原作者である社畜のきなこ餅さまのご厚意を持って、今作も発表させて頂きます。

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藤兵衛が死ぬ時! 江戸は壊滅する! の巻

 

 

 

 

 

 

 

「おう、棟平屋。俺はしばらく江戸を留守にするから、よろしくな」

 

 今日も今日とて儂の屋敷に茶をしばきにきた徳田新之助こと徳川吉宗公はそう言った。

 よくよく見れば格好も旅支度で、つーかこの人、将軍にしてはフットワーク軽すぎね?

 おまけによろしくって言われても。儂は一介の商人に過ぎんのよ?

 

 そんな風に思っても口には出さない。

 精々笑顔で見送れば、その背後を行李を背負った男と三味線を抱えた女がつかず離れずの距離で着いて行く。

 うん、御庭番衆も連れて行くわけね。さもありなん。

 

 

 見送り先の日本橋から戻れば、手代が何やら手紙を持ってきた。

 差出人は、んん? 越後のちりめん問屋のご隠居か。

 ざっと内容を流し読みして―――差出元は蝦夷って! 北海道まで何しにいってんだよ、あの人!?

 

 

 ともあれ、悪人絶対裁くマンの二大巨頭が不在なことに、儂は不安より解放感を覚えるタイプ。

 根が小市民かつ小悪党を自認する儂ゆえに、正直、いつ処されるかビクビクだったもの。

 そりゃ最近は気軽に茶を飲んだりしている間柄だけれど、マフィアとか処刑する相手に愛想よくプレゼントするとかっていうじゃん?

 

 

 おさよも藤太郎を連れて実家へと里帰りした今日。

 折が良いといってはなんだが、ここ二、三日は儂は完全にフリーダムである。 

 新右衛門が感冒で寝込んでいる以上、儂の夜遊びを掣肘出来るヤツは誰もおらん。

 

 いや別に新右衛門が健康でもガンガンと色街に繰り出してはいたけどね?

 でもあいつは堅物だから、儂が新しい女子に手を出そうとすると露骨に嫌そうな顔をするんだってばよ。

 

 なので、この機会とばかりに、新しい店で新規開拓と行きますか!

 

 

 そんな風にウキウキとした足取りで、馴染みの蕎麦屋で早めの昼飯と軽く一杯ひっかける儂。

 ん、この板ワサは相変わらず美味い! なんて唸っていると、店の中に入ってきた丁稚らしき小僧が儂の席の前に立つ。

 

「えーと、こちらの文を旦那さんへ届けろって」

 

 小僧が卓の上に置いたのは半紙を折りたたんだもの。

 ふむ? 誰からの付文じゃろ?

 

 天ぷら蕎麦の海老天を咥えながら半紙を広げ、内容を読んだ瞬間、血の気がぶわっと下がる。

 

「こ、小僧! この手紙は誰から…ッ!?」

 

「え? その、お武家様風の身形の方から…」

 

「そやつはどこに行った!?」

 

 小僧の肩を掴んで揺らすも、目を白黒させるだけで埒が開かん。

 儂は蕎麦屋を飛び出して大通りを見渡す。

 行き交う人は様々も、それらしい身形の人間は見つからない。

 

 冷たい汗が全身から噴き出す。

 胸の内から溢れ出てくる焦燥感のまま、儂は震える手でもう一度手紙の文面に視線を走らせる。

 

 

 『妻子を預かりし候。こよい亥の刻、神田明神の境内に一人でこられたし。他言無用』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

息を咳切らせて儂が駆けつけたのは、おさよの実家である呉服屋『椚屋』。

 

「これはこれはどうしました、棟平屋の旦那様」

 

 揉み手をしながら飛び出してきた中年の番頭に、出来るだけ平静を装って尋ねる。

 

「…おさよと藤太郎は」

 

「お嬢さまとお坊ちゃまですか? ああ、そういえば今日からこちらにお泊りになる予定でしたね。うちの大旦那様も首を長くしてお待ちですよ!」

 

 番頭の返事に、儂の視界は一気に暗くなる。

 

 先ほどの手紙は何者かの狂言で。

 おさよも藤太郎も無事に椚屋に着いていることを期待していた。

 

「…旦那様?」

 

 訝し気にこちらを見てくる番頭に、全てをぶっちゃけてしまいたい衝動を噛み殺す。

 

