George Gregory 拙作集   作:George Gregory

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三題噺『コーヒー』『夏』『音』


『タイトル未定』

 陽炎と蝉時雨が世界を埋め尽くそうとする、真夏の昼下がり。世間では大勢の社会人が故郷へと戻り、先祖代々受け継がれる墓石の前で冥福を祈る頃。コンクリートに染めあげられた高層建築群の合間をするするとくぐり抜けた先、そこだけが緩やかに過ぎゆく時流に取り残されたように、懐旧を抱かせる佇まいをした喫茶店が一軒。

 

 からんころん、と鳴るベルと共に扉を開いたと同時、鼻孔をくすぐるのは優しく仄かな木々と珈琲の香り。この時点でマスターの拘りが伺い知れる。もっとも今となっては“前の”と言う前置詞を用いらなければならなくなってしまったけれど。

 

「ふぅ」

 

 客が、来ない。洗い物はないし、掃除もし尽くした。アンティークの配置に特に問題はないし、ならばと始めたカップ磨きもとうに全部終わってしまった。

 

 つい先月、この世を去ったマスターの跡を継いで店を続けると決めた。バイト歴こそ長いものの、正直ただこの店が好きなだけの赤の他人である俺に店を譲ってくれるなんて思いもしなかった。そりゃあ、マスターの淹れる珈琲が好きで、なんとしてもものにしたくて頼み込んで働かせてもらっていたから、思い入れは人一倍あると自負しているけれど。

 

「宣伝とか、考えるべきかな」

 

 人数こそ多くないが、常連客はそれなりにいる。俺もバイトさせてもらえるまでその中の一人でしかなかった。そんな俺としては、この店の珈琲をいろんな人に知って欲しい反面、自分たちだけの秘密にしておきたいと思いもするのだ。第一、大勢が押し掛けてわいわい賑わってもらうようなコンセプトではないし、何より店内はそれほど広くない。従業員は今のところ俺一人だし、そもそもこの店自体がマスターの道楽で営んでいた部分もある。

 

 だが、ここまで閑古鳥が鳴いていると、そんな決意も若干揺らいでしまうのは無理もないと思わないだろうか。

 

「バイトん時は夕方が多かったし、この時期は実家に帰らせてもらってたもんなぁ」

 

 と、そう呟いたその時だった。

 

――――カランコロン

 

「っと、いらっしゃいませ」

 

 久しぶりに聞いた音に、表情を引き締める。やってきたのは壮年の男性のようだった。目深にかぶった帽子を取ると、皺が寄り初めているものの、まだまだ活力に満ち溢れているような血色をしている。きっと、まだまだ現役で働いているビジネスマンなんだろう。部下も大勢いそうな、そんな貫禄を感じる。いつもの常連ではない、初めて見る人物だった。

 

「ブレンドを1杯、貰えるかね」

「はい」

 

 予め暖めておいたカップに挽きたてのオリジナルブレンドと沸騰寸前で止めた熱湯を少しずつ。マスター直伝の淹れ方。ふわりと立ち上る香りに脳内で満足し、いつの間にかカウンター席に腰掛けている男性に差し出した。

 

「どうぞ」

 

 受け取ると、男性はまず香りを確認するようにブラックのままカップを口元へ運び、軽く鼻を左右に揺らす。やがて小さく流し込むように一口。一言も言葉を発さず、ただただ緩やかに少しずつ。初めての客の反応はいつも緊張するが、表情の変化一つうかがえないこの人の場合は、普段より強烈に感じてしまう。満足いかなかったのだろうか。そんな不安がよぎったその時、男性が空になったカップをソーサーに戻し。

 

「ん、会計を頼むよ」

「あ、はい」

 

 すぐに席を離れ、お釣りを手に取ると目深に帽子をかぶり直して。

 

 

――――ありがとう。親父の味を守ってくれて。

 

 

「え」

 

 それは、気のせいだったのかも知れない。気がついて思わず声が出たその時には、男性は既に扉に手をかけ、鐘を鳴らして出ていってしまった後だった。

 

 そう言えば、と思い出す。マスターの葬儀の日、俺がこの店を継ぐと親戚一同の前で豪語したその時、マスターの長男だけは仕事の都合で海外中を飛び回っていて、どうしても葬儀には出席できなかったと聞いていた。“親不孝も甚だしい”と言っている人もいたが、その時にこうも聞いていた。マスターの淹れるコーヒーが、何より大好きだったと。

 

「……」

 

 今になって、遅れて涙腺が緩み始める。滲む雫はこぼれて落ちて、拭っても晴れることはなくて、でも、たまらなく心地よかった。

真夏の空、山吹色の太陽と純白の雲、その下で、俺は自分がこの店を“3番目”に愛していたのだと知ったと同時に、絶対にこの店を、この味を、この場所を意地でも守り抜こうと、心に堅く誓ったのだった。

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