緊急事態、タキオンが選抜レースを待機している新入生たちに全力をもって突っ込んでいくというやらかし発生。
タキオンが駆けだした数秒後、気が付いた僕は追いかけ始めた。とりあえず元気に走るタキオンに限界を迎えたデジタルは放置で問題ないだろう。
走る、走る。一般アスリート一歩手前のトレーニングをモルモットとしてタキオンより課されている僕だが、どうしてスーツで今走らねばならないのか。というか、普通逆だよね、なんでウマ娘にトレーニングを課されているんだ僕は。
己の境遇に嘆きつつ走り、ようやく追いついたところでダスカちゃんに抱き着いているタキオンが興奮したように声をかけてきた。
「トレーナー君! この子を連れて帰っていいか! いいよ!? ありがとう、最ッ高だ!!」
「僕はなにも言ってないけど?」
こいつ、自分に都合のいいようにしか頭が働いていない。
「えーっと、タキオン。ちょっと離れような。新入生の子たちが困ってるだろう」
「いーやーだー!」
「駄々っ子か!」
しかし困ったな。人間が全力で他人に抱き着いているウマ娘を引きはがすなんて不可能だし、というか公衆の面前でタキオンを引きはがしにかかるのも、僕のトレーナー人生やらなにやらが実際危ない。
突然騒がしくなったため何事かと新入生たちの視線が集まり、そこには無敗の四冠バがダスカちゃんに抱き着いている姿を見て驚愕する。
「え、アグネスタキオンさん!?」
「ウソ!」
そして先ほどタキオンがいることに気が付いていた様子の子たちは、タキオンが自分たちでは到底出しえない速度でここまで駆けてきたことに興奮しているようだった。
「あそこからここまで一瞬で!」
「早すぎる、これが今世代最強ウマ娘!」
「でも今リハビリ中でしょ、もしかして抑えてこれなの……」
新入生たちは誰もがトゥインクルシリーズでレースを走り、勝利することを目指してきている。彼女らからして現在のトップウマ娘の一人でもあるタキオンの登場は興奮を与えたようだった。
あの名バがここに、やっぱりトレセン学園に来られてよかった、と思っていることだろう。能天気で羨ましいことだ、僕は今、猛烈に胃が痛い。
ここまでの騒ぎをこの子たちだけじゃなくてスカウトに来ている他のトレーナーたちに見られているのだ。どう考えたって穏便にダスカちゃんをスカウトできるような流れじゃなくなってしまう。
それに模擬レースを邪魔したということで偉い人に怒られる可能性もある。しかもそれをやらかしたのが模擬レース拒否、なんて前代未聞の出来事を起こしたタキオンなのだから。
教室での爆発騒ぎやらなんやら、タキオンと契約して一年とちょっとだというのにそういうアレコレで呼び出された数が三桁に迫ろうとする僕を誰か憐れんでくれてもいいと思うんだ。
急に抱き着かれて目を白黒していたダスカちゃんだったが、自分に抱き着いているウマ娘の正体に気が付くとおずおずと声をかけた。
「あ、あの。アグネスタキオンさん?」
「おっと自己紹介がまだだったねえ。私こそ全知全能! アグネスタキオン!」
タキオンはそう言うと同時にダスカちゃんから手を離して手を広げた。そうすると丁度よくたまたま風が吹いて局所的に巻き上がった。
「か、カッコいい……」
ダスカちゃん、お兄さんはその趣味どうかと思うんだ。
「いやいや突然興奮してしまってすまないねぇ。なんだか君が他人とは思えなくて、つい」
「あ、貴女もですか。実は私もなんです!」
「タキオン、でいいよスカーレット君」
「タキオンさん! よろしくお願いします!」
あっれ、なんだかおかしなことになってきたぞ。
まずダスカちゃんとタキオンが他人とは思えないと互いに感じているという。つまりそれはウマ娘同士の相性がいいとかそれ以上に、運命的なものなのだ。
トウカイテイオーとシンボリルドルフがそうであったように、レースで結果を残すようなウマ娘と運命的なものを感じたということは、必然的に『強い』
それ故に、思春期に入りたてということもあってか走るウマ娘たちは多かれ少なかれ運命というものを重視する傾向がある。「運命的なものを感じる」、「近いものを感じる」といった言葉が日常で使われるほどには。
「スカーレットさん、すごい。タキオンさんと運命で繋がってるなんて」
「羨ましい……」
