「マスター、マスター。施しさんが言っていたことと関係あるかは不明ですが、あの中に罪の臭いがする方がいます」
「あの中に犯人が?」
「はい。でも、いつもとちょっと違うんですよね……臭いが新鮮じゃないです。罪の臭いが滲みついています。恐らく、日常的に犯罪行為に手を染めているのでしょう。高野豆腐の煮物レベルで滲み滲みしています」
「そういう嗅ぎ分けもできるんだ」
「はい。すっごい嫌な臭いです」
「つまり。性根が悪に染まった犯人が、身分を偽って遺作の捜索に紛れ込んでいるのですか。一体、何のために」
ソファーの裏を捜索中にプルートーがこんなことを言っていたが、カルナや平次からもたらされた情報を得た今なら分る。プルートーが嗅ぎ付けた「犯人」は雷権会の人間だ。
だが、証拠はなく確かめる術はない。
平次たちと合流した立香は一階のロビーに降りていた。暗号が示す次の場所は判明したが、遺作探しよりももっと大変なことが裏で起きてしまっていたのである。
「状況を整理するか。神部不動氏は、どういう訳か己の別宅の敷地内に染井弁護士の遺体が埋められていることを知った。しかし、背後にいる雷権会への懸念から生前は告発できず、死して後に探偵へ依頼するかの如くこの暗号解読を持ち掛けたのだ」
「本当に世に出して欲しかったのは、染井弁護士の遺体だったんだよ。きっと」
「ミャ!」
「あの中にいる身分を偽っている輩が、雷権会……所謂、ヤのつく自由業の人間か」
「貴様、そのような胡乱な日本語をどこで覚えた」
「む。濁さなければならないと聞いたが」
「カルナさんは……勘が良いって言うか、嘘を見破れるというか。とにかく、あの4人が自称した経歴に偽りがあるみたいなんだ」
「出版社の倉持さん、作家の西目さん、教師の増田さん。そして、神部さんの甥の多聞さん……でも、何人かは顔見知りみたいやったけど」
「そら、口裏合わせている可能性もあるやろ。なにせ、相手は所謂ヤのつく自由業の方々や」
「みろアルジュナ。やはりオレの日本語はおかしくはない」
「ドやかましい」
「そこ、兄弟仲良くしてね」
「ミャー」
「兄弟と呼ばないでください……!」
「ええ! 兄弟やったん!?」
「似てへんな!」
和葉も平次も驚きの声を上げた。気持ちは分る。
半分ではあるが、確かに血は繋がっている。しかし、この2人を初見で兄弟と言い当てるのは不可能であろう。似ていることは似ているのだが、外見は似ていないのだ。
「正確には、異父兄弟です。一緒に育った訳でもありません。ええ、ええ! そうです! こいつと兄弟などまことに不本意です!」
「嘘ではないな。しかし、オレがお前の兄という事実は変わりない、変わりないのだ」
「へぇ……でも、カルナさんの方がお兄さんか。何か意外やな、アルジュナさんの方がしっかりしてて年上っぽいのに」
「私たちの話は横に置いておきましょう。つまるところ、暗号を解読し続ければ染井弁護士の遺体が埋められている場所も判明するやもしれません」
ということで、次は書庫である。だが、書庫がどこにあるかは分からない。別宅内の地図がある訳でもない。
まだ客間を捜索している他の方々にも新しい暗号が示した場所を周知しよう。バラバラに別宅内を動き回られるより、一か所に集めてみんなで捜索した方が監視も行き届く。
「あら皆さん、休憩ですか?」
「はい。それと、次の暗号が見付かりました」
「まぁ! 先生の遺作へは、まだまだ遠い道のりですね」
客間の捜索に疲れた様子の西目と合流した。先が長いことを憂いた彼女も少々休憩に入ろうとロビーのソファーに腰を下ろすと、カルナとアルジュナに視線を向けてこう話を切り出したのだ。
「あの、もしかして。貴方がたのお名前、「アルジュナ」と「カルナ」は『マハーバーラタ』の英雄から取られたのでは?」
「ええ、そうです」
本当はその英雄の影法師である。