「…い、いや、そのな? ちょいと二人とも体調を崩したみたいでな? 遊びに来るのはまた後日ということで…」

 

「そうなのですか? 残念でございますが…。あ、いま大旦那様をお呼びいたしますよ!」

 

 いかん、これ以上詮索されるとボロが出そうじゃ。

 

「いや、それには及ばん! すまんがそういうわけじゃて、お義父上にはくれぐれもよろしく伝えておいてくれ…」

 

 言いおいて儂はそそくさと退散。

 しかし頭の中はぐるぐるで、まるでビードロの水槽越しに覗き込んだように周囲の光景は歪んで心もとない。

 唇も手足もきっと震えていたことだろう。

 

 …いや、まだじゃ。まだ決まったわけではない!

 

 震える手足を動かして、儂は自宅へと走る。

 

 しかし、やはりおさよと藤太郎は戻ってきてはおらんかった。 

 供をさせていた長年仕えてくれている侍女の()()()も戻って来ておらんという。

 

「お父様…?」

 

 新右衛門の看病を買って出たおとよが、訝し気な表情で儂を見ている。

 

「う、ううん? ちょいと今晩は羽を伸ばしてくるでな? 遅くなっても心配せんでくれよ?」

 

「…ふう。ほどほどにしないとお母様に言いつけますからね!?」

 

 我が娘ながら儂の性癖を知っているおとよは、溜息交じりの呆れ顔。

 もうこれ以上弟妹はいらないのに…との呟きは、毒針のように刺さって痛いが、どうやら虚勢を張ったのはバレていない様子。

 

 されど、事態は全く改善されていない。

 むしろおさよと藤太郎が拐かされたのは確定してしまった。

 

 

 

 

 

 

 気づけば、め組の住居の前まで来ていた。

 

「あら、棟平屋の旦那! どうしました?」

 

 表で水を撒いていた女将に、儂は曖昧に笑いかける。

 

「いや、徳田様はいらっしゃるかと思うてな…」

 

「新さんですか? そういえば、今日からしばらく留守にするとか…」

 

 うん、知ってた。今朝見送ってきたばかりじゃもの。

 そんな軽いノリの脳内の返答とは裏腹に、儂の中に絶望感までもが鎌首をもたげていた。

 

 この江戸で一番頼りになる徳田様こと将軍様は不在。

 越後ちりめん問屋に扮した副将軍も遠く北の地へ。

 

 

 ならば、と他に儂が頼みにする人は―――。

 

 

 

 

 

 

 八丁堀の小さな屋敷の前。家紋は丸に唐花で、表札には中村とある。

 

 

「ごめんくださいまし」

 

 儂の声に、奥からご内儀らしき女性が姿を現す。少し遅れて現れたご年配は、彼女の母親じゃろう。

 

「…どなた様ですか?」

 

「手前は棟平屋の主、藤兵衛と申します」

 

「まあ! 今をときめくあの棟平屋のご主人がどうされましたので!?」

 

「いえ、以前、こちらの中村様に大変お世話になりましたもので、近くに来たものですからご機嫌伺いにでも、と」

 

「りつ! 婿殿もなかなかどうして顔が広いようですぞ!」

 

 母親が小声でご内儀を小突いていた。

 そうそう思い出した。確か〝りつ〟が中村さまの嫁さんの名前だ。

 

「これはこれはご丁寧にありがとうございます。しかし、主人はいまちょうど務めで京都の方へ…」

 

「…そうでしたか。それは残念至極ですなあ」

 

「よろしければ、お茶でもいかかでしょう?」

 

「いえ、結構です。お気遣いありがとうございます。また出直します」

 

 辛うじてそう言って、儂は中村家の前から辞した。

 心臓はバクバク言っている。それでいて、胸が締め付けられるよう。

 まるで溺れるような苦しみを味わいながら、儂は必死で頭を巡らせる。

 

 今から、儂の手下を使ってでも、おさよ達を探させるか?

 

 …否。それぞれ屈強な連中もいるが、探索や密偵としての能力は低い。

 それに探しているのがバレてしまえば、『他言無用』の文言を破ったことになり、おさよも藤太郎も殺されてしまうやも知れん。

 隠密に長けた上様の御庭番衆でもなければ不可能じゃ。

 

 

 なので、来いと指定された場所へ手下のものを張りこませるのも却下せんとならん。

 こちらもバレればおさよたちの命に関わるだろう。

 ならばわざと儂が捕まって、その後を付けてもらうにしろ、儂のもっとも信頼し、かつ最強の男である新右衛門は現在は病に臥せっておる。

 

 まさに八方塞がりじゃ。

 なんでよりによって儂の知り合いの誰もが不在の時に、こんなことが…!!

