「やあ、暇かい?」
「暇ではないけど時間はあるよ、どうしたんだタキオン」
三月、まだ肌寒い季節に担当ウマ娘であるアグネスタキオンの今後の予定を考えていると、ちょうど彼女がやってきた。有馬記念で少々無茶をした彼女はリハビリの最終段階、ようやく走り出せるといった時期だ。
まだまだ新人のトレーナーとして四苦八苦しつつ、彼女となんとか駆け抜けたこの2年、いまだ実感は湧かないが『四冠ウマ娘」のトレーナーとなっていた。
いや、訳が分からないが。
元々はアグネスデジタルのピッカピカの一年生トレーナーとしてやっていたはずだったのにどうしてこうなっていたのだろうか。いや、そもそも『あの』テイエムオペラオーに引導を渡して海外まで飛んでいくへんた……勇者の手綱を握るのですら苦労しているのにどうしてこうなっているのだ。
件の変態は今現在、入学試験にやってきたウマ娘を陰から凝視しているはずだ。自分からそう宣言して走っていったので間違いない。ブレないな、あの子。
「いやなに、受験生たちの中にチームに入れるような子がいるのか気になってねぇ」
絶対に実験対象にするつもりだこいつ、と思い額に手を当てる。
アグネスタキオン、自らのスピードの限界に挑もうとする研究者気質の破綻者。彼女のガラスの脚はひび割れはしたものの、首の皮一枚でその芸術的な輝きを保っている。
「チームか、そもそも僕はそんなのまだ管理できないけど」
「まあそれだけ上は君に期待をかけている、というわけさ。私たちみたいなのを育て上げた、君をね」
タキオンには自分がちょっと……いやかなり、でもなく相当『変人』の部類であることを理解しているらしい。理解しているのであれば自分のトレーナーを発光させたりするのはやめてくれないだろうか。
「まあともかく善は急げ、というわけさ。モルモッ……トレーナー君、行こうじゃないか」
と、いうわけでトレセン学園の入学試験会場を遠くから眺めることになったのである。双眼鏡を握ってレース場の方を見ると、木の陰で一人の少女が少々怪しげな笑顔で受験生たちを眺めているのが見えた。完全に不審者だぞ、デジタル。
しばらく二人して受験生たちのレースを眺める。タキオンといえば、連れてきたくせにやる気なさげだった。レース自体というよりかは、僕の様子から何かを探ろうとしているようだった。
「で、君のお眼鏡にかなう子はいるかい?」
「いやね、タキオン。僕はそんなにウマ娘を見抜く才能は無いんだけど」
「私たちを育てておいて何を言うんだ」
「や、君たちは勝手に強くなってたし」
「……。」
双眼鏡から目を離してタキオンの方を見やると、彼女はそのハイライトの宿らない瞳でジトっとこちらを見ていた。
「え、何」
「まあいいさ。デジタル君はともかく、私は君がトレーナーでよかったと思っているよ。君がどういう意図で私にトレーニングしていたのか、知りようはないけれどね」
今度はこちらが沈黙する番だった。
ああ、確かに自分はタキオンにとってベストな育成をした記憶は一切ない。そもそもそれが彼女との契約だったからだ。ウマ娘の可能性の最果て、速度の向こう側を探求するというその一点のためだけに協力しているだけなのだ。
ちなみにデジタルは彼女がなぜかトレーナー志望、ということもありトレーナーが付かなかったところを偶然拾った、という経緯で契約している。彼女に対しては完全な放任。追いかけたいウマ娘がいればそこに向かわせる、というような育成方針……育成? をしてきたし、これからもそのままだろう。
「ただ、その答えはこの受験生たちの中にあるんだと私は睨んでいるんだけれど……どうだい?」
タキオンはその研究者気質もあって、洞察力が鋭い。ならここ最近の僕の様子から気が付いていてもおかしくはなかった。さっきからこっちの様子をうかがっていたのもそのためだろう。
だが、その原因が受験生のなかにあるなんて、よく気が付く。
「大切な大切な最高のモルモットだからね、君は。常日頃から観察を欠かしてはいないさ、君もそうだろう?」
そうだ。彼女の言うとおりに、僕はこの受験生たちの中のただ一人だけを育てるためにトレーナーを続けてきたし、タキオンたちを文字通りの『実験体』としてトレーニングを積ませてきた。
あのどこでも走る変態は、まあ予想外だったけれども、タキオンの走りは『彼女』に似ていた。だからこそ、レースに出ようとしなかった彼女のトレーナーとなったのだ。
それも全て初恋の人の娘、産まれたばかりの姿に運命を感じてしまった女の子のために。彼女の夢であるトリプルティアラを捧げるために。デジタルの英雄伝説も、タキオンの無敗の三冠も、その踏み台でしかなかった。
◇
そしてあの子からメッセージが届いたのは日が落ちてからだった。
『試験終わった』
トレセン学園はその規模も大きく、それこそ受験者も山のようにいるわけで。彼女は今日このレース場での試験には出走しておらず、見かけなかったのも当然だ。僕は前々から本人より試験会場がどこかというのは聞いていたため、見かけなかったのに疑問は抱かなかった。
