優作のサイン会は事前申込制にしたが、それでもあまりの人気のために時間帯を分けての整理券配布とした。ファンの方々には、指定した時間帯になってから会場に来てもらい、差し入れやファンレターを渡すのは禁止である。
捌いてくれた士門の手腕は見事であるが、優作に無茶振りをしているのは学生時代から変わっていなかった。そうだ、昔からこういう奴だった。
「次の方、どうぞ」
「は、初めまして、ミスター工藤! 素晴らしい作品を拝読させていただいています。『緋色の捜査官』も、脚本だけではなく演出も俳優さんたちの演技も素晴らしい作品でした」
「ありがとうございます。お嬢さんは、今日はどちらから? 日本国外からいらっしゃったと見受けられますが」
「イギリスから参りました」
「ホームズの国から遥々と、それは嬉しい限りです。お名前は?」
「マシュ・キリエライト……マシュ・キリエライト・ベンウィックです」
サインペンがサラサラと流れるように動き、緋色の背表紙に少女の名前が刻まれる。それを手渡せば、眼鏡の向こうから覗くアメジストに似た瞳が、星が瞬くようにキラキラと輝いた。
「先輩! 工藤先生のサインを入手しました!」
「やったね、マシュ!」
「はい! それにしても、工藤先生の雰囲気は、どこかミスターホームズに似ています」
「それ、俺も思った」
やはり、平成のホームズと呼ばれる探偵と親子だからだろうか。聞けば、優作も頭脳明晰な探偵という話である。
立香は宝物を抱えて帰って来た後輩を出迎えた。彼女のために早い時間帯の整理券を入手した苦労もあったが、これだけ喜んでもらえれば苦労も吹っ飛ぶもんである。
小説家、工藤優作が日本でサイン会を開催する。すっかり優作のファンになったマシュが、そのイベントが気になっている素振りを立香は見逃さなかった。なので、本日は久しぶりに後輩と共に特異点攻略である。勿論、彼女以外にもサーヴァントがやって来ているが、偶には楽しんでと一部を除いて行楽モードだ。
立香と共に『ラウンドシティ東都』にやって来たのは、家茂と令呪を一画使用して再臨状態になったアンリマユともう1人……のはずが、もう1人がいなかった。
「あれ、ランスロットは?」
「女と離脱中」
「はぁ?」
「っ、マシュさんの空気が三度下がった!?」
「先輩、あの大バカ色ボケ之介は放っておきましょう」
「女性について行ったと言っても、少々語弊がありまして……」
アンリマユの説明が足りなかったので、家茂が補足する。
3騎のサーヴァントが立香とマシュを待っている間、猫のぬいぐるみを抱えた小さな女の子と遭遇したのだ。どう見ても迷子。しかも、好奇心でエレベーターに乗り込んでよく分からない階に下りてしまったと、泣きながら告げた情報によれば近くに保護者もいない。
なので、ランスロットはその子を抱き上げて、迷子センターを兼ねているインフォメーションセンターへ向かったので一時離脱中です。と、補足説明が終了したが、マシュの空気は特に変わらなかった。三度下がったのが一度上がったくらいだった。
「人助けなら仕方ないよね」
「女の子のお母さんが美人かもと期待していたのでは」
「当たりがキツい!」
「で、この後はどうします? ビュッフェに合流しちゃいます?」
「それとも、オルタ先輩たちみたいにショッピングにしますか?」
現在、ジャンヌは蘭と園子と一緒に下の階のショップで買い物中だ。彼女たちが手に入れたサイン会の整理券は午後の時間帯だったため、その時間まではサリエリを荷物持ちに連れ回して女子高生の休日を謳歌している。
折角だ、お昼の混み合う時間帯を避けてショッピングにしようか。
「あれ、こっちでもなんかやってんの?」
「映画の上映会のようですね。『桜三十郎』……聞いたことがあるような」
「ミニシアターも併設されているんだ」
サイン会場ではミニシアターで懐かしの名作映画の上映イベントが行われていた。
立香たちがレトロな印刷のポスターを眺めていると、イベントのスタッフと思わしきスーツの男性が飛び出て来て、一組の参加者を出迎える。人が良さそうな老年男性と、彼と腕を組む若い女性。2人の少し後ろを歩きつつスマホから目を離さないぽっちゃり体型な女性。スーツ姿の男性に付き添われ、高級な衣服で着飾った彼らはいかにも平身低頭で出迎えられるような人々だった。
「これは黒倉様! ようこそ、おいでくださりました!」
「三十郎がスクリーンで観れると聞いて、来てしまったよ」
「ねぇあなた。やっぱり、私は買い物していますわ」
「折角だから昭和の名作も観てみなさい。損はないから。令愛、お前もたまには映画でも嗜め」
「……はーい」
「吾代、上映が終わった後にいつもの店を押さえておいてくれ」
「畏まりました」
「あの男性、どこかで見たことあるような」
「あの方……『黒倉建設』の黒倉社長です。こちらの施設の建設に尽力されたと、雑誌で特集されていました」
「あ、あの雑誌で見たのか」
黒倉とその妻、
「いかにも~な奴ら登場したわ。もし事件起きたら、真っ先に被害者候補になりますねあれ」
「言わないでフラグが立つから」
「ですが、名探偵と言われた工藤先生がいらっしゃいますし……」
事件の気配があるから探偵が現れるのか。それとも、探偵がいるから事件が起きるのか。鶏が先か卵が先か。
因果関係の堂々巡りが延々と続いている特異点で、まさか今日も、何かが起きてしまうのか?
