Azure crew ~エルフと女海賊と6色目のマナ~   作:黒片大豆

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6-2《忘れられない追憶》

《青の図書館、ノウルオール》。

 この世界の『知識』が全て集まる場所。

 

 そして、この世界の『謎』も併せて集まる場所である。

 

 ノウルオールは、世界の8割を海で覆われた《エジュレーン》において潤沢に存在する『青マナ』の恩恵を一番に受けており、国の大きさでいえば、《ラスロウグラナ》と1,2を争う大きさである。しかしこの国は、世界すべての知識を集めに集め、それを力として成長したためか、国というよりは巨大な『大学』『研究機関』といったほうが型にはまる。そんな国であった。

 そしてそこには多くの人々が、自身の知識を高め、叡知を得んと獅子奮迅していた。純粋に自分の国の繁栄を望み訪れたもの、単に自分の好奇心をさらに突き詰めて訪れたもの、世界の心理を求めて訪れたもの。集まってくる人々は種族、思想、理由、さまざまであった。

 

 そして、《異端児ユンファ》も、自分の知識のさらなる高みを求めんと、この国に捕らわれたその一人であった。

 

 彼女は教員やその他友人からも《異端児》呼ばわりされてしまっている、彼女。

 だが、彼女はぜんぜん気にしていなかった。なぜなら、本人にも自覚があったからだ。

 

 ノウルオールで評価されるには2つの道順がある。ひとつは、教員から与えられたカリキュラムや授業をこなし、自分より上の立場の人間から評価をもらうこと。これをこなしていれば、国から奨学金が得られ、人並みの生活を営むことができる。「学ばざる者、食うべからず」とは、本国の創設者《ノウルオール・コルォカ》の教えだ。

 そしてもう一つは、自分自身が新たな発見を見出すことだ。それらをレポートにまとめ、多くの人間に査読、閲覧、引用をしてもらう。つまりは自分の名前と知識を『売りだす』ことでも、国から認められ、それに見合った報奨金が得られる。

 

 そして、彼女《ユンファ》の成績は『飛び抜けて』優秀であった。

 基本のカリキュラムの達成率や成績に関しては常にトップクラス。いにしえの機械操作や生物実験なども卒なくこなし、また魔術の授業においては、自身が生まれつき持った魔力の器の大きさなのか、多彩なマナを自由に操り、他の人より数段秀でていた。

 

 学術の成績が直接の評価になるため、多少の粗暴の悪さは、この国では見て見ぬふりをされる。もちろんあまりに目に余る事情(殺人、放火など)においては、自警団に逮捕されることにはなるが……。

 

「この理論を用いれば、生物を圧縮し、手のひらサイズにすることが可能です」

 

 齢19の、まだ僅かにあどけなさが残る女性が、学内の教員たちや研究者、もう100歳を超える国の上層部の頭脳集団を前に発表した論文には、一定期間の閲覧禁止処理がなされた。生物の「圧縮」という倫理観を外れた研究がなされていたことに加え、それが「大舞台で発表され」「実際にその発表会で実演もなされた」ことは、彼女の天才性を偉い人たちに知らしめるには十分だった。

 

 生き物をそのまま圧縮し、一枚の札にする技術……タイトル『生物情報を二進法かつ螺旋形状として情報保存させ効率的に複製、圧縮する理論』は、その後、この国をさらに発展に導くことになるが、それはまた別の話である。

 

 

 

 発表会から数週間がすぎたころ、彼女……《ユンファ》は、自室兼研究室で液体が満たされたガラス管を揺すりながら、光る板に文字を念写していた。

 

「……だいぶ効率的になってきた……さらに簡易的にかつ、再生を早くする方法を見いだせれば……」

 

 ぶつぶつと、ガラス瓶の中の液体を睨みながら彼女は呟いていた。液体はほのかに緑色に光り輝いていた。淡い光はやがて収まり、緑の色が薄く、透明色になった瞬間、彼女はその液を机にひっくり返した。