だからといって、受験生の観察に手を抜いていたわけではない。彼女たちの一部はいずれ、あの子の敵となり同じレースに出るのだからこそ、今のうちからでも少しの情報は頭に入れていても損はない。
ただタキオンは僕が調子を乱すほどの目ぼしいウマ娘がこの場にいなかったため、落胆した様子を見せていた。選抜レースに期待しよう、と言っていたがどこまで本気だろうか。
僕はタキオンが去ってから部室に戻り、こうして連絡が来るのを待っていた。
『お疲れ様。どうだった?』
『私は一番をとるウマ娘よ? 当然自信あるに決まってるじゃない』
『そうか、良かった』
ふう、と息を吐く。この様子ならレースでも一番を取れたのだろうか。
『スカウト枠、私のためにあけておいてよね』
『それは約束できない』
『どうしてよ』
『君よりも速そうな子がいればスカウトに行くし』
嘘だ。本当なら何がなんでも彼女を取りに行きたい。『あの人』との約束でもあるし、そもそも彼女をスカウトしないトレーナーなんて、トレセンから去った方が良い。
ただ素直にスカウトに行けない理由もある。
『それに身内贔屓、と言われたら君の悪評になる』
『そんなの実力でねじ伏せたらいいのよ』
自信家らしい彼女の言い方だ。いかにも、という様子で思わず笑ってしまう。
スカウトが難しい理由、それは僕の苗字は紅というところにあった。ウマ娘の中でも良血、『紅の一族』スカーレットに連なるヒトだ。そんな僕が彼女をスカウトするだなんて身内贔屓にも程がある。
それに、思ってもいないトレーナーとしての箔も付いてしまった。本家側の彼女が無理やりスカウトさせた、なんてゴシップのネタにもなりかねない。
それもまあ、いいのかもしれない。結局のところ、幼少のころから手塩にかけてきた、良血も良血な彼女には輝かしい未来しか待っていないのだからそんなことは些事でしかない。
『合格発表あったらダイワの方にも顔出すから暇ならあんたも来なさいよ』
『僕はスカーレットだからそっちは関係ないよ』
『関係あるったらあるの! ちょっと時間ある? 通話!』
全く我が儘で気の強いお姫様だ。変わらないね君は。
トークアプリに映る『ダイワスカーレット』の顔写真には、初恋の従姉に似た面影。あの人がこの子を産んで十数年と経つというのに、僕は今でもずっと、あの人のことが好きだ。
「はいはい、ダスカちゃんちょっと落ち着いて」
『もう! 信じられない! このおたんこにんじん!』
この子といると、忘れられない初恋がチクチクと胸を刺す。だが、それでもいい。愛娘の一人を、一番のウマ娘に育て上げたトレーナーとして強く覚えてもらえるのであれば、それでいい。
ダイワスカーレットに運命を感じたと言いつつも、結局は僕は彼女をあの人に近づく手段にしか見ていないのかもしれなかった。
それこそがタキオンが同族と見なす一因かもしれない。
トレセン学園、その入試の倍率は想像を絶するほどであり、エリート中のエリートでしか通過できない狭き門である。入学できたことに燃え尽きてしまい、結果を残せず去っていくウマ娘も少なくない中、僕はその先のレースをすでに見据えていた。
入試から半月もしないうちに、ダスカちゃんから合格したと連絡があった。そうか、合格したか、どうすれば穏便にスカウトできるだろうか、などと考えているとタキオンが声をかけてきた。
「ふぅン、そうか、楽しみだねぇ」
メッセージを受け取った瞬間の僕の顔から何を察したのか、エスパーだろうか。
「えっ、怖。もしかして心の声が聞こえるようになる薬でも飲まされた?」
「いや、君は私をなんだと思っているんだい」
「アグネスのやべーやつ」
「君は全アグネスに謝った方が良い」
アグネスの名を持つウマ娘全体に風評被害をまき散らす約二名のうちの片割れが、そうのたまった。
「長い付き合いならわかるさ。君の狂気に濁った瞳に、今まで見たことのない光が灯ったような気がしたのだからね」
「死んだ目で悪かったな」
ネット上ではタキオンとそのトレーナーの瞳の輝きは、デジタルがすべて肩代わりしている、というような言説がまかり通っているらしい。うむ、間違いではない気がする。
◇
これは、選抜レースを控えたダイワスカーレットを見かけたアグネスタキオンが超高速で抱き着き、「トレーナー君! この子を連れて帰っていいか! いいよ!? ありがとう、最ッ高だ!!」と狂喜乱舞する、ほんの少し前のお話。
あらすじ通りのコンセプト。よろしくお願いします。
かんたんキャラ紹介
●ダイワスカーレット
初恋の人の娘さん。トレーナーは複雑な感情を抱いている。
●アグネスタキオン
無敗の三冠バになって有馬も獲ったがガラスにヒビが入った。
●アグネスデジタル
初めての担当バに関わらずトレーナーからの扱いが割と雑。
●トレーナー
苗字は『紅』、スカーレットの一族のヒト。初恋の人に娘ができても思い続けるBSS拗らせた気持ち悪い奴。