るまでに、誰かの悪意なんてない。誰もが自分の守りたいと思って動いてきたから、誰かが手を加えた
だからこそ、天下無敵の職能はこの事態を打開するのには役に立たない。自力で、この状況を打開する為の作戦を考えないといけない。
それを分かっていながら、言う。
「でも……此処で月を簒奪するよりもさ」
我ながら馬鹿だとは思いつつ、神に等しい力を手に入れた同志に笑いかける。
「ジジババになっても、大切な人と縁側で笑ってお月見できる────そんな未来の方が、見たいって思っちまったんだよ」
「────救えねえな、クソが」
おそらくは
「
直後。
──月面が、黄昏に染まった。
「…………あ?」
月面の空を背負って、その人はいた。
電影じゃない。確かな実体を伴って──彼女はおれのことを見下ろしていた。
「想像できて然るべきじゃないかな? 先生が『月の王』を抑え、『クレーター』の主だった戦力は月に集中している。つまり、残存戦力だけでも地球の半分は容易くカバーすることができる。私が此処に出張ってきても、何も問題ないじゃないか」
その人は。
「
長い間、俺が焦がれてきた──大切な人。
「稲葉クン。悪いが──たとえキミが相手だったとしても、私は止まらないよ。キミを倒してでも、私は私の望む未来を掴む」
「そりゃ残念だ。おれも、退けないみたいでしてね」
これまで通りだったら、『クレーター』を絶滅させて月を資源に変えて、それで解決でもよかった。
でも、そうはいかなくなった。俺たちは知ってしまった。『クレーター』にも、月の民にも戦う理由があり、守る理由があり──助けてほしいという感情があるということを。
おれは知ってるよ。
目の前にいる少女がそれを知ってしまって、そんなものを踏みつけにして、それでも幸せになれるほど面の皮が厚くないってこと。
そんな結末を迎えてしまったら、一生心から笑えなくなってしまうってこと。
…………おれは、その女の子の幸せのためなら、誰だって敵に回してやる。
「……そうか。それなら仕方がない。…………
「…………
それがたとえ、大切な女の子自身であったとしても!!!!
抗え。
覆せ。
アンカー、がんばれ。