破裂音がした瞬間、マシュは反射的に立香を背後に隠して前に出た。迷いがない動きは、彼女が歴戦のサーヴァントであると実感させると同時に、やはり事件が積み重なってしまったと緊張が走る。
黒マスクの男から告げられる、拳銃に爆弾、毒物、身代金10億円と、事件を構成していく単語が増え続ける。
『桜三十郎』の上映を楽しみに待っていたミニシアターの招待客たちが連れて来られると、直感的に「揃った」と思った。10億円を払うことに苦がなさそうな人たちが揃って、この事件は本格的に始まるのだ。
『防災システムの稼働と同時に防火扉でフロアを閉鎖。防火扉は通信用電波をシャットアウトする機能もあるようだ。Wi-Fiも切断され、人質が外部と連絡をする手段も断たれている……レストランも同じ状況だ』
「アルトリアたちは?」
『毒で倒れた人質たちの救護に当たっている。それと、彼らも『アヴァロン』にいるよ。『少年探偵団』と保護者の博士が』
「コナン君たちまで……ダ・ヴィンチちゃん、犯人が言っていたことは本当? 爆弾って」
『今のところ、八階~十二階に爆発物の反応はない。しかし、
カルデアの通信機は電波の切断など無意味である。ノンホールピアス型の通信機からダ・ヴィンチの報告を聞いた立香は、小さく息を飲んだ。八~十二階の爆弾が嘘だとしても、黒マスクの男が持ち込んだのは本物だ。
ランチタイムのレストランには、こちらとは違い幼い子供も多いはず。コナンたちを始めとした小さな子供たちが毒の被害に遭っていなければいいが。
こちらの人質は概ね大人ばかり。特に、ミニシアターから出て来たのは年配者が多い……だが、黒倉を始めとした、いかにも金を持っていそうな小綺麗な身形の者ばかりだった。
「あいつらの資産合わせたら、簡単に10億とか出せるんじゃねーの?」
「しかし、この場には世界的な知名度を持つ工藤先生もいらっしゃいます。工藤先生の身の安全と引き換えなら、全世界のファンが身代金を支払うことも可能でしょう」
「あ!」
犯人グループの目を盗んで、サイン会の列から1人の女性が飛び出した。怒声を背中に浴びながら真っ直ぐ非常階段を目指すが、防火扉で閉鎖されている。押しても引いても人間の力ではびくともしない。
女性はあっと言う間に追い付かれ、黒マスクの男に腕を締め上げられて床に叩きつけられた。そして男は、女性の顔のすぐ横、床目掛けて引き金を引くと、銃声が響いて実弾が発射されたのだ。
「大人しくしていれば危害は加えない。馬鹿な真似はするなよ」
「……うっ、ううっ……!」
「い、嫌ぁ! 誰か、誰か助けてよ!」
威嚇と見せしめだ。このフロアからは逃げられないし、変な動きをしたら今度は容赦なく撃たれると行動で示された。
床に伏せてしまった女性は両手で顔を覆って泣き始め、それを目にしたサイン会スタッフの女性がヒステリックに叫んで震えながら座り込んでしまった。
「大丈夫ですか?」
「ひっぐ……はい」
「どうしてあんな無茶を」
「夫が、下の階で待っていて……それで、思わず」
立香が駆け寄ると、女性――
下の階にいる者たちも、この異変に気づき始めているだろうか。これからの時間帯の整理券を持っているサイン会の参加者たちも、そろそろ移動を始める頃だろう。十三階へ向かうためのエレベーターが停止していて、上階と連絡が付かないならおかしいと思うはずだ。
つまりは、警察に通報される可能性がある。警察が駆け付けた時、多くの武器を所持している犯人たちはこの閉鎖空間で何をするつもりなのか……最悪の事態は考えたくはない。
「渡部さん、でしたね。マイクをお借りしても」
「は、はい」
優作は震えながら座り込んでしまった女性スタッフ、
マイクのスイッチを入れて音響状態を確認すると、まるで子供を落ち着かせるかのような優しいトーンで、会場の人々へ言葉をかけたのだ。
『えー……みなさん、このような非日常的な出来事に酷く混乱しているかと思います。しかし、今は落ち着きましょう。幸いにも、彼らは「大人しくしていれば危害を加えない」と言っている。まずは、大きく深呼吸をしてください』
優作の言葉に、人々の戸惑いと不安が収まる気配を見せ始めた。下手に抵抗して事態が悪化してしまうのなら、大人しく従った方が理に適う時もある。だが、大人しくしているだけで事件が終わる訳でもない。
「さて、要求は10億円と言いましたね。具体的には、誰にその身代金を要求しているのですか?」
