George Gregory 拙作集 作:George Gregory
昇る時と降りる時で段数が違う階段。自分の死に顔が写る鏡。廊下を走る人体模型。ひとりでに鳴るピアノ。俗に言う七不思議というものが、この学園にもある。その一つが、校門前の坂道。端的に言うなら、ここには“出る”のだ。
夕方、太陽が間もなく沈む頃、俗に言う逢魔が時。聞こえる声に振り向いてはならない。もしそれを破ってしまうと、『引きずり込まれる』。よくある与太話と笑う事なかれ、実際に行方不明者が出ているのだ。今年度に入って少なくとも数名、学園から姿を消した生徒がいる。引っ越しや入院など、表向きにはそのように公表されているが、事実は違う。どうして、それが分かるのかって? その行方不明者の中の一人が、私の友達だからだ。
彼女はとても活発な少女で、ソフトボール部でピッチャーを務めるほどの腕前だった。いつだって笑顔を絶やさない彼女に、疫病神や病原菌も近寄ることも出来ないのか、今までに彼女が病気や怪我で倒れたり休んだりした事など、今までに一度としてなかった。そもそも、入院や引っ越しだというのなら、私に一言くらい、報告や挨拶があってもいい筈だ。なのに、何の知らせもなく、ある日を境に消息を絶った。それが私には、不振に思えてならない。
だから、確かめる事にした。時刻は間もなく午後6時。茜色の夕日は西の山々の間へ沈み行き、数羽のカラス達が頭上を滑りながら鳴き声だけを残していく。目の前、道路を行き交う陰は先ほどから一つとしてない。不気味なほどに静まり返ったそこは、まるで世の中の流れから切り離されてしまったかのような奇妙さがあった。
「絶対に解き明かしてやる」
意気込み、再び視線を道路へと向けた、その瞬間。
「……?」
そこに、先ほどまでとは違う“何か”を、私は確かに感じた。視界に写るものは何一つ変化していないというのに、そこに確信を得るほどの変化を、私は感じてしまっているのだ。それが具体的に理解できないのだ。
気持ちが悪い。背筋が震え、全身の毛が総立ちする。その正体を見抜けない事への苛立ち、焦り、怯え、そういった負の感情がない交ぜにされたような、不純物を体内に放り込まれたような気分。そういう風に言えば今、私が感じている嫌悪感を少しばかりは理解してもらえるだろうか。
「何、何なの、これ?」
困惑を隠しきれない。首を左右に降りながら見回すものの、やはり元凶らしきものをを見つけだす事はかなわない。そして次の瞬間、ついに太陽が地平線の向こうへと沈み切ったようで。
――――ドウシタノ?
ぞわり、とした。それは背筋を震え上がらせるには十分な迫力を孕んでいた。わざわざ説明するまでもないと思うけれど、先ほどまで一切気配を感じていなかった背後から、突然声をかけられたら。それが今のように、明らかな非常事態における現象であったなら。誰だって少なからずの恐怖を覚えるハズだ。
ついに夜闇があたりの覆いつくしたと同時、ぎこちなくゆっくりと、背後を振り向いた。油を差し忘れたからくりのように、それはもう耳障りな擬音をたてそうなほど、もどかしい遅さで、そうした。そうでもしなければ平静を保てそうにない状況下に、今の私は立たされていた。
やがて。
「っ!!」
意を決して、背後を見る。傍目にはいつもと変わらない、けれどやはり違和感を拭いきれない風景、その中に“影”を見つけた。実際に黒い影が落とされているのではなく、その部分だけがピントがずれているような、陽炎が昇っているような、そんな屈折だとか虚像のような現象が、確かな輪郭を帯びている“何か”の存在を、私に教えていた。
―――――ネェ、ドウシタノ?
また、鼓膜を直接揺さぶられるような、奇妙な“声”。お腹の中が底冷えするような感覚。冷や汗が決壊したダムのように溢れだし、服を肌に張り付け、その汗がなま暖かいそよ風によって半端に冷やされていく。それが、たまらなく気持ち悪かった。ともすれば吐いてしまいそうな程に。
「あ、あ」
言語になりもしない、音だけの羅列だけが、辛うじて唇から漏れだす。人間というものは本当に追いつめられると恐れるよりも壊れるよりも先に、まず硬直してしまうようだ。少なくとも、私という人間はそうなのだということはたった今理解した。
―――――ネェ、遊ボウヨ?
“影”がこちらに手のようなものを伸ばしてきた。逃げ出したいはずなのに、足はまったくもって動こうとしない。これが『蛇に睨まれた蛙』ってやつなんだろう。『窮鼠猫を噛む』ともよく聞くけれど、噛みつこうという気概すら沸いてこない。もっとも、沸いてきたとして、そもそも物理的に噛みつくことが可能なのかも解らないのだけど。
何にせよ、頭の中がごちゃ混ぜになっているのに、片隅の方で無駄に冷静に状況を判断している部分があったりもして、自分で自分が解らなくなってきた。
(あぁ、もうダメだ)
それを、あまりに簡単に納得できてしまった。既に視界全てが靄がかかったように歪み、自分が“影”に包み込まれかけている事が解る。今の自分は蜘蛛の巣に絡めとられた虫だ。足掻くには遅すぎるんだ。目をつぶり、意識を手放すのは、予想以上に容易かった。四肢から力が抜け、何もかもを任せてしまおうとして、
―――――アレ? ソッカ、オ姉チャン、マダ“こっち”二来レナインダネ。
「……え?」
一瞬、何の事だか理解しかねて、私はゆっくり、閉じていた目を開いた。目の前の何かは直前で静止したようだった。全く微動だにせず、そのまま私の輪郭をなぞるようにして、引いていく波のように、するすると暗闇の中へと溶けていった。
―――――ザァンネン。イツカ、“こっち”ニ来ラレタラ、遊ンデネ。
その言葉を最後に、“何か”がいなくなったのが、何故かはわからないけれど、わかった。膝から力が抜けて、その場にへたり込んで、今すぐここから全速力で走り去りたいのに、それが出来そうになかった。
ただただ、頭の中にあったのは。
「よ、かった」
家に帰れる。そんな安堵感だけだった。