そんな声が上がる中、一人だけメラメラと、メラメラと闘志を発する子がいた。ダスカちゃんとタキオンを見つめるその目が一人だけ違うその子は
「へッ、絶対に負けねえ。俺がダービーウマ娘になるんだ」
多くのウマ娘たちが羨望の眼差しを向ける中。逆にそれを上回ってやるという熱意に満ち溢れるその姿は純粋に称賛に値する。ウオッカ、やっぱりこの子はダスカちゃんの一番のライバルになるに違いない。
あの日、駐輪場で出会ったときにダスカちゃんが「きっとアイツと一生競い合うことになる、と思う」って言っていた。確かに、この子が一番の難敵になる。
ま、ダスカちゃんはティアラ路線だからダービーでは戦わないんだけどね。
それはともかくだ。
「タキオン、もういいだろう? あっち戻るぞ」
「ん、分かったよトレーナー君。それじゃあ行こうか」
「はい! タキオンさん!」
「いやいやいやちょっと待て」
タキオンはごく自然にダスカちゃんの手を握って歩き出そうとしたし、ダスカちゃんも気にする素振りもなく歩き出した。
タキオンはともかく、ダスカちゃんは今からレースのハズなんだけどなあ。
「スカーレットさんは置いていきなさい」
「ええ!? そんな、こんなに可愛いのに君は悪魔か?」
「捨て猫を返してこいという母親か、僕は」
ほらよく見たまえよ! と言ってタキオンがこっちに彼女を突き出してくる。そして体の各所を指摘してどこがどう、いかに優れているのかとかを熱心にプレゼンしてくる。いや、その、付きっ切りではないとは言えトレーニングプランとか組み上げて鍛えさせたの僕なんだけど。
というか、もしかしてタキオンは僕と彼女が親戚ということに気が付いていないのではないか、という疑問が浮かぶ。いや、絶対に気が付いていない。というかそもそも僕の苗字から忘れていそうだ。スカーレット一族の人間っていうデータ絶対に抜け落ちてそう。
「そして極めつけがこのトモ!」
「はい、アグネスタキオンさんそこまでです」
大きく身振り手振りでダスカちゃんについて熱弁していたタキオンの手をガシッと誰かがつかんだ。その姿を見た僕は、一瞬で心臓が縮み上がる。そこには鬼を背負った緑の悪魔がいた。
「おっと、理事長秘書じゃあないか。今日はどういったご用件で?」
やってきた緑の人、駿川たづな理事長秘書は背後に鬼が仁王立ちしているようなオーラでタキオンに詰め寄る。さすがのタキオンもこれはマズいと思ったのか、握られた手を解こうとしながら弁明しようとする。
さすがはたづなさんだ、ウマ娘の胆力でもビクともしていない。どこをどうやって鍛えたら女性の身でそうなれるのか。
「アグネスタキオンさん、あなたは自分の選抜レースには全く出ようとしなかったのに、後輩の選抜レースに飛び込み参加ですか?」
「い、いやあそれには理由があってだね。そこらへんはそこのトレーナー君に詳しく、ほら、ほら!」
「はい、そこのところは完全に熟知しておりますよ。なにせ貴方のトレーナーさんとはとても『仲良く』させていただいていますから。ね?」
「アッハイ」
そこで僕に振るか!? たしかに仲良くはさせてもらっていますけれども、いますけれども! 会話の五割ほどはうちのアグネスたちの異常行動についてですが。いつもすみませんって頭下げてる記憶の方が多いよ、僕。
「とりあえずタキオンさんは理事長室に行きましょうか。トレーナーさんは選抜レースが終わった後にでも、お願いしますね?」
「アッハイ」
オイオイ終わったわ。たづなさんに連行されていくタキオンを見送りながら僕は空を仰いだ。
タキオンの暴走のせいで色々とあったが選抜レースはその後しばらくして問題なく行われた。
開始までまだ時間があるときの騒動だったのが良かったのか、調子を乱した様子の子がいなかったためほっとした。というよりかは余計な緊張が解れたのか、例年よりも伸び伸びと走っている子が多かったように見受けられた。
「さて、どうしようかなあ」
やはり今回の超注目株のダスカちゃんにウオッカは多くのトレーナーに囲まれていた。中では壮絶なスカウト合戦が始まっているのだろうが、ここに割り込んでいくのはきっと得策ではない。かといって待ち続けるのもよくはないだろう。どこかのタイミングで行くしかないか。