 

 ふらふらの足取りで、どこをどう歩いたのか覚えておらん。

 気づけば日はだいぶ傾いていたが、約束の刻限まではまだまだ時間は遠い。

 

 気は急くばかりなのに、足腰はガクガクで、儂は思わず道端の土手に腰を下ろす。

 すぐ横では、子供たちが土手を滑り降りながら笑い声をあげていた。

 

 藤太郎もこんな風にすぐに大きくなるんじゃろうな…。

 

 思わずにんまりと笑って―――儂の目尻に涙が浮かぶのは止められなんだ。

 

 誘拐された二人は無事なんじゃろうか。

 ひょっとして、もう二人とも……いやいや! 儂が行くまではさすがに害されるはずはない!

 だが、儂が行ったとて、二人が無事に解放される保証もないわけで。

 

 むしろそもそも誰が二人をさらったというのだ?

 そんなことをしそうな商売仇は、心当たりがありそうで思いつかん。

 なるべく波風を立てない商いをして来たつもりじゃが、人と多く関わればどこぞでどんな恨みを買うのか分からんのが世の常よ。

 

 いっそ、大店と呼ばれるほど頑張らない商売を続けておればおさよも藤太郎も狙われずに済んだのかも知れん。

 されど、そうしなければおさよを娶れなかったわけで…。 

 

 やり切れない思索に耽る儂に、急に素っ頓狂な声がかけられる。

 

「あれ? そこにいるのは棟平屋の旦那ですか?」

 

 男の声に、儂は目尻を拭って顔を上げた。

 

 

 

 

 野生の紐笑平が立っていた。

 

 

 

 

「…儂を知っているのかね?」

 

 顔は知っているけれど見覚えのない男に尋ねる。

 男は答える。

 

「そりゃあ知ってますよ! ここら一帯が火事で焼け出されたとき、大枚を叩いて材木やら大工やらを手配してくれた棟平屋の旦那を、伝説の『藤の一つ蔵』を知らない人間はいやせんぜ!?」

 

 伝説、ねえ。儂は苦笑するしかない。

 

「ここいらじゃ神田大明神と揃いで棟平屋の方を向いて拝むんですよ! 藤兵衛大明神さまさまってね」

 

「持ち上げすぎじゃよ…」

 

「っと、その大明神さまは、ずいぶんと身形が汚れているじゃないですか」

 

「ん? そうかの?」

 

 儂は自身を見下ろす。なりふり構わず走り回ったせいか、特別仕立ての着物は泥とほこりに塗れていた。

 

「俺っちのヤサはそこの湯屋なんで、どうぞひとっ風呂浴びて行ってくださいな。なんせ、棟平屋の旦那のおかげで再建出来たもんですからね。ささ、どうぞどうぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

 促されるままに湯屋へと赴き、儂は湯へと浸かる。

 いまこうしている間にもおさよと藤太郎が酷い目に合っているのではないか、という焦燥感があったが、熱い湯を浴びたおかげでいくらか覚悟が定まった気がする。

 

 おさよと藤太郎は必ず助け出す。

 助けて見せる。

 

 そのためにはどんなことでもしてやろう。

 儂の命を要求されても従うつもりだ。

 儂がいつ死んでも大丈夫なように、遺言状は既に念入りに作ってあるしな。

 

 …まあ、認知している子供が多いと、色々と相続で揉めるからね。仕方ないね。後世では屑とか呼ばれそうだけど。

 

 まあ、覚悟を決めて身を清めるという意味では、この風呂は渡りに舟だったかも知れん。

 

 風呂から上がれば真新しい下帯に、着物の汚れもさっぱりと落とされていた。

 

「あ、棟平屋の旦那。こちらへどうぞ」

 

 紐笑平に促され二階へ上がると、簡単な酒肴の載った盆が用意されている。

 さきほどまで食欲など全く感じていなかったが、ぐるると腹が鳴った。

 ここでもおさよと藤太郎が飲まず食わずやも…と躊躇するが、腹が減っては戦は出来ぬ、と思い直す。

 それに、末期の酒が湯屋の二階のもてなしというのも、なかなか乙ではないか。

 