「やっぱり! インドでは人気の名前ですもんね!」
「『マハーバーラタ』って、何?」
「『イーリアス』『オデュッセイア』と並ぶ世界三大叙事詩の内の一つで、古代インドの神話的叙事詩です。インド神話の神々の血を引く英雄たちがたくさん登場して、その中でも、アルジュナとその宿敵であるカルナは有名なんですよ」
「詳しいですね、西目さん」
「神部先生に師事していましたからね。それに、神部先生の『鬼狩り三部作』は『マハーバーラタ』がオマージュされているんです」
「『鬼狩り三部作』って確か、人間と鬼が対立する話やなかったか?」
「……主人公である鬼狩りの剣士は、人間の父と鬼の母を持つ混血であり、宿敵である鬼の首魁は同一の母を持つ異父兄弟だ」
カルナが小さく、そう呟いた。
「カルナさん、読んだことあるの?」
「ああ。題名に惹かれて目を通した。浅学なオレでも唸る内容であった」
「そうなんです! アルジュナとカルナは、実は生き別れの異父兄弟だったんですよ! 主人公の名前も迦楼羅、異父兄弟である鬼の首魁の名は羅刹と、インド神話の由来があちこちにありまして……」
西目の口調に熱が籠る。どうやら熱狂的なファンのようだ。
神部不動のヒット作こと、『鬼狩り三部作』と呼ばれる作品をざっくり説明すると。舞台は江戸時代、人間を餌として食べる化け物である鬼と人間の間に生まれた剣士は自身の元から去った母を捜すために人間に害を成す鬼を狩り、やがて太陽を克服した鬼の首魁と出会うが……その鬼が異父弟であることを知ってしまう。
主役格2人だけではなく、複雑な人間関係が絡む物語には、西目だけではなく多くのファンが存在している。
「二作目で書かれた迦楼羅の両親の過去話。鬼の一族に囚われた女性を奪いに行くという王道的なヒロイン救済の流れは『ラーマーヤナ』の流れを汲み、迦楼羅を身籠った母親を殺そうとする他の鬼狩りたちの動きは『マハーバーラタ』終盤の……」
「に、西目さん! ちょーっと訊きたいことがあるんやけど、ええですか?」
「はっ……す、すみません。つい力が入っちゃって。何でしょうか?」
「暗号にあった書庫ってどこにあるんやろ」
「先生の書庫は一階の東側にあります。ホテルの宴会場だった大広間です」
「そこに事典類は?」
「たくさんありますよ。先生は資料として色々な事典を蒐集していましたから」
恐らく、次の手がかりは事典のページの間に隠されているのだろう。またもや骨の折れる捜索になりそうだ。
「あの、西目さんのペンネームは天楼博美さん、でしたよね? 小学生向けの本で、お寺さんが舞台の小説を書いてはったんとちゃいますか?」
「『輪々寺のよろづ屋さん』シリーズね。ええ、私の作品です。二作しか続かなかったけど……」
「やっぱり! アタシ、小学生の頃にその本を読んで書いた読書感想文が、コンクールで秀作に選ばれたことがあるんですよ!」
「あったか? そないなこと?」
「何言ってんねん。アタシが図書館の前で賞状持って写真撮った時、呼んでもないのにアンタが割り込んできたやろ」
「そうやったかな~?」
「もう! とぼけるな!」
「私のデビュー作よ。神部先生にご意見をいただいて書き上げたの……懐かしいわ」
雑談終わり、休憩終わり。倉持や増田、多聞と合流して今度は書庫の捜索だ。
すると、和葉の視線がちらりとカルナへと向いた。彼の顔を見て首を傾げると、苛立った様子で青筋を浮かべる平次に腕を引かれてさっさと書庫へと連行される。なんと言うか、第三者から見ると分かりやすいことになっていた。
「アルジュナ。どうやら、オレはまた何かを間違えたようだ」
「おまえは何を言っているんだ」
***
『
『
『
神部不動/著
これら四冊がまとめて『鬼狩り三部作』と呼称されている。
