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名探偵へ助けを求める声は、時に意外な伝手からもたらされることもある。
ある休日の、小五郎が運転するレンタカーが目的地を目指し、麗らかなる青天の下を走行していた。
「『風友製作所』って、この間のテレビ番組で紹介されてたよ。元は小さな町工場だったけど、前の社長さんが一代で大きくしたって」
「ああ、そうだな」
「……」
「それで、今はその社長さんの奥さんが社長に就任して、海外への部品輸出で大企業にも負けない大きな会社になったって」
「……」
「……」
「もう! お父さんもお母さんも、ちょっとは会話してよ! 折角、家族みんなで出かけられるのに!」
始終不機嫌な態度で運転する小五郎、苦笑いで助手席に座るコナン。後部座席には場を取り持とうと話題を出す蘭……そして、運転席の対角線上の後部座席には、窓の外から視線を動かさない別居中の母・英理が座っている。
レンタカーが向かうのは、東京郊外に建つ『風友製作所』の社長宅。探偵への依頼は、そこの顧問弁護士から英理を通じて持ち込まれたものであった。
「何が悲しくて、こんなにいい天気の休日に張り切っておめかししたおばさんを乗せにゃあならないんだ」
「あら、万年くたびれたお馴染みのスーツのおじさんに言われたくないわね」
『相変わらずだな、この夫婦』
蘭の奮闘虚しく、和気藹々な家族の空気が出てこないこの場を何とかするため、コナンは仕事の話題を持ち出した。
「ねえねえ、『風友製作所』って会社、前に事件があってニュースで放送されていなかったっけ?」
「昨年起きた、特許裁判のことね」
「特許裁判って、何があったの?」
「『風友製作所』は、主に農耕重機の部品を作る会社よ。最近では、宇宙開発にも進出してロケットの部品も手掛けているわ。だけど昨年、『風友製作所』が新しく作り上げた部品の技術が外部に漏れて、別の企業が先に特許を申請してしまったの」
「それで、あっちは『風友製作所』を特許侵害で訴えて膨大な賠償金を請求してきた。その混乱の最中に、前社長が事故死……賠償金を支払って奥さんが新しく社長に就任して何とか持ちこたえたが、技術の漏洩については未解決のままだ」
工藤新一だった頃にそのニュースを何度も目にした。先に特許を申請されてしまっては、いくら元祖を主張しても無駄なのだ。
『風友製作所』が小さな町工場から世界に通用する企業へと成長したのは、その技術力の高さにある。なのに技術だけではなく、あろうことか賠償金まで搾取されるなど酷い話だ。事故死した前社長は無念だったに違いない。
今回、亡くなった前社長の妻であり、現代表取締役社長である
本日、斧原邸では社員や工場の職員を労うための慰労会が行われる。食事や酒を提供する内輪のパーティーのゲストとして小五郎を招いた、という建前で呼ばれたのだ。そして、都合悪く交通手段がなかった英理を蘭が一緒に行こうと誘い、現状に至る……コナンが仕事の話を振れば、多少は空気が和らいだ。
「技術漏洩事件から1年も経ったのに、一体どうしたんだろうね?」
「お母さん、何か聞いていないの?」
「詳しくは直接お話したいって衣織さん……弁護士の方が」
「ん、あの家か」
東京でも外れの方、人工の建物よりも自然の方が多い場所にひときわ大きな家が建っていた。立派な塀の向う側には、広い庭と真新しい三階建ての家が見える。あそこが斧原邸だ。
「毛利探偵、本日はお忙しい中、ありがとうございます。私、『風友製作所』の顧問弁護士をしております、入野と申します」
「初めまして。名探偵の、毛利小五郎です」
「ご活躍はいつも妃先生からお聞きしております」
「へ?」
「衣織さん! 早速だけど、斧原社長にお会いしたいんですけど!」
金ピカの名刺を受け取ったのは、まだ若い女性弁護士だった。