「いま、頭、いえ店主も挨拶したいとのことで」

 

 大袈裟な、と思ったけれど、せいぜいそうかと鹿爪らしい表情で酒杯を持つ。

 

「あらあら、お一人でなんて寂しいですわ、一献どうぞ」

 

 隣に来た女性が酌をしてくれた。

 

「む…」

 

 ずるっと酒を啜り込む。風呂上りで喉が渇いていたこともあって染み込むようだ。

 そらから改めて酌をしてくれた女性を見れば―――。

 

 

 

 野生の季木騎金だった。

 

 

 

 「うぉうっぷ」

 

 現代人である儂の感覚からしても、実にユニークな顔立ちだと思われる。

 翻って江戸時代では美人…なのか?

 

 

「棟平屋の旦那に酌が出来るなんて光栄ですわ」

 

 

 なんかねっとりとした視線で見られてしまう。

 その視線を受け止め損ねていると、何やら短髪の男が儂の前にやってきた。

 

 

「お初にお目にかかります。手前がこの湯屋の主でございます」

 

 

 あれ? この精悍な面立ちは、どこかで見たような…?

 

 思い出そうとして、急に視界がぐるぐると回る。いかん、酒が回ったのか?

 

 いや、それにしてもなんかフワフワと気持ちが良い。

 

 急に全身の力が抜けて、とりとめもない感情と思いが頭の中を流れていく。

 記憶がさかのぼっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 それは転生する前の記憶。

 

 高校に進学したばかりの、初めての友人との会話。

 

 

 

 

 

 

 

『俺の名前はマサキっていうんだ』

 

 

『へー、漢字でどう書くの?』

 

 

『雅の〝マサ〟に』

 

 

『うん』

 

 

『季木騎金の〝キ〟』

 

 

『どのキだよ!!』

 

 

 

 

 

…………………

 

……………

 

………

 

……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

□□□

 

 

 

 

 亥の刻。

 人気のない神田明神の境内に、棟平藤兵衛の姿があった。

 

 藤兵衛が一人でいるのを確認したあと、わらわらと周囲から出てくる黒装束の男たち。

 

「なんだ、貴様ら…!」

 

 藤兵衛の誰何の声に応えず、いきなりみぞおちを突いて彼を昏倒させる。

 そののち、麻袋に詰めて屈強な男の一人が肩に抱え上げると、一行は夜の闇へと走り去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらくののち。

 

 黒装束の集団は、鳥越の生糸問屋、駿河屋の広い屋敷の庭にその姿を見ることが出来る。

 

「首尾はどうじゃ?」

 

 そう声をかけた中年の男は駿河屋仁兵衛。

 

「上々でございますよ」

 

 応じたのは黒装束のリーダーらしき痩身の男、十藏である。

 

「ふむ。本当に上手くいくものか?」

 

 座敷の奥から姿を現した恰幅の良い男の名は寺島刑部。勘定奉行であった。

 

 そんな悪党三人の前の玉砂利の上に、麻袋に入った棟平藤兵衛が転がされている。

 にも関わらず、別の座敷から出てきた人影に、駿河屋と寺島刑部は目を見張る。

 なぜなら、その人影の背格好は、彼らの知る棟平藤兵衛にそっくりだったからだ。

 

 だが、よくよく見れば、面立ちはかなり違う。

 それでも、後ろ姿だけで見れば、まず十人中十人は見誤ることは間違いない。 

 しかして麻袋の中に本物の藤兵衛がいる以上、この藤兵衛は偽物だ。

 

「いやはや、藤兵衛のクセを調べ尽くすのには骨を折りましたよ」

 

 なんとも伝法な口調で、ニセ藤兵衛にしな垂れかかる女がいる。

 彼女の名はおけい。

 藤兵衛が全幅の信頼を置いておさよに付き従わせておいた侍女は、五年もの歳月を猫を被りとおした嘗役(盗賊などが押し込むさいに商家の内情を調べ上げる役)だったのである。

 

「まったく、女癖は悪いくせにゲテモノ食いってなんなんだい。このおけい様にも手を出そうともしないなんてねえ」

 

 うそぶくおけい。

 

「まったくだ。こんないい女に興味もねえなんて、バチが当たるぜ」

 