「誰でもいい。とにかく、10億を払ってもらおう。お前ら全員が金を出し合っても、誰か1人が10億払っても良い。決断が早ければ早いほど、解放は早くなる」
「だ、だったら。ねえ吾代さん、10億なら払えるよね? パパ、早くお金払って帰ろうよ!」
「落ち着きなさい、令愛。そもそも、犯罪者の言うことを鵜呑みにしちゃいけない。本当にホテルのレストランに人質がいるか分からないんだぞ。それに、10億払っても無事に解放される保証もない」
「それに、人質全員がお金を出し合って10億でもいいのよね? だったら、私たちの分だけ払えばそれでいいんじゃないの? 偶然、同じ場所にいただけの人たちのために、10億も出すなんて馬鹿みたいじゃない。ね、あなた」
本人は小声で提案した気でいるようだが、人でなし感がプンプンするその発言はしっかりと聞こえていた。甘えた声を出して黒倉にべったりとすり寄る成美は、まるで自分たちの資産が減ってしまうのが勿体ないと言わんばかりだ。
「アンタはいっつもお金の話ばっかり! そうよね、お金目当てでパパと再婚したんだもんね」
「そんなことないわよ。ただ、不平等は駄目って話をしているのよ、令愛ちゃん」
「うっざ! 心にもないこと言うなよババァ!」
「オイ! うるさいぞ! ぶっ殺されてぇか!!」
成美に噛み付いた令愛に、犯人グループの1人が声を荒らげた。白いマスクに刈り込んだ金髪と、柄が悪そうな男だ。手にした拳銃を見せびらかすように彼女へ突き付けるが、令愛はそれよりも成美への嫌悪の方が勝っていて気にもしない。
それが、どうもカチンと来たようだ。
「調子に乗ンなよブスが!!」
「っ!」
「危ない!」
あまりにも気軽に、簡単に、アッサリと引き金に指をかけて、金髪の男は令愛に向けて発砲した。
あまりにも突然のハプニングに令愛は悲鳴を上げる暇もなく撃たれてしまうはずだったが、横から飛び出て来た警備員が令愛を庇って共に床に倒れ込んで事なきを得たのだ。
「キャアァァ!!?」
「だ、大丈夫ですか?」
「は、はい……ありがとう、です」
「良かった」
令愛も、彼女を庇った警備員にも弾丸は掠りもしなかった。警備員の帽子が落ちて中に収めていた髪がハラハラと落ちた……細身だと思ったが、女性警備員だったようだ。
死者が出なかった状況に胸を撫で下ろしていると、鈍く重い、殴打の音が聞こえた。発砲した金髪の男が、黒マスクの男に殴られていたのだ。
「勝手に発砲するなと言ったはずだ! お前を先に消してもいいんだぞ!」
「す、すいません……き、気をつけまっ……!」
顔面を狙ってもう一発、黒マスクの男は容赦なくぶん殴った。それを目にして、人質と犯人グループの双方に緊張感が走る。やはり、あの黒マスクの男が主犯格か。
「痛っ」
「どこか怪我を?」
「足首が……」
「見せてください。少しですが、テーピングもできます」
「お願いします」
「はい。貴女は大丈夫ですか? ええと……」
「警備員の響です」
どうやら、転倒の際に令愛が左足首を痛めてしまったようだ。警備員の
「失礼します……っ、打撲痕が」
「あ、それ、痣です……生まれつきの」
「す、すいません! もしかしたら、これから腫れてくるかもしれません。その時は、遠慮なく言ってください」
「令愛さん、大丈夫ですか。どうもありがとうございます」
「いいえ」
マシュが令愛の怪我の具合を確認すると、彼女の左足首には赤い痣があった。一見すると、打撲痕のような、火傷の痕のような痣は、まるで桜の花弁のような形をしている。
幸いにも大きな怪我ではなかったが、令愛の父である黒倉は無事だった彼女に視線すら向けていない。娘の危機に父親が無関心で、義母である成美との関係もぎくしゃくしている。迎えに来たのは秘書の吾代だ。
「感情に任せて先走った行動は、後で痛い目に遭う。よく分かっただろう、令愛。私の親も兄弟も、目先の利益に飛びついて失敗して死んで逝った。何事も、すぐに結論を出すのは愚策だ。私の娘なら、分かっているでしょう」
「……ごめんなさい。パパ」
マシュの中で、黒倉に対する嫌悪感が一気に高まった。
【余談】
『桜三十郎』
元は青山先生の短編『プレイ イット アゲイン』の主人公。『YAIBA』の原型とか。
『コナン』原作では単行本33巻の『犯罪の忘れ形見』に登場。作中では探すほどの掘り出し物のビデオとあったので、DVD化されず配信もされていない昭和の名作扱いとしました。
気になる方は『青山剛昌短編集』をチェック!『えくすかりばあ』とかも面白い。