時に、ハッピーエンドの定義とは何だろうか?
特にミステリーにおけるハッピーエンドとは、どのような結末を指すのだろうか?
ミステリーというジャンルの作品において、探偵が解決する事件が起きるということは、殺人や傷害が発生するということになる。世界最古の推理小説だって、親子が無惨に殺害されて幕を開けるのだ。
例えば、探偵が推理で犯人を暴いて惨劇を食い止めること。
例えば、刑事が犯人を逮捕して被害者や遺族の無念を晴らすこと。
例えば、復讐者がトリックを用いて口に出すのも悍ましい加害者たちへの復讐を完遂すること。
死体が出たのにハッピーエンドと言えるのか。
血が流れて死体が出て、悲鳴を上げて、泣いて悲しむ物語……これらをハッピーエンドに導くには、何が必要なのだろうか。
「数多の手法で生み出される死体と、濁流の如き混沌の愛憎劇で彩られる物語。何人もの人間が殺されて、探偵が歯を食いしばりながら犯人を追い詰めた先にあるハッピーエンド……それは、微かにでも救いのある幕引きかな」
「フォウー、フォウ!」
「殺人事件を題材にしたミステリーというものは、死体の山でできたベッドで楽しい夢を見ているようなものじゃないか。うん、グロいよ。そんな、悪意と殺意で形成されたグロい世界に涼風をもたらして綺麗サッパリにするために、人類が研鑽と進化を重ねて書き綴ったのが「探偵」だ」
歴史を重ねて、「探偵」たちも数多の進化を遂げて来た。
星の数ほどの探偵たちの中でも、被害者の、加害者の残した優しい真実を手に入れて、悲劇の中に微かな救いを見つけよう奔走した者たちは、読者にハッピーエンドを与えてくれたと言えるだろう。勿論、そんな探偵たちを世に送り出した創造主たちもまた、死体の山と悪意と殺意の蔓延の中で微かな救いを求めたのだ。
「この事件は……
「フォーーウ!」
「蹴らないでくれるか、キャスパリーグ! 私は
「バーローフォー!」
フォウにげしげしと蹴られるマーリンが見たかったのは、探偵たちが導くハッピーエンド。
彼らは真実を暴き、微かな救いへと辿り着けるのか。
***
『ラウンドシティ東都』と『ラウンドホテル東都』にて、立て籠もり事件が発生した。
犯人グループは同施設の防犯システムを手中に収め、爆弾や拳銃や毒を持ち込み、人質をとって10億円の身代金を要求した。被害者は、中毒になったホテルのレストランの客が多数。彼らは、入院の必要はあるが命に別状はない。
問題は出てしまった2名の死者だ。
『ラウンドシティ東都』の十三階の人質が2名、銃殺された。その被害者が国内の大手ゼネコン『黒倉建設』の社長夫婦だというのは、しばらく後にマスコミを騒がせる話である。
コナンだけではなく、犯人グループによって拡散された監視カメラの映像を見た人々の通報により、何台ものパトカーと救急車が『ラウンドシティ東都』に駆け付けた。
「白鳥君、大丈夫かね?」
「ええ。すいません目暮警部、しばらく休暇をいただきます」
「全快して戻って来い。こっちは心配するな」
「灰原さん、1人で付き添える?」
「ええ、1人で平気。先生はみんなを送ってあげて」
白鳥や阿笠を始めとした被害者たちが次々と救急車で病院に運ばれていく。哀は阿笠に付き添って救急車に乗り込み、小林は白鳥を見送って自分がやるべきこと……すなわち、元太、光彦、歩美を自宅へと送り届けるためにこの事件を離脱する。
鑑識が『アヴァロン』やホテルの内部を徹底的に捜査すると、八階への直通エレベーター内の開閉ボタンから毒が検出された。コナンの推理通りだったのだ。
他、『ラウンドシティ東都』の十三階に閉じ込められていた人質たちが逃げ出す際に非常階段に押し寄せ、両手両足では数えられない負傷者が出た。一歩間違えれば、転落死していたかもしれないパニックだったのだ。
「君たち、怪我はなかったかい?」
「ええ、俺たちは大丈夫です」
「士門さん、指が」
「飛んで来た拳銃をチャッチした時、痛めたみたいで……渡部さんも、ぶつかって肩を痛めたようだ。警備員の彼女も、さっき脚を引きずっていた」
立香とマシュに声をかけて来た士門の右手の人差し指が真っ赤に腫れていた。救急隊の診断によると、突き指のようである。骨には異常がないと聞き、安心したように息を吐いた。
救急車の搬送を待つ人々がグループのように点在して固まっていた。警備員の響は左足を引きずっているが治療は後回しでいいと、右肩を押さえるサイン会スタッフの渡部を優先させている。