 ニセ藤兵衛がせせら笑い、おけいの胸元に軽く手を這わせている。

 

「しかして、これからの手管はどうするのじゃ?」

 

 ゴホン、と咳払いをし、寺島刑部が先を促す。

 

「ハッ。これを使いまする」

 

 十藏が懐から小瓶を取り出して見せた。

 

「それは?」

 

「附子にカエンタケを混ぜた薬でして、服用すれば喉を焼き、肉を歪め人相を変えまする。加減を間違えれば死に至る秘伝でございますれば」

 

 答える十藏は夜盗の統領であるが、元は甲賀崩れの忍びの出身である。

 

「伊賀の秘法に、人心を操る術があると聞くぞ?」

 

「それは眉唾でしょう。万が一、そのような術がまことに存在すれば、政道は盛大に乱れておりましょうぞ」

 

「ふん…」

 

 戯れに十藏を嬲った刑部は、別段、毒を用いる手管が嫌いというわけではない。

 その猛毒の刃がこちらには向けられるやも、という悪党ならではの小心が顔を覗かせただけである。

 

「しかして、その毒を…?」

 

「はい。親子三人揃って呷って貰いましょうぞ」

 

 駿河屋の問いに、十藏は躊躇いもなく応える。

 

 おさよと藤太郎には致死量に及ぶ毒を服薬させ死んでもらう。

 そしてニセ藤兵衛には、死なない程度の毒を含ませるのが肝要だ。

 

 親子三人、同じ毒を飲まされたが、藤兵衛だけが助かった。

 毒の副作用で喉は焼かれ人相は変わり果ててしまう。

 その上で、多少振る舞いに不整合なところがあっても、妻子を失った悲しみで人品が変わってしまったのだ、と周囲も世間も同情するだけだろう。

 なまじ外見が似ているだけに、まさか藤兵衛が偽物と入れ替わっているとは、お釈迦様でも気づくまい…。

 

 

「よもや、こんな大がかりなことになりますとはねえ…」

 

 おけいの言わずもがなの溜息を、集まった悪党は誰も咎めようとはしない。

 

 元は、十藏の夜盗一味が棟平屋へと目を付けたことから始まった。

 嘗役のおけいを潜り込ませ、じっくりと時間をかけても旨味のある仕事のはずであった。

 いざとなれば畜生働きで一家を皆殺しにしても構わぬ選択もあった。

 

 十藏たちにとって予想外だったのは、一連の大火で、藤の一つ蔵と呼ばれるまでに、棟平屋は蓄えていた財貨を放逐してしまったこと。

 加えて、この大火によって十藏一味も少なからず損害を負ってしまい、これ以上、仕込みどころか江戸に潜伏するのも怪しくなってきたその時、手を差し伸べたのは駿河屋だった。

 

 もともと同じ商家として、棟平屋に煮え湯を飲まされ続けてきた駿河屋である。

 この大火で落ちぶれたかと思ったらたちまち不死鳥の如く息を吹き返した様に、驚愕したのは十藏たちも一緒だった。

 

 そこに、駿河屋と裏取引や賄賂で懇意にしていた勘定奉行寺島刑部も加わったことで計画は大きく動き出す。

 

 確かに棟平屋は膨大な財貨を貯め込んでいる。そしてそれ以上に強大な販路や伝手も持っているのは蔵一つから持ち直したことから言うまでもない。

 単に金銭を奪うだけなのは下策。

 いっそ、身代わりの藤兵衛を仕立てて、棟平屋そのものを乗っ取ってしまえばいいのではないか?

 

 十藏が実行部隊を指揮し。

 駿河屋が軍資金を出して間接的に棟平屋を乗っ取り。

 寺島刑部が影で結託した駿河屋に、将来的には乗っ取った棟平屋にも存分に便宜を図り、賂を思うがままにする。

 

 

 今回のおさよと藤太郎の誘拐に端を発する仕込みの全ては、この三人の悪党の大合作であった。

 

 

「…しかし、喉と顔を焼くのはゾッとしませんな」

 

 ニセ藤兵衛が顔を歪めると、十藏の表情が一瞬険しくなる。

 

「貴様には、十分に時間をかけて棟平屋のクセを仕込んだのだ。今さら辞退は許さぬぞ?」

 

「わ、わかっておりますよ…」

 

 鼻白むニセ藤兵衛にそっと抱き着く格好になるおけい。

 