彼女に案内されて客間に通されると、そこには既に依頼人が待ち構えていた。実年齢よりも若く美しく、どこか殺伐とした空気を纏う斧原緋紗子が名探偵の到着を待っていたのだ。
「本日はご足労いただきありがとうございます。『風友製作所』の代表をしております、斧原です」
「一体どのようなご相談でしょうか。まさか、昨年の漏洩事件のことでは?」
「いいえ。本日お招きしましたのは、娘の麗についてです」
「娘さんの?」
「はい……2か月前、この家で主人の一周忌の法事が行われました。その日の夕方、麗が自室で頭から血を流して倒れていたのです。今も、意識不明のまま病院に」
「何ですって」
斧原の話によると、法事が行われたその日の夕方、三階にある娘の
部屋のドアと窓には内側から鍵がかかっていて密室であった。部屋にあったチェストの角に血痕が付着しており、彼女は転倒してそこに頭をぶつけたのではないかと、通報を受けて駆け付けた所轄の警察は事故として結論を出したが斧原は納得していない。
直前まで大きな物音がしていた。まさか、誰かに襲われて突き飛ばされたのではないか……斧原はそう考えたのだ。
「その日は、法事のために家の者や知人だけではなく、社員たち多くの人が訪れていました。麗が倒れていると騒ぎになって、多くの人たちが心配して部屋にやってきたため、足跡や証拠が有耶無耶になってしまったと警察の方が言っていて。しかし、裏を返せば、多くの人がこの家にいた状況下で麗が襲われたんですよ……その中に、犯人がいた可能性がありませんか」
「麗さんが襲われた心当たりはありますか?」
「あります。きっと、あのことです。昨年の技術漏洩事件、あの時に漏洩した新型部品と並行してもう一つ、主人は他の技術者と共に水素エンジンの部品開発にも着手しておりました」
社内でも完全極秘、妻にも知らせずに行っていた二つの新技術の内、一つが流出した。そして、もう一つ――水素エンジンの部品データは行方不明となっていたのだ。
恐らく、こちらも漏洩してなるものかと意図的にデータを隠したのだろう。しかし、開発を進め、エンジン部品の情報を知り得ていたのは前社長と限られた技術者のみ。その
ちなみに、事故に事件性はなかったとのこと。
「漏洩は内部の者が行ったのではないかと……内部の誰かが技術を他社に漏らし、何らかの理由で麗を襲ったのではないかって。あまり考えたくはありませんが。お願いします。麗を傷つけた犯人を、どうか見つけてください。お願いします」
「分かりました! この名探偵毛利小五郎、麗さんを傷つけた犯人のみならず、技術漏洩の犯人も見事に突き止めてみせましょう!」
斧原が頭を下げ、小五郎が依頼を受けたタイミングで客間のドアが三回ノックされる。斧原の承諾を得てから入ってきたのは、芳しいティーポットとカップを乗せたワゴンを押す赤いタイの執事服の男性だった。
「お茶をお持ちしました。そちらのお客様には、オレンジジュースを」
「ありがとうございます」
「毛利さん、紹介します。当家の執事の衛宮です」
「衛宮です。名探偵のご活躍、いつも拝読させていただいています」
手早く紅茶を淹れ、コナンの前にはオレンジジュースを配膳した衛宮という名の執事。顔立ちはアジア系であるが、その肌は浅黒く丁寧に撫でつけて整えた髪も色が抜けたように白い。黒い執事服の下からでも鍛え上げられた肉体がよく分かった。
「いただきます……っ、美味しい! 紅茶、凄く美味しいです」
「恐れ入ります」
「滞在中に何かがありましたら、この衛宮に申しつけ下さい」
斧原麗を襲った犯人は、技術漏洩事件に係わっているのだろうか?
毛利一家(+コナン)は、美味しい紅茶を堪能してから衛宮の案内で事件現場となった麗の部屋へと向かった。
本当は「レット」・バトラー
なので、偽物。偽の執事。