吾代は顔を真っ青にした令愛に付き添っているが、彼女に必要なのは怪我の治療ではなく心のケアだろう。身内が目の前で殺害され、自分も階段から転落して死にかけた……今にも泣き出しそうだったが、ぐっと堪えているように見える。
そんな人質被害者たちの近くで、スマートフォンを手にした内筒が居心地悪そうにうろうろしている。流石に動画の撮影はしていないが、相方が犯人グループの一味だった彼もまた、被害者かもしれない。
「ニャーーーン」
士門を含めたその6人に向かって、黒猫が鳴いた。
一足先に連行されて行った犯人グループたちを告発した時と同じく、甲高く鳴いたのだ。
「ミャア」
「……」
「あれ。何でしょう、あの車?」
マシュの視線の先には、法定速度を思いっ切り無視してこちらに向かって来る一台の自動車。まさか、こちらに突っ込んで来る暴走車かと思いきや、荒々しいハンドル捌きで急停車させ、タイヤからは悲鳴のような音がした。
「「蘭!」」
「お父さん!? お母さんも!」
暴走車の後部座席から飛び出て来たのは小五郎と英理だった。事件の現場に蘭がいると知った夫婦は、同窓会を飛び出して急ぎ駆け付けたのである。
そして、通常だったらあっと言う間に危険運転で手錠がかけられそうなドライバー……運転席から飛び出て来たその人が、とんでもない美女であったのだ。
「新一のお母さんまで!?」
「新一のお母さん……って、まさかあの人」
「工藤君のお母さんで、元女優の有希子さんよ」
「優作! あ、蘭ちゃん! 優作と新……コナン君は?!」
彼女が噂の伝説の女優であり、新一の母であり優作の妻である。夫が人質に取られたと知った有希子が、毛利夫婦を乗せて現場に駆け付けたのだが……有希子が探す優作の姿がない。それどころか、コナンもいない。
彼らの姿は、事件の現場となった十三階にあった。
犯人グループが持ち込んだ爆弾が、爆弾処理班によって液体窒素の中に沈められたのを確認してから、黒倉夫妻が殺害された現場の捜査が始められる。
「黒倉さんは人質の女性に、正面から胸を二発撃たれた。成美さんは、揉み合いの最中に発射された銃弾に後頭部を撃たれて死亡」
「状況から見て、黒倉さんを撃った女性は犯人グループの1人で間違いないだろう。犯人たちはあの清掃カートに武器類を入れて持ち込んだ。拳銃は全部で九丁、おや、サイレンサーまで」
「九丁?」
コナンと優作が捜査をする十三階の現場では、大捕り物の混乱によって件の清掃カートがひっくり返り、犯人の何人かが落とした拳銃や、その付属品として持ち込んだその他の用品が放置されている。ナイフにガムテープ、拳銃に装着するサイレンサーまで転がっていた。
雑踏に踏んづけられた『緋色の捜査官』の単行本が落ちているのを目にした優作は、残念そうにガクっと肩を落としていた。
「ん、床に銃弾が埋まっている」
「人質に紛れていた女性……確か、甲さんと言ったか。彼女が人質を演じている時に、主犯格の男が威嚇として撃った一発だ。今思えば……彼らは同じ犯行グループだが、一部は面識がなかったように見受けられた。さて、お前はこの事件をどう見る?」
「一見すると、無駄に規模が大きい金銭目的の立て籠もり事件。しかし、犯人たちの本当の目的は……恐らく、『黒倉建設』にある」
本当は、身代金10億円なんて興味などなかったのかもしれない。本当の目的は、復讐……歓喜に満ちた佳恵が口走った言葉から察するに、彼らは『黒倉建設』への復讐のために犯行に及んだのだ。
トメさんを筆頭に鑑識官たちが動き回る現場に、目暮たち捜査一課も臨場した。小五郎まで部下のように控えていたのは、蘭の無事を確認した後に強引について来たからである。彼の姿を目にしたコナンは、「やっべ!」と太い柱の陰に隠れた。
『何でおっちゃんが……ん? こんなところにも銃弾が埋まっている』
「目暮警部」
「おお、優作君! 無事でよかった」
「お陰様で。実は、この事件に関することで、調べてもらいたい件があるのですが」
コナンが隠れた太い柱にも銃弾が埋まっていた。威嚇射撃の内の一発が当たったのだろうか。
小五郎を交えた刑事たちの捜査が始まると同時に、優作はこっそりと目暮にある調べものを依頼していた。
一気に大事にサクっと解決……と、言う訳にはいかないんだよね。