今回の選抜レースでダスカちゃんはウオッカと一緒に走った。最終的には二人の競り合いになったものの、決定的な差が出たのは最終盤だった。
「うっひょぉぉぉ! 手に汗を握る展開! しゅごすぎいいぃぃぃ!」
尊死から復帰してすぐにまた尊みに限界を迎えるという、とても忙しそうなデジタルが楽しそうにしていたが、直線での競り合いでダスカちゃんが先行した瞬間に雰囲気が変わった。
「これって……」
「このレベルまで持ってきているのか、さすがだねダスカちゃん」
思いもよらない幻影に、『勇者』が笑みを浮かべた。
「"領域"に手が届いてるんだ……。最強の新入生かも」
「そうだね。彼女が今は間違いなく一番だよ。デジタル」
しかしトレセン学園は魔境だ。1勝もできずに去っていくウマ娘もいるというのに、一人でG1を七勝する皇帝然り、無敗伝説のスーパーカー然り。天才というのは存在する、悔しいが。1年ぶりの復帰戦で有マを勝つウマ娘とか常識じゃありえない。
そう、その常識が通用しないのがトレセン学園で上位に位置する化け物たち。相手をレースで殺そうとするかのような、そんなオーラでターフを駆ける魔物。
ダスカちゃんはいずれ、そういった連中と戦うことになる。"領域"自体がまた入口にしか過ぎないのだから、慢心なんてしていられない。彼女は才能はあるが、天才ではないのだから。
結局そのレースはその差でダスカちゃんが勝利した。しかし、さすがはウオッカだ。領域に入っていないダスカちゃんと互角の勝負だった。もしあれが無かったら勝っていたのはウオッカだっただろう。
レースを思い返しているとデジタルが声をかけてきた。
「オタクくんはスカーレットちゃんをスカウトに行かないんですかぁ?」
「オタクくん言うな。行きたいんだけど騒ぎを起こした後だからな……」
「でもあの子、さっきからこっちをチラチラ見て……あ、今目が合った! 確実にデジたんと目が合った!」
デジタルの言う通り、確かにダスカちゃんはこっちを見ている様子だし、ダスカちゃん以外のウマ娘たちからの視線も感じる。仕方ない、行こうか。多少の顰蹙も、妬みも、全部背負う覚悟は既にできている。
良くも悪くもトレーナーたちの中で僕は有名だ。有名になってしまった。芝もダートも走らせる身の程知らず、たまたま運よく担当できてウマ娘の才能で勝ってるだけ、色んな言葉を聞いてきた。別にそれは良い。
ただ、ダスカちゃんのことが心配だ。
この業界は身内贔屓が多い、名家は名家の繋がり、家のしがらみもある。スカーレット家の力を使って、分家である『紅』の僕を強引に逆指名したんじゃないか、みたいな他のウマ娘からの謂れもない誹謗中傷に傷つきやしないか。
だが、それがどうした。
ダスカちゃんは僕の運命のウマ娘だ。よりによって、彼女が"僕が全く望んでいなかった"運命のウマ娘だった。そのことに僕は自分の運命を呪った。しかしそれでもやるんだ。
あの子のトレーナーになって、あの子の夢を叶える手伝いをする。それがあの人との約束だから。僕の生きる意味だ。
だからそんなものに負けないくらいに強く、早く、育て上げて見せる。ウマ娘の可能性、早さのその先、タキオンの担当になったのはその目的が合致していたからだった。
「あっ」
人々をかき分けてダスカちゃんの前に立つ。スカウトを断られていたトレーナーたち、話だけでもと声をかけていたトレーナーたちの一部が嫌そうな顔をするのが見えた。
僕を見上げたダスカちゃんは一瞬だけ嬉しそうな顔をしたものの、すぐにいつも通りの優等生の顔に戻る。
「スカーレットさん。僕と『一番』を取りにいかない?」
「はい、喜んで。これからお願いしますトレーナーさん!」
そうして僕と彼女の一年目が始まったのだった。
ちなみにこのまま綺麗に一日が終わるわけもなく、タキオンの監督不足と理事長から注意を受けてしまったのだった。タキオンはもう少し四冠バという自覚を持ってくれないかな? いや、無理か。
僕は諦めた。
●ダイワスカーレット
『一番』にスカウトに来てくれなかったのを実は怒ってる
●アグネスタキオン
怒られたけど懲りてないのでまたやらかす……と思われていたが?
●アグネスデジタル
レースはガチ
●トレーナー
新人トレーナーでかつ担当の成績が異常なので周囲の目は厳しめ