「そこはちょいと痛い思いをするだけだってば。あとは我が世の春で、唸る銭でやりたい放題さね?」

 

「う、うむ」

 

「確かに棟平屋の旦那の女は奥方も含めてみな身形が悪いけどね、水揚げした太夫もいるし」

 

 おけいはニセ藤兵衛の胸の上でのの字を書きながら囁きかける。

 

「それでさ。そのうち、わたしを後添えに貰ってくれればいのさ」

 

「…そうだな! その通りだな!」

 

 奮い立つニセ藤兵衛におけいは嬉しそうに笑う。

 さっそく秘薬の封を切ろうとする十藏だったが、駿河屋が押しとどめる。

 

「その前に、棟平屋に引導を渡してくれようぞ。我らの企みの全貌を知って、どのような顔をするか見たい」

 

 棟平屋のせいで儲けそこなった。

 駿河屋の口癖であるが、販路も扱う商品も違うので、ほぼ完全に逆恨みである。

 ところが今や、募り募った恨みは怒り骨髄に達し、一方的に不倶戴天の仇と見做していた。

 

「せいぜい絶望させてから三途の川を渡らせてやりましょうぞ。いっそ妻子を目の前で殺してやれば…」

 

 この言には、寺島刑部も若干引いていたりする。

 歪んだ駿河屋の性質を承知して、十藏は部下に顎をしゃくった。

 部下の一人が小刀を取り出し、麻袋を切り裂く。

 果たして、そこから現れたのは―――ただの藁人形であった。

 

「!?」

 

 誰もが目を見張り驚愕の表情を浮かべる中。

 

 庭先に、男の哄笑が響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ふはははははははははははは…!』

 

 

 

 

「な、何者だ!?」

 

 

 

『天に仇なす悪党どもよ。今宵、三途の川を渡るのは貴様たちの方だ…!』

 

 

 

 その台詞と同時に、庭の隅の暗がりから、鉢金付きの頭巾をかぶり口元を布で覆った男が姿を現す。

 忍び装束に身を包み、頭巾の隙間から覗かせた鋭い眼光を煌めさせた。

 

 

 

 

『影の軍団、推参――――』

 

 

 

 

 

 その声に応じるように、暗がりから次々と出てくる同じく忍び装束の男たち。

 

 

 

「え、ええい、出会え出会え! 何者でも構わぬ! 我らの計画を知られたのだ! 皆殺しにしろ!」

 

 

 襖を蹴立てて出てくるは駿河屋の雇った用心棒たち。

 そこに、十藏らの夜盗一味も加わる。

 

 悪党どもが忍び装束たちを包囲する中で、ただ一人十藏だけが額に汗を掻いていた。

 

 ―――そういえば噂に聞いたことがある。

 公儀にまつろわず市井に下った影の存在がいる、と。

 たしかその名は、伊賀の服部―――?

 

 

 しかし、十藏に逡巡している暇はない。

 多勢相手にも関わらず、影の軍団を名乗った連中の力は圧倒的だった。

 

 用心棒たちはたちまち斬り伏せられ、駿河屋も槍で突かれて絶命。

 真っ先に逃げ出そうとした刑部も、小太刀で縦横に切り裂かれている。

 おけいもニセ藤兵衛も言わずもがな。

 

 部下たちも斬り倒されて、気づけば残るは十藏ただ一人。

 

「さがっておれ」

 

 包囲した輪の中から、覆面の統領らしき男が進み出てくる。

 

 ―――手強い。俺に勝てるか? 

 されど、引くも地獄。進むも地獄。

 

 「せりゃぁッ!」

 

 十藏が渾身の一撃を叩きこむ。

 鋭すぎる一撃は、しかし難なく受け止められた。

 ギリリと響く鍔ぜりの音を圧倒するように、太い男の声が十藏を締めあげる。

 

「名もなく地位無く姿無し。されどこの世を照らす光あらば、この世を斬る影もあると知れ…!」

 

 チュイン! と火花と音が弾け、振りかぶった腕と胸の間を雷のような痛みが駆け抜けていく。

 

「天魔伏滅」

 

 十藏がこの世で聞いた最後の言葉となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 刀を鞘に納め、影の軍団の統領こと半蔵は首を巡らす。

 すると、座敷の奥から藤兵衛の妻であるおさよを抱えたお霧が姿を現した。

 