 机の上には縦長の長方形の形に枠が彫られた木の板があり、液はその枠の中に流し込まれた。すると瞬時に液から湯気が生じ、あっという間に乾燥して固まった。干上がったそれは、一枚の「札」になっていた。

 

「よし」

 

 彼女は、木の枠からその札をはがし、持ち上げた。まるでパルプ紙のような紙切れにも見えるが、表面にはびっしりと解読不明な文字で埋まっていた。遠目で見ると、幾何学的な模様にも見えた。

 そして彼女は、札を空に投げた。刹那、瞬時にそれは形を変え、その場に一匹のウサギが現れた。札がウサギに変化した……いや、元の形に戻ったのだ。

 

「うん、元に戻る速度はだいぶ改善できた。この速さなら、軍事にも転用できそうね。中身自体にも問題なさそう」

 

 札から元に戻ったウサギは、何事もなかったかのように、床に落ちていた藁をむさぼっていた。

 

 ふいに、ドアのチャイムが鳴った。

 ユンファはそのチャイムには心当たりがあったので特に気にしなかったし、そしてドアの向こうの相手も、家主の承諾を待たずに気負い無くドアを開けた。

 

「ユンファ、ご希望の文献を探してきたよ。記憶媒体に収まっているものについては後で転送しておく」

「《アンジャム》ありがとう、まだ羊皮紙の文献も多いから、助かるわ」

 

 ユンファは、扉を開けた主に目を向けること無く、また、《アンジャム》と呼ばれた青年も、特にユンファに顔を会わせるようなことはせず、お互いの作業を淡々とこなした。

 

「しかしユンファ、君が『ありがとう』なんて珍しいな」

「そうかしらね。感謝の言葉は人間関係を円滑に進める基本って、あなたからもらった心理学の文献に書いてあったから、実践してみたの」

 

 ああ、そうか、と、アンジャムは以前、彼女にそういった『人間関係』についての本を貸したことがある。

 学園創設以来の優等生、問題児、異端児として、良い意味でも悪い意味でも、彼女の名前は学園内に広まった。そして彼女の粗暴は、あまり褒められたものではなかった。

 特定の人物にしか心を開かない、また、人との接し方が異常に下手であった。図書館の管理人兼司書であるアンジャムは、研究者に希望の文献を貸し出す仕事をしているため、彼女とは何度も面識があり、また、彼女が心を開いた数少ない人物の一人である。

 

「……ふっ」

「……! ちょっと!」

 

 アンジャムは、ユンファの目の前の机に羊皮紙の束を置くと同時に、ユンファの首筋に息を吹きかけた。ユンファは突然のアンジャムの行動に驚き、危うく手に持っていたガラス瓶を落としそうになった。

 突然の吐息に首をすぼめたユンファではあるが、しかし、存外、別段「悪い」印象を持つことは無かった。何故なら、ユンファはアンジャムの性格をよくわかっていたし、もしかしたらこういった行動に出るのではと、うすうす予測していたからだ。

 

 一方、当のアンジャムは、身に付けていたメガネがずれたのが気になったのか、右手の親指と薬指でメガネの両端を支えて持ち上げた。いや、咄嗟に取ってしまった行動を少し恥じたのか、赤くなった顔をユンファから見えないように隠したかのようにも見えた。

 

「……ふふっ! こちらに来るのも久しぶりだものね、アンジャム」

 

 まだまだあどけなさが残るユンファは、屈託なき笑顔をアンジャムに向けた。彼女はいったん、手に持っていた瓶をホルダに片付け、開いていた光る板を本棚に押し込んだ。そして、改めてアンジャムの正面を向いた。

 

「君も随分、丸くなったな、ユンファ。図書館にこもっていても、君の話はよく耳にするよ」

 

 赤く染まった頬のまま、アンジャムも微笑んだ。

 

「でもアンジャム、さっきのは何よ。いきなり人の首に息を吹きかけるなんて……そんな対話の仕方、本で読んだことない。びっくりする……じゃない」

 

