George Gregory 拙作集   作:George Gregory

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『カミキリ』のセリフリメイク、その導入編です。
とある方へのお祝いに。
ネタが降って来たので、不定期連載にします。


カミキリ
ショートボブ 1


 しゃきりしゃきりと、霜柱を踏みしめるかのような軽やかな音が耳元で鳴る。その度に頭が、身体が、そして心が、ふわりふわりと軽くなっていくような感覚があった。余りの心地よさに浅くまどろみ始めてしまう私にしわがれた、けれどとても優しく落ち着いた声が囁く。

 

「構いませぬぞ。どうぞゆっくりと、寛いでいただいて」

 

 その声に抗うことを止め、ゆっくりと湖の底へ沈んでいく小石のような気持ちで、私は静かに両方の瞼を閉じた。貴方を忘れてしまう私のことを、どうか許して欲しい。そんな、淡くてほろ苦い想いを噛み締めながら。

 

 

 

 

 この家の娘として生まれたのだと自覚した時から、恋愛結婚というものを諦めていた。諦めざるをえなかった、とも言う。男は優れた跡取りに。女は良縁を結び跡取りを産む母に。『子』とはそういうものである。少なくとも、そういう家に、私は生まれた。

 

 私が生まれた時の父の落胆といったら、それはそれは大きかったそうで、母はとても肩身が狭い思いをし、生まれて間もない私を連れて“産後の静養”という名目で暫くの間実家に戻っていて、その流れで私は幼少期をずっと祖父母と共に過ごした。当時の母の苦悩や、父のどこか素っ気ない態度の理由を知ったのは数年後、待望の弟が生まれ、「良かった」「良かった」と何度も繰り返しながら安堵の涙を流す母に抱き締められた時だった。そして、幼いながらに漠然と理解した。この家における私たち母子の立場は、極めて低いのだ、と。

 

 習い事は主に音楽と舞踊。教師陣の熱心な指導にも必死に食らいつき、確かな結果と共に応えてみせた。好い成績や賞をとる度に、父は「当然だ」と満足そうに微笑み、そして「これに満足することなくより一層励むように」と続けて、そのまま仕事へと戻っていく。それから家に帰ると、いつも母が申し訳なさそうに私を抱き締め、謝るのだ。歪な関係であることは百も承知だが、これが生まれてからずっと変わらない、私たち親子の形だった。

 

 唯一の例外があるとすれば、それは弟のことだ。身体は華奢で肌も生白いけれど、とても熱心な読書家で、よく本を抱えて駆け寄って来ては「読んで下さい」と私にねだった。それを許すと私の膝の上にちょこんと座って、(ページ)を捲る度に綺羅星のように瞳を輝かせるものだからとても愛おしくて、いつも二つ返事をしてしまったものである。

 

 弟が大きくなるにつれ、徐々にそういった機会が減っていってしまったのは残念ではあるが、背丈が追い付かれた頃にもなると、大の大人でさえ舌を巻くほどの秀才に育った。「試験で高得点をとったり、新しい知識を披露する度に姉さんが褒めてくれたのがとても嬉しかったのです」なんて照れ笑いをされた時には、思い切り強く抱き締めて、熟れた林檎のように紅潮してしまった頬を見られないよう誤魔化したものである。

 

 そのように弟が跡取りとして順調に成長し、私の音楽や舞踊の成績や評判も衰えることなく伸び続けているのもあってか、父の母への評価はかなり回復したらしい。現金なものだ、と思う反面で、父の隣で安らかに微笑んでいる母の姿を見ていると、素直に安堵もする。父が母をどのように思っているのかは判らないが、少なくとも母は父を心から愛しているそうだから。

 

 そんなある日、ふと思った。誰かを心から愛するとは、どのような感覚なのだろうか、と。

 

 社交の場では数えきれないほどの殿方と踊った。父より年配の壮年、老年と言っても差し支えない人もいれば、まだ言葉遣いもたどたどしい、息子であってもおかしくないような幼い少年もいた。中にはまぁ『素敵だな』と思う人も何人かいなくはなかったけれど、琴線に触れたかといえば、そこまでのものではなかったのだ。あの雨の日までは。

 

 それなりに場数を踏んできた経験から、お見合いというものにもそろそろ慣れを感じ始めていた、ある日のことだった。言ってしまえば何ということはないのだけれど、その日の相手は家柄こそ申し分ないものの人柄、特に女性関係には少々問題があると評判の人物で。後から聞いた話では母と弟が揃って父の書斎に突撃、それはそれは憤慨し、さしもの父もその剣幕に押されて苦い顔で「立場上断れなかった」とばつが悪そうに白状し、それならそれで最初から教えておけ、と至極真っ当な説教が炸裂したそうな。

 

 兎も角、そんな相手なものだから、会場ばかりかその周辺の至る所にまで『手』が行き届いていて、逃げるのにとても苦労した。どの道をどう通って来たかも解らなくなり、かといって表通りに出れば追手に見つかって、今度こそ捕まってしまうかもしれない。もう十分に走れるような体力は残っていないし、今日は『そういう日』ということで履いてきていたのは踵が高くて爪先の細い機能性よりも見た目重視の、とてもじゃあないけれど走るのにはまるで向いていない靴だったのだ。そんなのでずっと大立ち回りをしていたものだから、両方とも踵は根元からぽっきりと折れてしまっているし、指先も足首もじんじんと痛くて、どこかに座り込んでしまいたくて堪らなかった。

 

 そんな、ただでさえ滅入っている時に、だ。ぽつりぽつりと、雨まで降ってきてしまった。さっと降ってさっと止むにわか雨の類なんだろう、空は見る見る内に鈍色(にびいろ)の雲に覆われ、土砂降りの雨粒はあっという間に私を濡れ鼠にしてしまった。

 

 そうなってしまうと、私も酷く情けない気持ちになって、もういいや、と自棄になって道脇にへたり込んでしまった。もう雨なんだか自分の汗なんだか判らなくなるくらいのびしょ濡れで身体はどんどん冷たくなっていき、酷使し続けた脚は今になって一気に痛みにに拍車をかけてきて、これはもう暫く立ち上がれそうにないな、なんてどこか他人事のように冷めた自嘲をしていた、その時だった。

 

「あの、大丈夫、ですか?」

 

 ふっと自分を覆う影に、亀のような鈍さで視線をもたげた先、翼を広げた蝙蝠のような真っ黒で広い傘の下でも窮屈そうな大きな図体をした男の人が屈み込み、心配そうな顔で私を覗き込んでいた。

 




続く
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