「奥方も気を失われていますが、無事です」

 

「そうか」

 

 頷く半蔵は、お霧の腕から藤太郎を受け取った。

 母より早く目を覚ました幼子は、きょとんとした顔で黒頭巾を見上げてくる。

 半蔵は口元を覆っていた布を外すと笑いかけた。

 

「よう我慢して泣かなかったな。偉いぞ坊主」

 

 その背後で、大八がこっそりとぼやいている。

 

「うちの頭と来たら、ほんと女子供には甘いんだから…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

□□□

 

 

儂は目を覚ます。

 

知らない天井だ…ってくそ古いネタを披露してる場合じゃない!

 

いま、何時じゃ!?

 

急がないと約束の刻限に…って、あれ? 約束ってなんじゃったっけ?

 

 

「ああ、棟平屋の旦那さま! 目を覚まされましたかッ!」

 

下働きらしき女が儂に気づいて駆け寄ってきた。 

 

 

「すまんが、ここは一体…?」

 

「ここは雉の湯ですよ。旦那さまは先日入浴されてから、湯あたりされたようで…」

 

 言われて思い出した。

 確かに湯に入った記憶はある。

 そして湯上りに、酒を飲んだような、飲まなかったような…、くそ思い出せん!

 

 

「どうされました?」

 

 短髪の男が姿を現した。

 こちらの顔も見覚えがあるようなないような。

 

「あ、手前は、この銭湯の主で半と申します」

 

「む、これは世話になってしまったようだ。改めて御礼を申し上げる半殿」

 

「いやいや、そんなしゃっちょこばった言い方はせんでください。みな、半さんと呼んでおりますれば」

 

 なんとも気さくで、いい意味で男臭い主人じゃ。

 しかしこの顔、本当にどこかで見たような…?

 

 儂が首を捻っていると、その半さんは思い出したように手を叩く。

 

「そうそう。この銭湯の近くに髪結い屋があるんですがね、そこの店先で倒れていた女性と幼子を助けたという話なのですが、どうも棟平屋さんの奥方らしく…?」

 

 その台詞を最後まで聞くことなく、儂は布団を跳ね上げている。

 礼もそこそこに梯子段を駆け下りて草履をはき、表へと飛び出した。

 

 近くの髪結いはどこじゃ? と目を皿にすれば、なんとちょうどそれらしき店先から、おさよと藤太郎が出てくるところではないか!

 

「おさよ! 藤太郎!」

 

「旦那さま?」

 

 こちらを見返してくるおさよを、藤太郎ごと抱きしめる。

 天下の往来だとて構うものか。

 

 どういうわけか涙が溢れて止まらない。

 みっともないとわかっていても、儂はそれから延々と人目を憚らず泣き続けてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おさよと藤太郎は、実家へ向かう途中に立ち眩みに襲われて、気づいたら例の髪結いの座敷に寝かせられていたとのこと。

 儂も儂とて雉の湯の二階に湯あたりで寝かされていたらしいが、湯に入りに行くまでの行動が一切思い出せん。

 

 あとで聞いて回った限りでは、おさよの実家に行ったり、自分の屋敷に戻ったりと右往左往していたらしいが、まったく何をしていたんじゃろ、儂?

 

 加えて、長年仕えてくれていたおけいがいきなり姿を消した。

 私物の物入の中に、『今までお世話になりました』との一文がしたためられていたが、何か事情があったとすれば水臭い。

 退職金も渡してないことだし、確か信州の出だったと聞いている。人伝に実家へ伺いを立てて、金もともかく、今まで仕えてくれたことへの礼を言わねばなるまいよ。

 

 

 そんな夫婦で首を捻りまくるしかない不思議な日の、極めつけが一つ。

 なんと、藤太郎がしゃべるようになったのじゃ!

 

 されど、抱え上げた儂に向かって、ニコニコと笑顔で行ってくる台詞は、若干複雑である。

 

 

 

 

 

「おー、よしよし、藤太郎」

 

「ふぁげ! ふぁーげ! ふぁげ、ふぁげのだんだん!」

 

 

 

 

 

 …儂、まだハゲてはないよね?

 

 

 

 

 

 

 










素晴らしいアクションの数々で、時代劇にも存分に新風を吹き込んでくれた千葉御大の雄々しき功績と活躍に、謹んで哀悼の意を表明させて頂きます。




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