 息を吹きかけられた部分を、ユンファは手で摩った。改めて冷静に考えてみるとアンジャムの行動は非常に官能的だった。ユンファも、一緒に頬を赤らめた。

 

「さっきのは……別の本で読んだんだ、親しい女性が喜ぶ行動らしい。なのであいさつ代わりにやってみたのだけど……」

 

 アンジャムは、またさらに頬を赤くそめ言い訳をし始めた。

 彼は、幼いころから《青の図書館》の本の整理整頓を任されており、多くの書物に触れてきた。そのため、知識という面だけでは、他の人のそれを凌駕する。そしてそれは、ユンファが彼に「惚れた」理由の一つでもある。

 だが彼は、昔から外に出て情報を収拾することを苦手としていて、本の情報でこの世のすべてを賄うことに十分であるといった思想を抱いていた。ただし、《青の図書館》の人間らしいといえば、らしい考えではあるが。

 

「だとしたら、アンジャム。その書籍の内容は一部修正が必要ね。たとえ知り合いでも、そんなことされると普通は拒絶反応起こしてしまうわ」

 

「しかしユンファ、君は最初こそは驚いたが、今は別段……なんというか、特に嫌がってはいないように思える」

 

 そしてアンジャムはユンファを抱きしめた。ユンファも、特に抵抗はしなかった。二人がお互いを認識し心を許しあっている証拠であった。心臓の鼓動が重なり合う。

 そして、自然と、彼らは唇を重ね合わせた……

 

「……イチャイチャお暑いところ申し訳ありませんが、お二人さん?」

 

 まるで心臓が破裂するのではないかと思うほど、二人の鼓動が脈打った。

 急いで、抱きしめあった手をほどき、ユンファもアンジャムも乱れた服を直した。

 

「来ていたのか《オイター》。……いつからそこに?」

 

 アンジャムが声の主に向いた。《オイター》と呼ばれた彼女は、開放したドアに寄りかかり、腕を組んでニヤニヤしていた。おでこに掛けた冒険者用のゴーグルは砂埃にまみれ、また、彼女愛用する作業用ズボンのようなつなぎも、同じく汚れていた。先ほどまで外で土木作業を行っていたかのような格好だった。

 良く焼けた健康的な、褐色の肌に、癖の強い巻き髪を肩まで伸ばしたオイターの腕の中には、ユンファが召喚札の実験で使用したウサギが抱かれていた。

 

「いや、結構前から。ドアをノックしてもお二人には声が届かなかったみたい。そういうことするなら、ドアにカギをかけておきなさいな」

 

 さらに一層、彼女の二ヤつきが意地悪なものになった。

 

「……ふぅ、そうだなこちらの不注意だ」

「……」

 

 不注意を認めたアンジャムに対し、部屋の主であるユンファは、本棚の僅かなスペースに身体をうずめ、オイターを睨みつけていた。まるで、威嚇する猫のようだ。

 

「まだ私は、天才学生ユンファ様には認められていないみたいね。将来『義姉』になるかもしれないってのに」

 

 オイターは、手に抱いたウサギを床に置いた。ウサギはまた藁の束に向かって跳ね、途中で止めさせられた食事を再開した。

 オイターはアンジャムの姉にあたる。アンジャムの性格とは正反対で、文献を読み漁るよりも外で体を動かしていたほうが性分に合った性格をしていた。

 

「……」

 

 そして未だに、ユンファに認められていない。彼女が認めていない人間に対しては極度に距離を取る。それを知っているオイターは、未だに認められていないことを残念がった。

 

「オイター、君が来たということは……」

「ああ、見つけたよ『痕跡』を!」

 

 そういうと彼女は、まっていましたと言わんばかりにポケットから何かを取り出した。

 

「この石は、クレーターの中心に落ちていたんだけど、いくつかは《アルデモ》の奴らが、必死になって集めていた。やっぱりこの石には何かある……!」

 

