Azure crew ~エルフと女海賊と6色目のマナ~ 作:黒片大豆
「……見えた。」
真っ白な霧の中、その船は進んでいた。
直ぐ目の前、手を伸ばせば触れることのできるほどの距離に立つ人の顔さえ、かすんでしまうほどの濃霧の中、この船は帆を張り、わずかな潮風を受けながら、しかし確実に、ゆっくり前進していた。
「……やっぱりそうだ。船だ。」
この濃霧の中、一人の青年が甲板から海を見ていた。彼は目を細め、右手を水平に額に当てて海を見ていた。そして、この濃い霧の中に、船を見つけたというのだ。
「大きさは?」
唐突に、青年に声がかけられた。その人間がどういった容姿をしているのかは、霧に隠れてわからない。ただ、その人物の声は、芯が通った良く響く、美しい女性の声であった。
「大きさはどうなの?」
「大きさは……この船よりも一回りほど大きいですけど……。」
彼女の質問に、青年は答えた。そして彼は言葉を繋げた。
「でも、あれ、商業船ですよ。多分『ラスロウ・グラナ』の船だと思います。帆に白い鷹のマークが描かれていますから。」
それを聞いた彼女は、右手を頬に当て「ふむ」と考え込んだように見えたが、しかしすぐに軽い調子で返答した。
「ま、関係ないけどね♪ ご苦労様、ザイカ。」
彼は……『ザイカ』と呼ばれた青年は、このとき自分の目の良さを後悔した。幻想的なまでに白い靄(もや)の中、彼女が、妖艶な笑みを浮かべたのが判ってしまったからだ。
「え? だって、あれ、商業船ですよ!? アレを……『襲う』のですか?」
ザイカは驚きを隠せなかった。普通の商業船にしか見えない『それ』を、彼女が襲撃しようとしているのだ。
それを聞いた途端、彼女は笑みを止め、綺麗な顔をしかめたのが判った。しかし刹那、彼女は「ぷっ」っと吹き出し、笑いだした。
「勘弁してよ、そんな冗談。」
襲う、というワードに対しての、彼女の言葉だった。そして続けた。
「だって私……『海賊』よ?」
そういって彼女はその場を離れた。ザイカに背を向け、左手をひらひらとしながら船室に向かおうとしていた。その「ひらひら」のジェスチャーは、ザイカに向けられた「ご苦労様」の挨拶だった。
「……ユンファさん!!」
ザイカは声を荒げ、彼女を……『ユンファ』を呼び止めた。ユンファは歩みを止め、しかしザイカには背を向けたまま、浅く顔を彼に向けた。
「ユンファさん……いや、『船長』。」
ザイカは、海賊のルールにのっとり、彼女を役職で呼びなおした。
「あの船に乗っている人たちは、どうなるんですか?」
ザイカの位置からは、彼女の表情は読み取れなかった。数秒の間があった後、ユンファはこう返した。
「それ相応のことに、なるでしょうね。」
ユンファはそういうと、ザイカにはこれ以上顔を向けずに足早に船室に戻っていった。
この海賊船『ディーピッシュ』……もとい、『女海賊ユンファ』に拾われてから1ヶ月。これがザイカにとって初めての『強襲』となるだろう。
ユンファが立ち去った後、ザイカは肌寒い純白の霧の中、暫く甲板に立ち尽くしていた。
彼の吐く息が、周囲の霧以上に白くなっていた。ザイカの持つ、長い『エルフ耳』は完全に冷え切り、仄かに赤く染まっていた。
濃霧の中、直ぐに強襲の準備がはじまった。
まずはこの船……《ディーピッシュ》を、目標の船に接近させる作業から行われた。真っ白な霧の中の行動であるが、ザイカの目は完全に相手の船を確認できていた。
そして、襲われる側の商業船は、全く逃げようとしなかった。深い霧の中、音も無く、光も発せずに近づく、ユンファ自慢の海賊船『ディーピッシュ』。相手はこちらに気づいていないのだ。そのため、いともあっさりと近づくことができた。
「ご苦労だったな、ザイカ。」
甲板で船の誘導を行なっていたザイカの後方から、ユンファとはまるで正反対の、太く低く、図太い男の声が、労いの言葉をかけた。
と同時に、ザイカの肩に大きな手が『パン』と乾いた音と共に、乗っかってきた。
《船員の指導者、エクリド》の手だ。
「は、はい!」
突然に声をかけられた事と、突然に肩を叩かれたことの両方に驚きながら、ザイカは返事をした。
「……ふんっ。」
そんな怯えた小リスのようなザイカを鼻で笑ったエクリド。既にザイカの肩には彼の手は無く、彼愛用の《鉈》の柄を握りしめていた。
自らの顎に生えた無精髭を触りながら、くるりと、船が見える方向とは逆。海賊船の甲板方向を見た。
ザイカもつられて同じ方向を見ると、既に海賊たちは、それぞれの獲物を手に取り、目は野生の動物の如き輝きを見せていた。
これだけ濃い霧の中で、その状態を観察できてしまう、自分の目のよさを、ザイカは改めて呪った。
「いくぜ。」