神部氏が病気療養に入る前に完結させたが、その結末についてはファンの間で様々な議論が行われている。最終巻にて、鬼の一族は鬼狩りたちの手で滅ぼされるが、1人だけ取り逃してしまう。最後の生き残りである羅刹と、異父兄であり主人公である迦楼羅との一騎打ちで物語は幕を下ろす。
どちらが生き残ったのか死んだのか、それともどちらも死んだのか生き残ったのか。多くのファンの考察と願望が日夜討論されていたのだ。
「『
「カルナの部屋にありました」
「何だよ、あいつ死んだ作家のファンだったのか」
カルナが自らレイシフトに志願したことに疑問を抱いていたマシュやアシュヴァッターマンは合点がいった。
ふわふわと浮遊しながら食堂にやってきた彼――アルジュナ・オルタが手にした本も、地下図書館のデジタル万引きの被害に遭っていたのだ。カルナは図書館で借りたそれらを読んでいた。それで興味を惹かれたとしても、不思議ではないのである。
「カルナに似た男と、真のアルジュナに似た男が戦う物語……どこか、不思議な心地になる物語です」
「アルジュナじゃねえ方のアルジュナも読んだのかよ。カルナが、ファンの作家の遺作のために宝探しとは、意外なとこもあるじゃねえか」
霊基再臨により当初は失われていた人間性を取り戻しつつあるアルジュナ・オルタの内面を揺らしたように、神部氏の書いた物語はカルナに響くものがあったのだろう。
古代インドの物語を取り込み、自身の中で再出力し、叙事詩の英雄たちの心を揺さぶる筆を執り続けた神部不動。彼が遺した秘密と謎は、カルデアによって暴かれている……しかし、どうやって辻褄を合わせて真実を白日の下に晒すかは、探偵たちに頑張ってもらわなければならない。
・神部不動(享年60)
本名は神部日都史。主に時代小説や歴史幻想小説を執筆していた作家。
自身のヒット作『鬼狩り三部作』を完結させた後に病気療養に入ったが、闘病の甲斐なく3か月前に病死。らしくない暗号解読による遺作の宝探しを遺したが、本当に隠しているものは……。
ちなみに「神部」は夫人の姓で旧姓は「月尾」
名前の由来は「不動明王」
・倉持国輝(42)
司馬波出版関西支局の社員。今回のカルデアの案内役。
新人時代に神部氏の担当編集に就いたこともあり、同氏には随分とお世話になった。甥の多聞とも面識がある。
大阪に単身赴任中で、そのせいで随分と痩せてしまったらしい。
名前の由来は「持国天」
・西目広美(36)
ペンネームは「天楼博美」。主にジュニア小説を手掛ける作家。神部氏の弟子でもある。
『鬼狩り三部作』の大ファンであり、その繋がりでインド文学にド嵌りした。本人の著作としては、知名度はそこそこだが図書館にはおいてある。『輪々寺のよろづ屋さん』など師匠と同じく和風ファンタジー小説を得意とする。
名前の由来は「広目天」
・増田秀長(50)
府内の高校の教師。神部氏が高校教師をしていた時代の元教え子。
神部氏に感銘を受けて教職に就き、甥の多聞を受け持つことになった。髪の毛が乏しい。
名前の由来は「増長天」
・神部多聞(31)
神部氏の甥で作家……だが、正直挫折しかけておりフリーター同然になっている。
伯父らしくない置き土産に困惑しつつも遺作探しのために増田と共に参加した。ストレスのため随分と太ったらしい。
名前の由来は「多聞天」
・吉瀬祥恵(28)
神部氏の娘で暗号の発見者。名前のみ登場。
平次の母・静華から百人一首を習っていた縁で暗号の解読を依頼した。ちょっとうっかりなところがあるようである。
名前の由来は「吉祥天」、結婚して名字が変わった。
・染井明雄(享年40)
・染井愛(享年38)
・染井めぐみ(享年8)
12年前に発生した『弁護士一家殺害・失踪事件』の被害者一家。
弁護士をしていた染井が広域指定暴力団・雷権会絡みの事件を調査していたがために、報復として妻子が殺害され本人は誘拐された。が、染井も既に殺害されており、その遺体は神部氏の別宅の敷地内に埋められている。
名前の由来は「愛染明王」