「……!」

 

 オイターが『石』を取り出した瞬間、ユンファが飛び出してきた。人見知りよりも好奇心が勝ったのだ。

 そしてアンジャムも、オイターの取り出した石に釘付けになった。

 

「ついに見つけたか、『本に無い物』」

「キレイ……」

「おっと! お二人さん、あまり近づかないほうがいいよ。本当にコイツは謎だらけだからね」

 

 紫色に、淡く弱々しく発光するその石は、3人を魅了するのに十分な力を発していた。

 

「オイター、でもこれ、さっき《アルデモ》って……」

 

 ああ、と、オイターは頷いた。

 

「深淵のアルデモの奴らさ、恐らくな」

 

《黒の深淵、アルデモ》。

 黒い濃い霧と、浅瀬と、切り立った崖に囲まれた、船ではまず不可侵の国。

 その素性は長らく謎だったが、最近になって、アルデモの動きが活性化してきた。

 奴らは船を使わず、国を出入りして、他国の情報を得たり、密使を侵入させたり、はたまた、身分を偽って潜伏したり。

 かなりやりたい放題に国をかき回している。

《ノウルオール》も例外でなく、たちが悪いことに、ノウルオールで尊重される『アルデモにしかない知識』を、多量に持ち込み、かなり上のほうまで浸食されかかったことがあるくらいだ。

 なお、ごく一部ではあるが、本当に自分の好奇心や勉学のため、自身がアルデモ出身であることを隠さず研究を行っているものもいる(純粋に勉学に励むためと推察される)。

 

 

 問題となっていることは、彼らはどうやって、閉ざされた国から出入りをしているのか。それは長年の謎で、多くのアルデモの人間は閉口していた。

 

 空から飛んで出入りをしている、というのが通説であり、それに対抗すべく、ノウルオールは最近は飛行機械の開発に心血を注いでいる。

 

「でも、この石を見るに、どうやら飛行装置を使っている訳ではなさそうなんだ」

「……根拠を示さなければただの妄想よ、根拠か証拠を示して……」

 

 対人恐怖より、石への好奇心が勝った瞬間であった。ユンファはオイターに自分から話しかけたのだ。

 

「ユンファ、やっと話してくれたのね。姉になる私に、これからもずっと拒絶が続いたらどうしようかとノイローゼになるところだったのよ!」

 

 オイターは喜び勇んでユンファを抱きしめ、頭をなで回した。適当に切り揃えられたユンファの栗色の長髪は更にグシャグシャになってしまった。

 

「オイター、その根拠を聞いてるの。答えて」

 

 なで回されたユンファであるが、特にその事については言及すること無く、オイターを向くこともなく、視線は石に釘付けだった。

 

「……あら、そうね、そっちのほうが大切なのね……」

 

 オイターは少し残念がりながら、しかし、ユンファを抱きしめたまま、話を続けた。

 

「やつら、空は飛んでないわ。『跳躍』してる。この目で確認したわ、紫色の空間に吸い込まれる様を」

 

「ということは、やはりプランナーポータル……次元門……」

 

 アンジャムはその現象に心当たりがあった。次元跳躍だ。基点を定めれば好きなところに瞬時に移動できる。

 しかしそれが実現できないことも、合わせて知っていた。

 

「跳躍の理論は昔から存在していた。しかし実現するには圧倒的にエネルギーが足らない」

「……つまり、それを穴埋めしたのが、コレってことね……」

 

 ああ、と、オイターはうなづいた。

 

「しかしこれは、一大事だぞ。使い方によっては、奴らは国の中心にいきなり攻め入ることもできてしまう」

 

 事の重大さを感じたアンジャムは言葉が早口になった。彼の癖だ。

 

「おちつきな、アンジャム。まだその域に達していないと考えたほうがよいだろう、だからエネルギーとなるこの石を集めている。コソコソと」

「それにアンジャム、あなたがこの三人の中で一番『知っている』はず。現状で可能な理論では、始点と終点が定まらないと、次元の移動は不可能。突入する『場所』が不明瞭だと、跳躍は失敗する」