エクリドは自慢の《鉈》(通常の大きさではなく、二周りほど大きなもの)を鞘から抜き、空に掲げた。そして、襲うべき船のある方向へ鉈を振り下ろし、叫んだ。
「襲撃だ!! ロープを渡せ!!」
もやが晴れるのではないかという位の怒号。湿った空気は異常なまでに彼の大声を響かせた。船の甲板が振動した。
しかし甲板の振動は声の所為だけではなかった。一斉に、大勢の海賊たちが走り出したのだから、甲板が揺れ動くのも当たり前だ。
そして同時に、一気に船が商業船に近づき、並走するように目標の船に横付けした。《ディーピッシュ》からは船員がロープを投げ、直ぐに渡り橋がかけられた。
強襲が、始まったのだ。
「……あ、あ……。」
続々と、商業船に上船を始める船員たち。それを横目に、ザイカは腰が引けた状態で、何とか立っていた、という状態であった。
ザイカは両手に抱えるように、船長……《ユンファ》から渡された、鞘付きの短剣を持っていた。手の平は、汗でぐっしょりぬれていた。額からも、同じく汗が流れていた。
そんなザイカの状態を見越してか。エクリドはザイカに命令を下した。
「お前は留守番だ、ザイカ。」
エクリドの一言に、ザイカは驚いた。てっきり、自分も襲撃のメンバーになっていると思っていたからだ。
「そんな震える手で武器を持っていても、足手まといだよ、この臆病者め。お前はココで、俺達の『仕事ぶり』を見て、勉強しておけ。」
汗に濡れたザイカの手は、同時に小刻みに震えていた。この状態では、強襲どころか、衛兵に返り討ちにあってしまうだろう。
エクリドはザイカの返答を待たずに、渡し橋に向かっていった。
そしてザイカは、自分の臆病な心に、感謝をしていた。
「僕が、罪の無い人を、殺せるわけ無いじゃないか……。」
深い霧の中、海賊達が続々と商業船に乗り込んでいった。彼らの後姿をザイカは確認し、そして、襲撃されている船の甲板に目をやった。
エクリドが手に持つ大きな《鉈》によって、鎧を着た衛兵が、真横に引き裂かれるのが、見えてしまった。
ザイカは自分の目の良さを、再度呪った。そしてザイカは、それ以上、その船の上で行なわれる惨劇を見ようとはしなかった。見ることが出来なかった。
うつむき、耳を塞ぎ、全てが終わるまでじっとしていようと、心に決めた。
エクリドはその船に乗った瞬間、違和感を覚えた。なんとも言葉に形容し難い、しかし、普段とは違う、何かがあった。
過去、船長がまだ《ユンファ》ではなく、自分であったときには、何度も船の襲撃を行なったことがある。が、こんな感じは初めてだった。
たくさん人の気配を感じるが、しかし、それは人ではないような感じでもあった。
「気味が悪いな。」
率直な感想が、エクリドの口から出た。
部下たちは既に船に乗り込み、甲板に立っていた衛兵たちに攻撃を仕掛けていた。実際には、霧が濃く目に見えているわけではないが、剣が弾きあう音や、断末魔の悲鳴から、おおよその状態が、エクリドにはイメージできた。
「まったく。船長には、極力『人は殺すなと』命令されているのだがな。」
無理難題であった。海賊が船を襲うということは、全てを奪うということだ。積荷も、そして船員の命さえも。
事実、既に『断末魔』の悲鳴が聞こえている。『誰も殺さない』ことなど不可能だ。
ふぅ、と、軽い溜め息がエクリドから漏れた。瞬間、鉄の槍を携えて、こちらに突撃してくる人影が目に留まった。
「……ちっ!」
突然のことだったので、エクリドは加減せずに鉈を薙ぎ、その人間を二つのパーツに引き裂いた。無残にもその兵士は、単なる肉の塊へと変貌した。
が、エクリドは、凪いだ鉈を見て、また違和感がした。
「変だな。」
生き物を切った、というより、骨を断った感じがしたからだ。
切り裂いた人間の遺体を見てみると、そこには、違和感に対する回答が示されていた。
遺体から、全く血が流れてこなかったのだ。
よく見ると死体は酷く痩せこけていた。というより、体液を根こそぎ奪われた、といった感じだった。先ほどエクリドを襲ってきたのは、そう、生きた人間ではなく、骨と皮だけの『死体』であったのだ。
「……なるほどね。そういうことか。」
エクリドは事の大半を。特に、ユンファ船長の考えと、命令の意味を悟った。
あの船長が単なる商業船を襲わせるとは、到底考えられなかった。
やはりこの船には『裏の事情』があるのだ。
「これは、面白いな。」
エクリドが、鉈を、さらに力をこめて握りなおした。
「人を殺さずに、人殺しが楽しめるとはな。」
ユンファが船長になってから、久しく人を殺していなかったエクリドにとって、今回の強襲は今までのストレス解消にもなる、とても充実した一時となったのだった。