そのフラグが立つ兆しは、『ラウンドシティホテル』の八階に迫っていた。
「おや、先ほどのレディたちではありませんか」
「さっきのエレベーターに乗っていたお兄さん!」
「お先にどうぞ」
輝かんばかりの美味しそうな料理を前にして、子供たちは嬉々として皿を片手にビュッフェへと繰り出した。コナンが歩美や哀と一緒にサラダコーナーへ向かえば、他の人々の中でもひと際目立つ男性がいる。
ブロンドと碧眼に優雅な仕草、囚われのお姫様を颯爽と助ける王子様のようなその人は、先ほど重量オーバーになってしまったエレベーターに乗っていたグループの内の1人だ。コナンたちを目にすると、レディファーストと言わんばかりに場所を譲ってくれたのである。
「ありがとうございます」
「お兄さんはみんなで旅行?」
「はい。会社の旅行で日本に参りました。あなた方はみんなでランチですか」
「うん! 凄いよね。全部美味しそう!」
「品揃えが素晴らしい! 野菜料理だけでもこんなにたくさんあるとは、感服いたしました」
その品揃えが素晴らしい料理が並ぶ向こうのテーブルが、ちょっと騒がしい。あちらはご飯系の主食が並ぶ場所だ、鰻が入ったひつまぶし風炊き込みご飯があると知った元太が真っ先に駆けて行った。
まさか、何かトラブルでも起こしたのかと振り向けば、確かに騒ぎの渦中にはいた。
「さあ、たんと食べなさい」
「スゲー! 山盛りだ! サンキュー兄ちゃん!」
「さあ君も」
「ボ、ボクは結構です」
背の高く立派な体躯の男性が、元太の皿にひつまぶし風炊き込みご飯で山を作っていた。比喩ではない、こんもりとした山盛りなのだ。更には光彦にもカルボナーラを山盛りにしようとしていたので、そちらは丁重にお断りしている。
あの人も、エレベーターに乗っていたメンバーの1人だ。
「失礼。つい、世話を焼きたくなってしまって。美味しそうな料理がこんなにあるんだ、子供たちにはたくさん食べてもらいたくてね。勿論、我らが王にも!」
「王?」
「私たちの……社長、のことです。申し遅れました、私はガウェイン・オークニーと申します」
「私はパーシヴァル・ゲール」
「社長って、あの人のこと?」
料理が山盛りになった皿を両手に持つ男性たちのテーブルでは、これまたたくさんの料理がどんどん片付けられる光景が繰り広げられていた。エレベーターで一礼をしたその人は、一見すると凛々しい少年にも見えるスーツ姿の少女だ。小柄な姿に見合わぬ大量の料理を、キラキラした表情でもりもり食べている。
「あの人、あの細い身体のどこに入っているんでしょうね?」
『なんか、妙な観光グループと遭遇しちまったな』
この時はまだ、ちょっとだけ奇妙な縁が繋がっただけだった。
異変が――『ラウンドシティ東都』全体を巻き込んだ事件の始まりは、苦しそうな呻き声から始まったのだ。
「う……っ」
「? お父さん? お父さん!?」
「がはっ……!」
「お客様! どうされました、お客様!?」
ガチャン!と、コップが落ちて割れる音と共に、人々の呻き声が次々に湧いて来る。男性が顔を真っ青にしながら胸を押さえ、老人が椅子から崩れ落ちて絨毯の上に倒れ込む。ついさっきまで楽しそうに料理を口にしていた人々が、続々と苦しみ始めたのだ。
「っ、お前ら! 食べるのやめろ!」
「うぷっ……!」
「博士? 博士!」
「これは……まさか、食中ど、く……っ」
「白鳥さん!?」
豚肉の蒸し料理を食べていた阿笠も箸を落とし、異変に気付いた白鳥も椅子から立ち上がった瞬間に胃に激痛が走った。来客もウェイターたちもパニックになる中、食事の時間を彩っていた南国の海の映像がブツリと音を立てて消えたのだ。
パーシヴァル先行登場(気を抜くと「パーやん」と呼んでしまうのは秘密)