 

 焦りを見せたアンジャムを、オイターとユンファがなだめた。二人に諭され、アンジャムは改めて冷静さを取り戻した。

 そして、このことを国の上層部に伝えるかどうかの議論を進めた。

 

「危険な効果であると同時に、まだ不明な点が多い」

「そうね、私もそう思う。もっと研究して、詳細を明らかにしてからでないと」

「決まりね。これは私たち三人の秘密ってことで」

 

 今思えば、すでにこの段階で、彼女たち三人は『紫の力』に《魅了》されていたのだろう。

 

 こうして、紫の石の情報を共有した三人は、それぞれできることから研究を開始した。

 

「私は外を飛び回っているほうが性分に合っている。もう少し、石のありかを探してみるよ」

 

 オイターは研究室を出た。時には商船に相乗りし、時には、海賊船とも交渉し、いつも世界中を旅しているオイターである。青の図書館の中でもかなり珍しい分類の人物ではあるが、定期的に冒険をレポートにまとめて本にしており、それらは文献として認められている(実際は非常に面白い冒険活劇が描かれた娯楽盆として認知されている部分もあるが)。

 

 

 

 そしてそれから2か月に、《オイター》の訃報が届いた。

 港からほど近い浅瀬に、死体が挟まっていたそうだ。

 死因は、刺傷による失血死。おそらくだが、船上などで受けた傷がそのまま致命傷になっていたようだ。

 しかし不思議なことに、まだ生きている状態で海に落ちたのに、溺死ではなかった。また流れ着いた場所は本来、こういった死体などは、潮流の関係上、流れ着くには少々違和感があった。

 

 そしてオイターの体は無数の鱗で覆われ、手にひれが出来上がっていた。人間であるはずなのに、まるでおとぎ話に出てくるマーフォークを連想させるような身体になっていた。

 

「何者かに刺された後、海に落ちた」

「でもその時、この国に必死に『帰りたい』と願った」

 

 オイターの遺品の一つに、灰色の石があった。どこにでもあるような石であったが、それをオイターが握りしめていたのだ。

 その石から、僅かに残るマナの力……《紫の力》のかけらを、ユンファは見逃さなかった。

 

「だから、オイターはこの国に帰ってこられた」

「でも、『人間のまま』『生きて』帰ることを、願い忘れた」

 

 オイターの遺体は、青の図書館の研究者達に取られてしまった。マーフォークの身体に変化した人間なんてものは、研究に飢えている図書館の連中には、格好のサンプルだ。

 

「……なあ、ユンファ。実は、僕はこの図書館を出ようと考えている」

「……」

 

「この世界には、本に書かれていないことがまだ沢山ある。姉を亡くして、よくわかった」

「私は、……この図書館でさらに研究を続けるか悩んでいるわ」

「ユンファは、残ったほうがいい。せっかく主席での卒業が可能なんだ。最も、その知識を図書館が簡単に手放すとは思えないけどね」

 

 アンジャムは微笑んだ、しかし、ユンファは全く笑えなかった。

 

「今、この紫の力のことを、図書館の人間に話しても、おそらく僕を馬鹿にするだけで終わってしまう。けど、本に書かれていないことでも、実際に自分で見たり体験したりしたことが、真実なんじゃないかなって。オイターが命を懸けて教えてくれた」

 

 ユンファは理解していた。このまま何も言わなければ、アンジャムは一人でこの図書館を出ていく。でも、アンジャムは、ユンファとも離れたくないとも考えている。

 

 だが、ユンファもユンファで悩んでいた。自身の研究の事や、卒業のこと以上に、ある『身体の変化』について。

 

「……アンジャム!」

 

 ユンファは、自分の現状について事細かに、アンジャムに伝えた。

 アンジャムは、最初は喜んだ。でも、現状を鑑み単純に喜べない状態であることに戸惑った。

 だが、アンジャムは、おそらく初めて、自分の意志で決定した。

 

「ユンファ、僕の研究を一緒に手伝ってくれないか……その、おなかの子供のこともあるけど……」

 

 アンジャムなりのプロポーズでもあった。ユンファは二つ返事で答え、二人は図書館を出ることとなった。

 

 

 

 *****************************

 

 

「んで、結果が『これ』よ」

 

 空になった酒瓶を、ユンファは《陥没島》の中心に向けた。巨大なクレーターが、ただただ大きく口を開けているだけの島。この島に移住した二人は、新たな家族を受け入れ、三人水入らずで研究を進めていた。

 

 その島の中心に、ザイカも視線を向けた。彼の頬には涙が流れていた。幸せになるべきだった家族の無念を考えると、自然と涙があふれてしまった。

 

「島の周囲に、簡単な結界を張っていらの……。怪しい侵入者が来れば、《青の図書館》から応援が来てくれるっておとにあってたのよ……」

「《青の図書館》は、船長たちのことを許していたのですか?」

 

 まあね、ユンファはうなずいた。彼女の頬は真っ赤に染まり、酔いで多少呂律が回っていなかった。

 

「結局のとおろ、オイターのおかげ……彼女の死体の変化の真相が分らなかったから、お偉いさんも、《紫の力》に興味を持ってくれた……の……。あとは、アンジャムの根回しのおかげよ」

 

 空になっている瓶を今度は胸元に抱きながら、ユンファは語った。彼女が『アンジャム』と発する際には、酔った彼女の顔が逐一にへらと微笑む。

 

 でもね……と、ユンファはつづけた。

 

「まだ時期尚早だった、私たち個人で扱うには、危険すぎたの。もうすでに、『魅入られていた』のでしょうね……暴走しちゃって……私だけ、助かっちゃった……」

 

 うつむき、言葉が弱弱しくなっていく彼女であったが、突然、ザイカの目の前に顔を近づけて、強い口調で言い放った。

 

「あなたには、わからないでしょうね!! 一度に愛するものと愛しいものを同時に失った私の心など!!」

 

 長い栗色の髪をした、赤い瞳の、しかし右目だけはえぐられた様な痕がある、美女の顔が《ザイカ》の目の前にあった。

 

「見なさい。この右目は私の象徴よ。あの力で、一度は全てを失った」

 

 それを見ていた《テンザ》と《コーダ》が、ユンファを宥めた。

 

「ユンファ船長、飲みすぎです。医者として止めさせてもらいます」

「船長! こんなになるまで……。 お水を用意しますね」

 

 ザイカから引き離されたユンファは、今度はまるでおもちゃを取り上げられた子供のように駄々をこね始めた。イヤイヤと声を上げていたのが聞こえた。

 

「……」

 

 ザイカは、ここに連れてこられた理由は分っていた。

 結果的に『望んで』手に入れた、リト=ハクの『紫の力』。強靭な力には、それ相応の『責任』が降りかかる。それを、肝に銘じておけ、そういうことなのだろう。

 

 あのお墓……。

 

 二つのお墓。大きく石が積まれたものと、もう一方は、小さい石が詰まれたお墓。

 今の話を聞くに、あれはユンファの夫《アンジャム》と……。

 ユンファの実の子供のお墓ということか……。

 

 ザイカは、お墓に近づいた。よく見れば、大きい石には《アンジャム》の名前が彫られていた。手書きのその文字には見覚えがあった。ユンファの筆跡だ。

 

 そして、小さなお墓にも、子供の名前が刻まれていた。

 

「……え」

 

 絶句。

 言葉が出てこなかった。一瞬思考も停止した。

 

 そのお墓に刻まれた名前。ユンファが最愛の息子のために、丁寧に彫った手向けの名前。

 その名前を、ザイカは知っていた。

 記憶喪失の中で、唯一、忘れていなかった言葉だった。

 

 

 

 

『最愛の息子、ザイカ』

 

 

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